著者
川又 英紀
出版者
日経BP社
雑誌
日経コンピュータ (ISSN:02854619)
巻号頁・発行日
no.860, pp.38-43, 2014-05-15

マーケティング会議の開始に先立つこと3カ月前、2013年2月にビューカードは大きな決断を下していた。外部から、データ分析に長けた3人の人材を「チームCMO」として招いたのだ。 彼らは日本IBMを辞めたばかりのデータ分析のエキスパートで、2012年12月にスキルを…
著者
高橋 修(1971-)
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.99-124, 0000

表題の崇源院は江戸幕府二代将軍徳川秀忠の正室であった江(1573~1626)のことで、崇源院とは彼女の死後の贈名である。彼女は寛永3年(1626)に江戸城内で死去し、その遺骸は火葬に付され、増上寺に埋葬された。昭和33~35年(1958~60)に増上寺内で実施された発掘調査により、崇源院の墓石が地下から発掘された。この調査以後、彼女の墓石は行方不明となっていたが、最近の調査により山梨県甲州市にある古刹 恵林寺境内にあることが判明した。墓石の周囲には文字が刻まれており、従来はその解読が不十分であった。そこで今回の再発見を契機として、墓石碑文の解読とその現代語訳を試み、また、何故、彼女の墓石が地下に埋められたのか、その歴史的背景を明らかにすることを本稿の目的として設定した。Suugenin(崇源院1573~1626) was the shougun Tokugawa Hidetada's (徳川秀忠) wife. In 1626 she died at Edo Castle. She was cremated and buried in Zojoji(増上寺).The tomb of Suugenin was excavated by an excavation survey at Zojoji in 1958~1960. Later, her grave became missing. It turned out that it was in Erinji(恵林寺).Her tomb is engraved with letters, but they were not legible in traditional research. Therefore, this paper aims to clarify the following two points: first of all, I will decipher the inscription and make a modern translation, secondly, I will discuss why the tomb was buried underground.
出版者
日経BP社
雑誌
日経ア-キテクチュア (ISSN:03850870)
巻号頁・発行日
no.698, pp.122-125, 2001-08-06

東急東横線,京王井の頭線,営団地下鉄銀座線などのターミナル,渋谷駅。その南口から約200mの距離に,東京急行電鉄の旧本社跡地を再開発した41階建ての超高層複合ビル「セルリアンタワー」が建つ。「セルリアンタワー東急ホテル」は同タワー内にこの5月24日,グランドオープンした大型都市ホテルである。 「本社跡地の利用にあたって考えたのは,渋谷の街に何が足りないか。
著者
門脇 佳代子
出版者
東北福祉大学
雑誌
東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館年報 = Tohoku Fukushi University Serizawa Keisuke Art Craft Museum annual report (ISSN:21862699)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.61-74, 2017-06-23

芹沢銈介の「布文字」と呼ばれる一群の作品は、翻る長い布が文字へと変化する独創的な表現で、昭和35(1960)年より盛んに作られた。布文字が登場する昭和30年代は、人間国宝となった芹沢が旺盛に作家活動を行った時期であり、他に飛白体を想起させる「福の字」(昭和33(1958)年)や「梵字愛染明王」(昭和34(1959)年)が制作されている。「梵字愛染明王」が初めて出品されたのは、昭和34年2月24日~3月1日にかけて開催された第1回无文会展であり、同年2月14日に柳宗悦へ宛てたハガキの中で制作中の作品として取り上げている。また同年5月11~17日に開催された柳宗悦先生書軸展では、柳の書の下絵を担当しており、その図柄のいくつかに梵字を取り入れている。東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館には、芹沢の練習とみられるカスレ描きの習作や梵字下絵が残されており、それらを含め発表作品を時系列に並べてみると、芹沢銈介の布文字成立には、飛白体や梵字の習得が前提にあったことがより明確になる。Serizawa Keisuke produced "cloth character" designs in which Chinese characters are depicted as long cloths, arranged to form the figures. From 1960, he created many such works, which were prized for their originality of expression. Two roughly contemporaneous works were his "Chinese character fuku"(1958)and "Sanskrit Aizen Myouou"(1959), both clearly showing his interest in characters.Serizawa wrote in a letter dated February 14, 1959 of his plans to create "Sanskrit Aizen Myouou." Sanskrit characters bear a resemblance to Serizawa's. Tohoku Fukushi University's Serizawa Keisuke Art and Craft Museum holds Serizawa's studies(pictures of Sanskrit characters drawn for practice). Comparing his "Sanskrit Aizen Myouou" and "cloth characters", it becomes clear that Serizawa's "cloth characters" developed out of his work with Sanskrit characters.
著者
石川 真澄 横田 一
出版者
金曜日
雑誌
金曜日
巻号頁・発行日
vol.4, no.41, pp.10-15, 1996-11-01
著者
鳥山 平三
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要 (ISSN:13471287)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.125-142, 2009-01-31

我が国の臨床心理学界の第一人者で,長く斯界(しかい)の先頭に立って導いて来られた河合隼雄先生が亡くなった。先生は20 世紀最後の「老賢者」の一人と言ってもよい。筆者は,先生に特に近い存在ではなかったが,それでも40 年に及ぶ浅からぬ交流があった。その出会いから,折々のエピソードを追想することにより,河合先生を偲ぶよすがとしたく思う。筆者の個人的な臨床心理学研鑽の経験の織りなす,河合先生の周囲の人との交流の中に,河合先生を慕う女性と男性のさまざまな人間模様が興味深く観察された。そこで,河合先生もよく触れておられたユング心理学の「元型」の中でも,現代における「老賢者」の失墜(しっつい),そして,否定的な意味での「太母」の籠絡(ろうらく)について,見解を述べたく思う。時代は「老賢者」の英知から「太母」の呪縛へと移り行く現代である。
著者
稲田 朋美 野間 健
出版者
K&Kプレス
雑誌
月刊日本
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.31-35, 2004-01
著者
カバット アダム
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.10, pp.34-44, 2001-10-10

「野暮と化物は箱根から先」という諺をふまえて化物たちの住みかを箱根の向こうにするという設定が、化物の黄表紙の中でよく見られる。つまり、「箱根の先」に住む「田舎者」の化物たちは、江戸の通からみると、「野暮」のような存在であり、笑いの対象でもある。それにしても、「箱根の先」という「異界」が一体どういうものなのか。本論では、初期の黄表紙の内容を検討しながら、「化物」と「箱根の先」との関連性を考察してみる。