4 0 0 0 OA 人生哲学

著者
ジェームス・リー 著
出版者
一二三館
巻号頁・発行日
1893
著者
K リーゼンフーバー 鈴木 伸国
出版者
上智大学
雑誌
カトリック研究 (ISSN:03873005)
巻号頁・発行日
vol.76, pp.1-44, 2007

In the transition from medieval scholasticism to early modern philosophy, the problem of the relation between faith and reason was raised by the Italian humanists of the fifteenth century. Searching for human perfection, they connected the ideals of ancient rhetoric with the faith of the Fathers of the Church. Marsilio Ficino (1433-1499) was the founder and leading spirit of the Platonic Academy in Medici-Florence. Through comprehensive translations, interpretations and systematic works he created a Christian philosophy supported by Platonic ontology and metaphysics of the mind. Aiming at contemplation of God or "learned piety", his theocentrism is mediated by an analysis of the mind's natural inclination to eternal beatitude. Thus, knowledge of transcendence and immortality of the human soul are the fundamentals of the mind's ascent to God, which is guided by biblical faith as taught by the authority of the Church and illuminated by rational reflection on self-knowledge. The convergence of reason and faith or philosophy and religion is endorsed historically by the development of ancient philosophy ("prisca theologia"), which - according to Ficino's construction - leads from Egyptian hermetic thought through Greek philosophy with its culmination in Plato, to Plotinos' neo-platonic theology and its medieval tradition up to Ficino's time. The neo-platonic conception of the mind in its relation to God, however, is said to have originated under the influence of the apostolic preaching as handed down through "Paul's disciple" Dionysios Areopagites and, later on, by Origen, an acquaintance of Plotinos. In this systematically and historically wide-ranging synthesis of Platonic philosophy and Christian faith, Ficino feels himself confirmed by the Church Fathers, especially by Augustine, who not only was led to Christianity by reading neo-platonic writings, but also after his conversion integrated Platonic philosophy with Christian theology, thus opening an intellectual access to faith.
著者
ムラツ ドンダル
出版者
Architectural Institute of Japan
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.71, no.602, pp.225-232, 2006-04-30 (Released:2017-02-17)
参考文献数
77

本稿の目的は,日本建築についてのブルーノ・タウトの思惟方法において,デュアリズムがもつ重要性を明らかにすることである。タウトの建築論において驚異である点は,かれが日本の伝統的建築についての観念をいかに短期間で身につけたかである。1933年5月にかれが来日してからおよそ1年後,タウトは『ニッポン』と題される最初の著作を出版する。かれは滞在の間,他にも日本の芸術,建築,および社会生活について著作を発表するが,最初の著作に示される鍵概念はほぼ同一であり続けた。どのような基盤によって,ブルーノ・タウトは伝統的な日本建築をこれほどまでの短期間で理解することができたのであろうか。本稿において以下の章では,タウトの以前の理論に比較することにより,かれの哲学的アプローチ,とくに二元論的態度が,日本文化一般についてのかれの見方においていかに決定的であり得たかを見たい。これにより,タウトの次のような語,すなわち「デュアリズム(dualism)」が,日本の芸術や建築において最も具体化しているということが明らかにされるであろう。「まず第一に,デュアリズムと,相対する要素間の相反とが,わたしには主要なものであると思われる・・・」タウトのデュアリズムの思索における兆候は,かれの表現主義時代の著作にまで遡る。よってそのような思惟方法の重要性を明らかにするため,第2章ではデュアリズムの態度の背景が,かれの初期の著作を通して論じられる。この論点についての考察は,タウトの1914年の論文,'Necessity'を端緒とする。この論文においてタウトは合理的観念を有し,自らの建築物においてガラスや鉄,コンクリートを用いることを提案する。一方で,かれが理想とする建築物は「たんなる物質的,機能的建築の領域を超えたところ」に至らねばならないという点を強調している。本章では次に,1914年から32年までのタウトの著作を追うことにより,このようなデュアリズムの思惟方法がもつ重要性を論究する。本章で引用される,二重性を有するタウトの表現は,以下のようにまとめられる。すなわち「リアリティとイマジネーション」,「聖と俗」,「実用と美」,「物質と精神」である。第3章以降では,タウトの建築論における,日本建築に関わる二重性について注目する。ここではタウトの言及する日本の伝統的な建築物のうち,著名なものとして伝統的な農家,伊勢神宮,さらには桂離宮など,について言及する。ゆえに本章の前半節(第3章第1節)では,なぜタウトがこれらの建築物を称賛し,いかにこれらの建築物が当時のかれの建築論に結びつきえたのかを問う。とくに本節では機能についてのかれ独自の理解を重視する。すなわちタウトにとって機能とは,次のような3つの鍵概念に基づくものであった。すなわち「日常の他奇なき生活が便利に営まれること」,「尊貴の表現」,「高い哲学的精神の顕露」である。第3章第2節では,タウトが日本建築を評価するその仕方において,デュアリズムの態度の重要性を明らかにすることを目論む。日本建築についてのタウトの解釈は,その多くが,相対する要素を分析することによって成立していた。本節ではとくにデュアリズムの思惟方法が,桂離宮への高い賛辞の表現において非常に強い役割を果たしていることを論証したい。次章(第4章)においては,「デュアリズムの要素の統合」という見出のもと,以下の3節におけるそれぞれの鍵概念に注目することにより,タウトが日本建築において最も称賛した事柄について考察する。すなわち表現(第4章第1節),簡素(第4章第2節),そして哲学的態度(第4章第3節)である。これは,タウトの表現主義時代における考え方にも共通するひとつの同一性を有している。本章はブルーノ・タウトによって注目された,重要な概念を論じる。この章の組立は,かれのスケッチに描かれた,桂へと至る道程に基づいている。桂へと至る道程は,伊勢神宮に始まり,「茶の文化(Tee-Kultur)」を経て,桂離宮における「近代的資質」へと到達するのである。
著者
鈴木 祐丞
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.88, no.3, pp.647-671, 2014-12-30

本稿では、ウィトゲンシュタインの『哲学宗教日記』における、彼のキェルケゴールへの関係を考察する。同書から知られるのは、要約すれば、キェルケゴールが『キリスト教の修練』を通じて描き出した宗教哲学を、ウィトゲンシュタインが、実際にキェルケゴールのその著作を手引きとして、一歩一歩辿ったということである。キェルケゴールは、『修練』において、人間は、「キリストとの同時性」という状況に身を置き、「躓き」の可能性に直面し、それを実存的に乗り越えることによってこそ、信仰を得ることができると考える。また、彼は、そのような理想的な信仰の要求を前に、自らの不完全さを認識することで、人間は罪の赦しを体感できると考えている。自らに根深く巣食う虚栄心や臆病さを罪として認識するようになったウィトゲンシュタィンは、救いをキリスト教に求め、キェルケゴールの『修練』に手を伸ばす。彼は、そこで、まさにキェルケゴールが『修練』において意図した仕方で、罪の赦しにリアリティを見出したものと考えられるのである。
著者
鈴木 誠
出版者
公益社団法人 日本化学会
雑誌
化学と教育 (ISSN:03862151)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.107-110, 2011-02-20 (Released:2017-06-30)
参考文献数
4

フィンランドで大学に進学する場合は,まず日本の大学入試センター試験に該当するフィンランド大学入学資格試験(Matriculation Examination)に合格しなければならない。その後一定期間の兵役を体験し,一定の学資を貯めた後各大学が行う個別試験を経て,希望する大学に入学する。大学の学費は無償であり,医・教育学部の人気は高い。試験科目は多岐に渡り,高等学校で履修すべき到達度を測定する卒業試験の意味合いも兼ねている。心理学や哲学など日本の大学入試センター試験には見られないものも多い。特に語学については3科目必修となる。これは,フィンランドが国家戦略として目指す多言語活用能力(plurilingualism)育成に基づくものである。試験時間は,基本的には1教科当たり6時間にも及び,受験者に考えさせる論述問題がほとんどである。これらのことは,フィンランドがどのような人材を育成しようとしているかを明確に示すと同時に,日本の大学入試に対して多くの知見を提供するものである。
著者
宇野 重規
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社會科學研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.153-172, 2011

本稿は「労働」と「格差」について, 政治哲学の立場からアプローチする. 現代社会において, 労働は生産力のみならず社会的なきずなをもたらし, さらに人々に自己実現の機会を与えている. 対するに格差は, 社会の構成員の間に不平等感や不公正感を生み出すことで, 社会の分断をもたらす危険性をもつ. このように労働と格差は, 正負の意味で政治哲学の重要なテーマであるが, これまでの政治哲学は必ずしも積極的に向き合ってこなかった. その理由を政治思想の歴史に探ると同時に, 現代において労働と格差の問題を積極的に論じている三人の政治哲学者の議論を比較する. この場合, メーダが, 政治哲学と経済学的思考を峻別するのに対し, ロールズは, ある程度, 経済学的思考も取り入れつつ, 独自の政治哲学を構想する. また, 現代社会が大きく労働に依存している現状に対しメーダが批判的であるのと比べ, ネグリのように, あくまで労働の場を通じて社会の変革を目指す政治哲学もある. 三者の比較の上に, 新たな労働と格差の政治哲学を展望する.This article focuses on the problem of labor and inequality from the perspective of political philosophy. In contemporary society, labor is important not only as a source of productivity, but also as a social relationship and an opportunity for self-realization. On the other hand, inequality divides the society by aggravating the sense unfairness among its members. This shows the importance of the theme of labor and inequality for political philosophy, but these two themes haven't been fully discussed by political philosophers. The article analyses the reason of their reluctance in the history of political thought. And by comparing three contemporary political philosophers, Dominique Méda, John Rawls and Antonio Negri, it considers the future possibility of political philosophy for the problem of labor and inequality.
著者
三上 喜貴
出版者
国立研究開発法人 科学技術振興機構
雑誌
情報管理 (ISSN:00217298)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.271-274, 2017-07-01 (Released:2017-07-01)
参考文献数
2

インターネットという情報の巨大な伝送装置を得,おびただしい量の情報に囲まれることになった現代。実体をもつものの価値や実在するもの同士の交流のありようにも,これまで世界が経験したことのない変化が訪れている。本連載では哲学,デジタル・デバイド,サイバーフィジカルなどの諸観点からこのテーマをとらえることを試みたい。「情報」の本質を再定義し,情報を送ることや受けることの意味,情報を伝える「言葉」の役割や受け手としてのリテラシーについて再考する。第2回は各言語のWeb上におけるプレゼンスを計測する「言語天文台」の構想について,言語間デジタル・デバイドについて,情報伝達における「母国語」の役割と多言語社会について考える。
著者
加藤 紫苑
出版者
京都大学文学研究科西洋近世哲学史研究室
雑誌
Prolegomena : 西洋近世哲学史研究室紀要 (ISSN:21858098)
巻号頁・発行日
vol.6, no.2, pp.1-12, 2015-12-15

Where is the historical origin of anti -Kantianism in the aesthetics of German idealism? Frederick C. Beiser's recent book, Diotima's Children: German Aesthetic Rationalism from Leibniz to Lessing, doesn't treat this subject directly, but provides many profound insights into it. In this paper the author gives a summary of the book first, then explains some of those insights.
著者
蜂谷 俊隆
出版者
一般社団法人日本社会福祉学会
雑誌
社会福祉学 (ISSN:09110232)
巻号頁・発行日
vol.50, no.4, pp.42-54, 2010-02-28

糸賀一雄の思想については,1946年の近江学園設立以前にその準備期間があるとされ,先行研究では宗教哲学の専攻や,教員時代に私淑した哲学者の木村素衛の影響が言及されている.しかし,糸賀の思想には木村以外の人物からの影響も少なくなく,糸賀の思想の全体像はまだ解明されているとはいえない.本論文では,糸賀が1941年に滋賀県庁に赴任した直後から戦後にかけて下村湖人と親交があり,下村の展開していた「煙仲間」運動に関与していることに着目した.そして,戦前に糸賀と下村が出会って,1954年に下村が逝去するまでの両者の具体的な交わりを明らかにするとともに,糸賀の「一隅を照らす」姿勢や「同心円」概念には下村の思想や「煙仲間」運動の運動方針,さらにその前身である壮年団の運動方針との関連がみられるという結論に至った.これは,糸賀の思想をとらえ直す際に重要な視点になると考えられる.
著者
池上鎌三 著
出版者
霞ケ関書房
巻号頁・発行日
1947
著者
福田 喜一郎
出版者
鎌倉女子大学
雑誌
鎌倉女子大学紀要 (ISSN:09199780)
巻号頁・発行日
no.19, pp.45-49, 2012-03-31

Zu unserer Uberraschung behauptet Kant,dass das Bestreben des Atheisten, seine sittlich rechtschaffe Eigenschaft zubewahren, begrenzt sei. Aber diese Behauptung von der moralischen Begrenzung des Atheisten steht beileibe nicht im Widerspruch zum Grundsatz der Willensautonomie bei Kant. Er fuhrt dabei seine Unterscheidung des moralischen Actus vom religiosen Habitus ins Feld, um solchen moralischen Nihilismus zu vermeiden. Er versucht zugleich weiterhin, der amoralischen Welt als Natur eine neue praktische Bedeutung beizulegen, was ,, das hochste Gut" oder das Dasein Gottes betrifft. Es ist m. E. die reflektierende Urteilskraft, die diese Bedeutung entdeckt und das Vertrauen zu dieser Welt gewinnt. In diesem Sinne kann Kant als der eigentliche Verfechter der Idee des Gnadenreichs von Leibnitz bezeichnet werden.