著者
張 振康
出版者
大阪市立大学大学院文学研究科
雑誌
人文研究 : 大阪市立大学大学院文学研究科紀要 = Studies in the humanities : Bulletin of the Graduate School of Literature and Human Sciences, Osaka City University (ISSN:04913329)
巻号頁・発行日
vol.72, pp.77-97, 2021

媽祖信仰が南宋期に珠江デルタ地域に伝わっていくようになってから、現地で発生した南海神信仰との出会い、融合、衝突といった交差が始まる。先学にはすでに両者の比較をめぐって取り扱ったものがある。しかし、この両信仰の具体的交差についてまだ十分に検討されたとは言い難い。本稿では、慶元年間に起こった大奚山の反乱事件、および南宋期広州城における両信仰とかかわる祭祀空間、この二つの事項を通して、南宋期珠江デルタ地域における南海神信仰と媽祖信仰の関係性をめぐって検討を行う。関連した歴史的考察を通して、せめて南宋期において、媽祖信仰が珠江デルタ地域での影響力が限られていた。つまり、当該地域において、南海神信仰と媽祖信仰といった両者の影響力の間には、著しい差異がみられる。
著者
Blumer Harbert George 桑原 司 山口 健一
出版者
鹿児島大学
雑誌
経済学論集 (ISSN:03890104)
巻号頁・発行日
no.66, pp.41-55, 2006-11
被引用文献数
1
著者
大竹 昭裕
雑誌
青森県立保健大学雑誌 = Journal of Aomori University of Health and Welfare (ISSN:13493272)
巻号頁・発行日
no.11, pp.103-110, 2010-12

2004(平成16)年の行政事件訴訟法改正により、抗告訴訟の類型として新たに義務付けの訴え、差止めの訴えが規定されると同時に、仮の救済制度として、仮の義務付け、仮の差止めの制度が設けられた。本稿では、生活保護申請が却下されたことに対して生活保護の開始を仮に義務付けた事例を取り上げ、仮の義務付けの要件に関する裁判所の判断の検討を行った。この事例は、生活保護の分野で仮の義務付けが認められた最初のケースであり、貴重な先例となるものである。本稿では、裁判所の決定は立法趣旨に沿った妥当なものといえること、「償うことのできない損害を避けるための緊急の必要」が認められる範囲に関する判断は今後への指針となること、また、「本案について理由があるとみえる」か否かについてどの程度まで審理すべきかという問題が残されていること、などを述べた。With the amendment of the Administrative Case Litigation Act in 2004, motions for rulings and for injunctions were provided as new types of protest suit, and at the same time, systems for preliminary rulings and preliminary injunctions were established as systems to give preliminary relief. This paper takes as its subject a case in which a ruling for the commencement of public assistance was preliminarily handed down with regard to a rejection of an application for public assistance, and reviews the court's judgment concerning requirements for preliminary rulings. The case in this example was the first in which a preliminary ruling was approved in the field of public assistance and thus constitutes a significant precedent. The points raised in this paper include the following: that the court's decision can be said to be reasonable and in line with the legislative intent; that the judgment provides guidelines for future judgments concerning the circumstances under which courts will accept the existence of an "urgent need to avoid a loss that cannot be made good"; and that there still remains the issue as to what extent should a trial consider whether "the present case has merit."
著者
近藤 正聡 チザール バレンティン 廣瀬 貴規 関 洋治
出版者
社団法人プラズマ・核融合学会
雑誌
プラズマ・核融合学会誌 (ISSN:09187928)
巻号頁・発行日
vol.86, no.7, pp.393-397, 2010-07-25

核融合炉ブランケットの共存性を評価するために必要な実験や分析等の手法を包括的に紹介する.共存性試験の重要なパラメータについて整理し,その上で試験片の準備の仕方,液体中への浸漬方法とその装置,試験後の試験片の分析方法について具体例を交えて解説する.
著者
小野 映介 海津 正倫 鬼頭 剛
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.43, no.4, pp.287-295, 2004-08-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
33
被引用文献数
2 4

完新世後期の濃尾平野における土砂堆積域の変遷について,低地の地形・地質と遺跡の分布や遺物の検出状況をもとに検討した.濃尾平野では縄文時代中期後葉(4,300yrs BP)以降,木曾川扇状地東部を中心に遺跡が分布するようになり,縄文時代後期末(3,000yrs BP)と弥生時代前期末(2,200yrs BP)の2度の画期を経て,西側と南側の地域にその分布域を段階的に拡大させた.各遺跡では,地表面下2m以浅の黒色有機物層やシルトを主体とした細粒堆積物層から遺物が出土しており,遺跡が立地して以降,洪水による堆積物の供給を受けにくい環境が継続したことが推定された.これらから,濃尾平野では完新世後期に木曾川の主流および土砂の堆積域が低地東部から西部へと移行するとともに,堆積環境の安定域が西部や南部へ拡大したことが考えられる.このような変遷過程は,養老断層を境に沈降する西下がりの傾動運動と対応しており,その影響を受けたものと推定される.また,縄文時代晩期(3,000yrs BP)以降における木曾川の顕著な西流傾向と海側の地域における土砂の集中的な堆積は,「弥生の小海退」に相当する海岸線の海側への急速な前進のおもな要因となったと考えられる.
出版者
国立国会図書館
巻号頁・発行日
vol.2021年, no.(717), 2021-01-01

5 0 0 0 OA 海軍戦術論

著者
マカロフ 著
出版者
春陽堂
巻号頁・発行日
1904
著者
中澤 知己 杉田 早苗 土肥 真人
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.962-967, 2020-10-25 (Released:2020-10-25)
参考文献数
13

日本国内では2016年のヘイトスピーチ解消法後も、年間300を超えるヘイトスピーチが行われている。本研究では国内で初めてヘイトスピーチに対して罰則刑を定めた川崎市の条例の成立背景を明らかにすることを目的とする。 分析方法としては、川崎市の革新的な取組の背景を明らかにするために、市議会の議論に注目し、議事録からヘイトスピーチに関する発言、全1313件を抽出し、6つの論点に分類し、分析・考察した。また、条例に対する2万6千を超えるパブリックコメントを整理し、市民の意見を概観し、市議会での議論と比較し考察した。結論として、川崎市には外国人市民の抱える問題に対し、市民、市議会が協働して支援を拡充し、全国で初めての試みを行うなど、都市の中に多文化共生の意識が育っていること、止まらないヘイトスピーチに対して市民の訴えに市議会が応えたことで、全国で初めてのガイドラインや、条例などの対策が講じられたこと。都市の中に多文化共生の共通認識があったからこそ、全国初となる対策や支援を何度も実行できたこと、都市のビジョンを共有することは都市の態度を決め、都市問題に立ち向かう力になるということがわかった。
著者
酒井 直樹
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.11-22, 2016-06

アジア太平洋戦争後の東アジアで、日本はアジアの近代化の寵児とみなされ、アジアで唯一の先進国と呼ばれてきた。冷戦秩序下のパックス・アメリカーナ(アメリカの支配下の平和の意味)で日本は、東アジアにおけるアメリカ合州国の反共政策の中枢の役割を担い、「下請けの帝国」の地位を与えられ、経済的・政治的な特別待遇を享受してきた。日本研究は、この状況下で、欧米研究者による地域研究と日本人研究者の日本文学・日本史の間の共犯構造の下で、育成されてきたと言ってよい。「失われた二十年」の後、地域研究としての日本研究も日本文化論としての日本研究も根本的な変身を迫られている。それは、東アジアの研究者の眼差しを無視した日本研究が最早成り立つことができないからで、これまでの日本文化論に典型的にみられる欧米と日本の間の文明論的な転移構造にもとづく日本研究を維持することができなくなってきたからである。これからの日本研究には、合州国と日本の植民地意識を同時に俎上にあげるような理論的な視点が重要になってきている。