著者
青海 邦子 Kuniko SEIKAI
出版者
大手前短期大学
雑誌
大手前短期大学研究集録 = Otemae Junior College Research Bulletin (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
no.34, pp.15-39, 2015-03-31

仏教において、今も昔も仏像や経論が尊崇されこれらが重視されるのは当然と理解されるが、仏教伝来当初に仏像や経論の外に「仏具」として「幡」と「蓋」(天蓋)がともにもたらされたことはよく知られている。仏教での「幡と蓋」がいかなる役目を果たし、どういう意義をもっていたものであるかについて、日本の幡の歴史を考察しながら、今回、神下山・高貴寺(葛城山西麓大阪府河南町平石)における、経年の間、仏殿の周りに懸けられていた幡や幡の断片について調査、研究を行ったので報告する。
著者
北嶋 秀子
出版者
日本色彩学会
雑誌
日本色彩学会誌 (ISSN:03899357)
巻号頁・発行日
vol.39, no.6, pp.227-238, 2015

暈繝彩色は,仏像や仏具など仏教関係のものに施され,主に「紺(青)・丹(赤)・緑・紫」のグラデーションを用いて,鮮やかな多彩感や立体感を表す装飾的な彩色技法である.暈繝彩色は,インドから中国に伝わり,中国で完成したと考えられる.以前にも拙稿で暈繝彩色について検証したことがあるが,本稿では敦煌莫高窟における進化の過程とともに,暈繝彩色の定義についても再検証した.敦煌莫高窟の壁画を時代ごとに『中国石窟・教煌莫高窟』で確認しながら,先学の研究を基に暈繝彩色について再検証した結果,教煌莫高窟において6世紀前半には筆禍らしき彩色法が見られ,7世紀には暈繝彩色が完成していたと考えられる.薄暗い石窟内は少ない光量ゆえに,物体が平面化し通常と異なる視感竟に陥ることが想像される.その平面化の問題を解決する方法として,暈繝彩色を構成するグラデーションの段数を,増やすことが考えられた.それによって「色彩による立体感」を獲得し,暈繝彩色が爛熟期に達したと考えられるのである.さらに,暈繝彩色のグラデーションは,彩度を強く意識したトーンのグラデーションであることも明らかになった.薄暗い環境下で立体感を表出するために工夫された彩色法が,それまでの暈繝彩色を完成された暈繝彩色へ高めたと考えられる.
著者
畔上 恭彦
出版者
一般社団法人 日本行動分析学会
雑誌
行動分析学研究 (ISSN:09138013)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.154-164, 1996-08-15 (Released:2017-06-28)

臨床において、コミュニケーション場面での子どもの行動の変化を捉えると同時に、その行動の意図、例えば、人に視線を向けたという行動だけなく、子どもの視線の奥の「まなざし」の意図を理解するということが重要な意味を持つ。このような観点からINREALでは、コミュニケーション分析を行い、これを通して、話し手・聞き手はどのように『会話の原則』に従ったかを検討する。今回、自閉的傾向のある発達遅滞児とのプレイ場面において、INREALの『会話の原則』に従ったコミュニケーション指導を行ったところ固執と思われていた行動が、人との関わりの接点となり、大人と子どもとのやり取りへと変化していった。大人が意味のあるコミュニケーションを行うために『会話の原則』を守ることの重要性が示唆された。この『会話の原則』を守っているかどうかは、臨床場面の録画ビデオを検討することで確認できる。
著者
西川 潤
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
no.64, pp.57-69, 2018

日本の高大連携は、実施目的の明確化や参加者確保に向けた実施体制の確立が不十分であるという課題を抱えている。本稿は、広島県の大学間連携組織である教育ネットワーク中国が実施する高大連携事業を事例として取り上げ、県全体での広域型高大連携の有効性を検討する。関係者への聞き取り調査を通して、(1)「大学を知る」という理念が強く意識されていること、(2)多様な層の高校生へのサービス提供が目指されていること、(3)大人数の参加を可能にする事務処理のプロセスがうまく機能していること、(4)地域貢献など、個々の大学の利益追求を越えた目的に合致していることが明らかになった。一方で、課題としては参加者へのインセンティブの充実や成果の検証に伴う人員・コストの確保が挙げられる。以上の事例分析より、広域型高大連携は一定の有効性を持ち、「大学を知る」という体験重視の発想が今後の高大連携のあり方を考える上で重要であることも示された。
著者
板倉 昭二
出版者
心理学評論刊行会
雑誌
心理学評論 (ISSN:03861058)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.215-216, 2016 (Released:2018-02-06)
参考文献数
1
被引用文献数
1
著者
神田 晶申 田中 翔 後藤 秀徳 友利 ひかり 塚越 一仁
出版者
一般社団法人 日本真空学会
雑誌
Journal of the Vacuum Society of Japan (ISSN:18822398)
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.85-93, 2010 (Released:2010-03-18)
参考文献数
43

Present understanding of electric transport in graphene, a crystalline layer of carbon, is reviewed. In the first part, emphasis is placed on the gap between the ideal and reality of electron transport, which is mostly caused by disorder (charged impurities) in the experimental samples. Disorder which affects the graphene transport originates mainly from charged impurities in the substrate, comtaminants on the graphene surface due to, e.g., resists and sticky tapes, and absorbed gas molecules. The amount of charged impurities and the methods to remove them are discussed. In the second part, the characteristic phenomena in multilayer graphene are explained for spins and Cooper-pair transport, which are relevant to the nonuniform distribution of the carrier density under nonzero gate voltages.
著者
前田 拓也 上出 直人 戸﨑 精 柴 喜崇 坂本 美喜
出版者
一般社団法人日本理学療法学会連合
雑誌
理学療法学 (ISSN:02893770)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.29-36, 2021 (Released:2021-02-19)
参考文献数
46

【目的】本研究は地域在住高齢者の呼吸機能に対する運動機能,認知機能,体組成との関連性について検討した。【方法】対象は要介護認定のない65 歳以上の地域在住高齢者347 名とした。呼吸機能として努力性肺活量および1 秒量,運動機能として握力,下肢筋力,Chair Stand Test,Timed Up and Go Test(以下,TUGT),5 m 快適・最速歩行時間,認知機能としてTrail Making Test part A(以下,TMT-A),体組成として骨格筋指数および体脂肪率を評価した。呼吸機能と運動機能,認知機能,体組成との関連を重回帰分析にて分析した。【結果】年齢,性別,体格,喫煙などの交絡因子で調整しても,努力性肺活量は握力,TUGT,TMT-A と有意な関連を示した。同様に,1 秒量は握力,TMT-A と有意な関連を示した。【結論】地域在住高齢者の呼吸機能は運動機能,認知機能が関連することが示唆された。
著者
井谷 信彦
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.2006, no.94, pp.1-20, 2006

本稿は、現代ドイツの教育学者ボルノウと、彼の思想に深い影響を与えた哲学者ハイデガーについて、両者の思索の関わりを問い直す研究の一環として位置づけられるものである。ハイデガー哲学からの影響を認めながらもボルノウは、その思想の根幹である「存在への問い」が開き示す可能性については、それを繰り返し排除あるいは無視し続けてきた。しかしながら、この拒絶がそもそも或る種の誤解に基づくものであったとすればどうだろうか。むしろその点に、ボルノウ自身によっては主題的に論じられることのなかった別なる思索の可能性が潜在しているのではないか。ハイデガーによる「存在への問い」についての考察を通じて、ボルノウによる人間学的な教育学がもついっそう豊かな可能性を解き放つことが、本研究に与えられた最終的な課題である。特にその端緒として本稿では、ボルノウによる「希望の哲学」をハイデガーによる「不安の分析論」をふまえて問い直すことが試みられる。