著者
猿渡 隆夫
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-19

1.予測方法 多くの地震を解析した結果、台風が温帯低気圧になる時や低気圧が発達する時、激しい下降気流が発生し、地面・水面に当たった地点で、数か月後、地震が発生していることが分かった。下降気流が当たった地点では、最大瞬間風速の増加が認められた。また衛星画像では、雲の無い領域として写っていることが分かった。1)数ヶ月から数年ぶりの最大瞬間風速が記録された地点で地震発生の可能性が高い。2)地震の大きさは、強風域の幅または雲の無い領域の幅が震源域の幅と一致することから、推測できる。3)強風日から1週間から7ヶ月後位に地震が発生する。4)震央近傍の風向が、メカニズム解の軸と一致する。2.予測方法の実証 2010年地震学会で予測方法を発表以降、2011東北沖地震など、多くの予測例・解析例があり、この予測方法が実証されたと考えている。3.2016年4月7日の発達した低気圧からの地震予測 前線を伴った低気圧が日本海を進み、東北付近を通過して、夜には三陸沖へ。全国的に雨となり、西日本や東日本で南寄りの風が強く吹いた。 熊本県阿蘇山では午前09:53に最大瞬間風速43.9メートル(南南西の風)(2007年以来9年ぶり)が観測された。また、長崎県では、長崎で最大瞬間風速29.3メートル(南風)、雲仙岳で35.2m/s(南西の風)が観測された。4月1位の記録が更新された。 予測方法に基づき、雲仙岳から阿蘇山付近にかけて地震の可能性があると予測された。発生時期は1週間後から7か月後と予測され、7日後に発生した。4.2016年熊本地震4月14日 21時26分 熊本県熊本地方 M6.5 4月16日 01時25分 熊本県熊本地方 M7.3 5.詳細解析と結論 別表・別図に気象庁の熊本県・大分県の全観測地点の4月7日の最大瞬間風速を示した。赤字は最大瞬間風速が高い地点である。別図の赤枠は、気象庁作成の震央分布図の枠である。阿蘇山の南西から北東にかけて、最大瞬間風速が周辺と比べて高い領域がある。この領域は、別図に示した気象庁作成の震央分布図(赤枠)とほぼ一致している。すなわち、他の多くの地震同様、地震発生前の最大瞬間風速等から、地震の発生場所と地震の大きさを予測することができる。 マントル対流や活断層が地震の原因ではなく、下降気流の強風が地震の原因と考えるべきである。 参考文献1. http://www2.jpgu.org/meeting/2011/yokou/MIS036-P85.pdf2. http://www2.jpgu.org/meeting/2015/PDF2015/S-CG56_P.pdf
著者
酒井 健吾 長谷川 宏一 泉 岳樹 松山 洋
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

1. はじめに近年,小型の無人航空機(UAV; Unmanned Aerial Vehicle)を用いて撮影した複数の画像から地表面の三次元データを作成する手法が注目されている。UAVを用いてステレオペア画像を撮影し,SfM(Structure from Motion)ソフトウェアで処理すると,対象物の三次元点群データ,三次元モデルを作成することができる。さらに,この三次元モデルから,空間解像度数cmのオルソモザイク画像や数値表層モデル(DSM; Digital Surface Model)を得ることもできる。これらは条件によってはレーザ計測と同等の精度が得られるという報告がある(小花和ほか,2014)。一方,植生を対象とした場合,精度が落ちるという報告もされている(Harwin and Lucieer,2012)。これは,画像の解像度が十分でないこと,風により植生が動いてしまうこと,影になっている部分が再現されにくいことなどが原因として挙げられる。そこで本研究では,直下視画像に加えて,斜め視画像を加えてSFMで処理を行うことで,森林樹冠のDSM作成を試み,その再現精度の検証を行った。2. 研究手法対象地域は八ヶ岳南麓のカラマツ林(緯度35° 54' 34''N , 経度138° 20' 06''E)であり,2015年7月にUAVを用いて樹冠上から空撮を行った。機材にはK4R(K&S社)を使用した。K4Rは電動マルチコプタ(クワッドコプタ)であり,飛行にはGround Station(DJI社)の自律航行機能を利用した。UAVにコンパクトデジタルカメラGR(RICOH社)を搭載し,1秒間隔で写真を撮影した。K4Rのジンバルは角度を変えることができるため,直下方向に加えて前後方45°の撮影も行った。飛行方向は東西方向であり,約9,000m2の範囲に対し合計823枚の画像を取得した。次に,撮影したステレオペア画像を,SfMソフトウェアPhotoScan(Agisoft社)を用いて処理を行い,三次元点群データ,三次元モデルを作成した上で,オルソモザイク画像・DSMを作成した。これらの処理を,約250m2の範囲に対し,(1)対地高度100mから撮影した直下視画像70枚のみ,(2)(1)に,対地高度50mから撮影した直下視画像54枚を追加(3)(1)に,対地高度50mから撮影した斜め視画像54枚を追加という3パターンの画像を元に解析を行い,作成したDSMの再現性を比較した。3. 結果と考察3つのパターンで,空間解像度2~2.5cmのDSMを作成することができた。(1)では実際にギャップになっている部分もモザイクをかけたように,凹凸の少ない平坦な形状として表現されてしまった部分があった。一方,(2)や(3)にもこのような部分はあったが,(1)のものよりは少ないことが確認できた。三次元点群データを上空方向から見たときの画像で,点群がない部分(三次元形状が復元されていない部分)の面積割合を求めたところ,(1)では17.5%,(2)では12.8%,(3)では9.7%となり,直下視画像を加えた場合よりも,斜め視画像を加えた場合の方が,三次元点群データして再現された割合が多いことがわかった。この結果から,直下視画像に斜め視画像を加えることで,特にギャップなど直下視のみでは影になる部分の再現精度が上がる事が明らかになった。同じ枚数の直下視画像を加えた場合よりも再現度の向上率は高く,斜め視画像を加えたことによる効果の高さを示した。UAVとSfMソフトウェアによってDSMを作成する場合,UAV飛行のコストとリスクを減らし,処理時間を短縮するためにも,より少ない撮影回数,総飛行時間で必要なデータを取得する事が求められる。本研究はそのためのひとつの知見となることが期待される。今後の課題としては,精度のチェック,解像度の向上,斜め視画像の角度・方向の検討などが挙げられる。4. 参考文献小花和宏之,早川裕弌,齋藤 仁,ゴメスクリストファー : UAV-SfM手法と地上レーザ測量により得られたDSMの比較, 写真測量とリモートセンシング, 53, pp.67-74, 2014.Harwin, S. and Lucieer, A.: Assessing the accuracy of georeferenced point clouds produced via Multi-View Stereopsis from Unmanned Aerial Vehicle (UAV) imagery, Remote Sensing, 4, pp.1573-1599, 2012.
著者
鈴木 敬子 石川 剛
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

数値標高モデル(DEM)から作成した陰影起伏図は,地形の視認性に優れ,地図の背景にも適した地形表現の一種である.しかし,陰影は光源設定や標高値の強調率に依存し,微地形や複雑な地形を正確に描くことは不可能であった.本研究では,陰影起伏図において光源が与える影響と,斜面方位に応じた陰影の濃度分布に着目し,起伏の規模に関わらず総ての地形が表され,かつ,地図の背景として適した陰影起伏表現の作成を試みた.まず,地形に複数の光源を設定し,最適な光源分布を検討した.複数光源では,全ての斜面に光量と濃度が異なる陰影が与えられ,方向依存性を軽減できるものの,極めて小さな起伏の表現が難しい.そこで,新たに陰影の不足箇所の抽出と補間方法を検討した.その結果,水平方向からの適切な光量と,それらと直交する方向のうち第3,4象限における方位クラスタリング処理から濃度を動的に変化させた陰影を合成することで,従来は表現不可能であった大小の地形が明瞭に描かれることを確認した.本手法による地形の陰影表現は適度な過高感を持ち,任意の色調の段彩と合成しても違和感が少なく,背景図としても利用可能であると考えられる.
著者
林 衛
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

自然にはたらきかけ,自然を改変しながら進化的適応をはたしてきた人間やその営みを理解するためには,はたらきかけの対象である自然環境の理解が欠かせない。自然環境の理解は,人間やその営みの限界(ポジティブな表現では到達点)や矛盾を照らし出すはたらきをもっている。地球惑星科学の探究者はしばしば,その最先端にいてそれら限界や矛盾にいちはやく気づける。 社会の代表者として探究をしている科学研究者ならではの役割は,市民社会の構成員であるほかの主権者(市民)と共有を図ることにある。しかし,地球惑星科学によって得られる知見や批判的思考力はしばしば「抑制」され,活用されず,学問が軽視あるいはねじ曲げられる状況が放置され,自然災害や原発震災の原因となってきた。 「御用学者」問題発生に通ずる科学リテラシーや批判的思考力の「抑制」とその克服の道筋を,認知科学的な「共感」と理性のはたらかせ方のメタ認知から始まる人の「倫理」の視点から考察する。
著者
中村 淳路 Boes Evelien Brückner Helmut De Batist Marc 藤原 治 Garrett Edmund Heyvaert Vanessa Hubert-Ferrari Aurelia Lamair Laura 宮入 陽介 オブラクタ スティーブン 宍倉 正展 山本 真也 横山 祐典 The QuakeRecNankai team
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

Great earthquakes have repeatedly occurred along the Nankai Trough, the subduction zone that lies south of Japan’s heavily industrialized southern coastline. While historical records and geological evidence have revealed spatial distribution of paleo-earthquakes, the temporal variation of the rupture zone is still under debate, in part due to its segmented behavior. Here we explore the potential of the sediment records from Lake Hamana and Fuji Five Lakes as new coherent time series of great earthquakes within the framework of the QuakeRecNankai project.We obtained pilot gravity cores form Lake Hamana and the Fuji lakes Motosu, Sai, Kawaguchi, and Yamanaka in 2014. In order to image the lateral changes of the event deposits, we also conducted reflection-seismic survey. Based on these results, potential coring sites were determined and then 3–10 m long piston cores were recovered from several sites in each lake in 2015. The cores consist of 2 m long sections with 1 m overlaps between the sections allowing us to reconstruct continuous records of tsunamis and paleo-earthquakes. In this presentation we introduce the progress of QuakeRecNankai project and discuss the potential of the lakes as Late Pleistocene and Holocene archives of tsunamis and paleo-earthquakes.
著者
広井 良美 宮本 毅
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

発泡破砕した珪長質マグマが外来水と接触するようなマグマ水蒸気噴火の噴火様式として,水蒸気プリニー式噴火がある.水蒸気プリニー式噴火はこれまで有史における観測例がなく,その噴火様式は噴出物の特徴のみから判断されており,その代表的な特徴として細粒本質物質に富むことが挙げられる.この細粒粒子の起源には,マグマと外来水の接触による水冷破砕(Houghton et al.,2000)や,マグマ水蒸気爆発による爆発破砕(Self and Sparks,1978)等が考えられてきた.しかし,マグマ-水接触実験(広井・宮本,2012)及び噴出物の全粒度分析(広井・宮本,2015)から噴出物の水冷破砕及びマグマ水蒸気爆発の発生と細粒化は生じておらず,水蒸気プリニー式噴火噴出物の特徴は液相水の凝集効果によってもたらされている(Self and Sparks,1978)ことが明らかになった. 一般に,噴火形態はマグマ-水比によって決定されると考えられており,マグマに関与する外来水が少量である場合にはマグマ噴火が発生するとされている(Wohletz and Heiken,1984).Koyaguchi and Woods(1996)ではプリニー式噴火で形成される噴煙柱に対する外来水の影響をシミュレーションし,約30wt%の外来水が取り込まれても噴煙柱は湿潤な状態で維持されることを示している.水蒸気プリニー式噴火においても噴煙柱が形成されると考えられている事から,プリニー式噴火と水蒸気プリニー式噴火の境界はこの噴煙柱への外来水の取り込み量上にあると考える事ができる.これを踏まえ,本研究では両噴火様式に対する外来水の影響を考察する. 十和田火山の最新の活動である平安噴火は,二重カルデラ湖の内カルデラ湖を給源とし潤沢な外来水の存在下で一連の活動を生じている.最初の噴出物ユニットOYU-1は外来水との接触を伴うなかで噴出しているが,層相,淘汰度や破砕・分散度等の噴出物の特徴からプリニー式噴火に分類される(広井ほか,2015).このOYU-1にはカリフラワー状軽石(Heiken,2006)が含まれているが,世界中で数多くプリニー式噴火の報告例がある中,カリフラワー状軽石の報告例は少ない(例えば,Arana-Salinas et al.,2010).また十和田火山においても給源を同じくする過去のプリニー式噴火噴出物中には含まれていない等,カリフラワー状軽石の形成には普遍的かつ一般的に存在する帯水層よりも多量の外来水を要することが示唆される.しかし,この多量の外来水の存在下でOYU-1がプリニー式噴火を生じていることは,外来水との接触が生じていても,噴煙柱内に取り込まれる外来水の量が多くならなければ水蒸気プリニー式噴火は生じないことを示している. 平安噴火はその後OYU-1に続き水蒸気プリニー式噴火ユニットOYU-2へと推移する.OYU-2はベースサージを主体とするが,多量の細粒本質物質を含み,vesiculated tuffを形成している等,水蒸気プリニー式噴火噴出物の特徴に一致する(広井ほか,2015).OYU-2はOYU-1よりも噴出率が増大している可能性があり,マグマ-水比は不利となるにも関わらずマグマ水蒸気噴火への推移が生じている.このとき,OYU-1からOYU-2にかけては外来水と接触する以前の本質物質の気泡成長度が連続的に上昇しており,気泡成長度の上昇によってマグマから外来水への熱伝達効率が上昇していると考えられる(広井・宮本,2011).熱伝達効率が上昇するとより多くの外来水が急熱され蒸気となり,噴煙柱内に取り込まれるため,外来水を多く含んだ噴煙柱を形成する水蒸気プリニー式噴火の発生にきわめて有効に作用すると考えられる.一方で,多くの水蒸気プリニー式噴火噴出物中に高気泡成長度を示す板状火山ガラスが顕著である(Heiken and Wohlets,1985).これもまた,水蒸気プリニー式噴火の発生に気泡成長度が大きく寄与していることを示唆する. 発泡破砕した珪長質マグマが外来水と接触しても,一般的にはプリニー式噴火を生じ,外来水の量が多い場合には噴出物中にカリフラワー状軽石が含まれる.この十分量の外来水の存在に加え,噴出物の気泡成長度が高い場合にのみ,十分な熱伝達効率を得て多量の外来水を気化し,水蒸気プリニー式噴火が発生し得ると考えられる.以上より,本研究では従来の一般的な認識と異なり,外来水の関与のあるプリニー式噴火がごく一般的に起こり得る噴火様式であること,水蒸気プリニー式噴火はマグマ水蒸気爆発及び水冷破砕による細粒化を伴わずプリニー式噴火と同様の初期条件を持ち,十分量の外来水と十分な気泡成長度とが確保された場合にのみ多量の外来水を気化する能力を得て発生するものであることを主張する.
著者
梶野 瑞王 石塚 正秀 五十嵐 康人 北 和之 吉川 知里 稲津 將
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

はじめに2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴い大気中に放出された放射性Csは、東北・関東地方において広範囲に沈着した。事故約1年半後の2012年12月以来、避難指示区域内に位置する福島県浪江町・浪江高校津島分校の校庭において、放射性Csの大気濃度の長期間変動と、陸面に沈着した放射性Csの再飛散を評価するために、連続観測が行われて来た。本研究では、約30年と半減期の長い137Csを対象として、再飛散モジュールを実装した3次元物質輸送モデルと、避難指示区域内(浪江高校)と区域外(茨城県つくば市)の2地点の長期間大気濃度観測結果を用いて、東北・関東地方における再飛散を伴う137Csの収支解析を行った。期間は2012年12月から2013年12月までの約1年間を対象とした。手法モデル:ラグランジュ型移流拡散モデル(梶野ら, 2014)を用いた。気象庁メソ解析データ(GPV-MSM)を用いて、放射性物質の放出、輸送、沈着、反応、放射性壊変を解く。土壌からの再飛散は、浪江高校校庭におけるダストフラックス観測に基づいて開発された再飛散モジュール(Ishizuka et al., 2016)を用いた。植生からの再飛散については、メカニズムが明らかになっていないため、放出率は一定として137Csの航空機モニタリング結果による地表面沈着量(減衰率は放射性壊変のみ考慮)と森林面積および植物活性の指標としてGreen Fraction(Chen and Dudhia, 2001)を掛け合わせたものを用いた。観測:大気濃度は、浪江高校校庭および茨城県つくば市の気象研観測露場(Igarashi et al., 2015)でハイボリウムエアサンプラーを用いて捕集されたエアロゾル中の137Cs濃度の測定値を用いた。サンプリングの時間間隔はそれぞれ、浪江高校は1日間、気象研は1週間である。結果浪江における137Cs濃度は、冬に低く(0.1 – 1 mBq/m3)夏に高い(~1 mBq/m3)傾向が見られ、つくばにおける濃度(0.01-0.1 mBq/m3)に比べて1桁程度高かった。モデルにより計算された2地点間の濃度比は、観測の濃度比と整合的であった。土壌からの再飛散は、逆に冬に高く夏に低くなる傾向があり、絶対値は冬季の浪江の観測値を説明できるレベルであるが、夏季の濃度ピークを1-2桁程度過小評価した。解析期間中の原子炉建屋からの放出量は約106 Bq/hr程度(TEPCO, 2013など)であり、浪江の観測値を説明できるレベルではなかった(2-3桁程度過小評価)。植生からの再飛散計算結果は、浪江の季節変動をよく再現し、10-7 /hrの放出率を仮定すると、観測濃度の絶対値と同レベルとなった。依然、事故から5年が経過した現在でも再飛散のメカニズムは明らかにされておらず、観測・実験に基づいたメカニズムの解明研究の発展が望まれる。参考文献Chen and Dudhia, Monthly Weather Review, 129, 569-585, 2001.Igarashi et al., Progress in Earth and Planetary Science, 2:44, 2015.Ishizuka et al. Journal of Environmental Radioactivity, 2016, in press.梶野ら, 天気, 61, 79-86, 2014.TEPCO, 2014 原子炉建屋からの追加的放出量の評価結果(平成26年3月)
著者
島崎 邦彦
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

日本海西部(能登半島以西)の「最大クラス」津波の断層モデル(国交省, 2014)は、過小評価であり再検討が必要である(島崎, JpGU, 2015)。過小評価の原因は、入倉・三宅式(2001)にある。この式は断層面積から地震モーメントを推定する際に用いられるが、西日本に多く分布する、上部地殻を断ち切るような高角の断層では地震モーメントが過小評価となる。長さが同じ断層で比べると、低角の断層に比べて高角の断層では、断層面積が小さく、地震モーメントや、ずれの量の平均値が小さくなる。島崎(JpGU, 2015)は過小となる理由として次の二つをあげた。1. 断層の長さや面積などの断層パラメターは、地震発生後に得られるものであって、事前に推定できる値とは異なり、大きくなることが多い。2. 断層の幅を14kmと固定した場合、入倉・三宅式を変形して得られる式(地震モーメントが断層長さの二乗に比例する式)の係数が、武村式(1998)や山中・島崎式(1990)の係数の1/4程度となる。本講演では、2.をさらに検討した。すなわち、静的変形の実測値が、入倉・三宅式を用いた断層モデルで説明可能かどうかを調べた。測量によって地震時の静的変形が観測されている1927年北丹後地震、1930年北伊豆地震、1943年鳥取地震について、既存の断層面積の推定値(Abe, 1978; Kanamori, 1973)から、入倉・三宅式を用いて平均的なずれの量を求め、これから推定される変形が実測値と調和的かどうかを検討した。その結果、入倉・三宅式では実測値の1/4以下の変形しか説明できないことがわかった。以上から、次のように結論することができる。日本の上部地殻を断ち切るような高角の断層で発生する大地震の地震モーメントの推定には入倉・三宅式を用いるべきではない。
著者
大木 聖子 白木 千陽
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

「地震」や「活断層」という言葉を社会的に捉えると,マイナスイメージが先行していると言わざるを得ないだろう.地震は被害をもたらして人々の生活を不便にしたり,大切な人の命を奪ったりする.2011年3月11日の東日本大震災以降は,活断層という言葉で原子力発電所やそれがもたらす深刻な事故を思い浮かべる人も多いだろう.しかし地球科学的な観点から捉えれば,地震による隆起は土地を生み出して私たちに生活の場を与えてくれているし,活断層による地殻変動の積み重ねが日本の美しい景色の根幹にもなっている.地表地震断層は端的に地球のダイナミックさを語り,地球の活動である地震と私たちの生活との折り合いの付け方を再考する機会を提供しているとも言える.このような場のひとつとして,地表地震断層の保存公園や保存館がある.断層保存の学術的・社会的重要性については地震発生直後から多くの研究者が指摘して働きかけるが,その維持管理には担当する行政部署や運営受託組織,被災者でもある住民など複雑なステークホルダーが関与している.本発表では,著者らが巡検した丹那断層と野島断層のそれぞれにおける保存の経緯と維持管理のあり方を比較し,今後の地表地震断層保存のための一助としたい.丹那断層は箱根芦ノ湖から伊豆市の修善寺まで約30km続く北伊豆断層帯の代表的な活断層である.1930年11月26日に発生した北伊豆地震(Mw6.9)によって,震央である函南町に地表地震断層が現れた.これを保存する丹那断層公園には,左横ずれ断層を象徴する庭石や断層側面を直接観察できる地下観察室があり,近隣の火雷神社には鳥居と階段と神殿がずれているまま保存されている.いずれも手入れが行き届いており,良い保存状態で維持されている.丹那断層公園設立までの経緯を調べてみると,地震発生から5年後の1935年には地表地震断層が国指定の天然記念物となっており,翌年には国庫補助金で指定地を公有化して囲柵で保存している.断層跡が次第にわかりにくくなっていくため,1992年には丹那断層保存整備委員会を組織して,断層を公園として整備する作業が行われた.2011年には伊豆半島ジオパーク推進協議会が設立され,2012年には日本ジオパークに認定されている.断層の管理については函南町教育委員会生涯学習課が,ジオパークに関することは函南町観光部局農林商工課が担当しており,丹那断層公園の維持管理については両者が協力している.維持管理に関する当面の問題点としては,観察面保存のための樹脂コーティングの予算獲得が難しいことと,断層観察面の劣化による剥落やコケ類の除去作業などである.一方,野島断層は1995年1月17日の兵庫県南部地震(Mw6.9)で一部が地表地震断層となって現れた.調査に訪れた研究者らの保存に向けた動きは早く,地震発生4日後には,逆断層の上盤側が雨などによって崩落しないようにと主要部分をビニールシートで覆うなどの応急処置が施された.また同月末には天然記念物として保存してはどうかという研究者からの要望が当時の北淡町(現淡路市)に届けられ,それを受ける形で町長が野島断層保存の意向を発表している.1995年から1996年にかけて野島断層保存検討委員会が設置され,1997年には野島断層活用委員会と名称変更をして,今も野島断層に関する検討を重ねている.この委員会により,まず1996年に兵庫県および北淡町の企画部局主導で公園設置事業に伴う保存施設の設置の動きが始まり,1998年には保存施設を含む北淡町震災記念公園が完成,1999年にメモリアルハウスや震災モニュメントが公開された.現在は教育委員会が維持管理にあたっている.設立当初は年間30万人の入館者を想定していたが,実際には82万人が訪れた.しかしその後は入館者数が減少し,2015年度は17万人余りである.その原因のひとつとしてアクセスの悪さが挙げられる.設立当初は野島断層保存館に徒歩圏内の富島港へ明石港からの高速艇が定期運行していたり,岩屋港からの定期路線バスが運行されていたりしたが,利用者の減少に伴ってどちらも廃止されている.これに加えて,逆断層であるため上盤側の管理が困難であることや,学芸員が不在であること,産業振興課などの観光に関わる管轄が運営に協力する体制になっていないことなども原因として挙げられるだろう.本発表では,両断層保存施設の設立経緯と管理体制の比較から今後のより良い管理維持のあり方を再考するとともに,さまざまな困難を乗り越えて存在している現在の地球科学関連施設の尊さを再認識する機会を提供したい.
著者
新妻 信明
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

半世紀前に確立したプレートテクトニクスは,中央海嶺における海洋プレートの拡大を定量的に記述することに成功した.しかし,拡大した海洋プレートの沈込については定性的な推定の域(「海洋底拡大説」の域)を脱するに到っていない.変形しなければ海洋プレートは沈込めないので,プレートテクトニクスの中心教義「変形しないプレート」を放棄しなければならない.海溝周辺の活発な地震活動は,海溝に沿って海洋プレートが沈込でいることに対応している.東日本大震災以後の地震活動は,太平洋プレートが海溝に沿って同心円状屈曲して沈込み,平面化して和達の深発地震面に連続していることを示している.プレートテクトニクスを海洋プレートに連続するスラブへ拡張するために,以下の仮定に限定して中心教義「変形しないプレート」を解除し,定量化する.1)海溝軸は屈曲しており,日本海溝については北から襟裳・最上・鹿島と名付けた小円に沿う円弧をなしている.2)オイラー回転する海洋プレートに連続するスラブ上の点は地心から見て同一オイラー緯線に沿って移動する.3)オイラー回転によるスラブ上面に沿うの移動距離は海洋プレートの移動距離に等しく,地心から見たスラブ上の点の移動速度はスラブ傾斜に応じて海洋プレート上の点よりも遅い.4)スラブ上面深度は海溝軸小円心からの距離によって決定される.小円心はスラブ上面深度断面の回転対称軸になる.5)海洋プレートは海溝に沿って同心円状屈曲し,平面化角Apに達すると平面化して深発地震面に接続する(付図).各小円についての同心円状屈曲半径や平面化角などの係数は地震活動に基づき決定する.これらの仮定のもとに,日本海溝に沿って沈込む太平洋スラブの運動を約10km間隔で0.125my毎に算出し,気象庁の初動発震機構解とCMT発震機構解を比較解析した.気象庁の地震計網から外れている日本海溝域の震源を海底地震計によって決定された震源(Shinohara et al., 2011, 2012; Obana et al., 2011, 2012,2013)と比較したところ,気象庁のCMT解の初動震源深度が深目に出ているが,震央分布に問題ないことが確認された.深海底面上の点と海底面下5kmの点との距離は,海洋プレートが移動しても5kmと一定であるが,海溝に沿って同心円状屈曲すると屈曲半径の小さい深度5kmの点が先行し,距離が増大する.5%の5.25kmに達する位置は日本海溝側の海岸線に沿っており,屈曲スラブの平面化に伴う地震活動と対応している.スラブが日本列島下を通過して日本海側に到るとその距離は10%以上に増大し,5.5km以上になる.スラブ表層5kmでもこれだけ大きな変形をもたらす沈込は,日本列島下のマントルへ更に大きなの影響を与え,日本列島の大地形形成に関与していることを示唆している.海洋プレート運動方向のオイラー緯線に直交するオイラー経線に沿って並ぶ点の間の併進距離は,海洋プレート上では一定であるが,スラブ沈込に伴うスラブ上面深度差によって変動する.小円心が島弧側に位置する場合には併進距離が増大,海洋側に位置する場合には減少する.変動の細部は小円心の位置とプレート運動方位によって支配され,併進距離変動は最大±1%に達する.小円心が島弧側の最上小円区で引張応力による正断層型発震機構解が優勢で,海洋側の襟裳小円区・鹿島小円区で圧縮応力による逆断層型発震機構解が優勢であることと良く対応している.震源分布も併進距離変動と対応している.深度200km以深CMT発震機構解の地心三次元座標系における最小自乗法によって算出された襟裳・最上・鹿島小円区からの平面(Vlad面)と,日本海溝に沿うスラブ上面との交線を算出した.この交線に沿って平面化による逆断層型震源が配列することと,その日本海側でCMT震源数が急減することは,海溝に沿うスラブの同心円状屈曲とVlad面への平面化が進行していることを示している.海溝から遠くの深い位置で交わる最上小円区から沈込だVlad面にはCMT震源が分布せず,海溝近くの浅い位置で交わる襟裳・鹿島小円区から沈込だVlad面にCMT震源が分布していることは,深発地震発生過程について示唆を与える.
著者
榎戸 輝揚 湯浅 孝行 和田 有希 中澤 知洋 土屋 晴文 中野 俊男 米徳 大輔 澤野 達哉
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

日本海沿岸の冬季雷雲から 10 MeV に達するガンマ線が地上に放射されていることが観測的に知られており(Torii et al., 2002, Tsuchiya & Enoto et al., 2007)、雷雲内の強電場により電子が相対論的な領域まで加速されていると考えられている。これまでの観測では単地点の観測が多く、電子加速域の生成・成長・消失を追跡を追うことは難しかった。そこで我々は、雷雲の流れにそって複数の観測点を設けたマッピング観測を行うことで、放射の始まりと終わりを確実に捉え、ガンマ線強度やスペクトル変化を測定し、加速現象の全貌を明らかにすることを狙っている。冬季雷雲の平均的な移動速度は ∼500 m/ 分で、単点観測で数分にわたりガンマ線増大が検出されるため、およそ数 km 間隔で約 20 個ほどの観測サイトを設けることを考えている。そこで、CsI や BGO シンチレータ、プラスチックシンチレータと独自に開発した回路基板、小型のコンピュータ Raspberry Pi を組み合わせ、30 cm 立方ほどの可搬型の放射線検出器を開発し、金沢大学と金沢大学附属高校に設置して観測を開始した。個々の放射線イベントの到来時間とエネルギー、温度などの環境情報を収集してる。今後、観測地点を増やして、マッピング観測を行いたい。なお、本プロジェクトは、民間の学術系クラウドファンディングからの寄付金によるサポートも得ておこなわれた。
著者
内出 崇彦 森本 洋太 松原 正樹
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

地震波形記録は地震学における基本的なデータである。地震学者は通常、地震波形を画面や紙に描いて可視化して、そこから情報を読み取る。しかし、ほかの方法もある。地震波形を音に変換するという可聴化である。これは近年よく行われるようになってきたが、主に非専門家へのアウトリーチが目的である。われわれは、地震波の音を研究目的で利用することを試みている。一般に、時系列データを音に変換する方法には2つある。ひとつは時系列データをそのまま音響信号に見立てて再生するaudificationであり、もうひとつは瞬時周波数や振幅といったデータの特徴に応じて音を割り当てるというsonificationである。われわれは地震波形のaudificationとsonificationの手法を開発して、どのような情報が地震波可聴化音から聞き取れるかを検討した。初めに2011年東北地方太平洋沖地震を題材とした。防災科学技術研究所の強震観測網(K-NET)と強震基盤観測網(KiK-net)の地表観測点のうち116点を適当に選んで使用した。一般に、地震波記録は聴きとるには周波数が低すぎるため、audificationの場合は再生速度を上げて、周波数を可聴域に移さなければならない。116観測点の地震波形のaudificationを10倍速の再生速度で行い、それらを重ね合わせた。可聴化音は聴きとることができるが、まだ低い。可聴化音からは日本全国に地震波形が広がる様子が感じ取れる。地震波の特徴をより明らかにするために、零交差率と振幅に応じて音を割り当てるsonification手法を設計した。10倍速で再生するものとしたため、可聴化音の全長は40秒ほど聴き取りやすい長さとなった。さらに、アウトリーチ活動で利用することも考慮して、怖くない雰囲気になるように音を選んだ。全116観測点からのデータは時間同期を考量した上で、同時に再生する。Sonificationによって得られた音は、やはり全国的な地震波伝播を感じさせるものである。初めは大きく高い音であるのに対し、徐々に小さく低い音に移行していく。これは、地震波の幾何減衰や非弾性減衰の効果を反映している。可聴化音の23秒ごろ(発震時の230秒後に相当する)に、全国的な地震波伝播とは明らかに異なった高い音が聴こえた。地域ごとに可聴化を行ってこの原因を追究した結果、岐阜県飛騨地域からのものであることがわかった。この地域で動的に誘発された地震[例えば、Uchide, SSA, 2011; Miyazawa, GRL, 2011; 大見ほか, 地震, 2012]と時刻も一致する。Audificationとsonificationによって、周波数や振幅の違いや変化を多くの観測点について同時に観測することが容易になった。本研究は、巨大地震から長距離を走ってきた地震波より高い周波数の地震波を放射する動的誘発地震を検出する方法として優れていると考えられる。謝辞: 本研究では、防災科学技術研究所の強震観測網(K-NET)と強震基盤観測網(KiK-net)の地震波形記録を使用しました。
著者
服部 恭也 石川 芳治 西谷 香奈 臼井 里佳
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

2013年10月、伊豆大島では平成25年台風第26号の通過に伴う豪雨により土砂災害が発生し、甚大な被害に見舞われた。その後も降雨のたびに崩壊斜面の地表が削られ、下流の民家などにも泥水が流れてくる状況が続き、住民は不安を抱えていた。2014年11月、斜面の安定を目的として、発芽力のある外来種を含む植物(マメ科草本、ヤシャブシなど)の種子が東京都によって航空実播された。散布された植物はやがて島の自然植生に移行すると想定されているが、一部の住民からは、島内の植物に与える影響を心配する声も聞かれた。伊豆大島ジオパークでは「ありのままの変化を住民みんなで見守り、考え、納得して暮らすことが大切」と考え、住民からの参加を募り、2015年3月14日から崩壊斜面のモニタリング調査を開始した。伊豆大島ジオパーク推進委員会が中心となり、東京農工大学、環境省、大島支庁土木課の協力を得て、雨量その他の気象状況、流出土砂量、植生の回復状態の調査を1~2ヵ月毎に継続実施している。今回は、2016年3月までの1年間の調査経過・結果と、今後の課題を報告する。
著者
内出 崇彦 堀川 晴央 中井 未里 松下 レイケン 重松 紀生 安藤 亮輔 今西 和俊
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-19

2016年熊本・大分地震活動は2016年4月14日の夜(日本時間)に始まり、布田川断層帯、日奈久断層帯や火山地帯に及んだ。最初の大地震(イベント #1)は4月14日21時25分に発生したMw 6.2の地震で、その後、15日の0時03分にMw 6.0の地震(イベント #2)が起こった。最大の地震(イベント #3)はMw 7.0で、16日1時25分に発生した。個別の地震の強震動のみならず、長引く大地震、中規模地震によって、住民は苦しめられている。地震活動は、布田川断層帯・日奈久断層帯、阿蘇北部地域、別府・由布院地域と、3つの離れた場所で活発になった。本研究では、以下の問題に取り組んだ。ひとつは、なぜ断層が1つの大地震でなく、3つの別々の大地震で破壊されたのかということである。もうひとつは、なぜ地震活動に空白域が見られるかという問題である。 まず、本地震活動の震源の再決定をhypoDDプログラム(Waldhause and Ellsworth, 2000)を用いて行った。その結果、布田川・日奈久の両断層帯に対応する地下の複雑な断層形状が明らかとなり、北西傾斜の断層とほぼ垂直な断層が見つかった。イベント #1の震源はほぼ垂直な断層に、イベント #2の震源は傾斜した断層にあることがわかった。イベント #3の断層は別の垂直な断層にあり、傾斜した断層とぶつかる場所に近いことがわかった。これは発震機構の初動解にほぼ対応する。おそらく、断層形状が急激に変わるところで破壊伝播が食い止められ、それと同時に次の地震の開始にも寄与しているものと考えられる。これによって、3つの大地震が次々と起こるという結果になったと考えられる。 布田川断層と阿蘇北部の間の地震活動の空白域(「阿蘇ギャップ」と呼ぶ)はイベント #3によって破壊されたということが、国立研究開発法人 防災科学技術研究所(防災科研)の基盤強震観測網(KiK-net)のデータを用いた断層すべりインバージョン解析によって明らかになった。おそらく、イベント #3によって阿蘇ギャップが、余震が起こる余力もなくなるほど完全に破壊されたためであると考えられる。これは阿蘇山の構造に関連したものであると考えられるが、これ以上の議論のためには、詳しい構造モデルやその結果の断層挙動を調べる必要がある。 由布院では動的誘発地震が発生したことが、防災科研の強震観測網(K-NET)とKiK-netの地震波形データにハイパスフィルタをかけたデータを見ることによってわかった。動的誘発地震はよく火山地帯で発生することが知られている(例えば、Hill et al., 1993)。16 Hzのハイパスフィルタをかけた地震波形の振幅を、近くで発生したMw 5.1の地震(2016年4月16日7時11分)のものと比べることで、誘発された地震の規模をM 6台半ば程度であると見積もった。これは、合成開口レーダー「だいち2号(ALOS-2)」による干渉画像で見られる変形の長さや、イベント #3が発生した直後に地震活動が活発化した地域の長さとも調和的である。地震の動的誘発によって、由布院と阿蘇北部との間には、結果として空白域が生じたものである。 われわれのデータ解析によって、2016年熊本・大分地震活動の奇妙な振る舞いを引き起こしたメカニズムが明らかになったが、まだ多くの問題が残っている。どのようにして複雑な断層が入ったのか、阿蘇ギャップと阿蘇山との関係といった問題である。この地震によって火山活動がどのような影響を受けるかという点も注目すべきである。地震や火山による災害の推定を改善するためにも、これらの研究は重要である。 謝辞本研究では、気象庁一元化処理地震カタログの検測値を使用した。検測値には、気象庁、防災科研、九州大学が運用する地震観測点のデータを含んでいる。また、防災科研の高感度地震観測網(Hi-net)、KiK-net、K-NETの地震波形データ、F-netのモーメントテンソルカタログを使用した。Global CMTプロジェクトによるモーメントテンソルカタログも使用した。
著者
川瀬 博 松島 信一 長嶋 史明 宝 音図
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-17

今回の熊本地震における被害の発生要因を理解するため、我々は4月29日から5月1日にかけて、益城町および西原村において、被害状況の観察と微動調査、および余震観測点の敷設を行った。まず益城町役場周辺の被害集中の原因に関して推察することができるだけの情報を抽出したので、それらの結果をもとに被害集中の原因に関する仮説の構築を行った。まず益城町中心部での被害集中の特徴を調査結果に基づいて整理した。益城町中心部での被害は、東西方法は国道443号線の西から始まり県道235号線の東まで(約1.5km~2km)、南北方向は県道28号線の両側、幅約±300mの領域に広がっている。その特徴は以下の通りである。①被害集中域では、旧耐震の構造物だけでなく、新耐震の構造物も被害を受けている事例がある。②一方、旧耐震の構造物でも外見上大きな被害が見られず生き残っている建物も多数存在している。③子細に見ると被害域は東西方向に帯状に分布し、ある程度連続している。④倒壊した建物の倒壊方向は高い確率で東西方向となっている(添付写真)。転倒した墓石もほぼ東西方向(断層並行方向)に転倒している。⑤被害集中域の東西ラインを横切る南北方向の舗装道路においてはほぼ必ず顕著な地盤変状が見られる。次に益城町の被害集中域において、約100m間隔で格子状に700m✕1kmの領域で微動計測を行った。益城町役場を中心とする南北測線の北端・中央・南端の3地点での水平上下比(MHVR)を比較したところ、観測されたMHVRは2~3Hz付近にピークを持ち、そのピークレベルは約4~5倍であり、地下構造にはそれなりのインピーダンスコントラストがあることを示唆しているが、3地点でのMHVRの違いはわずかであり、それをもたらしている表層地盤の空間的差異で被害集中を説明することはできない。さらに、益城町役場に置かれていた自治体震度計の観測波形を用いて、兵庫県南部地震の観測被害に対して構築した木造2階建用の非線形応答解析モデルにより、推定被害率を計算した。その結果、前震・本震いずれもEW成分に対してより大きな被害が発生するという結果が得られた。またその計算被害率は最大の被害率が計算された本震のEW成分に対しても高々30%程度に収まり、決して大きな破壊力を持った地震動とは言えないことがわかった。以上の調査結果、および本震発震点座標、さらに産総研GSJがまとめた活断層マップとInSARの地殻変動図を参照すると、今回の益城町中心部における被害集中は、観測された強震動そのものが原因というよりも、強震動とそれに伴って発生した地殻変動およびそれによる地盤変状の発生が複合的に作用した結果、生じたものと推察される。その理由は以下の通り。1)地震動は確かに強烈だが、観測されているほどの大被害を出すレベルではない。2)横ずれ断層で卓越するはずの断層直交成分ではなく平行成分の被害が卓越している。3)被害の帯は東西方向に連続し、南北方向には連続していない。連続する東西方向の被害帯を横切る道路には高い確率で地盤変状が見られた。4)上記被害帯の内側では新耐震の建物も壊れているケースがある一方、その外側では旧耐震の脆弱そうな建物でも軽微な被害に留まっているケースが多く見られる。「地震動のみによる震動被害」ではそうはならないはずである。5)被害集中域の内外で地盤構造に大きな違いがある可能性は低い。6)GSJの活断層マップでは県道28号線沿いに分岐小断層(地震本部報告では木山断層)が引かれている。その西縁は被害集中域のスタート位置に当たる。これは被害集中域では過去の断層変位が広い幅に分布してきたためではないかと推察される。InSARの変動分布も木山断層までは明瞭な線が見いだせるが、その西側では幅1km、長さ2kmにわたって変動が明瞭でない領域が形成されている。7)本震発震点は上記分岐断層の西側延長上にあり、布田川断層主部に合流するまでの分岐断層が地表変位の北端であるとInSARから推定できる。謝辞本報告には科学研究費補助金、特別推進研究費(代表者:清水洋)によるサポートを受けた。微動調査には川瀬研究室・松島研究室の学生諸君の協力を得た。記して感謝の意を表す。
著者
中尾 茂 八木原 寛 平野 舟一郎 後藤 和彦 内田 和也 清水 洋
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

The earthquake (JMA Magnitude 7.1) occurred on November 14, 2015 in the area of west off Satsuma peninsula. The epicenter is located in Okinawa Trough where is in about 160 km west from Makurazaki City in Kagoshima Prefecture. This earthquake is one of the largest earthquakes in this area. Seismicity in this area is low in last twenty years. Two continuous GNSS sites are operated by Kagoshima University, one is UJIS site in Uji island which is 84 km to east from the epicenter and the other is MESM site in Meshima island which is 121 km north from the epicenter. At UJIS seismic observation is also operated by Kagoshima University and it is operated by Kyushu University at MESM. We went to those sites in order to get GNSS and seismic data because GNSS and seismic data are not telemetered at those sites. In this research, co-seismic crustal deformation and activity of aftershocks are reported.We relocated the main shock and aftershock until 10:00 on November 16. Length of aftershock area is about 60 km. Its Strike is the same of Okinawa Trough. The epicenter of the main shock is located at the south-west end of the aftershock area and maximum aftershock, which is occurred on November 15, is at north-east end. Activity of aftershock in northern part of aftershock area is high. However, in southern part it is low except aftermath of occurrence of the main shock.GNSS data analysis is by Bernese GNSS software Ver. 5.2 with CODE precise ephemeris. Daily site coordinates of UJIS and MESM are calculated with GEONET sites. Coseismic deformation is estimated by the difference between two days averages before and after the main shock. Displacement at UJIS and MESM is 0.82 cm and 0.65 cm, respectively. The theoretical coseismic deformation is estimated by a strike slip fault model (Okada, 1992). Fault length, strike, dip angle and fault position are estimated by the length of aftershock area. Fault width is assumed a half of the fault length. Amount of fault slip is estimated by the relationship between earthquake magnitude and moment (Sato, 1979). JMA moment magnitude 6.7 is used (JMA, 2015). Theoretical displacement at UJIS and MESM is 1.3 cm and 1.1 cm. Direction of observed displacement is coincident with that of theoretical displacement. However, amount of observed displacement is smaller than theoretical one.
著者
東宮 昭彦
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

マグマ溜まりおよび噴火直前マグマプロセスとその時間スケールに関しては,近年理解が進んでいる[たとえば東宮 (2016: 火山特集号) のレビューとそこで引用した各文献を参照].熱的に維持されていないマグマ溜まりは,冷却固化しやすいためにマッシュ状(結晶含有量が40〜50%以上で高粘性のためほとんど流動できない状態)にあることが多い.この場合,噴火するためには,マッシュ状マグマ溜まりを「再流動化」(例えば加熱)させ,「噴火可能なマグマ」(地表に向け上昇できるほど低粘性のもの)を用意する必要がある.こうした火山では,何らかのトリガー(深部からの高温マグマの供給など)が与えられても,ただちに噴火はしにくい.逆に,噴火可能なマグマが既に溜まっている火山では,トリガーがあれば短時間で噴火が可能であろう.従って,噴火休止期間と噴火トリガーの時間スケールとは正相関し得る.Passarelli and Brodsky (2012: Geophys. J. Int.) が指摘した噴火休止期間と前兆期間の正相関の一部は,これに対応するかもしれない.数十年以内の間隔で噴火を繰り返す活火山には,噴火可能なマグマが溜まっている可能性が高い.例えば,有珠火山の歴史時代の噴火(1663年〜)の場合,各噴火の斑晶の累帯構造の比較から,この間のマグマ溜まりは斑晶の成長および元素拡散が効果的に起こる温度以上にあったことが分かっている (Tomiya and Takahashi, 2005: J.Petrol.).また,斑晶(磁鉄鉱)の元素拡散から見積もった噴火直前過程(直前のトリガーから噴火まで)の時間スケールは数日程度であり,これは記録・観測された前兆地震期間と整合的であった.マグマ溜まりに「噴火可能なマグマ」が存在していたために,トリガーから数日以内に噴火が起こったと考えることができる.噴火の間隔(休止期間)が数百年になると,噴火可能なマグマは存在しても少量であろう.例えば新燃岳2011年噴火は,前回のマグマ噴火から約200年が経過していた.岩石学的解析から,噴出物の主体をなす混合マグマはマッシュの再流動化でできていること,その生成には数十日以上,おそらく前兆地殻変動期間である1年程度を要したと見積もられた (Tomiya et al., 2013: Bull.Volcanol.).[なお,噴火を最終的に引き起こした直前トリガーは噴火のおよそ3日以内と見積もられ,この時点では噴火可能な状態が整っていたと考えられる.]休止期間が数千年になると,噴火可能なマグマはほぼ無くなっているだろう.例えば有珠火山1663年,樽前火山1667年,北海道駒ヶ岳1640年噴火が該当する.このうち有珠火山1663年噴出物中の斑晶は,自形かつ均質でマグマから平衡に晶出したと考えられるので,結晶サイズ分布 (CSD) からマグマ中の滞留時間を見積もったところ,およそ102〜103年(ただし誤差が1ケタ程度ありうる)であった (Tomiya and Takahashi, 1995: J.Petrol.).つまり,噴火可能なマグマの準備におそらく数十年程度は要したと考えられる.[なお,樽前や北海道駒ヶ岳の斑晶はきわめて不均質/非平衡であるため同じ手法が使えない.]休止期間以外にも,たとえばマグマ溜まりの深さ(圧力・含水量)が噴火直前過程に影響を与え得る.高圧・高含水量の条件では,より低温でマッシュの融解が進行し,多くの珪長質メルト(e.g., 流紋岩マグマ)を効率的に生産できる.高含水量では珪長質メルトの粘性も低く,融解で結晶粒間に生じたメルトが分離・集積しやすい.逆に,低圧・低含水量では,マッシュの融解に高温が必要で,珪長質メルトの生産効率は低い.前述の有珠火山1663年マグマのマグマ溜まりの条件は,高温高圧実験により 約250MPa (10km)・780℃ と見積もられた (Tomiya et al., 2010: J.Petrol.).一方,樽前火山1667年および北海道駒ヶ岳1640年マグマについて,MELTSでマグマ溜まりの条件を予察的に求めたところ,いずれも約100MPa (4〜5km)・900〜950℃ と低圧・高温になった.有珠火山1663年は斑晶に乏しい流紋岩マグマであり,高圧・高含水量・低温で効率的に流紋岩質メルトが生成・分離・集積して噴火した可能性がある[均質な斑晶はメルト分離後に成長した].一方,樽前と北海道駒ヶ岳は斑晶に富む安山岩マグマであり,低圧・低含水量のもと,「噴火可能なマグマ」の生産に高温を必要としたとともに,珪長質メルトが分離せずマッシュの結晶ともども噴火したと考えられる.
著者
津久井 雅志
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

9世紀の巨大地震と火山活動の概要歴史時代の文献記録をまとめると,9世紀,15世紀末~16世紀,17世紀半,18世紀後半の噴火集中,19世紀半ばの地震・噴火などに「活動の集中期」があるように見える.ただし,発現のしかたは一様ではなく,時代ごとに違いが見られる.発表者は,9世紀の東日本~中部日本の地震・噴火活動を,2011年東北地方太平洋沖地震前に,地質,考古,文献に基づき以下のようにまとめた(津久井ほか,2007(地球惑星関連合同大会);津久井ほか,2008(火山)).1)富士山(800AD延暦噴火,838~864AD頃,864AD貞観噴火)・伊豆弧(伊豆大島(838ADころ~886ADにN3,N2,N1の3 噴火),新島(857ADころ,886ADの2噴火),神津島(838AD),三宅島,832AD?,850ADころ山頂噴火→山腹割れ目噴火の2噴火)の火山活動が極めて活発であり,鳥海山(810~823AD,871AD),新潟焼山(887AD?)でも噴火があった.2)日本海東縁沿い(秋田平野(830AD),庄内平野(850AD),越後平野(863AD)),糸魚川‐静岡構造線活断層系中~北部(841ADないし762AD),長野盆地西縁(887AD)?,関東内陸(818AD),北伊豆(841AD),伊勢原(878AD),南海トラフ(887AD)および東北沖(869AD,貞観地震)などで規模の大きな地震活動があった.3) 20世紀後半以降,9世紀の地変と重なる地域で地震・噴火が起きている,アムールプレートの東進が駆動力か?地震・噴火集中の直接的な原因は明らかではないが,連動したと考えられる噴火・地震はアムールプレートの境界に沿って800kmに及ぶ.大局的にはアムールプレートの東進(東日本に対して2cm/yr)による東西圧縮(石橋,1995,地質ニュース)に起因していると理解できる.日本海東縁ではアムールプレートは東日本(オホーツクプレートないし北米プレート)に対して沈み込み,糸魚川‐静岡構造線活断層系北部では東日本がアムールプレートに対し衝上する.一方,南海トラフではアムールプレートはフィリピン海プレートに沈み込まれる.その間にある糸魚川一静岡構造線活断層系中部は,左横ずれ成分を持ちながらアムールプレートを断ち切って沈み込み方向転換をする役割を担っている.9世紀の地震のうち起震断層を推定できたものは,東西圧縮と調和的な逆断層成分,横ずれ成分を持っている.このような条件下で固有の再来間隔が百数十年(南海トラフ)から千年以上(内陸地震)であるそれぞれの起震活断層が,短い期間に相次いで変位したのであろう.地震と火山活動の関連についての視点からみると,巨大地震のあとに火山活動が活発になった例は,869AD貞観東北沖地震のあとの871AD(貞観十三年)鳥海山噴火や,887AD仁和南海トラフ地震・長野盆地西縁断層地震直後?の新潟焼山噴火が挙げられ,これに915AD十和田を含めることができるかもしれないが,必ずしも巨大地震の後に一斉に火山活動が活発になるわけではない.伊豆諸島の噴火や864AD富士山貞観噴火は貞観東北沖地震や仁和南海トラフ地震に先立って噴火しているように見えるので,9世紀の場合は,巨大地震で圧縮応力が開放されてマグマの上昇が容易になる,というモデルで統一的に説明することは難しい.20世紀後半以降の地震・噴火20世紀後半には伊豆諸島(三宅島(1962AD,1983AD,2000AD(大規模貫入と2500年ぶり山頂カルデラ形成)),伊豆大島(1986AD(560年ぶり山腹割れ目噴火)),伊東沖噴火(1989AD(有史初めて))の噴火,日本海東縁沿い(新潟(1964AD,M7.5),日本海中部(1983AD,M7.7),北海道南西沖(1993AD,M7.8),新潟県中越(2004AD,M6.8),能登半島 (2007AD,M6.9),新潟県中越沖(2007AD,M6.8))で地震があり,9世紀との類似性を指摘していた(津久井ほか2007,2008前出)ところ,2011年3月11日に9世紀の貞観地震とよく似た東北地方太平洋沖地震(M9.0),翌日に長野盆地西縁断層北東延長で長野県北部地震(M6.7),2014ADに糸魚川‐静岡構造線活断層系北部で長野県神城断層地震(M6.7)が発生した.改めて9世紀の地変との類似性を意識して検討すべきである,と考えるに至った.しかし,9世紀の伊豆諸島の噴火ではマグマの頭位が高かったのに対し,20世紀後半以降マグマの貫入現象が目立ち三宅島では陥没カルデラが形成されるなど,噴火時の応力状態は異なっていたと考えられる.また,地震・噴火の発生の順序に規則性を見つけることも難しい.現時点でそれぞれの火山,震源断層の再来期間を考えると,平均的な再来期間を過ぎている糸魚川-静岡活断層系(と富士川河口断層帯),間もなく平均再来期間に達する南海トラフ,富士山噴火について注意深く監視を続けるべきだと考えている.
著者
宝田 晋治 星住 英夫
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

火砕流は,火山体周辺に多大な災害をもたらす.特に大規模火砕流の場合は,1883年のクラカタウ火砕流による犠牲者数36,400人などで明らかなように被害も甚大となる.国内の大規模火砕流としては,90kaに発生した阿蘇4火砕流は到達距離が 160km以上に達しており,分布・体積の正確な把握や流動堆積機構の解明が重要となってきている.阿蘇4火砕流の詳細な影響範囲の把握のため,既存文献,ボーリングデータを元に,現地調査結果を加え,堆積物の分布を明らかにした上で.噴火当時の復元分布図を作成した.また,5kmのメッシュごとに層厚を復元し,高精度に噴出量を算出した.さらに,現地調査により,大規模火砕流堆積物の岩相変化.軽石及び岩片の最大粒径の変化に基づく,流動堆積機構の検討を行った.現存する堆積物の分布については,産総研の5万分の1地質図幅を基本とし,刊行されていない地域に関しては20万分の1地質図幅や表層地質図の他,出版済みの文献を参照した.これらから阿蘇4火砕流堆積物の分布をGIS上でトレースし,現存分布図を作成した.また,噴火直後の推定分布図は.地形状況と噴火時点での地質を考慮した上で,文献情報,ボーリング情報を元に再現した.現存堆積物の分布は,火砕流が全方向に広がり,給源から北北東160km以上の萩市周辺にも到達し,南は,人吉盆地,宮崎市周辺まで到達したことを示している.現存堆積物の面積は,約2,500km2となった.層厚については,地質図,露頭データ.ボーリング柱状図を用いて,火砕流堆積物の上端高度,下端高度を5kmメッシュ毎に数点以上読み取った上で,メッシュごとの平均層厚を算出した.平均層厚は,カルデラリム周辺で最大約100mを示し,中流域では,0.2〜50m前後,下流域では0.01〜10m程度となった.GISソフトウェア上で,メッシュ毎の分布面積を算出し.層厚を乗じてメッシュ毎の見かけ体積を算出した.その上で,溶結,非溶結の量比などを勘案した上で,メッシュ毎の堆積物の平均密度を算出し,火砕流堆積物の体積(DRE)を算出した.その結果,降下テフラ分を除く阿蘇4火砕流堆積物の体積は,20-60km3 (現存体積),50-140km3(復元体積)となった.阿蘇4火砕流の流動堆積機構の解明のため,火口近傍から160km遠方の露頭まで,カルデラから東方向と北北東方向の流域で現地調査を行い,岩相変化,軽石と岩片の最大粒径の変化を明らかにした.最大粒径は,ラグブレッチャ以外の火砕流本体に対して,各露頭毎に軽石と岩片についてそれぞれ10個長径と短径を測定し,最大と最小のサンプルを除いた8サンプルの算術平均から,各地点での最大粒径を求めた.流走距離ごとに,軽石の最大粒径をプロットする(図)と,給源(カルデラの中心付近, 中岳第1火口を仮定)から16kmまでの地点では,3〜9cmと比較的小さく,17〜20km地点では約28cm,26km地点の火砕流到達前の原地形の傾斜変換点付近(小国町周辺)では47cmと最大値を示し,その後,72km地点まで次第に減少し,3cmとなる.海を渡った山口県内では,最大粒径は,132〜162km地点で0.4〜0.9cmと非常に小さくなる.岩片の最大粒径は給源から6.5km地点では1〜2.5cmと比較的小さく,16km付近で11.2cmと最大になり,その後は単調に減少し,72km地点で0.6-0.9cmとなり,北九州の117km地点の折尾の露頭では,0.3cmと非常に小さくなる.山口県内の露頭では,肉眼で測定可能な岩片はほとんど含まれていない.これらの結果は予察であり,今後より詳細なユニット対比,岩相変化,粒径変化等の現地調査を予定している.給源付近で軽石や岩片の最大粒径がやや小さいことは,大規模火砕流発生時に,この付近は噴煙柱の内部もしくは近傍で,乱流度が高く.火砕流の運搬能力が十分高かったことを示唆している.軽石の最大粒径が傾斜変換点の26km地点付近で最大となっていることは,火砕流が傾斜変換点に達し,ハイドローリックジャンプ等の現象で急激に運搬能力が落ちたため,運びきれなくなった軽石を多量に落としたことが原因である可能性が高い.軽石や岩片の最大粒径が単調に減少することも,乱流状態の火砕流の基底部から順次より大きい軽石や岩片が堆積したと考えることが可能である.堆積物の内部構造として,火砕流の内部には,逆級化した層厚20〜70cm程度の弱い層理構造が見られる場合がある.このことは,軽石同士の堆積時の相互作用を示唆し,火砕流の基底部に比較的高濃度な密度流が形成され,堆積サブユニットを形成しつつ順次堆積したモデルでうまく説明できる.海を渡った山口県内の火砕流は層厚10cm〜6m程度であり,軽石の最大粒径は1cm以下で非常に小さく,肉眼で認識できる岩片はほとんど含まれていない.部分的にやや高度の高い部分では,サージ状の岩相を示す.このことは,遠方まで運ばれた火砕流は,最後まで残った比較的低密度で細粒部分のみが160km以上の地点まで到達したことを示唆する.
著者
都司 嘉宣
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

[津波特異点とは] 過去幾度かの津波の来襲を経験してきたある一地方の海岸で,いつも決まった場所で津波が周囲の他の点より高く現れる場所が存在することがある.A.宮古湾の最奥部に位置する赤前,B.房総半島の旭市飯岡,能登半島先端部,隠岐諸島,島根半島,C.奥尻島南端の青苗,佐渡島の北東端,D.伊豆下田,奥尻島青苗の東の初松前,E.尾鷲市賀田,F.ハワイ列島,トンガ国ニアウトプタプ島,などもこのような場所である.このような場所を「津波特異点」と呼ぶことにしよう.このような場所が存在する理由を対応する小文字で記していくと(a)V字湾の最奥部,(b)舌状に浅海部が沖に突き出た海底地形がある場合にその根元に当たる点,(c)半島の先端,(d)半島を回り込んだ直背後の点,(e) 湾の基本固有振動の腹点,(f) 周辺に広い陸棚斜面海域を従えた大洋中の孤島,のどれかに当たっていることが多い.実は大阪も(e)の特異点と考えられる.以上のような津波特異点は,複数の津波の過去事例のデータから気づかれることが多いが,(a)を除いて,住民からも防災行政からも意識されていないことが多い.本研究でも筆者らは2つの津波特異点を見いだした.若狭湾の舞鶴市大浦半島と,和歌山県御坊市海岸である.[若狭湾の津波特異点] 若狭湾に突き出た大浦半島の先端の海岸で津波の浸水高が大きくなることは,1983年日本海中部地震,および1993年北海道南西沖地震の両津波による高さ分布に見ることができる.大浦半島の先端部に位置する野原と小橋は,この2回の津波のいずれにおいても分布のピークを示しており,大浦半島の先端部が著しい津波特異点であることを示している(上述の理由(c)).しかるに,この両集落は,海と集落の間に砂浜しかなく,集落を津波被害から守るべき堤防が全くない状態に置かれているのである.[御坊市の津波特異点] 和歌山県御坊市の中心市街地は,宝永地震(1707),安政元年(1854)の安政南海地震の両度の津波のさい,中心にある浄国寺の本堂入り口の雨だれ石まで(宝永,2.8m),および寺門前の街路まで(安政南海,2.5m)であって,いずれも御坊は市街地の半分の浸水にとどまり,軽い被害ですんだ,と考えられてきた(都司ら,1996).ところが,安政南海地震の数値計算をしてみると,御坊の前面で津波は高さ9.0mに達するという結果が出てくる.古文献の記載と数値計算結果とがあまりに違いすぎるので,数値計算がどこかで間違っているのでは,とプログラム,計算過程をしらみつぶしにしらべてもどこにも誤りはない.調べてみるとこういう事であった.当時名屋浦と呼ばれた御坊市中心街の東側を流れていた日高川の流路は,海岸線付近まで近づいて,ここで砂丘に行き当たり,砂丘を隔てて海岸線に平行に塩屋の集落の西側を南東に約1km余り進んで,王子川に合流してここでやっと太平洋に注いでいた.御坊の中心街を襲った歴代の南海地震の津波は,実は砂丘を乗り越えてきた直接の波ではなく,海岸部で曲がりくねった日高川の河口から迂回して入った波だったのである.この夜に海岸部で迂回した日高川は,津波の直撃から御坊の町を守るのには役に立っても,洪水のとき,大量の流水を海に流し出すことが出来ず,御坊はしばしば洪水の大災害をこうむってきた.そこで,明治期から現在まで日高側の河口は,河口部の砂丘が削られ消滅し,御坊の中心街の前面が直接太平洋に接するようになった.洪水の被害が軽減され,かつ大型船の入港が可能となってめでたしめでたし,であるが.宝永,安政南海の2度の南海地震の津波の被害を軽減してくれた日高側河口の砂丘は,今は無いのである.御坊市の行政はこのことに気がついて居るであろうか? 参考文献都司嘉宣,加藤健二,荒井賢一,1994,1993年北海道南西沖地震による津波,その2,科研費突発災害研究,No.05306012,(代表:石山祐二),65-78都司嘉宣,岩崎伸一,1996,和歌山県沿岸の安政南海津波(1854)について,歴史地震,169-187