著者
市川 康夫 中川 秀一 小川G. フロランス
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

フランス農村は、19世紀初頭から1970 年代までの100年以上に渡った「農村流出(exode rural)」の時代から、人口の地方分散と都市住民の流入による農村の「人口回帰」時代へと転換している。農村流出の契機は産業革命による農業の地位低下と農村手工業の衰退であったが、1980年代以降は、小都市や地方都市の発展、大都市の影響圏拡大によって地方の中小都市周辺部に位置する農村で人口が増加してきた。しかし、全ての農村で人口増がみられるわけではなく、とりわけ雇用力がある都市と近接する農村で人口の増加は顕著に表れる。本稿では、地方都市と近接する農村でも特に人口が増えている村を事例として取り上げ、移住者へのインタビューからフランス農村部における田園回帰の背景とその要因を探ることを目的とする。本調査が対象とするのは,フランスのジュラ山脈の縁辺に位置する山間の静かな農村地帯にあるカンティニ村(Quintigny)である。カンティニ村は、フランス東部フランシュ・コンテ地域圏のジュラ県にあり、ジュラ県庁所在地であるロン・ル・ソニエから約10km、車で20分ほどの距離に位置している。カンティニ村では、フランス全体の農村動向と同じく、19世紀末をピークに一貫して人口が減少してきたが、1980年代前後を境に、周辺地域からの流入によって人口が増加し、1975年に129人であった人口数は、2017年には262人と2倍以上になっている。隣村のレ・エトワール村は、「フランスで最も美しい村」に指定されており、観光客の来訪や移住者も多い。一方で、カンティニ村は目立った観光資源などは持たないが、移住者は静かな環境を求めて移住するものが多いことから、この点に魅力に感じて移り住むケースが多い。<br><br> カンティニ村への移住者は、20~30歳代の若年の子育て世代の流入が多く、自然が多い子育て環境や田園での静かな生活を求め、庭付き一戸建ての取得を目的に村に移住している。カンティニ村内は主たる産業を持っておらず、ワインのシャトーとワイン工場が2件あるがどちらも雇用数は10人程度と多くない。農家戸数も1950年代に26戸あったものが、現在では2戸になり、多くの農地はこれら農家に集約されたほか、移住者の住宅用地となっている。<br>本研究では、2017年8月にカンティニ村の村長に村における住宅開発と移住者受け入れ、コミュニティについて聞き取り調査をし、実際に移住をしてきた15軒の移住世帯に聞き取り調査およびアンケート調査を実施した。移住者には、移住年、家族構成、居住用式、居住経歴、移住の理由等、自由回答を多く含む内容で調査を行なった。<br> カンティニ村における移住者は、1980年代より徐々に増加し、特に2000年代以降に大きく増加している。カンティニ村における移住には2タイプあり、一つは村が用意した移住者用の住宅区画に新しい住宅を建設して移住するタイプ、もう一つは、②空き家となった古い農家建築を移住者が購入し、居住するタイプである。古い農家建築は築200~300年のものが多く、リフォームやリノベーションが必要となる。<br> 農村移住者の多くは、ジュラ県あるいはその周辺地域の出身者であり、知人からの口コミや不動産仲介からの紹介、友人からの勧めをつてにカンティニ村を選択していた。移住者の多くは、小都市ロン・ル・ソニエに職場を持っており、ここから通える範囲で住宅を探しており、かつ十分な広さと静かな環境、美しい自然・農村景観や農村建築を求めて移住を決めている。いずれも土地・住宅は購入であり、賃貸住宅や土地の借入はない。<br> 移住者がカンティニ村を評価する点としては、都市に近接しながらも今だに農村の風情や穏やかな環境、牧草地やワイン畑が広がる豊かな景観があること、美しい歴史地区の農村建築群、安価な住宅価格と広い土地、そして新しい住民を歓迎する村の雰囲気が挙げられている。そして、特に聞かれた点としては、主要な道路から外れてれおり、村内を通り抜ける車がないこと、村内に商店がワインセラーを除いて1件もないことに住民の多くは言及しており、「静寂」と「静けさ」を何よりの評価点として挙げている。また、多種多様な活動にみられるように、「村に活気がある」という点も多く聞かれた。また住民の仕事の多くは時間に余裕のある公務員であり、歴史建築を購入し自らリノヴェーションすることが可能であったこと定着の背景である。
著者
于 燕楠
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p>1. 目的と方法</p><p></p><p>需要発生地によってインバウンドの訪問パターンには特徴がみられる.典型的な例として,台湾の団体旅行は地方を含めた全国へ拡大する傾向にある一方,中国の団体旅行は東京—大阪間のゴールデンルートに偏在している.地方訪問について,台湾人の地方志向と中国人の都市志向がよく知られているものの,その要因を検討する実証研究は必ずしも十分とは限らない.地方における台中の訪問パターンを相対化する具体例によって,異なる分布傾向をもたらす要因がわかる可能性がある.</p><p></p><p>本稿の目的は,富山県に訪問する台湾発と中国発の旅行商品の訪問地を明らかにし,その分布要因を考察することである.具体的には,2019年1年間の富山県を経由する台湾389件と中国258件の旅行商品を資料とする分析と,2020年12月に旅行業者を対象とする聞き取り調査を実施した.旅行商品の分析では,目的地をノード,目的地間の移動経路をリンクとして抽象化し,旅行商品をネットワークの視点でとらえる.両ネットワークの面的な分布傾向,線的な周遊ルート,点的な目的地の3つのスケールに着目し,聞き取り調査を踏まえて分析結果を考察した.</p><p></p><p></p><p></p><p>2. 結果と考察</p><p></p><p>台中両ネットワークとも,白川郷と金沢をハブとする構造を有している.富山県を訪れる旅行商品であるものの,富山県は必ずしも主要目的地とは限らない.市町村単位で集計した訪問地の分布について,台湾の旅行商品は訪問地が80箇所と多いこと対し,中国のものは44箇所と旅行範囲が比較的限定されている.特に台湾のツアーには,富山県朝日町や新潟県糸魚川市などの中小都市の多いことが顕著である.これらの地区が中国のツアーに現れていない要因は,商品化までの知名度に欠けることだと考えられ,「造成しても販売が困難」との聞き取り調査の回答と整合的な結果となった.</p><p></p><p>また,周遊ルートの地域差も確認できた.聞き取り調査の結果を参考にし,コミュニティ抽出手法で捉えた周遊ルートを「昇龍道」「アルペンルート周遊型」「ゴールデンルート拡張型」「近畿—北陸周遊型」の4類型にまとめた.地方志向の「昇龍道」「アルペンルート周遊型」が共通しているものの,「ゴールデンルート拡張型」が中国独自のものとして存在している.この類型では,富山や金沢をはじめとする地方部が大都市の脇役とみられ,中国からの地方訪問を促す一因がゴールデンルートのリニューアルだと分かる.一方,この類型は台湾のツアーに全く登場しておらず,東京—大阪に台中間の温度差が存在している.</p><p></p><p>以上から,地方訪問を指向する台湾と,ゴールデンルートに固執する中国の旅行商品の違いが比較的明瞭にみられる.ほかにも旅行形態・ターゲットの設定・旅行商品Webページの記述の特徴を合わせて見ると,両者が違う成長段階にあることが考えられ,市場の成熟度が訪問パターンの差を生じさせた一因だと考察できる.中国では日本の地方部が観光地として知られるようになった日が浅く,なじみの薄い地方訪問がまだ草創期にありながら,台湾は既に訪日の成熟市場であり,大都市よりも地方志向性が向上している.今後一定の期間を経ることで,台湾のような旅行商品が中国にも現れる可能性がある.しかし,市場の成熟度はあくまでも一因であり,今後は入国制限,旅行業者の経営戦略,旅行動機の差などの要素がどれだけ旅行商品に影響を与えるのかを確認する必要がある.</p>
著者
大石 太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>Ⅰ はじめに</p><p></p><p> 国家やエスニック集団の記憶は,そのアイデンティティ形成に重要な役割を果たしており,それらは博物館やイヴェントを通じて強化され,継承される.たとえばカナダでは,実質的な建国記念日であるカナダ・デーを祝うイヴェントが首都オタワの連邦議会議事堂前広場において総督や首相が出席する国家行事として開催され,二言語主義や多文化主義といったカナダの国是に沿った演出がなされてきた(大石 2019).エスニック集団の記憶も,たとえば矢ケ﨑(2018)がアメリカ合衆国におけるさまざまな集団の事例を検討し,移民博物館やエスニック・フェスティヴァルがその記憶と継承に大きな役割を果たしていることを示した.本報告では,カナダ東部の沿海諸州(ノヴァスコシア州,ニューブランズウィック州,プリンスエドワードアイランド州)のフランス系住民アカディアンの記憶とその継承を,5年ごとに開催される世界アカディアン会議に注目して検討する.報告者は,2014年開催の第5回および2019年開催の第6回世界アカディアン会議に参加していくつかのイヴェントを観察するとともに,関連資料を収集した.</p><p></p><p> </p><p></p><p>Ⅱ アカディアンと世界アカディアン会議</p><p></p><p> アカディアンはカナダの沿海諸州に居住するフランス系住民であり,北アメリカに入植した最初のヨーロッパ人であるフランス人入植者の末裔である.18世紀にイギリスの支配下に入って以降,英語への同化が進んでしまったが,フランス語が英語と並ぶ公用語となっているニューブランズウィック州を中心に,現在もフランス語を母語として維持している.そこで一般には,統計的に把握しやすいこともあって,沿海諸州に居住するフランス語を母語とする者をアカディアンとみなす場合が多い.ただし,沿海諸州のフランス語話者にはケベック州出身者が一定程度含まれる一方,同化されてしまった家系にもアカディアンとしてのアイデンティティを維持する者が存在する.</p><p></p><p>アカディアンの先祖であるフランス人入植者は,1755年にイギリス植民地当局によって入植地(現在のノヴァスコシア州)から追放された.この「ディアスポラ」体験は,今日まで彼らのアイデンティティの核となってきた.また,19世紀末の一連のアカディアン・ナショナル会議で選ばれた象徴(守護聖人,旗,歌など)も,アカディアンのアイデンティティを今日まで支え,また可視的なものとしてきた.</p><p></p><p> 世界アカディアン会議は,入植400周年を10年後に控えた1994年に第1回が開催されて以来,アカディアンが居住する各地をホスト地域として5年ごとに開催されている.</p><p></p><p> </p><p></p><p>Ⅲ アカディアンの記憶と継承</p><p> 報告者が参加した第5回はニューブランズウィック州北西部を中心にアメリカ合衆国とケベック州の隣接する一部の地域を,第6回はプリンスエドワードアイランド州とニューブランズウィック州南東部をそれぞれホスト地域として開催された.興味深いのは,それぞれのホスト地域とのかかわりでアカディアンのアイデンティティが再確認されることである.すなわち,世界アカディアン会議はアカディアンのアイデンティティを統合・強化するのみならず,居住する各地を参加者らに展示する役割をも担っている.</p>
著者
原 真志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.52, 2009

1.はじめに 文化と経済の双方向での融合が進行し(Scott, 2000),高コストの大都市に集積するコンテンツ産業に対する関心が高まり、わが国でもコンテンツ産業政策支援の議論が活発になって来ている.知識ベース集積論では,イノベーションに重要な暗黙知の共有のために対面接触に有利な近接立地が促進される側面が強調されているが(Maskel and Malmberg, 1999),間接的実証のみで,対面接触の直接的実証が欠如している(Malmberg and Power, 2005).コンテンツ産業の特徴としては,都市空間においてプロジェクトベースで多数の主体が相互作用して離合集散するプロジェクトエコロジーを形成している面が重要であり(Grabher, 2002),単に主体間のネットワークのパターンを静態的に特定するだけでは不十分である.本研究は,コンテンツ産業クラスターにおいて,プロジェクトベースでどんな主体のいかなる相互作用によって,どのようにして多様な主体が時限組織の中に編みこまれて,プロジェクトが開発され,実行されるのかのダイナミズムを明らかにすることを目的とする.2.方法 地理学においては,主体間のコミュニケーション分析として,コンタクトアナリシスがあるが(T&ouml;rnqvist, 1970;荒井・中村,1996),定常的コンタクトの分析が中心であった.報告者は,これまでサーベイ・対面調査・参与観察等の手法により,ハリウッド映画や日本のアニメ・実写のコンテンツプロジェクトにおける主要な主体間のコミュニケーションの実証を行ってきたが(原,2002a;原,2002b;原,2007),プロジェクト期間中の,確定された参加者を対象としたものであった.産業クラスターあるいはプロジェクトエコロジーの核心部分は,プロジェクトがいかに立ち上がるのかという開発段階あるいはそれ以前の試行錯誤を含む相互作用ではないかと考えられる.その検証にはプロジェクトの正式な開始以前の長期のデータ収集が必要となるが,コミュニケーションの対象範囲の特定の困難さ,膨大な量,心理的抵抗,守秘義務などの障壁から,そうした段階の長期のデータ入手は困難であった. 本研究は,調査協力者を得て,こうした問題を克服するために「半リアルタイム定期調査法」という方法を考案してデータ収集を行った.「半リアルタイム定期調査法」では,調査協力者に,日常的にコミュニケーション日誌にすべてのミーティングスケジュールを記録してもらい,それを基に1~2カ月に一度の定期的ヒアリングを実施し,各ミーティングに関する詳細な内容を聞き取るというものである.この手法により,シングルケースであるが,1年間を越える長期の大量のコミュニケーションデータの収集が可能となった.聞き取る項目としては,いつ・どこで・誰と何のために会ったかという基本事項に加え,会う契機,定例-非定例,プロジェクトベースか否か,相談・依頼の有無と方向,金銭の授受の有無,情報の送受信量と相対量,コミュニケーションの結果としての認識の変化や意思決定の有無などの項目が含まれている.3.対象 本研究で具体的な調査対象とする松野美茂氏(現在ミディアルタ社取締役)は映画・テレビのVFXスーパーバイザー・VFXプロデューサー等として活躍しており,代表作に平成ガメラシリーズ,ウルトラマンシリーズ,SDガンダムフォース,生物彗星WoO等がある.企業に所属している時期も,企業を超えた形で次世代技術をいち早く活用するプロジェクトを起こすフリーランス的な仕事を行ってきており,またCG関連のソフト・ハード製品についての先見性が業界で伝説になっている.本研究では,松野氏に対して半リアルタイム調査法によりデータ収集を行い,分析を加えた.データ収集は2005年11月から開始し,2008年度日本地理学会春季学術大会において,2006年末までのデータの分析結果を報告した.今回は,2007年度分のデータを加えて,合計六百件強の約2ヶ年のデータの分析結果を報告するが,2006年には従来のフリーランス的な行動が反映されたものであったのに対し,2007年は松野氏が新規起業に関与していった時期であることに起因する興味深い違いが現われている.
著者
山口 勝
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p><b>1.はじめに 「新たなステージ」に対応した防災・減災 を受けた動き</b></p><p>2019年の台風19号をはじめ、毎年のように自然災害が発生している。政府は2015年1月に、既に明らかに雨の降り方が変化しているとして「新たなステージに対応した防災・減災のあり方」を公表した。「比較的発生頻度の高い降雨等」に対しては、施設防御を基本とするが、それを超える降雨等に対しては、従来の避難勧告に加え「状況情報」の提供による主体的避難の促進によって「命を守り、社会経済に対して壊滅的な被害が発生しない」ことを目標にすることにした。本稿では、防災機関やメディアから地理情報として発信されるようになった防災・災害情報の現状について報告し、現状と課題を検討する。</p><p><b>2.情報で「命を守る」 マップによる「状況情報の提供」</b></p><p>国交省国土地理院は、ハザードマップポータルhttps://disaportal.gsi.go.jp/で全国の自治体のハザードマップを見られるようにした。また気象庁は、2018年に大雨、洪水警報の危険度分布の発表を始めた。切迫度の高いリアルタイムの災害情報が、テキストから線や面といった画像や地理情報で伝えられることになったのである。洪水予報河川だけでなく全国約2万の中小河川を対象とする画期的な取り組みである。台風19号を受けて2019年末には、大雨の危険度とハザードマップをWEB上で重ねられるようさらに改良した。「川が溢れる」→「ここまで浸水する」→「すぐ逃げて」と情報で「自らの命は自らが守る」ことを促進させるねらいである。また、この間、台風など時系列を踏まえた対応が可能な場合は、あらかじめ社会的な対応を取っておく「タイムライン防災」が提唱され、鉄道の「計画運休」などが実施されている。リアルタイムの時空間情報に基づく防災対応が行われている。 </p><p><b>3.メディアにおける地理情報の重要性 マス・パーソナルコミュニケーション</b></p><p> このように災害の激化、頻発化、局地化によって防災機関が、災害情報発信に地理情報を使うようになると、速報メディアを中心に地理情報の活用が活発化した。例えば、Yahoo!は、2016年に「Yahoo!天気・災害」などで、地図上に河川水位情報を示し、ハザードマップと重ねられるようにした。NHKでは、東日本大震災以降、気象データなどのビックデータを可視化するNMAPSという地理情報システムを開発し、2015年関東東北豪雨では、線状降水帯の形成過程を3次元のデジタルアース上で可視化した(山口、2016)。現在では各局の気象情報でも日常的に利用している。また、2018年の大雨・洪水の危険度分布の運用に合わせて、気象庁や「川の防災情報」などの防災機関のWEBを、スタジオのPCで操作しながら解説する「リアルタイム解説」を始めた。災害が起きてからの災害報道ではなく、防災・減災報道を充実させるためである。また、「命を守る」公共メディアとして「いつでも、どこでも、だれでも」防災情報を得られるよう「NHKニュース防災アプリ」や「NHKニュースウェブ」といったネットを使って、警報などの情報を原稿(テキスト)だけでなく、位置や範囲示す危険度分布や河川カメラの映像とともに地理情報でリアルタイムに発信するようにしている。</p><p><b>4.まとめ</b></p><p> 台風19号では、10月12日の午後には「川の防災情報」のページがつながらなくなった。本稿では、地理情報による情報発信が、主にネットで個人に対して行われていることを示したが、情報ニーズが高まる災害時に機能しないのでは困る。輻輳のない放送など複数の手段による災害情報の発信が必要である。また、目の悪い方やラジオなどの音声メディアに向けて、画像や地理情報で提供される災害情報をAIなどでテキスト化、音声化し、優先度や位置情報にもとづいて伝えられるようにするなど、さらなる工夫も期待されている(山口、2019)。</p>
著者
加藤 周人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

目的と方法<br> 福島第一原子力発電所の事故をきっかけに福島県沿岸での操業は自粛された.いわき地区では2013年10月より試験操業が開始され,本格操業にむけて少しずつ水揚げ量が増加しているものの,水産物の風評被害も依然残っており,流通への影響も大きい.また水産物の出荷が止まることによる影響について勝川(2011)は,被災地の水産業が元の状態に戻ったとしても,取引先が入荷先を変更してしまうために,結果として水産物の出荷先を失う可能性を指摘している.<br> 原子力災害をきっかけとした福島県の水産物流通の変化は他県とは異なる.そこで本研究では震災前後の変化を示すだけでなく,仲買人の多様な流通が原子力災害の影響によってどのような影響を受けたのか,そしてどのような対応をしてきたのかを仲買人の経済活動というミクロな視点から明らかにしていく.<br> 調査期間は2017年2月から10月にかけて断続的に調査を行い,夏季期間は2017年8月24日から9月15日まで現地滞在し,聞き取り調査を行った.また原子力災害後の水産物流通についてはいわき市漁協の期間別,魚種別出荷先別のデータも用い分析を行った.<br><br>仲買人の経済活動と出荷状況<br> 聞き取り調査から,産地仲買人は1度に多くの鮮魚を仕入れ,主に消費地市場へ出荷する大口仲買人と,数キロ程度の鮮魚を仕入れ,鮮魚店などを営む小口仲買人に分けられた.<br> 大口仲買人B-11は主に活魚を仕入れそれを消費地市場に出荷していた.災害後は取引先との関係を維持させるため,他地域の産地卸売市場まで赴き,水産物を買付し出荷を継続させていた(表1).大口仲買人の多くは長期的な利益を見据え,経済活動を行っていた.一方小口仲買人は災害後,産地卸売市場で鮮魚を購入できず,入荷先をいわき市中央卸売市場や他県の鮮魚店などに変更し,対応してきた.<br> また災害後の水揚げ量は徐々に増加傾向にあるが,常磐ものブランドであったメヒカリ(アオメエソ)の販路は依然として縮小傾向にあり,魚種によって出荷傾向が異なっていた.<br><br>参考文献<br><br>勝川俊雄2011.『日本の魚は大丈夫か―漁業は三陸から生まれ変わる―』NHK出版新書.
著者
野中 健一 新井 綾香
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

本研究は,ベトナム北部山岳地域に居住するタイ族,ザオ族の1年間の食事内容の記録の分析,また両民族への栄養摂取源に関する聞き取り調査を報告し,ベトナムの少数民族における動物性食物,植物性食物の摂取状況,貧困層と非貧困層の食物摂取の相違等を総合的に考察する. <br> 政府は農村においては月額400,000VND(約20ドル)以下の世帯を貧困層と位置付けており,ベトナムでは貧困層の70%を少数民族が占めるといわれており,その栄養改善が指向されている.少数民族の栄養改善は政府の政策の中でも最優先分野となっている。<br>調査の対象はイェンバイ省バンチャン郡の2コミューン(村)(ソンルアン/タイ族・ナムライン/ザオ族)であり,ハノイから北西部の山岳地帯に位置している.<br> 調査はソンルアン村にて90世帯(全体の13.0%),ナムライン村にて70世帯(全体の9.8%)を対象に実施した. 調査では各世帯が1日に食した食物(農産物及び非林野副産物)を種類別(肉魚類,昆虫類,穀類,野菜・果物類)に全て記録してもらい,1年間に食した頻度を記録する作業を行った.また,頻度の調査に加え,タイ族,ザオ族双方を対象としてフォーカルグループディスカッションを2度行い,年代における食事の変化や,特定の食物の種類など,日誌調査法や頻度の分析では得ることができない追加情報を得た.<br>調査の結果,動物性食物の摂取においては貧困層と非貧困層でその摂取状況に大きな差が出た.ザオ族の動物性食物摂取のうち,貧困層及び非貧困層の自然資源と農産物の比はそれぞれ29%・71%,16%・84%であり,動物性食物に関しては貧しければ貧しい程自然資源に栄養源を頼っていることが分かった.一方,植物性食物の摂取は貧困層,非貧困層に関わらず自然資源への依存度が非常に高い(41%~45%)結果となった.経済状況に関わらず,多くの野生副産物が食事に組み込まれており,微量栄養素の摂取源になっていることが示唆された. <br> さらに,①自然資源摂取状況,②植物性食物と動物性食物の摂取状況,③たんぱく源となる食物選択,④微量栄養素となる食物選択,⑤各食物の季節性の変化,⑥個人差の比較について分析と考察を進めていきたい。<br>
著者
今井 理雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.159, 2010

規制緩和以降の乗合バス市場において,公営バス事業の民営事業者への移管や委託といった動きは,少なからずみられており,それに伴う影響や課題も顕在化している.これらは当初,移管および委託をスムーズに実施するためのプロセスに注意が払われてきたが,数年が経過し,路線や運行水準の維持および効率的な再編といった,サービスの持続可能性を問う課題が指摘されるようになってきた.公営バス事業は,その社会的な意義や民営事業者では運行が難しい不採算路線の維持など,民営バスとは異なる存立基盤にあることが,これまで経営を維持する目的となってきた.しかし一般的に公営バス事業は,おもに経費に占める人件費の割合の高さから,民営事業者に比べ経営環境が悪く,整理の対象となった(今井,2003).札幌市においては2001年12月,公営バス事業としては今後の収支の改善は望めないことを理由として,事業からの撤退を打ち出し,政令指定都市としては初めて市営バス事業すべてを段階的に民営事業者に移管し,2004年3月末をもって事業を廃止した.<br><br> 今井(2009)では,その移管過程,さらにその後生じた路線廃止をめぐる課題について整理,検討した.また地元紙などでは当初から,行政(交通局)と事業者とのあいだでの不協和音が指摘されてきた.その結果,市営バスから北海道中央バスに移譲された,市域東部に位置する白石営業所所管路線の存廃をめぐり,行政と事業者の公的補助についての思惑の違いから,2008年6月,市民や第三者となる別事業者を巻き込んだ混乱へと発展した.既存事業者が廃止届を提出したため,行政は受け皿となる事業者を選定し,さらに運行を委託することで補助金を拠出し,路線の維持を図ろうとした.しかし巨額の補助金に対する批判報道が集中したため,結局,既存事業者が継続運行することに表明し,廃止届を取り下げた.行政は抜本的な路線維持方策の変更が必要であると判断し,公的補助制度の拡大となる改定が行われたうえで,当該地区の路線を効率的に再編するため,行政,事業者,住民,市民団体を構成員とする検討会議を設置した.これにより「白石区・厚別区地域バス交通検討会議」として,2009年6月から5度にわたって会合がもたれ,意見交換がなされた.また従来,行政と事業者との協議内容が市民に開示されず,批判を受けたこともあり,会議は公開とされた.しかし,抜本的な改善をもたらすような議論がされているとはいい難く,目前の課題に対処するのが限界である.<br><br> 本研究では,札幌市における公営バス事業の民営移譲の事例に着目し,それに伴って生じた民営事業者によるサービス提供の限界に対して,行政や事業者,および住民の意思決定の過程を明らかにするとともに,その方策と課題について考察する.<br><br>(参考文献)<br>今井理雄 2003.規制緩和にともなう路線バス事業の変容.日本地理学会発表要旨集64:67.<br>今井理雄 2009.札幌市における公営バス事業の民営移譲による影響と課題.日本地理学会発表要旨集75:140.<br>
著者
山下 亜紀郎 羽田 司 宮岡 邦任 吉田 圭一郎 オーリンダ マルセーロ エデュアルド アウベス シノハラ アルマンド ヒデキ ヌネス フレデリコ ディアス 大野 文子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<b>1.はじめに</b><b></b><br> 本研究が対象とするブラジル・ペルナンブコ州ペトロリーナは,ブラジル北東部(ノルデステ)の内陸にひろがるセルトンと呼ばれる熱帯乾燥・半乾燥地域に位置している.1960年代以降,当地域を流れる大河であるサンフランシスコ川を水源とする大規模灌漑プロジェクトが各地で実施された.その中流域にあたるペトロリーナおよび周辺地域でも,1978年にソブラディーニョダムが建設され,広大な灌漑耕地が新たに開発された.そして1990年代以降には,マンゴーやブドウなどの果樹生産が飛躍的に普及し,その結果,現在のペトロリーナおよび周辺地域は,ブラジルでも有数の灌漑果樹生産地域となっている.<br> 本発表では,そのような大規模灌漑プロジェクトが実施されたサンフランシスコ川中流域のペトロリーナを対象に,近年の干ばつが毎年続いている状況下における,水供給側の取水・給水の実態と水需要側(農家)の灌漑の実態に関する現地調査の結果を報告し,灌漑果樹農業の持続性について考察する.<br><b><br> 2.ペトロリーナ周辺地域の水利事情</b><b></b><br> セルトンは干ばつの常襲地域であり,ペトロリーナの降水量データをみても数年に一度の周期で少雨の年があるが,2011年以降は毎年,年降水量400mm以下の少雨年が続いている(山下・羽田2016).それはソブラディーニョダムの集水域としての上流部も同様で,そのため同ダムの貯水率も非常に低下しており,2015年8月には12%,そして同年12月には6%まで下がった.その後再び回復したとはいえ,10~20%程度で推移している.<br> サンフランシスコ川中流域で実施された灌漑プロジェクトのうち最大のものは,プロジェクト・セナドール・ニーロコエーリョ/マリア・テレザであり,ペトロリーナ市街の北側に広がる灌漑耕地面積は20,000haを超える.その耕地にソブラディーニョダムを水源とする用水を供給しているのが,DINCと呼ばれる組織である.DINCによる取水量の変遷をみると,干ばつが続く2011年以降においてむしろ取水量が増えており,月別データをみても雨季より乾季において取水量がより多い.一方で水需要側(農家)がDINCに支払う水使用料は値上げ傾向にある.<br><br><b>3.果樹農家の灌漑方式の変遷と現状</b><b></b><br> 当地域に多くの農家が入植した1980年代には,灌漑プロジェクトのインフラとして整備されたaspers&atilde;oと呼ばれるスプリンクラーによる灌漑方式が主流であった.1990年代になると,micro aspers&atilde;oやgotejo(点滴)などといった節水灌漑が急速に普及した.しかしながらその理由は,水を節約するためというよりも,労働力や水使用料も含めてより少ないコストでより多くの収量・収益を得るためという経済的側面が強い.したがって干ばつが続く近年にあっても,作物の収量や品質を維持することが最優先され,水使用料が値上げしているとはいえ,農家による用水量の削減というのはほとんど行われていない.<br><br><b>4.おわりに</b><b></b><br> 本発表の内容をまとめると以下の通りである.<br> 降水量やダム貯水率の現状からは,当地域では干ばつが続いているといえる.しかしながらDINCも農家も,水を節約することよりも作物に必要な水を与え続けることを優先している.とはいえ当地域では従前から節水灌漑が広く普及していたため,今のところこのことが問題化するには至っていない.むしろすでに節水灌漑が広く導入されているからこそ,干ばつであっても容易にこれ以上用水量を減らすことができないといえる.<br><br>
著者
山下 亜紀郎 羽田 司 吉田 圭一郎 宮岡 邦任 オーリンダ マルセーロ・エドゥアルド・アウベス シノハラ アルマンド・ヒデキ ヌネス フレデリコ・ディアス 大野 文子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<B>1.はじめに</B><BR><br> ブラジル北東部(ノルデステ)の内陸には、セルトンとよばれる熱帯乾燥・半乾燥地帯がひろがり、厳しい自然条件などから、かつてはブラジルでもっとも開発の遅れた地域であった。この地域を流れる大河であるサンフランシスコ川の流域では、20世紀後半以降とくに1970年代以降、国家的な大規模灌漑プロジェクトが実施され、農業開発が進められてきた。この当時の詳細についてはすでに先行研究にまとめられているが(斎藤ほか1999;丸山2000など)、本研究の目的は、その後のセルトン、とくに2000年以降のサンフランシスコ川中流域における灌漑果樹農業の現状と変遷を詳らかにし、今後の展開について考察することである。<BR><br><B>2.ペトロリーナの気候</B><BR><br> 研究対象としたペルナンブコ州ペトロリーナは、サンフランシスコ川中流の沿岸に位置する。気候区分としてはステップ気候に属する。月別平年値(1985~2014年)によると、5~10月は降水がほとんどないが、11~4月にはある程度の降水がある。気温にも若干の年変動がみられ、7月がもっとも低く(24.2℃)、11月がもっとも高い(27.5℃)。ここ40年ほどの年降水量の変遷をみると、比較的多雨の年と少雨の年が周期的に交互に現れる傾向にあり、最多雨年は1985年(1023.5mm)、最少雨年は1993年(187.8mm)である。しかしながら2011年以降、年降水量500mm未満の少雨年が続いており、このことがペトロリーナにおける農業経営や住民の日常生活に大きな影響を与えつつある。<BR><br><B>3.果樹農業の発展</B><BR><br> 1980年代までのペトロリーナではマメやトウモロコシ、トウゴマ、スイカ、トマト、メロンといった単年性の作物が多く生産されていた。しかし、土地集約的な農業を続けたことで、連作障害が問題となった。1990年代になると、灌漑技術の発達もあって、果樹とくにマンゴーとブドウの生産が増加した。2000年以降も果樹生産は増加を続け、2014年におけるペトロリーナの農産物収穫面積は、マンゴーがもっとも多く(7,880ha)、続いてブドウが多い(4,642ha)。ほかにもグァバやバナナ、ココヤシ、アセロラといった果樹の生産も顕著であり、ペトロリーナは果樹複合産地となっている。<BR><br><B>4.さまざまな灌漑方式</B><BR><br> ペトロリーナでもっとも初期の灌漑方式は、BaciaやSulcoとよばれる農地へ直接水を流すものであった。1980年代前半までは大型スプリンクラー(Canh&atilde;o、Aspers&atilde;o)が主流であり、センターピボット(Piv&ocirc;)もみられた。これらはいずれも水浪費型の灌漑方式である。1980年代後半以降、小型スプリンクラー(Microaspers&atilde;o)や点滴(Gotejo)といった節水灌漑が普及し、現在ではこれらが約8割のシェアを占める。最近ではDifusorとよばれる小型霧吹きのような新しい節水器具も導入されている。<BR><br><B>5.おわりに</B><BR><br> 2011年から続く少雨によって、サンフランシスコ川の水資源量も現在劇的に減少している。ペトロリーナでは節水灌漑が普及しているとはいえ、現状の果樹農業が将来的に維持できるかどうかについては、今後も注視していく必要がある。<BR>
著者
ラナウィーラゲ エランガー
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

保護区域における 観光は、収入と雇用の増加を通じて、自然を保護しながら維持管理のための資金調達をするといった経済発展を促す可能性を提供している。保護地域は重要な環境価値を有しており、それらしばしば敏感な環境に置かれている。そのため、これらの地域の観光は持続可能なものであるということが重要になってくる。 &nbsp; <br>持続可能な観光を確立させるには、観光客による環境に対する有害な影響を抑制し、地域コミュニティーを守り、そして訪問者の満足度に対しての管理が必要となります。特に発展途上国では、観光からの短期間のうちに経済利益を得るための政治的圧力により実行不可能な慣行がしばしば推奨され、結果として観光影響観光の経済的利潤の遅延を招くことがある。本研究で取り上げるスリランカは観光客を誘致する多くの自然の魅力をもつ発展途上国である。 &nbsp; <br>本研究はウダワラウェ国立公園と呼ばれるスリランカの有名な保護区域を事例にスリランカの保護地域での観光に関連する特色と問題点を、スリランカの保護地域の運営に関する資料の分析、および国立公園内やその他の保護地域での観光の管理や政策を担当する当局のさまざまなメンバーへのインタビュー、そして 、公園にて観光客へのアンケート調査や観光客の行動や観光活動を直接観察することによって検討したものである。 &nbsp;<br> 現在の公園管理システム、観光客の特性や行動の分析によると、観光活動による動物への攪乱 、過密化、ガイドや通訳システムの乏しさが公園内の観光の主な課題であることが明らかになった。
著者
今野 絵奈
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.52, 2007

<BR>1. はじめに<BR> 農業の持続的発展において重要なことは、有機廃棄物を再利用し、環境へ過度に負荷をかけないことである。都市近郊では、混住化に伴い、地域住民から、悪臭や騒音などの苦情が発生し、畜産農家は、経営を維持していくために、排せつ物処理を適正に行い、悪臭や衛生害虫などの公害発生の予防措置を行う必要があった。本報告ではどのように排せつ物が処理されているのか、また副産物である堆肥がどのように流通しているのかを明らかにして、都市近郊における環境保全に配慮した地域内循環型養豚業の課題を考察することを目的とする。この課題を考察するために、報告では養豚農家の飼養、環境に関する苦情などの現状を統計より把握した上で、環境保全に対する行政や農家の対応を聞き取り調査に基づき明らかにしていく。調査対象として、全国に先駆けて畜産の環境対策に力を入れてきた神奈川県の養豚農家を設定した。<BR><BR>2. 堆肥化と公共下水処理の比較<BR> 排せつ物を処理するために、浄化槽と密閉縦型強制発酵装置が利用されている。初期投資に1,500~6,000万円かかり、その30%にあたる450~1,800万円の補助が市町村によって行われている。また、排せつ物を処理するために、電気代や燃料代として、約10万円/月かかる。副産物としての堆肥を販売することで、1ヶ月のランニングコストとほぼ同じ金額の収入を得ている。しかし、装置の修繕費は1回に200~500万円かかり、農家の負担は大きい。<BR> 公共下水の初期投資は、10~100万円で、従来の処理施設より安価である。処理費用は約6円/頭であり、1ヶ月あたり約4万円/18t(7,800頭分)である。堆肥化処理に比べると初期投資、処理費用、労働力における農家負担は小さい。しかしながら、畜産公害の改善を図るため、経費・労働力削減のために、多くの農家が公共下水を導入したら、堆肥の生産量が減少する。その結果、耕種農家は、多量の化学肥料を投入し、地力低下の進行、作物育成障害が生じ、環境に負荷を与えかねないことになる。<BR> 市街化区域外の畜産農家は市街化区域内の畜産農家と比べて、排せつ物処理費用の負担が重く、環境に配慮した養豚業を営むために、公共下水の利用を検討している。農家は排せつ物処理費用を国民の税金に頼ることとなり、汚染者負担の原則に反することと考えられる。また、経費・労働力削減のために、多くの農家が公共下水を導入したら、堆肥の生産量が減少する。その結果、耕種農家は、多量の化学肥料を投入し、地力低下の進行、作物育成障害が生じ、環境に負荷を与えかねないことになる。そのため、公共下水の処理費用を1頭あたり6円から10円に値上げし、従来の処理費用と同じような金額にする必要があると考えられる。<BR><BR>3. 堆肥の価格と流通範囲<BR> 堆肥を利用する農家は、牛・豚・鶏ふん堆肥を用途によって使い分けている。養豚農家は、密閉縦型強制発酵装置で生産した堆肥を利用量に応じて、袋詰めとバラ売りに分けている。生産した堆肥はほぼすべて消費されている。<BR> 耕種農家は軽トラやダンプで養豚農家に出向き、1m<SUP>3</SUP>あたり1,300~3,000円で購入している。一方、家庭菜園のように少量の堆肥使用のための袋詰め堆肥は、1袋10~16kgで300~500円で取引されている。袋詰め堆肥は袋の印刷代や作業コストも含まれるため、多少割高の価格設定になっている。<BR> 畜産農家では、毎日同量の堆肥が生産されるため、堆肥舎に保管できる量は限られている。そのため、販売することで収益を上げることよりも堆肥の残量を増やさないために、継続的な購入者に、同じ価格でも量を増やして販売するなどの工夫を行っている。<BR> 堆肥の流通範囲は、養豚農家のある厚木市、藤沢市、横浜市、綾瀬市の野菜農家や家庭菜園や近隣の海老名市、津久井町、箱根の宿舎と契約している小田原市の農家、大根やキャベツで有名な三浦市や横須賀市の耕種農家にも販売している。堆肥は養豚農家の近隣にある耕種農家や家庭菜園を中心に、小規模な範囲で流通している。<BR><BR>4. まとめ<BR> 神奈川県では、堆肥化施設をいち早く取り入れたため、臭気発生は激減し、苦情も減少した。さらに、2004年から家畜排せつ物の適正な管理及び処理が法律により義務づけられ、生産者は、従来以上に、環境負荷を軽減する取り組みが求められるようになり、飼育環境や制限保守などに、より一層神経を遣うようになった。<BR> 家畜排せつ物の再利用法として、堆肥化を促進させるためには、公共下水処理の価格引き上げや散布しやすいペレット堆肥の開発が必要である。また、宅地転用のため、1990年代以降、耕地が減少している。今後、堆肥を還元する農地を保全することも重要である。
著者
中川 清隆 渡来 靖 福岡 義隆
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.89, 2010

<B>I.はじめに</B> <BR> 立正大学地球環境科学部環境システム学科環境気象学分野は,1998年の学部創設と同時に,熊谷キャンパス気象観測露場において総合地上気象観測装置設置に着手し,2000年1月からルーチン観測および同記録の整備を開始した(福岡ほか,2004).<BR> 観測開始当初は基本的な気象要素のロガー式観測であったが,近年,放射4成分,地表面温度等の観測項目追加およびデータのリモート収録・管理方式導入に着手し,この度,ハード的な整備がほぼ完了した.<BR> データ収録・管理方式切替作業を開始した2009年8月17日以降4ヶ月余りの間の全天日射および下向き長波放射の時系列に基づいて日界から日界までほぼ完全に快晴であったと判断できるのは,当該期間では12月22日の1日だけであった.出現頻度が極めて低い静穏完全快晴日における地上気象要素の日変化の特徴について検討した結果を報告する.<BR><BR><B>II. 観測結果と考察</B><BR> 12月22日06時の地上天気図(省略)によると,東北以北は冬型気圧配置が継続しているが,関東以西は東支那海に中心を持つ移動性高気圧に覆われて南高型気圧配置となり終日静穏晴天が続いた.<BR> 12月22日の日出,南中,日没時刻は,それぞれ,6:55,11:41,16:27なので完全快晴ならば全天日射量は6:55~16:27のみに出現し,11:41にピークを持つ滑らかな一つ山曲線にならねばならないが,12月21日午前や12月23日正午付近はこの条件を満たしていない.12月21日12時~12月23日18時の下向き下向き長波放射量には急激な増減が存在しないので,雲による付加放射は無かったと判断される.南中前後の非対称な日射量日変化は,対流混合層発達に伴う透過率や直達散乱比率の日変化を反映している可能性がある.<BR> 最低温度は日出直後の07:00に現れ,地表面温度(太実線)は-6.88℃,接地気温(実線)は-5.92℃,地上気温(細実線)は-4.57℃である.地表面温度は13:10に日最高温度13.12℃に達し,日最高気温は14:10に,それぞれ,11.23℃と10.58℃に達した.日射と気温の位相差は2.50時間に及ぶ.この事実は,中川ほか(2008)による水平移流のない平坦地における日射-気温日変化位相差形成メカニズムと整合的である.<BR> 日最高気温起時以降翌朝日出時まで,接地逆転が出現している.夜間の温度時系列には様々な振動が認められる.付加的雲放射を伴った12月23日夕刻の一時的な昇温以外の振動は顕著な放射場の変動を伴っていないが,風速の変動と同期しているものが多い.接地逆転層の破壊・再生による可能性が大きいが,風向と風速の変動が同期しているように見え,静穏晴夜の北西風吹走時は西風吹走時より相対的に強風・高温なので,移流の可能性も有り,更なる検討が必要である.静穏晴夜後早朝に反時計回りに風向変化する東風風系,南中後には南風風系が認められるが,これらの風系の形成メカニズムについても検討が必要である.
著者
横川 知司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p>1.はじめに 2021年7月現在,新型コロナウイルスは全世界的に流行し,社会的・経済的な影響を与え続けている。日本においても,感染拡大を防ぐために「新しい生活様式」という考え方が提唱され,多人数が集まるイベントの多くが制限された。伝統行事も例外ではなく,観光イベントでもある大規模な祭りなど,多くが中止になった。しかし地域で行われる小規模な伝統行事がどのように変容したのかは明らかでない。</p><p> そこで,本研究では小正月の神事の一つであるトンドに着目した。トンドは,竹などを組み立てて,やぐらをつくり,正月飾りなどを焚き上げる伝統行事である。名称は異なるものの,共通の祭りが全国各地で広く行われていることから,今後の日本全体の伝統行事の維持を考えるうえで適した事例であると考える。</p><p></p><p>2.対象地域 本研究では,東広島市西条町を対象地域とした。選定理由として, 町内のほとんどの地域でトンドが実施されていること,調査の前年(2020年)に発表者らが悉皆的に調査を行っており,コロナウイルス流行の前後を比較できることが挙げられる。西条町は,農業地域と都市地域の両方が認められ,さらに都市地域縁辺の農業地域では,宅地化が進行し,旧来の住民と新住民が居住する混住地域も見られる。都市・混住・農業地域で催されるトンドを比較することで,コロナ禍に伴う変容の地域的な差異を検討する。なお地域区分については,国土数値情報と国勢調査のデータに基づき,農業地域のうち,人口が増加する地域を混住地域とみなし,それ以外を農業地域とした。</p><p></p><p>3.トンドの変容 2020年に実施された95のトンドのうち,2021年も行われたのは28であった。地域別にみると,都市地域では開催場所である小学校を借りられないなど,開催場所を確保できなかったことが影響し,ほぼすべてが中止になった。自分たちで開催場所を確保できる混住・農業地域でも約7割が中止になった。運営主体と参加人数からみると,住民団体など参加人数が多いトンドほど中止になることが多く,個人など参加人数が少数のトンドは開催されていた。コロナ禍で開催を決定した理由としては,1)正月飾りを焚き上げるため,2)年はじめに顔を合わせておいた方が良いと考えたため,3)無病息災を祈るため,4)中止にするという意見がそもそも出なかったなどが挙げられる。</p><p> 行事内容の変化としては,飲食の制限・禁止が確認された。汁物など共用飲食物の提供は行われず,代わりに弁当やペットボトル飲料など個別のものが増加した。トンドの形状については,少人数・短時間で建てられるように工夫したため,簡素化・縮小化が進んだ。参加人数は,帰省を控えた親族や参加をとりやめた地域住民・外部参加者もいるため,全体的に減少していた。</p><p> 一方で,地区で中止になったため,個人で代替開催したトンドが混住地域では4ヶ所,農業地域では9ヶ所でみられた。開催理由としては,1)正月飾りを焚き上げたい,2)家族に年男年女がいるため,3)子供がいるため,4)昔から続いてきたものなのでやっておかないと気になるなどが確認された。</p><p></p><p>4.おわりに 都市地域など,開催場所を自前で確保できないトンドは中止になり,自前の開催場所をもつ混住・農業地域でも,参加人数が多いトンドは中止になった。開催したトンドを見る限り,親睦の目的が失われ,正月飾りを焚き上げるなどの神事の目的が表出したと考えられる。伝統行事の維持には,場所の確保が最低条件であり, コロナ禍においては参加人数が少数である方が開催されることが確認できた。また,トンドの開催理由から開催者が伝統行事の本来的な意義を認識していることも重要であるといえる。</p>
著者
山本 健太 市原 真優 和田 崇
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100046, 2015 (Released:2015-04-13)

【背景】演劇の消費は,劇場などの空間でなされる.そのため,演劇活動は,劇場が多く立地する大都市を中心に展開してきた.他方で,近年になり,一部の中堅,若手演劇人の中から,地方還流の動きも出てきている. 【調査概要】このような状況に鑑み,本発表では,地方における小劇場演劇の実態を担い手と観客の双方から示し,地方における演劇文化の発展可能性について検討する.調査対象は,広島市で活動する劇団と,協力の得られた劇団Aの2014年8月公演の観客(144人[回収率66.7%])である.調査方法は劇団主宰者へのインタビュー,観客へのアンケートである.東京などの大都市と異なり,地方都市では活動している劇団は必ずしも多くない.広島市の場合,活動が確認できた劇団は31団体である.このうち11団体の関係者からインタビューの協力を得られた.調査協力を得られた劇団Aは,広島市南区民文化センターの「演劇マネジメント活性化事業」による演劇若手人材育成ワークショップであり,当該センターの公設劇団と位置付けられている.【劇団員】劇団員はいずれも広島県内に定住し,本職を有しており,演劇活動は趣味である.演劇で生計を立てておらず,団員の上京意思は高くない.広島市内で活動を続けること,主宰者と演劇することに意義を見出している.主宰者も,団員選考にあたっては,長期にわたって共に作品を作り上げていける人物であることを重視している. 【活動場所】演劇活動の場は,稽古場所と公演場所に区分できる.広島においては,それらの大半が公共施設である.市内には,公演場所となるホールを有する施設は18ある.これらのうち,一部の施設では,客席数が500を超えており規模が大きく,あまり利用されていない.稽古場は,青少年センター,公民館,男女共同参画社会推進センターなどに限定される.これらはいずれも低料金であることから選択されている.しかし,夜間の利用時間に制限があり,劇団の需要を十分に満たしているとは言えない.【情報の発信】公演情報の発信手段として,チラシ,フリーペーパー,SNSなどが挙げられた.また,新聞やラジオなどを通じた広報もしている.ただし,これらの広報手段は,後述するように観客の情報源とは必ずしも一致しない. チケット販売経路では,手売りが一般的である.手売りの購入者は劇団関係者の親族や友人,知人などの「身内的な客」であることが推察される.そのほか,インターネットやプレイガイドでの販売も挙げられた.ただし,対象となった劇団の客層は「顔なじみ客」が多く,手売りで購入する場合が多い.インタビュー調査でも,手売り以外の窓口は,劇団の主要客層とのミスマッチから,十分に機能していないと指摘された.【観劇者の特徴】女性の比率が高い.対象劇団の特性から,学生の比率が高い.大半が市内在住である.東京や大阪での調査結果と比較すると,演劇経験者の比率が高い.【情報の受信】観客の96%が公演の情報源として劇団関係者との会話やメールを挙げている.他方で,インターネット経由の情報を指摘したものは16%にとどまった.チケット購入経路でも,65%が役者,スタッフからと回答しており,彼らが「身内的な観客」であることを示唆している. 【まとめ】地方における演劇活動は場所,時間ともに非常に限定される.公演は,「身内的な観客」によって支えられている.それら以外の客層をいかに育て,取り込んでいくかが重要である.担い手と観客の仲介役としての劇場の役割が期待される.
著者
鷹取 泰子 佐々木 リディア
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

■はじめに:研究の目的 <br><br>北海道十勝総合振興局(旧・十勝支庁)管内(以下、十勝管内)において、農村を志向して移住してきた起業家たちの流動によりもたらされたルーラル・ツーリズムを事例としてとりあげながら、その構築の諸相を明らかにすることを目的とする。<br><br>■研究の背景と事例地域概観 <br><br>十勝管内の農業は、日本の食料供給の重要拠点として機能しながら加工原料などを主たる生産物とする産地形成が進められてきた。畑作では麦類、豆類、ばれいしょ、てん菜の4品目主体の輪作体系が確立され、北海道の典型的な大規模畑作農業地域を構成している。また、農業出荷額の約半分は酪農・畜産によって占められ、冷涼な気候に恵まれて飼料生産にも適した管内は、道内でも有数の酪農・畜産地帯となっている。したがって十勝管内における農業・畜産業の本流は、生産主義を代表するような専門的で大規模化された経営に特徴づけられてきたといえ、ルーラル・ツーリズムに関する先行研究で見られるような、観光農園や直売所といったツーリズムの一形態との親和性は決して高くない。各種直売施設は現在では管内各地に立地しているが、冬季の制約もあり、近年になるまでほとんど存在しなかったという。<br><br>■農村志向の移住起業家が生んだルーラル・ツーリズム <br><br>起業家A氏(札幌出身)の場合、農場ツアー等を企画する会社を開業し、自ら農場ガイドとして圃場を案内する一方、農場経営者と都市住民とを結ぶコーディネータとしての活動も積極的におこなっている。ツアーは作物自体の収穫・消費を必ずしも主眼とはせず、また農場における観光用に準備された栽培もみられない。あくまで農家が提供する生産空間を活用していることが特徴で、ツアー参加者は広大な大地に野菜の花や実、葉が生育した様子を五感で体験することができる。農家がツアー会場に登場することは稀で、通常は農業に専念し、広大な農場というルーラリティの一部の空間を提供しているにすぎない。つまりここではルーラリティの価値が農場ガイドによって新たに引き出されながら、消費者に提供されている。現在の協力農家も消費者との交流活動には興味がありつつも、高度に専門化した農業の片手間での実施が難しかった状況で、A氏が取り持つ形で農場ツアーの実現を見たことが、この起業のきっかけにあったという。同様に、現在管内ではさまざまな動機から農村を志向し、移住してきた起業家が活動している。家庭の事情で東京からUターンし有機志向の活動に取り組む飲食店主、アメリカからCSAを逆輸入した夫婦等、彼らの経営規模はまだ小さいながら起業という形で地域に根ざした活動と協働を実践しているという点等の共通点が見出せた。<br><br>■農村を志向する起業家と地域との協働 <br><br>管外から移住し農村志向の諸活動に関わる起業家たちは、地域の農業やさまざまなコミュニティと複合的に結びつき、自身の事業の安定等を模索しながら、互いの結束を強めたり、新たな絆を生んだりしている。十勝管内のルーラル・ツーリズムの構築を支え、さらに展開させる地域要因としては、各移住者のライフステージの変遷とキャリアの蓄積にみる内容の豊富さ、フードシステムにおける地産地消への動き、有機農業者等のネットワークなどが関わっていた。管内の農業はグローバル化の影響を強く受ける品目も多いが、現在彼らとその仲間によって取り組まれつつあるルーラル・ツーリズムの多様化の諸相が、持続可能な農村空間やネットワークの重層化に寄与しうる等、今後の動向が注目される。<br><br>■謝辞: 本研究を進めるにあたり,JSPS科研費 26580144の一部を使用した。<br>
著者
田中 絵里子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.171, 2004

<b>1.研究の背景と目的</b> 昭和50年の文化財保護法の改正に伴って伝統的建造物群保存地区制度が発足して以降、歴史的町並み保全を契機とした地域づくりは全国に広まった。それらの地域では、歴史的建造物の修理、調和した街路景観の整備など、多くの事業が実施されている。なかでも街路景観の整備は、地域の歴史や文化を顕在化させる最も有効的な手段として扱われている。しかし、具体的にどのような街路整備が人々に評価され、その後の地域づくりへ影響を与えるかについては、街路整備事業がいずれの都市でも実施段階であるため、未だ明確にされていない。 そこで本研究では、既に街路整備事業が実施された埼玉県川越市を事例に、町並み保全としての街路整備事業による街路景観の変容およびそれに伴い観光地化した商店街の実態について報告する。なお、街路景観の評価に関しては、観光客、経営者、居住者の3視点から行うものであり、研究対象地域は、一番街、大正浪漫夢通り、菓子屋横丁の3街路とする。<br><b>2.街路整備事業による街路景観の変化と観光客・経営者・居住者による街路景観評価</b> 一番街は、蔵造り町屋や洋風近代建築などの歴史的建造物を多く残しており、川越の町並み保全の中心となってきた。そのため一番街においては、小江戸のコンセプトの基に、歴史的建造物の保全、舗装の整備、電柱の地中化、周辺建物の修景など多くの事業が実施されてきた。個人や企業で建物を修景する店舗も増え、その結果、一番街は日本瓦のスカイラインが美しい、統一性、連続性のある街路景観が形成され、観光客、経営者、居住者に高く評価されている。 一番街と同じような歴史的建造物を有する大正浪漫夢通りでは、一番街の後続的なまちづくりとしてアーケードの撤去、歴史的建造物の保全、舗装の整備、電柱の地中化などが実施されてきた。しかし、道路幅員が広く開放的な割にスカイラインに統一性がみられないことや、コンセプトが大正という掴みどころがないことなどから観光客の評価はあまり高くなかった。 菓子屋横丁には、蔵造りのようなシンボリックな建造物はないが、石畳舗装が実施されただけでも十分に雰囲気の感じられる通りになっている。原色の派手な建築物もあるが、道路幅員が狭いことと主な通行人である観光客の視線は店先の商品に注がれることが影響して、それほど大きな問題にはなっていない。<br><b>3.観光振興がもたらした商店街の変容</b> 一番街は、従来、地元客を対象とした店舗で構成されていたが、近年、観光地化が進行するに従って、観光客を対象とした店舗が多数進出してきた。特に重要伝統的建造物群保存地区選定以降の変化は著しく、なかには地域に関係のない土産物店もあり、地元商店主たちの間では戸惑いの声も出始めている。顧客数および売上は、一部の観光客を対象とした店舗では「増えた」ものの、従来からあった地元客対象の店舗では「変わらない」という回答が多かった。大正浪漫夢通りでは、9割近くが地元客を対象とした店舗である(図)ことから、川越の観光客が増えても、顧客数、売上に変化はないという回答が多かった。一方、菓子屋横丁においては、店舗の100%が観光客を対象に菓子の製造・販売を行っている。そのため近年の観光客の増加は、そのままダイレクトに顧客数、売上の増加につながり、いずれも「増えた」との回答が多かった。<br><b>4.まとめ</b> 川越は街路整備事業を実施したことによって、各通りで時代的コンセプトに合わせた統一性のある街路景観を形成してきた。観光振興をしたことにより、一番街や菓子屋横丁は、商店街の活性化に成功したと観光客・経営者・居住者全てに評価されている。しかし、一番街では観光客を対象とした店舗が急増し、従来の商店街としての性格が変化するという事態が生じている。大正浪漫夢通りは、観光客が集まらず観光地化しなかった結果、商店街への影響も見られず活性化しているとはいえない。すなわち、町並み保全に伴う観光振興は、街路景観の統一を促進し、商店街活性化にも貢献したが、商店街の性格を変える原因ともなり得ることが明らかになった。
著者
小島 泰雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

0.シンポジウムの問い<br> 中国の改革開放政策は1978年12月に開催された中国共産党第11期三中全会で路線が決定されたもので、ここから中国は経済改革と対外開放によって近代化を進めることとなった。1990年代半ばに始まる高度経済成長もこの政策の延長線上に位置する。しかし20年にわたる高度経済成長は中国社会を大きく変え、その中で改革開放という概念の相対化も進んでいる。いまこの40年の歴史と地理を振り返るべき時期に立っている、と私たちは考えた。<br> 本シンポジウムは、改革開放を単に経済政策の次元において捉えるのではなく、地域構造や生活空間といった地理学的視点から問い直すことを目指している。この再考を通して、同時代の中国を対象として進められてきた地理学研究の位置づけを明確にするとともに、これからの研究のあるべき方向性を探ってゆくことにつなげたいと考えている。あわせて学際領域である中国研究に対して、地理学から発信してゆきたい。<br>1.改革開放の旗手<br> 改革開放政策の下でまず取り組まれたのは、農村と農業の制度改革であった。人民公社に象徴される集団農業が20年あまり続けられ、農業生産は増大したものの、農民の生活は豊かさを実感できるものとはならなかった。集約農業を支える労働意欲の活性化と明快な分配をめざして生産請負制が導入され、農家が経営主体として復活した。この結果、農業生産は伸び、農家の収入も増大した。しかし集団農業の下での純農村化により大量の農業労働力を抱えていた農村を開発することは、農業のみに依存して前進させることは難しかった。1980年代半ばに登場した郷鎮企業は、農村の産業化を通してこの隘路を突破するために設立された経済体であった。<br> 集団化により農民の生活空間は、生産隊―生産大隊―人民公社という基層空間に強く結びつけられていった。生産請負制と郷鎮企業はこの空間構造を前提としていたた点で、社会主義建設期と連続している。改革開放期は農民の生活空間を組み替えることなく始動したとみなされるのである。<br>2.市場経済化と農民工<br> 「離土不離郷」が農村発の改革開放政策における中心的なスローガンとされたことは、ある意味、弥縫策的な改革の一面を示していたとみなされる。しかし中国経済の市場経済化は、農村変化が外在的な要因によって促されるという、近代社会一般に観察された過程への移行をもたらした。1990年前後の経済調整をきっかけに大量の労働者が農村から溢れ出した。「盲流」「民工潮」と名付けた都市住民の驚きと蔑みの視線の中で、農民は都市へ、沿海地域へと労働力としての移動をはじめ、1990年代の半ばには7000万人に達していた。そして農村から出稼ぎに行った労働者は、高度経済成長の最前線である工場の組み立てライン、道路やビルの建設現場、都市の種々のサービスを担ってゆくこととなった。<br>3.連続と不連続<br> 「離土離郷」は農業から離れ、農村を去ってゆく農民の生活空間の分散を捉えた概念である。2017年のモニタリング調査によれば、「外出農民工」は1億7千万人と膨大な数にのぼる。その出現から四半世紀をへて、農民工の内実も多様化している。生産現場の第一線にとどまる者は壮年化し、現場を辞して農村に帰郷する者、都市に生活の拠点をつくる者、そして1980年代以降の生まれである「新世代農民工」と呼ばれる一群は、学歴社会化と歩調をあわせて、労働強度の強い現場を忌避するようになっている。多様化しながら連続する農民工は、その存在こそが問題でもある。すなわちどこで働こうが、農村出身者は農民と捉えられ、社会主義建設期に形成された二元構造に基づく身分としての農民という規定が根強く残っているのである。<br> 一方、農村は衰退に転じている。1980年代半ばの豊作貧乏を機に、農民にとっての農業は相対化されてゆき、穀物生産も停滞することとなった。農民の収入に占める非農業就労や出稼ぎによる収入は増大し、農業収入は縮小していった。農村の労働力は1995年の4.9億人から2016年には3.6億人に減少し、このうち1.7億人が出稼ぎに行き、さらに1億人が農村内部で非農業就労している。農業は農村に残された高齢者が担うという側面も強くなっている。改革開放がめざした農村開発は基層空間の農業については連続していない。<br>4.いくつかの論点<br> 農民の生活空間の変遷から改革開放期を振り返ると、そこから検討を深めるべき点が浮かび上がってくる。まず社会主義建設期の何を改革し開放しようとしたのか、という目的をめぐる検討である。シンポジウムでは空間論を軸に、ここに挙げた中からいくつかの論点を取り上げて討論してゆきたい。
著者
中村 努
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.72, 2009

<b>I.はじめに</b><br> 日本の医薬品業界は2009年6月に改正薬事法が施行されたことでコンビニやスーパーで大半の一般用医薬品が販売可能となるなど、制度環境が激変しており、流通システムの再編が予想されている。そうした動きに流通の中間段階に位置する医薬品卸売業も対応を迫られている。1990年代以降、医薬品卸は大規模化し現在では大手4社で8割のシェアを占めるに至っている。この寡占状態は10年前の米国と同様の状況であり、両国の国民性や制度環境は異なるにもかかわらず、卸売業の再編成の方向性について共通点が多い。したがって、今後日本の卸売業の役割はいかに変化するのかを占ううえで海外の動向は示唆に富んでいる。<br> 本発表は、米国の卸売業のビジネスモデルや空間的展開を概観することで、日本の医薬品卸売業が業界において果たしている役割を相対化することを目的とする。<br><br><b>II.米国における医薬品卸売業の再編</b><br> 米国では日本と異なって、民間による医療保険制度が充実しており、薬価も一部公的に償還されるものを除いて市場で決定される。医薬品の価格交渉は製薬メーカーと保険会社から委託された医薬品給付会社(PBM=Pharmacy Benefit Management)との間でなされることが多い。しかし、PBMは配送機能をもたないため、医薬品卸が医薬品の配送を請け負っている。医薬品卸を経由する処方薬の割合は30年前に5割程度であったが、現在は8割にまで高まっており、流通システムにおける卸の存在感はむしろ高まっている。それにもかかわらず、利幅は縮小しており、規模の拡大と、定期配送を原則とした徹底した物流効率化が実現している。さらに、追加サービスを利用した分の料金を徴収する体系が確立しており、情報の付加価値利用を利益に還元する仕組みが整っている。米国の医薬品卸には日本のMSにあたる営業マンは存在せず、その存在価値を物流機能と情報提供機能でアピールせざるを得なかった。卸各社は自社の競争優位を獲得するため、情報化を活用した支援情報システムを調剤薬局に提供しており、1990年代半ばには受発注などの定型業務をはじめ、従業員教育、カード決済、経営戦略情報まで網羅したメニューを揃え、日本よりも早くからリテールサポートを充実させてきた。<br> 米国の医薬品卸は合併再編を繰り返して、物流や情報機能を強化するための投資余力を向上させるとともに価格交渉力を高める努力をしてきた。1980年に約140社あった医薬品卸は、現在では37社に集約され、大手3社(マッケソン、カーディナル・ヘルス、アメリソース・バーゲン)で95%のシェアを握る寡占市場が形成されている。<br> 米国の配送システムは1日1回の定期配送が基本である。その背景にはHMO(Health Maintenance Organization)やPBMが医師や薬局を指定することで、薬局の需要予測が容易になるという取引上の要因と、夜間に高速道路を利用して広範囲の配送圏をカバーできるという技術的側面が影響している。物流センターは1社平均5ヵ所であり、西低東高の分布傾向を示すが、その規模は年々拡大している。大手3社についてみると、本社の位置はそれぞれ異なるものの、物流センターの分布密度は各社とも2州に1カ所程度である(図)。30の物流センターが全米をテリトリーにすると、1センターが日本の面積とほぼ同程度の広範囲をカバーすることから、米国では日本の小規模分散型物流システムとは対照的な大規模集約型システムが浸透している。<br><br><b>III.日米における医薬品卸のビジネスモデルと空間的展開</b><br> 米国の医薬品卸は近年、単価が決まった在庫、営業、配送、棚割りといった各サービスに対して利用分を請求する出来高払い(Fee-For-Service)方式を採用している。これによって、薬局や病院の在庫管理、トレーサビリティの導入による医薬品の品質管理、薬局のフランチャイズ事業など付加価値を収益に結びつけつつある。翻って、日本では小規模かつ多数の顧客への営業機能を維持しながら、多頻度小口配送を実現してきた。また製薬事業や薬局事業への進出もみられる。しかし、米国のように付加価値を収益の柱とするビジネスモデルが確立しておらず、米国ほど物流拠点の集約化は進んでいない。日本の医薬品卸は取引先との力関係上、営業機能を残しつつ、物流拠点の集約化と分散化のバランスをとらざるを得ないのが現状である。
著者
北村 康悟 江崎 雄治
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>1.&nbsp; はじめに<br></b>&nbsp; 日本では明治以降,特に戦後の高度経済成長期を中心に,各地で経済性を顧みず鉄道が敷設され,その多くが赤字ローカル線となった.1980年の国鉄再建法の公布により,地方ローカル線は大きな転機を迎え,不採算路線が「特定地方交通線」に指定され路線の廃止,第三セクター鉄道化,バス転換が行われた. <br>&nbsp; 第三セクター鉄道に転換され,廃止を免れた路線も1990年代以降,沿線のさらなる過疎化,少子高齢化の中で厳しい経営状況に置かれた.これら多くの路線は,高校生のような代替の移動手段を持たない住民の定期収入が大きな割合を占める.しかしその高校生も少子化の進行により減少し,鉄道を維持していくことが困難になりつつある.今後も地方の人口減少は避けられず,第三セクター鉄道を支援する地方自治体の財政も厳しさを増すことが考えられる.さらに「平成の大合併」で市域が拡大したことで,税金投入に対し全市域の市民の理解を得ることが難しくなった.また沿線自治体数が減少したことで,存廃の決断をしやすくなったと考えられる.<br><br> <b>2.本研究の視点 </b> <br>&nbsp; 本研究では,特定地方交通線から第三セクター鉄道へ転換された路線とその沿線に着目し,「地域が鉄道に与える影響」を考察するという立場で, 小地域統計をGISで分析するなどの基礎的作業の上で現地調査を行い,第三セクター鉄道の存立基盤について明らかにし,その将来を展望することを試みた.その結果,以下の点が明らかとなった.<br><br><b>3.結果<br></b>&nbsp; 調査対象各社の収支状況は,①鉄道事業はほぼ全社が赤字である.②兼業での収入が小規模ながら拡大しつつある.③鉄道事業での損失は横ばいかやや拡大傾向である.④補助金などによる特別利益によって損失が相殺されている. <br>&nbsp; 次に,各社の輸送人員は,①伊勢鉄道を除き全社が減少傾向である.②通学定期が大半を占め,通勤定期の割合が非常に低い.③定期輸送が減少し,定期外輸送の割合が増加している.<br> また,2000年から2010年にかけて沿線人口は減少しており,特に高校生にあたる15~19歳人口が30%以上減少している沿線もある.<br>&nbsp; さらに各路線の沿線で急速な高齢化が進行している. 現地調査の結果,これらの事業者では車両更新費用が大きな負担であり,その費用を捻出できるかが存続の大きな条件になりうることが分かった.各社への聞き取りの結果,車両購入費用の多くが沿線自治体により肩代わりされ,事業者負担が軽減されていることが分かった. また,各社ともこれまで収入面で依存してきた高校生の減少に伴い,定期外輸送を増加させることを目指し,観光需要の掘り起こしを図っているほか,鉄道事業での損失を補てんするために,グッズ販売や旅行業の活性化など付帯事業での増収を図っている.<br><br><b>4.考察</b><br>&nbsp; 近年では,民間出身者が社長に就任し状況の打開に努力し,収支が改善する傾向がみられている事業者もある.その一方で,厳しい経営状況のため人材の確保が難しく,特に若い世代の社員が不足している.しかし現在,開業時からのプロパーの職員が経営の中心になりつつあり,さまざまな新しい企画を立案し運営している.この世代の活躍や,その次の世代を育てていくことが,今後観光需要を重視した経営を進めるうえで必要となっていくだろう.<br>&nbsp; 現状においては,第三セクター鉄道が自立した経営を行うことは困難である.当面,付帯事業の実施と観光需要の喚起で延命を図ることが,特定地方交通線から転換された第三セクター鉄道の目指すべき方向性であると考えられる.