著者
松村 嘉久 大谷 新太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.150, 2009

<B>1.はじめに</B><BR> 新羅時代の古都・慶州市は,韓国屈指の観光地である。世界遺産「石窟庵と仏国寺」(1995年登録)が,市街地東南15kmほどの所にあり,市街地南部から南山地区にかけた「慶州歴史地域」も,2000年に世界遺産登録されている。慶州市での観光開発の歴史は古く,朴正煕大統領の指示で1971年から始まり,普門観光団地などが建設されている。市街地北20kmほどに位置する良洞民俗マウルでも,世界遺産登録申請に向けて集落内外での景観整備や施設建設が進みつつある。<BR> (中略)本発表では,慶州市の主な宿泊施設の集積地域で行ったフィールドワークから,宿泊施設の内実と分布特性を概観し,観光機能の分化に迫りたい。<BR><B>2.慶州市の主な宿泊施設の集積地域</B><BR> 慶州市には統計上は333軒の宿泊施設が存在し,客室総数は1万室を超える。その内訳は,A:等級付きの観光ホテル(13軒2,321室),B:コンドミニアム(8軒2,096室),C:旅館(276軒6,090室),D:旅人宿(36軒398室)となる。最も多いCの内実は,観光・ビジネスホテル的なものからモーテル・ラブホテル的なものまで多様である。ただし,韓国のモーテルやラブホテルは客室を時間貸しする所が少なく,一般的な観光客もよく利用する。C・Dのなかで立地条件の悪い所は,廃業状態にあるものも少なくない。<BR> 慶州市の主な宿泊施設の集積地域は,1:慶州高速バスターミナル周辺(50数軒),2:慶州駅周辺(20数軒),3:普門観光団地(20数軒),4:仏国寺周辺(40数軒)である。以上の四つの集積地域で,慶州市の全宿泊施設数の3分の1強を占め,客室数ならば約8割を占める。我々はこれら宿泊施設の外観と周辺の観察に加えて宿泊料金の確認を行い,宿泊施設が分散分布する2を除いた三地域では,包括的な土地利用調査も行った。<BR> 慶州市役所提供の統計資料によると,近年の外国人観光客は50万人前後,国内観光客は600から800万人くらいで推移している。外国人観光客の4割強は日本人が,国内観光客の4割強は学生が占める。2000年の世界遺産登録を契機とする顕著な観光客増は統計から見出せないが,外国人観光客を中心に宿泊を伴うものが確実に増えてきている。<BR><B>3.慶州市における宿泊施設の分布特性と観光機能の分化</B><BR> 集積地域1の宿泊施設はほぼ全てCに属する。宿泊料金は1部屋で2万₩から6万₩,5階建てまでの小規模なものばかりである。民家も多く残るが,バス停付近にレストランや小売店舗が多く,個人観光客が過ごしやすい空間編成が構築されている。格安ゲストハウス集積地域としての認知度が高く,外国人個人観光客の利用も多く,英語や日本語の看板も散見される。2000年の世界遺産登録の恩恵を受け,1の宿泊需要は増加傾向にあるためか,建設・改装中の宿泊施設もあった。<BR> 2の宿泊施設も全てCに属し,宿泊料金は2万₩から4万₩くらいである。日本でいう駅前旅館が多く,サウナ併設で客室を時間貸しする怪しげな所も数軒あった。2010年に慶州KTX新駅ができ,現在の慶州駅は廃止される予定なので,経営維持は困難になると見込まれる。外国人が宿泊するのは極めて稀で,国内ビジネス客が主な客層である。<BR> 湖畔リゾートである3の宿泊施設は,規模が大きく宿泊料金の高いA・Bが中心であり,カジノ・温泉・プールなど,付属施設も充実している。湖畔から離れた所にCが数軒立地している。主な客層は国内観光客と外国人観光客であり,個人よりも団体やパッケージでの利用が多い。国内観光客は9割以上が普門を訪問するが,外国人観光客は5割前後にとどまる。<BR> 仏国寺周辺4はCが多く,AやBも数軒立地する。国内修学旅行生向けの大規模なユースホステルが数軒あるが,学生の長期休暇が終わると次のシーズンまで事実上閉鎖する所が多い。宿泊料金が3万₩から4万₩くらいの小規模なモーテルも立地するが,利用客は少ない。市内循環バスの乗り場付近以外のレストランや複合商業施設は,実に閑散としている。建物こそ真新しい地域であるが,宿泊施設も含めて,すでに廃業,あるいは開店休業状態の所が目立つ。<BR> 慶州市は釜山からの日帰り観光圏で,KIXの開通でそれはさらに広がるであろうが,集客力の高い観光資源が郊外に点在するため,宿泊を伴う観光客は今後とも増加するであろう。宿泊施設の集積地域1・3・4は,各々が異なるタイプの観光客の受け皿となり,観光機能の分化が生起しつつある。1と4では空間的リストラクチャリングが起こる可能性も高い。<BR>
著者
森木 良太 小寺 浩二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.113, 2008

新河岸川は江戸時代から舟運が盛んであり、流域には舟問屋が建ち並んでいた。東上線開通後は水上交通が衰退しつつあったが、流域には水田が広がり、現在でも河川との関わりは深い。一方、支流上流部や河川から離れた地域においては、江戸時代から茶や芋の生産が盛んである。畑作中心の地域では、本川や流域下流部とは異なり、河川への関わりはあまりない。本研究では流域全体の小学校の校歌を調べ、自然景観との関わりの地域差を明らかにする。 小学校は、川越市、ふじみ野市、富士見市、志木市、朝霞市、新座市、和光市、所沢市、狭山市、入間市の公開分の校歌を使用した。 新河岸川流域について歌われている小学校は108校中28校であった。富士見市、朝霞市、新座市の小学校で多く歌われていることがわかった。一方、同じ流域であっても、所沢市、狭山市ではあまり歌われていない。新河岸川流域は、戦後のベットタウン化により新設された小学校が多いが、昭和以降に新設された小学校ほど流域の表現が歌詞に出てこない傾向があった。 新河岸川流域の歌詞が存在する小学校の多くが、明治時代からあった小学校だということがわかった。ただし、歴史のある小学校でも新河岸川流域の表現が歌詞に出てこない小学校はあった。流域で最も歴史のある小学校は川越や志木、所沢にあり、いずれも明治初期に開校しているが、いずれも新河岸川流域が歌われていない。川越で最も古い中央小学校では、歌詞には入間川の表現が使われ、新河岸川の表現が出てこなかった。
著者
寺谷 亮司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

1.はじめに<br> 地方中小都市は,人口規模の大きな他の都市規模階層都市に比べ,人口減少が顕著であり,中心商店街の衰退程度もより深刻である。地方中小都市は,県庁所在都市のような中枢管理機能を持ち得ず,工業などの特殊機能の集積も概して少ない。地方中小都市の主たる基盤機能は,周辺地域の中心地としての古典的な中心地機能であろう。このため,地方中小都市の衰退要因としては,①大型小売店・コンビニなどの進出によって,中心地機能の発現主体としての小売店やその取引先の卸売店・生産者など地元企業の連鎖的衰退,②顧客である自市および周辺人口の減少,商圏の広域化による近隣大都市や郊外店への買物客の流出などを指摘できる。本報告では,1990年代以降における地方中小都市の人口や商業の変化動向を,滝川市を中心とする北海道都市を事例に検討する。<br><br>2.北海道都市の人口・商業動向<br> 北海道35都市は,人口規模(2000年)からみて,地方中核都市(人口30万人以上,札幌・旭川・函館),地方中心都市(同10~30万,釧路・帯広・苫小牧・小樽・北見・室蘭・江別),地方中小都市Ⅰ(同5~10万,岩見沢・千歳・石狩・北広島・登別),地方中小都市Ⅱ(同2.5~5万,滝川・稚内・網走・伊達・名寄・根室・美唄・紋別・留萌・深川・富良野・北斗),地方中小都市Ⅲ(同2.5万未満,士別・砂川・芦別・赤平・夕張・三笠・歌志内)に区分できる。これら都市規模類型別に人口変化率(1990~2010年)を算出すると,地方中核都市+7.6%,地方中心都市-5.1%,地方中小都市Ⅰ+10.4%,地方中小都市Ⅱ-12.9%,地方中小都市Ⅲ-32.7%であり,札幌圏のベットタウン都市群で構成される地方中小都市Ⅰを除けば,人口規模が少ないほど人口減少率が高い。最も人口が減少した地方中小都市Ⅲは旧炭鉱都市群であり,人口の過小さから都市と呼べる存在ではない。このため,滝川などの地方中小都市Ⅱが,地方中小都市の典型である。地方中小都市Ⅱの年間商業販売額の推移(1991~2007年)をみると,小売業が-11.1%であるのに対し,卸売業は-43.1%となり,より深刻な衰退状況にある。<br><br>3.買物流動よりみた北海道の都市システムの変化<br> 「北海道広域商圏動向調査(1992年・2009年)」によって,買物流動からみた北海道市町村間結合の変化(1992年&rarr;2009年)をみると,①自市町村内買物比率の低下(47.9&rarr;32.6%),②最多買物流出先市町への流出比率の増大(31.9&rarr;41.1%),③最多流出先が最寄りの中小都市から遠くの大都市へ変化(羽幌町における留萌&rarr;旭川など),④中心都市から近郊町村への流出比率の増大(釧路市から釧路町への流出比率が3.8&rarr;20.9%など)を指摘できる。これらは,市町村間結合の強化,商圏の広域化,大都市が直接市町村を支配する短絡的結合の増加,近隣市町への大型店立地による都市における都心機能の地位低下を示しており,いずれも地方都市の地位低下に直結する。<br><br>4.滝川市の事例<br> 滝川市は,石狩平野の東北部に位置する中空知地域の中心都市である。上記「北海道広域商圏動向調査」によれば,1992~2009年の変化として,中空知市町から滝川市への平均買物流出比率,さらに遠距離の北・南空知市町からの同比率も高まり,滝川の中空知における商業拠点性は高まり,その商圏は拡大した。しかし現在,滝川市の主たる商業機能を担っているのは,中心商店街ではなく,1990年代後半以降,国道12号線滝川バイパス沿いに集積した大型小売店である。一方,滝川市の中心商店街(鈴蘭通り・銀座通り・大通商店街)の現況をみると,空き店舗が多く(164店舗中35店舗),3つの大型ビル(売り場面積6,921・7,311・16,072㎡)はキーテナント撤退の結果,ほぼ廃ビルの状況にある。
著者
小関 祐之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p><b>1.はじめに</b></p><p></p><p> 高大接続改革は,高等学校教育,大学教育,大学入学者選抜の三位一体の改革である.大学入学者選抜改革の一環として,大学入試センターではセンター試験から大学入学共通テスト(以下共通テスト)へと変更された.新高等学校学習指導要解説では,これからの学校教育では,子どもたちが様々な変化に積極的に向き合い,他者と共同して課題を解決していくことや,様々な情報を見極め,知識の概念的な理解を実現し,情報を再構成するなどして新たな価値につなげていくこと,複雑な状況変化の中で目的を再構築することができるようにすることなどが求められている.共通テストにおいても同様の方向性で問題が作成されている.</p><p></p><p><b>2.高大接続改革を意識した大学入学共通テストの方向性</b></p><p></p><p> 令和4年度共通テストの問題作成方針では,①センター試験における問題評価・改善の蓄積を生かしつつ,共通テストで問いたい力を明確にした問題作成,②高等学校教育の成果として身に付けた,大学教育の基礎力となる知識・技能や思考力,判断力,表現力等を問う問題作成,③「どのように学ぶか」を踏まえた問題の場面設定の3点が示されている.また,地理A・Bの問題作成方針には「地理にかかわる事象を多面的・多角的に考察する過程を重視する.地理的な見方や考え方を働かせて,地理にかかわる事象の意味や意義,特色や相互の関連を多面的・多角的に考察したり,地理的な諸課題の解決に向けて構想したりする力を求める.問題の作成に当たっては,思考の過程に重きを置きながら,地域を様々なスケールから捉える問題や,地理的な諸事象に対して知識を基に推論したり,資料を基に検証したりする問題,系統地理と地誌の両分野を関連付けた問題などを含めて検討する」と示されている.これらの方針に沿って共通テストは作成されている.</p><p></p><p><b>3.センター試験と共通テストにおけるデータ比較</b></p><p></p><p> 令和2年度センター試験と令和3年度共通テストの地理Bについてデータを基に大まかに比較してみたい.共通テストは,大問数が1減じられている.その大問は比較地誌の大問である.また,センター試験と共通テストともに多くの資料が活用されている.しかし,細かく分析すると,小問数が共通テストでは5問削減されているのにもかかわらず,総資料数は37,38とほぼ同数である.センター試験では資料を用いない問題が5問出題されていたが,共通テストでは,資料を用いない問題は出題されていないだけでなく,複数の資料を読み取り傾向性や規則性を問う問題が出題されている.当日の発表では,これらの分析とともに,令和3年度共通テストを数問取り上げ,高大接続改革を意識した問題はどのような問題か,思考力等を発揮して解く問題とはどのような問題か,受験者に身に付けてほしい資質・能力や高校現場に求めたい授業の実践等について,大学入試センター試験の過去問題と比較しながら報告したい.</p><p></p><p><b>文献</b></p><p></p><p>文部科学省(2018)高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説・地理歴史編.東洋館出版社</p><p></p><p>大学入試センター(2011)令和4 年度 大学入学者選抜に係る 大学入学共通テスト問題作成方針</p><p></p><p>https://www.dnc.ac.jp/kyotsu/shiken_jouhou/r4.html</p>
著者
菅野 峰明 平井 誠
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.80, 2006 (Released:2006-05-18)

1.はじめに アメリカ合衆国のフロリダ州は第二次世界大戦後、北東部や中西部から暖かい気候を求める高齢者の流入が続き、高齢者率の高い州として知られるようになった。フロリダ州において65歳以上の人口が全人口に占める比率は16.8%(2004年)であり、全米の州の中で最も高齢者比率が高い。フロリダ州への1995_から_2000年の国内純人口移動60.7万人のうち、14.9万人が65歳以上の高齢者であり、全体の24.6%を高齢者が占めた。これらの高齢者の流入は、退職した人々が余生を温和な気候の地域で送るため、と説明されてきた。ところが、最近の高齢者の移動を見ると、伝統的に高齢者が定住することの多かった東海岸の南部よりも西海岸に人口移動率の高い郡が見られるようになった.フロリダ半島の西海岸地域には高齢者のための新しく開発されたリタイアメント・コミュニティが多い。そこで、高齢者が居住地としてフロリダ州の西海岸のリタイアメント・コミュニティを選択する要因を明らかにするために2004年9月と2005年9月にフロリダ州タンパ・セントピーターズバーグ都市圏において実地調査を行った。2.リタイアメント・コミュニティ 1960年にアリゾナ州フェニックス市郊外に建設されたサン・シティの成功により、フロリダ州でもリタイアメント・コミュニティが多数建設されるようになった。リタイアメント・コミュニティの規模は数十戸から数千戸まで規模は様々であるが、住民に対するサービスとして、ゴルフコース、テニスコート、屋内外プール、サウナ、エアロビクスの部屋、室内トレーニング場等を備え、さらに日常の生活を支援する建物の中に図書館、インターネットに接続できるコンピュータールームを備えているところもある。新しいリタイアメント・コミュニティはゲーテッド・コミュニティとなっており、防犯態勢が整備されている。 タンパ都市圏内にあるリタイアメント・コミュニティのサン・シティ・センターで付属施設、コミュニティ内のクラブ活動等の調査と住民を対象にしたアンケート調査を行った。サン・シティ・センターは1961年に建設が始まり、現在では7,500世帯、約13,000人が居住している。住民へのアンケートの結果、このリタイアメント・コミュニティを選択した理由として一番多かったのは、温暖な気候(72%)、次いでフロリダのライフスタイル(71%)、犯罪の少なさと安全性(34%)、生活費の安さ(26%)、親類への近さ(24%)と続き、これまで言われてきたことが裏付けられた(第1表)。かつてフロリダ州で高齢者比率が多かったマイアミ大都市圏では高齢者の純移動率が減少に転じてしまった。これは、フロリダ州の南東部から半島西部への高齢者の移動のためである。それはヒスパニック系が増加し、犯罪率の高いマイアミ大都市圏から安全性の高い半島西部のリタイアメント・コミュニティへの移動と関係している。この移動はさらに、大都市圏におけるアパートやコンドミニアムの居住から戸建て中心のリタイアメント・コミュニティへの移動ということにもなる。
著者
岩船 昌起
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p><b>【はじめに】</b><b> </b>2019年7月に南九州では,「記録的な大雨」で「がけ崩れ」が多発した。筆者は,住民の避難行動等を現在検証中であり,本稿では,「がけ崩れ」等にかかわる基本的な情報を整理する。</p><p><b>【降水量等の概要】</b>気象庁の降水量データから,後述の2災害現場に最寄りの3観測所では,九州に停滞した梅雨前線との関係で6月26から7月4日に断続的に雨が降り続いていた。日降水量は,6月28日には鹿児島76.5㎜,八重山163㎜,輝北60㎜,7月1日には鹿児島121㎜,八重山327㎜,輝北248.5㎜であり,西南西―東北東に延びる線状降水帯が鹿児島と熊本との県境付近に停滞していたことと関連して,6月28日と7月1日の大雨時には県北部での降水量が相対的に多かった。一方,7月3日には,鹿児島368㎜,八重山206㎜,輝北402㎜であり,薩摩半島や大隅半島で降水量が多かった。</p><p><b>【</b><b>6</b><b>月</b><b>28</b><b>日概要】</b>未明から雨が降り始めて早朝からその強度が高くなった。鹿児島県・鹿児島地方気象台(以下,県・気象台)では,6:50に県土砂災害警戒情報第1号を,7:25に同第2号を共同発表して,土砂災害への警戒を強めた。また,気象台も「県薩摩地方の早期注意情報(警報級の可能性)」を7:00に発表した。これらに応じて,鹿児島市(以下,市)では,7:30に災害警戒本部を設置し,土砂災害への警戒から7:40に「【市内全域(喜入地域を除く)】大雨に係る避難勧告」を,浸水への警戒から同7:40に「【新川・稲荷川流域】避難勧告」を発令した。また,8:30には市内83カ所に避難所を開設している旨を市公式HP上に掲載した。一方,気象台は,「鹿児島市[継続]大雨(土砂災害、浸水害),洪水警報」を8:56に発表した。しかし,人命にかかわる被害が生じることなく,10時過ぎに大雨の恐れがなくなり,県・気象台は10:50に県土砂災害警戒情報第3号を共同発表し,「全警戒解除」を鹿児島市,薩摩川内市,日置市,いちき串木野市,姶良市,さつま町に伝えた。また,気象台は11:20に鹿児島市等に「大雨警報(土砂災害)」を継続しつつも,警報から引き下げる形で「洪水注意報」を発表した。市では「大雨警報(土砂災害)」の継続を受け,土砂災害への警戒から,市南部の喜入を除く市全域に避難勧告を発令し続けた。</p><p><b>【</b><b>7</b><b>月</b><b>1</b><b>日概要】</b>県・気象台では,1:45に県土砂災害警戒情報第1号が鹿児島市に対して発表された。これを受け,市では2:40に市北部「吉田,郡山,吉野,一色,中央,松元」各地区に土砂災害に対する警戒から「避難勧告(警戒レベル4)」を,市中部「桜島,谷山」各地区に「避難準備・高齢者等避難開始(警戒レベル3)」を発令した。前日30日から降雨がほぼ連続し,八重山で5時に時間雨量67.5㎜が記録される等,降雨強度が1日未明から早朝に高くなった。このため,7時過ぎに,比高約40~60mの斜面上部で幅約30mにわたりがけ崩れが生じ,家屋に入り込んだ土砂に70代女性が巻き込まれた。救出搬送されたものの,病院で死亡が確認された。この斜面は,土砂災害警戒区域に指定されており,斜面下部から中部では補強されていたが,斜面上部には"手当て"が及んでいなかった。線状降水帯の南下による「猛烈な大雨」に伴い,市では警戒を強めて7:45に「喜入を除く市内全域」に土砂災害への警戒から「避難勧告(警戒レベル4)」を,喜入地区に「避難準備・高齢者等避難開始」を同7:45に発令した。</p><p><b>【</b><b>7</b><b>月</b><b>3</b><b>日概要】</b>前日2日の気象庁の会見等もあり,「特別警報クラスの大雨」への警戒を強めた。9:35に「市内全域」に「避難指示(警戒レベル4)」を発令し,特に「崖や河川に近い場所など,危険な地域」の居住者の避難を強く意識した。降雨強度は3日未明から4日未明までが高く,大雨警報(土砂災害)の危険度分布が3日19:10には市全域が「極めて危険【警戒レベル4相当】(濃い紫)」に判定される等,薩摩半島と大隅半島で土砂災害の危険性が高まった。曽於市大隅町坂元で80代女性1名が犠牲になった「がけ崩れ」は3日夕方から4日未明までに発生したと思われ,検証中である。がけ崩れが生じた斜面は,土砂災害危険区域に未指定の箇所であり,被災家屋横の車道造成時に掘削したのり面で,比高0~20m弱,幅約20mである。10m間隔の等高線では表現できない小規模の急傾斜地であった。</p><p><b>【おわりに】</b>7月3日9:35の鹿児島市全域への避難指示は,前年2018年7月7日に桜島古里で80代男女2名が犠牲となった土砂災害を顧みての判断であった。崩落土砂が入り込んだ自宅の住民が今回事前に避難する等,避難において一定の効果があったと筆者は考える。発表当日には,避難指示の発令や避難所運営のあり方,住民の避難行動等にも触れる予定である。</p>
著者
柳井 雅也 阿部 康久 小野寺 淳
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

Ⅰ はじめに中国の長春市おける日系自動車会社及び同部品産業の立地展開と当地における事業活動について調査を行った。対象となる会社は10社、うち現地で面接調査(2012年8月17日~23日)を行った会社はトヨタ自動車、IHI,一汽光洋、ワイテックの4社(全体の40%)である。ここではトヨタ自動車(以後、トヨタ)の実態を報告し、発表では残りの会社の分析を含めて報告する。Ⅱ トヨタの長春市進出の経緯中国では、外資系自動車会社は2法人までしか合弁会社が作れない。このことが、トヨタはじめ外資系自動車の、中国における立地と事業活動に制限と工夫が求められているといる。トヨタが天津自動車夏利と組んで本格的に中国進出を果たしたのは1995年のことである。さらに、四川旅行車製造廠(成都:小型バス「コースター」生産)と合弁(2000年)で四川トヨタを設立した。ここで第一汽車(以後、一汽)に資本参加してもらい四川一汽トヨタ(SFTM)を設立し、トヨタはもう1社と組めるようになった。そこでトヨタは広州汽車(2006年)と組むことになった。このやり取りの中で、一汽の本拠地、長春に進出(2002年)が決まった。2003年に一汽が長春一汽豊越(一汽資本100%)を設立して技術指導とV6エンジンの生産を開始した。2004年には一汽豊田(長春)発動機を設立した。長春一汽豊越は2005年、SFTMの分工場(SFTM長春豊越)となり、ランドクルーザー生産(約3万台/年)を始めた。また、プリウスも少量ながら生産している。さらに、新工場(2012年)を建てカローラ(年間10万台予定)の生産を計画している。Ⅲ 部品調達一方、天津で一汽はトヨタと組んで天津自動車夏利に経営参画し、夏利天津一汽トヨタとして規模拡大を続けた。日系関連企業の集積も進んでいる。このため、部品(日本からの輸入も含めて)は、天津経由または大連港(一部)経由で長春に送られている。この物流コストを吸収するには、付加価値の高いV6エンジンやランドクルーザーの生産を行うしか選択肢がない。例えば、ランドクルーザーの物流に関して、名古屋港から部品をコンテナ船で大連港に運び、仮通関後に荷降ろしを行って、陸路または列車で長春に運ぶ。ここで本通関を行う。もし、完成車を輸入しようとすれば関税が25%かかる。そのため、CKD(Complete KnockDown)生産方式で行わざるを得ない。Ⅳ 長春工場の課題長春工場の課題として、①労務コストが高い、②労働者の質の確保、③物流コストが高い、④東北三省の下請工場が無いことと、仮にあっても品質保証が難しい。こと等があげられる。トヨタの長春生産はコスト高になっている。そのジレンマを解決するため、日系の自動車部品企業の集積を徐々に図り、今後は東北三省市場(1億3000万人をマーケット、寒冷地仕様)に発展の余地を見出そうとしている。
著者
澤田 学
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

<b>1.研究目的</b> <br> 2010年7月、成田スカイアクセスの開業に伴う京成スカイライナーの高速化によって、東京都心と成田空港間は30分台で結ばれるようになった。その効果でスカイライナーの旅客は増加した。一方で、国内線中心の羽田空港と国際線中心の成田空港の間の距離が離れているために国内線/国際線相互の乗り継ぎが不便になっている。そのため、羽田空港/成田空港での乗り継ぎを避けて、乗り継ぎに便利な仁川国際空港(ソウル)に切り替える地方旅客の増加しており、両空港を取り巻く環境は決して安泰とはいえない。よって、成田スカイアクセスもそれに対応した路線となることが求められる。そこで、筆者は成田スカイアクセスをさらに活性化した路線とするための新たな案の検討を行い、それについて予想される効果について考察し、東京都心部のさらなる活性化のあり方について考えることが本研究の目的である。<br> <br><b>2.空港アクセス鉄道の現状<br><i> </i></b>東京都心と成田空港との間の空港アクセス鉄道は、JRと京成電鉄(京成本線経由、成田スカイアクセス経由)が競合している。「平成22年度成田国際空港アクセス交通実態調査(カウント調査集計表)」によると、成田スカイアクセスの開業する前後で鉄道利用比が増加している。そのうち、スカイライナーは7.7%から10.2%へと増加している。京成電鉄全体の増加数は1,886人のうちスカイライナーが1,460人の増加なので、成田スカイアクセスの開業によるスカイライナーの高速化効果が利用客の増加につながった。<br><br><b>3.筆者が提唱した案と予想される効果<br> </b>羽田空港と成田空港はアクセス時間距離が長く、国内線と国際線の乗り継ぎが不便である。地方からの乗り継ぎが仁川国際空港に流れている状況を考えると両空港の置かれている状況は厳しいと言える。そのことを踏まえて筆者は、現状で京成上野に乗り入れているスカイライナーを都営浅草線および京急線を介して羽田空港まで乗り入れる案を提唱する。提唱した理由は2点ある、1点目は、外国人に人気の観光スポットやビジネス拠点が都営浅草線沿線に集積しており、利用客増が期待できるから。2点目は、羽田空港乗り入れにより両空港間のアクセス時間距離が短縮され、両空港の需要増に期待できるから。筆者の提唱した案によって東京都心部にヒト・モノ・カネを呼び込むことができると考える。<br>
著者
小川 滋之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

<b>スイゼンジナ(<i>Gynura bicolor</i>)とは </b>タイからインドにかけての山岳地域が原産とされており,アジア各地域で食される葉菜である.日本では江戸時代中期に中国から伝来し,熊本県で栽培されたのが始まりとされている.熊本県の伝統野菜「くまもとふるさと野菜,水前寺菜」のほか,石川県金沢市の伝統野菜「加賀野菜,金時草」,沖縄県の伝統的農産物「島野菜,ハンダマ」としても有名である.近年,ポリフェノール成分が豊富に含まれ,健康的な野菜であるということが注目されている.安価に通年生産できる強みから,葉菜が品薄になる時期の出荷が期待されている.<br><br><b>研究の背景と目的</b> これまでの研究(小川2018)では,日本国内における産地は宮城県山元町から南西諸島まで広く分布していること,伝統野菜としての自治体認定や特産化を目指している産地(京都府長岡京市など)があることなどが明らかにされた.しかし,伝来経路や産地間の交流については十分とはいえない.基本的な情報を明らかにしていくことが伝統野菜としての生産の維持や普及拡大につながるといえる.<br><br>本報告では,日本にみられるスイゼンジナの伝播経路を明らかにすることを目的にした.スイゼンジナは個体変異が大きいものの,1属1品種であり明確に品種改良された事例はない.しかし,産地ごとに形態の違いがあることに着目して研究を進めた.<br><br><b>材料および方法</b> 国内にみられる16産地と対照として台湾1産地の計17産地を対象にした.生産される個体の起源や生産方法を,各産地において聞き取りした.これに加えて,千葉県の同一条件下で3年間生育させた各産地の個体を用いて形態比較を行った.<br><br><b>伝播に関する各産地の情報 </b>各地に古い地域名や栽培方法が記された文献,南西諸島の呉継志「質問本草」(1837)があることから,19世紀までには全国的に栽培が広がった.しかし生産が途絶えた地域も多く,現在に至る産地は石川県金沢市,熊本県,南西諸島(各島嶼)に限られた.これらの地域が元祖となり,昭和時代以降の産地となったとみられる.たとえば,熊本県御船町から京都府長岡京市,金沢市から愛知県豊橋市や群馬県藤岡市に伝えられた.また苗は挿し芽により生産されており,石川県金沢市内と熊本県内ではいくつかの生産元に特定できた.南西諸島内は,栽培に関する情報が乏しいことから不明であった.<br><br><b>形態的な地理変異 </b>産地ごとの葉の偏平率,鋸歯の深さ,厚み,羽毛の有無に着目した.日本にみられるスイゼンジナは,北限型(宮城県山元町など3産地),東西日本型(石川県金沢市,熊本県御船町など6産地),北中琉球型(屋久島,沖縄島など4産地),南琉球型(石垣島など3産地)に分類することができた.<br><br>葉形態からは,金沢市と熊本県との違いはほとんど見られないものの,宮城県山元町などの北限型とは明確に異なった.北限型は,台湾型や南琉球型と形態的に近く,かつてこれらの地域から導入された可能性がある.南西諸島にみられる北中琉球型と南琉球型は,他産地とは違いが大きく,中国からの伝来経路そのものが異なる可能性が考えられた.<br><br> <br><br>〈引用文献〉<br>小川滋之2018. 日本国内におけるスイゼンジナの産地分布と地域名,生産と流通の特徴.熱帯農業研究11,p15-20.
著者
貝沼 良風
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<はじめに>本研究では,山形花笠まつりを事例に,近代以降に生まれた祭りの存立要因を,祭りの参加者のアイデンティティに着目して検討する.日本においては,近代以降,とりわけ高度経済成長期以降,地域活性化などのために新たに祭りが生み出されていった.そうした祭りの中には,地域を代表する祭りに成長したものもみられる.祭りの参加者に注目すると,このような新たな祭りでは地縁的共同体によらずに参加者を募ることが少なくなく,参加者はそれぞれのきっかけや理由によって祭りに参加している.既往の祭り研究においても,祭りの参加者に着目して検討したものは存在する.そこでは,参加者個人の意識に注目したものもあるが,参加者個人は所属する団体の構成者の一人として捉えられる傾向にある.しかし,現代の祭りの在り方を解明するためには,参加者を特定の所属団体の一人としてだけでなく,参加方法や役割を変えながらも祭りに参加し続ける主体として捉えて分析する必要があるだろう.<研究方法と研究対象の位置づけ>以上を踏まえ本研究では,山形花笠まつりを事例に,祭りの参加者の参加のきっかけや理由と,参加者が形成するアイデンティティを明らかにし,現代の祭りが存立する要因を考察した.分析に用いるデータは,運営組織である山形県花笠協議会と,祭りに踊り手として参加している46人への聞き取り調査から収集した.また,山形花笠まつりに関する書籍や,各団体の資料等も適宜使用した.山形花笠まつりは高度経済成長期に観光誘致のために生み出された,花笠踊りという踊りを中心市街地で踊るパレードが目玉の祭りである.当初は地縁団体やその地域で活動する企業を中心としてパレードが執り行われていた.近年では企業の参加が多い一方で,学校や病院による団体,祭りへの参加のために結成された自主的な団体の参加が増加している.そして花笠踊りは県内外の祭りやイベントで披露されるなど,山形花笠まつりは山形市や山形県といった地域を代表する祭りとなっている.<結果>山形花笠まつりの参加者は,所属組織の一員であることや,知人からの紹介,個人の交流や踊りへの関心といったものを参加のきっかけや祭りに参加し続ける理由としていた.また,子供の頃に踊りを覚えた,あるいは過去に祭りに参加した経験者が,ライフコースの変化に伴い他団体で祭りに参加するケースも目立った.調査対象者の語りからは,団体や祭り,踊り,地域に対するアイデンティティが形成されていることが明らかとなった.まず,多くの参加者が,祭りへの参加は団体のメンバーとの楽しみ,あるいは団体の一員の義務であると語っており,団体に対するアイデンティティを形成している様子が読み取れた.また,沿道の観客との一体感や,踊り・ダンスの経験について語る様子から,祭りや踊りに対するアイデンティティが形成されていることも読み取れた.さらに,参加者は,県外の知人との会話で山形花笠まつりが話題になることなどについて語っており,山形県に対するアイデンティティを形成していることもまた読み取れた.山形花笠まつりを地元の祭りと区別しながら,山形県民としては参加したいと語る様子からは,地元に対するものとともに,山形県に対するアイデンティティも形成されていることが読み取れた.他方で,継続的に参加する参加者は,一参加者という認識から団体のまとめ役や祭りの盛り上げ役という認識へと変化しており,こうした点から,それまで形成されていたアイデンティティが変質する様子が読み取れた.また,様々な団体から祭りに参加することにより,踊りや団体に対するものだけでなく,祭りや地域に対するものといった新たなアイデンティティが形成されていた.様々なアイデンティティは個別で成立しているわけではなく,複数のものが重なり合うものと捉えられる.<考察>山形花笠まつりへの参加を通し,参加者は複層的なアイデンティティをライフコースの変化に沿って形成していた.また,そのようなアイデンティティは,参加者が祭りに参加し続ける動機の一つとなっている.このことから参加者のアイデンティティと祭りへの参加との間には,決して一方向的ではなく,相互に影響しあう関係があると考えられる.参加者のアイデンティティに基づく行動には,団体の一員としての参加の継続や様々な団体への参加,新たな団体の結成などが挙げられる.このような行動によって祭りへの団体の参加が維持されていると考えられる.またそのような参加者の行動は団体を越えた祭りへの参加のネットワークを生みだしている.そのネットワークの中での新たな個人の参加や,経験者の継続した参加が,祭りの存立の要因の一つといえるだろう.そしてそのようなネットワークの軸となるのが,祭りへの参加の志向に繋がる参加者の複層的なアイデンティティであると考えられる.
著者
張 厚殷
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.217, 2010

今まで韓国の地域産業政策の大部分は,中央政府の主導で行われ,その政策手段も中央政府から選定された各地域に等しく適用される方式で推進されてきた.しかし,最近韓国では,地方自治制度の復活と発展とともに,既存の産業政策の立案と推進過程に変化が現れ,地方自治体が,地域経済を活性化させるため,政策の決定や執行に主導的な役割を演じ始めた.本発表では,このような地域産業政策のパラダイムの変化に対応した韓国の地域産業政策の展開について大邱ミラノプロジェクトを中心に跡付けていく.<BR> 大邱広域市では,地域の繊維産業を対象とした'繊維産業育成方案(通称:ミラノプロジェクト)'を1999年からスタートさせ,現在は第3段階(2009~2012年)の事業を推進している.政策の目標は,大邱地域の繊維産業を先端高付加価値型の繊維産業に構造を改編し,最終的に世界的な繊維・ファッション産業のメッカとして育成・発展させることであり,イタリアのミラノ市を発展モデルとしている.大邱地域のミラノプロジェクトは,特定地域の特定産業を選定して集中的な支援を行う地域産業政策の最初の事例であり,その後全国的に推進された'地域産業振興事業'の先駆けとなった.<BR> ミラノプロジェクトは,金大中政府の新産業政策として出発した.事業推進の権限は,大邱広域市ではなく,中央政府の産業資源部が持っていた.また,ミラノプロジェクトは,大邱の繊維産業の育成のための独自事業として始めたが,以後,中央政府の決定によって4ヵ地域産業振興事業の一つという位置づけに変更された.第1段階のミラノプロジェクト(1999~2003年)は,17ヵ事業,事業費6,800億ウォンで,基盤造成のためのハード面の整備が事業の中心であった.基盤施設における集中的な投資を通じ,地域繊維産業の構造改善及び高度化のためのインフラが構築された.しかし,政策の企画・設立から多くの問題点を露出した.第1段階のミラノプロジェクトは,事業企画のための基礎調査と分析が不十分であり,全般的にずさんであった.そのため,事業企画に関する協議が不足し,企業間の有機的な協力がなく,また産業界以外の地域内外の主体の参加も不足していた.<BR> 2003年に発足した盧武鉉政府は,韓国の地域政策において画期的な変化をもたらした.盧武鉉政府は,国家均衡発展政策というフレームの下で積極的な地域政策を推進し,国家均衡発展特別法,特別会計,国家均衡発展委員会,国家均衡発展5ヶ年計画などを通じ、地域政策の制度的基盤を整備した.2004年から推進された第2段階の事業では,各地方自治体の企画案を土台とし,中央と地方自治体間の協議調整を経て,事業が設計された.また,第1段階とは,地域の特性を反映した戦略産業の追加,産業別・地域別に特性化されたプログラムに対する投資の強化,部門別事業間・地域間ネットワークと協力の強化,総合的な評価管理システムの構築などの違いがある. 第2段階のミラノプロジェクト(2004~2008年)は,16ヵ事業,事業費1,978億ウォンで,企業の研究開発のためのソフト面の整備に重点を置いた.企業側面から高感度・高機能性の繊維製品を開発する174の事業課題を支援し,人材養成,インフラの補強,融資事業を重点的に推進した.しかし,まだ産学研ネットワーク構造の脆弱,技術開発の活用と事業推進成果に対する評価システムの不備,事業費の有用と公金横領などの予算執行統制システムの不十分などが批判されている.<BR> 長い間,中央集権体制を維持して来た韓国で,地域自らが発展戦略を樹立するということは大きな制度的転換であるが,事業の成否の鍵を握っているのは地方自治体の政策企画能力と事業の運営能力である.いまだに中央政府と地方政府との分野別・政策間の役目分担は不明瞭であり,相互連携も不充分である.また地域産業政策がその地方自治体から立案されているにも関わらず,政策決定は中央政府の権限であるため,強い統制を受けている.
著者
原科 幸彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.39, 2010

1.環境計画・政策への参加環境市民とは何か。市民とは公共的な立場で考え行動のできる人のことで、住民に対置されるものである。環境計画への参加には、計画策定への参加と計画実行への参加があるが、環境市民活動は往々にして後者の参加ととらえられている。特に我が国では、計画や政策の意思決定過程への参加が極めて限られていたが、計画・政策をどう作るかが最も重要である1) 効果的な計画・政策ができてこそ、それらの実行段階での参加が意味をもつ。廃棄物処理における焼却主義は、十分な検討がなされたかに大きな疑問がある。温室効果ガスの削減に原子力発電が有効とされるが、燃料や廃棄物処理の持続可能性を考えると本当に推進して良いのか。この政策決定に国民参加はほとんどない。また、従来、不合理な計画の提案がなされた例も多い。例えば、2005年愛知万博では当初計画に重大な問題があった。だが、計画段階でのアセスメントにより良い計画に変えられた。事業仕分けをより丁寧に行うには、評価過程の透明化のため、アセスが必要。2.参加の保証の制度設計2)我が国の参加の黎明期には、参加の障害を除くことが求められたので「参加の保障」と称したが、今は次の段階、参加を確かなものにする「参加の保証」の時代に。市民参加の5段階モデル1.情報提供 (Informing)2.意見聴取 (Hearing)3.形だけの応答 (Formal Reply Only)4.意味ある応答 (Meaningful Reply)5.パートナーシップ (Partnership)参加の保証のためには、レベル4の意味ある応答の参加を実現する条件を与えることが必要。そこで、フォーラム、アリーナ、コートという枠組みで捉える 公共空間での議論計画の策定段階における参加と、実行段階における参加、オーフス条約で提示された環境政策に国民が関与するための3つの条件 フォーラム(情報交流の場) 情報へのアクセス アリーナ (合意形成の場) 意思決定における参加 コート (異議申立ての場)訴訟へのアクセス 3.オーフス条約の3条件(1)環境情報へのアクセス2001年に情報公開法が施行されたが、かえって情報が出にくくなった。情報を早期に廃棄する例も。アメリカの情報自由法:情報提供あるいは裁量的公開の推進、会議情報の公開。重要な政策の選択は審議会などで議論:議事録は発言順に発言者名を公表すべき。(2)意思決定における参加レベ4「意味ある応答」の参加の実現、公共空間での議論が不可欠、計画の策定から実行までの参加を。事業段階からの参加では遅すぎる。戦略的な意思決定段階での参加が、戦略的環境アセスメント(SEA)。(3)訴訟制度へのアクセス訴訟制度へのアクセスが必須。行政手続法で説明責任を義務付けることが必要。政府の決定への国民関与は1993年の行政手続法の制定時にも議論。当時は時期尚早とされたが、時代は変わった。 行政事件訴訟法の改正社会システム構築のチェック機構として、公益性の観点から争えるようにする。2004年6月の行政事件訴訟法の改正により原告適格の範囲が拡大。法廷で争えれば、参加の結果が意思決定に反映される可能性は高まる。例えば、米国連邦政府レベルのアセス制度(NEPAアセス)は訴訟制度との連動により改善された。社会システムの(ソフト)インフラ整備が不可欠。
著者
藤田 和史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

I はじめに<br> 国内における家庭用品産地は,主として東京城東地域など大都市圏に展開してきた.国内における地方産地の一つに,海南産地がある.海南産地は,シュロ産業から発展したたわし生産を基礎に,非金属系家庭用品を中心に産地を形成してきた.しかしながら,家庭用品は途上国での生産が台頭し,国内の産地においては縮小傾向が続いている.海南産地も例外ではなく縮小傾向が続いているが,反面国内外の展示会への参加や企業同士の組合活動での協調など多様な活動を展開している.この中で,新製品開発や多角化など,個別企業の変化もみられるようになってきている.これらは他者とのネットワークによる活動であり,産地の革新を支えるネットワークでもある.これらの活動・ネットワークがいかなる特性を持つのかを検討することは,今後の地場産業産地を考察する上で重要と考えられる.<br> 本報告は,海南産地に展開する家庭用品産業を事例に,近年活発になりつつある製品開発や販路拡大などの活動における企業間ネットワークの役割とその空間性について検討することを目的とした.<br><br>II 海南産地の形成過程<br> 海南産地の起源は,市域北東部の旧野上村を中心とする野上谷で発達したシュロ産業である.野上谷を中心として,和歌山県内の旧海草郡から有田郡の山中は,第二次世界大戦後まで全国一のシュロ皮の産地であった.シュロは,弘法大師が唐から持ち帰ったともいわれているが,この地域では文永年間に阿氐河庄(現在の紀美野町清水)に山中に帰化自生していたものを観賞用として植栽したものが起源といわれている.シュロが明確な作物として栽培されるようになったのは弘和年間といわれているが,記録よって確認できるのは江戸時代以降である.『毛吹草』,『紀伊続風土記』,『紀伊国名所図会』などにシュロの栽培・樹皮の生産の様子が記録されており,江戸後期に不足した竹皮の代替材料として樹皮を江戸や大阪に出荷したとの記録が残っている.<br> 海南産地が,シュロ産業から家庭用品へと展開していったのは,主として戦後のことである.明治期以降,海南産地ではシュロ繊維を利用して箒,漁網や縄類が生産されていた.その後,戦中にタワシ材料として利用されていたパーム繊維の輸入が途絶えために,代替材料として東京のメーカーがシュロに着目したことで利用価値が高まった.戦後にパームの輸入が復活してからは,主として地元の業者がシュロタワシの生産を始め,ブラシや化繊タワシの生産,その他の製品へと拡大していった.<br><br>III 家庭用品生産の生産構造と産地の変容<br> 海南産地の生産業者は,素材やコンセプトを変えながら家庭用品の生産を行ってきた.現在,産地全体としての主な製品群は①タワシ・クリーナー類,②浴用関連小物・バス用品,③キッチン小物,④ランドリー用品,⑤トイレタリー用品である.かつては,シュロ敷物などから派生した布巾・ドアノブカバーなど繊維小物も多くを占めたが,現在では縮小している.これらの製品は差別化が図りにくいものが多く,かつ陳腐化しやすいという商品特性を持っている.そのため,各企業とも開発競争は過酷である.また,煩雑な製品も多い一方で,価格は低くなるという製品特性も有している.ゆえに,ランドリー用品等を中心として,プラスチックを利用した多工程製品は30年ほど前から海外での生産が増加し続けている.その一方で,国内ではスポンジタワシなど一部の製品の生産が継続されている.しかし,企業によってその比率や海外生産の形態は多様である.報告では,地域内の大手製造卸への聞き取り調査等をもとに,産地の変容と企業の対応を紹介していきたい.
著者
相馬 拓也 バトトルガ スヘー
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>I&nbsp; </b><b>はじめに</b><b></b> <br>モンゴル西部バヤン・ウルギー県(Баян-Өлгий)アルタイ山脈一帯では、19世紀半ばから新疆一帯のカザフ人(Қазақ)の流入が断続的に続いた。そのため同地域には、いわゆる「ハルハ・モンゴル人(以下、モンゴル人)」社会とは異なる文化的・宗教的背景に根ざした、アルタイ系カザフ人(以下、カザフ人)による独自のコミュニティが形成されてきた。県内人口およそ9万人の内、カザフ人はその88.7%を占め、モンゴル国内最大のマイノリティ集団となっている。同地域のカザフ人は1990年代の民主化移行により、カザフスタンへの「本国帰還」や、自民族のアイデンティティ確立などをへて、モンゴル人社会とは異なる人的流動と自己定義の重層により形成された。しかし、ポスト社会主義時代を通じて加速した、カザフの伝統文化・習慣の振興、イスラーム教への回帰、都市部へのカザフ人口の流入・拡大等により、モンゴル国内では近年、カザフ人そのものを異質視する否定的感情も急速に広まりつつある。さらに近年モンゴル西部地域は、トルグート(Торгууд)、ウリャンハイ(Урианхай)などの氏族集団も、モンゴル人との差異を意識的に文化表象へと連結しはじめ、民族表象の揺籃となったローカルな社会構造は複雑化している。 上記の現状を踏まえ本発表では、①遊牧民の実生活・牧畜生産性の現状、②イヌワシを用いた伝統文化「鷹狩」の文化変容、③近年のイスラーム教の復興と宗教意識の変化、の領域を横断した3つの調査結果を統合し、カザフ人社会が国内で調和的に存続するための、持続可能な社会体制の在り方、伝統文化振興、宗教活動、地域開発の方向性などを考察した。 <br> <br><b>II&nbsp; </b><b>対象と方法</b><b></b> <br>各テーマの調査は2011年7月から2014年10月までの期間、各調査地(ソム)でテーマ別に行った。調査方法は上記①は構成的インタビューと統計学的手法(サグサイ、ボルガン)、②の民族誌的記録は半構成的インタビューと参与観察(サグサイほか)、③は集中的な定性調査と宗教指導者へのインタビュー調査(ウルギー市内)など、質的・量的双方の方法により実施した。<br><b><br>III&nbsp; </b><b>結果と考察</b><b></b> <br>(1)夏営地での集中的な基礎調査により、カザフ人と他氏族集団との経済格差(家畜所有数、消費数、幼獣再生産率など)が確認された。当該調査地では牧畜生活世帯の約60%が、家畜所有数100頭以下の貧窮した現状にある。経済活動の根幹をなす牧畜生産性の停滞および、生活水準の低迷など、カザフ人社会を経済的・心理的に圧迫する社会背景が明らかとなった。 (2)民族伝統の鷹狩文化を中心にすえた民族表象が、マイノリティであるカザフ人の文化的地位を劇的に飛躍させている現状が見られた。全県には現在も100名程度の鷲使いがいる。しかし、2000年度にはじまった「イヌワシ祭(Бүргэдийн наадам/ Бүркіт той)」の開催による急速な観光化がもたらす文化変容により、鷹匠は「文化継承者」として偶像化されると同時に、実猟としての鷹狩は消えつつある。さらに、伝統知の喪失、技術継承の停滞など、文化の持続性に多くの課題が確認された。 (3)現在のイスラーム復興は、1992年の「モンゴル・イスラーム協会」の設立により再始動された。カザフ人社会は、生活・経済的困窮から宗教への依存心が生じやすく、復興の原動力を後押しすることとなった。とくに宗教的リーダーであるイマーム個人の布教活動とリーダーシップが、重要な影響力をもつことが明らかとなった。そのため人々の宗教意識は多様化し、(i)トルコ、サウジアラビアを模範としたイスラームの厳格化、(ii)生活・文化の一環としての柔軟な復興、の2つの傾向が見いだされた。 <br><br><b>IV&nbsp; </b><b>おわりに</b><b></b> <br>以上、3領域の調査結果から、カザフ人社会の持続的開発には、(I)世帯ごとの牧畜技術と習熟度を向上させ、地域の牧畜生産性を高めること。(II)鷹狩や伝統工芸などの自文化の継承と持続性を確立すること。(III)イスラームと国内の他宗教との調和的拡散と深化、が学術的知見として示唆された。また、カザフ社会で停滞するモンゴル語識字率を向上させ、モンゴル人社会での就業機会と相互のコミュニケーションを安定させる必要も指摘される。本研究は国内最大のマイノリティ集団「アルタイ系カザフ人社会」の現状と文化・宗教復興の現状を把握し、過去の歴史・変容体験と未来への持続可能な社会を予見するための基礎研究と位置づけられる。 &nbsp;
著者
多賀 洋志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2002, pp.79, 2002

高度経済成長期以降、大規模小売店舗の立地動向に交通網の変化がどのように影響しているのかを明らかにするために、1990年と2001年の2期での変化を見た。大規模小売店舗の変化に関しては、小売業施設のなかでも特に郊外における商業機能の中核である大規模ショッピング&middot;センターに着目する。まず、ターミナル型とロードサイド型の立地に分けて把握し、次に、規模&middot;開店年度などについて考察する。ロードサイド型が多く出店する特徴的な地域として、JR横浜線の橋本駅付近から東名高速道路の横浜&middot;町田インターチェンジ付近までの国道16号線沿いがある。また、16号線沿いは道路の新設および拡幅された場所に出店するという傾向を顕著にしめしている場所である。この国道16号線沿いは、埼玉県、千葉県においても同様に集積している。このほかに、国道246号線、国道6号線沿いなどにも集積がみられる。
著者
石原 潤
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.71, 2008

<BR> 急速な経済発展を示す中国では、青果物の流通システムも、急速に変容しつつある。本研究では、寧夏回族自治区の首都銀川市における、卸売・小売両段階の流通システムについて、実地調査の結果を報告する。対象地域としては、銀川市の商業中心である興慶区を主として採り上げる。<BR><BR>1、卸売段階<BR> 銀川市で消費される蔬菜の80%が経由するとされる北環市場と果物の最大の卸売市場である東環市場とがある。<BR><B>〔北環市場〕</B>1991年建設。蔬菜の卸売が主であるが、他の食料品の卸売も。全国の蔬菜を集荷(夏は寧夏の蔬菜が多く、冬は南方の野菜が入る)、周辺諸省約500kmへ出荷。蔬菜の2006年交易量33.6万トン、年交易額5.5億元。取引の電子化、全国の価格情報の電子掲示、残留農薬の検査などを進めている。この市場は、2つの村民小組が土地を出し、村と郷が資本を出して出来た。現在関係団体が委員を出す董事会に決定権があり、運営は彼らが作った公司が行う。市場の大規模商人は、数人でグループを組み、一部が外へ買い付けに行き、大型トラックをチャーターして荷を運んで来る。市場内に、倉庫や頂棚を借りて営業する。中・小規模商人は、夫婦等で営業。出身地等に自ら買い付けに行き、小型トラックなどで運んで卸売。あるいは市場内で商品を仕入れ、露天で卸兼小売。これら商人の一部は地元の都市戸籍保有者だが、大部分は農村出身(陝西省や安徽賞など)の農村戸口で、市場近くで間借りしている。<BR><B>〔東環市場〕</B>1988年開設、果物の卸売が主であるが、他の諸商品の卸売も。果物の集荷は、寧夏(35%)の他、全国各地から。果物を買いに来る商人は、市内だけでなく、内蒙古からも。果物の年交易量30万トン、年交易額4.8億元。この市場は、元は露天の小売市場だったが、ある村民小組の農民らが卸売市場を建設した。その後農民らは都市戸籍化、市場は有限会社として残り、董事会(住民の会)が運営。一般に卸売商人は、集団で経営、買い付けに一人を先方に送り、運輸会社のトラックを雇い、荷を運んで来て、朝、小売商人に売る。この市場最大の果物商は、十人余を雇用する卸売業のほか、スーパーマーケットの中にも出店。さらに郊外農場を持ち、温室栽培や無農薬栽培。<BR><BR>2、小売段階<BR> 小売段階で蔬菜や果物が売られる場は、小売市場とスーパーマーケットがある。前者のシェアーがなお高いと思われるが、後者の数も急増しつつあり、無視できない存在になりつつある。<BR><B>〔小売市場〕</B>工商所が管轄しているものとしては、興慶区の市街地には、7ヵ所の市場があり、設備は地下封囲式が1、封囲式2、簡易封囲式が2、頂棚式が2と、整備されている。工商所が管轄していないものとしては、確認し得た限りでも、4ヵ所の市場があり、封囲式が1、頂棚式が1、露天式が2と、設備はあまり良くない。経営主体は、公司、街道弁事所、居民委員会、村民委員会が各1であった。この他、早市(3ヵ所で確認)でも野菜の出市が多く、夜市(2ヵ所で確認)では果物の出店が見られる。これらは、いずれも露天で、工商所の勤務時間(8時半から18時半)外を狙って営業していると言う。一般に小売商人は農村出身で農民戸口、市場の近くに部屋を借りて居住。大部分は卸売市場で、一部は郊外の農民から直接仕入れている。小売商人の輸送手段は、三輪自転車から、オート三輪へと急速に転換しつつある。<BR><B>〔スーパーマーケット〕</B>野菜・果物を扱うスーパーマーケットは都心部にも、周辺部にも急速に立地しつつある。都心部立地では、A百貨店の1階、B百貨店の地階、4階建て綜合スーパーの1階(以上新華系)、南大門広場の地下(北京華聯超市)などがそれに当たる。周辺部立地型は、双宝超市a店(2階建)、同b店(地下・小規模)、同c店(1階建・小規模)、及び金風区に入るが新華趙市d店(広いワンスパン)などがそれである。市街地縁辺部に形成されつつあるマンション団地の分譲広告には、最寄りの小売市場と共に、これらスーパーが記載されており、スーパーでの購入が生活スタイルの中に定着しつつあることを示している。新華(大規模店中心)と双宝(小規模店中心)のローカルチェーンが店舗網を形成しつつある。これらの店舗の蔬菜・果物の仕入れは、卸売市場に依るもののほか、生産農場を持つ大きな納入業者に依存する形が生れている。<BR> 野菜の小売価格を比較したところでは、都心部の百貨店併設のスーパーで、値段が高いことがわかった。
著者
小池 拓矢 菊地 俊夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<B>1. はじめに</B><BR> ジオパークを訪れた人びとは火山や海洋、河川などの営力によって形成されたダイナミックな景観を目にすることになる。これらの景観はジオパークの来訪者に大きなインパクトを与えるコンテンツである。よって、どこでどのような景観が来訪者に評価されたのかを検討することは、ジオパークの管理や運営をする上で重要である。そこで、本研究は伊豆大島で行われたジオツアーを事例として、ジオツアーの参加者がどこでどのような景観を評価しているのかを明らかにする。<BR> 伊豆大島は東京の都心の南方に位置しており、2010年10月に「伊豆大島ジオパーク」として認定された。伊豆大島には玄武岩質の成層火山である三原山をはじめとしたジオサイトが存在する。<BR><B>2. 研究方法</B><BR> 本研究は、首都大学東京の都市環境学部自然・文化ツーリズムコースで開講された野外実習における伊豆大島でのジオツアーに対して調査を行った。ジオツアーは2015年6月30日に行われ、これに参加した学生13名に調査に協力してもらった。<BR> ジオツアー参加者の景観評価を明らかにするために、本研究は参加者がツアー中に撮影した写真を分析するVEP(Visitor Employed Photography)という手法を用いた。参加者にGPS機能付きのデジタルカメラを貸与し、ツアー中に自由に写真を撮影してもらった。ジオツアーは2つのグループに分かれて行われ、それぞれのグループにガイドが1人ずつ付いて学生を案内した。2名のガイドが行ったインタープリテーションの内容をICレコーダーで記録し、インタープリテーションと景観評価の関係性について考察した。ジオツアー終了後には、参加者に撮影した1枚1枚の写真の撮影対象などを問うアンケートを行った。このアンケートでは、撮影対象のほかに、それぞれの参加者が気に入った写真5枚を選んでもらい、これらについても分析の対象とした。<BR><B>3. ジオツアー参加者の景観評価</B><BR> VEPを用いた調査を行った結果、一方のグループ(参加者7名)からは694枚の写真が、もう一方のグループ(参加者6名)からは581枚の写真が得られた。両グループともに地形景観や地質資源の写真がよく撮影されており、これらの写真の撮影地点に対してカーネル密度推定を行った結果、写真撮影が集中して行われた場所はすべてガイドによるインタープリテーションが行われた場所であった。ただし、その集中がみられた位置はグループごとに多少の違いがみられた。<BR> 次に、ツアー参加者が選好した写真についての分析を行った。参加者によって撮影されたすべての写真の撮影対象と比較して、参加者が選好した写真は人間を撮影したものの割合が大きかった。以上の結果から、ツアー参加者はあくまで記録として地形や地質に関する写真を撮影するが、記憶に残りやすいのは友人との楽しい時間の思い出であると考えられる。ツアー参加者に楽しかった記憶や満足した記憶が残れば、その地を再度来訪したり、他人に来訪を薦めたりする可能性は高くなる。<BR> 起伏に富んだ地形や非日常的な自然景観を利用して、人物のユニークな写真を撮影できるのがジオパークの特徴であり、ジオパークのガイドはツアー参加者にこれらの地質的・地形的資源を「観察」させるだけでなく、「体感」させるようなインタープリテーションを行うことが重要であるといえる。菊地・有馬(2011)はジオツーリズムの役割として、「広く一般に地形・地質や地球科学の知見が楽しく有意なものだと認識してもらうことがより重要である」と述べている。本研究の結果も、ジオパークにおけるインタープリテーションはただジオサイトに関する情報を提供するだけではなく、楽しさを同時に伝えることが必要なことを示唆していた。
著者
千葉 晃
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>2011年3月11日の東日本大震災当日・避難時に、どこで降雪があったのかを、動画投稿サイトYouTubeの動画と生徒の作文集を用いて特定した。本研究は、先行災害の復旧途中で別の災害が加わる複合災害を意識し、今後の減災への情報提供としたい。津波襲来時に最も激しく雪が降っていたのは、宮城県東松島市である。YouTube上に投稿されている「震災を忘れない」の番組配信動画からである。そのなかで宮城県多賀城市では河川への津波遡上時に、うっすらと積雪があることを確認した。宮城県石巻市では、日和山公園において住民の避難時に降雪がみられた動画が存在する。宮城県仙台市宮城野区南蒲生浄化センター、夢メッセみやぎでも降雪が確認できた。特筆すべきは仙台沖15海里の海上で大粒の雪が降っている動画もあった。前述の「つなみ」作文集でそれを補った。一例として宮城県気仙沼市立大谷(おおや)小学校3年生(当時)、同名取市にある宮城県農業高校1年生(当時)の証言から、これら行政域内で降雪があったことが証明された。以上のように大震災当日に降雪が確認できた範囲は、連続的ではないものの最も北は宮城県気仙沼市、南は同県岩沼市まで直線距離で約110kmにわたっていた。</p>
著者
市川 聖
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>1.背景および研究の目的</p><p></p><p>平成30年の学習指導要領の改訂は、文部科学省によると人工知能の進展やIoT が広がったりするSociety5.0と呼ばれる新時代の到来がある一方で、選挙権年齢が引き下げられたとともに平成34年度からは成年年齢が18歳へと引き下げられることになる。その結果、高校生を取り巻く社会環境はより一層変化が大きくなると予想される。このような時代に対して学校教育には、生徒が様々な変化に積極的に向き合い、他者と協働して課題を解決してする技能が求められるといえよう。</p><p></p><p>ところで、高等学校の社会科科目は地理歴史科で世界史・日本史・地理のそれぞれで総合科目と探究科目とし、公民科で「公共」・「政治・経済」「倫理」へと改訂される。しかしながら従来は高等学校の社会科は平成6年に地理歴史科と公民科に再編されるまでは双方の教科指導を行っていた。このような社会科の歴史的変遷を検討するならば、教科横断的な学習の方法を検討することが必要だといえよう。教科横断的な学習指導要領等の理念を実現するために必要な方策として挙げられている。この実現のためには教育課程全体を通した取組を通じて、教科横断的な視点から教育活動の改善を行っていくことだとされている。例えば、地理歴史科と公民科ではグローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の有為な形成者に必要な公民としての資質・能力を育成すると目標に示されていることを十分踏まえた上で、必履修科目である「地理総合」及び「歴史総合」などの目標における各科目の趣旨に十分配慮するとともに、時間的・空間的な認識と時代や地域の変化や特色を背景に現代の社会を学ぶことができるよう工夫を行うことが横断的な学習の取り組みとして検討されている。</p><p></p><p>そこで本研究では、これらの社会的な背景から高等学校社会科科目における横断的な授業実践を検討し、生徒が主体的な課題解決が行えるような授業展開を行うことを目的としている。なお研究方法としての授業実践例は、地理歴史科では地理探求の岩手県花巻市の地域調査と公民科では倫理の「宮沢賢治の思想」を題材として検討した。その場合には、双方において学習指導案をもとにした授業実践の効果について検証し、今後の新たな学習指導要領を見据えた授業を考察することにしている。</p><p></p><p></p><p></p><p>2.各科目の位置づけ</p><p></p><p>(1)地理探求における「地域調査」</p><p></p><p> 地理探求における「地域」とは、地理的な課題を多面的・多角的に考察することが求められる。これに対して概念などを活用して多面的・多角的に考察したり、地理的な課題の解決に向けて構想したりする力や考察・構想したことを効果的に説明したり、それらを基に議論したりする力を養わなければならない。そのためには日本国民としての自覚、我が国の国土に対する愛情、世界の諸地域の多様な生活文化を尊重しようとする知識が必要とされている。</p><p></p><p>(2)公民科・倫理「宮沢賢治の思想」との関係性</p><p></p><p> 前述したように地理探求では日本国土の風土を理解する資質が求められる。これに対して宮沢賢治の思想を題材とした。宮沢賢治は大正時代の後期に活躍した岩手県出身の童話作家である。例えば、岩手県花巻市にある「イギリス海岸」は北上川西岸の河岸のことを さし、イギリスの白亜の海岸に似ていることから名づけられた。一方で宮沢賢治は奥羽山脈に属する岩手山や北上地域に関する作品を残している。これらを踏まえると、宮沢賢治の思想は公民科・倫理でありながらも地理教育的な要素が多いと考え横断的な教科学習に用いることができると考えた。また岩手県花巻市は寒冷で太平洋側気候であるとともに、北上盆地の影響で内陸性気候でもあるため、生徒が地域的な解釈を行うことにも意義があるとした。</p><p></p><p></p><p></p><p>3.まとめと今後の研究課題</p><p></p><p> 本研究では高等学校社会科科目における横断的な授業実践を検討した。その際に、高等学校の地理探求と倫理の横断的な学習を検討し、なおかつ岩手県花巻市の地域調査と宮沢賢治の思想を用いて生徒が主体的な課題解決が行えるような授業実践例とした。</p><p></p><p> 社会的な背景でもあるように、高等学校の生徒は大きな変革がある社会に学ぶことになっている。そこには社会的な変革に対応するとともに、大学入試制度の移行期にも対応しなければならない。本研究では実践の地域調査事例を生徒に考えさせるとともに大学入試にも対応した授業実践を考えた。また今後の研究課題としてはさらに学習指導要領の改訂に伴った実践的な地理科目の授業実践を検討しなければならない。</p>
著者
岡谷 隆基
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

国土地理院は、我が国の位置の基準を管理し位置を測れる環境を提供し、日本の国土全体の地図を整備しさまざまな形態で提供し、災害情報をより早くわかりやすく提供すること、すなわち国土を「測る」「描く」「守る」ことを任務としている。中でも「描く」の取組により提供されてきた地形図は過去1世紀近くにわたり、地理教育の各場面において課題考察などのためのツールとして教科書等で広く扱われてきた。他方、平成28・29年度に順次告示された次期学習指導要領を受けた中学校社会科及び高等学校地理歴史科の学習指導要領解説では、従前の地形図や主題図に加え「地理院地図」についてその活用の意義が明記されるなど、地理教育における地理院地図への期待は大きい。次期学習指導要領において高等学校で地理が新たに必履修化され、新科目「地理総合」が平成34年度から開始するが、その中では課題解決に地図やGISを活用することとしている。しかしながら、中学校社会科及び高等学校地理歴史科の教員の大半が地理専攻出身者ではないことから、いきなり高度なGISソフトウェアを扱うことは困難であり、地理院地図がGIS学習の入り口の役目も果たすものと考える。こうした状況を踏まえ、当日は高等学校における地理必履修化を見据えた地理院地図の活用法について報告する。