著者
村岸 純 西山 昭仁 矢田 俊文 榎原 雅治 石辺 岳男 中村 亮一 佐竹 健治
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクトの一環として,本研究では17世紀以降に関東地方に被害を及ぼした地震を対象とし,既刊地震史料集に所収されている史料に基づいて地震史料データベースを構築している.近代的な機器観測による記録がない歴史時代の被害地震について,被害分布や地震像などを検討するためには,史料の収集とその記述内容の分析が必要である.地震史料の調査・収集は20世紀初頭から開始されており,これまでに刊行された地震史料集は全35冊(約28,000頁)に及ぶ.しかしながら,これらの既刊地震史料集には,「史料」以外にも様々な種類の「資料」が収められており,自治体史や報告書の叙述からの抜粋記述なども含まれ,玉石混淆の状態にある.そのため,データベース化に際しては歴史学的に信頼性の高い史料のみを選択し,原典に遡って修正や省略部分の補足を行う校訂作業を実施している.なお,本研究で構築しているデータベースは,既存の「古代・中世地震・噴火史料データベース」や「ひずみ集中帯プロジェクト古地震・津波等の史資料データベース」と同様に,史料本文のテキストにはXML言語を使用している.また本研究では,安政二年十月二日(1855年11月11日)の夜に発生して,江戸市中や南関東一円に甚大な被害を与えた安政江戸地震について,新史料の調査・収集や既存の史料に関する分析を実施した.千葉県域では新たな史料を収集し(村岸・佐竹,2015,災害・復興と資料,6号),茨城・神奈川県域では収集した史料の再検討を行った(村岸ほか,2016,災害・復興と資料,8号,印刷中).さらに,被災地である関東地方からより離れた遠地で記された有感記録についても既刊地震史料集に所収されている史料を用いて検討した.地震発生当日の十月二日夜に遠地で記録された史料を選び出し,その中から「夜四ツ時」や「亥刻」と記されている信頼性の高い日記史料のみを選定した.このようにして厳選された史料にある遠地での有感記事に基づいて,震度を推定した.また,有感記事が記された当時の場所について,他の史料や当時の絵図,日本史における研究成果などに基づいて現在の地名を調査・検討し,その緯度・経度を導き出して遠地での有感記録の分布図を作成した.付記)本研究は文部科学省受託研究「都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト」の一環として実施された.
著者
野村 律夫 高須 晃 入月 俊明 林 広樹 辻本 彰
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

最近,出雲の巨石が注目されている。島根大学のくにびきジオパーク・プロジェクトが主催した10月下旬の探訪会には,30名を超す参加者が出雲市坂浦町にある立石(たていわ)神社を訪れた。そこには今,社殿はないが,12mを超す巨石がご神体として鎮座している。アニミズムの象徴といえるこの巨石は,単なる石ではなく,古来より磐座(いわくら)や石神とよばれる神そのもとして人々のなかに息づいている。ここでは島根半島にみるジオサイトとしての巨石の成因と我々のジオパーク活動の方針について報告する。 東西約70kmにも及ぶ島根半島を西の日御碕から東の美保関までみると,山塊が分かれて少しずつ雁行状に日本海側へずれていることに気がつく。この構造は,今から2000~1500万年前に西南日本弧が大陸から分離し,日本海が形成された地殻変動と密接に関係している。半島地域の変動は,1100万年前まで続いているので,日本海が広がった頃を1700~1500万年前とすると,約400~600万年かかって島根半島の構造的な原形が造られたことになる。この時の地殻は,北西-南東方向の圧縮応力場にあり,著しい変形と変異を受けたため,島根半島は全国でも有名な宍道褶曲帯として知られる。大社の山塊の南麓には,落差が1000mの巨大な大社断層があり,北側の平田付近には弓のように窪んだ向斜構造が形成され,その構造は宍道湖へとつながっている。鹿島町の古浦海岸から美保関にかけて存在する宍道断層も大社断層と同じ性格をもち,半島の形成に参加した。島根半島には,これら二つの断層と平行した多数の断層が形成されているのが特徴で,巨石形成の最も大きな要因の一つになっている。立石神社の巨石も宍道断層の西方延長上につくられていることが,巨石の裏面や大小の割れ目に発達する擦痕からも理解できる。このようなことから島根半島に見られる多くの巨石は,島根半島の形成に伴ってできた地殻変動の結果である。 古代出雲の人々は,1300年も前に島根半島の形成に基づいた地形を反映させて,国引き神話を語っていた。風土記時代から詳細な地形分析がなされていたことは驚くべきことである。
著者
大上 隆史
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

濃尾平野の西縁を画する養老山地,とくにその東斜面には起伏が大きい山地地形が発達している.これらは養老・桑名断層帯の活動に伴う山地の活発な隆起,および東流する河川網の下刻に伴って形成されたと考えられ,山地で生産された土砂が東麓に扇状地群を形成している.扇状地の形態に関して多くの研究が蓄積されており,扇面勾配が集水域面積(≒河川流量)と負の相関を持つことが広く認識されている.さらに,扇面勾配の大きさが土砂流量/河川流量と相関関係を持つことが地形実験によって示されており(Whipple et al., 1998),実際の扇状地においても扇面勾配が河川流量に加えて集水域の削剥速度にコントロールされている可能性が高い.しかし,それらの関係を具体的に検討するためには,集水域の平均削剥速度や扇状地における堆積速度を定量化する必要がある.それらの値を直接得ることは一般に難しいため,集水域における削剥速度の指標として斜面傾斜や起伏比が計測されてきた.ところが,“Threshold Hillslope(限界傾斜)”を獲得するような険しい流域では削剥速度は斜面傾斜と無関係となることが示されており(Burbank et al., 1996),起伏比は集水域面積と負の相関をもつ場合が多いため河川流量と切り分けた議論が困難である.一方で,ストリームパワー侵食モデルにもとづいて“平衡状態にある”岩盤河川の河床縦断形の解析手法が発展しつつあり,隆起速度と岩盤の抵抗性に依存する流路の「Steepness(急峻さ)」の概念が導入されている(Wobus et al., 2006).岩盤強度が一様であれば,“平衡状態にある”河川のSteepnessは隆起速度(≒侵食速度)の関数となることが期待されており,近年ではSteepnessと侵食速度の関係が実際に検討されつつある(DiBiase et al., 2010).特に限界傾斜を獲得するような山地では,Steepnessが岩盤河川の下刻速度を表し,河川の下刻速度が山地の削剥速度を規定している可能性がある.そこで,養老山地東斜面の河川群における河床縦断形から流路のSteepnessを試算するとともに,それらと扇面勾配との関係を検討した. 養老山地の東斜面を流下する河川群のうち,養老山地の中央分水嶺に谷頭を持つ25流域を研究対象とした.国土地理院が公開している5 mメッシュ数値標高データにもとづき直交座標系(UTM53N)における10 mグリッドのDEMを発生させ,これを用いて集水域解析を行った.谷頭を起点とする河床縦断形を作成し,それらをχ−標高プロット(Perron and Royden, 2013)に変換した.χ−標高プロットが直線回帰されるとき,その河床縦断形は“平衡状態にある”とみなせる.また,χ−標高プロットの勾配は「Steepness」を表す.流路距離および集水域面積を用いてχを計算するのにあたり,A0=10 km2とし,定数m/n=0.5を採用した.χ−標高プロットにもとづき,流路は大きく3つのセグメントに分けられる.最上流部におけるχ−標高プロットの勾配は比較的小さく,これらの流路の集水域は<0.1 km2程度である(最上流セグメント).集水域面積>0.1 km2程度の山地河川の流路ではχ−標高プロットの勾配は大きくなり,その勾配はほぼ一定で直線回帰される(上流セグメント).上流セグメントはχ−標高プロットで直線回帰されるため“平衡状態にある”流路とみなせる.下流部の堆積域ではχ−標高プロットの勾配は小さくなっている(下流セグメント).養老山地東斜面の山地における河川網の大部分は上流セグメントに属する.そのため,各集水域の流路のSteepnessを,本流の上流セグメントにおけるχ−標高プロットの勾配とした.本発表ではχ−標高プロットの勾配をそのままSteepnessとした. 対象河川の集水域面積は0.15−5.09 km2であり,それらの平均傾斜は36−44°,起伏比は0.09−0.45である.Steepnessは35.2−89.6×10-3の値をとる.これらの集水域の地形量のうち,起伏比は集水域面積と負の相関関係を示すが,その他は明瞭な相関関係が認められない.ただし,起伏比とSteepnessの関係に着目すると,同程度の集水域面積のクラスター毎に概ね正の相関がある.扇頂から下流に連続する直線的な河床勾配(以下では堆積勾配と呼ぶ)は0.024−0.338であり,これらはよく知られているように集水域面積と負の相関関係を示す.Steepnessと堆積勾配の関係を見ると,同程度の集水域面積のクラスター毎に正の相関関係があるとみなせる.このことは,堆積勾配が集水域面積とSteepnessによって規定されていることを意味する.また,Steepnessが流域の削剥速度を表していることを間接的に示し,養老山地東斜面における削剥プロセスは“Threshold Slope”パラダイムにもとづく侵食モデル,つまり岩盤河川の下刻速度が流域の削剥速度を律するモデルによって説明できる可能性が高いことを示唆する.すなわち,集水域における土砂生産速度と集水域面積(≒河川流量)が扇状地の扇面勾配にあらわれていると解釈できる.引用文献:Whipple et al., 1998. Journal of Geology 106. Burbank et al., 1996. Nature 379. DiBiase et al., EPSL 289. Wobus et al., 2006. GSA Spec. Pap. 398. Perron and Royden, 2013. EPSL 38.
著者
高橋 栄一
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

2011年3月11日に発生したM9東北地方太平洋沖地震の結果、日本列島にかかる強い水平圧縮がほとんど取り去られ、一部地域は引張場に移行した。その結果地殻内のマグマ移動は容易となったと考えられるため、日本列島全体で休眠中の火山が活動を再開するなど火山活動の長期にわたる活発化が懸念される。地震と火山活動の関係としては地震発生から数時間~数か月の近接された活動例が従来注目されてきたが、地殻応力場の変化に火山が応答するメカニズムからは数年~数10年の長い時間間隔を経た相互作用を考慮する必要がある(高橋2012、連合大会)。巨大地震により広域的に且つ長期的に火山活動が活発化した例としては、17世紀の中盤に開始した北海道駒ヶ岳[1640年~]、有珠[1663年~]、樽前[1667年~]の火山活動がある。これら3火山の17世紀から現在に至る火山活動は1618年に北海道東方沖で起きたM9地震により励起された可能性が極めて高い。本セッションでは、この因果関係について中川(本セッション)と佐竹(本セッション)の講演でなされる予定である。2011年の東北地方太平洋沖地震の1100年前に起きた貞観地震(西暦869年)後の鳥海火山噴火(871年)、十和田―a噴火(915年)も巨大地震による励起噴火である可能性が考えられる。日本列島の第4紀火山の多くは噴火間隔が数100年以上あるため、火道や浅部にあるマグマだまりは冷却され結晶度が高いマッシュ状態にあるものが多い(竹内、本セッション)。地震から火山活動活発化までに要する時間は、それぞれの火山の地下マグマ供給系の熱的状態に応じて数年から数10年の幅があるものと考えられる。数千年に渡って休眠していた北海道駒ヶ岳、有珠、樽前、十和田においては、地震後から噴火が起こるまでに30~50年の時間間隔が必要だった。これはマントルから注入した玄武岩マグマが半ば固化した火道を温めたり、マグマだまりの温度を上げてマグマの粘性を下げたりするのに時間を要するからであろう。反対に鳥海火山のように玄武岩マグマがそのまま噴火した例では時間間隔は2年と短かった。3.11地震後の影響で地殻応力場が変化した日本列島においては、これまで休眠中であった火山がマントルからのマグマ注入を受けて活動に向かっている可能性がある。それぞれの火山における地下のマグマ供給系がいかなる状態にあって、今後どのような時間内にいかなる噴火を起こす可能性があるかを学際的に検討することが必要である。本セッションは2014年度から東大地震研究所特定研究課題に採択された「巨大地震が励起する火山活動の活性化過程の研究」(世話人代表:高橋栄一・栗田敬)を母体としている。この研究課題では、我が国の火山活動の予測に資するため、それぞれの火山のマグマ供給系の実態解明を目指す。火山物理、火山化学、火山地質学、岩石学、地震トモグラフィー、MT観測など多方面の研究者の参加を広く呼びかけた。日本列島の火山活動の長期的な推移を予測するためには、それぞれの火山のマグマ供給系の実態をできる限り正確に把握し、火山体深部で起きている噴火の予備的過程を正確に読み取ることが重要である。
著者
鈴木 輝美 苅谷 愛彦
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

山梨県御坂山地西部に位置する四尾連湖(湖面標高885 m,深度9.9 m)について,これまで演者らは地形・地質情報に基づきその成因と形成年代,発達過程を議論した(鈴木ほか2014 JpGU HDS29-P06;鈴木・苅谷2015 JpGU HDS25-P02)。その後の調査で新たに得た地形・地質情報や年代値から,四尾連湖を形成した地すべりの発生過程や,地すべり性湖沼の形成・消滅過程をさらに考察した。本大会では,これまでの議論と新たな成果を総合した四尾連湖の地形発達史について報告する。 現在の四尾連湖が成立する過程において,地すべりが重要な役割を演じてきたことが確認できた。この地域における地すべりの活動は,50 cal ka以降,繰り返されてきたと考えられる。地すべり性の地形変化により,地すべり性湖沼が成立してきた。実際,地すべり地内の数地点に湖成堆積物が分布しており,古湖沼の存在が示唆される。湖成堆積物の分布地点や分布高度から古湖沼は3つ存在していたと考えられる(古湖沼A,B,C)。これらの古湖沼は地すべり移動体にせき止められて形成されたと考えられる。湖成堆積物中の年代試料から得た14C年代値より,3つの古湖沼の形成は50~47 cal kaに完了したと考えられる。特に,現在の四尾連湖に継承された原初的な四尾連湖は50 cal ka頃に最初に成立し,当時の四尾連湖は東西に長い湖水域を持っていたと考えられる。その後,この原初四尾連湖は二次地すべり活動(47 cal ka頃)によって湖水域に流入した地すべり移動体で分断され,古湖沼Aが成立した。また原初四尾連湖の形成とほぼ同時に,古湖沼Bと同Cも成立した。さらに,現四尾連湖の湖岸堆積物を解析したところ,3.5 cal ka以前には四尾連湖の湖面水位が約1 m低かったことも明らかとなった。このように,現四尾連湖は湖水域の変化を伴ったものの現在まで約50 kyにわたり存続してきたが,古湖沼A,B,Cは地形変化による排水や土砂流入により消失した。 山地域においては,地すべりによって湖沼が形成され,水域が変化しつつ,存続したり消失したりする。地すべり性湖沼の地形発達は湖成堆積物から読み取ることが可能であり,さらにそれによって過去の地すべり活動についても考察することができる。地すべり地内においては地すべり変動とそれに伴う湖沼の形成や地形発達は密接に関わっているものと考えられる。
著者
緒方 誠 岩田 訓 後藤 和彦
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

桜島の大正大噴火の際、1914年(大正3年)1月12日18時28分頃に発生した地震については、当時の震度分布や被害等から鹿児島湾に震源があり、その規模はM7.1というのが現在の通説となっている(Omori(1922)、宇津(1982:気象庁カタログ採用)や、阿部(1981))。今般、大正噴火から100年が経過し、次の大正級噴火が近づく中、現存する地震記象紙や原簿・文献等を再点検し、現在気象庁で使用している速度構造(JMA2001)を用いて震源位置の再評価を試みることにした。この地震については、当時、鹿児島測候所に設置されていたグレー・ミルン・ユーイング式地震計の地震記象紙が現存しており、強震動の初動部分のみ記録し、その後は記録針が振り切れて記録は途絶えている。今回の調査では波形をデジタイズし、初動部分の解析を行った。その結果、初動から期待される震央の方向は、鹿児島測候所(鹿児島市坂元町)から見て南東象限であることが明らかとなった。次に、文献や原簿等に記載された日本国内(一部当時の統治領含む)のS-P時間(初期微動継続時間とされているもの)について収集・整理を行った。この際、地震記象紙が現存しているものについては、可能な限りP相、S相の読み取りを行った。そして、収集したS-P時間データを用いて震源決定を行った。S-P時間を収集した観測点数は20数点となったが、原簿や文献、読み取り値により同一観測点で複数の値が存在し、その値が大きく異なる場合もあるため、後藤(2013)が1911年喜界島近海の巨大地震の震源再評価で用いた手法を参考に震源計算に使用する観測点やS-P時間の選別を行った。最終的には、9観測点のS-P時間データで震源計算を行い、鹿児島市付近に震源が求められた。なお、震源計算には、気象庁カタログ(過去部分)の改訂作業に使用しているツール(走時表は、気象庁が現行の震源計算に用いているJMA2001準拠であるが、観測点の距離による重みは観測網を考慮しJMA2001前に使用していたもの)を使用している。本調査には、気象官署が保管している地震記象紙を地震調査研究推進本部が(公財)地震予知研究振興会に委託して行っている強震波形収集事業で高解像度スキャンしたファイルのほか、国立国会図書館、東京大学地震研究所所有の資料を使用しました。
著者
西村 太志
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-19

2016年熊本地震では、2016年4月14日21時のM6.5の約1日後の16日1時25分にM7.3の地震が発生した。内陸でさらに大きな地震が続けて起きることは珍しく、希な現象が起きたと考えられる。また、余震数が多く大分の別府地域でも地震活動が活発化したことに加え、2015年11月14日に南東部の鹿児島沖でM7.0の地震が発生していること、一連の地震は中央構造線につながる別府島原地溝帯で起きていること、などから、周辺地域での大地震のさらなる発生が懸念されている。また、阿蘇山や九重山など、火山活動の活発化も懸念されている。本研究では、今回の地震活動の特異性や周辺地域への影響を考えるために、世界で観測されている地震のデータをもとに、大地震の連発性と周辺火山への影響を統計的に評価したので、報告する。 地震データは、現在コロンビア大学が管理するCMT解(いわゆる、ハーバードCMT解)を利用した。1976年から2015年までの40年間の浅発地震(深さ70km以浅)のCMT解のマグニチュードとセントロイドの位置データを用いた。また、火山との関係では、NOAAによるGlobal Significant Earthquake Database、Smithsonian InstituteによるGlobal Volcanism Programの火山データベースを利用した。 M6以上の地震(4176個)を検索した結果、M6.0以上の大地震の発生から2週間以内に、その地震より大きな地震が水平距離100km以内に起きる例は、約3 %であることがわかった。また、M6クラスからM7クラス以上になる地震は0.3%であった。従って、今回の熊本地震のような例は、世界でも珍しい事象といえる。 さらに、大地震がある地域で発生した場合、周辺で同規模あるいはそれ以上の地震がどの程度発生するかを調べた。M7.0以上の地震について、発生時間からの経過時間Tと震央距離D内で起きた地震を連発地震と考える。T=7, 14, 30, 60, 180, 365, 730 days, D=25,50, …, 2000 kmについて、40年間に世界で発生した連発地震の数を調べた。なお、3個以上の地震が連発することも想定し、Dは連発した地震間の距離をもとに微調整した。さらに、連発地震の発生頻度を評価するため、地震の発生位置は固定する一方、時間的にはランダムにしたデータを作成し、連発地震数を調べた(これを通常レベルとする)。その結果、ある大地震が発生した後の数週間は、距離1000km程度までの領域で、連発地震の発生数は通常レベルよりも数倍以上大きくなることがわかった。また、経過時間とともに、発生数が通常レベルに近づき、かつ、領域が小さくなることがわかった。 続いて、大地震による火山活動の活発化を調べるため、大地震の発生からの経過時間と距離による、火山噴火発生数の変化を調べた。データが十分記録されていると考えられるM7.6以上およびVEI(爆発指数)2以上の噴火の1900年から2015年のデータを調べた。その結果、地震からの水平距離から200km程度以内の火山噴火数が増加することが明らかとなった。 以上のように、大地震の発生後の、大地震や火山噴火の発生の確率を経験的に調べることができる。大地震の連発性や火山噴火の誘発例は必ずしも多くはないが、大地震後に起きる活動のシナリオを、火山噴火予測で用いられるような噴火事象系統樹のように、確率を用いて表示することは、地震活動を俯瞰的に理解するために役立てられると考えられる。
著者
尾崎 正紀 水野 清秀 佐藤 智之
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

5万分の1富士川河口断層帯及び周辺地域の地質編纂図は,既存の地質図情報と活断層調査の成果に,産総研の「沿岸域の地質・活断層調査」プロジェクトで実施した入山瀬断層の成果を加えて作成した,海陸のシームレス地質情報集である.本図は,研究及び減災に活用されるよう国土の基盤情報図となりうることを目的としており,今後の研究成果に基づき修正を行う予定である.また,大縮尺の編纂図では,編集部分と確認部分が識別できるように,どのように断層などの精度・確度を表現するかが課題として残されている. 本地域は駿河湾北縁部に位置し,蒲原丘陵,星山丘陵,鷺ノ田丘陵,富士川扇状地,浮島ヶ原,富士南西側山麓,天子山地及び蒲原山地を含む.また,後期中新世〜鮮新世のトラフ充填堆積物である富士川層群,鮮新世の佐野川岩体,前期〜中期更新世の前縁盆地に形成された主に海陸の扇状地堆積物からなる蒲原層及び鷺ノ田層,第四紀の火山(前期〜中期更新世の岩淵火山岩類,中期〜後期更新世の愛鷹火山,後期〜完新世の富士火山),後期更新世〜完新世の河川〜浅海成堆積物が分布する.入山瀬断層,大宮断層,安居山断層,入山断層,芝川断層などからなる富士川河口断層帯は,ユーラシアプレートとフィリピン海プレートの境界に位置し,東西圧縮場で概ね南北方向の断層と褶曲で特徴づけられる. 富士火山の溶岩流と古富士泥流(津屋,1968など)は,これら富士川河口断層帯の変位量推定の重要な基準となっていた.しかし,最近の富士火山の新層序(山元,2014など)に基づくと,古富士泥流は火山麓扇状地Ⅳ堆積物(離水面はMIS4)と火山麓扇状地Ⅲ堆積物(離水面はMIS2)に区分され,活断層の変形を受けた溶岩流の一部も層序と年代が修正されている.これらに基づき既存研究の見直しを行った結果,一部,従来の基準面の設定及び平均変位速度には再検討が必要であることが分かった.また,富士川河口断層帯との関係を理解するため,下部~中部更新統の層序と地質構造の再検討を行った.以下,その概要を示す.(1)入山瀬断層は,今回実施した陸域沿岸域の反射法地震探査(伊藤・山口,2016)及びボーリング調査(石原・水野,2016)と,沿岸海域の反射法音波探査(佐藤・荒井,2016)の成果に基づき,沿岸域の連続性が明らかとなった.また,蒲原地震山を挟んで雁行ないし並行した2つの断層が発達している可能性が高いことが分かった.(2)入山瀬断層の平均変位速度7m/103年は,上盤側の水神溶岩流と富士川扇状地下の大淵溶岩流が同じ溶岩流であるとし,その分布標高の差から求められていた(山崎,1979).しかし,水神溶岩流は富士川沿いから南東へ流れ出たもので1.7万年前の年代を示すのに対して,大淵溶岩流は富士南南西側山麓から南西へ流れ出たもので年代も約1万年と異なる.また,山崎(1979)は,村下(1977)による扇状地下の溶岩流は標高分布から,下盤側の両溶岩流の比高を推定して,それを入山瀬断層の変位基準としていた.しかし,村下(1977)の図では,富士川扇状地下の富士宮期溶岩流の分布は南西方向に低下する1万年前の富士山麓の形状を示しており,入山瀬断層の東側沿い幅約2kmの松岡から五貫島に至る地域のボーリング資料には溶岩流がほとんど認められない.この地域は,入山瀬断層による沈降が著しい地域であると同時に,最終氷期以降,古富士河川による最終間氷期の下刻作用と後氷期の堆積作用が行われた地域のため,基準となる溶岩や古富士泥流が連続して分布していないと考えられる.更に,約1万年前と約1.7万年前とでは,海水準が60〜70mも異なり(例えば, Siddall et al., 2003),その影響も考慮しなければならない.現状では,これらの諸条件の組み合わせにより,入山瀬断層の変位量は,既存の値より大きくも,小さくもなりうる.このため,入山瀬断層の正確な平均変位速度を推定するためには新たな調査が必要である.(3)入山瀬断層と同様に,大宮断層や安居山断層の溶岩流や古富士泥流堆積物を基準とした平均変位速度の推定についても,見直しの必要がある.しかし,再検討した結果,従来の見積を変更する必要はほとんどなかった.(4)芝川断層及び入山断層は,地質断層としては連続するものの,活断層として連続する可能性は低い.両断層が屈曲しながら接合する富士川周辺では,地質断層とは斜交する南北方向の長さ0.5-1kmほどの断層が幾つか発達する.これら断層のうち,月代断層(大塚,1938)は活断層であると考えられる.(5)星山丘陵及び羽鮒丘陵に分布する下部〜中部更新統の地質構造は,中期更新世までの変形の影響を大きく受けており,富士川河口断層帯による変形とは合致しない.[引用文献]石原武志・水野清秀(2016) 海陸シームレス地質情報集(S-5),「駿河湾北部沿岸域」,産業技術総合研究所地質調査総合センター.伊藤 忍・山口和雄(2016) 海陸シームレス地質情報集(S-5),「駿河湾北部沿岸域」,産業技術総合研究所地質調査総合センター.村下俊夫 (1977) 工業用水,no.225,30-42.彌之助 (1938) 地震彙報,16,415-451.Siddall et al. (2003) Nature, 423, 853-858.佐藤智之・荒井晃作(2016) 海陸シームレス地質情報集(S-5),「駿河湾北部沿岸域」,産業技術総合研究所地質調査総合センター.津屋弘逵(1968) 1:50,000富士火山地質図及び富士火山の地質.特殊地質図, no.12,地質調査所.山元孝広 (2014) 地質調査総合センター研究資料集,no.606,産業技術総合研究所地質調査総合センター.山崎晴雄 (1979) 月刊地球,1,571-576.
著者
清杉 孝司
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

噴火記録から噴火の発生率を見積もる際には,噴火記録の数え落しを考慮する必要がある.世界の大規模爆発的噴火(LaMEVE)データベース(Crosweller et al., 2012, Brown et al., 2014)の内,日本の噴火は39%を占める(Kiyosugi et al., 2015).一方,これまでの分析の結果,噴火の規模が大きくなると数え落しの程度は減少するものの,第四紀以降の大規模噴火にも数え落しがあることがわかっている.例えば,89 %のVEI 4噴火が10万年以内に,65–66 %のVEI 5噴火が20万年以内に,46–49 %のVEI 6噴火が30万年以内に,36–39 %のVEI 7噴火が50万年以内に失われていることがわかった(Kiyosugi et al., 2015).また,日本と世界の噴火頻度の比較から,世界の噴火記録の数え落しは日本の7.9倍から8.7倍であると示唆される(Kiyosugi et al., 2015). 噴火の数え落しをモデル化するためには,こうした日本全体のデータの分析に加え,地域ごとや時代ごとに見たときのデータの不均質性を検討することが必要である.数え落しの主要な原因は,歴史記録がないことや,火砕堆積物の浸食・変質,新しい堆積物による被覆,浸食や被覆による給源火山自体の消失などであると考えられる.そのため噴火の数え落しは地質学的・歴史学的事情を反映して時空間的な不均質性を持つ.例えば,伊豆‐ボニン弧は大規模噴火の火砕堆積物が保存されにくい小規模の火山島からなっているため,大規模な噴火の地質記録が多く失われていることが示唆される.こうした異なる地質条件による噴火の数え落しを理解することは,噴火の再発生率を推定する際に重要である.また,小山(1999)は日本の歴史地震記録が政治的・社会的状況に応じて二つの時期(7世紀末から西暦887年までの時期と17世紀初めから現在までの時期)に増加することを指摘した.このような歴史記録を含む最近の噴火記録は,噴火の数え落しをモデル化する際の重要なファクターであるため,記録の時間的不均質性の詳細な分析が必要である. 本研究では日本の噴火記録の時空間的不均質性について議論する.日本の噴火記録は世界の噴火記録の約39%を占めるため,日本の噴火記録の分析は世界の噴火記録の数え落しと噴火再発生率の推定に有用である. 引用文献:Brown et al (2014) Journal of Applied Volcanology, 3:5.Crosweller et al (2012) Journal of Applied Volcanology, 1:4.Kiyosugi et al (2015) Journal of Applied Volcanology, 4:17.小山 (1999) 地学雑誌, 108(4), 346-369.
著者
高田 亮
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

マグマの移動は,上部地殻では岩脈を使って行われるので,応力場の変化とマグマ活動には,密接な関係がある.(1)水平方向の応力場の変化の影響は,割れ目噴火位置の変化に現れる.火山体周辺の地震活動により,例えば,地震により開放された山腹側への割れ目噴火位置のシフトなどとして,観察される(Takada,1997).世界の活動的な火山について,火山周辺の地震活動と割れ目噴火位置の時系列の変化を紹介する.(2)垂直方向の応力場の変化は,最小圧縮主応力軸の変化や,マグマの浮力と同等の応力勾配の変化として,マグマの上昇を抑制したり促進したりすることができる(Takada,1989;1999).つまり,“休眠中の火山“下のマグマ供給系に対して,ある条件の応力場変化が,深部ないし横からマグマだまりに新たにマグマを注入したりや,マグマだまり上部の地殻でマグマ上昇を促進する方向に働く.(3)休眠中の火山の例として,富士火山1707年宝永噴火に至る,応力場変化のモデルを紹介する.また,フィリピンピナツボ1991年噴火に至るプロセスをレビューする.(4)応力変化がマグマ上昇に与える影響について,ゼラチン中の液体で満たされたクラックを使ったアナログモデル実験を紹介する.
著者
行谷 佑一 安藤 亮輔 宍倉 正展 野村 成宏
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

富士川河口域西岸部である静岡県旧富士川町(現富士市)や旧蒲原町(現静岡市清水区)は、1854年安政東海地震の前後で富士川流路が変遷したこと[行谷・他(2015)]や「蒲原地震山」[例えば、羽田野(1977)]に代表される地変により、同地震によって広域的に隆起した可能性が高い。この隆起は、南海トラフ・駿河トラフの破壊に伴い入山瀬断層またはそれに関連した断層が破壊した可能性を示唆するものであり、本地域の地下構造を解明することは今後の地震活動を検討する上でも重要である。そこで本調査ではこの富士川河口域西岸部において、地表近くの地層に断層の伴うずれや変形が存在するか知るために、2016年1月4日~8日かけて地中レーダー探査(Ground Penetrating Radar, GPR)を行った。調査地域を通るとされる入山瀬断層は南北方向の走向を持つと考えられているので[例えば、地震調査研究推進本部(2010)]、ほとんどの測線についてそれに横切るように東西方向に設定した。総測線長は13 km程度に及ぶ。GPR探査において使用した電波の中心周波数は100 MHzであり、地下の不均質な電磁波伝播構造による反射波を解析することで地下5 m内程度の地質構造を知ることが期待される。この結果、海岸から2 km程度内陸までの測線で少なくとも4カ所において反射面に断層のずれと解釈される層序の不連続が存在することがわかった。不連続は盛土と思われる層の直下まで存在し、比較的新しい地層まで切っている可能性がある。これらの不連続の位置は地震調査研究推進本部が設定した入山瀬断層の位置とさほど離れていない。また、最も海側の測線および地震山の北端付近の測線における不連続の位置付近は、反射法地震探査により数十m~数百mの深度で伊藤・他(2014)が推定した断層位置に近い。一方、蒲原中学校の北側や旧庵原高校の東側といった、地震調査研究推進本部による入山瀬断層の断層線から離れた位置においてもこのような不連続が存在することがわかった。これは伊藤・他(2014)が指摘する「陸域における入山瀬断層が1本の明瞭な断層ではなく、複数の断層に分岐していることを示している」ことを支持する内容である。すなわち、この富士川河口域西岸では複数の分岐断層が地表面近くにまで達している可能性がある。 【文献】羽田野誠一, 1977, 地図, 40-41.伊藤忍・山口和雄・入谷良平, 2014, 平成25年度沿岸域の地質・活断層調査研究報告, 59-64.地震調査研究推進本部, 2010, http://jishin.go.jp/main/chousa/katsudansou_pdf/43_fujikawa_2.pdf行谷佑一・安藤亮輔・宍倉正展, 2015, 日本地震学会講演予稿集2015年度秋季大会, S10-11. 【謝辞】 本調査を実施するにあたり便宜をはかって下さった関係諸機関のみなさまに御礼申し上げます。本調査の一部は「南海トラフ広域地震防災研究プロジェクト」の予算で実施しました。
著者
中川 光弘
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

数千年に及ぶ噴火活動休止期の後、南西北海道の3火山(北海道駒ケ岳、有珠山および樽前山)は、西暦1640~1667年にかけてVEI=5の大噴火を起こし、噴火活動期に入った。この3火山の噴火活動の再開については、その約30年前に起こった慶長三陸沖地震(西暦1611年)の影響が指摘されている。特にその震源域については、三陸沖だけではなく北海道十勝~色丹沖まで連動していた可能性が指摘されており、地震による影響が北海道南西部に及んだ可能性は十分に考えられるが、一方で摩周や雌阿寒などの北海道東部の火山は噴火していない。本研究では、まず北海道全域の活火山の完新世の噴火活動履歴をまとめ、特に17世紀前後の噴火活動度の地域差を明らかにする。さらに上記3火山のマグマ供給系の構造と噴火過程をまとめ、北海道における地震と火山活動の関係について検討する。 北海道は東北日本弧と千島弧の2つの島弧の会合部であり、火山活動は更新世を通じて活発である。そして完新世では、まず1万年前後に比較的大規模な噴火が全域で起こっていた。千島弧に属する北海道東部では1.3万年前の雌阿寒岳(VEI=5)、7000年前の摩周(VEI=6)の大噴火があり、また東北日本弧の南西北海道では1.2万年前の濁川、9000年前の樽前山、そして約7000年前に駒ケ岳がそれぞれVEI=5の大噴火を起こした。東部では知床半島の諸火山、摩周~アトサヌプリ、雄阿寒~雌阿寒1000年前頃までは定期的にマグマ噴火を起こしており、噴火活動は活発であったといえる。一方、道南の火山は樽前山が約2500年前にVEI=5の噴火を起こしているが、その他の活火山ではVEI<3程度の噴火が散発する程度であり、活動度は低い状態が続いていた。会合部である北海道中部では、完新世ではVEI=5に達する噴火はなく、大雪山と十勝岳においてVEIが3以下の噴火が散発している。 そして17世紀になって前述したように、南西北海道では3火山が大噴火を連動したかのように起こし、その後も現在まで噴火活動は継続している。さらに3火山だけではなく、周辺の恵庭岳や恵山などでも活動が活発化した。一方、北海道東部では約1000年前頃の摩周(VEI=5)、雌阿寒岳(VEI=4?)および700年前の羅臼岳(VEI=3)のマグマ噴火を最後に、活動は低調になったようである。特に17世紀以降に限ると、北海道中部の十勝岳で小規模なマグマ噴火が散発する程度で、北海道東部ではマグマ噴火は発生していない。以上の北海道全域での火山噴火活動履歴を考えると、仮に慶長三陸地震のような大地震が北海道の火山活動に影響を与えたとすると、北海道東部の活動を低下させて、逆に南西北海道の諸火山の噴火を誘発させたことになる。つまり17世紀に起こった現象は北海道全域の応力場に影響を与えたと考えるべきであり、これは北海道が2つの島弧会合部にあることと調和的である。 次に17世紀に噴火活動を再開した、南西北海道の3火山のマグマ系について検討する。これまでの研究をまとめると、これらの火山の噴火履歴およびマグマ供給系にはいくつかの共通点が認められる。それは、1)いずれも2000~5000年あるいはそれ以上の長い休止期の後に噴火活動を再開したこと、2)主要に活動したマグマは珪長質で、その全岩化学組成はデイサイト質安山岩~流紋岩質マグマと組成差があるが、それらのメルト組成はいずれも流紋岩質であったこと、3)この珪長質マグマ溜りに噴火の数年前以内の時期にマフィックマグマが貫入して噴火した点、の3点である。このことからこれら3火山では休止期の間に、十分な量のマグマを蓄積していたと考えられる。そのため大地震で噴火を誘発することはあり得るが、例えば大地震によりマフィックマグマの活動が活発になって上昇を開始する、あるいは地殻内の応力場の変化により珪長質マグマが活発になるという可能性は、慶長地震の後に約30年の間隔をおいて、3火山の噴火が始まったことの説明が困難である。
著者
杉山 芙美子 長谷中 利昭 安田 敦 外西 奈津美 森 康
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

阿蘇-4巨大噴火(89 ka)と阿蘇-3噴火(123 ka)の間には,何枚かのテフラ(A, B, C, D, , , M, N, α,β,,,η)が記載されている(小野ほか,1977).このうちAso-ABCDテフラは最上位に位置し,一連の噴火の産物だと考えられている.長橋ほか(2007)はAso-ABCDテフラ年代を97.7 kaと見積もっている.テフラの等層厚線から給源は阿蘇カルデラ内・中央火口丘群の南側に推定され(小野ほか,1977),噴出物の体積は3.5km3と見積もられている(町田・新井,1992).阿蘇-4火砕噴火の直前には大峰火砕丘の噴火とそれに伴う高遊原溶岩の流出が起こった.溶岩とそれを覆う阿蘇-4テフラの間に土壌を挟まないので,大きな時間間隙は考えられない.噴出物の体積は2 km3である.阿蘇-4後の中央火口丘群の活動中,最大の珪長質マグマの噴火は3万年前の草千里ヶ浜火山の軽石噴出で,体積は1.4km3(宮縁ほか,2003)に過ぎないので,阿蘇-4噴火前にある程度の大きさの噴火が続いたことがわかる.阿蘇カルデラ東方約20 kmの大分県竹田市荻町野鹿の露頭で阿蘇-4火砕流堆積物直下に層厚3mの降下軽石層と降下火山灰層の互層として露出するAso-ABCDテフラの軽石および火山灰を採集し,岩石記載および全岩XRF分析,鉱物のEPMA分析および鉱物中のメルト包有物のFT-IR分析をした.斑晶鉱物組合せは斜長石,斜方輝石,単斜輝石,マグネタイトで,阿蘇-4に普通にみられる普通角閃石は含まれなかった.軽石の全岩化学組成(SiO2= 63-66 wt.%)はKaneko et al. (2007, 2015) の阿蘇-4ではなく阿蘇-3組成トレンド上にプロットするものが多かった.斜長石や輝石に含まれるメルト包有物組成はSiO2=70-72 wt.%に集中し,Aso-3の組成とほぼ一致した.斑晶鉱物のコアの組成は,斜長石An40-64,斜方輝石Mg# =70-74,単斜輝石Mg#= 74-81であった.ホストの鉱物組成がAn40-61,斜方輝石Mg#=73-76,単斜輝石Mg#=76-79に対応するメルト包有物の含水量は1.0-4.8 wt.%と見積もられた.ホスト単斜輝石組成と含水量から見積もられる温度は860-950℃,圧力は1.1-2.7 kbar(Putirka,2008)であった.マグマ溜りの深度は地表から約3-9 km下となり,この深度は須藤ほか(2006)の草千里マグマ溜り深度6kmと一致する. 古川ほか(2006)は阿蘇-3,阿蘇-4間のテフラ組成,推定温度,推定含水量,推定酸素分圧が漸次変化していくことを示したが,本研究ではAso-ABCD組成はAso-3の組成に近いことが分かった.阿蘇-4噴火の9千年前にはAso-4組成のマグマ溜りはまだ存在していなかったか,あるいはAso-ABCDとは独立して相互作用なく成長していたことが考えられる.
著者
中田 高 渡辺 満久 水本 匡起 後藤 秀昭 松田 時彦 松浦 律子 田力 正好
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

富士川河口断層帯は,平均変位速度が7m/1,000年を上回る活断層によって構成され,駿河トラフのプレート境界断層の陸域延長にあたると考えられてきた(山崎,1979:地震調査委員会,1998など).一方,活動度が高く1回の変位量が大きい逆断層であるとされながら,多くの地点で実施されたトレンチ掘削や群列ボーリング調査によっても,断層運動を示す明確かつ決定的な証拠は発見されず(下川ほか,1996:静岡県,1996: 丸山・斎藤,2007,Lin et al. 2013など),大きな疑問となっていた. 富士川河口断層帯を構成する活断層のうち,東側の断層列は津屋(1940)が最初に指摘したもので,羽鮒丘陵の東縁を限る安居山断層とその南の星山丘陵の北東縁と南東縁をそれぞれ限る大宮断層と入山瀬断層からなり,富士山を中心として円弧を描く急斜面の崖下に北西側を低下させる断層が存在すると推定されている.西側の断層列は羽鮒丘陵の西の芝川に沿った芝川断層と蒲原丘陵の西縁を限る入山断層から構成される.羽鮒丘陵と星山丘陵は北西−南東方向に延びる背斜状の細長い高まり地形をなす.丘陵を開析する谷には小規模な河岸段丘や新規の富士溶岩流(大宮溶岩流(津屋,1940))が分布し,丘陵の長軸に直交する胴切り的な正断層によって上下変位を受けている.古富士泥流堆積面からなる丘陵の北縁に沿って丸みを帯びた急斜面が発達し,その下位の段丘面も富士山側に向かって撓んでいるが,古い面ほど急傾斜となり累積的な変形が継続していることが読み取れる.最近,筆者らはフィリピン・ルソン島中部のタール火山のカルデラ湖を囲む外輪山に,重力性の変形により形成されたと考えられる高まり地形を発見した(中田他,2016).この地形は羽鮒丘陵・星山丘陵と酷似しており,両者の成因が共通する可能性が高い. 駿河トラフの海底には,ほぼ南北に延びる急峻で直線的な東向きの海溝斜面が南海トラフの東端部のから連なり,その基部に活断層が発達する.活断層は,海溝斜面を開析するガリーが形成する小扇状地や谷底を変位させ比高数10mの低断層崖を発達させており,活発な断層変位が繰り返していることを示唆している.この急斜面は湾奥では北北西に走向を変え,由比川河口に達する(中田他,2009).大陸棚斜面上には,海底活断層が富士川河口に向かって分岐することを示す変動崖も存在しない。また,星山丘陵の南東縁を限る入山瀬断層は逆断層とされており,1854年安政東海地震の際に蒲原地震山・松岡地震山がこの断層に沿って出現したとされてきたが,その根拠は必ずしも明確ではない. 近年,詳細な空中写真判読から,富士川沿いの地域で南北性の活断層が次々と発見・確認されている.水本他(2013a,2013b)は,松田(1961)が西傾斜の逆断層と認定した身延断層に沿って,富士川の河岸段丘面の西上がりの変位や支谷の左屈曲を発見した.このうち,山梨県南部町原戸付近の支谷の系統的な左屈曲や,同町井出における河岸段丘面を西上がりに変位させる直線的な低断層崖は,身延断層が左横ずれ変位が卓越する活断層であることを示す確実な証拠である.また,渡辺他(2016)は富士川の東岸,身延駅南の角打〜樋之下に系統的な谷屈曲をもとに新たに南北性の左横ずれ断層を認定し,段丘礫層を変位させる断層露頭を確認した. さらに, 糸魚川−静岡構造線と富士川河口断層帯との間に発達する西傾斜の逆断層(松田,1961)のうち,根熊断層と田代峠断層に沿って河谷の左屈曲が複数発達することを新たに見出した.これらの断層は,「日本の活断層」(活断層研究会,1980)では確実度III(活断層の疑いのあるリニアメント)として記載されているものにほぼ一致する.このうち田代峠断層では,興津川上流の大平付近で認められる支谷の左屈曲が極めて明瞭である.伊藤他(2013)は地下構造探査の結果から,田代峠断層は逆断層成分を有する西傾斜の高角左横ずれ断層とした.また,野崎他(2013)は,田代峠断層の北方延長に当たる音下断層(松田,1960)の断層岩を解析し,この断層が高角西傾斜の横ずれ断層である可能性を指摘した.以上の結果から,南部フォッサマグナでは、糸魚川−静岡構造線と富士川との間の横ずれ変形帯が,駿河トラフにおけるフィリピン海プレート境界沿いの変動帯の陸域延長部にあたると考えることができる. 上述の新知見を考慮すれば,富士川河口断層帯、特にその東列をフィリピン海プレート北縁における陸域プレートの境界をとする考えには再検討が必要である.由比川沿いでは富士川河口断層帯の西列に当たる入山断層が活断層として認められてきた(活断層研究会,2001).しかし,由比川の支谷に左屈曲が複数認められるものの,活断層を連続的に認定するにたる明確な地形的な証拠は得られていない.また,入山断層の北方延長とされる芝川断層についても活断層であることを示す確実な証拠は得られておらず,さらに入念なフィールドワークと詳細な分析が不可欠である.
著者
林 衛
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

東日本大震災以前から市民に提供されていた石巻市ハザードマップでは,新北上川沿いの沖積平野に河口から3.5kmもの津波遡上が予測され,明示されていた。同震災で最大級の被災の現場となった大川小学校は,浸水域予測範囲のわずか0.5km上流に立地していた。地震津波発生のしくみの多様性,潮の干満などを考えれば,高低差のない平野部での0.5kmは「誤差の範囲」といってよい。ハザードマップには,体感する震度に比して巨大津波をもたらす津波地震への注意書きもあった。つまり,公的にマグニチュード8を想定した宮城県沖地震(連動型)においても,大川小学校の津波による浸水は予見の範囲外にあったとはいえないのである。避難訓練やマニュアルの整備の重要性が強調されているが,現実の災害は想定どおりとはならない。想定から想定外が予見できる大川小学校被災の事例などから,地球惑星科学の知見があってもいかされない自然災害の人災的側面に関する教訓を導き出す。文 献林 衛:中学校「理科」で震源モデルを学びたい—大川小児童の思いを語り継ぐためにも,地震学会モノグラフ第4号「学校・社会による地震知識の普及」(2015)地震学会(http://zisin.jah.jp/)出版物・資料ページからダウンロード可林 衛:有権者教育のための理科知識・批判的思考力 : 石巻市立大川小学校津波被災の原因,2015年10月日本理科教育学会北陸支部大会(金沢大学) http://hdl.handle.net/10110/14685 からダウンロード可『市民研通信』(電子版)林 衛:大川小事故検証委員会はなぜ混迷を続けるのかhttp://archives.shiminkagaku.org/archives/2014/01/post-468.html林 衛:大川小事故検証委員会はなぜ混迷を続けるのか(その2)http://archives.shiminkagaku.org/archives/2014/02/2-11.html
著者
丸山 茂徳 戎崎 俊一 大島 拓
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

生命の起源は、おそらく生物学者だけでは解けない問題だろう。この問題は、生物学のみならず、天文学、地球物理学、化学、地質学などを総動員した超学際研究によってのみ解明できるはずである。われわれは、地球史研究を通して、生命を育んだ器としての地球の歴史を、横軸46億年研究と特異点研究の2つの手法を利用して解明してきた。そこから導かれる生命誕生場はどのようなものであり、最初の生命はどのようなものだったのかをまとめたのが、地球生命誕生の3段階モデルである。本モデルでは、生命は、第一次生命体、第二次生命体を経て第三次生命体(原核生物)が誕生したことを提唱する。以下に、各段階における生命体について詳述する。第一次生命体は、それぞれの個体そのものだけでは生存できなかったが、多数が外部共生することによって生き延びることが可能であった生物群だと考える。第一次生命体が持っていたワンセットの遺伝子をミニマム遺伝子と考える。おそらく、ミニマム遺伝子は約100個の遺伝子からなっており、「膜+代謝+自己複製」を可能にした。しかし、生存するためには細胞外共生をする必要があった。当時、ミニマム遺伝子の周囲には、この微小生態系の100倍以上の量のオルガネラ(現代のウイルスに酷似の状態)が存在していたが、これらの微小生態系が活動するためには、連続してエネルギーを供給することが必要で、当時の冥王代地球表層では太陽エネルギーが利用できなかった。その代わりに、地下の自然原子炉から供給される強力なエネルギーによって地表と間欠泉内部をつなぐ環境でのみ存在が可能だった。自然原子炉間欠泉は、熱湯が周期的に噴出するため、内部の温度は100℃が上限がとなる。従って、高温によるRNAの損傷を受けることは少なかった。 間欠泉から地表に投げ出される第一次生命体は、地表に降り注ぐ原始太陽風(現在の1000倍の放射線)によって分解され死滅する。それによって、これらはタールと化す。冥王代表層環境の厚い大気(CO2100気圧)が薄くなり、次第に太陽が顔を出し始めると、可視光(太陽エネルギー)を利用することができるようになった新しい生命(第2次生命体)が生まれる。これは地下の自然原子炉間欠泉で生まれた第一次生命体を基本とし、太陽からの弱い電磁エネルギーを利用するために、半導体(FeSなど)を利用した反応システムを創り出した。第一次生命体に引き続き、第二次生命体も無限に近い種類のアミノ酸の高次有機物からできるので、第二次生命体の多様性はさらに増加し、種類は無数にあったと考えられる。第二次生命体も細胞外共生していた。原始海洋は猛毒(pH<1、超富重金属元素濃度、塩分濃度は現在の5-10倍)である。したがって、淡水をたたえる湖沼環境で生まれた第二生命体は、原始海洋に遭遇すると大量絶滅する。大陸内部のリフト帯の湖沼環境で生まれた生命体は、リフトが割けて海洋が浸入することによって大量絶滅を起こすことになる。このプロセスが何度も繰り返され、幾度となく第二次生命体は大量絶滅を経験する。一方、プレート運動によって、海洋の重金属は鉱床として硫黄とともに固定され、マントルへプレートと共に沈み込むことによって海洋から取り除かれていった。更に、陸地の風化浸食運搬作用によって、細かく砕かれた大陸の岩石と海洋が反応することによって、海洋の中性化が進む。このように浄化されていった海洋にやがて適応した生命体は遺伝子の数を桁違いに増加して、細胞壁を作り、耐性強化した。これが真正細菌でシアノバクテリアの起源だと考えられる。 こうして、原始生物は、生き延びるための防御構造を、次々と発明して、遺伝子数を急増させた。理論的に可能なアミノ酸の種類はほぼ無限(1020)に近いが、現代地球の生物は20種類のアミノ酸だけを使う。これは、第二次生命体が、無限に近い種類のアミノ酸を組み合わせたものであったが、猛毒海洋への適応戦略で淘汰された結果であろう。これが地球型生命体の起源である。
著者
和田 恵治 弦巻 峻哉 池谷内 諒 佐野 恭平 佐藤 鋭一
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

黒曜石はほとんどガラスからなりガラス構造中にH2O成分を含む。高温で加熱するとH2O成分が発泡し,軟化した緻密な黒曜石ガラス中で気泡が膨張して内部が多孔質な軽量物質(パーライトと呼ばれる)ができる。筆者らはこれまで北海道産黒曜石を電気炉中で加熱して発泡させる実験を行ってきたが,電気炉の温度設定や加熱時間,発泡開始の定義が確立されていなかった。またパーライトの組織観察を十分に行っていなかった。今回,(1)各産地における黒曜石の発泡開始温度とパーライト形成温度の測定,(2)パーライトの組織観察による分類,(3)天然の多孔体試料との組織比較を行ったので報告する。黒曜石11試料の発泡開始温度の測定においては,径2.5~4mmの黒曜石片10個を磁製皿に入れ,設定温度に昇温させた電気炉中で30分間保持した後に取り出して気泡の有無を実体顕微鏡下で確認して10個すべてが発泡した場合にその黒曜石試料の発泡開始温度(Tf)とした。パーライト形成温度についても同様の実験方法で計測し,10個すべてが完全に発泡してパーライトとなった温度をパーライト形成温度(Tp)とした。これらの加熱実験の結果,赤井川産Tf =780℃;Tp =830℃,奥尻産Tf =790℃;Tp =850℃,神津島産Tf =890℃;Tp =950℃,白滝産(IK露頭)Tf =900℃;Tp =1030℃,十勝三股産Tf =930℃;Tp =1060℃,置戸産(所山)Tf =990℃;Tp =1100℃,置戸産(北所山)Tf =1010℃;Tp =1090℃,白滝産(十勝石沢露頭)Tf =1030℃;Tp =1160℃,白滝産(球顆沢露頭)Tf =1060℃;Tp =1150℃,白滝産(西アトリエ)Tf =1070℃;Tp =1190℃,白滝産(あじさいの滝露頭)Tf =1070℃;Tp =1190℃であった。パーライト組織の観察では各産地の黒曜石を1cmキューブ状にしたものをパーライトに作成した。気孔の大きさや形態・数密度から3つのタイプ(A~C)に分類した。Aタイプは気孔の大きさが約1mmであり,1つ1つが独立して球形をなす。表面・断面共に光沢がある。これらは発泡開始温度が990℃以上,及びパーライト形成温度が1060℃以上の6試料である。Bタイプは気孔の大きさが1.5mm〜5mmで1つ1つ独立している。気孔は球形〜不規則形で歪んだ形状を示す。表面は白灰色だが断面は光沢を示す。これらはTfが900℃〜930℃,Tpが1030℃〜1060℃の2試料(白滝IK露頭・十勝三股)である。Cタイプは気孔の大きさがパーライトの気孔組織は,加熱温度や加熱時間・黒曜石の水分量が深く関係し,ガラス構造に基づく物性(ガラス粘度など)も気泡の形状に関係するかもしれない。天然の多孔体(軽石や発泡した黒曜石)の気孔組織と比較すると,気孔の形状や数密度が天然多孔体と異なる。これは,(1)黒曜石がすでに脱ガスした試料で水分量が少ないこと,(2)天然多孔体がマグマ流体の動きの中で気泡が生成し移動や引き延ばしによってできた形状なのに比して,パーライトは静的な条件のもと,軟化した黒曜石壁を気泡が等方状に膨張したことに起因すると考えられる。
著者
原田 智也 西山 昭仁 佐竹 健治 古村 孝志
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

京都・奈良の日記には,明応七年六月十一日(ユリウス暦1498年6月30日)の申の刻(午後3〜5時)に“大地震”と記録されている.また,江戸時代に編纂された史料では,鹿児島県から山梨県にかけて大地震が記録されている.特に,江戸時代初期に書かれた『九州軍記』という軍記物語には(以下,“軍記”と呼ぶ),九州地方における,この地震による大被害が記述されている(ただし,地震の発生時刻は,巳の刻(午前10〜12時)と書かれている).軍記は,明応七年六月十一日の地震から100年以上後に書かれた文学作品であるにもかかわらず,九州における地震被害の記述は,多くの地震学者に無批判で受け入れられ,この地震の震源を推定するための情報として重要視されてきた.宇佐美(1987)は,軍記における記述の信頼性は低いとしながらも,京都およびその以東で申の刻に記録された地震と,軍記に記述された巳の刻の地震とを別々の地震と考え,巳の刻の地震の震央を日向灘に推定した(M7.0〜7.5).ただし,震央の精度は100km程度としている.都司・上田(1997),都司(1999)は,軍記の被害記述の一部を津波の描写であるとし,また,中国上海における同日の水面動揺(宇津,1988)も同じく津波であると考え,六月十一日の地震を,同年八月廿五日(9月11日)に発生した明応東海地震に先行した南海地震であると主張した.石橋(1998,2002,2014)は,軍記の記述と上海の水面動揺を津波とする解釈には無理があることを指摘し,さらに他の史料の精査により,六月十一日の地震は南海地震でありえないとした.なお,石橋(1998,2002,2014)は,この地震が,1909年宮崎県西部の地震(M7.6)のような,九州下のスラブ内大地震である可能性もあるとしている.また,「[古代・中世]地震・噴火史料データベース(β版)」では,「14~16時頃に京都で強い地震の揺れを感じた。被害は記録されていない。三河の堀切や熊野地方の新宮も強く揺れた模様。この日午前10時頃に日向灘で大地震が起きて九州で大災害とする説があるが、根拠とする『九州軍記』の記事は疑問である。」という綱文が立てられている.以上のように,この地震の震源について議論が続いているが,この議論を解決するには,九州における地震被害の有無を検討する必要がある.そのためには,軍記における被害記述の信頼性を確かめる必要があるので,本研究では,軍記の成立過程と被害記述の検討とを行った.その結果,以下の理由により,軍記における被害記述の信頼性は非常に低いと考えられ,明応七年六月十一日の地震による九州での大被害の有無は不明,あるいは,無被害である可能性も高いことが分かった.したがって,六月十一日巳の刻の地震が日向灘の大地震であるという説は再考が必要である.(1)地震被害の記述には,具体的な地名が無く,大地震による一般的な被害の描写である印象を受ける.(2)被害記述後に,過去の大地震が列挙されているが,このことから作者が過去の大地震を調べることができたことが分かる.よって,明応七年六月十一日の地震も,年代記等から調べられた可能性がある.(3)誇張された地震発生時刻に関する記述から,この地震が巳の刻に発生したと読めるが,この時刻は,明応東海地震の発生時刻である辰の刻に近い.実際,同時代史料である『親長卿記』や『塔寺八幡宮長帳』では,明応東海地震の発生時刻を巳の刻としている.したがって,軍記の作者が,明応東海地震と六月十一日の地震を混同していた,あるいは,混同して記された史料に基づいて,六月十一日の地震を描写した可能性がある.(4)地震の記述がある章は,明応七年に終わる章と永正二年(1505年)から始まる章との間にあり,文亀三年(1503年)の大飢饉と,度重なる災害による人々の苦しみも記されている.したがって,この章は後に続く物語の舞台設定の性格が強く,地震被害も物語を盛り上げるための創作である可能性も考えられる.(5)軍記には,僧了圓による慶長十二年(1607年)四月と記された序がある.序によると,軍記は,肥前国松浦郡草野村(現福岡県久留米市)において,烏笑軒常念(文禄四年(1595年)没),草野入道玄厚によって書き継がれ,慶長六年(1601年)に完成した.また,軍記完成から約250年後の史料であるが『橘山遺事』によると,了圓も軍記の修正と補筆を行っていたようだ.よって,玄厚(と了圓)は,文禄五年(1596年)の慶長豊後地震を近くで体験していると考えられ,その体験や情報が軍記の記述に影響した可能性も考えられる.本研究は,文部科学省委託研究「南海トラフ広域地震防災研究プロジェクト」の一環として行われた.
著者
宋 苑瑞 藁谷 哲也 小口 千明
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

アンコール遺跡は,クメール王朝によっておもに9~13世紀に建てられたカンボジアの石造建築物群である.遺跡には王朝を代表する芸術と文化が建物の彫刻に多く残され,1992年にユネスコ世界遺産に指定されたことから,毎年多くの観光客を集めている.自然劣化の進んだアンコール遺跡の保存修復は,20世紀初頭からフランス極東学院によって行われてきた.また内戦後,とくに悲惨な状態にあったアンコールワット寺院の修復作業は,インド考古調査局(ASI)によって1986~1993年に行われた.ASIはアンコールワット寺院を構成する砂岩ブロックの割れ目にモルタルを注入して水の浸透を防ぎ,紛失部分や毀損箇所を修復するとともに,建物を覆う植物の除去作業を行った.また,寺院のほぼ全域(約20万m2)を対象として,砂岩ブロックの表面洗浄を行った. このような膨大な規模の洗浄作業後,アンコールワット寺院の表面の色は建築当時の砂岩本来の色である灰色~黄色い茶色に戻った. 現在,アンコールワット寺院を構成する砂岩ブロックの表面は全体的に黒っぽく見える.これは,おもにシアノバクテリアのバイオマットであり,1994年以降に形成されたものである.文化財の保存修復分野では,バクテリア,カビ,地衣類をはじめミミズやシロアリ,植物などの生物的要素が遺跡(岩石)を風化(生物風化)しているのか,保護しているのか長く議論が続いている.これは風化現象が物理的,化学的,生物的な要素が合わさって起こるとても複雑な現象であり,風化環境や風化継続時間によって異なる結果がもたらされているためと考えられる.本研究では,アンコールワット寺院の第一回廊基壇に付着するシアノバクテリアが,砂岩ブロック表面にどのような影響を与えているかについて検討を進めた.ASIによると,基壇の砂岩ブロックに対しては,アクリル樹脂を用いた防水処理を行っている.しかし,その約2年後からシアノバクテリアが基壇表面を覆い始め,砂岩ブロックはスレーキングによる剥離部分とシアノバクテリアの付着した黒色変色部分が共存するようになったという.そこで,このような砂岩ブロック表面の剥離部分と変色部分に対して,シュミット・ロックハンマーとエコーチップ硬さ試験機を用いた反発硬度測定を行った.その結果,剥離部分は変色部分に比べて反発値が最大3.7倍大きかった.剥離されず,シアノバクテリアにも覆われていない部分も変色部分に比べて最大3.6倍も大きかった.シアノバクテリアはアンコールワット寺院の回廊を保護しているのではなく,表面硬度の低下を引き起こしている点では風化を促進していると言える.さらに, アンコールワット寺院に関しては,殺虫剤を使い生物的要素を除去してもすぐに原状に戻るため,表面洗浄作業はほとんど意味がなく,人工樹脂処理後20年以上経過した今はそれが蒸発を防ぎ風化を加速させたり,それ自体が溶け落ちるなど他の問題の生じているため樹脂の使用を慎重にする必要がある.
著者
池上 郁彦 Carey Rebecca McPhie Jocelyn Soule Adam 谷 健一郎
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

1. IntroductionThe eruption of Havre 2012 was the largest deep submarine silicic eruption in the modern history (Carey et al. 2014). The eruption was first detected by an airline passenger who saw extensive rafts of floating pumice on the ocean. The later investigation identified the onset of pumice dispersion on the 18th July 2012, which was accompanied by a subaerial plume and hotspot on the NASA MODIS satellite imagery. In addition, significant seismicity at the Havre caldera was measured during this time. Three months after the event, R/V Tangaroa of NIWA (National Institute of Water and Atmospheric Research, New Zealand) visited the Havre volcano and mapped the area using a EM120 multibeam system. This survey detected several new features along the caldera rim which did not exist in 2002. However, the resolution of the map did not permit the identification of the types of volcanic features present.2. MESH CruiseIn 2014, the Mapping Exploration & Sampling at Havre (MESH) cruise was conducted to visit the seafloor and performed a geological field study of the 2012 eruption deposits. The R/V Roger Revelle (Scripps Institution for Oceanography, UCSD) and two unmanned vehicles, Sentry AUV (Autonomous Underwater Vehicle), and Jason ROV (Remotely Operated Vehicle) of WHOI (Woods Hole Oceanographic Institute) facilitated the voyage. The Sentry AUV mapped the full area of the 5-km wide Havre caldera with high-resolution bathymetry (1-m grid). The ROV Jason conducted traverses along the eruption products discovered by the Sentry high-resolution map, conducting sampling for the rocks and sediments at the seafloor.3. Results and DiscussionsThe MESH cruise identified six lava flows (A~D,F,G), eight lava domes (H,I,K~P), two units of ash and lapilli deposits (AL,ABL), two debris avalanche deposit (MF1,2), and an extensively emplaced giant pumice deposit (GP) as the products of the 2012 eruption (Fig. 1). Most of the effusive products which this research focuses on have porphyritic textures with the phenocrysts of plagioclase, and pyroxene. Their whole rock composition ranges from 68~72% SiO2 and inferred that the Havre 2012 magma was rhyodacitic.The series of lava consists of both lava flows (length of 0.6~1.2 km) and lava domes (height of 70~250 m). Their vents were distributed along the fissures at the southern rim of the caldera which strongly infers structural control for magma ascent. The western part of the fissure is dominated by lava flows (A~G) which immediately descended the 30° slope of the caldera wall. They have clear levee structure with 70~150 m thickness, compression ridges for 10~30 m intervals, and talus with >20 degrees. The fissures from the middle to east formed small lava domes (H~P), although the easternmost one (O-P complex) is exceptionally large (1.1 x 0.8 km elliptical base with 250 m height). The total volume of these effusive products was 0.24 km3.The chronology of the lava effusion has been investigated using the stratigraphical relationship to the GP unit, which was dispersed on 18th July. This enables constraints on the lava effusion rate between the 18th July to 19th August (NIWA voyage). The maximum volume of the lava post-dating GP (0.19 km3 for A, F~P) draws the maximum effusion rate of 25 m3/s for 90-days average. This values comparable to other well-constrained subaerial silicic lavas, such as 50 m3/s for 20-days at Cordon-Caulle 2011 eruption (Bertin et al. 2015), or 66 m3/s for 14-days at Chaiten 2008 eruption (Pallister et al. 2013).4. ConclusionThe Havre 2012 eruption produced 0.24 km3 of rhyodacite lava flows and domes. The largest lava dome grew to the height of 250m and the longest lava flow advanced 1.2km from its vent despite the deep submarine environment. These investigations have calculated submarine silicic lava effusion rates (25 m3/s) for the first time.