1 0 0 0 OA 鈴木棠三先生

雑誌
白梅学園短期大学紀要
巻号頁・発行日
vol.23, pp.136-137, 1987
著者
藤田 智成
雑誌
情報処理学会論文誌コンピューティングシステム(ACS) (ISSN:18827829)
巻号頁・発行日
vol.47, no.SIG12(ACS15), pp.411-419, 2006-09-15

Linux Target Framework(tgt)は,ストレージターゲットドライバのための新しいフレームワークである.tgtが提供するストレージプロトコルに非依存なAPIを利用することで,SCSI,AOE,NBD等の様々なSANプロトコルのターゲットドライバを簡素化することができる.ストレージプロトコルに依存する機能は,各プロトコルライブラリによって提供される.tgtは,信頼性向上,および,開発・保守を容易にするため,ストレージプロトコルの処理等,主要な機能をユーザ空間に実装している.商用環境を模擬した実験で,tgtはカーネル内部に実装されたストレージターゲットドライバと同等の性能を達成した.
著者
栗原 寛昇 岡本 剛
雑誌
研究報告情報セキュリティ心理学とトラスト(SPT)
巻号頁・発行日
vol.2011-SPT-1, no.35, pp.1-8, 2011-07-05

インターネットには,様々な脆弱なサービスが存在し,攻撃コードを自動生成するツールなどにより,脆弱性攻撃による脅威は深刻なものとなっている.脆弱性攻撃を防ぐ方法の 1 つに,Microsoft が実装した DEP(Data Execution Prevention) という機能がある.しかし,DEP を回避する脆弱性攻撃が明らかになり,Windows のセキュリティ強度の低下が問題になっている.本稿では,DEP を回避する脆弱性攻撃を検知して不正な命令の実行を防止するプログラムを提案し,実装した.さらに実装したプログラムにより,DEP 回避を防止できることを確認した.
著者
神長 英輔
出版者
新潟国際情報大学国際学部
雑誌
新潟国際情報大学 国際学部 紀要 = NUIS Journal of International Studies (ISSN:21895864)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.53-65, 2022-04-01

この論文は近世後期の蝦夷地におけるコンブ業を概観するものである。具体的には、近世後期のコンブ輸出の拡大、蝦夷地におけるコンブ生産の拡大、アイヌや和人の労働者の移住、彼らが働く労働環境の変化を関係づける試みである。 江戸幕府は1698(元禄11)年に海産物の乾物(俵物と諸色)を中国向けの貿易品として指定し、海産物の貿易体制が公式に成立した。これ以降、コンブは重要な輸出商品になり、主産地である蝦夷地においてコンブ漁業の漁場が拡大した。蝦夷地におけるコンブの産地は、18世紀の末に現在の釧路地方に達し、19世紀前半には現在の根室地方に達した。 コンブ漁業の拡大は労働者としての和人やアイヌの移住を伴った。アイヌの移住は和人の漁場経営者(場所請負商人ら)の強制によるものもあった。コンブ貿易の拡大が蝦夷地におけるコンブ漁業の拡大をもたらし、それが各地のアイヌの生活に深刻な影響を及ぼしたのである。
著者
卒田 卓也
出版者
近畿大学 心理臨床・教育相談センター
雑誌
近畿大学 心理臨床・教育相談センター紀要 (ISSN:24349933)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.25-33, 2018-03-15

[要旨]自らの声を取り戻し,自らが選択しているという感覚はエイジェンシー(国重,2013)と呼ばれている。ナラティヴ・セラピーでは,カウンセラーが問題に対する方向性を定めるのではなく,当事者の選択を重視することにより,エイジェンシーを発揮できるように支援するスタンスをとる。本事例では,計5回の面接過程を①「母子が何に困らされているかを知り母子で共闘できる問題設定を模索する」,②「問題(“イライラ”)の外在化,問題からの影響を探る」,③「問題をコントロールできる,エイジェンシーの発揮」の3期に分けて整理をし,エイジェンシーを発揮していく変遷について報告する。ナラティヴ・セラピーの姿勢は,人が内在化した問題に振り回されていた状態から,外在化された問題として扱えるようになることを支持する。そして,外在化した問題に対抗でき,その実感をもつことで,主体的に問題に対抗する気持ちが増幅し,エイジェンシーを発揮することで事態は大きく変化していくといえるだろう。
著者
ミヒールセン エドウィン
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 文学研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature (ISSN:24363316)
巻号頁・発行日
no.48, pp.259-288, 2022-03-18

一九二〇年代に女性権利を代表する運動が登場すると同時に、女性のリプロダクティブ・ライツの闘争が始まった。その中、最も活躍していたプロレタリア婦人運動家たちは、階級闘争を女性権利と結び付け、女性の生殖権利を要求する無産者産児制限同盟(プロBC)を結成した。本稿では、無産者産児制限の言説と歴史背景を分析しながら、階級支配と性支配の統合を含めてプロレタリア作家平林たい子の「施療室にて」という短編を考察する。そうすること、産児制限とプロレタリア文学との相互関係を検討する。また、「施療室にて」をプロレタリア産児制限論と併読しながら、プロレタリア作家たちは、どのようにジェンダーの搾取と資本主義において唯一生産できない商品である労働力の再生産の必要性を結びつけたかを示したい。 In the 1920s, the struggle surrounding women’s reproductive rights started intandem with the appearance of women rights movements. Among these movements,the ardent proletarian women activists connected class struggle with women rights andestablished the Proletarian Birth Control Movement (ProBC), which advocated forwomen’s reproductive rights. This article examines Hirabayashi Taiko’s “At the CharityWard,” published in the ninth issue of Literary Front in 1927, against the historicalbackdrop of proletarian birth control politics to elucidate the mutual relation betweenbirth control politics and proletarian literature. Furthermore, reading “At the CharityWard” together with discussions on proletarian birth control, this article demonstrateshow proletarian writers like Hirabayashi Taiko connected gender exploitation with thenecessity of the reproduction of labor power, the only commodity capitalism cannotproduce.
著者
一ノ瀬 俊也
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.126, pp.119-131, 2006-01-31

太平洋戦争中、補給を断たれて多くの餓死・病死者を出したメレヨン島から生還した将校・兵士たちをして体験記の筆をとらしめたのは、死んだ戦友、その遺族に対する「申し訳なさ」の感情であり、そこから死の様子が描かれ、後世に伝えられることになった。あるいは自己の苛酷な体験を「追憶」へ変えたいというひそかな願いもあった。自己の体験をなんとか意義付けたい、しかし戦友の死の悲惨さは被い隠せない、と揺れる心情もみてとれた。このように生還者たちの記した「体験」の性格は多面的であり、容易に単純化・一本化できるような性質のものではない。戦後行われてきた戦死者「慰霊」の背後には、そうした複雑な思いがあった。いくつかのメレヨン体験記を通じて浮かびあがってきたのは、「昭和」が終わり、戦後五〇年以上たってなおやまない、〈戦争責任〉への執拗な問いであった。その矛先は、時に天皇にまで及んだ。たとえそこで外国への、あるいは己れの戦争責任が問われることがなかったとしても、「責任を問うこと」へのこだわりや「死んでいく者の念頭に靖国はなかったろう」という当事者たちの文章は、戦後日本における「先の戦争」観の実相を問ううえでも、さらには戦争体験の風化・美化を進める今後の世代が前の世代の「戦中の特攻精神や飢えの苦しみは戦後教育と飽食に育った世代の理解は不可」という声に抗して「戦争体験」を引き継ぐさい、今一度想起されてよいのではないか。
著者
坂村 健 高田 広章
雑誌
情報処理学会研究報告計算機アーキテクチャ(ARC)
巻号頁・発行日
vol.1993, no.20(1992-ARC-099), pp.1-8, 1993-03-11

TRONプロジェクトは、近い将来に高度にコンピュータ化された社会(電脳社会)が到来することを想定し、コンピュータシステムのあるべき姿を総合的に研究するプロジェクトである。コンピュータシステム構築の基礎パーツとなるCPUや目的別に設計された3種類のオペレーティングシステムの研究・開発を行なう基礎プロジェクトと並行して、電脳社会における問題点を検討するために、電脳社会のプロトタイプの構築を行なう応用プロジェクトを進めている。本稿では、TRONプロジェクトの現状とプロジェクトの目指すところについて、TRONプロジェクトで重視している実時間処理の面を中心に紹介する。
著者
伊藤 幸司
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.223, pp.51-73, 2021-03-15

本稿は、日本と明朝との交流に使われた航路のうち、南海路を考察対象とするものである。日明航路は、東シナ海を横断する「大洋路」と「南島路」があり、これに接続する国内航路として「中国海路」と「南海路」がある。南海路は、南九州から九州東岸を北上し、豊後水道を横断して四国に渡り、土佐国沿岸を経て、紀伊水道から畿内の堺へと至る航路であり、一六世紀中葉に日本に来航した鄭舜功の『日本一鑑』では「夷海右道」として記されている。南海路は、一五世紀後期の応仁度遣明船が帰路に使用してから注目されるようになるが、実際は遣明船以前からの利用が史料から確認できる。ただし、瀬戸内海を通過する中国海路と比較すると、南海路は、距離も長く時間もかかるうえに、室戸岬や足摺岬を迂回し、太平洋に直面する土佐湾を航行するという自然条件の厳しさもあったため、中国海路の沿線が不安定化した場合や、政治的な背景がある場合に限って利用されることが多かった。本稿では、これまで断片的に蓄積されてきた南海路にかかる研究史を整理した上で、南海路を利用した遣明船について個別に取り上げ、南海路の港町との関係等に注目しながら考察をした。対象とする遣明船は、応仁度船、文明八年度船、同一五年度船、明応度船、永正度船、大永度船、天文一三年度船である。
著者
小野 光絵 ONO Mitsue
出版者
総合研究大学院大学文化科学研究科 / 葉山町(神奈川県)
雑誌
総研大文化科学研究 = SOKENDAI Review of Cultural and Social Studies (ISSN:1883096X)
巻号頁・発行日
no.18, pp.73-91, 2022-03-31

尾崎翠(一八九六―一九七一)のテクストでは、小説やエッセイ、詩や座談録といったジャンルを横断する形で、「チヤアリイ」ことチャールズ・チャップリンへの思慕というテーマが繰り返し表象されている。しかし、これらは従来の研究ではほとんど看過されており、充分な掘り下げがなされてこなかった。本稿は、短篇小説「木犀」(一九二九年)を中心に、その重要性に光を当てるものである。映画をめぐる尾崎の複数のエッセイの中で、「影」というキーワードが繰り返し登場する。「影」という言葉を用いて表象されているのは、映画などの媒体を通すことによって生じる一種の異世界の魅力であり、なおかつ、その中で生身の人間とは異なる異世界の存在として見えてくる人物像への強い関心である。「影の世界」に触れ、没入することによって自身の「心のはたらき方までも」が根本から影響を受けるという、単なる娯楽としての消費に留まらない映画鑑賞のあり方が語られる。また、チャップリンについても生身の俳優としてではなく、映画の幕の上の「影の男性」としての魅力が見出されている。以上を踏まえた上で、「木犀」の「私」の恋のあり方について考察を加えた。「木犀」の語り手である「私」は、学生時代の友人「N氏」からのプロポーズを退けたことで「淋しさ」を感じるが、映画館で観た「ゴオルドラツシユ」の「チヤアリイ」に対する好意を語る時にはじめて「恋してゐる」「愛してゐる」という言葉が用いられる。さらに、「私」が強く関心を示しているのは、億万長者となり恋人を得るハッピーエンドを迎えた成功者としての「チヤアリイ」ではなく、むしろその途上における「孤独な彷徨者」に対してである。その上で、彼の姿に「淋しさ」を見出して共鳴を示す「私」自身もまた、「孤独な彷徨者」の性質をそなえた人物であることを指摘した。また、映画が上映終了となった後、「私」は眼前にありありと「チヤアリイ」を思い描き、幻想上の会話を交わしている。ここに表象されるイメージは、映画「ゴオルドラツシユ」のチャップリンのイメージを借用・変形することによって表現された「私」の分身であり、「私」の〈内なる男性像〉の具現化であると、後続の尾崎翠テクストとのテーマの連続性に言及しつつ結論づける。In the texts of Midori Osaki (1896–1971), the recurrent theme of her admiration for Charles Chaplin or “Charlie” appears across her works such as in novels, essays, poetry and records of dialogues. However, this theme has been largely overlooked in previous studies and has not been explored in depth. This article focuses on the theme by making reference to one of her short stories titled Mokusei (Osmanthus fragrans) (1929) and sheds light on its importance.In some of Osaki’s essays on films, the word “shadow” appears repeatedly. This word suggests a sort of otherworldly fascination that emerges from a medium such as film, and her strong interest in the characters who appear in films as otherworldly beings different from actual human beings. She says movie watching is more than mere entertainment. When watching a film, she touches and is absorbed into the “world of shadow”, and even her way of thinking is influenced. Osaki finds Chaplin attractive as a “man of shadow” in a film rather than an actual human being. In light of the above, the author discusses what “I” is and what “my” love is in Mokusei.While “I”, the narrator of Mokusei, feels “loneliness” after declining a marriage proposal from N, a friend from her school days, she says “I am in love” and “I love you” for the first time when she talks about her fondness for Charlie in The Gold Rush, which she saw in the theater.The narrator is more interested in Charlie as a lonely wanderer than Charlie as a successful man who becomes a millionaire and has a happy ending with his lover in the film. The author points that “I”, the narrator, who finds “loneliness” in him and has sympathy for him, is also a person who may be characterized as a “lonely wanderer”.After the film, the narrator has an imaginary conversation with Charlie with a vivid image of Charlie in herself. The author, based on the thematic continuity in Osaki’s subsequent texts, concludes that the image represented in this novel is an alter ego of the narrator, borrowed and transformed from Chaplin’s image in the film The Gold Rush, and is an embodied “male model” in her mind.
著者
福田 惠子
出版者
拓殖大学日本語教育研究所
雑誌
拓殖大学日本語教育研究 = Journal of research in teaching Japanese language (ISSN:24239224)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.191-209, 2021-03-25

日本では2000年以降,韓国では2015年以降,本格的に「国際理解教育」が導入され,他者との共生を目的に異文化間能力の向上を目指している。導入前は,他者を理解しようという姿勢ではなく,自国本位の教育が行われてきたが,導入後はいかなる教育効果がもたらされるのか。現段階では教育効果を問うところまでには至っていないが,「対日本(人)へのイメージ調査」や「対日感情のアンケート」結果からは国際理解教育の必要性が示唆された。
著者
深澤正大
雑誌
情報処理学会研究報告グラフィクスとCAD(CG)
巻号頁・発行日
vol.1989, no.68(1989-CG-040), pp.47-52, 1989-08-17

自然界における色彩の変化で最も身近なものは太陽光である.晴れた日の空の青さや,曇りの日の白っぽさ,朝焼け,夕焼けの赤さ,雨の日の暗さ等,多様な変化を示す.これらの色をCRTで忠実に色再現を行なうことは大変な無理がある.しかしこれらの違いの要因を考慮した計算による変化を表示することはできる.さらに厳密にはディスプレー上に表示されたものとハードコピーに記録されたものでも色は違っているのが事実である.変化要因の抽出と色の再現を試みた.