著者
稲垣 良典
出版者
九州大学文学部
雑誌
哲学年報 (ISSN:04928199)
巻号頁・発行日
no.39, pp.p1-25, 1980-03
著者
忽那 敬三
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.32, pp.1-13, 2016-03

もともとは社会現象をめぐる問題としてのみ剔抉されていた物象化の議論を、自然科学的認識の場面にまで拡張したのは廣松渉であった。廣松は、相対性理論や量子力学といった現代物理学が近代の自然科学と対峙するなかで提唱することになった自然科学理論の根底に哲学的な反省を加えることによって、「能知-所知的=所知-能知的な被媒介的存在形象」が近代の自然科学においては物性化的に錯視されている次第を明らかにすると同時に、また自然科学的営為一般に通底する四肢的な構造連関態を開示する手掛かりが現代物理学において提供されていることをも明らかにしている。しかし現代物理学の意義を強調しすぎれば、現代物理学そのものも歴史的・社会的に相対的であることを忘却する危険性があること、さらにまた自然認識のモデルを自然科学的認識だけに限定してしまえば観照的な自然認識という場面が等閑視される危険性があること、これらを筆者としては指摘しつつも、しかしこれらの問題は廣松物象化論のなかで原理的に解決可能であることを論じた。
出版者
立正大学文学部
雑誌
立正大学文学部論叢 (ISSN:0485215X)
巻号頁・発行日
no.114, pp.57-58, 2001-09-20
著者
近藤 智彦
出版者
創文社
雑誌
創文 (ISSN:13436147)
巻号頁・発行日
no.517, pp.6-9, 2009-03
著者
尾崎 真奈美
出版者
相模女子大学
雑誌
相模女子大学紀要. C, 社会系 (ISSN:1883535X)
巻号頁・発行日
vol.77, pp.183-193, 2013

研究ノート(Research Note)The primary purpose of our panel presentation is to introduce our philosophical, religious andpsychological approach to our planned "Morininaru" ("Becoming Forest") Burial project. The first presenter Dr.Yoshikawa approaches from the perspective of his Moebius integral model embodying the dialogical philosophy which can integrate organically those polarities of human existence and experience – relationships between man and nature, body and mind, life and death, one and many, modern and tradition, and dialogue among different religions. Shukai Kono, the second presenter, is a Buddihst Monk who has produced "Morininaru." In this panel he will explain how "Morininaru" realize relations and connections between human and nature, individual and society, life and death, and this life and next life from the religious perspective. Morininaru means "I will become forest" in Japanese. Phisically, religious, and Morininaru is a movement that the dead person becomes the forest by planting a tree, and sustains the nature. This movement is also explained as a spontanious spiritual growth, with which the individual consciousness would expand universal consciousness. In other words this is a spiritual movement to offer a new paradigm to the individual consciousness and religious thoughts. Morininaru could be a practical philosophy to search a new shema transcending dicotomization. Mrs. Ozaki, the third presenter approaches the subject from a perspective of her renewed positive psychology, "Inclusive positivity theory." This is a model of authentic wellbeing realized through integrative perspective, the Moebious theory presented by the first presenter, Dr. Yoshikawa. She came up with a new awareness of happiness, which she terms as an "authentic wellbeing" which can be realized by integrating the positive and the negative states of mind. She will explain the model based on her researches conducted with respect to the 3.11 Earthquake and Tsunami disaster, which occurred in Japan in 2011. Her research results suggest that the pessimistic attitude could be more adaptive at the time of crisis and that the pain contributes to growth. Based on the results she showed that negative emotional experiences promote spiritual growth and pro-social activity, which does not accompanied with reward cultivate one's life satisfaction and positive emotion. This positivity accompanied by negativity is called "Inclusive Positivity." "Inclusive Positivity" connects and integrates those seemingly conflicting phenomena such as sadness and happiness, death and life. The "Morininaru" has a function to transform the grief of death to the virtuous positive emotion, and is considered to be a practice of "Inclusive Positivity."2011年311災害は、日本の東北地方に壊滅的な打撃を与えただけではなく、今なお地球規模の環境への影響は続いている。まずは、世界の皆様に日本人を代表して深くお詫びを申し述べたい。しかし日本人は、不運や不幸を排除すべき事ではなく、より良くなるためのプロセスとして捉え、そのために祈り実践していくことを知っている。世界唯一の被爆地Nagasaki、Hiroshima が20世紀の聖地となったように、Fukushima は21世紀の聖地となるであろう。そしてその動きはすでに始まっている。宮脇明が提唱し、実践している「森の長城プロジェクト」がそれである。我々は、本シンポジウムで「森の長城プロジェクト」と「森になる」が通底している、持続可能な「利己を排除しない利他精神」を論じ、日本を砦とするこの運動が世界に広がっていくことを期待しつつ、その実践哲学、心理学理論、そして具体的方策を提案する。本シンポジウム発表の主要目的は、「森になる」に対する哲学的、宗教的そして心理学的なアプローチを紹介することである。最初の発表者吉川宗男は、統合的な実践哲学モデルである「メビウス理論」の視点から「森になる」にアプローチする。メビウス理論とは、もともと二極化されている人間存在と経験、すなわち人と自然、心と体、生と死、一と多、近代と伝統といったものの対話を促し統合するための理論である。メビウス理論により、異なった宗教間の対話も可能となる。メビウス理論は、そのようなコンフリクトを日本的な場・間・和をもって対話を促す実践的哲学モデルであり、「森になる」実践の基本的理論的土壌である。二番目の発表者河野秀海は、「森になる」を提唱した浄土宗の僧侶である。本シンポジウムにおいて彼は、「森になる」がどのようにして人間と自然、個人と社会、生と死、この世とあの世をつなげるのか、宗教的な視点から説明する。「森になる」とは、日本語では「私が森になる」という意味である。具体的には、死ぬ前に樹を植えて森となることによって、自然を永続的なものにしていく貢献をする運動である。この運動を精神的にとらえるならば、自発的なスピリチュアルな成長としての説明も可能である。つまり、植樹することによって、個人の意識が宇宙的意識へと、意図しないうちに拡大するのである。すなわち「森になる」は、個人意識と宗教思想へ新しいパラダイムを提供するスピリチュアルな運動ともなりえる。「森になる」は従って、二元論を超越してワンネスの経験を促す、一つの新しい枠組みを探求する哲学実践ともなりうるのである。三番目の発表者尾崎真奈美は、このテーマを、新しいポジティブ心理学の理論である「インクルーシブポジティビティ理論」の視点よりアプローチする。これは、先に吉川が説明したメビウス理論という統合的視点をとおして実現される、本質的なウエルビーイングのモデルである。死すべき存在である人間のウエルビーイングは、ポジティブ、ネガティブ状態双方の統合なしには実現しない。彼女はネガティブさを含んだウエルビーングのモデルを2011年日本で起きた大災害に関する調査データに基づいて説明する。その調査結果は、危機においては悲観的態度が楽観的態度よりもより適応的である可能性と、痛みが成長に貢献することを示している。この結果に基づいて彼女は、ネガティブな感情体験が、スピリチュアルな成長、向社会的活動を促進することを実証した。その中で、社会的に意義ある行動は、直接報酬を伴わない場合においても、実践する個人の人生満足度とポジティブ感情を増加させることが示された。このような痛みを伴う崇高なポジティブさを「インクルーシブポジティビティ」と呼ぶ。インクルーシブポジティビティは、悲嘆と歓喜、生と死のような一見相反するような現象を結びつけ統合する。「森になる」は、死別の悲嘆を社会的に価値あるポジティブ感情に変容させる機能を持ち、インクルーシブポジティビティの一つの実践であると考えられる。

1 0 0 0 哲学誕生

著者
内山勝利責任編集
出版者
中央公論新社
巻号頁・発行日
2008
著者
三好 博之 戸田山 和久 郡司 幸夫 檜垣 立哉
出版者
京都産業大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2003

三好は計算が二つの意味で記述不可能であるという困難を明確にし,リフレクションと呼ばれる計算から着想を得た形而上学的装置一式を導入してこの困難を間接的に手懐けるというアプローチを見いだした。その記述と理解のためにHume-Bergson形式と呼ぶ記述形式を導入し,これらと上記の困難を結びつけて,その困難を超えた明証的な理解があり得ることを示した.さらにこれが時間論における入不二の考察と近いことを示した。また精神病理学および物理学への応用に向けて予備的な研究を行った。戸田山は今までFieldらにより主に数学と物理学について議論されている認識論の自然化を,現象としての計算に適用する場合の問題点について,普遍的な計算概念よりもむしろ個別の事例について検討を行うことにより研究を行った.そこでは認識論の自然化と同時に実在論を擁護する立場を強調した。郡司は動的情報射を用いた動的・局所的意味論に関する研究を行った。さらに観測由来ヘテラルキーの理論についての研究を行い,ゆらぎを持つ環境の中で頑健な挙動を示すシステムの一般的理論を展開した.現在これらはオープンリミットというアイデアとして一般化されつつある。檜垣は西田幾多郎の哲学において議論されている数理的な議論が現象としての計算という観点から見ると重要な意味を持つことを見出し,このことについて検討を重ねた.その際西田およびドゥルーズの生命論との関連に特に着目して議論を行った.そこでは西田の哲学における数理的側面についても改めて光を当てている。塩谷賢は、「計算」とは科学哲学、技術論、哲学的方法論を含む様々な問題に関する集約点の一つを示す根源的な自然種であるという立場から、「計算」について得られた知見を「計算=操作性のレベルにおける接続子による操作性の延長」として再検討することを提唱した。
著者
井上 春緒
出版者
京都大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2015-04-24

本研究は北インドの古典音楽であるヒンドゥウターニー音楽におけるペルシャの影響を、14世紀から18世紀に書かれたペルシャ語音楽書の記述を基に明らかにするものであった。ペルシャ語音楽書を使い、前近代における北インドの音楽文化交流の歴史に焦点を当てた本研究は、インド音楽の文化史研究としては、これまでにない新しい領域を開拓するものであった。本研究ではまず、ペルシャで書かれたペルシャ語音楽書を読み、ペルシャのリズム理論イーカーゥの分析をおこなった。イーカーゥの理論が体系化される上ではアラビア音楽書の影響があることがわかったため、アラビア語音楽書を書いた、アラブの哲学者についても研究し、彼らのリズム理論の特徴を分析した。次にインドで書かれた音楽書を取り上げ、それらのリズム理論の内容を分析した。特に重要であったのは、18世紀後半のインドで書かれたリズム理論が、ペルシャのリズム理論の用語で翻訳され説明されていることであった。このことから、音楽書の上では18世紀以降に本格的にペルシャのリズム理論がインドのリズム理論に影響を与えているということがわかった。また、本研究では当時のペルシャとインドのリズム理論の特徴をそれぞれ、「組み替え型」と「分割型」と定義付け、それらの特徴が現在のヒンドゥスターニー音楽のリズム演奏とどのような関係にあるのかを分析した。その結果、タブラーのソロ演奏の前奏部にあたるペーシュカールの中に両者の特徴を見ることができた。これによって当時の音楽文化交流の痕跡を、現在の音楽を通して跡付けることができた。