著者
大滝 世津子
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.79, pp.105-125, 2006-12-10 (Released:2011-03-18)
参考文献数
15
被引用文献数
2 1

The purpose of this study is to examine the relationship between the formation of groups in kindergarten and the process of gender identification by children through their kindergarten life.In the field of sociology of education in Japan, there have been some studies on the process of gender identification. However, they have focused on the intensification process of gender categories, but tended to ignore the trigger that leads children to recognize their own “correct” gender, and how they do so. The author observed this process at a private kindergarten in Kanagawa, Japan, from April to October 2005. The author observed 31 children, aged from three to four years old, in two classes.The author carried out a pseudo-experiment in this kindergarten. In this experiment, the criteria of gender identification was conceptualized by using the discussion of “appel”(roll call) following the theory of Althusser. In other words, the observer counted the number of children who responded when the kindergarten teachers called out to them using the category of onnanoko (girls) or otokonoko (boys), and recorded the results periodically.It was found that once a homogeneous sexual group was formed in a class, the children's gender identification process was accelerated. In addition, the time of gender identification influenced by the peer group differed between the two classes. The latter finding shows that the process of gender identification is not only dependent on the child's own development process, or the home environment, but is also dependent on the kindergarten's peer group activities.
著者
大内 裕和
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.69-86, 2015-05-29 (Released:2016-07-19)
参考文献数
13
被引用文献数
1 2

この論文の目的は,大学生の奨学金問題を検討することである。 奨学金利用者の数は,1990年代後半以降に急増した。1990年代半ばまで,奨学金利用者の比率は全大学生の20%ほどであった。その後,2012年には全大学生の52.5%に達した。 奨学金利用者の増加は,1990年代以降の4 年制大学への進学率の上昇を背景としている。女性の短大進学者が減り,高卒の就職者数も減少した。民間企業労働者の平均年収と世帯所得は,2000年~2010年にかけて急激に減少した。 近年の奨学金制度の変化も,奨学金をめぐる社会状況に大きな影響をもたらした。1984年の日本育英会法の改定によって,有利子の貸与型奨学金が創設された。有利子の貸与型奨学金の増加に拍車をかけたのが,1999年4 月の「きぼう21プラン」であった。2004年に日本育英会は廃止され,日本学生支援機構への組織改編が行われた。日本学生支援機構は,奨学金制度を「金融事業」と位置づけ,その中身をさらに変えていった。 この奨学金制度は,1990年代後半からの4 年制大学進学率の上昇に貢献したことは間違いない。しかし,この有利子を中心とする奨学金制度の拡充は,奨学金返済の困難という問題をもたらしている。 現在の奨学金制度には改善すべき課題が存在している。第一に奨学金返還の困難を解決することである。第二に貸与型中心の制度から給付型中心の制度へと変えることである。
著者
丸山 和昭
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.75, pp.85-104, 2004-11-15 (Released:2011-03-18)
参考文献数
33

Organizations of clinical psychologist were organized on two occasions in Japan at the initiative of professional societies. The move toward professionalization in the 1960s used a strategy which gave priority to the acquisition of specialist status and autonomy than to obtaining a state-granted qualification. As a result, it failed to obtain the support of professionals working in the clinical field. However, in the 1970s, the whole clinical mental occupation reached consensus on the need to promote specialist status, from a sense of crisis brought about by the unwillingness of the Ministry of Health and Welfare and doctors to create a qualification. In the second professionalization in the 1980s, calls were made for the advancement of specialist status and the establishment of a training system. Thanks to a strategy of professionalization aimed at developing an educational field, it came to attain “miraculous” growth.This professionalization of clinical psychologists was based on the leadership of professional societies, which developed specialist attributes for the cultivation of a “science-profession” core based on a “dual strategy”, to gain professional status. The clinical psychologists used a dual strategy toward the Ministry of Health and Welfare and the Ministry of Education, expanded the market autonomously and produced a great deal of “science-profession.” However, it can be said that the professional society-led model has the danger of following the route of very unstable professionalization, which can be easily influenced of many domains although it has the potential for expanding new markets and the development of an autonomous training system.
著者
知念 渉
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.100, pp.325-345, 2017-07-28 (Released:2019-03-08)
参考文献数
21
被引用文献数
2 1

日本の「ジェンダーと教育」研究は,特にポスト構造主義が台頭した1990年代後半以降,男/女というジェンダー関係が構築される過程に焦点を当てる一方で,男性ないしは女性という一つの性の中の分化がどのように構築されているのかという点を看過してきた。それに対して本稿は,男子生徒の性内分化を描く試みである。高校におけるフィールドワーク調査のデータから,〈ヤンチャな子ら〉と呼ばれる男子生徒たちが用いる〈インキャラ〉という解釈枠組みとその運用場面を分析し,そこに男性性がどのように組み込まれているのかを明らかにする。 本稿で明らかになった知見は以下の三点である。第一に,〈インキャラ〉とは,具体的な人物と対応する生徒類型というよりも,人々の言動や実践を解釈していく枠組みであった(4節)。第二に,〈インキャラ〉という解釈枠組みは,〈ヤンチャな子ら〉にとって自らにも他者にも適用されるものであり,適用対象や文脈に応じて様々な意味を帯び,人々のジェンダー実践を規制するものであった(5節)。そして第三に,学年が上がるにつれてそうした解釈枠組みに対して,異議申し立てが行われるようになった。そこには,彼らの中で理想とされる男性性が再定義されていく可能性や,そうした解釈枠組みの維持・変容と集団内の地位が関わっていることを見出すことができた(6節)。 最後に,これらの分析から得られた知見が,「ジェンダーと教育」研究においてどのような意義をもつのかについて考察した。
著者
天童 睦子
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.80, pp.61-83, 2007-05-31 (Released:2018-07-01)
参考文献数
41

This paper examines inter/intra family differences and child-care support policies in Japan from child-rearing strategies and a gender perspective. For the theoretical consideration of mechanisms of reproduction of family differences, this paper proposes a Child-rearing Code and Gender Code based on B. Bernstein’s theory of cultural transmission. The Child-rearing Code system reveals not only inter family differences based on parental economic background, but also intra family differences based on the sexual division of labor in the family.This paper traces Family Support Policies after World War II, and examines how these policies were gendered and privatized. Especially since the 1990s, various Child-care Support Policies have been introduced in Japan not just to support family childcare, but to raise the birth rate, and these policies sometimes functioned to reinforce a Gender Regime.The latter part of the paper focuses on voices of parents, based on an extensive empirical investigation which was conducted in Tokyo from 2000 to 2006. The study describes the isolation of mothers with children in a gendered division of labor situation, the emotional capital in mother-child interactions, and the dilemmas of working mothers who have to divide their time between paid work and time spent with their children. It also explores the difficulties faced by fathers who want to, but cannot, care for their children, because of long working hours and business-centered social values. This paper also explains the economic difficulties faced by single mothers due to the lack of social security and wage disadvantages in the labor market in Japan.Based on these theoretical and empirical considerations, this paper concludes that the symbolic realization of inter/intra family differences are generated by a gender code which operates with an invisible gender hierarchy.
著者
志田 未来
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.303-323, 2015-05-29 (Released:2016-07-19)
参考文献数
23
被引用文献数
1 2

本稿の目的は,子どもの視点からひとり親家庭研究に新たな理論的視角を提示することにある。これまでのひとり親家庭に関する研究は,彼らの生活を経済的な不利に収束しがちであったこと,子どもを主体として捉えることがなされてこなかったことなどの課題を残していた。そこで本稿はひとり親家庭の子どもに対する聞き取りから得られたデータを基に,ひとり親家庭という構造の中で子どもが主体としてどのように生き抜こうとしているのかについて検討した。 調査より明らかにされたのは以下の二点である。第一に,彼らは自己の家庭経験にアンビバレントな感情を持ちながらも自己の家庭経験を肯定的に理解しようとしている。第二に,同居親との関わりには多様性があったが,同居親以外のつながりを豊富に持ち,それを活かしながらうまく生き抜こうとしている。 このことから二つの次元における承認の重要性が導き出された。第一に,ひとり親の子どもたちにとって,自己の複雑な家庭経験を正当なものとして理解するために自己・他者からの承認を要している。そしてその役割を果たしているのが,同じひとり親の子どもであった。第二に,ひとり親家庭であることに対して周囲から承認を得ることによって,彼らは家庭外の豊富なつながりを持つ基盤を獲得している。 以上より,本稿は従来から指摘されてきた経済的な再配分に加え,承認の観点が必要であることを提示した。
著者
久冨 善之
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.90, pp.43-64, 2012-06-15 (Released:2013-06-17)
参考文献数
34
被引用文献数
3 1

小論は「教育と責任」の問題を,学校・教師と親とが教育をめぐってどのような応答・責任関係を構成するのかという課題として,3・11大震災・原発事故とそれに続く状況の中で考察したものである。 「落第のない義務教育学校」や「献身的教師像」は日本の学校文化・教員文化の特徴であると考えられる。そこには学校と教師が,子どもを学校で教育する責任を積極的に引き受ける〈前面性〉があり,それを回路に個々の学校と教師は,子ども・親から「信頼・権威」を調達して,元来難しい近代学校教育の仕事を,何とか乗り切って来た。それは不安定さをはらむ「学校・教師と親との関係構成」を安定化するのに寄与したものと分析した。 戦後日本の社会変化の中では,上のような伝統的関係構成にもいくつかの再編があったと考える。それを「学校・教師の黄金時代」から過渡期を経て,第Ⅲ期(90年代半ば〜今日)の「学校・教師の困難と教育改革」時代へという展開として記述した。Ⅲ期では伝統的な〈前面性〉が,信頼・権威調達回路から,逆に個々の学校・教師が,学校教育への不信・不満・非難の矢面に立つ関係構成へという転化が生じた。その〈前面性〉が衝立になって,責任ある教育官僚機構はその陰で非難を免れ「公正なる改革者」として登場して,親・国民からの学校・教師への非難を追い風に次々と学校・教員制度改革を進行させている。 それらが学校と教師をいっそう圧迫する現状が好ましくないとすれば,どんな関係構成の再編があり得るだろうか。一つは親と教師・学校の「相互非難関係」から「困難の相互共有関係」への可能性として,もう一つは「押しつければ改革成功」とする評価方式を「第三者による教育政策・改革のアセスメント」方式の必要性として,大震災と続く状況下でそれらが試されている点を考察した。
著者
菊池 美由紀
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.107, pp.27-47, 2020-11-30 (Released:2022-06-20)
参考文献数
20

本稿の目的は,学生の多様化と専門外の教育への対応という二重の困難に直面した大学教員の授業実践を,教員のストラテジー研究の枠組みを用いて分析することである。そのために,ボーダーフリー大学(BF大学)のキャリア科目を対象とするフィールドワークを行った。分析の結果,博士課程を経て学術的専門性を修得したアカデミック教員は,「就職技法教育」「ユーモアを使った婉曲的な注意」「罰則の伴わない事前契約」「専門性の取り込み」によって困難に対応していた。後者2つには,授業成立や逸脱行為の抑制に対して顕著な効果はなかった。にもかからず,これらの対応が用いられた背景には,学生を自立した成人とみなし,専門性に基づく授業を行うことで,大学らしい教育を実現しようとする教員の意図があった。他方,このような対応は博士経験を経ていない実務家教員には見られないものであった。 本稿では,このようなBF大学のアカデミック教員に特有の,従来型の学生観と大学教員観に基づくストラテジーを「スカラリー・ストラテジー」と名付けた。このストラテジーは,学生観や大学教員観が急速に変化するなかで,葛藤を抱えながらも従来型の「大学らしい理想の教育」を維持しようとする試みである。しかし,このストラテジーを用いても,逸脱行為の抑制に対する顕著な効果はない。ここに,従来型の学生観や大学教員観が成り立たない状況下にある今日の大学教員の苦悩がある。
著者
相澤 真一 濱本 真一
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.147-167, 2019-06-30 (Released:2021-04-01)
参考文献数
90

本論では,高等教育研究を参照してきた隣接分野の立場から,教育社会学研究としての高等教育研究について,今後の研究への問題提起と期待を提示する。本研究が提示する高等教育研究の隣接分野とは,主に,中等教育研究と社会階層・社会階級・社会移動研究(以下,略して,階層移動研究)である。 それらの隣接分野の視点から見た場合,高等教育研究にはいくつかの課題が指摘できるように思われる。第1は,「日本の」高等教育の選抜を理解するために,その本質的な部分に関する定義を見直す必要があるのではないかということである。第2は,日本の高等教育制度は,社会階層構造に対して,どのような制度的文脈を持っており,どのような機能を保持しているかを明らかにすることが求められているという点である。第3は,高等教育研究ならではの視点である「高等教育機関が行う研究」を社会学的対象として配置していくことが必要となるという点である。 以上の3点を踏まえて,日本の高等教育が制度的,歴史的に,世界のどのような類型に近く,どのような事例と比較されうるかを吟味することによって,より抽象度の高い階層移動研究に組み込んでいくことができると考えられる。また,日本の高等教育の特質を,隣接分野の文脈と共通性を持ちながら,より広い文脈を持った言葉で社会学的に明らかにしていくことにより,高等教育研究がより緊密に国際的な研究と結びついていくであろう
著者
新谷 周平
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.71, pp.151-169, 2002-10-31
被引用文献数
2

The increasing number of mugyosha or freeter has frequently been pointed out in Japan. These terms refer to people who, after graduation from junior or senior high school, don't go on to either college or to full-time jobs. Educational sociology researches have made clear the correlation between career perspectives and academic achievement, social stratification, and youth subculture through questionnaires and interviews. Some authors have suggested offering scholarships or opportunities for career development. However, are such suggestions effective? Past researches have failed to answer this question, either because they did not make clear the process of choosing future courses or see the influences of subculture upon such choices. The purpose of this paper is to describe the process of making future choices, and to make clear the relationship between subculture and future courses. The method adopted is participant observation and interviews of a youth group, specifically a group of street dancers. The members did not aim to be professional dancers, and became freeter. The following findings were made. A lack of confidence in academic abilities and strong resistance to becoming constricted kept them away from college and full-time jobs. The amount of wealth and the occupation of their parents had an influence on the transition from freeter to college student or full-time worker. But it was more important that youth who remained in a local area formed a subculture, or "local relationship culture, " in which place, time and money were jointly owned. The status of freeter was appropriate for this subculture. If the function of culture is taken into consideration, the effectiveness of suggestions that presuppose social mobility and movement between regions, such as scholarships or career development programs, becomes uncertain. It is necessary to make clear the real state of subculture and to work out programs appropriate to it.
著者
内田 良
出版者
東洋館出版社
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.86, pp.201-221[含 英語文要旨], 2010

本稿の目的は,「リスク」の理論と分析手法を用いて,学校管理下における各種事故の「実在」,とくに事故の発生確率を比較することから,学校安全に関する今日的な「認知」のあり方を批判的に検討し,エビデンスにもとづいた学校安全施策を提唱することである。今日,学校安全の名のもと不審者対策に多くの資源が投入されている。いっぽう,学校における多種多様な事故を広く見渡して,事故の発生件数や確率を調べようとする試みは少ない。そこで本稿では多義的なリスク概念を手がかりに,次のように分析を進めた。まず社会学のリスク論から,リスクは社会的に構築されるという視点を得た。事故は「認知」に左右される。次に自然科学の方法から,事故の「実在」に注目して各種死亡事故の発生確率を算出した。その結果不審者犯罪よりも発生確率が高い事故が多くあることが明らかとなった。学校事故の特殊性は,管理するという「決定」に,多くの主体(国,自治体学校,保護者,地域住民)が容易に関与できる点である。このとき,「決定」はリスクをめぐるコミュニケーションを活性化させ,リスクに対する人びとの認知を敏感にさせていく。本稿が提唱したいのは,危機感が増幅し始めた早い段階においてエビデンスが参照されることである。事故を管理しようとする意志が多くの主体に増幅していく前に,「決定」の大きな権力を有する教育行政が,エビデンスにもとづいた「決定」をなすべきである。
著者
吉田 美穂
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.81, pp.89-109, 2007
被引用文献数
3

This paper examines the control system of secondary schools and teachersʼ survival strategies in the 2000s, a time known as an era of accountability, through an ethnography of a low-ranked high school in the metropolitan area.<BR><BR>Student guidance and maintaining school order are important tasks for Japanese teachers. The culture of administration in secondary education has changed over time. In the late 1990s, a "counseling mentality" and "internal understanding" were emphasized in student guidance rather than administering the exterior aspect of students, under the system of "<i>kanri kyoiku</i>", until the 1980s. Earlier papers indicate that there was a process of "consummatorization of schooling." How, then, is order maintained in schools in the 2000s? The main data for this paper were gathered from April 2005 to August 2006.<BR><BR>Participatory observation and interviews were carried out to describe the control system under which teachers avoided conflict with students. For example, teachers kept discipline indirectly by recording absence times in five-minute units. The maximum period of absence for receiving credits for the class was made known to students who were considered problematic and who tended to miss class. Some inappropriate behaviors, such as failing to wear the school uniform and eating in class, were also dealt with as absent time. In this way, teachers were able to keep their classes in order and avoid conflicts with students. Teachers often behaved gently and kindly, supporting the students under the assumption of this count system. In this paper, this behavior by teachers is called "Osewa mode," with <I>osewa</I> meaning "caring" in Japanese. The teachers used this strategy to conceal their authority to set rules and to keep order in a way that avoided conflicts with students. They soothed students with gentle behavior and familiar words. They often directed studentsʼ attention to the absent time count and advised them to attend classes with a proper attitude. This strategy was transmitted to other teachers through group interactions. The school kept order through a "Control system to avoid conflict with students" and the "Osewa Mode," which is an individual strategy based on that system. On the other hand, this system and strategy fits well into an era of accountability. Teachers often gave notification to parents of the numerical value of the absent time count. This made it easy for teachers to justify their treatment of students to their parents.<BR><BR>Teachersʼ culture differs by regions. Therefore, there are some limits to the usefulness of the descriptions in this paper, as they would differ in different teachersʼ cultures in rural areas. However, the metropolitan area tends to lead in the areas of accountability, loss of teachersʼ authority and "consumerization ofschooling." Thus, the "Osewa Mode" and "Control system to avoid conflict with students" in this ethnography in the metropolitan area may show important characteristics of teachersʼ culture in the 2000s.
著者
仁平 典宏
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.175-196, 2015-05-29 (Released:2016-07-19)
参考文献数
42
被引用文献数
1

20世紀後半から進行する福祉国家の再編にともない,社会保障制度は,教育や訓練を通じて雇用可能性を高めることを目指すワークフェアとしての性格を持つようになってきた。このワークフェアは社会的排除を改善するベクトルと悪化させるベクトルを孕む。本稿の目的は,その分岐の条件を,主にイギリスのニューレイバーの「第三の道」の社会政策の検討を通じて,導出することである。 ニューレイバーは,人的資本への社会的投資を通じた社会的包摂政策を掲げ,子どもの貧困や若年失業の改善に取り組んできた。それらは一定の成果を上げたと評価される一方で,批判的社会政策論からは,むしろそれが貧困家庭や脆弱性のある若者に対する抑圧や排除を深刻化させたと批判されている。問題の所在は,第三の道のワークフェアが,社会構造の転換によってではなく,個人のハビトゥスの矯正によって社会的排除に対応するように仕向ける統治性として性格をもっていた点にある。 以上を踏まえて,社会的排除を避ける方向性が,福祉国家レジーム論や生産レジーム論の知見も参照しつつ,教育の内部と外部においてそれぞれ示される。ワークフェアは――教育と同様――成功可能性が確率に委ねられるゲームとしての側面を幾重にも有している。よって社会的排除を回避する掛金は,ワークフェアへの参加/離脱の前提として,無条件で普遍主義的な社会権保障を論理的かつ制度的に先行させることにある。
著者
武石 典史
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.25-45, 2010-11-30

教育社会学的な歴史研究は,官僚群との対立や青年将校運動といった昭和陸軍の動きを,「陸軍将校=農業層」「帝大生・官僚=新中間層」という階層的差異をもとに葛藤モデルから論じてきている。しかし,そこでは陸軍将校の有力構成員たる陸幼組は分析対象から捨象されがちだった。本稿は,陸軍将校を「陸幼組/中学組」という二つの集団に分けつつ,その選抜,学歴キャリア,昇進の諸構造を検討したうえで,昭和陸軍の動向に考察を加えるものである。陸軍将校を構成する陸幼組と中学組は社会的背景の重なりは小さかった。また,前者が陸士,陸大の成績が良かったゆえ,昇進でも(農業出身の多い)後者より優勢だった。すなわち,学歴・成績主義を原理に形成される将校集団の構造は,上層において農業色が弱化し都会色が強まるという傾向を帯びていたのである。大正後期以降の政治的変化のなかで,陸軍は自己益と国益を,統帥権という威力に拠って重ね合わせていこうとする。統帥権の顕在化,および軍事専門職としての強い自覚を促すという,新たな社会状況のなかで始動した昭和陸軍の主力は,農業出身層ではなく,二・三代目の武官たちであり,官・軍エリートの衝突もこの文脈で把握されるべきだと思われる。確かに,農業層出身の陸軍将校は少なくなかった。しかし,彼らは昇進構造において傍流に位置し,影響力をもちえなかったのである。
著者
友田 泰正
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.185-195, 1970-10-10

The problem of this article is to determine the regional differences in college enrollment ratio and to explore the determinants of these differences. The determination of the college enrollment ratio in each prefecture is not easy because the data on the exact number of re-enrollment and on the statistical universe in each prefecture are not available. In this article, I tried to determine the college enrollment (and application) ratio by including the number of re-enrollment as far as the data are available and by defining the junior high school graduates of 1964 (and 1965) as a statistical universe. There is a large variability in application ratio from 43% of Tokyo to 11% of Aomori. Generally, highly urbanized prefectures such as Tokyo, Kanagawa, Aichi, Nara, Kyoto, Hyogo, Kagawa, and Hiroshima are high in the ratio. There is also a variability in the college enrollment ratio from 39% of Tokyo to 11% of Aomori. In order to explore the determinants of these regional differences, the following six factors were employed as independent variables: (a) proportion of administrative, managerial, and professional workers; (b) proportion of non-agricultural workers; (c) proportion of senior high school or college graduates; (d) per capita income; (e) proportion of urban population; (f) dispersion of college campuses. Pearson's Product Moment Correlation Coefficients were computed. Results showed very high correlation coefficients: for instance, for four-year college application ratio, 0.9132 with (c); 0.9012 with (a); 0.8835 with (d); 0.8668 with (b).
著者
山口 毅
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.106, pp.99-120, 2020-05-30 (Released:2022-03-31)
参考文献数
38

本稿は,逸脱のラベリングを索出して他の選択肢との間で規範的な比較考察を行なうプログラムとして逸脱の政治パースペクティヴを構想し,教育社会学のありようを検討する。 格差の拡大や貧困化が進む第2の近代(後期近代)においては,「まともに生きていける」最低限の生活を人々に保障する「生存保障」の課題が浮上する。教育社会学は,生存保障の課題に取り組みながらもディシプリンの主要概念である「社会化」と「選抜・配分」に焦点を置くことで,逸脱のラベリングに伴うマッチポンプ図式を作り上げてしまう。マッチポンプ図式とは,能力欠如という逸脱のラベルを人々に貼りながら,能力付与を通じた生存保障を図る図式である。そこでは脱逸脱化(=能力獲得)は個人の変化に委ねられているため,その論理構成上,能力を身につけるという個人の変化を保障の条件とする「条件付き」生存保障とならざるをえない。したがって必然的に選別を伴い,普遍的な生存保障の課題と矛盾する。 以上の欠陥を指摘した後で本稿は,経済的な次元では端的な再分配を,文化的な次元では能力カテゴリーを流動化して問題を公共化する実践をオルタナティヴとして提示する。そして結論として,教育社会学は生存保障への取り組みを放棄して社会化と選抜・配分概念を守るか,生存保障への取り組みを維持して社会化と選抜・配分概念を放棄するかの選択を迫られることになると論じる。
著者
元森絵里子
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.90, pp.25-41, 2012-06-15 (Released:2013-06-17)
参考文献数
30

近年,行為と責任の主体としての「子ども」という問題系が浮上している。 しかし,これを,近代になって誕生した保護と教育の客体としての「子ども」という観念の揺らぎや「子ども期の消滅」と読み解くことは妥当だろうか。本稿は,明治以降の歴史にさかのぼって,教育を中心とする諸制度の連関の中で,「子ども」という制度がどう成立してきたか,少年司法ではどうであったかを整理し,「子ども」観の現代的な効果を考察する。 明治後半から大正後半にかけて,年少者を教育に囲い込み,こぼれ落ちた層に少年司法や児童福祉で対応していくという諸制度の連関が形成されていく。「子ども」は「大人」とは異なるものの自ら内省する主体とみなされ,そのような「子ども」を観察し導くのが教育とされ,尊重か統制か,保護か教育かといった議論が繰り返されるようになる。少年司法では,旧少年法以降,「大人」とは異なった,責任・処罰と保護・教育を両立させた「少年」の処遇が導入され,保護主義か責任主義かという議論が繰り返されるようになる。 近年,「子ども」をめぐる議論が高まっているにしても,少年法の改定は繰り返される議論の範囲内であるし,少年司法改革や教育改革は行われても,それ自体を解体する動きはない。したがって,社会の「子ども」への不安が,過剰な社会防衛意識につながったり,各現場の「大人」の息苦しさを帰結したりしない仕組みづくりこそが重要であろう。
著者
栗原 和樹
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.207-226, 2021-07-07 (Released:2023-04-08)
参考文献数
27

本研究の目的は,小学校の教師へのインタビューデータから,教師が貧困概念をどのように用いているのか,その実践がどのような職業規範の運用のもとで可能になっているのかを明らかにすることである。 「貧困と教育」研究は,貧困層の子どもが学校から排除される様相を明らかにしてきた。その中で,教師には貧困を認識することが求められる傾向にあるが,教師の視点から,「貧困」がどのような概念であるのかは看過されてきた。そこで本研究では「概念分析の社会学」の視角から,貧困概念の運用のあり方とそこで用いられている職業規範を検討した。 分析結果は次の通りである。教師は,貧困を「遠く」のものとして説明することに加えて,貧困の要件を「貧」と「困」の重なりとし,「困」ではないと説明することで,スティグマを付与する貧困概念の使用を回避していた。そして,貧困概念は教師の実践と規範的な連関を持たず,その説明は教師の職業規範である「困」への焦点化規範の参照によりなされていた。さらに「困」への焦点化規範の参照により,貧困概念は教師にとって自身の職務の〈限定〉及び〈免責〉の機能を持つ概念として使用されていることを明らかにした。 以上の結果から,本稿では教師に対して貧困を理解することを求めることが,貧困層の特別な処遇にはつながらないことを指摘した。また今後は貧困と他の概念の諸関係をより詳らかにしていくことの必要性を提示した。