著者
高橋 昂輝
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

従来,都市の移民街に関する研究は,居住,事業所,コミュニティ施設の分布など,エスニック集団内部の物理的構成要素から捉えられてきた。しかし,近年,欧米の諸都市ではジェントリフィケーションが進行し,移民街をはじめとしたダウンタウン周辺に対するホスト社会住民の居住選好が指摘されている。すなわち,近年における移民街の変容を明らかにするためには,エスニック集団内部の変化のみならず,集団外部(ホスト社会)の動きと連関して考察することが求められている。また,ジェントリフィケーションの進行過程において,エスニック集団とジェントリファイアーは空間的に混在すると考えられ,両者の関係性に注目することにより,都市空間の変容をより詳細に描出できると考えられる。<br> トロントにおいても,ダウンタウン周辺部に移民街が形成されたが,近年,ホスト社会住民の都心回帰現象が進展している。その結果,ダウンタウンに隣接するリトルポルトガルとその周辺では,既存のポルトガル系住民と近年流入した非ポルトガル系住民の混在化が進行している。商業地区であるリトルポルトガル内部においても,ポルトガル系から非ポルトガル系へと経営者の交代が進行し,現在,両者は域内に併存している。本発表ではリトルポルトガルの主要なアクターである事業所経営者に注目する。現地でのインタヴュー,質問票調査などによって得られた資料をもとに,個人属性にくわえ,経営者間のソシオグラムを作成することにより,社会関係を分析し,ジェントリフィケーションに直面するリトルポルトガルの動向を明らかにする。なお,現地調査は2012年10~11月,および2013年7~10月におこなった。<br> リトルポルトガルを含むトロント市中心西部は建築年代の比較的古い半戸建住宅(semidetached house)が集積し,従来,ホスト社会住民の関心を引かなかった。しかし,近年における社会的多様性,古い建築様式への肯定的評価,通勤時間縮減への志向など,都心周辺部への価値観の転換にもとづき,ホスト社会住民は同地区に流入している。これにより,リトルポルトガル周辺の地価は2001~2006年の間に約1.5倍上昇し(Statistics Canada),2006年以降,さらに高騰している。地価の上昇は土地所有者にとって固定資産税の増加をもたらすとともに,賃借者にとっても家賃の上昇を引き起こす。すなわち,1960年代以降同地区に形成されたポルトガル系人の集積形態はホスト社会住民との関係性によって変化しつつある。<br> リトルポルトガルに立地する非ポルトガル系事業所32軒のうち,28軒は2003年以降に出店した。非ポルトガル系経営者はポルトガル系経営者が閉鎖した空き店舗に開業するため,両者は域内にモザイク状に分布する。また,各経営者に「域内で最も親しいと思う経営者」を最大3人答えてもらい,得られた回答からリトルポルトガル内の社会関係を示すソシオグラムを作成した。分析の結果,ポルトガル系・非ポルトガル系の両経営者集団はリトルポルトガルという同一の空間に併存する一方,それぞれが社会的には異なるネットワークを形成していることがわかった。<br> こうした両経営者集団の社会的な分離状態は,地域自治組織であるBIA(Business Improvement Area)の運営において,顕在化する。前身の地域自治組織が設立された1978年以降,ポルトガル系経営者が組織の代表を務めてきたが,2012年において非ポルトガル系経営者の中心的人物であるK氏が代表に就任した。K氏の就任以降,BIAの委員はポルトガル系から非ポルトガル系中心の人員構成へと変化し,まちづくりにおいてもポルトガル系に特化しないフェスティバルの開催などが企画されるようになった。K氏が代表に就任した初年度にあたる2012年には,ポルトガル系経営者の反対により,フェスティバルの開催は実現に至らなかった。K氏は6名の非ポルトガル系経営者から親しい人物として支持され,非ポルトガル系社会の中では最も高い中心性を示す。しかし他方,同氏はポルトガル系社会のネットワークには接続しておらず,地域自治組織の運営において課題を有しているといえる。ジェントリフィケーションに直面するリトルポルトガルを社会関係の観点から分析することによって,今日における多民族都市トロントの展開を端的に説明することができる。
著者
石原 肇
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p>1.研究の背景と目的:地域活性化のためにはバルイベントは単発ではなく継続開催することが重要と考えられる。東大阪市内においては比較的近接する3地域でバルイベントが継続的に実施されている。地域的特性に応じた運営方法と継続性の視点からの調査が必要と思われる。そこで、本研究では、東大阪市の3地域で行われているバルイベントについて運営方法を比較することを目的とする。</p><p>2.研究対象地域と研究方法:東大阪市は、大阪府中河内地域に位置する市である。市域の面積は61.81㎢、人口は502,784人の中核市である。日本有数の中小企業の密集地であり、また、花園ラグビー場のある「ラグビーのまち」でもある。本研究では、同市内で継続開催されている「布施えびすバル」、「小阪・八戸ノ里なのはなバル」(以下、「なのはなバル」)、「長瀬酒バル」を対象とする。バルイベントの実施状況を把握するため、2018年5月26日に「なのはなバル」、2018年9月8日に「長瀬酒バル」、2018年10月20日に「布施えびすバル」の現地調査をそれぞれ行った。2019年6月に、それぞれの事務局にヒアリングを行った。また、バルマップ等の提供を受け、参加店舗数やバルイベント実施範囲を把握した。考察にあたっては、各バルイベント実施地域内の駅一日乗降客数や<b>『</b>東大阪市小売商業の現状と主要商店街の規模・構造調査結果』を参考とした。これらより得た情報から地域的特性と運営方法について比較を行う。</p><p>3.結果と考察</p><p>(1)布施えびすバル:「布施えびすバル」は2013年10月に第1回が開催され、2018年10月に第6回が開催されている。チケット制度である。一日乗降客数の最も多い布施駅があり、商店街の規模も最も大きく飲食店割合が高い。布施えびすバル実行委員会の事務局は、バルイベントに参加している飲食店のオーナーであるA氏が担っている。ヒアリングによれば、最初は商店街の枠の中で動いていたが、制約が大きく飲食店だけのイベントとして出来ず、物販やサービスを入れるとぼやけてしまう傾向にあった。このため、飲食店のみに転換している。</p><p>(2)なのはなバル:「なのはなバル」は2013年3月3日(日)に第1回が東大阪市で初めてのバルイベントとして開催されている。2018年5月に第6回が開催されている。河内小阪駅は布施駅に次いで一日乗降客数が多く、商店街の規模も同様に次ぐが、飲食店割合は低い。なのはなバル実行委員会の事務局は、週刊ひがしおおさかの代表であるB氏が担っている。ヒアリングによれば、7年前に店の人同士が小阪でもバルイベントをやりたいと話し、中学校区が同一の八戸ノ里にも話が及び、開催の機運が高まった。6回目の開催にあたり、従前のチケット制からリストバンド方式に移行した。</p><p>(3)長瀬酒バル:「長瀬酒バル」は2014年7月4日(金)〜6日(日)の3日間で第1回が開催され、その後、2018年9月に第4回が開催されている。本報告で取り上げる3地域の中で3番目となる。長瀬駅の一日乗降客数や商店街の規模は3番目で、飲食店割合は高い。長瀬酒バル実行委員会の委員長は、バルイベントに参加している飲食店のオーナーであるC氏が担っている。ヒアリングによれば、お客様とコミュニケーションのとれるカウンターのあるお店に地元の住民の方々に足を運んでもらう機会を作ろうと開催した。チケット制や参加証方式ではなく、チラシを持っていけばよく、各参加店舗で1コイン(500円)を支払うという極めて簡素なシステムを導入している。</p><p>4.まとめ:東大阪市の3地域で行われているバルイベントは、チケット方式、リストバンド参加証式、チラシ持参といった3地域でそれぞれが異なる運営方法で実施されていることが確認できた。実行委員会が目指すバルイベントの姿、バルイベントの実施範囲にある商店街の規模や飲食店の割合などを勘案して、それぞれが適切であると判断した方法がとられたからだと考えられる。これは、バルイベントが地域の実情に適った運営方法をとれる柔軟なイベントであることを示唆している。なお、2019年秋にはラグビーワールドカップ開催に伴うバルイベントが市域全域で企画されている。</p>
著者
松本 美予
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.100072, 2011

レソト王国は南部アフリカ・ドラケンスバーグ山脈の中心部に位置し、四国の1.4倍程の面積しかない山岳国である。地域の経済大国である南アフリカ共和国に国境線を囲まれるという地理的特徴を持ち、1900年代始めから南アフリカ鉱山への出稼ぎ労働が主要な生業の一つであった。国土の東半分を占める山岳地は人の移住が1890年代より始まり、農村社会の形成初期から出稼ぎ労働は生計の柱であった。現金収入と共に形成された生業形態は1980年代まで続くが、アパルトヘイト政策が撤廃された隣国南アフリカの政治経済変化を受け、大きく変化する。本研究では、レソト山岳地において、出稼ぎ労働による現金収入を中心とした複合的農牧業が、南アフリカの政治経済変化によってどのように変化したのかを明らかにする。<br><b>出稼ぎ労働の最盛期(~</b><b>1970</b><b>年代) </b><b></b>現金収入は農耕と牧畜に投資され、出稼ぎ労働を柱とした複合的な生業形態が実施されていた。農耕では、種・農具・留守の男性労働力を補うための人件費などへ現金が投資された。そして牧畜では、多くの家畜(牛・羊・山羊)が購入され、それらは出稼ぎ労働引退後の備えとなった。&nbsp;<br><b>出稼ぎ労働の減少(</b><b>1980</b><b>年代~現在) </b><b></b>80年代以降、反アパルトヘイト運動が激化し、南アフリカ国内の黒人へ労働市場が開放されていった。それに加え、金価格の下落や、出稼ぎ労働者が担っていた単純作業の機械化などの要因が重なり、レソトからの出稼ぎ労働者は鉱山労働より締め出された。新規採用はなくなり、契約の更新もされなくなった。また、同時期に家畜泥棒が増加し、農村における牛や羊の頭数が減少した。つまり、多くの世帯では出稼ぎと家畜という二つの主要な現金収入源を同時に断たれてしまったのである。その結果、残された農耕への依存が高まり、自給レベル以上の労力を投入せざるを得なくなった。栽培作物が換金作物にシフトするなど、現金収入源としての重要な位置づけになったのである。また家畜泥棒による家畜の減少は、燃料の収集にも影響を与えたと考えられる。農村部では牛フンを燃料として利用しているため、牛の減少は燃料の不足を意味する。調査村においても、牛フンに代わる燃料となる潅木の採集場所が拡大していた。現金収入の減少は、地域の自然資源に強く依存した生活を農民に強いることになり、今後、耕作地や植物資源への負荷がますます高まっていくことが危惧される。
著者
田中 健作
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p><u>1.研究目的と調査内容</u></p><p></p><p> 本報告では,高齢期のQOL構築とモビリティとの関係性を見出そうとする問題意識から,高齢化が急速に進む大都市圏郊外に焦点を当て,加齢によるモビリティ縮小への適応の実態を明らかにすることを目的とする。</p><p></p><p>研究対象地域は,報告者が2015年より調査を継続している京阪神大都市圏郊外のA市である。2018〜2019年にA市のXマンション(約450戸,エレベーター完備)に住む60歳以上の28人から,インタビューまたは質問紙による調査協力を得た。Xマンションすぐそばのバス停からは,商業施設と隣接した最寄駅との間を約10分で結ぶ路線バスが1時間に4本以上運行されている。交通利便性や居住環境の整備された,典型的な郊外住宅地域であるといえる。</p><p></p><p><u>2.年齢層別にみた外出行動</u></p><p></p><p> 年齢層別に外出頻度と範囲の概況を整理したところ,団地内・周辺および団地外ともに70歳代前半,70代歳後半,60歳代,80歳代の順に外出回数が多かった。70歳代前半の団地外移動回数の平均値は週5回,80代の団地外移動回数の場合は週3回程度であった。なお,最近半年間における外出や利用交通手段の変化は小さかった。70代前半の値の高さは,調査対象者に通勤者が相対的に多く含まれていたり,趣味としてフィットネスクラブに通う人がいたりしたことによるものであった。70歳代後半以上になると,歩行能力の低下により移動の難しくなる人があらわれてくる。</p><p></p><p>このように住民の加齢による外出行動の縮小は認められるものの,当該マンションは,加齢を伴っても,歩行に難がない限りは,週に複数日はマンション外に出かけてQOLを維持することができる環境にあるといえる。</p><p></p><p>また,当該マンションでは,住民主体の自治会活動やサロン開催が積極的に行われている。これら市民活動もまた,地域の交通環境とともに,加齢によってモビリティの縮小する住民のQOLの維持に寄与している。</p><p></p><p><u>3.加齢によるモビリティ縮小への適応</u></p><p></p><p> モビリティの基礎となる歩行状況をみると,加齢によるモビリティ縮小のモザイク化がうかがえる。すなわち,70代に入ると近隣の坂道歩行に苦をより感じるようになり,移動時間に余裕を持たせたり,乗り物利用を増やしたりする人が増えた70代半ばあたりから,過去10年間の徒歩移動の減少が認識されるようにもなっていた。ただし,加齢の進行や加齢への適応の個人差がより明瞭になる80代以上の場合,70代後半よりも坂道を苦に感じる人は相対的に少なかった。加齢の進行や加齢への適応の個人差によるものと推測される。</p><p></p><p>また,加齢によるモビリティの縮小は交通手段利用を分化させていた。これについて調査対象者の免許返納状況により,①運転中、②返納・失効・運転とりやめ、③元々免許なしの3類型に区分して検討した。</p><p></p><p>日常生活における外出回数および外出範囲の過去10年間の変化をみると,類型①と③は「縮小」と「変化なし」の二極化しており,類型②ではこれに外出回数に変化はないものの外出範囲を狭めている人が含まれていた。</p><p></p><p>徒歩を含む移動手段の変化をみると,バス交通の利用が相対的に増加し,電車利用が相対的に減少していることから,日常的な移動範囲は概ね最寄駅周辺からA市周辺の範囲に収斂しつつあると推測される。</p><p></p><p>移動手段全体でみると,各類型に共通してバス交通の利用が多くなっていた。このため,週に1回以上利用する乗り物の数は類型①,②,③の順に多くなっていた。増減に着目すると,①と③の増減幅は小さく,②では大きくなっていた。これは自家用車運転の取りやめと,それによるバスとタクシーの利用が大幅に増えたためである。当該地域は農山村に比べて移動環境が優れており,車の運転も比較的早くに取りやめることができる。交通サービスの発達は,週1回以上の外出を支えてきたことがわかる。</p><p></p><p> こうした移動方法の変化に対する満足度は,どの類型においても「やむを得ない」とする人が多かった。概ね,加齢によるモビリティ縮小を受容していることがわかる。②にのみ「やや不満足」や「不満足」が複数人みられ,主観的QOLに影響を与えている可能性がある。比較的元気なうちに運転を手放せるがゆえ,活動ニーズの高さとモビリティ縮小との間にミスマッチも生じやすいものと考えられる。</p><p></p><p>※本研究では科学研究費(課題番号18K12589)を使用した。</p>
著者
山本 隆太
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

I. システム思考と地理教育 地理学習にシステム思考(あるいはシステム論、システムアプローチなど呼称は様々)を導入するという考え方は、1992年の地理教育国際憲章をきっかけとして、世界各国に共通する地理教育的価値観の一つとして認識されている。とくにESD(Education for Sustainable Development)でもシステム思考が重視されていることを受けて、最近では日本やフィンランドの地理カリキュラムの構想にシステムという言葉が登場してきている。こうした地理教育におけるシステム思考については、ルツェルン大学のRempflerらがドイツ語圏で展開している地理システムコンピテンシー研究が国際的にも先駆的な取り組みとして知られている。Armin Rempflerらは地理システムコンピテンシー研究開発プロジェクトを2011年から立ち上げ、システムについての概念的、地理教育的、コンピテンシー開発論的な観点からそれぞれ検討を行っている。 &nbsp; II. 地理学におけるシステム概念の議論不全と社会生態学 プロジェクトの初期段階では、地理学におけるシステム概念の検討が進められた。ドイツでは自然地理学と人文地理学の乖離すなわち総合的な地理学の在り方が、2000年頃のミュンヘン大学地理学部統合問題をきっかけとして大きな議論を呼んだ。これまでの地誌学や景観論、地生態学がこうした総合的な役割を担ってきたという主張があるが、実際には地理学が求める自然地理学と人文地理学を統合するための理論が欠けており、あらためて両地理学領域の乖離を埋め、総合的地理学を具体化するためには、システム論を用いた社会環境研究が必要であるという見方が共有された。そこで、Rempflerらはこの社会環境研究と同等のアプローチを採用している社会生態学を参照し、そこからシステムにまつわる諸概念を借用した(開放性、オートポイエーシス、モデル化、複雑系、非線形、ダイナミズム、創発、境界、自己組織化臨界、限定的予測と調整)。これらシステムにまつわる諸概念を元に、地理システム思考の理論的フレームワークを構築した。 &nbsp; III. 教育理論によるコンピテンシーモデル開発 1)&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 次元階層モデルの構築 社会生態学から見出されたシステム諸概念のフレームワークは、規範教育理論に基づいて次元階層モデルとして再構築された。システムの諸概念を学習することによって身につけられるコンピテンシーが4つの次元として位置づけられるとともに、その学習プロセスを示唆する3段階が示された。さらに、具体的な教材開発にあたってはこのモデルでは複雑すぎるため、教育的削減によって次元数が4から3に削減されるなど、簡素版の次元階層モデルが構築された。 2)&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; コンピテンシーモデルの実証研究 次元階層モデルがコンピテンシーモデルとして有効であるかを検証するために、実証試験用問題が作成された。試験問題はパイロット試験(サンプル数=954)の結果をフィードバックするかたちで改善され、結果的には17類型(テーマ)、全147問が完成した。これを用いた本試験(サンプル数=1926)の結果、コンピテンシーの次元数はさらに削減され、「システムの組織と挙動」、「システムに適応した行動をとる意志」からなる2次元のモデルが開発された。 &nbsp; IV. システム思考を用いた教材の検討 2次元コンピテンシーモデルに基づいて開発された教材「ソマリアの海賊」は、コンセプトマップ作成、ジグソー学習、限定合理性に基づいた解決策考案などの観点が含まれた学習で単元構成されている。複雑な課題の解決を学習する場合はシステム思考が有効であることが示唆された。
著者
遠藤 尚
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.158, 2008

<BR> 世帯や個人の生計は,過去から連続した軌跡を背景として現状が存在しているため,発展途上国農村生計研究において時系列的な観点は不可欠である。そして,社会,経済などの外的要素ばかりではなく,世帯のライフサイクルも世帯生計に影響をもたらす。したがって,外的要因による世帯生計の変化を検討する場合,各世帯のライフサイクル上での生計の特徴を考慮する必要がある。また,ジャワ農村では近隣に居住する親族世帯間に日常生活や農業経営における互恵的な関係がみられるため,生計における親族世帯間の関係についても無視できない。西ジャワ農村では,1980年代後半の民間部門を中心とした急速な経済成長以降,農村内外の農外就業が一層拡大し,若年層を中心に就業構造に変化がみられることが指摘されているが(水野,1999),それによる農村生計の変化について検討した研究ほとんどみられない。そこで,本報告では西ジャワ農村におけるライフサイクルによる世帯生計の変動について把握し,世帯間の親族関係に注目しながら,1980年代後半以降の西ジャワ農村生計の変化について明らかにすることを目的とする。<BR> 調査対象地域は,西ジャワ州ボゴール県スカジャディ村である。当村は,ジャカルタの南60km,ボゴールの南西10km,サラック山北側斜面の標高470~900mに位置し,ボゴールからミニバスで約1時間の道のりにある。村の総面積3.0km<SUP>2</SUP>の内,水田は1.6km<SUP>2</SUP>,畑地は1.1km<SUP>2</SUP>を占める。主な生産物は,水稲および陸稲,トウモロコシ,サツマイモ,キャッサバ,インゲンなどであり,調査対象世帯(RW4,RT3,4の全85世帯)では,副業を含め世帯主の40%が農業関連業に就業している。しかし,対象世帯の内,水田を経営しているのは19世帯に過ぎず,比較的農業収入の割合が高い水田経営世帯についてさえ,農業収入は50%を下回っており,対象地域における世帯収入構成において非農業が占める割合は高いといえる。2005年8月,および2006年12月に,上記の調査対象世帯を戸別訪問し,世帯主の都市就業経験を含む就業の時系列的変化と世帯のライフヒストリーに関する聞き取り調査をそれぞれ行った。<BR> 調査結果から,当村における世帯の経済状況や生計はライフサイクルによりかなり規定されていることが明らかとなった。ライフヒストリーにおける世帯の経済状況の好転理由,悪化理由については,それぞれ約50%の世帯が,「子供の就業(好転)」,「子供の就学(悪化)」などの世帯のライフサイクル上の変化や世帯構成の増減などを理由として挙げている。ただし,世帯生計の維持,拡大の手段は階層によって差異がみられる。大規模な水田を所有する親族集団は,土地や教育などの資産への投資,蓄積が世代を超えて行われる一方で,小規模な水田しか持たない親族集団や水田非所有親族集団は,多就業による一時的な生計の拡大に留まり,長期的な資産の蓄積が進んでいない。<BR> 1980年代後半以降,当村においても都市との移動労働の拡大が進み,20代,30代の世帯主の70%以上を都市就業者もしくは都市就業経験者が占めている。移動労働の拡大は,子供の増加,就学により世帯の経済状況が悪化する時期に当たるこれらの世代の世帯所得を改善している。このような傾向は全ての親族集団にみられるが,子女への教育という人的資源の蓄積に勝る大規模水田所有集団はより高賃金で安定的な職業へのアクセスが可能である。ライフステージや生計構成が異なる親族世帯間の互恵的関係は,親族集団内における経済的差異を緩和する方向へ働いていることが確かめられた。しかし,上記のように,西ジャワ農村においても,資産の蓄積状況やアクセス可能な活動に関して親族集団間に差異がみられ,1980年代後半以降もそれらは時系列的に再生産され,引き継がれているといえる。<BR><BR>水野広祐 1999.『インドネシアの地場産業-アジア経済再生の道とは何か?(地域研究叢書 7)』京都大学学術出版会.
著者
小林 優一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

我が国の地域医療計画の現状として、制度に明記された文言の背景には、医療圏の定量的な評価が必要だとされているが、GISによる分析技術の普及前は行政区域による圏域設定が一般的であった。本稿では、GISによる診療圏分析を行うことで、神奈川県次期「地域医療計画」へ医療圏域内外のアクセシビリティの分析手法のひとつとして、GISがどの程度、実証的に分析出来得るのかを示した。 <br> 地域医療計画の最新の政策動向としては、厚生労働省(2012)次期医療計画の作成指針に「自然的社会的条件を無視した医療圏設定になる可能性が有ること。」が指摘された。だた、先行研究より、医療圏再設定の条件として示されている①人口規模や②流出入率の具体的な数字に関し、根拠と成り得る資料等は無いことが分かった。本稿では、医療圏域の設定の評価を行う前段階として、先ず神奈川県内の医療圏域(全11医療圏)の構造を分析する為に、日常生活圏を設定し、GISを用いて医療施設から到達圏分析を行った。<br> 高齢者の日常生活圏は、石原(1984)、登張ら(2003)(2004)を参考に、大都市部・地方部問わず、時速3km/h(徒歩速度)で500m圏内に設定した。これらの結果から研究対象地域の病院・診療所からの時間距離の10分を日常生活圏として設定し、到達圏分析を行った。次に、田中(2001)を参考に、如何なる移動手段を用いても、日常生活圏に関しては、医療機関から30分圏域を移動に伴う最長時間と設定し、医療機関からの道路ネットワークを用いて到達圏を分析した。<br> また、神奈川県全域の医療機関、病院(全343施設)・クリニック(全6544施設)を対象に、標榜出来る診療科33科ごとに到達圏分析を行った。その結果、神奈川県では、「人工透析施設」が横須賀三浦地区で不足している点が分かった。神奈川県次期「地域保健計画」中に、人工透析が可能な施設数が相対的に不足していることから、その事実を加筆し、今後の対策を同時に考えていく必要性があることを指摘したい。<br> 最後に、今後の人口構造の変化に伴い、病院間の統合や新設に関する議論が活発に進んでくることが予想される。この時流に従い、本稿では、計画予定の交通インフラ拡張及び病院新設の神奈川県藤沢市の事例を参考に、当該地区のアクセス構造の変化について、GISを用いて分析した。その結果、湘南藤沢記念病院(仮称)から距離にして30分圏域に藤沢市全域で高齢者人口数が相対的に多い沿岸部、つまり片瀬江ノ島周辺地区まで、到達圏域が拡張されたことが分かった。 <br> &nbsp;
著者
関戸 明子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.252, 2009

明治43(1910)年、群馬県が主催し、関東1府6県、甲信越3県、秋田を除く東北5県が参加した1府14県連合共進会が前橋市を会場に開催された。この連合共進会は、関東地方で開催されたものとしては過去最大規模であった。<br> この共進会に合わせて、群馬県教育品展覧会が開催された。この展覧会は、群馬県教育会の前身である上野教育会が主催したもので、会場は高崎中央尋常高等小学校、開催期間は57日間、入場者は11万人を超えた。展覧会には、教具・器具・資料など25,689点が出品された。<br> 教育品展覧会の出品物は「十の八九は教育者の熱心なる考案製作蒐集施設研究調査の結果にして、従来往々諸処の展覧会が生徒の成績品を以て場の大部分を填めたる如きと頗る其の趣を異にせり。……本県全町村の郷土誌は学校職員と役場員との共同の編纂に成れるものにして、多大の労力と時間とを要せしものなり」(下平末蔵「明治四十三年が与へたる活教訓」上野教育278、1910、pp.1-5)と位置づけられている。<br> 郷土誌は、修身・国語・算術・歴史・地理・理科といった初等教育に設けられた19のカテゴリーの一つとして展示された。『群馬県教育品展覧会目録』には、市町村単位の郷土誌119点が記載されている。10月21日と23日の『上毛新聞』に掲載された記事「展覧会場一巡」によれば、156点の郷土誌が出品されていたことが確認できる。こうした点数の違いは、郷土誌の完成が遅れて追加出品されたことなどで生じたと思われる。<br> これらの郷土誌は、明治42(1909)年9月の県知事の訓令によって編纂されたもので、当時208あった市町村のうち、半数以上で所在が確認されている。この訓令には、市町村長・小学校長は別紙目次により明治43(1910)年6月30日までに郷土誌を調製して市町村役場と市町村立小学校に備え付けることとあるだけで、目的などは明記されていない。郷土誌の目次としては、自然界が地界・水界・気界・動物・植物・鉱物の6章と14節、人文界が戸口・教化・郷土ノ沿革・官公署・風俗習慣・村是規約条例等・経済の7章と29節39目を掲げている。<br> この目次のうち、人文界の第7章「経済」・第8節「郷土ノ公経済」には、地租・耕地・小作料・生産額・消費額・基本財産などに関して15目のデータの収録を求めており、編纂当初より単なる教授資料の調製だけを目的に、この事業が企図されたとは考えにくい。郷土誌は、県レベルや郡レベルでも作られてきた。そのなかで、この編纂事業が町村を範域としたことは、地方改良運動の展開期に行われたことと結びついていると考えられる。このことは、郷土誌を県に提出するのではなく、小学校と役場に備え付けるように命じた点からも推察される。<br> 日露戦争後、地方の疲弊が顕在化するなか、明治41(1908)年10月に戊申詔書が発せられた。これは、国運の発展のために、上下一致して勤勉倹約することなどを説き、地方改良運動を支える精神的な柱となった。これを受けて群馬県では、翌年3月に戊申会が結成され、詔書の奉読が各地で行われた。戊申会成立の準備段階で作られた「群馬県斯民会準條」には、精神教育の奨励、道徳と経済の調和、教育産業の発達、地方自治の向上を目的とすると記されている(『雑事綴(戊申会庶務係)』群馬県立文書館所蔵)。明治42年9月に始まる郷土誌編纂事業もこうした流れを受けたものであろう。<br> その後、明治45(1912)年6月に、郷土誌を初等教育と自治民育とに活用するため県知事の訓令が出された。この訓令は、群馬県報で27頁にも及ぶ詳細なもので、郷土誌の利用方法として7点を掲げている。そのなかには、市町村自治行政上の方針を立てるには資料を郷土誌に採ること、市町村民の指導教化の材料として郷土誌を十分に利用することなどとあり、教育だけでなく地方自治にも活用することを求めている。さらに、「郷土ノ公経済」の項目には、町村の富の程度を他町村と比較し、生産・消費の額を明らかにし、輸出入の過不足を調査し、町村民の自覚と発奮を促し、富の増加を計るべしとある。<br> 郷土誌の編纂とその展覧は、その出来不出来を一覧する機会となった。そこで、町村相互の競争を求めつつ、郷土に役立つ人材の育成を期待したものと考えられる。この時期、国家を支える基盤となる地方行財政の強化を急務としていたため、郷土は町村という具体的な範域をとったといえる。
著者
田村 岳 ニャムサンジャ フラン 渡邊 眞紀子 ボロルマ オユンツェツェク
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p>隣接した異なる2つ、あるいはそれ以上の生態系間の移行帯であるエコトーンは、植生等地上景観の変化に富んだ空間として注目されている。しかし、その形成には気候、母材、人間活動等の影響を強く受けることから、植生ー土壌システムとして土壌性状を調べることで、エコトーン形成要因の時間・空間的な理解を深めることが可能であると考えられる。そこで本研究では、気候や母材に差のない環境において、植生がもたらす水熱環境の変化が性状に現れやすい土壌遊離鉄に着目し、エコトーンの特徴づけを試みた。</p><p> 調査対象地はモンゴル国ウランバートル中心市街地から北西に約15kmに位置するBaruun Salaaである。Baruun Salaaはヨーロッパアカマツを主構成とする林分とステップ草地、さらにその間にエコトーンのシラカンバ林が見られる森林ステップである。本研究では、それら3地点(Pine、Birch、Grassland)における各5つの土壌試料を105℃、550℃、850℃で段階的に加熱し、ヘマタイト化(赤色化)させることで、遊離酸化鉄の特性の差異を調べた。処理した試料は土色(CIE表色系L*,a*,b*)測定を行い、その後a*/b*値の平均値の差を統計的に評価するために対応のあるt検定(両側検定、<i>p&lt;0.05</i>)を行った。さらに、試料中の全鉄と全ケイ素含量の測定をエネルギー分散蛍光X線元素分析装置(EDX)により、ヘマタイト等鉱物の同定をX線回析装置(XRD)によりそれぞれ行った。</p><p> 土色分析の結果から、105℃、550℃、850℃の温度上昇とともにa*/b*値の平均値は、地点ごとに分離されることが判明し、とくに850℃ではPineとGrassland間、PineとBirch間で有意差が見られた。このことからBirchの遊離酸化鉄の性質はGrasslandに類似すると考えられた。一方、EDX、XRDの結果から、全鉄含量に対するヘマタイト含量の値、全ケイ素含量に対するイライトの含量の値は、ともにBirch>Pine>Grasslandの順に大きくなり、Birchでは、土壌の粘土化が進んでいるということが判明した。遊離酸化鉄の活性度や鉄を含む層状珪酸塩の脱水酸化物反応は、火災の影響を強く受けるほど大きくなる(関 2012, Ulery et al. 1996)ことから、Birchでは火災の影響をより強く受けた可能性が示唆された。このことは、燃えた切り株や焚火の跡がBirch調査区で認められた観察結果(田村 2020)と整合した。</p>
著者
猪狩 彬寛 小寺 浩二 浅見 和希
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<b>Ⅰ はじめに<br></b>日本の国土の70%は山地で占められており、その中には火山も少なくない。火山体が有力な貯水能をもっているということは重要(山本 1970)で、本邦でも決定的な意味を持っている。当研究室では富士山周辺や伊豆諸島での研究も古くから継続されている。今日では2016年9月27日の噴火活動以前から調査を続けていた御嶽山を中心に活火山体周辺の水環境を研究している。浅間山では周辺の水質を把握し、地域特性を明らかにすることで、水環境形成の要因を考察することを試みる。 <br><br> <b>Ⅱ 研究方法<br></b> 第1回目の調査を2015年6月20日および25日に行ない、以降約1ヶ月おきに調査を実施している。ここでは2017年5月26日の第22回までの調査の結果をまとめる。調査地点は調査を重ねていく中で徐々に増やしていき、現在は河川と降水採取地点と合わせて48地点である。現地ではAT、WT、pH、RpH、ECの測定を実施。また水のサンプリングをして研究室に持ち帰り、ろ過を済ませたのちTOCおよび溶存成分の分析を実施した。<br> <b><br>Ⅲ 結果と考察<br></b> <b>1.&nbsp; </b><b>河川(北麓)<br></b><b></b> 湯尻川や泉沢周辺では重炭酸カルシウム(Ca-HCO<sub>3</sub>)型の水質が分布し、水温・EC値共に周辺に比べ低いことが確認された。pHは7.0~7.5前後の地点が多いが、その変動は泉沢周辺で大きく、季節ごとの人為的影響が強く出ている。ECは湯尻川や泉沢で100&micro;S/cm前後だが、東の地域では地点間の変動が激しく、高羽根沢と地蔵川で200&micro;S/cm、小滝沢と濁沢で300&micro;S/cmを超え、特に片蓋川では平均値が500&micro;S/cmを超えている。<br> <b>2.&nbsp; </b><b>河川(南麓)<br></b><b></b> 地点による水質の差が北麓に比べ顕著であった。EC値の大きい地点では、Na<sup>+</sup>やMg<sup>2+</sup>などの陽イオン、HCO<sub>3</sub><sup>-</sup>やSO<sub>4</sub><sup>2-</sup>などの陰イオンの比率が大きくなり、濃度も高く、pH・EC値共に高い傾向にある。<b></b> <br><b>3.降水<br></b><b></b> 山体の東側に位置する六里ヶ原および鬼押出し園の降水は、西側に位置する降水と比べpHが低くEC値が大きくなる傾向が見られた。東西でこの傾向が入れ替わる場合もあり、風向および風速の影響が示唆された。<br><br><b>Ⅳ おわりに<br></b> 浅間山南斜面を流下する濁水や北麓の夏季に異常に低い水温を示す地点など、浅間山周辺河川の特色がつかめてきたと同時に、2年間の水質の変動についてもある程度把握することができた。今後は南麓を中心に、より上流域(山頂域)の地点を調査することを計画している。<br><br> <b>参考文献<br></b>鈴木秀和・田瀬則雄(2007):浅間山北麓における湧水温の形成機構と地域特性, 日本水文科学会誌, 37(1), 9-20 <br> 鈴木秀和・田瀬則雄(2010):浅間火山の湧水の水質形成における火山ガスの影響と地下水流動特性-硫黄同位体比を用いた検討-, 日本水文科学会誌, 40(4), 149-162.<br> 早川由紀夫(1995):浅間火山の地質見学案内, 地学雑誌, 104(4), 561-571<br>
著者
遊佐 順和
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<b>Ⅰ はじめに</b><br> 鹿部町は、北海道の南端渡島半島の東部に位置し、北海道駒ヶ岳を背にその山麓の一角に広がり、洋々とした太平洋内浦湾を望む風光明媚な環境にあり、町内には2018年に北海道遺産に登録された全国でも稀少な間歇泉をはじめ、30箇所以上の泉源にも恵まれている。産業では、3つの良港に恵まれ、帆立、スケソウダラ、昆布などを中心に豊富な魚種が水揚げされる漁業と、それら新鮮な魚介類をもとにした水産加工業を基幹産業とし、「日本一魅力ある漁師町、日本一行ってみたい、住んでみたい漁師町」を目指している。町章には、4つの「カ」を外周に配し"4力"で鹿部の「鹿」を表し、中心には昆布と温泉をシンボライズさせ、町民の和と漁業や温泉を活かした町の発展の願いが込められている。鹿部町へのアクセスは、2016年開通の北海道新幹線新函館北斗駅より車で約30分、北海道の表玄関である函館空港からも車で約1時間の距離に位置し、観光客がアクセスしやすい立地にある。1999年、間歇泉周辺に公園を開設し町の名所として観光客を受入れてきたが、2016年3月の北海道新幹線開通にあわせ、同公園を「道の駅しかべ間歇泉公園」として再整備し、鹿部の食文化を学び、味わえる体験型施設として生まれ変わり、「学べる・食べる・遊べる」観光スポットとして内容を拡充した。施設内では、鹿部漁業協同組合女性部による運営の「浜の母さん食堂」が、前浜であがる海の幸を家庭料理的な提供で好評を得て、鹿部の食文化を守りつつその魅力を発信している。この他、駒ヶ岳の軽石の粒で包んだ魚を干した「軽石干し」や温泉の蒸気を利用した蒸し釜料理など、地域資源を活用した様々な「食」が提供されている。本発表では、鹿部町が地域資源を活用し推進する食と観光による町の活性化に関し、今後の可能性と課題を考察する。<br><br><b>Ⅱ 問題の所在</b><br> 町の人口は、1985年国勢調査の5,107人をピークにそれ以降は減少が続いており、2019年1月1日現在で3,960人となっている。町内リゾート地区の移住者が寄与し、人口減少は比較的緩やかだが人口は確実に減っており、今後は消費者の減少とともに事業によっては後継者不足や事業継承が困難となることも危惧される。町では、こうした人口減対策に対処するため、豊富な水産資源や温泉などを活用した食と観光による町の活性化策の一つとして、「A級グルメ」による取り組みを開始した。「A級グルメ」とは、地域の人が誇りを持ってつくる「食」を指し、2011年より「A級グルメ構想」に取り組み、雇用創出や移住者誘致に成功している島根県邑南町とノウハウを共有し、まちの人材育成や魅力発信に取り組むことを計画している。邑南町では、「本当に美味しいものは地域にあって、その美味しさを本当に知っているのは地域の人々で、彼らが誇りを持って作る食はA級であり、永久に残さなければならない」という理念のもと、地域ならではの食を守りそれを通して地域に人を呼び込み、賑わいをもたらすことにより、地域に対する矜持をもたらし、雇用や産業を創出することで町を活性化させることを狙いとした施策が推進されている。2018年11月、食を通じた人材育成やA級グルメの理念を広げるための情報発信、起業、就業につながる活動を推進するため、鹿部町、福井県小浜市、島根県邑南町、西ノ島町、宮崎県都農町により、「にっぽんA級(永久)グルメのまち連合」が設立され、東京で調印式が行われた。<br><br><b>Ⅲ 今後の課題</b><br> 鹿部町では、「にっぽんA級(永久)グルメのまち連合」に参画する市町との連携により、食に関する人材育成を行うため、地域おこし協力隊の共同募集の実施や、「A級グルメ構想」を取り入れつつ、道の駅しかべ間歇泉公園を人材育成の拠点として、2019年より本格的な事業推進を計画している。今後の事業推進を進める中で、①住民参加による「じぶんごと」としての事業推進、②既存施設の有効活用による交流人口の誘引、③A級グルメ構想など新たな取り組みによる定住人口の確保、④外部人材導入によるまちの資源価値の再認識、⑤近隣自治体との連携によるエリアとしての高付加価値化など、地域資源を最大限に活用することにより、まちの魅力を効果的に情報発信し、成果に結びつけていくことが必要である。
著者
崎田 誠志郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<b>1.目的</b>&nbsp;<br> ギリシャは操業漁船数においてEU最多を誇る一方で,一隻当たり漁獲量はキプロスやマルタに次いで少なく,国内では小規模漁業を中心とした漁業構造が形成されている.しかし,直近の約20年で国内漁獲量は6割近く減少しており,近年の経済危機も相まって,小規模漁業の漁家経営は困難な状況に立たされている.こうした状況を反映してか,EU諸国の中でもギリシャは特にIUU(Illegal, Unreported, Unregulated)操業の横行が深刻とされている.<br> ミクロかつローカルに営まれる小規模漁業に対する適切な漁業管理のあり方を考えていくためには,まず小規模漁業の実態を実証的に明らかにしたうえで,管理体制や規制内容との整合性を検討しなければならない.しかし,ギリシャの漁業統計は著しく断片的かつ信頼性が低いため,漁業実態は研究者自身による操業の直接観察から導く必要がある.そこで本調査では,ギリシャでも特に小規模漁業の盛んな一地域を事例として,直接観察を中心に小規模漁業の基本的な特徴と傾向の把握を試みた.発表では,漁業実態と規制内容との関係についても予察的に検討する.<br><b>2.対象地域と手法</b> <br> カロニ湾は,エーゲ海北東部に位置するレスヴォス島の南部に形成された面積約112 km<sup>2</sup>の半閉鎖性内湾である.沿岸には8か所に漁港があり,いずれも湾内を主漁場として,網漁業を中心とした小規模漁業が盛んに営まれている.その中から本調査では,島内で登録漁船数が最も多いスカラカロニスを事例漁港に選定した.現地調査は2015年11月3日から11月21日にかけて,計19日間実施した. <br> 漁場利用の調査では,バルブニ<i>Mullus surmuletus</i>と呼ばれるヒメジ科の魚を主な漁獲対象とする冬季の刺網漁(以下,バルブニ漁)に着目した.現地調査では,協力の得られた漁船の操業に計12回同行し,ハンディGPSを用いて操業の航跡および活動内容・時間を記録した.また,12回中10回の操業について,揚網時および漁獲物の選別時に,漁獲物の魚種,尾数,サンプルの体長・重量,漁獲物の用途,販売高を集計した. <br> 漁家経営を把握するにあたっては,質問票調査を実施した.対象は集落としてのスカラカロニスに住居を有する漁家とし,全世帯(56世帯)から回答を得た. <br> <b>3.結果と考察</b> <br> バルブニ漁の操業において,潮流や潮汐といった漁場の物理的環境は基本的に考慮されておらず,操業を空間的に制約するような規制も一部を除き存在しない.日々の操業漁場は,主に1) 前日までの漁獲実績,2) 他の漁業者からの情報,3) 漁場における他の漁船との操業調整にもとづいて決定されており,そのうえで,漁船はカロニ湾内を縦横に利用していた.ただし,日の出とともに活動を開始するバルブニの生態や仲買人の来港時間などが時間的制約として存在しており,この制約によって,操業可能な空間的範囲や網の数・長さの限界などもある程度規定されていた.結果的に,操業で用いられる網の長さは,EUの共通漁業政策(Common Fishery Policy, CFP)で定められた上限よりも2 km前後短いものが主流となっていた. <br> バルブニ漁の総漁獲尾数に占めるバルブニの割合は約33 %で,バルブニの次に販売尾数の多いマリザ<i>Spicara smaris</i>と合わせると全体の6割以上を占めていた.一方,総漁獲尾数に対する放棄尾数の割合は約12 %であったが,放棄の大半はスペインダイ<i>Pagellus bogaraveo</i>で占められており,非販売漁獲物はもっぱら自家消費や知人への分配に回されていた.こうしたことから,バルブニ漁において漁業資源は比較的無駄なく利用されているといえる.他方で,漁業者の間でバルブニ漁の漁獲・操業効率はさほど追求されていない様子もうかがわれた.設備投資に必要な資金の不足に加えて,選別にかかる時間と労力の増加を避けていることが理由として考えられる. <br> カロニ湾で営まれる漁業はむろんバルブニ漁に限らないが,上述したバルブニ漁の小規模性は,漁家経営の零細性とも無関係ではないと考えられる.質問票の集計結果では,漁業収入が3万ユーロを上回る世帯は存在しないばかりか,6割以上の漁家は漁業収入が1万ユーロに満たなかった.<br> 個々の漁船におけるバルブニ漁の操業実態はCFPや国内法の規制を下回っていたことから,漁業規模の拡大や漁獲効率の向上を図る法的余地は存在する.しかし,バルブニ漁の小規模性は地域の生態・社会・経済的要因に規定されている側面が強く,漁家経営の改善には漁業者間の温度差もある.加えて,漁協役員や行政関係者からは,現状において,すでにカロニ湾ではバルブニなどの漁業資源が乱獲状態にあるという懸念がしばしば示された.
著者
福井 一喜
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

Ⅰ.はじめに<br>観光・レジャーは,ネット利用が最も早くから進展した分野の一つである.とりわけ観光・レジャー情報のアピールにネットが利用されているが,若者を中心に,個人レベルでのネット利用も一般化し活発化している.<br>それゆえ近年の観光学では,個人間のオンラインコミュニティ上て゛やりとりされる観光・レジャー情報か゛,個人の観光・レジャー行動を決定つ゛ける最大の原動力になると論じられている.地理学でも,観光者のSNSを用いた情報発信を空間的に捉えようという試みが報告されてきた.これらは観光・レジャー情報の受発信におけるSNSのポテンシャルの予察的な論考であり,またSNS利用者という一部の人々の行動を観光・レジャー資源等の評価指標にしようとする試みである.若者を中心とした,SNSを用いた観光・レジャー情報の受発信が注目されている.<br>観光・レジャーにおけるSNS利用の実態把握は観光現象の空間性を把握する上で基本的かつ不可欠な作業といえる.しかしながらデータ取得の困難もあって分析されてこなかった.したがって,観光・レジャー情報の受発信をめぐって,どのような地域での観光・レジャーにおいて,どのようなSNSのアカウントが,どのように,どの程度用いられるのかを明らかにする必要がある.本報告ではそのことを,東京大都市圏の若者に対して行ったアンケート調査をもとに検討する.最も主要なSNSとしてTwitterとInstagramの利用を中心的に分析する.<br>なおSNSに限らずICT利用の空間性の解釈論は情報地理学に豊富な蓄積が見られる.後述するように,本調査結果の解釈にもICT利用の一形態として情報地理学の観点が必要と考える.<br><br>Ⅱ.結果の概要<br>2018年1月に,東京都,神奈川県,埼玉県,千葉県,茨城県に居住する15歳から34歳の1,115名を対象にオンラインアンケートを実施した.以下に結果の概要を示す.居住地は多い順に東京都(37.9%),神奈川県(20.0%),埼玉県(18.6%),千葉県(17.6%),茨城県(5.9%)である.回答者の多くは会社員層と学生層で,「会社員,公務員,専門職」(32.9%)と,学生層の「学生(高卒以上)」(24.2%),「中高生・高専生」(14.6%)が主要グループである.SNS利用率はTwitterが84.9%,Instagramは50.7%である.<br>都市部と非都市部における観光・レジャー活動中の観光・レジャー情報のSNSでの発信状況は,「していない」の回答者が,都市部では45.1%,非都市部では50.5%で,観光・レジャー情報の発信でのSNS利用率は必ずしも高くない.また都市部と非都市部での差も大きいとは言いにくい.<br>一方受信について,どのようなアカウントの情報を参考にするかについては,都市部での観光・レジャーでは非都市部と比較して,企業や店舗,芸能人やマスコミの公式アカウントのほか,現実あるいはネット上の知人友人や,いわゆるインフルエンサーなどの個人アカウントなど,多種のアカウントがより参考にされている.ただし,いずれのアカウントも「よく参考にする」「たまに参考にする」は15~40%程度であり,全体としては,都市部でも非都市部でも,観光・レジャー情報の受信においてSNSが積極的に参考にされているとは言いにくい.<br><br>Ⅲ.まとめ<br>以上の結果は,全体として見ると東京大都市圏の若者は,観光・レジャー情報の受発信においてSNSを積極的に利用しているとは言いにくく,また都市部と非都市部での差も小さいと評価することができる.<br>ただし,それを結論とするのは早計といえる.情報地理学の視座に立つと,SNSに限らずICTの利用強度には居住地や年齢など現実空間での属性だけでなく,本人のICTへの興味やスキル,価値観などオンライン空間との親和性が大きく関わる点が無視できない.本調査でも,TwitterやInstagramへの登録年には,早い者と遅い者で10年以上の差があり,フォロワー数も50人以下から1万人以上の者まで見られる.すなわちSNSに関する習熟度や影響力に大きな差がある.こうしたオンライン空間との親和性に着目して都市部と非都市部における観光・レジャー情報受発信を分析していく.
著者
土'谷 敏治 安藤 圭佑 石井 智也 花井 優太 八剱 直樹
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.6, 2011

_I_.はじめに<BR> 2002年の乗合バス事業に対する規制緩和以前から,多くの自治体がコミュニティバスの運行を始めた.鈴木(2007)は,コミュニティバスとは,「既存の交通機関のサービスが技術的または経営的理由で行き届かない地域の住民の交通手段を確保するため,既存のバスよりも小型の車両をもって,市町村が何らかの形で関わり,何らかの財政支援を背景として運行される乗合バス」としている.また,1995年に運行を開始した武蔵野市のムーバスの模造品が続出したため,「循環ルート」で「ワンコイン運賃」が常識との認識も生まれていると指摘している.<BR> 茨城県ひたちなか市は,市内の公共交通機関の維持に積極的に取り組んでいる地方自治体の1つである.茨城交通の湊線鉄道事業からの撤退表明を受けて,2008年にひたちなか海浜鉄道として第三セクター化し,2009年と2010年には乗合タクシーの実証運行も行った.さらに,2006年10月から「スマイルあおぞらバス」というコミュニティバスを運行している.2系統で始まったこのコミュニティバスは,運行経路の変更や増設を経て,2011年1月現在5系統となっている.ただし,上記の鈴木(2007)の指摘のように,運賃100円の循環ルートを運行し,もっも長い系統では,循環ルートを1周するのに1時間50分程度を要する.運行経路などに対する市民の評価も,賛否両論が聞かれる.<BR> 2010年10月,このひたちなか市コミュニティバスについての調査の機会がえられた.本報告では,上記の点を踏まえ,ひたちなか市のコミュニティバスが,市民にどのように利用され・評価されているのかを明らかにするため,利用者数や利用のパターン,利用者の属性や利用の特色,利用者の評価について調査するとともに,今後の課題について検討することを目的とする.<BR> _II_.調査方法<BR> 利用者数については,ひたちなか市も停留所ごとの乗降数を調査している.ただし,個々の乗客の乗車・降車停留所までは明らかではない.今回は利用パターンを明らかにすることを目指し,乗降停留所を特定して,旅客流動調査を行った.これによって,OD表レベルでの利用者数の把握が可能となる.利用者の属性や利用の特色,評価については,車内で調査票を配布し,利用者自身が記入する方式を基本としたアンケート調査を実施した.ただし,記入が困難な場合については,調査票をもとに調査員が聞き取りを行った場合もある.主な調査項目は,居住地・性別・年齢・職業の利用者の属性,利用目的,利用頻度,コミュニティバスに対する評価などである.<BR> 調査は,5系統のコミュニティバス全便に調査員が乗車し,旅客流動調査と配布・聞き取り調査を行った.旅客流動調査は基本的には悉皆調査である.配布・聞き取り調査については,できるだけ多くの利用者に対する調査を心がけたが,車内空間が狭く,1名の調査員では混雑時や短区間の利用者については調査に限界があるため,悉皆調査とはなっていない.調査日は,平日と土・日曜日の違いを考慮して,2010年10月15日(金),16日(土)の2日間実施した.<BR> _III_.調査結果の概要<BR> 旅客流動調査の結果,10月15日(金)438人,10月16日(土)478人,2日間の合計で延べ914人の利用者があった.もちろん系統によって利用者の多寡があり,都心部系統の利用者が多い.また,都心部系統や那珂湊系統では金曜日より土曜日の利用者が多いが,他の系統は逆になる.旅客流動は,JR勝田駅の乗降が卓越し,各停留所・勝田駅間の利用が主要なパターンであるが,勝田駅以外では,ショッピングセンターや公共施設,病院,一部の住宅団地での利用者が多い.しかし,その他の多くの停留所では,ほとんど乗降がみられなかった.<BR> 利用者に対するアンケート調査では,2日間で401人から回答がえらた.各系統とも女性の利用者比率が高く,60歳代以上の高齢者の利用が卓越する.利用目的も買い物目的が最も多く,高齢者の利用を反映して通院目的の利用も多い,しかし,都心部の路線を中心に通勤目的の利用がみられ,土曜日には,10歳代を含む若年層の利用や,那珂湊コースのように観光目的の利用も増加する.<BR> このような点から,極端に長い循環ルートの再編とともに,通勤利用・土休日の買い物利用・観光利用など,いわゆるコミュニティバスの枠にとらわれない路線の設定や対象利用者の拡大を検討していく必要がある.
著者
池田 千恵子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>本研究では,新型コロナウイルスの感染拡大による観光需要の大幅な減少とそれに伴う宿泊施設への影響について報告を行う.金沢市は2015年3月の北陸新幹線開通後の2016年には,宿泊客数が308万4854人と300万人を突破した.その後も,2019年には宿泊客数が343万1493人と大幅に伸びていた.宿泊客数の増加に伴い,宿泊施設も2015年の119施設8,838室から2019年には345施設11,834室と急激に増加した.金沢市内中心部における宿泊施設の分布の特徴として,ホテルは金沢駅周辺と百万石通りに集積し、簡易宿所は兼六園、東山ひがし茶屋街、西茶屋街などの観光地の近接地や観光地を周遊しているバスルートに沿って集積していた.このように観光需要の拡大に伴い、金沢市では宿泊施設が急激に増加していたが,2019年時点で供給過剰の状態であった.2019年の宿泊施設の年間の稼働率は,ビジネスホテルで51.9%,簡易宿所は11.6%で全体の稼働率は45.2%と2018よりも6.6%減少した.これは宿泊客の増加よりも宿泊施設の供給が上回ったことに起因している.2020年に入り,新型コロナウイルスの感染拡大により,1月25日〜5月6日の宿泊のキャンセルは,金沢市内の7ホテルで6万7131人に及び(4月20日時点), 21施設(計約3,400室)のアンケート結果によると,2〜8月の予約取り消しによる損害額は約13億1000万円,同時期の自粛による損害見込みは約12億4000万円で合計25億5000万円に及ぶと試算された(4月15日時点).4月16日に全都道府県に緊急事態宣言が発令された後,宿泊施設の新規開業の延期や営業休止を余儀なくされた.また,宿泊施設の建設中止や倒産なども生じている.このような状況において,宿泊施設はテレワークへの転用や帰国出来なくなった外国人への宿泊場所の提供など,従来とは異なる目的で利用されている.新型コロナ禍における宿泊施設の現状と今後の展開について報告を行う.</p>
著者
伊東 勇貴 熊木 洋太
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100199, 2016 (Released:2016-04-08)

房総半島の千倉付近には,元禄関東地震(1703年)と同様の地殻変動(数mの隆起)を伴う地震(以後,元禄型地震)によって離水したと考えられている4段の明瞭な海成段丘面がある。これらは上位から沼Ⅰ~Ⅳ面と呼ばれ,それぞれ沼Ⅰ面:7200年前頃,沼Ⅱ面:5000年前頃,沼Ⅲ面:3000年前頃,沼Ⅳ面:AD1703年の元禄関東地震時に離水したことが明らかにされている(中田ほか,1980;藤原ほか,1999など)。この地域に河口を持つ河川沿いでは,これらの海成段丘面に連続する河岸段丘面が存在し,地震時の相対的な海面低下による河床低下が上流に波及して河岸段丘が形成されたと考えられる。これらの河川は丘陵域に発する小規模なもので,この期間の上流側の環境変化は小さいと考えられ,相対的海面低下による河岸段丘形成過程を検討するのに適しているが,これまでほとんど研究されてこなかった。本研究では,千倉平野とその北側の古川平野を流下する河川沿いの段丘面を区分し,各面の分布や形状,縦断形の特徴を把握した。また各段丘面構成層の観察を行った。特に後述する古川Ⅳ面および千倉Ⅳ面の段丘構成層については,堆積物中に材化石,貝化石を発見したので,加速器質量分析法による14C年代測定を行った。これらの結果に基づいて,河岸段丘の発達過程について考察した結果,以下の結論が得られた。 1)千倉平野を流下する瀬戸川と川尻川の両河川沿いには4段の段丘面(千倉Ⅰ~Ⅳ面)が存在している。古川平野を流下する三原川,温石川,丸山川沿いにも4段の段丘面(古川Ⅰ~Ⅳ面)が存在している。これらはいずれも両地域にまたがって発達する沼Ⅰ~Ⅳ面に連続するか,最下流部での面高度がほぼ一致することから,沼Ⅰ~Ⅳ面を離水させた地震性隆起が原因となって形成されたと考えられる。 2)千倉Ⅱ面・古川Ⅱ面の形成は7200年前以降5000年前までのおよそ2200年間(期間1)に,千倉Ⅲ面・古川Ⅲ面の形成は5000年前以降3000年前までのおよそ2000年間(期間2)に,千倉Ⅳ面・古川Ⅳ面は3000年前からAD1703年までのおよそ2700年間(期間3)に形成されたと考えられる。 3)瀬戸川下流での露頭観察と年代測定結果から,千倉Ⅳ面の構成層(層厚約6m)の堆積開始は906~743 cal BP頃の少し前だと考えられる。したがって,瀬戸川下流での千倉Ⅳ面堆積物は,500~700年あまりの短期間で堆積し,これ以前の2000年間程度はもっぱら侵食傾向にあったと考えられる。 4)各期間には,谷が下刻による峡谷の状態から,側刻・堆積による幅広い地形面を形成する状態へ変化すると考えられる。また上述の瀬戸川下流のデータからは,その変化が生じるには,相対的海面低下後2000年近い時間が必要であると考えられる。 5)千倉Ⅳ面・古川Ⅳ面は,千倉Ⅱ面・古川Ⅱ面や千倉Ⅲ面・古川Ⅲ面より上流側にまで分布している。期間3がそれ以前の期間1,2より相当長いことから,遷急点がより上流側まで後退し,側刻・堆積作用によって段丘面が形成された範囲がより上流側にまで達したからと考えられる。 6)温石川,丸山川,瀬戸川,川尻川の現河床に見られる遷急点から求められる遷急点の平均後退速度は,それぞれ3m/y,6m/y,3m/y,2m/y程度である。また,各期間の終了時の遷急点の位置が幅広い段丘面分布範囲のやや上流にあり,当時の河口の位置が段丘面分布域の最下流部にあったと仮定すると,丸山川における期間1・2での遷急点の平均後退速度は,それぞれ1.7m/y,1.4m/y程度,瀬戸川における期間3の遷急点の平均後退速度は0.8m/y,川尻川における期間3の遷急点の平均後退速度は0.6m/y程度となり,期間が長くなると平均後退速度は小さくなる傾向が認められる。これらの値は,柳田(1991)が日高山脈の西側で段丘が発達するが最終氷期に堆積段丘は発達しない河川で得た値(1~3m/y)とほぼ同等である。
著者
伊東 勇貴 熊木 洋太
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

房総半島の千倉付近には,元禄関東地震(1703年)と同様の地殻変動(数mの隆起)を伴う地震(以後,元禄型地震)によって離水したと考えられている4段の明瞭な海成段丘面がある。これらは上位から沼Ⅰ~Ⅳ面と呼ばれ,それぞれ沼Ⅰ面:7200年前頃,沼Ⅱ面:5000年前頃,沼Ⅲ面:3000年前頃,沼Ⅳ面:AD1703年の元禄関東地震時に離水したことが明らかにされている(中田ほか,1980;藤原ほか,1999など)。この地域に河口を持つ河川沿いでは,これらの海成段丘面に連続する河岸段丘面が存在し,地震時の相対的な海面低下による河床低下が上流に波及して河岸段丘が形成されたと考えられる。これらの河川は丘陵域に発する小規模なもので,この期間の上流側の環境変化は小さいと考えられ,相対的海面低下による河岸段丘形成過程を検討するのに適しているが,これまでほとんど研究されてこなかった。本研究では,千倉平野とその北側の古川平野を流下する河川沿いの段丘面を区分し,各面の分布や形状,縦断形の特徴を把握した。また各段丘面構成層の観察を行った。特に後述する古川Ⅳ面および千倉Ⅳ面の段丘構成層については,堆積物中に材化石,貝化石を発見したので,加速器質量分析法による<sup>14</sup>C年代測定を行った。これらの結果に基づいて,河岸段丘の発達過程について考察した結果,以下の結論が得られた。<br> 1)千倉平野を流下する瀬戸川と川尻川の両河川沿いには4段の段丘面(千倉Ⅰ~Ⅳ面)が存在している。古川平野を流下する三原川,温石川,丸山川沿いにも4段の段丘面(古川Ⅰ~Ⅳ面)が存在している。これらはいずれも両地域にまたがって発達する沼Ⅰ~Ⅳ面に連続するか,最下流部での面高度がほぼ一致することから,沼Ⅰ~Ⅳ面を離水させた地震性隆起が原因となって形成されたと考えられる。 <br>2)千倉Ⅱ面・古川Ⅱ面の形成は7200年前以降5000年前までのおよそ2200年間(期間1)に,千倉Ⅲ面・古川Ⅲ面の形成は5000年前以降3000年前までのおよそ2000年間(期間2)に,千倉Ⅳ面・古川Ⅳ面は3000年前からAD1703年までのおよそ2700年間(期間3)に形成されたと考えられる。 <br>3)瀬戸川下流での露頭観察と年代測定結果から,千倉Ⅳ面の構成層(層厚約6m)の堆積開始は906~743 cal BP頃の少し前だと考えられる。したがって,瀬戸川下流での千倉Ⅳ面堆積物は,500~700年あまりの短期間で堆積し,これ以前の2000年間程度はもっぱら侵食傾向にあったと考えられる。<b></b> <br>4)各期間には,谷が下刻による峡谷の状態から,側刻・堆積による幅広い地形面を形成する状態へ変化すると考えられる。また上述の瀬戸川下流のデータからは,その変化が生じるには,相対的海面低下後2000年近い時間が必要であると考えられる。 <br>5)千倉Ⅳ面・古川Ⅳ面は,千倉Ⅱ面・古川Ⅱ面や千倉Ⅲ面・古川Ⅲ面より上流側にまで分布している。期間3がそれ以前の期間1,2より相当長いことから,遷急点がより上流側まで後退し,側刻・堆積作用によって段丘面が形成された範囲がより上流側にまで達したからと考えられる。 <br>6)温石川,丸山川,瀬戸川,川尻川の現河床に見られる遷急点から求められる遷急点の平均後退速度は,それぞれ3m/y,6m/y,3m/y,2m/y程度である。また,各期間の終了時の遷急点の位置が幅広い段丘面分布範囲のやや上流にあり,当時の河口の位置が段丘面分布域の最下流部にあったと仮定すると,丸山川における期間1・2での遷急点の平均後退速度は,それぞれ1.7m/y,1.4m/y程度,瀬戸川における期間3の遷急点の平均後退速度は0.8m/y,川尻川における期間3の遷急点の平均後退速度は0.6m/y程度となり,期間が長くなると平均後退速度は小さくなる傾向が認められる。これらの値は,柳田(1991)が日高山脈の西側で段丘が発達するが最終氷期に堆積段丘は発達しない河川で得た値(1~3m/y)とほぼ同等である。
著者
畑中 健一郎 木村 浩巳
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>1.はじめに</b><br> 寒冷な気候を特徴とする長野県には、それを活かした伝統的な暮らしや産業が県内各地に存在する。これらの伝統は、地域の象徴となり、観光や地域興しの資源としても期待される一方、地域の気候に密接に関わるがゆえに地球温暖化に伴う気候変動の影響が危惧される。これら伝統を継承し、地域資源として活用していくには、気候変動に適切に対応していくことが重要である。<br> 天然寒天は、かつては農閑期の副業として各地で生産されていたが、現在は全国で数カ所のみである。角寒天に限れば茅野市を中心とする長野県諏訪地域が唯一の生産地であり、「寒天の里」をPRするなど地域の象徴となっている。天然寒天の生産は、冬期の冷涼な気候を利用して野外乾燥させる工程に特徴があり、気候変動の影響がもっとも心配される地場産業の一つである。本報では、諏訪地域の天然寒天生産を事例として、気候変動が地域の伝統産業へ及ぼす影響について調査した結果を報告する。<br><b>2.調査方法</b><br> 茅野市を中心とする諏訪地域の寒天生産者、寒天生産者の組合、茅野市役所等を対象に、ヒアリング調査、アンケート等を2012年~2014年にかけて実施した。その他文献調査等の結果と併せて報告する。<br><b>3.諏訪地域の天然寒天と気候条件</b><br> 諏訪地域の寒天生産は江戸時代末期に始まり、寒冷な気候を活かした風土産業として発展してきた。戦前に生産量のピークを迎え、1970年代以降に急減し、現在の生産者は諏訪地域全体で10者程までに減少している。諏訪地域の家庭では、法事などの際に寒天料理を食べる習慣があり、食文化としても寒天は定着している。また、茅野市では天然寒天の普及拡大を目指す産学官連携プロジェクトが推進されており、寒天には地域の特産品としての期待が寄せられている。学校でも地域学習の素材として活用されており、市民にも地域の伝統産業としての認識が定着している。天然寒天業は経済規模としては小さいが、地域の象徴としての役割は小さくない。<br> 寒天には天然寒天と工業寒天があり、天然寒天はさらに角寒天と糸寒天に分けられる。生産工程のうち、生天(ところ天)を乾燥させて寒天に仕上げる工程を天然の気候条件を利用して行うのが天然寒天である。夜間の低温と日中の晴天を利用して、凍結と融解を繰り返しながら約2週間かけて乾燥させる。角寒天の生産には最低気温が-5℃~-10℃程度まで下がることが望ましいとされる。<br><b>4.気候変動の影響</b><br> 現在、寒天を12月中旬から2月中旬にかけて生産する生産者が多いが、近年は暖冬の年が多くなり、生産可能な期間が徐々に短くなっている。茅野市の最寄りの諏訪の観測データをみると、1990年代以降の日最低気温の高温化の傾向が明瞭に表れている。とくに11月中旬から12月上旬と、2月中旬から3月上旬の高温化が顕著であり、生産期間の短縮と一致している。生産者もこれを敏感に感じており、春の訪れが早くなったこと、冬の訪れが遅くなったことは共通した認識である。また、2月の気温が読みにくくなっており、気象情報を頻繁に確認しながら作業計画を立てる生産者もいる。<br> 生産可能期間の短縮に対して生産量を維持しようとしても、干し場や人手確保の問題があり、規模を拡大するのは簡単ではない。やむを得ず生産量を減らさざるを得ない状況が見受けられる。また、極寒期でも低温の日が連続せず、品質低下を防ぐための作業が必要となっている。このように気温の上昇が生産コストの上昇を招いている。<br><b>5.生産継続に向けて</b><br> 天然寒天の生産継続のためには、気候変動以外にも需要の減少や、都市化の進行による干し場確保の困難化、後継者問題などさまざまな課題がある。これらの課題に対して気候変動がさらに追い打ちをかけている状況にあり、後継者候補がいても事業の継承をためらっている生産者も多い。しかし、天然寒天の生産継続は、地域の伝統産業、食文化の継承の問題とも重なり、地域の象徴をどう維持していくのかということにつながる。今後は、これまでの需要喚起の取り組みに加え、気候変動影響にどう適応していくのか、個々の経営体の問題だけでなく、地域の問題としての検討が必要である。
著者
平山 弘
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<b>1.はじめに </b>近年マーケティングの世界において、ブランド構築およびブランド価値を高めるために、モノよりもコト、経験、価値共創をつくりだすために必要な手法として、ストーリー・テリングが注目されている。田中(2012)によれば、これは古くは1980年代の記号論の世界に登場した経緯があり、近年ではマーケティング・コミュニケーションのために有効なコンテンツづくりとして重視されている<sup><sup>[1]</sup></sup>。本研究ではこれまでストーリーを重視したブランドづくりを展開してきた沖縄瑞泉酒造<sup><sup>[2]</sup></sup>を取り上げることで、地域ブランドとしてのブランド化への秀逸性だけでなく、企業の所在地域やその業界の地位向上に貢献する企業スピリットを明らかにする.<br><b>2.瑞泉の歴史 </b>泡盛は琉球王朝の歴史とともに発展してきた500年以上の歴史をもつものであり、瑞泉酒造は1888年に創業されたのであるが、その始祖は琉球王朝における焼酎職から始まっている。その後、太平洋戦争において戦局が悪化する過程で、1944年には製造休業状態となり、末期には首里城周辺がアメリカ軍の爆撃を受け、同地は壊滅的な被害を受け、泡盛の製造所が破壊され、保管されていた古酒が消失するに至ったのである。戦後は直営工場となり、1949年に民営化され、1951年にようやく同社の酒造が再開され、1971年に現在の株式会社組織となり、全国での酒類調味食品品評会での受賞、イギリス国際ワイン&スピリッツコンペティションで初受賞をしている。<br><b>3.転機 </b>こうした泡盛づくりにおいて県内を中心にその供給がなされてきたのであるが、同社にとって1998年6月にある転機となる出来事が判明したのである。それが東京大学分子細胞生物学研究所のコレクションに、戦前に東京大学坂口謹一郎博士が沖縄で採取した麹菌が奇跡的に残されていたである。これにより、東京大学の協力、沖縄国税事務所須藤博士の尽力と同社の職人たちの寝る間を惜しんでの泡盛づくりが功を奏して、ここでも2度目の奇跡である、戦前の黒麹菌によるお酒が復活したのである。この泡盛は「御酒(うさき)」と命名され、そのストーリー性から数多くのマスコミに取り上げられることで、県外への需要も増加することで、現在の売上の県内の55%に対して県外45%の数字を呼び起こした。<br><b>4.ブランド化 </b>日本国内においては2003年から2007年へ続く「第2次焼酎ブーム」の到来により、焼酎乙類の需要が拡大し、特にいもを原料とした焼酎がその牽引力となって同ブームを支えたこともあり、より品質のよいアルコール度数の高い香りのよい沖縄の泡盛に対する需要も東京や大阪の市場を中心に増大することで、また沖縄サミットでの泡盛の登場や沖縄を題材にしたNHKテレビ「ちゅらさん」の全国放送などの影響もあり、その存在価値を高めてきた。低価格路線の焼酎甲類とは異なり、焼酎乙類業界にとっては本格派のものが売れ筋となっていることもあり、瑞泉酒造のそのストーリー性あふれる「御酒」や歌手のbeginとのコラボでつくられた「びぎんのしまー」、東京大学コミュニケーションセンターで販売されている「熟成古酒御酒」など、知名度の高さとともに、指名買いを生むブランド化された商品も数多い。<br><b>5.課題-マーケティング戦略の再構築- </b>沖縄における泡盛製造会社は47社からなっており、沖縄県酒造組合として組織化されていることから、今後のマーケティング戦略として組合として最優先すべき課題は(1)焼酎のカテゴリーからの脱却(2)新たな泡盛(スピリッツ)カテゴリーの構築である。焼酎甲類と焼酎乙類という二大焼酎カテゴリーの中でのポジショニングはプラスにはならないこと、また地酒という切り口で成功を収めてきた純米酒と同様に、泡盛業界も新たな価値提案をすべき時期に来ている。加えて、ヨーロッパにおける新たな泡盛スピリッツというカテゴリーでの提案はその度数の高さとともに、たとえばイタリアのお酒「グラッパ」や食前酒としてのスパークリング泡盛の開発など、今後その流通・マーケティング戦略の適切な話題作りとその構築が非常に重要になってくる。<br>注 [1] http://macs.mainichi.co.jp/space/web/041/marke.html(田中洋(2012)「#41 ストーリーテリング Story Telling」『WEB版スペース』毎日新聞広告局)。[2] 本研究はJSPS科研費 JP16K03966の助成を受けたものである。日本学術振興会 2016年度科学研究費補助金(基盤研究(C)課題番号:16K03966「中小・零細企業に必要とされるプラットフォーム化とブランド価値創造戦略の重要性」)。また、前研究課題<br>(24243048)の際に瑞泉酒造株式会社を訪ね、佐久本学常務取締役へのインタビュー調査を実施したものがベースとなっている。記して謝意としたい。<br>
著者
安倉 良二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

都市における小売活動を捉える上で大型店の立地が指標となるのは論を待たない。大型店の立地が都市の小売活動に及ぼす影響を取り上げた研究は,国および地方自治体が独自に制定した大型店の立地規制と関連づけたものが多い。しかし,大型店の立地変化を主導するのは,大手小売業者やショッピングセンターの開発業者である。2000年代後半以降,大手小売業者の中には,経営破綻や統合に伴って店舗網を再編成する過程で採算の悪い店舗を閉鎖させることも珍しくない。こうした動きは,大手小売業者を核店舗とするショッピングセンターにおいてもテナントの交替という形で集客力の維持を図る必要に迫られており,都市における小売活動の方向性を述べる上で見逃せない。<BR><br> そこで本報告では,2000年代後半以降の大都市内部における大型店の立地再編成について,発表者が研究を続けている(安倉2002,2007)京都市を事例に,都心部と郊外地域における新規出店と閉店の動向ならびにショッピングセンターのテナント交替に着目しながら明らかにする。<BR><br> &nbsp;2012年経済センサスの京都市独自集計から,国勢統計区別の小売業年間商品販売額をみると,都心部(四条烏丸・四条河原町,JR京都駅周辺),郊外地域の双方で大型店が立地している国勢統計区で上位を占めている。しかし,両地域における大型店の立地状況は2000年代後半以降,大きな変化がみられる。まず,都心部では百貨店の閉鎖と専門店の新規出店が顕著である。まず,前者では四条河原町において阪急百貨店が閉鎖し,その跡地に丸井が出店したのをはじめ,JR京都駅前では近鉄百貨店が閉鎖した跡地に建物を立て替えた上でヨドバシカメラが出店した。また,四条河原町周辺では,ユニクロを核店舗とするショッピングセンター「ミーナ京都」が新規出店したのとは対照的に,マイカル(現在はイオン)の「河原町ビブレ」が閉鎖した。<BR><br> &nbsp;郊外地域における大きな動きのひとつは,南区と向日市との境界に位置するキリンビール京都工場の跡地再開発の一環として行われた「イオンモール桂川」の新規出店(2014年10月)である。同店の立地はJR京都線の新駅設置を伴う新たな商業中心地の形成につながった反面,近接する向日市の中心市街地である阪急京都線東向日駅前ではイオンの既存店舗が今年5月に閉鎖したため小売活動の衰退が懸念される。もうひとつの動きは,ショッピングセンターにおける開発業者と核店舗の交替である。伏見区と宇治市の境界にある六地蔵地区に1996年に開業したショッピングセンター「MOMO」は,2014年9月に核店舗である近鉄百貨店の閉鎖と共に,その運営も近鉄百貨店から住友商事に移った。「MOMO」は改装を経て「MOMOテラス」に名称が変更されると共に,核店舗も食料品スーパーのほか家電製品やスポーツ用品を扱う専門店など多岐にわたった。また,2010年にはJR山科駅前にある再開発ビルの核店舗であった大丸が衣料品売場を閉鎖し,その跡地には家具専門店の「ニトリ」が出店した。<BR><br> &nbsp;このように2000年代後半以降の京都市では,従来の代表的な業態である百貨店や総合スーパーを展開する大手小売業者が都心部および郊外地域で店舗閉鎖や売場の縮小に取り組む一方,都心部では家電製品や衣料品の専門店業態の新規出店が相次いだ。以上の店舗網の再編成は,大手小売業者による経営ならびに店舗周辺の環境変化が厳しくなる中で取らざるを得ない企業行動の一端をあらわす。<BR>