著者
広川 美津雄 井上 勝雄 岩城 達也 加島 智子
出版者
Japan Society of Kansei Engineering
雑誌
日本感性工学会論文誌 (ISSN:18840833)
巻号頁・発行日
vol.13, no.5, pp.543-554, 2014 (Released:2014-12-26)
参考文献数
21
被引用文献数
2 1

In recent years, as information equipment has become multi-functional, an easy-to-use interface has been demanded. Particularly, an interface design that can be operated intuitively is urgently required. Therefore, we have re-examined this problem from the point of view of familiarity and organization along the flow of execution of user behavior for the design method, characteristics, and the meaning of an intuitive interface by use of a literature search, a questionnaire survey, and experiments. Based on our results, after reviewing patterns that combine the recognition and operation by a user, we classified interfaces into four types. As a result, we have clarified the characteristics and requirements of an intuitive interface and design guidelines which form the methodological framework of an intuitive interface design. The current study focused on information terminals using a touch panel, but the design guidelines proposed should be applicable to the interface design of various devices.
著者
井上 勝文 黄瀬 浩一
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会論文誌. D, 情報・システム (ISSN:18804535)
巻号頁・発行日
vol.93, no.8, pp.1407-1416, 2010-08-01
被引用文献数
1

局所特徴量を表す特徴ベクトルを用いた特定物体認識において,メモリ使用量を削減することは,重要な課題の一つである.メモリ使用量を削減する一般的な手法として, "bag of features" モデルに基づくものがある.この手法では,クラスタリングにより複数の特徴ベクトルをある代表ベクトルにまとめることでメモリ使用量を削減している.しかし,得られる代表ベクトルの識別性が低下するため,高い認識率が得られないという問題がある.この問題を解決する一つの方法は,特徴ベクトルを代表ベクトルに置き換えずにそのまま保持して認識処理に用いることである.この際,異なるメモリ削減の方法が必須となる.本論文では,特徴ベクトルの照合に距離計算ではなく, Bloomier filterを用いることでメモリ使用量を削減する手法を提案する.55個の3次元特定物体を用いた実験より, "bag of features" モデルに基づく手法と比較し,同じ認識率を得るために必要なメモリ使用量を1/3に削減することができた.また,1万個の平面物体を用いた実験でも同様に,メモリ使用量を1/7に削減することができた.
著者
井上 勝也
出版者
同志社大学
雑誌
新島研究 (ISSN:02875020)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.23-52, 2010-02

論叢(Article)
著者
井上 勝生
出版者
北海道大学
雑誌
北大百二十五年史
巻号頁・発行日
vol.論文・資料編, pp.111-162, 2003-02-21
著者
吉田 邦彦 遠藤 乾 辻 康夫 丸山 博 ゲーマン・ジェフリー ジョセフ 井上 勝生 上村 英明
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2016-07-19

第1に補償問題に関する研究はかなり進捗した。そのうちの1つめとして主力を注いだのは、先住民族研究の中のアイヌ民族に関するもので、2016年4月発足の市民会議(代表者は、分担者丸山)を本年度も鋭意続行し(2017年3月、6月、10月)、その報告書も公表した。関連して、海外の研究者との関連も密にし、コロラド大学でのアメリカ原住民研究者との意見交換(2017年5月)、アラスカ大学でのアラスカ原住民研究会議報告及び意見交換(2017年4月)(ニューメキシコ大学には前年度訪問(2017円1月))、北欧での北極圏会議の参加,ウメオ大学での北大交流会では、特にサーミ民族との比較研究に留意して意見交換をし、講演も行った(2017年6月、2018年2月)(オーストラリアのアボリジニー問題の比較研究は、前年度末(2017年3月)にオーストラリア国立大学で講義)。近時のホットな問題である遺骨返還について、ベルリン自由大学のシーア教授とも意見交換した(2017年7月)。補償問題の2つめは、済州島の悲劇に即して,ノースキャロライナ大学でのシンポを主催し、アメリカの補償責任との関係で、連邦議員とも意見交換した(2017年5月)。済州大学との提携での学生も交えたシンポも例年通り行っている(2017年8月)。さらにこの関連では、奴隷制に関わる補償論調査のためにアラバマ大学を初訪問し(2017年10月)、さらにチュレーン大学での補償問題のシンポで報告した(2018年3月)。第2に、移民問題との関係では、北大のサマーインスティチュートの一環で、UCLAのモトムラ教授、マイアミ大学のエイブラハム教授、トルコの中近東大学のカレ教授を北大に招聘してのシンポ及び講義・討論を実施した。さらにこの問題群を深めるのは、今後の課題である。関連して、メキシコ国境の環境問題についても調査する機会も得た(2018年1月)。
著者
有川 裕之 藤井 孝一 蟹江 隆人 上新 和彦 井上 勝一郎 鬼塚 雅 自見 忠
出版者
一般社団法人日本歯科理工学会
雑誌
Dental Materials Journal (ISSN:02874547)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.67-72, 1982-12-25
被引用文献数
7

印象材の操作時間,硬化時間を決定するために種々の方法が試みられてきた。そのひとつとしてウィルソン(1964)は硬化時における印象材の粘弾性変化を測定することによって操作時間,硬化時間を決定するための装置レシプロケーティングレオメータを開発した。しかし印象材の操作時間,硬化時間は粘弾性の変化よりもむしろ硬化時の弾性変化から決定するほうが臨床的にみて好ましいと思われる。そこで本研究ではそのための装置としてパルセーティングレオメータを開発した。この装置は試料にくり返し一定ひずみを加え,その弾性回復量を測定することによって操作時間,硬化時間を決定するものである。種々の印象材について測定を行った結果,本装置は操作時間,硬化時間の決定ならびに効果時における印象材のレオロジー的性質をも知ることができるので印象材の比較検討を行う上で有効であることがわかった。
著者
井上 勝生
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

研究実績の概要は、次のようである。1)朝鮮に派遣され、農民軍を鎮圧した守備隊史料を、多数収集した。守備隊の史料を所蔵する防衛研究所図書館史料、守備隊が編成された四国四県の新聞史料など、総指揮官の出身地である山口県文書館の史料など、多くの新しい史料を発見した。朝鮮農民の死者、三万人以上の大被害が発生した。朝鮮守備隊は、広島大本営が直轄しており、日朝間の交信記録を分析し、最強硬の弾圧命令が大本営指導部から出たことを明らかにできた(成果報告書)。抗日農民戦争は、大規模になり、ソウルに向かっていた。大本営は、日清戦争を中国領へ拡げるなかで、欧米が、農民蜂起を名目に、朝鮮へ介入してくることを恐れており、朝鮮農民軍の殲滅作戦が着手されたのであった。現地の部隊ではなく、大本営の首相や外相も含んだ戦争指導部が、最強硬の弾圧作戦を指導したことが、後の日本近代史に影響を与えたことも指摘した。守備隊編成地、四国では、農民軍討伐作戦中の、戦死者の個別事例を、新聞史料から掘り起こした。地元部隊が、農民軍大討伐作戦に朝鮮に投入されたことは、今日、知られていない。参謀部日清戦史でも、記述がない。戦死者個別事例を靖国神社の殉難記録でみると、中国軍との、別の戦場での、別の日の戦死に、変えられていることが判明した。記録と記憶の抹殺である。なお史料を探索し、発表する予定である。守備隊の総指揮官は、幕末の長州藩の元志士であった。駐韓公使井上馨と、同じ有志隊に入っていたことも発見した。井上公使は、最強硬な農民軍鎮圧作戦を主導していた。この関係を発見したので、さらに、事実関係を調べて、発表する予定である。
著者
井上 勝生
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.111, pp.67-91, 2018-03-30

特集 : 日清戦争と東学農民戦争Special Issue: the Shino-Japanese War and the Donghak Peasant War本史料は, 日清戦争中, 第五師団後備第19大隊に従軍した一兵卒の従軍日誌である。同大隊は, 当時も「東学党討滅大隊」と呼ばれていた東学農民軍殲滅部隊である。筆者の兵士は, 1894年7月23日, 召集令状を受取り, 松山市で後備第19大隊へ入り, 最初, 下関守備隊に就く。ついで10月28日, 東学党討滅のために, 渡韓を命令され, 11月12日, 龍山を出発, 東学農民軍に対する「3路包囲殲滅作戦」に従軍した。兵士は, 同大隊の第1中隊に配属され, 東側の道を進軍する。京畿道利川から忠清道忠州, 鳥嶺を越えて, 慶尚道聞慶へ入り, 全羅道南原へ, さらに南部の長興戦争などに参戦。討滅は, 出発の3日後, 利川で, 指導者の子息を投獄, 銃殺するところから始められる。以後, 東学農民軍の集結する村落を襲撃し, 指導者らを銃殺。途中, 大隊本部・第3中隊へ軍資金を運搬する任務にあたっては, 文義・沃川戦争直後の村々の惨状を目撃, 慶尚道から全羅道へと討伐に従軍した。南原以後, 討伐は, 拷問・銃殺・焼殺, 村の焼き払いなども激化する。討伐作戦最前線の戦場の状況が記されている学術的に貴重な歴史史料である。This is the full text of the "campaign journal" kept by one of the soldiers participating in the Japanese offensive against the Donhak Peasant Army in Korea, during the Sino-Japanese War. It describes the total annihilation campaign carried out by the Japanese, including shooting captured members of the Peasant Army, burning their villages, and direct gunfights between the two sides. The detailed account of the situation on the battlefront makes it an extremely valuable historical resource.
著者
井上 勝生
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.111, pp.1-65, 2018-03-30

特集 : 日清戦争と東学農民戦争Special Issue: the Shino-Japanese War and the Donghak Peasant War日清戦争の際に, 日本軍は, 朝鮮各地において, 数千人, 数万人の勢力をもって抗戦する朝鮮農民軍に対して, 包囲殲滅作戦を展開した。第2次の東学農民戦争, または甲午農民戦争, 韓国では東学農民革命と呼ばれる。当時の日本公使館が農民軍指導部文書を組織的に奪取し, 日本軍の公式日誌, 「陣中日誌」も重要部分欠落などのために, 現在も東学農民戦争の全体像は明らかでない。東学農民軍を殲滅した大隊の一つが, 後備第19大隊である。その第1中隊に従軍した徳島県出身の一兵卒の「従軍日誌」に, 同大隊が実施した殲滅作戦最前線の実況が記録されていた。本稿前半では, 京畿道利川の市内と近郊, 忠清道可興北の平野にある東幕里, 忠清道清風北の盆地, 城内里で展開した作戦を, 現地調査にもとづいて検証した。当初から殲滅作戦として実施され, 銃撃戦も早くから戦われた。農民軍を捕縛, 銃殺し, 農民軍の拠点村落を焼き払う作戦であった。いわゆる北接農民軍が, 主力の全羅道の南接農民軍へと合同, 参戦したことも見聞して記されていた。後半では, 最大の激戦と言われてきた公州戦争の, その東側, 錦江大渓谷における文義・沃川戦争が, 公州戦争に劣らない大戦争であったこと, 南原においては, 農民軍拠点の城山と民家を重ねて焼き払う作戦を展開したこと, また南西部海岸地域における討滅作戦が, 拷問, 銃殺, 焼殺, 村の焼き払いと, いっそう苛酷に展開したことなどを現地調査も行って解明した。結びでは, 後備部隊に徴兵された「貧困な兵士」群, 苛酷な作戦における士官と兵士の社会史などを検討した。During the Sino-Japanese War, the Japanese Army aimed to annihilate the resisting Donghak Peasant Army. Based on our detailed fieldwork in Korea, we were able to reenact the military operations of the Japanese Army against the Peasant Army, as described in the Soldiersʼ Campaign Journal 従軍日誌〕.Thus, we have verified the fact that the Japanese campaign was indeed one of complete annihilation, carried out in the city, as well as in the plains, hills, valleys, and mountain castles, by capturing and killing the members of the Peasant Army and burning their villages.
著者
阪口 弘之 井上 勝志 沙加戸 弘 林 久美子
出版者
神戸女子大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

本研究は、学界で懇望されている『古浄瑠璃年表』編纂にむけての総合的な基礎調査研究を目的としたもので、国内外に所蔵されている正本をはじめ、絵巻・奈良絵本・写本(奧浄瑠璃を含む)などの総合調査を通じて、多くの新出本文を発掘して、古浄瑠璃史の更新にむけての基礎資料の整備充実を果たした。また、これら新出資料の年代考証と併せ、初期段物集や当代諸日記等の記録類の調査整理をも重ね、総合的な古浄瑠璃年表作成にむけての研究作業環境を整え、今後へ引き継ぐべき研究基盤の強化を果たした。
著者
井上 勝生
出版者
岩波書店
雑誌
図書
巻号頁・発行日
no.751, pp.7-11, 2011-09
著者
井上 勝一 中島 収 宮本 宏 川上 義和 伊藤 正美
出版者
日本肺癌学会
雑誌
肺癌 (ISSN:03869628)
巻号頁・発行日
vol.30, no.4, pp.513-520, 1990-08-20

赤血球亜鉛量と血清亜鉛量を64例の肺癌患者で測定し, 以下の結果を得た.1)進行肺癌患者では健康成人に比し血清亜鉛量は低下し, 赤血球球亜鉛量は増加した.2)しかし, 炭酸脱水素酵素量に差はなかった.3)進行肺癌患者の赤血球をヘパリン加生食で洗浄すると, 赤血球亜鉛量の約1%の亜鉛の遊離を認めた.4)以上より, 進行肺癌患者では亜鉛の赤血球への集積が見られ, 担癌生体の亜鉛の動態に多大な影響を示すものと考えられた.
著者
久保 是一 久保 元敏 井上 勝平 出盛 允啓
出版者
日本皮膚悪性腫瘍学会
雑誌
Skin Cancer (ISSN:09153535)
巻号頁・発行日
vol.8, no.3, pp.439-446, 1993-12-20 (Released:2010-08-05)
参考文献数
13

The true route of contamination of the Namikata arsenical poisoning incident in Shikoku, which took place in 1933-1935, has remained unclarified, in spite of intensive on-the-spot investigations. The Toroku mine in Miyazaki, Kyushu, had produced arsenicals for scores of years until its complete discontinuance of operations in 1962. The arsenious acid produced there increased between 1921 and 1941, most of which was transferred to Ohkunojima, an islet in Tadanoumichou, Hiroshima Prefecture as materials for lewisite [ (CHCl: CH) 2 AsCl], a poisonous gas, it has been disclosed.Marine shipping agents in Namikata and nearby towns, well aware of the Inland Sea, transported various things in small boats carrying only 2 to 4 persons, often family members from Kyushu to Osaka and Kobe areas. We assume that this was the route of contamination in the Namikata arsenical poisonig incident because of the following reasons: Most of the patients were young 20 to 30 year-old seamen, most of them were family members, such as a man and his child, man and wife, man and cousins, no aged persons or children had been affected. An episode which was told one of us (Kubo, who has worked in Namikata where the incident took place) was that there was a strong demand of a man that there should be no mention of the death in connection with her job when a 47 aged wife died of lung cance in 1956 and her death certificate was prepared, because it would inform her relatives that poisonous materials had been sent with them.