著者
石原 潤
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.73-90, 2009-03-01 (Released:2011-05-31)
参考文献数
47
被引用文献数
1

中国の集市(伝統的市)は,定期市と毎日市からなり,長い歴史の中で発展をとげ,民国期には5万余が存在していた.革命後の社会主義化の流れの中で,集市には一定の規制が加えられ,集市の数は次第に減少し,特に左寄りの政策が実行された時期には取引が衰退した.しかしながら改革開放期に入ると,集市取引はむしろ奨励され,多数の集市が復活・新設され,集市取引高も年々急拡大した.都市部では出稼農民や失業者が,農村部では兼業農民が市商人に参入した.ところがこのような集市の繁栄にも,近年,明らかに陰りの傾向(集市数の減少,集市取引高の停滞,小売販売総額に対する集市売上高の割合の低下)が見て取れる.常設店舗の叢生,モータリゼーションの進展,退路進庁政策,スーパーマーケットの普及等が影響していると考えられる.
著者
石原 潤
出版者
一般社団法人 人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.3-6, 2019 (Released:2019-04-23)
被引用文献数
1 1
著者
石原 潤
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.71, 2008

<BR> 急速な経済発展を示す中国では、青果物の流通システムも、急速に変容しつつある。本研究では、寧夏回族自治区の首都銀川市における、卸売・小売両段階の流通システムについて、実地調査の結果を報告する。対象地域としては、銀川市の商業中心である興慶区を主として採り上げる。<BR><BR>1、卸売段階<BR> 銀川市で消費される蔬菜の80%が経由するとされる北環市場と果物の最大の卸売市場である東環市場とがある。<BR><B>〔北環市場〕</B>1991年建設。蔬菜の卸売が主であるが、他の食料品の卸売も。全国の蔬菜を集荷(夏は寧夏の蔬菜が多く、冬は南方の野菜が入る)、周辺諸省約500kmへ出荷。蔬菜の2006年交易量33.6万トン、年交易額5.5億元。取引の電子化、全国の価格情報の電子掲示、残留農薬の検査などを進めている。この市場は、2つの村民小組が土地を出し、村と郷が資本を出して出来た。現在関係団体が委員を出す董事会に決定権があり、運営は彼らが作った公司が行う。市場の大規模商人は、数人でグループを組み、一部が外へ買い付けに行き、大型トラックをチャーターして荷を運んで来る。市場内に、倉庫や頂棚を借りて営業する。中・小規模商人は、夫婦等で営業。出身地等に自ら買い付けに行き、小型トラックなどで運んで卸売。あるいは市場内で商品を仕入れ、露天で卸兼小売。これら商人の一部は地元の都市戸籍保有者だが、大部分は農村出身(陝西省や安徽賞など)の農村戸口で、市場近くで間借りしている。<BR><B>〔東環市場〕</B>1988年開設、果物の卸売が主であるが、他の諸商品の卸売も。果物の集荷は、寧夏(35%)の他、全国各地から。果物を買いに来る商人は、市内だけでなく、内蒙古からも。果物の年交易量30万トン、年交易額4.8億元。この市場は、元は露天の小売市場だったが、ある村民小組の農民らが卸売市場を建設した。その後農民らは都市戸籍化、市場は有限会社として残り、董事会(住民の会)が運営。一般に卸売商人は、集団で経営、買い付けに一人を先方に送り、運輸会社のトラックを雇い、荷を運んで来て、朝、小売商人に売る。この市場最大の果物商は、十人余を雇用する卸売業のほか、スーパーマーケットの中にも出店。さらに郊外農場を持ち、温室栽培や無農薬栽培。<BR><BR>2、小売段階<BR> 小売段階で蔬菜や果物が売られる場は、小売市場とスーパーマーケットがある。前者のシェアーがなお高いと思われるが、後者の数も急増しつつあり、無視できない存在になりつつある。<BR><B>〔小売市場〕</B>工商所が管轄しているものとしては、興慶区の市街地には、7ヵ所の市場があり、設備は地下封囲式が1、封囲式2、簡易封囲式が2、頂棚式が2と、整備されている。工商所が管轄していないものとしては、確認し得た限りでも、4ヵ所の市場があり、封囲式が1、頂棚式が1、露天式が2と、設備はあまり良くない。経営主体は、公司、街道弁事所、居民委員会、村民委員会が各1であった。この他、早市(3ヵ所で確認)でも野菜の出市が多く、夜市(2ヵ所で確認)では果物の出店が見られる。これらは、いずれも露天で、工商所の勤務時間(8時半から18時半)外を狙って営業していると言う。一般に小売商人は農村出身で農民戸口、市場の近くに部屋を借りて居住。大部分は卸売市場で、一部は郊外の農民から直接仕入れている。小売商人の輸送手段は、三輪自転車から、オート三輪へと急速に転換しつつある。<BR><B>〔スーパーマーケット〕</B>野菜・果物を扱うスーパーマーケットは都心部にも、周辺部にも急速に立地しつつある。都心部立地では、A百貨店の1階、B百貨店の地階、4階建て綜合スーパーの1階(以上新華系)、南大門広場の地下(北京華聯超市)などがそれに当たる。周辺部立地型は、双宝超市a店(2階建)、同b店(地下・小規模)、同c店(1階建・小規模)、及び金風区に入るが新華趙市d店(広いワンスパン)などがそれである。市街地縁辺部に形成されつつあるマンション団地の分譲広告には、最寄りの小売市場と共に、これらスーパーが記載されており、スーパーでの購入が生活スタイルの中に定着しつつあることを示している。新華(大規模店中心)と双宝(小規模店中心)のローカルチェーンが店舗網を形成しつつある。これらの店舗の蔬菜・果物の仕入れは、卸売市場に依るもののほか、生産農場を持つ大きな納入業者に依存する形が生れている。<BR> 野菜の小売価格を比較したところでは、都心部の百貨店併設のスーパーで、値段が高いことがわかった。
著者
成田 孝三 藤田 昌久 岡田 知弘 足利 健亮 石川 義孝 金田 章裕 金坂 清則 石原 潤 応地 利明
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1996

8年度は、1.都市を中心とするシステムについて欧米、日本、アジア・アフリカに関する比較研究を行う、2.地理学の空間分析、マルクス経済学の構造分析、近代経済学の計量分析の統合を目指す、3.日本のシステムについて動態的研究を行なう、という研究の枠組みと分担を決定した。9年度はそれに従って各自がフィールド調査を実施し、報告書の研究発表欄に掲げた成果を得た。10年度は統合の実を挙げるために、近畿圏を共通の対象として研究し、次の知見を得た。1.古代国土システムの構成要素としての近畿圏は、従来説の大化の畿内と天武の畿内の間に、近江を中心とする天智の畿内が存在し、それは三関の範囲に合致する軍事的性格を帯びており、中国の唐制に類似する。2.古代畿内の首都は孤立した一点ではなく、複数の首都ないしは準首都によって構成されており、それは現代の首都移転論をめぐる拡都論にも通じる状況である。3.中世期末畿内の構造変化を本願寺教団の教勢の進展を通じてみると、それは近江・京都・大阪を中核とし、奈良・三重・北陸に広がり、最後に兵庫・和歌山に伸びて現代の近畿圏を覆った。近江が中心となった理由はその生産力と交通の拠点性である。4.五畿七道の区分を踏襲してきた幕藩体制から近代国家体制への転換に伴って、府県を単位とする地方区分が確立した。近畿の範囲は6府県を核とし、場合によっては三重や福井が加わるという形をとった。この構成は現代にもつながっている。5.現代の大阪圏は初め西日本に広がっていたが、次第に縮小して上記の近畿圏に収斂しつつある。また近畿圏の構成単位である各日常生活圏の完結性が弱まり、大阪と京都を中心とする圏域に統合されつつある。それに伴って各種行政領域と日常生活圏との整合性が崩れ、その〈地域〉としての有意性が損なわれるおそれがでてきた。なおバブル崩壊後、中心部の都市地域と周辺部の農村地域との格差が拡大しつつある。