掃苔趣味の若人 (@NFt0LnabR2IDH7C)

投稿一覧(最新100件)

谷中霊園甲6-10で無縁の森野松三郎は市兵衛河岸(現在の水道橋袂)で不法に木造居宅と石置場を造り商売しました。伊豆宇佐美出身とあるため伊豆石墓と思われます。真田伯爵幸長義父の森吉が昭和13年に墓地承継使用の書類を出している為、父?松三郎は同年没したかもしれません。 https://t.co/KOfPrf6EDI https://t.co/dfkVR6eeoK

2 0 0 0 OA 加賀松雲公

RT @T_urade1987: @rinne_bsr @inshinzi 加賀藩士に鷲田弥太郎、鷲田作右衛門、鷲田弥左衛門を称した家が存在するんですが、無関係ではなさそうですね。加賀から福井へと流れたのでは。 https://t.co/XwSfhpDU2V https://t…
RT @T_urade1987: @NFt0LnabR2IDH7C ありがとうございます。たぶんその家かなと。麹町常仙寺が墓所と記録されていますね。遠山資尹は文人だったそうですが……。 https://t.co/TyqatV6cM1
RT @NFt0LnabR2IDH7C: 隣(現プラウドタワー)は横浜市歴史博物館で開催予定の展覧会「横浜唯一の大名」六浦藩主米倉家上屋敷でした。富永家は権左衛門ではなく八五郎となっています。八五郎先祖書が筑波大学図書館にあります。https://t.co/92IMU10v1A…

2 0 0 0 OA 初学作文早学

RT @KONITASeiji: ↓RT へええ。 日夏雅太郎 (南山) 著『初学作文早学』 https://t.co/nZ3Ds0a0rx 書翰の文範。 何故東京の会社員が大阪の本屋から出版したんだろう。名前検索してもこの本しかヒットしない。
RT @NFt0LnabR2IDH7C: 著書が載っています。 https://t.co/BcIEcpOKog門岡速雄 https://t.co/tLNip5U74t https://t.co/nAg2WgAW4q 門岡の姉は旧米沢藩士で、東京モスリン紡績の常務取締役であ…
著書が載っています。 https://t.co/BcIEcpOKog門岡速雄 https://t.co/tLNip5U74t https://t.co/nAg2WgAW4q 門岡の姉は旧米沢藩士で、東京モスリン紡績の常務取締役であった登坂秀興の妻となっています。
隣(現プラウドタワー)は横浜市歴史博物館で開催予定の展覧会「横浜唯一の大名」六浦藩主米倉家上屋敷でした。富永家は権左衛門ではなく八五郎となっています。八五郎先祖書が筑波大学図書館にあります。https://t.co/92IMU10v1A 隣の椿井家は菅生に領地があったようで、麻布天真寺の新田もありました。 https://t.co/JLDLilIbOB
RT @agatsumafarm: 麻生将監と麻生三郎は同一人物であることを確認!『日本土壌肥料学雑誌』1954年24巻5号所収「前会長 故 麻生慶次郎氏」に「麻生家は寛永寺の座主輪王寺宮の家臣で、父君将監麻生三郎氏は書道家として聞え維新後も北白川宮家に仕えて別当職を務めておら…
木村斎次の生涯は下記の『ハワイにおける日本酒の歴史』に書かれています。ホノルルのモイリリ日本人墓地の中央に巨大な碑があるそうですが、現在は歴史に埋もれた人物となっています。撤去の際は埋もれていたものが掘り起こされてしまいますが… 出自は島原藩士の可能性が? https://t.co/mGEJQlUHpr

2 0 0 0 OA 菊花培養大観

政敏の後政賢が襲爵し、農商務省で畜産に携わり議員も務め昭和16年薨去。政福が襲爵し1979年に亡くなっていますが絶家したのか次代は不明です。墓石に政福の名はありません。 同墓域には富田庸全という人の墓があり、この本にhttps://t.co/7NuAXK3WUf菊花を栽培していたようです。 元米津家の家臣か?

お気に入り一覧(最新100件)

PDFあり。 ⇒編纂室 「明治期日英交流の一断片 「日本水兵の母」の墓をめぐって」 『外交史料館報』36 (2023) https://t.co/59V6uUoOEU

107 0 0 0 OA 寛政重脩諸家譜

@NFt0LnabR2IDH7C この家じゃないかというのがリンクです 家禄は三百俵です 当初は三田大乗寺で後に小石川蓮華寺の仙應院となっていますね 代々書院番士の家みたいです 寛政譜第2輯(左ページ中段の政則ではないかなと) https://t.co/bfYlISGCPh

1 0 0 0 OA 改造

山内不二門『改造』東京科学工芸所、1920年3月 「近頃路行く人も汽車電車中の人も皆鼻先にマスクなるものを懸く。ために人間の状貌に異相を呈して遠く望めば烏天狗のごとく、近く見れば鼻欠けのごとし。…」 https://t.co/8UehoyGtUa https://t.co/UzwIPhef2K https://t.co/vtHKgQ3Zyy
講演:皇室中心主義に就て(一) - 歴史的音源 高田早苗の肉声がここから聴けます。滑舌も良くて力強く、相手に伝わりやすい話し方だと思います。所々「ンー」とか「エー」とか挟まるのが教授らしいです(笑) https://t.co/9yLttrG5Zt
@fjhiro3 そうなんですね。 現場ではずっとせめぎ合いがあるようですが、国が「郷土」「ふるさと」などと言い出したら要注意、だと思っています。 たまたま静岡の物ですが、昭和初めの現場がどう考えていたか、とても興味深い資料です。 https://t.co/C7eY0PWrIb

8 0 0 0 OA 万買物調方記

@11111hiromorinn @soranobunko @tenkyu19sei @yamadaeri4 井林治左衛門は「寛永年中ヨリ連綿相続」の老舗。 元禄年間の『万買物調方記』にも「井林次左衛門」として名前を見つけることができます。 万買物調法記 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/2IbrX1b4pW コマ番号60/168
@gonmasenzo 旧東京市でM45年に土地をお持ちであったなら以下の資料をご覧になったことはあるでしょうか? いろは順に名寄せもあるので時期が合うようであれば 東京市及接続郡部地籍台帳 https://t.co/D273lQzWR9
『職業別電話名簿 東京・横浜近県』(大正15年) https://t.co/k22mymc3sc 大柴徳次郎の名が料理業のページに載っている。「公楽」が屋号であろうか。 大柴徳次郎が人形商として載っている『日本紳士録』(大正13年)の住所と同一になっている https://t.co/MJh74Ii2s6 https://t.co/5yOSmf0xWb

27 0 0 0 OA 日本紳士録

『職業別電話名簿 東京・横浜近県』(大正15年) https://t.co/k22mymc3sc 大柴徳次郎の名が料理業のページに載っている。「公楽」が屋号であろうか。 大柴徳次郎が人形商として載っている『日本紳士録』(大正13年)の住所と同一になっている https://t.co/MJh74Ii2s6 https://t.co/5yOSmf0xWb

2 0 0 0 OA 日本医籍録

@morokoshoten @seurukoumu 昭和14年版の『日本医籍録』に柏崎医院の場所書いてありました。https://t.co/uJEl3SRE5O https://t.co/6XMjFK3f7Q

2 0 0 0 OA 天学教旨大要

服部国光大人の『天学教旨大要』は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧することができます。 https://t.co/0dIOKWMDAs https://t.co/EqxIRkXSPG
私が地方創生とか地域おこしとかを気持ちよく歓迎出来ないのは、戦争で疲弊した地方を「自助」させようとした地方改良運動がずっと気になってるからで。前田正名はいい人なのかも知れないけど。 https://t.co/ogRrKOQQ1g 美談の収集は胡散臭い。

2 0 0 0 OA 藤沢幾之輔

戦前の弁護士・政治家だった高祖母の兄の伝記。国会図書館でも少し読んだがスマホでも読めるのはありがたい✨安政6年に生まれ少年期を過ごした栗原や仙台、遊学した函館の戊辰戦争中や直後の様子が書かれていて興味深い✨ 藤沢幾之輔 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/SqdIdfcFCG
@NFt0LnabR2IDH7C ありがとうございます。たぶんその家かなと。麹町常仙寺が墓所と記録されていますね。遠山資尹は文人だったそうですが……。 https://t.co/TyqatV6cM1
@NFt0LnabR2IDH7C うわあ。面白いですね。 内閣文庫の前身みたいなところに勤めていたんですね。 https://t.co/POH3wMPGt3 それで文範を書けたのかも。

2 0 0 0 OA 初学作文早学

↓RT へええ。 日夏雅太郎 (南山) 著『初学作文早学』 https://t.co/nZ3Ds0a0rx 書翰の文範。 何故東京の会社員が大阪の本屋から出版したんだろう。名前検索してもこの本しかヒットしない。

8 0 0 0 OA 万買物調方記

寛永年中から続く老舗「金銀打ばり 井林次(治)左衛門」 元禄5年刊『万買物調方記』 国立国会図書館デジタルコレクション コマ番号60/168 のいちばん右 https://t.co/U6dMiHc0Mr https://t.co/klW7OD3qO5

10 0 0 0 OA 佐賀藩海軍史

昨日の青天で登場した蓮池の吉武功成 。『佐賀藩海軍史』は国デジで見れました。 越前堀にあった第三十国立銀行の預金者として名前があった。 間違いなく、吉武氏が蓮池の人でしょうね。 https://t.co/ZyIoX9NCvb https://t.co/PgdwyPppsR https://t.co/SfELgwybMi
@NFt0LnabR2IDH7C 徳島にある写楽のお墓は徳島市内の東光寺のものですね。 話はややこしくなるのですが『阿波名家墓所記続篇』に「春藤写楽」という人物の記事があって、この人が写楽に比定されていたようです。ここの18コマを御覧ください。 https://t.co/FICRhPK7yz

4 0 0 0 OA 掃墓史料

国立国会図書館デジタルコレクションの『掃墓史料・画家之部』。 ここの4コマ目に「斎藤十郎兵衛」ならぬ俗称「藤十郎」の「斎藤写楽」という謎の人物が記載されているのです。 「斎藤十郎兵衛」の墓が発見されたために忘却された形ですが、「斎藤写楽」は何者だったの……? https://t.co/LxrUIiZazX
@poinco1903 大変貴重な写真をありがとうございます!1919(大正8)年の三井物産ニューヨーク支店長交代ディナーの写真と思われます。前支店長瀨古孝之助が大豆油取引で2,000万円近い損失を出し更迭され,新支店長として小林正直が赴任しました。のち小林は三井物産の常務に昇進しています。https://t.co/MFvBBJg1wd https://t.co/I7khMez9tn

10 0 0 0 OA 中外医事新報

私が大変お世話になってる論文がネットで読めるようになってた 兵助の暗殺についてお医者さんがまとめてくれた論文です https://t.co/no5Brm1r1P
麻生将監と麻生三郎は同一人物であることを確認!『日本土壌肥料学雑誌』1954年24巻5号所収「前会長 故 麻生慶次郎氏」に「麻生家は寛永寺の座主輪王寺宮の家臣で、父君将監麻生三郎氏は書道家として聞え維新後も北白川宮家に仕えて別当職を務めておられた」とあった。 https://t.co/7s8GIHesLV https://t.co/whDnrHrxib

79 0 0 0 OA 高齢者写真名鑑

ご近所の地主さんと思われる苗字の方が載ってました(^_^)/ 現当主は70〜80歳。まだまだ長生きしそうだわ。 https://t.co/IzcFuJeNGq

2 0 0 0 OA 大成武鑑 4巻

平岡石見守頼徳という人物は九曜紋。検索ではこの人ヒットしない。小早川秀秋家臣平岡石見守頼勝の系統か? https://t.co/IXq4mZl0Hz
1913年の銃剣術の本に日本剣術と西洋剣術の比較の項がありますが、内容は著者の立場が強く影響してそうなものです。 "実際的銃剣術教育, 今野吉六(陸軍歩兵中尉) 著, 大正2" https://t.co/QtTz0miJe4 p10 第一 日本剣術と西洋剣術
特定するのに苦戦したので、皆(誰?)に知らせたい。後ろの図は須原屋茂兵衛蔵板の御江戸大絵図です。 https://t.co/jrxHaw9ker 弘化2年の↑この板がおそらく最後で、文化2年刊の「南杣笑楚満人再図」を元にほぼ毎年改板されていたようです。 https://t.co/g1N3K1B2Ej
#平沼騏一郎 の演説:大命を拝して(上)を聞いたのですが、声が想像していた感じと違うー。昭和まで活動していた人だと、写真だけでなく、声や動画も残ってるから、すごいですよねー。 (https://t.co/57jaiXqsxw)

6 0 0 0 OA 姓氏家系辞書

NDLデジタルコレクションで、大正9(1920)年に太田亮氏が出した『姓氏家系辞書』を読むことができる。 https://t.co/DURG4odKrm これは昭和9(1934)年に出た『姓氏家系大辞典』の先駆的な著作で立項数も少ないが、系図学とはどんなものか、太田辞典で使われる用語、旧かな旧字体に慣れるには最適。 https://t.co/P9deh30WGk
これと似た風習は島原半島北部の某地区でも近年まで続いていました。 階級によって使う言葉も違い、学校の先生も領主の子孫には敬語だったと聞いています。 論文「住民の居住と伝統的な景観の保全に関する研究」 https://t.co/MlkElpMaja https://t.co/6dWfSYuoil

9 0 0 0 OA 日本紳士録

→ 金栗四三さんも載ってて、おほってなりました。 てか「通称」の方で載ってるとかw #いだてん #いだてん史料噺 日本紳士録. 34版 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/Tj8DFAgpxj https://t.co/78M32YUoWA

41 0 0 0 OA 日本紳士録

オガクズさんのツイートに出ていた国会図書館デジタルコレクションの日本紳士録を見たらちゃんと出てました。 中野区沼袋南の地主さん。同一住所で複数の八橋さんが載っているけど兄弟? https://t.co/Q0Qo5KEidZ

2 0 0 0 OA 加賀松雲公

@rinne_bsr @inshinzi 加賀藩士に鷲田弥太郎、鷲田作右衛門、鷲田弥左衛門を称した家が存在するんですが、無関係ではなさそうですね。加賀から福井へと流れたのでは。 https://t.co/XwSfhpDU2V https://t.co/7bJwpZZXLT

8 0 0 0 OA 日本紳士録

1939年の『日本紳士録』にアカチャンホンポ創業者である小原正司氏を見つけた。「小原正司 小兒品商、東、南本、四ノ五三」とあり、大阪市東区南本町4-53に店舗を構えていたことがわかる。現在のアカチャンホンポ本社(大阪市中央区南本町3-3-21)の場所だろうか。 https://t.co/kQvzO6wL9n https://t.co/zCt7Mjjkml
@history_916 彼については以前ちょっと調べました。『安房先賢偉人伝』が非常に詳しいです。 https://t.co/JFszNDwujl

2 0 0 0 OA 文芸年鑑

『文芸年鑑』昭和4年版 https://t.co/cB0FhNeYUD 中村武羅夫(現住)神奈川県辻堂(電話辻堂二八)。 辻堂に移ったあとの住所しか今のところ見付かりません。辻堂の中村武羅夫、だけで郵便物が届いたんですかね、豪邸だから(^^;

15 0 0 0 OA 大日本地誌大系

https://t.co/3vuPynlsQB 村の南相州道の内、石塔坂と云所にあり、登ること三丁許、半腹に五輪の塔あり、故にこの名ありと云、土人の伝ふる所は昔粕屋某と云もの当村に住せし頃、隣村長津田村の地頭某婚属なりしが、それらの人々をここに葬りし古墳なりとぞ
神田区駿河台東紅梅町6番地のニコライ堂 http://t.co/Di7yVTqSCb の地図を加工 この画像では切れてますが右上に昌平橋があります。11番地に井上眼科院(1881年創設) http://t.co/Wd5QwtU792

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