著者
藤原 岳 佐藤 格夫 石井 亘 橋本 直哉
出版者
特定非営利活動法人 日本脳神経外科救急学会 Neurosurgical Emergency
雑誌
NEUROSURGICAL EMERGENCY (ISSN:13426214)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.29-33, 2022 (Released:2022-07-12)
参考文献数
5

タイ王国コンケン病院外傷センターに短期留学する貴重な機会を得たので概要を報告する.本邦では神経外傷をはじめとする重症外傷の症例数は,自動車工学の発展,ヘルメット着用や飲酒運転の厳罰化とそれらに伴う市民意識の高まりにより減少傾向である.本邦での神経外傷研修には限界があると考え諸外国での研修での補完を企図した.コンケン病院において神経外傷の研修としては日本人初の研修生であり,約1ヶ月間の研修で100例を超える神経外傷症例を経験し,12例の緊急手術に参加した.神経外傷の症例数の減少している本邦の若手脳神経外科医において有用な研修であると考えられた.
著者
中島 恵太 河田 侑弥 氏原 岳人 堀 裕典
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集 (ISSN:24366021)
巻号頁・発行日
vol.79, no.1, pp.22-00053, 2023 (Released:2023-01-23)
参考文献数
9

近年,都市計画の分野では空き家の増加が問題となっているが,心的要因により行動変容を促す「心理的方略」に基づく施策は十分ではない.そこで本研究では,戸建住宅所有者の自宅の将来に対する関心・行動を高める要因を把握し,それを踏まえた心理的方略に基づく施策を検討した.本研究の主な成果を次に示す.1)自宅の将来に対して関心が高まるきっかけと行動を起こすきっかけは「(戸建住宅所有者の)息子・娘のライフイベント」と「住宅取得」である傾向にあった.また,「息子・娘のライフイベント」では,行動を起こす人と比較して関心に留まる人が多い傾向にあった.2)分析結果に基づき,住宅取得や(息子・娘の)婚姻届提出のタイミングにおける情報提供の手法などを検討した.
著者
安藤 亮介 氏原 岳人
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.390-405, 2022-10-25 (Released:2022-10-25)
参考文献数
32
被引用文献数
1

近年では、ウォーカブルな空間づくりが増加しているが、中心市街地などの目的地以外の都市環境に対する配慮が少ない状況である。居住地から目的地までの広域的な都市環境が徒歩行動に与える影響を把握し、都市全体として目的地における歩行をどう支えていくかを検討する必要がある。そこで本研究では、全国の都市における公共交通と自動車による外出を対象とし、休日の私事目的の徒歩回遊行動について調査を行った。また、調査への回答をもとに、居住地及び目的地の客観的・主観的評価のウォーカビリティを算出し、交通手段選択や徒歩回遊行動との関係について分析を行った。その結果、公共交通または自動車の交通手段ごとに、居住地から目的地における都市空間で徒歩回遊行動の促進に必要と考えられる要因とその影響の強さが明らかになった。
著者
伊藤 俊方 小松原 岳史 佐藤 修
出版者
Japan Society of Engineering Geology
雑誌
応用地質 (ISSN:02867737)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.22-30, 2004-04-10 (Released:2010-02-23)
参考文献数
14
被引用文献数
6 6

新第三紀以降の地層が厚く分布する北部フォッサマグナ地域の深層地下水は, 化石海水を起源とするNa-Cl型地下水で代表される. 高濃度のNa-Cl型地下水が地下浅所にまで上昇してきていることもあり, 地下水の電気伝導度などを測定することにより活断層などの地質構造の把握に寄与できる.天水とほとんど混合していない強塩化物泉のCl-濃度は, 地質時代を遡るにつれて減少し, δ18Oは大きくなる傾向がある. したがってCl-濃度とδ18Oを測定することによって, どの時代の化石海水に由来したものかが想定でき, 温泉湧出母岩を判定する場合に活用できる可能性がある.
著者
髙田 勝 田原 岳 天野 卓 野村 こう 高橋 幸水 古川 力 秋篠宮 文仁
出版者
日本養豚学会
雑誌
日本養豚学会誌 (ISSN:0913882X)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.12-20, 2018-03-09 (Released:2018-06-30)
参考文献数
28
被引用文献数
1 1

琉球豚は中国豚由来であり,黒色を有するアグーと白斑を有するアヨーがある。アグーはバークシャー種との交雑により改良されたと報告されているが,西洋系豚や中国系豚との分子遺伝学的類縁関係は明らかでない。そこで,アグー系とアヨー系を系統内交配により維持している今帰仁アグー集団の繁殖豚AG (B),AG (R),AG (W) とその交雑集団AG (O) およびこれらの祖先集団AG06,AY06,さらに西洋系豚,中国系豚について,マイクロサテライト30座位の遺伝子型を解析することにより,琉球豚の遺伝的多様性とともに西洋系豚,中国系豚との類縁関係および遺伝的構造を明らかにすることを目的とした。有効対立遺伝子数,アレリックリッチネス,多型情報量などの遺伝的多様性の指標値は,いずれもAG (W) が最も小さくAG (O) が最も大きく,AG (O) の多様性は西洋系と同程度であった。今帰仁アグー各系統は西洋系品種に比べてヘテロ接合度の観測値が期待値よりも大きい傾向にあり,FIS は負の値を示して,近親交配を避けた交配が行われていたことが示唆された。品種·系統間の遺伝的関係では,主座標分析から,琉球豚,中国系,西洋系が二次元上にそれぞれのクラスターを形成することが明らかとなった。遺伝的距離にもとづく系統樹からは,AG (B) はAG06と近縁であり,AG (W) はAY06と近縁であることが示され,これらを含む琉球豚は中国系とクラスターを形成した。遺伝的構造の解析からも,琉球豚は中国豚と共通する祖先に由来することが示されたが,AG (B) とAG (R) はバークシャー種と共通する祖先集団由来の遺伝子を有すると推察された。この結果はこれまでの琉球豚の由来の記述を裏付けるものであった。
著者
栗原 岳史
出版者
日本科学史学会
雑誌
科学史研究 (ISSN:21887535)
巻号頁・発行日
vol.50, no.258, pp.65-76, 2011 (Released:2021-07-22)

After the end of the Second World War, the U.S. military services began to support basic research in ivilian institutions. They officially stated that they would transfer their basic research programs to the National Science Foundation (NSF), once it was established. But in fact they did not. This paper has analyzed the institutional processes in which the U.S. military services continued to support basic research after the establishment of the NSF. In July 1946, the US Army and Navy jointly established the Research and Development Board (RDB) to coordinate Their R & D activities. They appointed Vannevar Bush, a famous civilian scientific administrator and the director of the Office of Scientific Research and Development during the war, as Chairman of the RDB. Bush and some military officials attempted to set up a defense research division in the NSF, but they did not succeeded because President Truman vetoed in August 1947 the bill that they had proposed. As a result, the NSF was established without any military research divisions. Following the veto, debates continued among the military officials whether they should continue to support basic research programs in civilian institutions or transfer such support entirely to the NSF. During meetings of the RDB between 1948 and 1951, the decision was made that the military services would continue to support basic research even after the establishment of the NSF.
著者
谷本 翔平 氏原 岳人
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.1253-1259, 2019

<p>本報告では、スポーツ観戦者に対するMM(Mobility Management)として、Jリーグのファジアーノ岡山の試合観戦者を対象として、自家用車から徒歩や自転車、公共交通などに行動変容させるための複合的な施策を提案し、実施した。その結果、2017年(初年度)は自家用車来場者かつMMに関する本プロジェクトを認知している試合観戦者のうちの10%(全自家用車来場者の7%)が自家用車以外の手段に転換した。転換者の属性は、30代~40代が多く、サポーター歴が長いこと、単独での観戦者である傾向があった。また、手段転換のきっかけとしては「ワンショットTFP」が最も多く挙げられていた。その一方で、二年目には、プロジェクト認知度と手段転換者割合ともに減少しており、継続的な効果につなげるための課題も見えた。</p>
著者
紙谷 浩喜 佐藤 雄太 藤本 邦洋 梅木 駿太 古原 岳雄 七森 和久
出版者
公益社団法人 大分県理学療法士協会
雑誌
大分県理学療法学 (ISSN:13494783)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.1-5, 2020 (Released:2020-07-10)
参考文献数
8

【目的】 地域包括ケア病棟における入院患者において,生活機能の改善が高い患者と低い患者において,患者の転帰先に影響を与える要因と担当理学療法士・作業療法士が行った対応方法に関して質的研究法を用いて調査すること.【対象】 対象は2017 年6月~ 2018 年1月に,在宅から入院し当院の地域包括ケア病棟から退院した患者409 名のうち除外基準を満たした202 名とした.【方法】 病院環境におけるFIM 運動項目(以下,mFIM)からFIM effectiveness(以下,emFIM)を算出した.全群におけるemFIM の中央値より高い者を生活機能改善率が高い,中央値より低い者を生活機能改善率が低いと定義した.退院先が自宅でありemFIM が低いもの(以下,自宅低emFIM 群)と,退院先が施設でありemFIM が高いもの(以下,施設高emFIM 群)を調査対象とした.転帰先の決定に重要であった要因と対応方法について担当セラピストより聴取し,分類した.【結果】 自宅低emFIM 群は67 名であった.67 名の転帰先に関する特徴は3種類に分類できた.①病院環境ではemFIM が不十分だが自宅生活が可能な者,②手すりや歩行補助具など物的環境調整によってemFIM が十分となった者,③物的環境を調整してもemFIM が不十分であるが本人や家族の強い希望により自宅に退院した者であった.施設群高emFIM 群2名であった.2名のうち1名は家族関係が不仲,1名は入院前生活以上の介護負担を負えないと家族が判断した.【考察】 自宅低emFIM 群67 名のうち,約9割は適切な物的環境で課題となる動作の評価が重要であった.物的環境,人的環境のいずれにおいても,早期から医療者と当事者の認識の誤差を埋めるような関わり方が重要だと思われる.
著者
中島 恵太 氏原 岳人 織田 恭平
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.288-294, 2020-10-25 (Released:2020-10-25)
参考文献数
21
被引用文献数
1

本研究では,態度・行動変容研究分野の知見を応用し,戸建住宅を所有する世帯を対象とした空き家にさせないための手法を開発し,岡山市の住宅地を対象にその検証を行った.具体的には,戸建住宅の所有者に対して,空き家にさせないことのメリットを知らせるチラシを配布するとともに,住宅の将来について考えるきっかけを作るためのアンケート調査等を実施した.その結果,1)本研究のアプローチにより,10%の行動変容,及び44%の態度変容を促すことができた.2)行動変容の内容としては,エンディングノートや遺言書の作成,登記の確認,相続などの引き継ぎに関する情報収集等であった.3)態度・行動変容ともに高齢である方が変容しやすい。また,住宅の将来について身内の相続等の引継ぎに言及している方は行動変容につながりやすく,一人で考えた方は態度変容しても行動変容にはつながりにくい傾向にあった.
著者
岡田 将範 氏原 岳人 牛尾 亜紀子 大畑 友紀
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.213-219, 2020-10-25 (Released:2020-10-25)
参考文献数
10

本研究では,岡山市居住者を対象としてマズローの欲求段階説に基づき中心市街地の訪問動機から来訪者の特性を明らかにした.分析の結果,1)中心市街地の訪問動機には,「非精神的欲求」,「精神・物質的欲求」等のタイプが存在することを確認できた.2)各欲求タイプは,年齢や性別に加えて交通手段選択も影響する.具体的には,「精神・物質的欲求」タイプは公共交通を,「非精神的欲求」タイプは非・公共交通の傾向にある.3)精神的欲求に関する訪問動機の中で,「人との交流」では,公共交通利用の傾向は相対的に弱く,「自己向上動機」や「精神的充足動機」で強い.さらに,各欲求タイプと「自由に使える自家用車があるかどうか」には関係性は見られず,自動車保有に依存しない傾向にある.4)自動車のアクセス性を高めるまちづくりは,高次の精神的欲求の充足にはつながりにくい可能性がある.
著者
秋元 宏 宇野 哲也 宮原 岳彦 江川 直行 宮坂 広夫 掬川 正純
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.59, pp.12, 2007

目的<BR>生活者が衣類着用時に受ける衣類の摩擦について実態を把握するとともに、肌と衣類との摩擦低減効果のある柔軟仕上げ剤(以下、柔軟剤)の肌への影響について調べる。<BR>2.方法<BR><U>試験剤</U>:カチオン性界面活性剤系柔軟剤(以下、汎用柔軟剤)、ポリエーテル変性シリコーン柔軟剤(以下、シリコーン柔軟剤)<BR><U>試験布</U>:綿ブロードおよびポリエステルサテン。試験剤にて布に柔軟仕上げ処理をし、非使用を含む3種の試験布を作成した。<BR><U>動摩擦係数</U>:平面接触子に試験布を貼付し摩擦係数測定装置にて前腕内側上を滑らせて測定した。<BR><U>使用試験</U>:敏感肌、アトピー性皮膚炎、乾皮症等の皮膚炎を有する者を被験者としシリコーン柔軟仕上げ剤を洗濯時に使用させる方法で、1ヶ月間冬季に実施した。また、一部の被験者については約1年間通して使用させた。<BR>3.結果<BR>3種の試験布のうちシリコーン柔軟剤で処理した試験布の動摩擦係数が最も低く、非使用の試験布と比較しその値は0.1も低減していた。また、汎用洗剤および試験剤を用いて30回繰り返し洗濯をしたバスローブの着用感を官能による一対比較法にて試験した。その結果、すべりやすい、やわらかい等の項目に関してシリコーン柔軟剤で仕上げた衣類の着用感は良好であった。<BR>また、使用試験ではシリコーン柔軟剤で仕上げた衣類の着用で7割以上の被験者が「肌あたりの良さ」や「引っかからない感じ」を実感し、半数以上の被験者で肌の「乾燥」や「かゆみ」などが和らぐことが医師により確認された<SUP>1,2)</SUP>。さらに、約1年の長期使用によっても、有害事象および治療を妨げることは無かった。7割以上の被験者が「肌触りのよさ」を実感し、また、「今後も使用し続けたい」との意向を示した。<BR>文献<BR>1)永島敬士他;診療と新薬,43(9),p.912-917(2006)<BR>2)渡辺晋一他;診療と新薬,44(2),p.27-32(2007)<BR>
著者
竹内 幹太郎 阿部 宏史 氏原 岳人 金野 裕一
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.47, no.3, pp.1039-1044, 2012-10-25 (Released:2012-10-25)
参考文献数
7

産業集積などの衰退により都市内部で発生しているエリアレベルの低・未利用地(例えば、空き工場群など)において、新たな店舗集積の形成を検討する際に有用な情報を提供するため、本研究では、用途転換の取り組みにより空き倉庫・事務所群を活用した新たな店舗集積が形成されている岡山市北区問屋町の卸商業団地を事例に、その特性を来訪者へのアンケート調査結果を用いて分析した。具体的には、まず、どのような来訪者が問屋町内の出店店舗にとって利点となる行動をするのかその関係性を分析した。そして、問屋町における出店店舗にとって利点となる行動の発生には、来訪者の"居住地"や"同伴者"の要素が総体的に関係しているとわかった。次に、既存店舗集積と比較して、問屋町が店舗集積としてどのように評価されているのかを分析した。その結果、問屋町は、中心市街地と郊外ショッピングセンターそれぞれにおける店舗集積としての"不足部分(自動車の交通利便性や店舗の魅力など)"を、同時に特長として有することで、都市内部における新たな店舗集積としての位置づけを見出していると考えられることが明らかになった。
著者
篠原 岳司
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.80, no.2, pp.185-196, 2013-06-30 (Released:2018-04-04)

本稿では政治学のガバナンス論と分散型リーダーシップの「相補性」と「学習」の概念を手がかりに、米国大都市学区の教育ガバナンス改革を検討し、教育ガバナンス論の理論的再構築を試みている。その結果、「市長による教育行政支配」や民営化手法、学校自治の功罪について明らかにし、教育ガバナンス論の再構築に向けた要件として(1)民主性と教育固有の規範論の実現過程、(2)教育と教育行政をつなぐ媒介主体という2点を析出した。
著者
松原 岳行
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.2004, no.89, pp.103-119, 2004-05-10 (Released:2010-05-07)
参考文献数
46

“Nietzsche als ErZieher” ist 1914 in der deutschen Pädagogik entstanden. Das ist eine Tatsache in der Geschichte der Nietzsche-Rezeption. Wie aber wurde Nietzsche als Erzieher angesehen? Welche zeitgenossische Bedeutung hatte das Interpretationsmodell “Nietzsche als Erzieher”? Um dieses Problem zu klären - andere als bei Ch. Niemeyer - richte ich mein Augenmerk auf die Phasen der Nietzsche-Rezeption in der deutschen Pädagogik zwischen 1907 und 1914.Bei der Klärung der zeitgenossischer Bedeutung des Interpretationsmodells “Nietzsche als Erzieher”, woran man heute noch festhält, handelt es sich urn eine andere Tatsache in der Geschichte der pädagogischen Nietzsche-Rezeption nämlich das Interpretationsmodell “Nietzsche als Pädagoge”, das E. Weber aufgestellt hat Gegen dieses damals anerkannte Modell gab es aber Kritik; denn das Interpretationsmodell “Nietzsche als Pädagoge” hatte die Domestizierung Nietzsches zur Voraussetzung.Nach der Wende zum 20. Jahrhundert hatte das Wort “Erzieher” bestimmte Sinngebungen. Der “Erzieher” hatte damals das Bedürfnis, lebendig zu sein und ein personliches Verhältnis zum Schüler zu unterhalten. Wie hat Nietzsche die Bedingungen als “Erzieher” erfüllt? In der 1911 erschienenen Abhandlung “Ist Nietzsche wirklich tot?” zweifelte R Oehler an “Nietzsches Tod” und manifestierte “Nietzsches Auferstehung” auf Grund der Verbreitung der Nietzsche-Lektüre in den 1910er Jahren, wodurch Nietzsche ein personliches Verhältnis zu Schülern (jugendlichen Lesern) gewinnen konnte.W. Hammer behandelt in seiner 1914 erschienen Schrift “Nietzsche als Erzieher” die späteren Ideen Nietzsches wie “Übermensch” oder “Moralkritik” und stellte Nietzsche als lebendigen Erzieher dar. Die Schrift “Nietzsche als Erzieher” stellte ein “Manifest der Nietzsches Auferstehung” der auf Grund der Verbreitung der Nietzsche-Lektüre bei der Jugend. Wir konnen “Nietzsche als Erzieher” als eine Alterntive zu der erneut verbeiteten pädagogischen Nietzsche-Interpretation verstehen.Durch einen Vergleich beides Interpretationsmodelle “Nietzsche als Pädagoge” (1907) und “Nietzsche als Erzieher” (1914), versuche ich andeutungsweise die Moglichkeit einer Beziehung zwischen der heutige Pädagogik und Nietzsche aufzuzeigen.
著者
松原 岳行
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.2000, no.81, pp.58-74, 2000-05-10 (Released:2010-01-22)
参考文献数
34

In den 1890er Jahren gab es einen sogenannten Nietzsche-Boom, indem sich viele Jugendliche für die Spätschriften Nietzsches begeisterten. Das Wort “Übermensch” fand, wie auch Tönnies gezeigt hat, bei der Jugend großen Anklang, so daß Nietzsche gar zum Modephilosophen deklariert wurde. Man muß aber genauer hinschauen. In Wirklichkeit gait damals Nietzsche-Zarathustra aus als moralisch irrer Gelehrter. Nietzsche wurde urn die Wende zum 20. Jahrhundert aus der Erwachsenen-und Lehrerperspektive als Jugendverderber und gefährlicher Jugendverführer angesehen.Ernst Weber, ein Vertreter der Kunsterziehungsbewegung, promovierte über Nietzsche. In der 1907 erschienenen Schrift versuchte er Nietzsche als Pädagogen zu erfassen. Zu diesem Zweck konzentrierte er sein Interesse an Nietzsche auf dessen Frühschriften und zugleich damit distanzierte er sich von dem in den Spätschriften artikulierenden Aphoristiker und Übermensch-Verkündiger.Zwar kann seine Arbeit als die pädagogische Domestizierung der Gedanken Nietzsches charakterisiert werden; aber seine Bedeutung ist damit nicht erschöpft, denn die Pädagogik um die Wende zum 20en Jahrhundert konnte den späten Nietzsche nicht rezipieren. Vielmehr schätzte Weber die Ideen des frühen Nietzsche und konnte so Nietzsches pädagogische Bedeutung für die damalige Pädagogik rezipierbar erklären.
著者
栗原 岳史
出版者
東京工業大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2019-04-01

本研究は,1950年代初頭から1960年代にかけて,米国政府が日本の学術的な科学研究に対して行っていた研究資金の支援の実態について,公開された米公文書史料を利用した実証的な歴史研究として明らかにすることを目的とする.冷戦期において,米国が科学研究を振興するために日本を含む主要国に対して研究資金の支援を行ってきたことがことが明らかになっているが,本研究は,米政府諸機関,特に国務省と軍関係諸機関等が,日本の科学研究に対して,どのような目的で,どのくらいの規模で研究資金の支援を行っていたのか,それに対して日本側がどのような対応をしていたのかについて,その実態を明らかにするものである.
著者
三原 岳
出版者
社会政策学会
雑誌
社会政策 (ISSN:18831850)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.53-62, 2017-11-10 (Released:2019-11-11)
参考文献数
12

日本の医療保険制度は被用者保険(健康保険組合,協会けんぽ,共済組合),地域保険(市町村国民健康保険,後期高齢者医療制度)に分立しており,被用者保険と市町村国保の間で保険料格差が大きい。これは会社を退職後に被用者保険を脱退した高齢者が市町村国民健康保険に流入しているためである。さらに,市町村国保は被用者保険から漏れる非正規雇用の受け皿にもなっており,その財政は恒常的な赤字が続いている。 保険料賦課の仕組みで見ると,被用者保険は所得に応じた応能負担だが,地域保険は応能負担のほか,利益に応じた応益負担も組み合わせており,市町村国保では低所得者対策が課題となっている。一方,財政が豊かな健保組合も高齢者医療費に関する財政調整で財政が悪化している。こうした論点を社会保険方式の原則に沿って検討するとともに,地域単位での一元化など制度改革の方向性を検討する。
著者
原 岳
雑誌
日本眼科學会雜誌 (ISSN:00290203)
巻号頁・発行日
vol.105, no.5, pp.314-321, 2001-05-10
参考文献数
11
被引用文献数
8
著者
近藤 靖史 小笠原 岳 宿谷 昌則
出版者
公益社団法人 空気調和・衛生工学会
雑誌
空気調和・衛生工学会 論文集 (ISSN:0385275X)
巻号頁・発行日
vol.32, no.127, pp.25-30, 2007-10-05 (Released:2017-09-05)
参考文献数
5
被引用文献数
2

タバコ煙は室内空気の汚染質の一つであり、健康への影響が広く認められている。近年、室内での非喫煙者が喫煙者のタバコ煙を吸引する受動喫煙は社会的に大きな問題となっている。このような背景のもと公布された健康増進法では、受動喫煙の防止に関して努力義務規定が明文化され、建築内においてタバコ煙に関する分煙が進められている。本研究では空間分煙に着目し、滞在時間が比較的長く、未成年者も利用すると考えられる飲食店舗を対象とした実態調査を行った。次に実態調査の結果に基づいて効率的な分煙方法を数種類想定し、CFD解析により検討した。