著者
山田 康弘
出版者
吉川弘文館
雑誌
日本歴史 (ISSN:03869164)
巻号頁・発行日
no.730, pp.96-104, 2009-03
著者
夏原 由博 中西 康介 藤岡 康弘 山本 充孝 金尾 滋史 天野 一葉 李 美花 片山 直樹
出版者
一般社団法人 日本生態学会
雑誌
日本生態学会誌 (ISSN:00215007)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.231, 2020 (Released:2020-12-24)
参考文献数
47

本研究ではサギ類を水田の生物多様性の指標と位置づけ、環境保全型稲作によるサギ類の個体数増加の効果を検証することを目的とした。滋賀県野洲市、高島市、愛知県豊田市のそれぞれで、慣行農法による稲作水田と特別栽培または有機栽培の水田を選び、2014年から2016年まで昼行性サギ類(アオサギ、ダイサギ、チュウサギ、コサギ)の個体数とその主要な餌となる魚類、オタマジャクシの個体数をトラップおよびすくい取りによって調査した。また、滋賀県で取り組まれている堰上式魚道の効果を検証するために、2016年に野洲で魚道水田と魚道の設置されていない水田の比較を行った。サギ類個体数と魚類個体数は慣行水田と比較して有機水田で多く、オタマジャクシ個体数は農法による差が認められなかった。有機水田は慣行水田で行われている輪作をしないことや農薬不使用のため魚類(主にドジョウ類)の個体数が多いことがサギ類を増加させたと考えられた。魚道の設置は魚類個体数を増加させ、ダイサギとチュウサギの個体数を有意に増加させたがアオサギは差が認められなかった。アオサギは稚魚より大きな餌を好むためと考えられた。また、オタマジャクシ個体数は魚道水田で少なかったが、カエルが魚類のいる水田を避けて産卵するか、卵やオタマジャクシが魚に捕食されたと考えられた。
著者
小野 厚夫
出版者
情報処理学会
雑誌
情報処理 (ISSN:04478053)
巻号頁・発行日
vol.46, no.4, pp.347-351, 2005-04-15

今日のキーワードとなっている情報という言葉は,日本で造られた言葉で,1976年出版の訳書「仏国歩兵陣中要務実地演習軌典」に最初の用例がある.原語はフランス語のrenseignementで,敵の「情状の報知」の意味で使われた.初期には情報と状報が併用されたが,情報に統一された.兵語として用いられていたが,次第に一般化し,日露戦争後には国語事典に収録されるようになった.戦後情報理論の導入に伴い,英語のinformationの日本語訳として用いられるようになった.これら130年に及ぶ情報という言葉の歴史について調べた内容を,用例を示しながた辿ってみた.

15 0 0 0 OA 独唱:お正月

著者
三浦 環[作詞]
出版者
コロムビア(戦前)
巻号頁・発行日
1940-12
著者
太田 猛彦
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.52, no.5, pp.3-26, 2008-12-01 (Released:2017-10-27)
参考文献数
13
被引用文献数
1

15 0 0 0 民間傳承

著者
民間傳承の會
出版者
民間傳承の會
巻号頁・発行日
1935
著者
國富 信一
出版者
Meteorological Society of Japan
雑誌
氣象集誌. 第1輯 (ISSN:00261165)
巻号頁・発行日
vol.40, no.7, pp.en3-en6, 1921-07-10 (Released:2009-02-05)
被引用文献数
2 3
著者
曽山 毅
出版者
観光学術学会
雑誌
観光学評論 (ISSN:21876649)
巻号頁・発行日
vol.1, no.2, pp.185-202, 2013 (Released:2020-01-13)

日本統治期台湾の教育機関が実施した修学旅行について、民族属性や多様な参観地選択などに注目して検討した。とくに、総督府国語学校に導入された修学旅行には統治者/日本人と被統治者/台湾人という図式が顕著に表れたが、これは日本統治期の修学旅行の基底に存在し続けた。1920年代には中等教育機関の中に南支旅行を実施する学校があらわれ、修学旅行における内地と台湾の関係性は相対化され、台湾人と日本人との間に存在する修学旅行における意味づけの相違が判別しにくくなった。1920年代以降、内地修学旅行を再認識する動きが見られたが、これには、内地が修学旅行の絶対的な選択肢ではもはやないという側面と、内地旅行を植民地統治という文脈において復権しようとする側面があった。修学旅行は初等教育機関にまで普及していくが、1930年代には、日本人児童にも内地旅行が要請されるようになり、台北市などが小・公学校児童を対象にした内地修学旅行を実施するようになった。この旅行では日本人児童と台湾人児童の統治・被統治の関係に由来する優劣性にはある種のねじれが生じることになった。