著者
近藤 暁夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000334, 2018 (Released:2018-06-27)

1. 問題の所在 近年日本では「地政学」を名乗る一般書・入門書が陸続と出版され,『人文地理』の学界展望でも紹介されるに至っている.これらの大部分は,学術的な論究よりも著者の政治的主張や解説が前面に出ており,学術書と区別して「論壇地政学」(高木 2017)や「ポップ地政学」(土佐 2017)と括られる.日本地政学の負の歴史を背負う我々地理学界が,今更論壇地政学に関わることは憚られるべきだが,他方で昨今の「地政学ブーム」といわれる出版・言論の状況に沈黙を保つのもいささか無責任であろう. そこで本報告では,「ポップ地政学」の一般書に掲載されている地図図版に着目し,その表現や内容の科学的検討を行いたい.どのような本であれ「地政学」を名乗る以上は地図を重視しているはずであり,また地図の客観的検討に限定すれば地政学論壇に参加しない形で地理学の立場からの言及も容易となる.また,従来の批判地政学における地政言説分析の問題点とされてきたテクスト偏重の傾向を埋める役割も期待できよう.2. 検討の手順と方法 書名に「地政学」を含み,2017年12月現在インターネット書店で入手でき,かつ価格が2000円以下の書籍のうち,訳書や復刻本,ムック等を除く39冊を「地政学一般書」として抽出し,そこに掲載されている地図(主題図)の内容と表現について評価付けを行った.評価は次の基準で行った.①地形や領域の表現・表記などに,高等学校地図帳に記載されている「事実」レベルでの誤りはないか.②地理学の一般書にふさわしい水準の主題図表現になっているか.例えば方位記号や距離尺を欠いていないか.3. 結果と展望 対象とした書籍に掲載されている地図の枚数は,地図帳形式や「図説」を名乗る数冊を除けばまちまちで,10枚以下の本も少なくない.例えば,地政学論壇の第一人者とされる佐藤優の著書では対象とした5冊合計で13枚の地図しか掲載されていない.ハウスホーファー(1938)『太平洋地政治学』には47枚,マッキンダー(1942)『デモクラシーの理想と現実』には32枚の地図(主題図)が掲載されていることを考えると,地政学本としては異例の少なさといえる.渡部昇一『世界の地政学的大転換を主導する日本』(徳間書店, 2016)や黄文雄『地政学で読み解く没落の国・中国と韓国 繁栄の国・日本』(徳間書店, 2017)に至っては地図が1枚も掲載されておらず,これなどはマッキンダーらが体系化した地政学とは別の世界に属するものといえよう. これらの書籍に掲載されている地図(主題図)の表現や内容については,基礎的な事実レベルでの誤りが多く,ほとんど科学的な批判に耐えられる水準にない.例えば,山内昌之・佐藤優『新・地政学』(中央公論新社, 2016)では「南スーダンの位置にケニアが描画」され,船橋洋一『21世紀地政学入門』(文藝春秋, 2016)では「竹島が対馬海峡に描画」され,日本再建イニシアティブ『現代日本の地政学』(中央公論新社, 2017)では「チェコとスロバキアが合体」している.残念なことに,対象とした39冊のなかで,10枚以上の地図を掲載し,かつそれらすべての地図が一般的な地理学の書籍において必要される地理的知識と地図学の成果を踏まえた主題図表現の水準に達しているものはなかった.少なくとも,掲載されている地図の内容が高等学校地理修了水準未満の誤りを多々含んでいる以上,これらの書籍が「地理を下敷きにした科学」の名を名乗ることは許されないであろう. 土佐(2017)は「ポップ地政学」が地図という視覚情報を使うがゆえに,難解になりがちな地政学批判よりも一般社会への訴求力が強いことを懸念しているが,それはポップ地政学が用いる地図が高度なものであることを前提にしている.質の低い地図の大量掲載という事実は,適切に指摘さえすれば,逆に「ポップ地政学本」のレベルの低さを訴求する.日本のポップ地政学は,少なくとも用いる地図に関してはほとんど科学的な批判に耐えられる水準にない.地理学の仕事は,ポップ地政学の批判だけでなく,彼らがせめて高校レベルの地理と地図の知識を習得して出直すことができるよう,教育的見地から優しく諭すことだろう.【文献】高木彰彦 2017. 学界展望 政治地理. 人文地理69: 317-321.土佐弘之 2017. 地政学的言説のバックラッシュ―閉じた世界における不安と欲望の表出―. 現代思想45-18: 60-70.
著者
原田 悠紀 青木 久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000213, 2018 (Released:2018-06-27)

1.はじめに 海水飛沫帯の岩石表面に形成される微地形に,タフォニやハニカム構造(以下,単にハニカムとする)がある.両者は塩類風化によって岩石表面の強度が低下した結果形成される窪みであるが,一般に,ハニカムはタフォニよりも窪みが浅く,蜂の巣状の平面形態を示す地形である.ハニカムはタフォニの生成初期の地形であると指摘する研究が存在するものの,両者の関係性を実証的かつ定量的に考察された研究はない.本研究では,海岸域に建設された砂岩塊からなる石垣表面にタフォニとハニカムがみられることに着目し,それらの分布,窪み深さ,および岩石強度を調べ,タフォニとハニカムの形成条件を明らかにすることを目的とする.さらにそれらの結果からタフォニとハニカムの関係性について考察する. 2.調査地域 千葉県銚子市海鹿島海岸は砂浜や波食棚が発達している.その波打ち際には全長約100 m,高さ約2.5 mの昭和初期に建てられた石垣が存在する.石垣は砂岩塊で積み上げられた最大7段の積み石からなっている.砂岩塊の大きさは,幅約40 ㎝,高さ約30 ㎝である. 3.調査方法 まず観察により,砂岩塊表面に見られる微地形について,窪みの有無,風化物質の有無,平面形態に基づき地形分類を行った.タフォニとハニカムのように窪んでいる地形については窪み深さを計測した.次にエコーチップやシュミットハンマーを用いて砂岩塊表面の強度計測を行った. 4.調査結果と考察砂浜背後の砂岩塊には,多くのハニカムが形成されており,波食棚背後の砂岩塊にはタフォニが卓越していた.潮間帯の砂岩塊は風化物質が付着しておらず,ほとんど窪んでいなかった.タフォニとハニカムの窪み深さを比較してみると,タフォニの方がハニカムよりも大きかった.風化していない砂岩塊(以下,未風化砂岩),タフォニ,ハニカムの岩石強度を比べてみると,岩石強度は,タフォニ<ハニカム≦未風化砂岩であった.この結果から,タフォニはハニカムに比べて,塩類風化によって強度が大きく低下した砂岩塊に形成される地形であり,ハニカムとタフォニの形成の差異は,砂岩塊表面の風化による強度低下量の違いに関係することがわかった.同一の砂岩塊においてハニカムとタフォニが共存していたり,ハニカムの側壁に穴が空いていたりする地形が観察された.以上のことから,塩類風化によってわずかに強度低下した砂岩塊に形成されたハニカムは,風化の進行に伴い,窪みがより深くなり,側壁が破壊されることによってタフォニに変化していくと推察される.付記 本研究は科研費(17K18524)の助成を受けて実施された成果の一部である.
著者
川添 航 坂本 優紀 喜馬 佳也乃 佐藤 壮太 松井 圭介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000228, 2018 (Released:2018-06-27)

1.はじめに近年,アニメーションや映画,漫画などを資源とした観光現象であるコンテンツ・ツーリズムの隆盛が指摘されている.本研究は,コンテンツ・ツーリズムの成立による来訪者の変容に伴い,観光現象や観光地における施設や関連団体,行政などの各アクターにどのような変化が生じたかという点に着目する.研究対象地域とした茨城県大洗町は県中央部に位置しており,大洗サンビーチ海水浴場やアクアワールド茨城県大洗水族館などを有する県内でも有数の海浜観光地である(第1 図).また2012 年以降はアニメ「ガールズ&パンツァー」の舞台として商店街を中心に町内に多くのファンが訪れるなど,新たな観光現象が生じている地域でもある(石坂ほか 2016).本研究においては,大洗におけるコンテンツ・ツーリズムの成立が各アクターにどのように影響したかについて整理し,観光地域がどのように変化してきたか考察することを目的とする.2.対象地域調査対象地域である大洗町は,江戸時代より多くの人々が潮湯治に訪れる観光地であった.その観光地としての機能は明治期以降も存続しており,戦前期においてすでに海水浴場が開設されるなど, 豊かな自然環境を活かした海浜観光地として栄えてきた.戦後・高度経済成長期以降も当地域における観光業は,各観光施設の整備や常磐道,北関東道,鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の開通などを通じ強化されていった.しかし,2011 年に発生した東日本大震災は当地にも大きな被害をもたらし,基幹産業である観光業や漁業,住民の生活にも深刻な影響を与えた.大洗町における観光収入は震災以前の4 割程度まで落ち込む事になり,商工会などを中心に地域住民による観光業の立て直しが模索されることになった.3.大洗町における観光空間の変容2012 年放映のアニメ「ガールズ&パンツァー」の舞台として地域が取り上げられたことにより,大洗町には多くのファンが観光者として訪れるようになった.当初は各アクターにおける対応はまちまちであったが,多くの訪問客が訪れるにつれて様々な方策がとられている.大洗町商工会は当初からキャラクターパネルの設置や町内でのスタンプラリーの実施など,積極的にコンテンツを地域の資源として取り入れれ,商店街などに多くのファンを来訪者として呼び込むことに成功した.また,海楽フェスタや大洗あんこう祭りなどそれまで町内で行われていたイベントにおいてもコンテンツが取り入れられるようになり,同様に多くの来訪者が訪れるようになった.これらコンテンツを取り入れたことにより,以前は観光地として認識されていなかった商店街や大洗鹿島線大洗駅などにも多くの観光者が訪問するようになった.宿泊業においても,アニメ放映以前までは家族連れや団体客が宿泊者の中心であったが,放映以降は1人客の割合が大きく増加するなどの変化が生じた.
著者
今井 修 寺田 悠希 松木 崇晃 杉野 弘明 林 直樹
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000030, 2018 (Released:2018-06-27)

農村地域における鳥獣被害が発生する場所では、主としてハンターによる捕獲が行われている。一方で住民は、自分達の地域を守るために果たすべき行動を学ぶことが必要である。鳥獣対策ボードゲームのもつロールプレイン機能は、動物、ハンター、住民それぞれの空間行動を学ぶことができる。住民の行動を引き出すように設計されたボードゲームをプレイすることにより、住民は短時間に具体的な対策行動について学ぶことができる。その結果、ゲーム後具体的な地域において住民は、動物の目撃情報の提供、餌場対策等、ハンターと協力し対策の効果を上げることができる。また、ボードゲームとして高校生による参加が期待でき、地域課題への関心を促す道具となる。
著者
遠城 明雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000098, 2018 (Released:2018-06-27)

祭礼は、一般的に日常性とは異なる時空間を創出し、独自の身体技法の実践による共同性の感覚や地域の記憶・歴史の意識の再生産、さらに見る/見られるという関係性の構築などを通じて、ある地域集団とその外部をつなぐと同時にその差異を際立たせることによって、個人あるいは集合体を活性化させる役割を果たす一種の文化装置という側面を有する。1960年代以降、祭礼を支える社会的紐帯が弱体化する一方で、祭礼は都市と農村を問わず、地域の観光資源となり、さらには「文化遺産」へと「格上げ」されていくことで、祭礼を支え、またそれを媒介として培われるローカルな社会関係や地域意識に変化が生じてきた。本報告では、博多祇園山笠(福岡市)を事例に、そうした変化の一端を考えてみたい。
著者
牛山 素行
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000185, 2018 (Released:2018-06-27)

2004~2017年の日本の土砂災害,洪水災害による死者・行方不明者の発生位置と,ハザードマップによる土砂災害危険箇所・浸水想定区域,地形分類図から読み取った地形との関係を解析した.土砂災害犠牲者の約9割が土砂災害危険箇所で遭難しているが,洪水災害犠牲者で浸水想定区域内での遭難者は4割弱にとどまる.2016年台風10号,2017年7月九州北部豪雨では,こうしたハザードマップから危険性が読み取りにくい箇所での犠牲者が目立った.一方,地形との関係を見ると,洪水災害犠牲者の8割以上が低地で遭難していることがわかり,地形分類図が基本的なハザードマップとして有効であることが示唆されるが,利用上の課題も考えられる.
著者
喜馬 佳也乃 坂本 優紀 川添 航 佐藤 壮太 松井 圭介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000328, 2018 (Released:2018-06-27)

1.はじめに 「聖地巡礼」とはアニメや漫画の舞台となった場所をファンが訪問するコンテンツ・ツールズムの一形態である.大石(2011)によると,こうした「聖地巡礼」行動の歴史は2002年に制作された『おねがい☆ティーチャー』に端を発し,この背景には情報を共有するためのインターネット,そして現地の写真とアニメの描写を比較するためデジタルカメラとHDDレコーダーといったデジタル画像処理技術の普及が必要であったとされる.2010年代以降,アニメや漫画といったサブカルチャーコンテンツの一般化が進展する中,SNSとスマートフォンの普及により,ますます情報の共有,発信が盛んとなってきている.これに伴い「聖地巡礼」行動も隆盛を極め,地域活性化の一資源として注目されるに至っている.本研究では,こうした「聖地巡礼」行動の一大訪問先となった茨城県大洗町において,そこを訪れる巡礼をファンの属性や訪問回数,訪問先などを分析し,「聖地巡礼」を行うファンの変化を明らかにする.2.大洗町とアニメ「ガールズ&パンツァー」 アニメ「ガールズ&パンツァー」は,架空のスポーツである戦車道に取り組む少女たちを描いた作品である.登場人物のほとんどを美少女キャラクターが占めるいわゆる「萌え」作品であると同時に,戦車といったミリタリー要素,そして「スポ根」と表現されうるストーリー展開を併せた点が特徴とされる.2012年10月から深夜帯で放送され,2015年には劇場版が上映された.2017年12月以降も劇場作品が制作され続けており,続編の多さからも人気作品であることが伺える. 大洗はこの作品の主人公の所属する高校が立地し,作中にもアニメ本編,劇場版ともに戦車による試合の会場として登場する.大洗町のマリンタワーやアウトレットといったランドスケープが登場する以外にも,市街地の商店街内を戦車が駆け巡るなど,広範囲にわたって描写される.作中の背景描写は実際の大洗町を詳細に描いたものであり,ファンを引き付ける要素となっている.3.大洗町を訪れるファンの分析 大洗町を訪れるファンのほとんどは男性であり,年齢は10代から50代まで幅広い.劇場版の放映後に大洗を訪問したというファンが半数以上を占めている.訪問地は訪問回数と一部相関関係が見られ,商店街はほぼ全員が訪れる一方,アウトレットやマリンタワーには来訪頻度が少ないファンが訪れる傾向にある.商店街はアニメに直接描写された場所であるが,来訪頻度が高いファンには行きつけの店や馴染みの店としての意味も付与され,アニメの舞台として特別な場所という意味付けから,日常の一部にシフトしていったものと捉えられる.ファンの男性たちを顧客として受け入れる商店街の態度は,村田(2000)の疎外する場所とは逆の状況が生まれているとも指摘でき,こうした受容の結果,「聖地巡礼」を契機とした移住者の存在も確認される.
著者
及川 幸彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000283, 2018 (Released:2018-06-27)

1. 新学習指導要領の基盤としてESD 2017年3月末に,2018年度から順次施行される幼稚園及び小・中学校の新学習指導要領等が公示された。この新たな学習指導要領等の策定過程において発表された中央教育審議会の答申では,「持続可能な開発のための教育(ESD)は次期学習指導要領改訂の全体において基盤となる理念である」と述べている。そして,この答申に基づき策定された新たな小・中学校学習指導要領において,今回初めて創設された理念を謳う前文と全体の内容に係る総則の中に,「持続可能な社会の創り手」の育成が掲げられた。さらに,各教科・領域においても,関連する内容が盛り込まれている。 新学習指導要領は,ESDの理念とこれまでの実践も踏まえて検討されたものであり,今回の改訂は,「持続可能な社会の創り手」を育成するESDが,新学習指導要領全体において基盤となる理念として組み込まれたものと理解できる。また,ESDが重視する学習内容や方法は,新学習指導要領に示された「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善の方向性にも資するものであり,さらに,地域や外部機関,あるいは世界と連携して学際的かつ体系的に学びを構築するESDは,「カリキュラム・マネジメント」の具体的な実践強化にもつながるものである。したがって,ESDを推進することは,新学習指導要領の改訂の趣旨に沿うものであり,各教科・領域のみならず教育課程全体で取り組むべきものである。2. 持続可能な開発目標(SDGs)を達成するESD 2015年9月の国連総会で「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択され,その中で「持続可能な開発目標(SDGs)」が掲げられた。SDGsは,発展途上国のみならず,先進国も取り組む2016年から2030年までの国際的な目標で,持続可能な世界を実現するための17の目標(Goal)と169のターゲットから構成されている。このSDGsにおいて,「教育」は目標4に位置付けられ,「すべての人に包摂的かつ公正な質の高い教育を保証し,生涯学習の機会を促進する」とされており,さらに,ESDは,ターゲット4.7に「持続可能な開発を促進するために必要な知識及び技能の習得に向けて取り組む」こととされている。しかし,教育及びESDは,目標4(4.7)にとどまるものではなく,「持続可能な社会の創り手の育成」を通じて,SDGsの17の目標すべての達成に貢献するものと考えられる。すなわち,ESDをより一層推進することが,SDGsの達成に直接・間接につながるものである。3. ESDの更なる推進のためのジオパークの活用 ジオパークは,2015年にユネスコの正式事業(ユネスコ世界ジオパーク)と承認されたこともあり,今後,教育分野での活用が期待されている。特に,ユネスコが主管するESDやユネスコスクール等の取組と連携して,ジオパークが有する稀有な地質や自然,文化や防災等の特性を生かした教育資源を提供してESDを展開するような「拠点」としての機能を果たすことが求められている。 近年,ユネスコスクール等を中心に,学校教育と世界遺産やユネスコエコパークといった他のユネスコ活動とが連携し,その理念や活動を,ESDの様々な学習に取り入れている例が増えてきている。この枠組みは,ユネスコの理念の実現とともに,ESDの推進においても重要である。また,ジオパークは,ユネスコスクールやエコパークと同様に国際的な「ネットワーク」であり,個別の地域に根差しながらも他のジオパークとの交流によりグローバルな視野で学びを共有する仕組みづくりが可能となる。このように,ジオパークを活用した教育活動は,ESDの推進にとって有効なアプローチであるとともに,それを基本理念とする新学習指導要領の趣旨を実現することにも寄与するものである。
著者
駒木 伸比古
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000073, 2018 (Released:2018-06-27)

1. 研究の背景と目的本シンポジウムの趣旨は「不動産の利活用から地方都市再生を考える」であるが,地方都市再生において中心市街地活性化は重要テーマのひとつに位置づけられる。中心市街地活性化法は1998年の制定から2006年,2014年の二度の改正を経て現在も続けられており,自治体は各種事業などを展開している。ここで,法律に基づき基本計画を策定する際に各自治体によって定められる中心市街地の「位置および区域」について注目したい。中心市街地活性化法における中心市街地は,「都市全体の維持に必要な商業・サービス業をはじめとする都市機能が集積する原則として単一の中心核」のように要約される。こうした中心市街地の社会・経済状況や政策・事業の実施状況については,地理学に限らず都市計画などの隣接分野でも研究がなされてきたが,目標指標の特徴と到達状況を検討した伊藤・海道(2012)は,共通の指標で判断することが難しく,「地域特性をふまえた説明力のある指標」が必要であることを指摘している。そこで本発表では,中心市街地活性化基本計画認定都市における中心市街地(基本計画区域)における都市・商業機能の集積状況を,統計結果および施設立地状況から明らかにする。2. 分析方法本発表では,2017年12月現在,中心市街地活性化基本計画によって設定されている141都市144基本計画区域を研究対象とした。自治体区域全体に占める中心市街地活性化区域における都市・商業機能の集積状況について検討する。商業機能については,商業統計に基づく事業所数,従業者数,年間販売額,売場面積,そして大型店の立地とする。都市機能については,公共施設,医療機関,福祉施設,文化施設,バス停,鉄道駅とした。これらのデータについて,認定自治体全域および中心市街地における立地状況についてGISを用いて計測し,その集積状況について算出した。また,これらの結果を用いて,類型化を行った。3. 分析結果平成14年および平成26年の商業統計メッシュ統計結果を用いて,区域における小売業の事業所数,従業者数,年間販売額,売場面積について推計するとともに,自治体全体に占める中心市街地の割合について算出した。その結果のうち,年間販売額に関して,その変化率と集積率の推移との関係をしめしたものが図1である。r=0.61と両者の間には中程度の正の相関がみられ,中心市街地における小売業が活発になるほど,集積も高まる傾向にあることが明らかとなった。ただし,正の値を示す中心市街地は144区域中3区域(2.1%)に過ぎない。一方,年間販売額は減少しているものの集積率が高まっている中心市街地が6区域あり,これらの自治体については,「集積」という観点からは成功しているとみることができる。発表当日は,そのほかの都市・商業機能の集積状況の結果を提示するとともに,いくつかのタイプに分けて考察した結果について報告する。
著者
前田 一馬
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000322, 2018 (Released:2018-06-27)

Ⅰ.研究の背景と目的 本研究は長野県北佐久郡軽井沢を事例として、明治期における陸軍の脚気転地療養地として当該地が利用されたその実態と経緯を明らかにする試みである。 一般的に転地療養地と見なされてきた場所は、古来温泉地であったが、近代化とともに新たな環境が転地療養に適した場所として見いだされてきた。典型的には、明治期に海水浴場が、大正期に結核サナトリウム治療の適地としての高原が、西洋医学的な環境観の導入とともに、新たな療養地になったものと理解されてきた。 しかし、陸軍脚気療養地の実態を検討すると、早くも明治10年代には「高原」(高地)が陸軍の脚気転地療養地として見出されていた。日本の医学が漢方医学から西洋医学へと転換していくなかでも、脚気の治療法は、日本で知られていた漢方の療法である転地療養が行われていた。また、その後の陸軍(細菌説)と海軍(栄養欠乏説)の対立(脚気論争)は有名である(山下1988)が、細菌説の導入に先んじて、脚気転地療養が陸軍に導入されている。このように陸軍脚気療養地として、「高原」が加えられた経緯は、どのようなものであっただろうか。 本研究では陸軍の脚気治療を取り巻く軍医本部の動向・見解および軽井沢の環境を、陸軍関連文書や新聞記事等から検討することで、医学的見解や環境認識が、「高原」を療養地にふさわしいとする契機となったことを考察する。Ⅱ.陸軍の脚気転地療養地 脚気とはビタミンB1の欠乏による栄養障害性の神経疾患である。近世後期には白米の普及と米食偏重により「江戸煩い」等の名をもって都市的な地域で流行した。脚気の流行は明治期には国民病と言われるほど流行し、徴兵制のもとで組織化が進められていた軍隊、とりわけ兵数の規模が大きい陸軍で患者数は増大した。1875(明治8)年から刊行された『陸軍省年報』によると、脚気は、「天行病及土質病」として捉えられており、陸軍各鎮台の治療実施とその経過の報告は他疾病に比べて詳細である。原因は降雨後の溢水による湿気などによって生じる不衛生な空気や土壌が病根を醸成する一種の風土病と推察されており、空気の流れや汚水の滞留を防止する対策が取られている。治療法は「転地療法奇験ヲ奏スル」と転地療養が効果をあげていることがうかがわれる。1870年代の各鎮台の主な転地療養地は多くの場合、温泉地が選択されている。つまり、患者が発生した場所(兵営)を避けることが重視されており、古来療養の場とみなされた温泉地が転地先として選ばれたと考えられる。Ⅲ.転地療養地の拡大:軽井沢にみる療養に相応しい場所 1880年代以降、陸軍の脚気転地療養地には多気山、榛名山、軽井沢といった温泉地ではない「高原」(高地)が加えられていくことになる。1881年8月、「幽僻且清涼ニシテ最モ適当」な転地先として高崎兵営の脚気患者130名が軽井沢に送られた(『陸軍省日誌』『高崎陸軍病院歴史』)。当時の軽井沢には、まだ外国人避暑地は形成されておらず、温泉を持たない衰退した旧宿場町であったが、残存する旅館が患者を受け入れることができた。後年、日清・日露戦争と多くの脚気患者の転地療養地として利用されていく軽井沢で行われていた治療法は『東京陸軍予備病院衛生業務報告(後)』によると、気候療養と記録されている。このように、高原の気候が陸軍において注目されていたことがわかる。 現代医学からみると脚気の転地療養は対処療法に過ぎず、治療法として正しくなかったかもしれない。しかし、当時の医学的知識が活用され、健康を取り戻すための療養に相応しいとされる「環境」は確かに存在した。この陸軍脚気療養地としての軽井沢は、後年の結核の療養と結びつけられた高原保養地としての軽井沢とは、異なる分脈から見出された療養(癒し)の景観であったと思われる。こうした場所が発見されていく過程に見え隠れする、当時の健康と場所の関係を、転地療養地の実態や近代期の社会的文脈性のなかで考察し、今後検討すべき課題とする。〔参考文献〕山下政三1988. 明治期における脚気の歴史. 東京大学出版会.
著者
細井 將右
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000091, 2018 (Released:2018-06-27)

日本政府は、明治初期、陸軍近代化のため、フランスから陸軍教師団を招聘し、1872年から1880年滞在した。その中に工兵士官が含まれ、工兵教育の一環として地図測量教育が行われ、明治8年最初の『工兵操典』測地之部が1855年のフランスの工兵連隊学校教科書を翻訳して発行された。明治10年代半ば、フランス式の迅速測図が関東地方で作成される中で、全国的な地形図作成には、三角測量が不可欠ということで、ドイツ、プロイセン陸地測量部の方式を採用した。しかし、工兵の測量は引き続きフランス式で、明治22年の『工兵操典第二版』測地之部は1883年のフランス工兵連隊学校教科書の翻訳であるが、明治26年の『工兵操典』測量之部はそれまでに導入したフランス地図測量技術を咀嚼して作成したものとなっている。
著者
武者 忠彦 箸本 健二 菊池 慶之 久木元 美琴 駒木 伸比古 佐藤 正志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000278, 2018 (Released:2018-06-27)

中心市街地再生論の転換低未利用不動産の増加を実態とする地方都市中心市街地の空洞化に対しては,商業振興や都市基盤整備の名目で,これまでも夥しい額の公共投資がなされてきたが,その成果はきわめて限定的であった.こうした現状に対して,近年は中心市街地再生をめぐる政策を批判的に検討し,空洞化を是認する論調も強まっているが,政府は2014年に策定した「国土のグランドデザイン2050」において「コンパクト+ネットワーク」モデルを提示しているように,人口減少や財政難,低炭素化を背景としたコンパクトシティの文脈から,中心市街地再生の立場を継続している.もっとも,政府が掲げるコンパクトシティ政策は,土地利用と施設立地の効率化を追求した中心市街地への機能と人口の〈再配置論〉であり,どうすればそのような配置が可能になるのか,そのような配置にして生業や生活が成り立つのか,そこで望ましい社会や経済が形成されるのか,といった議論は各地方都市の「マネジメント」に丸投げされているといってよい.都市マネジメントの可能性:事例報告からの示唆では,地方都市にはどのようなマネジメントの可能性があるのか.これまでの中央主導による補助事業に依存した開発志向型の再生手法が,ほとんど成果を生み出せず,もはや依存すべき財源もないという二重の意味で使えない以上,基礎自治体や民間組織のようなローカルな主体が中心市街地という場所の特性を見極め,未利用不動産を利活用して戦略的に場所の価値を高めることが不可欠となる.その際には,高齢化,人口流出,共働き世帯の増加,公共交通網の縮小など,地方都市固有の文脈をふまえることも必要である.本シンポジウムで報告する未利用不動産の活用事例からは,以下の2つの可能性が示唆される.第1に,PPP/PFIや不動産証券化などの市場原理を導入して介護施設や商業施設を開発した事例のように,「低未利用状態でも中心市街地であれば新たな投資スキームを導入することで価値が見出される」という可能性である(菊池報告,佐藤報告).第2に,都市的環境にありながら相対的に地代の安い未利用不動産では,リノベーションによって新規参入者の経営が成立し,賑わいが生まれ,そこに新しい社会関係が構築されるというように,「中心市街地で低未利用状態だからこそ価値が生まれる」という可能性である(久木元報告,武者報告).とはいえ,これによってすべての地方都市が再生にむけて動き出すわけではない.各都市の立地や人口のポテンシャルを考慮すれば,どこかに〈閾値〉はあるはずであり,選択可能な戦略も異なってくる(箸本報告,駒木報告).未利用不動産の利活用と新しい幸福論本シンポジウムで議論する未利用不動産を切り口とした中心市街地再生論は,同じ再生を目的としながらも,かつてのような国の補助事業に従って計画されたエリア包括的な再生論とは異なる.未利用不動産を利活用を通じて,それぞれの主体が中心市街地という場所の特性をあらためて構想し,商業やオフィスの機能に限らず,居住,福祉,子育てなどの機能を取り込みながら,周辺エリアの価値を高めていく.それは単なる商業振興でもなく,都市基盤整備でもない,個別物件の再生から戦略的に考える都市マネジメントの視点である.こうして再構築される中心市街地での生活風景が,かつての百貨店や商店街が提供した「ハレの場」や郊外における「庭付き一戸建て」に代わる幸福論となり得るのか,コンパクトシティの成否はこの点にかかっているように思われる.
著者
米島 万有子 中谷 友樹 安本 晋也 詹 大千
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000217, 2018 (Released:2018-06-27)

1.研究背景と目的 デング熱は,熱帯地域や亜熱帯地域を主な流行地とする代表的な蚊媒介性感染症の一つである.近年,温暖化や急速に進む都市化,グローバル化に伴い国内外の人や物の流れが活発になり,これまでデング熱の流行地ではなかった温帯の地域においても,デング熱の定着が懸念されている.日本では,2013年に訪日観光客のデング熱感染が報じられ,国内感染による流行が警告された(Kobyashi et al. 2014).翌2014年には首都圏を中心に,約70年ぶりの国内感染に基づくデング熱流行が発生した.これを受けて,防疫対策上,デング熱流行のリスクを推定することは,重要な課題となっている. これまでデング熱流行のリスクマップ研究では,様々な方法が提案されているものの,その多くはデング熱流行地を対象としている(Louis et al. 2014).デング熱が継続的に流行していない地域を対象とした近未来的な流行リスクを評価する方法は,気候条件によって媒介蚊の生息可能性のみを評価する方法(Caminade et al. 2012など)と,デング熱の流行がみられる地域の気候データと社会経済指標から流行リスクの統計モデルを作成し,これを非流行地にあてはめて,将来的な流行リスクの地理的分布を評価する方法がある(Bouzid et al. 2014).本研究ではこれらの先行研究を参考に,媒介蚊の生息適地に関する気候条件と,日本に近接する台湾でのデング熱流行から作成される統計モデルに基づいて,日本における現在と将来のデング熱の流行リスク分布を推定した.2.研究方法 本研究では,はじめにデング熱流行地の中でも日本に地理的に近く,生活様式も比較的類似している台湾を対象とし,台湾におけるデング熱流行リスクの高い地域を予測する一般化加法モデル(GAM)を作成した.デング熱患者数のデータは,台湾衛生福利部疾病管制署で公表されている1999年~2015年に発生した郡区別の国内感染した患者数を用いた.Wen et al. (2006)を参考に,患者数のデータからデング熱の年間発生頻度指標(Frequency index(α))を求め,これを被説明変数とした.説明変数には,都市化の指標として人口,人口密度,第一次産業割合を,気候の指標として気温のデータから算出した積算rVc(relative vectorial capacity)値を,媒介蚊の違いを考慮するための指標として,Chang et al.(2007)をもとにネッタイシマカの生息分布の有無を示すダミー変数を設定した.rVcはデング熱ウイルスに感染した蚊が人間の間に感染を広める能力を示す指標である.rVcは月平均気温の関数として求めており,その詳細については,安本・中谷(2017)を参照されたい. 上記の作成したモデル式に,日本国内の人口や気候値をあてはめて,台湾のデング熱流行経験に基づいた日本での流行発生頻度の予測値を求めた.人口および第一次産業割合のデータは2010年の国勢調査のデータを,2050年の人口データは国土数値情報の将来推計人口を用いた.なお,日本のリスクマップ作成では台湾の郡区と平均面積がおおむね一致する2次メッシュ単位で作成した.3.結果 台湾の郡区別にみたデング熱の発生頻度を従属変数としたGAM分析結果,気候指標の積算rVc,都市化の指標の人口密度,第一次産業割合に有意な関係性が認められた. このモデルを用いて,日本の2010年と2050年のデータを用いて,現在と将来のデング熱の流行リスクマップを描いた.現在では,リスクの高い地域は大都市圏の中心部に分布している.しかし,気候変動の影響によってデング熱の流行リスクの高い地域は著しく拡大することが推定された(図1).4.おわりに 本研究は,台湾のデング熱流行経験に基づいて,現在の日本のデング熱の流行リスク分布と気候変動の影響による流行リスク分布の推定を定量的な手法によって行った.2014年の流行発生地は,本研究の結果においてもリスクの高い地域であった.長期的にも気候の温暖化の影響によって,デング熱流行リスクの地理的分布は拡大することが示された.付記:本研究は,JST-RISTEX「感染症対策における数理モデルを活用した政策形成プロセスの実現」(代表:西浦博)において実施した.
著者
櫛引 素夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000060, 2018 (Released:2018-06-27)

1.はじめに 北海道新幹線は2016年3月の開業から2年目を迎え、開業特需というべき旅客流動やイベントが逓減する一方、市民生活や経済活動において、さまざまな変化が進んでいるとみられる。発表者は、その一端を明らかにするため、2016年秋と2017年秋、青森・函館両市の市民各300人を対象に郵送調査を実施した。回収率は20%台にとどまったが、一般市民を対象とした継続的な調査がほとんど実施されていない、あるいは結果が公表されていない中で、開業が市民の意識や地域にもたらした変化を一定程度、把握できた。2.主な調査結果 2016年、2017年とも回答者中、青森市は7割弱、函館市は半数が北海道新幹線を利用しておらず、利用経験者の割合は、ほぼ同水準だった。各項目の回答を総合的に検証すると、函館市民の方が積極的に北海道新幹線を利用し始めているとみられる。調査対象者が異なるため単純比較はできないが、2016年と2017年のデータを対比すると、函館市は北海道新幹線を複数回、利用している人の割合が多い。 2回の調査とも、青森市の回答者は新幹線で出向く先が函館市とその周辺にほぼ限られ、目的もほとんどが「観光」である。一方、函館市の回答者は行き先が東京・首都圏や仙台、盛岡など東北新幹線沿線に及び、目的も「家族や友人に会いに」「仕事・出張」「観光」など多様である。2017年の調査ではライブやコンサートのため仙台付近へ出かけたり、単身赴任先の静岡県との往来に利用している人々もいた。 青函間の鉄道利用について、2017年の調査では、特急料金の値上げ、新青森駅・新函館北斗駅での乗り換え発生を反映し、青森市は「減った」と答えた人が「増えた」と答えた人を上回った。また、「函館への関心が薄れた」という回答も複数あった。函館市は「増えた」と答えた人が「減った」と答えた人を上回ったものの、両市とも、北海道新幹線は「早くて快適ながら、高く乗り継ぎが不便で、仕方なく使う」という不満は強く、割引料金の導入を求める人が多い。 両市とも「移動手段をフェリーに切り替える」、さらには互いの市へ「行く機会を減らす」と答えた人がいたほか、フェリーの利用回数も「増えた」という人と「減った」という人が存在した。これらの結果を総合すると、①北海道新幹線開業が利便性を高め、流動を増大させている面と、フェリーへの不本意な乗船をもたらしている面がある、②新幹線・フェリーのいずれによる移動もせず、往来そのものを控えるようになった人々が存在する-と考えられ、北海道新幹線開業で利益を享受した人と、不利益を被った人への分極が発生している可能性を指摘できる。 北海道新幹線が「暮らし」「自分の市」「青森県/道南」に及ぼした効果については、開業特需や関連イベントが減少したためか、全般的に2016年より2017年の評価が低い。ただ、対策や効果の情報発信が乏しいと指摘する意見もみられ、連携不足による逸失利益が生じている可能性もある。3.青函交流の行方 青函交流の行方について、「観光面」「経済面」「文化面」など5つの観点から予測を尋ねた質問に対しては、全体的に青森市より楽観的な傾向がある函館市でも、2017年調査で「活発化していく」と答えた人は20~35%にとどまり、人口減少なども背景に「衰退していく」とみる人が5~10%程度いた。一方、青森市は「活発化していく」が15~22%、「衰退していく」が8~16%だった。2016年調査では、函館市は観光面の交流が「活発化していく」と予測する人が50%に達していたのに対し、2017年は35%と低かった。青函交流については、2016年の調査時点でも「活発化させるべき」といった期待感の記述が目立っており、2017年の調査時点で、生活上の実感を反映した回答が出てきた形になった。4.今後の展望 2カ年の調査を通じ、2市の住民が、互いを身近な存在として意識し直した様子が把握できた。また、料金や利便性の制約を背景に、北海道新幹線を活用する目的や経済力がある人々、不利益を甘受しつつ往来する人々、往来そのものに消極的になった人々、もともと青函交流に接点や関心が乏しい人々など、幾つかの集団の存在が浮かび上がった。これらの集団のマインドや動向が今後、地域政策の形成やその実効性にどう影響するか、上越市が2015年に実施したような、地元自治体等による市民意識の調査が期待される。
著者
久保田 尚之 Allan Rob Wilkinson Clive Brohan Philip Wood Kevin Mollan Mark
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000324, 2018 (Released:2018-06-27)

1.はじめに日本の過去の気候を明らかにするには、長期の気象観測データが欠かせない。現在、世界中で過去の気象データを復元する「データレスキュー」が取り組まれている。日本での気象観測は1872年に函館ではじまった。それ以前も気象測器を用いた観測はあるが、個人が短期間実施してきたものが多い(Zaiki et al. 2006)。このため、江戸時代の気候は主に古文書の記録に頼った調査がほとんどであった(山川1993)。一方で欧米に目を向けると、17世紀に気圧計が発明され、気象観測が行われていた。江戸時代日本は鎖国をしていたが、欧米各国は大航海時代であり、多くの艦船がアジアに進出していた。19世紀になると気象測器を積んだ艦船が日本近海にも数多く航行するようになった。航海日誌は各国の図書館に保管されており、航海日誌から気象データを復元する試みが行われている(Brohan et al. 2009)。本研究は欧米の艦船が航海日誌に記録した気象観測データに着目し、江戸時代に欧米の艦船が日本周辺で観測した気象データを用いて日本周辺の気候を明らかにすることにある。2. データと解析手法18世紀末から19世紀にかけて東アジアを航行した外国船は10か国以上知られている。例えばイギリスだけでも、この期間9000以上の航海日誌が図書館などに保管されている。まずはイギリス海軍とアメリカ海軍の艦船に絞り、18世紀末から日本近海を航行した航海及び、日本に来航した航海の航海日誌を調査対象とした。3. 結果日本で最も知られた外国船はアメリカのペリー艦隊であろう。東京湾に現れた1853年7月8日の航海日誌を図1に示す。1時間ごとに気象観測を行なわれたことがわかる。ペリー艦隊10隻のアメリカ東海岸からの航海日誌が残されている。アメリカ船はこの他に1837年に来航したMorrison号、1846年のVincennes号の気象データがデジタル化されている。日本に来航した最も古い記録は1796年に室蘭に来航したイギリス海軍のProvidence号がある。サンドウィッチ島(現在のハワイ)から航路を図2に示す。1796年7-11月の気圧データを図3に示す。室蘭に来航した1796年9月は欠測となっている。今後は航海日誌の気象資料をデジタル化し、江戸時代の台風の襲来を中心に調べる予定である。
著者
泉田 温人 須貝 俊彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000293, 2018 (Released:2018-06-27)

1.はじめに 氾濫原内の相対的な地形的高まりである「微高地」は,自然堤防だけではなく,様々な河川作用が形成する微地形の複合体である.自然あるいは人工堤防の破堤を形成要因とするクレバススプレーは,微高地を構成する微地形の一つである.平成27年9月関東・東北豪雨による鬼怒川の破堤洪水では茨城県常総市上三坂地区にクレバススプレーが形成され,微高地の発達過程におけるその重要性が再認識された.著者らはクレバススプレーが広く分布する(貞方 1971)とされる常総市域を含む鬼怒川下流域の氾濫原において,平成27年9月関東・東北豪雨を受けて形成されたクレバススプレー及び歴史時代に形成されたクレバススプレーに対し地形及び堆積物分析を行ってきた.本発表ではその二つの地形を比較し,調査地域ではクレバススプレーがどのように成長し,微高地発達に寄与してきたのかを検討した.2.平成27年9月関東・東北豪雨によるクレバススプレー 2015年9月10日に発生した鬼怒川の破堤洪水によって,破堤部付近で“おっぽり”の形成などの激しい侵食が生じた一方,その下流側では淘汰の良い中~粗粒砂層からなる最大層厚80 cm程度のサンドスプレーが堆積した(泉田ほか 2016b).破堤部を起点とする堤外地への洪水流向断面において,両者の分布領域の間に侵食・堆積作用がともに小さい長さ100 m程度の区間が存在した(泉田ほか2016b).この区間からサンドスプレーの堆積区間への移行は洪水流向断面内の遷緩点で生じた.サンドスプレー形成区間より下流では洪水堆積物層は薄く,地形変化量は微小だった.洪水前後の数値表層モデルから計算された,破堤部から約500 m以内の範囲における総堆積量及び総侵食量はそれぞれ約3.7万m3及び約8.0万m3であり,本破堤洪水では侵食作用が卓越した(Izumida et al. 2017).3.歴史時代に形成されたクレバススプレー 上三坂から約4.5 km上流に位置する常総市小保川地区は17世紀初期にクレバススプレーの上に拓かれた集落である.小保川のクレバススプレーは鬼怒川左岸に幅広な微高地が一度成立した後に形成を開始し,ある期間に鬼怒川の河床物質が繰り返し遠方に堆積したことで微高地を二次的に拡大したと考えられる(泉田ほか 2017).既存の微高地上では急勾配かつ直線的な長さ約1.5 kmのクレバスチャネルが掘り込まれ,クレバスチャネルの溢流氾濫による自然堤防状の地形であるクレバスレヴィーがその両岸に形成された一方で,チャネル末端では間欠的な大規模洪水によるイベント性砂層及び定常的に堆積する砂質シルト層の互層からなるマウスバーが形成された.両区間は,クレバススプレー形成以前の鬼怒川の微高地と後背湿地の境界域でクレバスチャネルの緩勾配化に伴い遷移したと推定され,マウスバー部分が後背湿地上に舌状に伸長したことで微高地が面的に拡大したと考えられる.小保川のクレバススプレーは厚い流路堆積物からなるクレバスチャネルを含め堆積環境が卓越し,侵食的な要素は鬼怒川本流とクレバスチャネルの分岐点に位置するおっぽり由来と考えられる常光寺沼のみである.4.考察 上三坂と小保川のクレバススプレーの形成時間スケールと地形の分布する空間スケールの差異から,両者の地形はクレバススプレーの発達段階の差を表すと考えられる.しかし,両調査地のクレバススプレーは,ともに破堤洪水により鬼怒川の河床物質が氾濫原地形の遷緩部分に堆積しサンドスプレーあるいはマウスバーが形成されたことで,鬼怒川の微高地発達に寄与したことが明らかになった.調査地域におけるクレバススプレーの発達は(1)クレバスチャネルの形成による河床物質の運搬経路の伸長,(2)その下流に位置する堆積領域の河川遠方への移動,そして(3)侵食環境から堆積環境への転換によって特徴づけられた.上三坂が位置する常総市石下地区の鬼怒川左岸の微高地及び地下地質が複数時期のクレバススプレー堆積物からなることが報告されている(佐藤 2017).クレバススプレーの形成は常総市付近の鬼怒川氾濫原において普遍的な営力である可能性があり,微高地の発達過程で激しい侵食作用を含む地形変動が繰り返されてきたことが示唆される.参考文献:泉田温人ほか 2016a. 日本地理学会発表要旨集89, 165. 泉田温人ほか 2016b. 日本地理学会発表要旨集90, 181. 泉田温人ほか 2017. 日本地球惑星科学連合2017年大会, HQR05-P06. Izumida et al. (2017). Natural Hazards and Earth System Sciences, 17, 1505-1519. 貞方 昇 1971. 地理科学 18, 13-22. 佐藤善輝 2017. 日本地理学会講演要旨集 92, 150.
著者
伊藤 修一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000237, 2018 (Released:2018-06-27)

Ⅰ.はじめに 1990年代以降の先進諸国では自動車保有率の上昇が鈍化,低下に転じているなど(奥井 2004,橋本 1999),モータリゼーションは成熟・停滞期とみられる.モータリゼーションが進む地域において,一般に女性は自家用車の利用可能性が低い「交通弱者」と位置付けられ,就業機会とのアクセスが制限されやすく,家事や育児を担う役割も重なる場合には専業主婦や低所得者となりやすいとされてきた(Hanson and Pratt 1988). 総務省『労働力調査』によれば,日本の年齢別女性就業率に表れる「M字型カーブ」の谷底は1991年には50%を上回り,2007年以降は60%を超え,全体の女性就業率も2010年代に入ってからは上昇している.よって,自家用車の普及と女性就業の促進との関係を検証する必要がある.既に,岡本(1996)はパーソントリップ調査の結果に基づいて,就業女性の自動車利用率が専業主婦よりも高く,世帯の自動車保有率が高くなれば利用率が高まることを指摘している.日本の乗用車保有率の要因を分析した奥井(2008)も女性就業が自動車普及の一因であることを示唆している. なかでも,近年の軽乗用車の普及は女性就業に大きな影響を及ぼしたと考えられる.自動車検査登録協力会編『自動車保有車両数』によれば,普通・小型乗用車台数は1990年代中期以降停滞するなか,軽自動車は年1~3%の増加が続く.また日本自動車工業会『軽自動車の使用実態調査報告書』によると,男性が過半数だった主たる運転者が1995年以降には既婚女性のみで過半数を占めるようになったからである. 本研究では軽乗用車保有台数の増加と女性就業率の高まりの時期が重複する1990年代中期以降に注目して,軽乗用車の保有状況の地域的傾向を把握したうえで,軽乗用車の普及と既婚女性の就業者の増加との空間的な関係を,統計的な裏付けに基づいて検討する.Ⅱ.分析対象とデータ 軽乗用車の地域的な普及状況を把握するために,全国軽自動車協会連合会『市区町村別軽自動車車両数』(1996年3月末版,2016年3月末版)により台数データを入手した.ここでは普及状況を測る指標として,軽自動車台数を総務省『国勢調査』(1995年,2015年)による一般世帯数で除した保有率を用いる.既婚女性の就業に関するデータも『国勢調査』による.就業状態は就業者総数のほか,年齢別,「主に仕事」と「家事のほか仕事」との別に分けて分析した. 分析対象は国内全ての市区町村であり,1995~2015年度間の市町村合併や福島第一原発事故の影響を受ける自治体などを考慮して,1833の部分地域に整理された.Ⅲ.軽乗用車保有率の分布 2015年度の全国保有率は39.8%で,空間的偏りがみられる(モランI統計量1.52,p<0.01).ローカルモランI統計量による検定結果に基づくと,三大都市圏や北海道に10%未満の市区町村が集中する統計的に有意なクラスターが認められ,仙台市と熊本市のほか広島市と福岡市の中心地区といった政令指定都市にも低率のクラスターや局所的に低い地域が形成されている.対照的に山形,宮城両県を中心とした東北地方南部や,中国山地や讃岐山地付近,九州地方は70%以上の高いクラスターがみられる.これは奥井(2008)が指摘する,北海道で高値,東北地方や西日本に低値の地域が広がるという乗用車全般の傾向と異なる. 2015年度の全国保有率は1995年度の13.6%の約3倍にもなる.両年の分布パターンはよく類似しており(r=0.89,p<0.01),高保有率だった地域で保有率が上昇している(r=0.74,p<0.01).保有率が減少したのは低普及率の有意なクラスターに属する東京都千代田区と中央区のみである.Ⅳ.軽乗用車保有率と既婚女性就業率との関係 2015年度の保有率と就業率の相関係数は0.52(p<0.01)で,1995年度よりも上昇している.「主に仕事」とし,年齢の高い者ほど大幅に上昇している.全国的には軽自動車の普及が,フルタイム労働者のような既婚女性の(再)就業の促進により関わっており,その関係が深まっていると解釈される. また,保有率の上昇幅と就業率の上昇幅との関係は大都市圏内において統計的有意差が認められる.保有率の上昇幅のわりに就業率の上昇幅が小さい地域は東京都荒川区を中心とした都区部北東側や,天王寺区を除く大阪都心5区に有意なクラスターが形成されており,大都市圏中心部の公共交通の利便性の高さが影響したものとみられる. 一方,保有率の上昇幅のわりに就業率の上昇幅の大きい地域は,東京圏においては三鷹市周辺や横浜市神奈川区周辺に,大阪圏では神戸市に有意なクラスターが現れる.こうした傾向からは大都市圏内では,軽乗用車の取得可能性などの経済面の影響も示唆される.
著者
桐村 喬
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000065, 2018 (Released:2018-06-27)

I 研究の背景・目的 モータリゼーションの進展の結果,自家用車の普及に伴い,東京・大阪の二大都市圏以外では,自家用車が最もよく通勤に利用されている(Nojiri, 1992).一方,自家用車利用の増大は二酸化炭素排出量の増加に繋がるため,1998年に閣議決定された第5次全国総合開発計画では,環境負荷が少ない交通体系の形成が提唱され,公共交通機関や自転車,徒歩での移動を促進する方針が示されている.しかし,1990年以降を対象とした通勤・通学時の利用交通手段に関する研究は,個別都市の事例分析を除けば管見の限りなく,その後の変化は十分には把握されていない. そこで,本発表では,日本における1990年から2010年までの通勤・通学手段の変化の動向を都市圏単位で整理する.総務省による国勢調査結果に基づく大都市圏・都市圏は数が少なく,地方都市の分析が不十分となるため,本発表では,金本・徳岡(2002)による大・小都市雇用圏の枠組みを利用する.また,国勢調査において常住地と従業・通学地間の利用交通手段別の集計がなされているのは,常住人口が10万人以上の市に限られ,すべての都市雇用圏について検討することができない.そのため,都市雇用圏の中心市町村(以下,中心都市とする)のみに注目し,従業・通学地ベースの利用交通手段別の通勤・通学者比率を求め,その変化を分析する.対象地域は,2010年時点の229の大・小都市雇用圏の中心都市であり,複数の中心都市からなる都市雇用圏は1つの中心都市として合算して扱う.なお,都市雇用圏の大小は,中心都市のDID人口で分けられており,1万人以上5万人未満が小都市雇用圏,5万人以上が大都市雇用圏である.II 利用交通手段別通勤・通学者比率に基づく類型化 まず,利用交通手段別の通勤・通学者比率をもとに,都市雇用圏の中心都市を類型化する.2時点間の変化を検討するために,1990年と2010年の2時点のデータを同時に類型化する.類型化に用いる指標は,「徒歩だけ」,「鉄道」,「乗合バス」,「自家用車」,「自転車」によるそれぞれの通勤・通学者比率である.このうち「鉄道」に関しては,1990年と2010年で集計方法が異なるため,1種類または2種類の交通手段を利用するもののうち,JR又はその他の電車・鉄道を用いるものを集計し,2時点で求める.類型化には,Ward法のクラスター分析を用い,各指標値を標準化したうえで類型化する. 類型化の結果,5類型が得られた(表1).公共交通機関の利用が卓越するのは公共交通機関型のみであり,その他の類型では,自家用車の利用が半数以上を占めている.III 都市雇用圏中心都市における利用交通手段の変化 所属類型の変化を示した表2によれば,1990年時点では半数以上が自家用車半数/自転車型(144都市:静岡,新潟,浜松など)に属し,公共交通機関型は11都市(東京,大阪,名古屋・小牧など)に過ぎない.2010年では,自家用車の利用が自家用車半数/自転車型よりも多い,自家用車卓越/自転車型(60都市:前橋・高崎・伊勢崎,浜松,宇都宮など)や自家用車卓越型(106都市:富山・高岡,豊田,福井など)の増加が顕著である.自家用車半数/自転車型と自家用車半数/徒歩型,自家用車卓越/自転車型から,それぞれ自家用車利用の比率が高い類型に変化してきており,自家用車利用のさらなる高まりが確認できる. 一方,1990年で公共交通機関型であった11都市のうち,9都市は2010年でも公共交通機関型であった.残り2都市(北九州,日立)は,自家用車半数/自転車型に変化した.いずれも,期間内に市内を走る鉄道の廃止が行われており,それによる鉄道利用の減少が類型の変化につながったものと考えられる.参考文献金本良嗣・徳岡一幸 2002. 日本の都市圏設定基準. 応用地域学研究7: 1-15.Nojiri, W. 1992. Choice of Transportation Means for Commuting and Motorization in the Cites of Japan in 1980. Geographical Review of Japan 65B(2): 129-144.
著者
松浦 誠
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000067, 2018 (Released:2018-06-27)

1.研究目的 奈良県天理市は,天理教の本部が所在し,市域には数多くの天理教施設が立地する。そのため,天理市は日本を代表する宗教都市であるとされる。天理市の都市形態や天理教景観については多くの先行研究がある。西田(1955)は,宗教都市のモデルケースとして市制直後の天理市の都市計画について分析を行った。研究のなかで地形図を用いて都市の拡大の様子を明らかにするとともに,詰所にも着目し,その件数と収容可能人数の増加を示した。シュヴィント(1978)は,天理市を紹介するなかで天理教信徒の様子や教団施設,中心商店街の特色について論じている。桑原(1970)は天理市と天理教の関係性に着目するなかで,明治後半に三島の市街地化が急速に進んだ一方で旧市街の丹波市の成長が止まっていることや,詰所が教会本部から周囲に移動していることを地籍図から明らかにした。また,商店街の業種調査から門前町の特色を確認し,旅館がほとんど存在しないがゆえに詰所の機能が徹底していることを裏付けた。浮田(1975)は奈良県内の他都市と比較することで,天理市の特色を確認した。 上記の先行研究では,主に天理市の宗教都市としての特徴について論文執筆当時の状況をもとに明らかにしている。都市の形成過程について触れたものもあるが,天理教施設の分布から都市の形態に着目するにとどまり,その景観的特徴の変遷については明らかにされていない。一方,建築学においては,五十嵐(2007)が天理教建築の変遷や様式の特徴について論じ,天理教建築は入母屋屋根・千鳥破風という様式であり,大正期に建築された神殿のデザインを模倣し,現在まで取り入れられていることを明らかにした。 本研究では、天理教関連施設の立地展開を含めて,天理教景観の変遷を明らかにすることを目的とする。対象とする期間は大正期から昭和30年代とする。期間の設定理由は資料的制約もあるが,最初期の天理教主要施設の建設が終了した時期からおやさとやかた建設期までを含んでおり,当初の景観から現在の様式の景観が成立するまでの変遷を追うためである。なお,天理教景観とは,①信仰にかかわる施設②教団運営にかかわる施設③信者の子弟の教育施設④信者等の宿泊施設によって構成された景観と定義し,位置を含めて考察する。2.研究資料 大正期から昭和戦前期までの天理教施設の分布と景観を分析する資料として,天理教道友社編輯部編『天理教地場案内』1921,天理教綱要編纂委員会編『天理教綱要』1929-1931,1933-1934,天理教教庁総務部調査課編『天理教職員録』1936に掲載された天理教本部周辺の案内図と中川東雲館『天理教写真帖』1915の写真を用いる。また,天理教施設のなかでも信徒等の宿泊施設である詰所に着目し,景観的特徴について「天理市都市計画図1/3,000(1953年1月測図,1962年3月修正)」や二代真柱・中山正善の講話をもとに明らかにする。3.結果と考察 天理教景観は,大正期から昭和戦前期にかけて,信仰にかかわる施設や教団運営施設が神苑及びその周囲に位置し,それらを取り囲むように詰所が立地,教育施設が外延部に位置するという形態であった。そして,天理教施設のなかでも特に詰所の分布が教会本部から離れる形で広がったことにより,天理教景観も拡大した。また,詰所は囲いや広い敷地など,一般の民家とは異なる特徴をもっていた。しかし,詰所の建物に関する基準はなく,本来は統一性がなかったが,現在はおやさとやかたに用いられている屋根様式を取り入れることで,特徴的な天理教景観を構成している。 詳細は,発表で報告する。
著者
箸本 健二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000249, 2018 (Released:2018-06-27)

調査目的と課題設定中心市街地における未利用不動産の増加は,主に中心市街地における事業用不動産の供給過多と,個人商店の住居化とが輻輳する形で引き起こされる都市問題であり,地方都市における都市再生の阻害要因となっている.その一方で,地方都市中心市街地の未利用不動産を定量的に把握できる公的資料は存在しない.そこで本シンポジウムのメンバーは,中心市街地における未利用不動産の現状と各自治体の政策的対応を把握するため,全国846市町(東京都区部,政令指定都市を除く1995年時点で人口2万人以上の都市,あるいはその合併市町)を対象とするアンケート調査を2014年に実施した.主な調査内容は,中心市街地における低利用不動産の概況と自治体の対応,ダウンサイジング政策の導入状況,まちづくり会社の有無と機能であり,最終的に553自治体(65.3%)から有効回答を得た.なお,本調査結果の一部は,日本地理学会2015年春季大会および経済地理学会金沢地方大会で報告している.地方都市における未利用不動産の増加中心市街地を代表する,事業用不動産,個人商店,公共施設という3タイプの不動産に関して,未利用不動産化の進行状況を10年前(2004年)との比較で質問した結果,「増加している」「やや増加している」と回答した自治体の比率は,個人商店(空き店舗)で80.8%,事業用不動産(大規模商業施設,オフィスビル,ホテル,病院等)で47.3%,公共施設(公的セクタが所有し,利活用が進んでいない施設)で22.1%に達した.一方で「(未利用不動産が)もともと存在しない」と回答した自治体の構成比は,事業用不動産で4.3%,公共施設でも14.6%に過ぎず,多くの自治体が中心市街地に未利用不動産を抱え,その増加に直面している現状が把握できる.またこの結果を人口規模別に見ると,人口規模が小さな自治体ほど個人商店(空き店舗)と公共施設に関して増加傾向を回答する比率が高まる.滞る政策的対応これに対して,地方自治体の多くが有効な対応策を採れてはいない.まず,民間の未利用不動産(空きビル・空き店舗)の利活用に向けた経済的支援に関しては,「特に支援していない」と回答した自治体が最も多く(37.7%),次いで「家賃補助や家賃減免」が36.8%で続いている.逆に,経済的負担や事業リスクが大きい「自治体による建物・底地の買い上げ」は1.3%に留まり,予算規模の限界から自治体が独自で取り得る対応には限界があることを示唆している.その一方で,中心市街地のダウンサイジングを政策目標に掲げた自治体は極めて少ない.中心市街地のダウンサイジングを「実施した」あるいは「具体的な計画を策定中」とする自治体は全体の6.1%にすぎず,80%近い自治体が「検討したことはない」と回答するなど,撤退戦略を政策目標とすることの難しさを示唆している.補助金を含む公的資金の調達が厳しい状況下において,事業の遂行に不可欠となるのがREITなど不動産投資主体による民間ベースの資金調達チャネルである.しかし,不動産投資主体による不動産取引を支援する部署・相談窓口を持つ自治体は1.3%に過ぎず,87.7%の自治体は民間ベースでの資金調達を支援する手段や情報収集を講じていない.結論と展望以上の結果は,日本の地方都市において,オフィスや小売商業を中心とする旧来型の経済活動が縮退し,事業用不動産や空き店舗の増加が未利用不動産を増加させる現状を示している.こうした状況の下で,経済拡大期の典型的な「活性化」手法であった再開発事業や公共事業を導入可能な中心市街地は事業採算性の点でおのずと限定される.地方都市がその持続を図るためには,無秩序な郊外開発に歯止めをかける一方で,中心市街地の未利用不動産を再利用する資金調達手段,中期的な採算性を確保できる事業計画,そして都市計画を含めた地方自治体の支援スキームが重要となる.【参考文献】箸本健二,2016.地方都市における中心市街地空洞化と低利用不動産問題,経済地理学年報62-2, 121-129.追記.本研究は,科研費基盤B(課題番号25284170, 代表者:箸本健二)の成果の一部である.