著者
櫛引 素夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p><b>1.</b><b>はじめに</b></p><p></p><p> 郊外に立地する整備新幹線の駅は、アクセス面や都市計画上の課題を抱える例が少なくない(あおもり新幹線研究連絡会・2020、櫛引・2020)。このような状況を克服し、新幹線駅を新たな協働の拠り所とする営みを目指して、発表者は2019年度、東北新幹線・新青森駅と周辺を対象にニュースレター「はっしん! 新青森」を創刊、10カ月に10回発行した。経過は2019年の日本地理学会・秋季学術大会で報告した。事業は2020年度も継続したが、コロナ禍が世界と国内を覆うに伴い、年度初めから事業の中断や活動の変更を余儀なくされた。本研究では、地元のネットワークづくりに及んだ影響と、その克服へ向けた取り組み、およびこれらの過程に対する考察について報告する。</p><p></p><p><b>2.2019年度から2020年度への経緯</b></p><p></p><p> 2019年の秋から冬、ニュースレター発行は順調に推移した。2020年12月に東北新幹線全線開通・新青森開業10周年を控え、節目を祝いながら開業以来の足跡と地域課題を見直す機運が生まれる一方、多様な市民がイベントに参加し始めていた。</p><p></p><p> 2019年11月には、地域連携DMO法人・信州いいやま観光局から講師を招き、青森西高校で「おもてなしフォーラム」を開催。青森西高校生や青森大学生、新青森駅長はじめJR東日本社員、青森県や国土交通省青森運輸支局の職員、住民など約70人が参加した。</p><p></p><p> しかし、2020年2月には外国人観光客が減り始め、青森西高校の生徒たちが「おもてなし活動」の舞台としてきたクルーズ船の寄港中止が報じられるようになった。2月下旬から3月にかけて、ニュースレターに毎回、記事を掲載してきた三内丸山遺跡センターや青森県立美術館のイベントが中止になり、印刷が終わった紙面の修正と再印刷を余儀なくされたりもした。</p><p></p><p> 3月下旬には県内初の感染者が確認され、ニュースレター配布に協力を得ていた施設が相次いで閉鎖されたため、完成していた4月号の配布を断念せざるを得なくなった。続く5月号は当初から制作を諦めた。</p><p></p><p> 既報の通り、北陸新幹線の上越妙高駅(新潟県上越市)周辺でも、姉妹紙となるニュースレターの刊行構想が生まれ、現地セミナーや試作を経て刊行を目指していたが、コロナ禍が一因となり実現していない。</p><p></p><p><b>3.</b><b>発信の継続と活動の再起動</b></p><p></p><p> ニュースレターはFacebookとInstagramで関連アカウントを運用してきた。また、青森西高校生は「おもてなし活動」の機会がなくなったことから、ねぶた衣装を二次利用したマスクや感染拡大防止を呼びかけるポスターを制作していた。そこで、紙面作りは諦めたものの、これらの活動をネットの独自コンテンツとして、主にFacebookで報じ続けた。この間、記事の閲覧回数が前年の1.5〜2倍に増加する現象もみられた。</p><p></p><p> やがて、緊急事態宣言が解除されたことから、青森西高校と新青森駅のコラボによる「開業10周年カウントダウン企画」がスタート、活動が徐々に再起動した。並行して、ニュースレターを6月に復活させた。</p><p></p><p><b>4.</b><b>考察と展望</b></p><p></p><p> 地元では「ウィズ・コロナ」時代に向けた模索が始まっている。例えば、青森県立美術館の「コレクション展2020-2:この世界と私のあいだ」は「ソーシャル・ディスタンシング」が意識され、「物事の境界・空間」「これからの距離」をキーワードに構成されたという。さらに、インターネット上でギャラリートークを公開するなど、豊富なコレクションを今までとは異なる形で「社会にひらいていく」ことを志向しているという。</p><p></p><p> 社会全般において あらためて「ウィズ・コロナ」におけるDX(デジタル・トランフォーメーション)の必要性が浮上している。上記の取り組みは、その一例と言えよう、とはいえ、人間社会のさまざまな動きや連携は、やはり「ネット」「デジタル」だけでは完結させようがない。空間的にも、社会的にも、さまざまな関係性を再構築していく上で、リアルとネットをつなぎ直す「起点」やアイテムが不可欠であろう。一方では、新たな観光や旅行、移動の在り方を根本的につくり直す営みが不可避である。</p><p></p><p> これらの状況を俯瞰すれば、新幹線駅やその周辺を対象とするニュースレターは、広域的なネットワークと地域、そしてリアルとネットを結ぶ「二重の結節点」として、今まで以上の価値を持ち得ると考えられる。</p><p></p><p><b>◇</b><b>参考文献:</b>あおもり新幹線研究連絡会(2019)「九州、北陸新幹線沿線の変化の検証に基づく、北海道新幹線の経済的、社会的活用法への提言」(青森学術文化振興財団・2018年度助成事業報告書)、▽櫛引素夫(2020)「新幹線は地域をどう変えるのか」(古今書院)▽櫛引素夫(2019)「郊外の『ポツンと新幹線駅』、集客をどう図るか」(東洋経済オンライン記事、2019年10月19日)</p>
著者
中條 曉仁
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.21, 2004

1.はじめに 現代の山村では高齢社会化が急速に進展し,高齢者を地域社会の中心的な担い手として位置づけざるを得ない状況が出現している。山村における高齢者の主な社会的役割として,地域農業をめぐる生産活動や地域コミュニティの運営が指摘できる。このうち農業をめぐる生産活動は,高齢者自身の日常生活に加え地域生活をも成り立たせてきた。それは地域社会関係の基軸をなしてきたものであり,社会生活と一体化した状態が保たれている。高齢者の生活における農業の占めるウエイトはきわめて大きいと考えられる。 本報告では,高齢者による生産活動を,山村という日常生活にさまざまな制約や条件を付与する居住環境での生活維持を目標とした行動ととらえる。これは,高齢者が生活実現を図るために展開する主体的行為として位置づけられ,「生活戦略」として把握される。分析では生活戦略を編成する「資源」が創出されるしくみ,特に高齢者が生活戦略の資源となる生産活動に従事し続けられるメカニズムに注目する。対象地域は高齢化の著しい四国山地にあって,高齢者による農業生産や農産加工といった生産活動が展開されている高知県吾北地域である。2.家族農業経営における高齢者の役割 吾北地域には県内屈指の茶業地域が形成されているが,茶業農家のうち個人の製茶工場を経営する自園自製農家の高齢者に注目する。自園自製農家は,生産労働や家事労働などが高齢者を含む家族労働力の分担によって展開されている。いずれの農家も若年層が農外就業に就いており,高齢者が経営主体となっている。ここでは,高齢者がこれまでに蓄積した知識が役立てられている。特にマニュアル化しきれない部分,例えば防除における病虫害発生の予測や最適散布頻度の決定,製茶における製茶機械の微調整などでの役割がある。しかし,加齢に伴う高齢者の身体的変化は,高齢期以前から創出されてきた生活戦略を予期せぬタイミングで予期せぬ形で崩壊させてしまうという危険性を内包している。特に,後継者のいない農家では経営の存続や経営内容の縮小を迫られているが,これらの対応は高齢者による適応の所産としてとらえることができる。3.女性高齢者による生産活動グループの形成 対象地域では,女性高齢者を中心とした農家女性が集落を母体とするグループを形成し,農産加工活動や対外的な販売活動に従事している。ここでは,経済的充足に加え空洞化しがちな地域社会関係を充足するという意義が見出せる。こうした女性起業が可能になる背景として,女性の行動と世帯や集落との間で生じる緊張関係が調整され,解消されていることが指摘される。世帯との緊張関係は夫や子どもなど家族員との間で生じるが,女性が自分に課せられた義務(家事など)を果たすことや,家族員の役割構造を変化させて協力関係を構築することによって,特に夫とのコンフリクトを回避している。また集落との緊張関係は,男性優位の集落社会にあって集落組織に女性グループを組み込ませてムラの承認を得ていることや,公的機関(農業改良普及所や行政)による支援や補助金の導入を背景としながら調整されている。さらに,これまで「個人の財布」を持たなかった女性が自分名義の通帳を持つようになったことや,高齢化によって男性のみでは集落運営が難しくなり女性の役割が必要になってきたことも女性起業の背景として重要である。4.まとめ 山村における高齢者は,生産活動に従事することによって資源を創出し,生活戦略を形成しているといえる。そして,その生活戦略に基づいて高齢者は山村での生活を維持している。従来の地理学において高齢者は地域の周辺的な存在として等閑視されてきたが,高齢者の地理学ではそのような視点を修正することが可能である。日本では中山間地域を中心に高齢社会地域が出現している。今後は,高齢者を地域の主体とする視点からの検討が求められる。
著者
白井 郁子 武田 祐子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.258, 2010

本研究では、横浜市港北区に2008年3月に開店した複合型商業施設「TRESSA横浜」の顧客カードの情報をもとにGISを利用した詳細な商圏分析を行い、顧客の空間分布の実態を明らかにした結果を報告する。<br><br>TRESSA横浜は、オートモール&ショッピングエリアというタイプの車の販売を含む複合型商業施設である。東急東横線の日吉駅・綱島駅・大倉山駅・菊名駅、JR鶴見駅・新横浜駅の各駅からバスで20分程度の場所に位置しており、車での利用が多い。トヨタの物流拠点整備工場の跡地に開発され、その敷地面積は7万m<sup>2</sup>,テナント220店舗、収容可能駐車数2700台である。<br><br>TRESSA社の独自システムで管理されている顧客データベースの一部の変数を抽出したデータを利用した。このデータには、会員番号、自宅の郵便番号、性別、買上回数、買上金額、DM発行数が含まれており、サンプル数は11万4千件である。また記録された期間は、TRESSAが開店した2008年4月以降2009年9月までである。<BR><BR>顧客カードの郵便番号を住所変換し、CSISアドレスマッチングサービスを利用して経緯度座標を付与することで、顧客の郵便番号区ごとの分布図を作成した。さらに、TRESSAからの距離帯ごと、郵便番号区ごとに会員数、買上回数、買上金額を集計し、顧客の空間分布、売上実績の実態を明らかにした。また、国勢調査の小地域統計より、顧客分布と人口分布との関係を検討した。<BR><BR>顧客カードを利用したGISによる商圏分析の結果は、以下に要約される。1)顧客の分布は、TRESSAから3km圏で全顧客の約50%、5km圏で全顧客のおよそ70%を占めていた。このゾーンは、TRESSAが戦略とする10km圏よりも相当狭いエリアである。また買上金額では、2km圏に全体の50%、4km圏までで全体の80%にのぼる。2)4km圏外であっても、TRESSAより南西に位置する港北区南部と神奈川区西部にかけての地域、およびTRESSA北部にあたる川崎市中原区の会員比率が高い。3)DM発行は、その70%が4キロ圏内で行われているが会員比率の多寡は考慮されていない。4)人口密度と会員比率の多寡には、相関はみられない。以上より、大型商業施設であるTRESSAの商圏は、その規模に相応しない地元完結型と見なされる。
著者
諸星 幸子 小寺 浩二 浅見 和希
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<b>Ⅰ はじめに</b><br>&nbsp;&nbsp; 北海道の中心にほど近い十勝岳は、上川管内の美瑛町・上富良野町、十勝管内の新得町にまたがる標高2,077mの活火山である。十勝岳では、1857年安政噴火、1887年明治噴火、1926年大正噴火、1962年噴火、1988~89年噴火と30年弱~40年弱の間隔で周期的な噴火が起きており、現在(2016年)は、直近の噴火より26年目となっている。水蒸気噴火がこれから起こる可能性が非常に高い活火山であると判断し、調査を行う事とした。当研究室では、噴火後の複数の地域で水環境変化の調査を行っているが、今後噴火の可能性のある地域として選定したものである。<br> <br><b>Ⅱ 研究方法</b><br>&nbsp;&nbsp;&nbsp;調査は2016 年11 月11~16 日で実施し、現地調査項目はAT,WT,pH,RpH,EC 等である。採水したサンプルは、研究室にてTOC, 主要溶存成分の分析を行った。主要溶存成分の分析結果、特にリチウム濃度について、その他成分との相関などを調べる。また、モリブデン青比色法によってSiO2の測定を行い、溶存成分との関係も解析した。<br> <br><b>Ⅲ 結果と考察</b><br><b>1.EC、WT、pH、RpH、溶存成分について</b><br>&nbsp;&nbsp; 十勝岳周辺の水質は、pHが低くECが高い傾向である。また水温も高く、温泉の影響が考えられる。pHとR-pHの差が大きい地点も温泉がほとんどである。北西の十勝岳周辺の低pH、高EC、高WT は温泉の影響が出ていると考えられる。十勝岳温泉、吹上温泉、吹上露天の湯、白金温泉、フラヌイ温泉などがあるが、泉質はそれぞれ異なっている。<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;トリリニアダイヤグラムやシュティフダイヤグラムの分析によると、地域による水質のバラツキが大きく、主に地質の影響と考えられる。<br> <br><b>2.Li 濃度、Li/Cl 比について</b><br>&nbsp;&nbsp; Li濃度は、温泉地ではかなり高い値となっている(図1)。Li/Cl比についてもスラブ地殻深部流体の影響があると考えられる(風早ほか、2014)0.001 を超えている地点がかなり多くある(図2)。十勝岳周辺にも集中しているが、十勝川流域の十勝平野でも多くの地点で検出された。これについては、原因を探る必要がある。<br>&nbsp;&nbsp; 最高値はフラヌイ温泉で0.00522、次いで爪幕橋(然別川)で、0.00300、次が清水大橋(十勝川)で0.00277である。<br><br> <b>Ⅳ おわりに</b><br>&nbsp;&nbsp; 十勝岳周辺の水質分析の結果、Li濃度及びLi/Cl比の高い地点が、温泉地と周辺河川にみられた。十勝岳自体の活動は、現在小康状態であるが、これは地殻深部流体の影響と考えられる。こうした調査を継続的に行うことで、火山噴火と地殻深部流体の影響が明らかになる可能性がある。<br> <br><b>参 考 文 献</b><br>&nbsp;&nbsp; 風早康平, 高橋正明, 安原正也, 西尾嘉朗, 稲村明彦, 森川徳敏, 佐藤努, 高橋浩, 北岡豪一, 大沢信二, 尾山洋一, 大和田道子, 塚本斉, 堀口桂香, 戸崎裕貴, 切田司(2014):西南日本におけるスラブ起源深部流体の分布と特徴. 日本水文科学会誌44(1). pp.3-16.
著者
寺澤 元一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.224, 2009

1.「日本海」は、国際的に確立した唯一の呼称であり、外務省が行った世界各国の古地図調査でも明らか。(1)日本海の呼称が初めて使われたのは、17世紀初めのイタリア人宣教師マテオ・リッチによって作成された「坤輿万国全図」であり、日本海の呼称は19世紀初頭までに欧米人によって確立されたと考えられている。(2)非常に信憑性が低い韓国側の古地図調査 (イ)日本の調査の方が韓国の調査より網羅的 (ロ)「東洋海」などの呼称を「東海」の呼称と同一視2.国連や米国を始めとする主要国政府も日本海呼称を正式に使用している。(1)国連は2004年3月、日本海が標準的な地名であることを認め、国連公式文書では標準的な地名として使用されなければならないとの方針を公式に確認。(2)米国や英国、フランス、ドイツ、中国等の各主要国政府も、日本海の呼称を使用。3.近年になって突然、日本海の単一呼称にごく一部の国から異議が唱えられ始めたが、この主張に根拠はなく、我が国は断固反論している。(1)韓国等が日本海の名称に異議を唱え始めたのは、1992年の第6回国連地名標準化会議が最初。それまでは、日本海の名称に異議が唱えられたことはなかったが、突然、韓国等は日本海の表記を「東海(East Sea)」との呼称に変更するか、あるいは日本海と「東海」を併記すべきと主張。(2)韓国の主張に対する反論 (イ)韓国側主張「日本海の名称は日本の拡張主義や植民地支配の結果広められてきた。」 →19世紀初頭、日本海の呼称が他を圧倒して使われるようになったこの時期の日本は、いまだ江戸時代で鎖国政策をとっており、日本が、日本海の名称確立に何らかの影響力を行使したということはない。(ロ)韓国側の主張「日本海と『東海』の併記を勧告する国連及びIHOの決議がある。」 →国連地名標準化会議決議_III_/20及びIHO技術決議A.4.2.6には、「日本海と『東海』との併記を勧告」との記載はいっさいなく、そもそも両決議は、湾や海峡など2つ以上の国の主権下にある地形を想定したものであり、日本海のような公海には適用はない。(3)韓国国内の名称にすぎない「東海」を国際的な標準名称にしようとする動きは、国際的な海上交通の安全面にも影響を及ぼしかねない混乱を生じさせるため、認めることはできない。また、日本海は国際的に確立した唯一の呼称であり、何ら争う余地はない。4.最近では、韓国政府も自らの主張の一部を撤回したと評価できる調査結果を発表。 韓国政府が少なくとも、日本海の名称が「日本の拡張主義や植民地政策」によるものとの主張が誤りであり、それ以前から広まっていたことを認めたものと評価。5.我が国政府は、日本海呼称をめぐる議論は、あくまでも実証主義に基づき、学術的かつ冷静に対応すべきである。
著者
浦部 浩之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

【本報告の視点】 31万6000人もの死者を出した2010年1月12日のハイチ大地震から3年が経過した。この間に国際社会から注ぎ込まれた援助は一国に対する災害復興支援としては史上最大の90億ドル(約束額)にのぼる。しかしながら30万以上もの人が今なお仮設住宅にすら移れずテント生活を強いられており、復興の道筋はいまだ見えない。そればかりか、ハイチにはなかったはずのコレラの感染が震災10ヵ月後に突如始まり、2012年末までに死者は約8000人、感染者は国民の16人に1人に当たる64万人近くに達している。なぜハイチの状況はこれほどまで深刻なのか。 本報告では、報告者が2010年11月にJPFからの委嘱で被災者支援事業モニタリング・中間評価のために現地に派遣された際の調査、および2012年1月にハイチ・ドミニカ共和国国境で行った調査もふまえつつ、ハイチが自然災害に対して脆弱であることの政治・経済・社会にわたる構造的要因を、やや長期的視点に立って考察したい。【失敗国家ハイチの現状と繰り返される災害】 ハイチは1人当たりGDPが656ドル(2009年)にすぎず、国民の54.9%が1日1.25ドル以下(2000-08年)で暮らす西半球の最貧国である。汚職が蔓延り(2009年の腐敗認識指数は180ヵ国中168位)、統治の正統性も低い(2008年の民主主義指数は149ヵ国中110位)。2010年地震による被災が甚大化したことの背景には、ハイチがいわゆる「失敗国家」の状態にあり、災害に対する備えや災害発生後の対処能力を著しく欠いていたことがある。 それゆえハイチは、同じイスパニョーラ島で隣り合うドミニカ共和国、あるいはその他の島嶼国と比較しても、高い頻度で自然災害を被ってきた。たとえば2004年に島を襲ったハリケーン・ジーンによる被害はドミニカ共和国でも記録的なものであったが(死者23人、被災者2万2000人)、ハイチでは死者1870人、行方不明者870人、被災者約30万人にまで膨らんだ。【農業生産システムの破綻と食糧問題】 ハイチは貧困のために森林破壊が極端に進み、森林被覆率は3.8%しかない(2005年)。2004年ハリケーン災害が深刻化したのも、山麓の町が水位3mもの洪水に襲われたことにあった。 ハイチとドミニカ共和国の差異は、主食である米の生産と輸入の推移にも端的に表れている。ドミニカ共和国では過去45年間、人口増にともなう米の需要増を国内生産で賄い、2007年の米の自給率は96.9%に達している。ところがハイチでは農村の貧困と環境破壊による生産性の低下のために米の生産高は横ばいで、2007年には米の自給率は22.0%にまで下がった。 これにはいわゆるワシントン・コンセンサス後に推し進められた経済自由化も大いに関係している。つまり、1990年に史上初の民主的選挙で選出されながらクーデタで大統領職を追われたアリスティドは、米軍を中心とする多国籍軍の支援で政権復帰を果たした後の1995年、経済援助と引き換えに、米の関税率を35%から3%に引き下げることを受け入れた。これにより国内農業の衰退と食糧の輸入増がいっそう拡大することになった。ハイチの食糧需給は国際市況に大きく左右されるようになり、2008年4月には一次産品価格の世界的急騰がハイチ国内で群衆の暴動に発展し、内閣が退陣に追い込まれる事態にまでなった。【複雑な援助の方程式】 震災後、ハイチのプレバル大統領(当時)はWFPと米国政府に対し、国内農業への打撃を理由に食糧支援の停止を求めた。しかし食糧の不足に不満を募らせるハイチ市民が多いのも事実であり、プレバルの提起を否定する論調も強い。先進国の援助関係者はハイチ政府の腐敗を懸念し、しばしば政府を迂回して市民に直接、援助を届けてきた。しかし、支援団体が根こそぎハイチの優秀な人材を雇い入れるため、それがハイチの公的部門をますます弱体化させてきたとの矛盾もある。復興に向けた活動へのハイチの人々の関与が少ないことへの批判が国内外で根強い一方で、内政対立で数ヵ月にわたり組閣ができない事態が続くなど、ハイチ政府の統治も覚束ない。復興をめぐるさまざまな議論や批判が渦巻く中で、ハイチは国家の再建、防災の強化、農業の振興、食糧の安定供給、貧困の緩和、統治の強化など、複合的な課題に取り組んでいかなければならない。
著者
土'谷 敏治
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.152, 2003

1.はじめに 現在,日本の公共交通は大きな転換期に立っているといえる.自動車交通への依存度がさらに高まる中で,規制緩和と国による助成の削減が実施され,とりわけ大都市圏以外の地域では,各事業者の経営判断と地方自治体による政策的決断の必要性が増している. このような事態は,自らのインフラストラクチャーを維持・管理しなければならない地方鉄道事業者にとって,より深刻である.地方鉄道事業者の経営環境が,極めて深刻な状況におかれていることは周知の事実であるが,旧国鉄の地方交通線問題が一応の終結をみて以来,鉄道の存廃問題はしばらく沈静化していた.しかし,上記のような動きの中で再びその存廃問題が論議され,実際に廃止される鉄道路線がみられるようになった.このことは,従来の独立採算制の枠組みの中では,既に経営の限界に達している事業者が現れていることを示している.他方,いずれの鉄道路線にも,日常生活を営む上でその路線を必要とする利用者が存在する.今後は経営補助の視点ではなく,都市計画や地域の交通政策の中で,鉄道をはじめとする公共交通機関を位置づけていかなくてはならない段階にきているといえよう. ところで,鉄道路線の存廃を論議するにしても,また助成制度や交通政策を検討するにしても,まずその鉄道路線のおかれている現状や利用状況の把握が不可欠である.そのうち経営側の視点に立った分析は,当該事業者の経営上の資料から可能であるが,利用者側の分析は利用者や沿線居住者に対する新たな調査が必要であり,一部の鉄道路線を除いて十分な資料が入手困難な状況にある.今回,千葉県銚子市の銚子電鉄について,利用者に対する調査の機会を得た.本研究では経営側の資料とあわせて,この調査結果をもとに銚子電鉄利用者の特徴やその利用状況についての分析を行い,銚子電鉄が抱える課題や展望について検討を加える.2.銚子電鉄の旅客輸送パターン 銚子電鉄は,営業キロ6.4km,地方鉄道の中でもとりわけ小規模な鉄道である.その路線は,銚子市の中心部に位置しJR線との接続駅でもある銚子を起点に,市域の南東端に位置する外川を結んでいる. したがって,旅客輸送パターンは,銚子とその他の各駅間の輸送が中心であり,定期外の輸送ではとくに銚子・犬吠間の観光客の輸送が顕著である.このような輸送パターン以外では,沿線に立地する高等学校や小学校への通学輸送や,旧市街への買い物・用務客の輸送が注目される.時間帯別にみると,もちろん通勤・通学時間帯に輸送量が集中するが,とりわけ午前の通学時間帯における,上記の学校最寄り駅付近での集中が顕著である. しかし,このような旅客輸送の営業収入は営業経費を下回って欠損を生じている.他方,旅客輸送以外のいわゆる副業による収入は旅客収入を大きく上回り,それによって旅客収入の欠損を埋め合わせている情況にある.3.利用者特性 銚子電鉄利用者の特性を明らかにするため,乗客の性別・年齢などの属性や,利用目的・利用頻度・乗降駅・他の交通機関との乗り継ぎなどの利用状況についてのアンケート調査を実施した.その結果,調査時1日の銚子電鉄利用者総数の1/4強と考えられる回答を得た. 回答者の約3/4は銚子市在住者であったが,その半数以上が通勤・通学を利用目的として挙げている.その数は,利用頻度が週4日以上の回答者数とほぼ一致し,両者の対応関係は明らかである.しかし,定期乗車券利用者数はこれよりも少なく,通勤・通学利用者の定期乗車券購入率低下を裏付けている.通勤,通学に次いで,買い物や遊びに出かける際の利用が多いが,これら利用目的でも週単位の利用者が多く,全体として銚子電鉄利用者の利用頻度は高いといえる.このことは利用者の銚子電鉄に対する評価にも表れ,好意的な評価や存続を望む意見が多い.また,パークアンドライドに代表される自家用車や自転車との連携は不十分であるが,銚子駅におけるJR線との乗り継ぎ需要はかなり存在すると考えられ,両者の連携強化が求められる. 銚子市以外の在住者では,そのほとんどが観光目的の利用で,11月の調査時期から考えても,銚子電鉄に対する観光需要は大きいと判断される.また,観光客の多くに,銚子電鉄自体を観光対象の1つとして評価する傾向が見らる.これらの観光客は,主としてJR線を経由して訪れており,観光面でもJR線との連携が望まれる.
著者
森脇 広 永迫 俊郎 鈴木 毅彦 寺山 怜 松風 潤 小田 龍平
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p><b> </b></p><p><b>はじめに:</b>南九州・南西諸島の古環境と文化の諸要素の高精度編年を進めている.今回は南西諸島の喜界島のテフラと古砂丘を取り上げる.喜界島は全島がサンゴ礁段丘からなる.段丘は多くの年代測定が行われ,最終間氷期MIS 5eの段丘面が標高200mに達し,日本では隆起量が最も大きいことで知られる.このため,最終氷期の亜間氷期MIS 3の段丘面群(上位からD面,E面,F面:太田・大村,2000)が高度90m~15mで,現在の陸上に広く出現している.</p><p></p><p><b> </b>砂丘は喜界島南西部のMIS 3の段丘地帯を広く覆う.それらは,現在の海岸近くにある完新世の砂丘,内陸のMIS 3面上に分布する更新世の水天宮古砂丘(角田,1997)からなる.その地形や堆積物,形成時期について,古くから関心が持たれてきた(三位・木越,1966;武永,1968;成瀬・井上,1987など).</p><p></p><p> 最近,水天宮砂丘地帯において,広範囲の耕地整理工事がなされ,砂丘の地形と堆積物の全体的な様相が明らかとなってきた.この報告では,水天宮古砂丘の分布と堆積物の構造,テフラの同定・編年,及び<sup>14</sup>C年代資料に基づく古砂丘の編年と形成を検討する.</p><p></p><p> <b>テフラ</b>:喜界島のテフラについては,同定や層序,年代などまだよくわかっていない.今回の調査で,9枚のテフラを見いだした.このうち2枚は,バブルウォール型の火山ガラスを豊富に含むガラス質火山灰で,上位はK-Ah, 下位はATに同定される.他の7枚は斑晶や微細軽石に富む淡褐色火山灰で,ここでは,上位からKj-1〜Kj-7と名づける.鉱物は斜方輝石,単斜輝石,角閃石,磁鉄鉱,チタン鉄鉱,長石,石英で,スコリアを含むものもある.全体として特徴的に高温石英を含む.それらの鉱物の含有の有無・度合い,層相・層位などからそれぞれのテフラの識別が可能で,南西諸島の島々やトカラ列島の諸火山でこれまで知られているテフラに一部対比可能なものもみられる.ATはKj-6とKj-7の間にある.K-AhとKjテフラ群との層位関係は同一露頭断面で直接確認できないが,土壌の厚さなどから,K-AhはKjテフラ群より上位にあるものと推定される.</p><p></p><p><b> 砂丘の地形と堆積物:</b>これまで水天宮古砂丘は,喜界島南西部の孤立した丘陵一帯を広く構成しているとされてきた.しかし今回の調査で,水天宮古砂丘とされる丘陵の南半部のほとんどは基盤のサンゴ石灰岩からなるD面,E面で,砂丘はこれらの段丘面を部分的に覆っているにすぎないことが明らかとなった.南半部では,段丘崖や崖上にリッジ状に分布しており,当時の海岸沿いに形成されていったことを示す.</p><p></p><p> 一方,北半部は最大20m以上に及ぶ厚い砂丘堆積物が全体を覆う.部分的には膠結砂丘砂からなっている.この中には少なくとも2枚の土壌が挟まれる.砂丘地形は南北に細長い谷を挟む砂丘列をなす.テフラと下記の<sup>14</sup>C年代は,谷と砂丘の形成期はほぼ同じであることを示す.したがって,谷は砂丘形成後の侵食によってできたものではなく,砂丘形成時の凹地として形成されたもので,水天宮北側の砂丘列は縦列砂丘として形成されたと解釈される.いくつかの地点での堆積物の層理の走向も,この砂丘列の方向と調和し,北方の海岸からの砂の運搬・供給を示す.この水天宮古砂丘はMIS 3段丘群最下位のF面の北端まで続き,この付近の海浜からの砂の供給によって形成されたことを示す.</p><p></p><p> <b>砂丘の編年と形成</b>:古砂丘堆積物を覆う土壌中に認められる上記テフラのうち,もっとも古いのはATである. Kj-7は現在のところ認められない.北半部の厚い砂丘堆積物上部から得られた陸生貝化石の<sup>14</sup>C年代は33,000〜34,000 cal BPを示し,テフラ編年と整合する.ATの層位とこの年代からみて,水天宮古砂丘の主要部をなす北半部の古砂丘は,MIS 3後期の3.5万年前前後に形成されたものと考えられる.段丘面との関係,テフラ,<sup>14</sup>C年代を総合すると,水天宮古砂丘は,MIS 3前期は当時の海岸縁辺に小規模な砂丘が形成され,後期になると,北側の海岸からの砂の供給による大規模な砂丘形成があったと考えられる.</p>
著者
山下 清海
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<b>1</b><b>.はじめに</b><br> 世界各地に多数のチャイナタウンが形成され,特定のチャイナタウンの事例研究も多くなされている。しかし,グローバルな視点から,世界のチャイナタウンを比較研究し,それらの共通する特色や地域的特色を考察した研究は乏しい。<br> 1978年末以降の改革開放政策の実施後,海外へ移り住む中国人が急増し,彼らは中国では「新移民」と呼ばれる。新移民は,移住先のホスト社会への適応様式において,以前から海外に居住していた「老華僑」とは大きく異なる。本研究では,「老華僑」と比較するために,「新移民」のことを「新華僑」と呼ぶことにする。<br> 従来,アフリカ大陸は,南アフリカを除き,いわば華人空白地帯であった。しかし,中国政府のアフリカ重視政策に伴って,アフリカ大陸各地に,多数の新華僑が移り住んでいる。このようなアフリカ大陸における新華僑の実態については,マスメディアで注目されているが,アフリカの新華僑に関する研究はまだ少ない。そこで本研究では,アフリカの中でも,最大の華人人口を有する南アフリカの最大都市ヨハネスブルグにみられる新旧のチャイナタウンに着目し,ヨハネスブルグのチャイナタウンの地域的特色を明らかにすることを目的とする。2018年9月,3ヵ所のチャイナタウンにおいて,土地利用調査,聞き取り調査などを行った。<br><br><b>2</b><b>.オールドチャイナタウン~ファースト・チャイナタウン~</b><br> 世界のチャイナタウンは,おもに老華僑によって形成されたオールドチャイナタウンと,新華僑によって形成されたニューチャイナタウンに二分できる。CBDの近くに形成されたファースト・チャイナタウン(First Chinatown,中国語では第一唐人街または老唐人街と呼ばれる)が,ヨハネスブルグのオールドチャイナタウンである。<br> 1991年のアパルトヘイト関連諸法の撤廃後,CBDは衰退し,そこに大量の移民が集住し、治安が悪化した。これに伴い,ファースト・チャイナタウンは衰退し,新華僑もここに居住することはなかった。現在,ファースト・チャイナタウンには,杜省(トランスバール)中華会館(1903年創立)や杜省華僑聯衛会所(1909年創立),中国料理店(3軒),その他の華人経営の店舗(4軒)が残るのみである。<br><br><b>3</b><b>.ニューチャイナタウン~シリルディン・チャイナタウン~</b><br> 新華僑は,治安が悪いヨハネスブルグ中心部を避けて,東郊に多く居住した。なかでもCBDからから北東約6kmの郊外に位置するシリルディンに新華僑が集住し,郊外型ニューチャイナタウンが形成された。中国・南アフリカ両国の政治的関係の強化に伴い,シリルディン・チャイナタウンは,2005年,「ヨハネスブルグ・チャイナタウン」(約翰内斯堡唐人街)としてヨハネスブルグ市に登録された。2013年には,牌楼(中国式楼門)も建設された。<br> シリルディン・チャイナタウンのメインストリート,デリック・アヴェニュー(Derrick Ave.,西羅町大街)の両側には,筆者の調査で華人関係の店舗・団体が38軒認められた。このほか、店舗の2階、3階などに「住宿」と書かれたゲストハウスやマッサージ店なども見られる。シリルディン・チャイナタウンでは、「超市」(超級市場の略語)の看板を掲げたスーパーマーケットと中国料理店が中核をなしている。<br><br><b>4</b><b>.モール型チャイナタウン~チャイナモール~</b><br> 一般にチャイナモール(China mall,中国商場)と呼ばれる新華僑経営の店舗が集中するショッピングモールが,Crown Cityなどヨハネスブルグの市内各地に形成されている。これらチャイナモールは,新華僑の重要な経済活動の場であるとともに,居住・生活の場でもあり,モール型ニューチャイナタウンである。チャイナモールでは,中国から輸入した様々な商品を現地向けに販売する新華僑が経営する店舗が集まっており,防犯のため,高い塀で囲まれ,自動小銃を構えた警備員が警戒している。<br> ヨハネスブルグでは,上述したような3つの類型のチャイナタウンを確認することができた。オールドチャイナタウンの衰退やチャイナモールの厳重警備も,治安悪化というヨハネスブルグ特有の地域的特色を反映しているといえる。<br><br>〔付記〕本研究を進めるにあたり,平成29~33年度科学研究費基盤研究(B)(一般)「地域活性化におけるエスニック資源の活用の可能性に関する応用地理学的研究」(課題番号:17H02425,研究代表者:山下清海)の一部を使用した。<br><b>文献</b><br>山下清海(2016):『新・中華街―世界各地で<華人社会>は変貌する』講談社.<br>山下清海(2019):『世界のチャイナタウンの形成と変容』明石書店.
著者
楮原 京子 今泉 俊文
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.96, 2003

はじめに鳥取県の西部に位置する弓ヶ浜半島は,美保湾と中海を隔てるように,本土側から島根半島に向かって突き出した砂州であり,主として日野川から供給された砂礫層によって形成された.この砂州は大別して3列の浜堤列(中海側から内浜・中浜・外浜とよばれている)からなり,完新世の海面変化に伴って形成された.また,このうち,外浜は,中国山地で広く行われた「鉄穴流し」による土砂流出の影響を強く受けている(藤原,1972,貞方,1983,中村ほか,2000などの研究). 近年,日野川流域に建設された多数の砂防ダムや砂防堰堤によって流出土砂量が減少し,この砂州の基部にあたる皆生温泉付近では,海岸侵食が深刻化している.筆者らは,空中写真判読と現地調査,既存ボーリング資料,遺跡分布資料などから,弓ヶ浜半島の砂州の形成史と海岸線の変化を明らかにし,その上で,鉄穴流しのもたらした影響,現在深刻化する海岸侵食について2から3の考察を行った.主な結果1.内浜,中浜,外浜の分布形態から,内浜と外浜は,日野川からの土砂供給の多い時期に形成されと考えられる.これに対して,中浜は土砂供給の減少した時期に,内浜を侵食しながら,島根半島発達側へ拡大したと考えられる(図1).3つの浜堤列の形成年代を直接に示す資料は得られてないが,完新世の海面変化やボ[リング資料,浜堤上の遺跡の分布,鉄穴流しの最盛期等から考えると,内浜は6000から3000年前頃に,中浜は3000年から2000年前頃に,外浜は1000から100年前頃に,それぞれ形成された浜堤と推定される.2.各浜堤の面積・堆砂量(体積)を試算した.面積は地形分類図とGISソフトMapImfo7.0によって求めた.体積は半島を6地区に分割し,各地区の地質断面図から,各浜堤断面形を簡単な図形に置き換えて計測した断面積を浜堤毎に積算した.この場合,下限は海底地形が急変する水深9m(半島先端では-4m)までを浜堤堆積物と見なした.各浜堤の面積および堆積は図2に示す.3.各浜堤形成に要した時間を1.の結果とすると,各浜堤の平均堆積速度は,それぞれ内浜が1.56*105m3/年,中浜が0.58*105m3/年,外浜が1.61*105m3/年となる.外浜は,内浜の堆砂量の3分の1程度ではあるが,両者の速度には大差はない.つまり,鉄穴流しがもたらしたと考えられる地形変化は,完新世初期の土砂流出速度に匹敵する.これに対して,中浜の堆積速度は,内浜・外浜に比べると半分以下で明らかに遅い.4.日野川からの流出土砂の減少に伴って,弓ヶ浜半島基部では活発な侵食作用が始まる.中浜の面積を形成期間で除した値(0.14*105m2/年;浜堤の平均成長速度)より小さい区間では,侵食が卓越すると考えられる.現在の状況が中浜と同じとすると,侵食が著しい皆生海岸線(長さ3.5kmの区間)では,侵食速度は少なくとも平均約4m/年と見積もられる.この平均成長速度に基づいて,海岸線侵食速度を,弓ヶ浜海岸で行われた最近の土砂動態の実測値(日野川工事事務所,2002)と比較すると,例えば,皆生工区(3.32km区間)では,4.24m/年(実測値4.38m/年),工区全域(8.95km区間)では,1.57m/年(実測値2.65m/年)となり,ほぼ実測値と近似する.今回作成した地下断面は,主としてボーリング資料の記載内容と既存文献に基づくものであったので,今後は,試錐試料から,粒度分析,帯磁率,年代測定等を行い,確かなデータとしたい.
著者
森 正人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<br><br>1. 人間あらざるもののカリスマnonhuman charisma<br><br>生産、消費される「自然」は自明ではない。その自然を地理学として問うこととは一体どのように可能であり、意味があるのか。本発表は自然、種、セキュリティをめぐって考えることでこの問いに取り組む。<br><br> 西欧近代において自然は人間主体により手を加えられる受動的な客体と前提されてきた。この人間-自然の形而上学的に文法はポスト人間中心主義の身振りにより掘り崩される。人間あらざるものnonhumanの行為能力は人間の統べ治める近代世界、人新世anthropoceneにおいて「人間なるもの」を鋳直す。生物多様性の危機において象徴性を帯びる人間あらざるカリスマは、この世界の危機を告げ知らせる。<br><br> 日本におけるカリスマの中でも旗艦種flagship species (Lourimer 2007)としての佐渡島のトキを見てみよう。日本を象徴するとも言われるトキは1981年に野生絶滅したものの、1967年に開設されたトキ保護センターで現在も人工孵化、人工繁殖が続けられている。トキの野生絶滅は人間による乱獲に起因するものであり、その意味では人新世的なものである。しかし同時にトキの絶滅は日本的なるものの消滅を訴えかけもする。2011年、世界農業遺産への「トキと共生する佐渡の里山」の登録という出来事は、トキの国民主義化を引き立たせる一例である。空一面を覆う飛翔するトキの風景、佐渡のエコロジーにおいて人間と共生するトキは「日本的なるもの」を象徴するために、里山や棚田とアッセンブリッジされ、審美性を構成する。<br><br> トキに限らず、日本「固有」の種の絶滅に対する危機感は、生政治学と地政学を発動させる。「種」を同定し、その種の数滴把握とそれを生かすことの調整権力は、この調整される種を審美化する(フーコー2007)。したがって、審美的なもの、感性的なるものの分配をつまびらかにすることは、美しきものと生政治的なるものの関わりを暴き出すために重要となる。同時に種の場所と時間を同定し、そこからの移動も管理する力は地政学的である。この移動管理の地理は「生物多様性」という概念とそれに基づく制度によって推進されてきた。興味深いことは、専門家レベルの生物多様性の危機は人間の乱獲や開発によって引き起こされたものと認識されているのに対して、一般レベル(政治的領野)においては侵入外来種によって引き起こされていると想像されがちであることである。したがって、移動管理のセキュリティ強化が政治的アジェンダとして言説化されることになる。<br><br> この移動管理される種(固有種/外来種)は普遍的な区分でも与件でもない。外来種とは、境界づけられた空間と、それをまたぐ移動を前提する。しかし、種が移動する境界とは「自然」ではない。そもそも生物多様性が生物の多様性維持を目的とするのであれば、世界全体で種の個体数管理をする生政治学であるべきであり、国家レベルでの境界管理とは矛盾する。これらは生物多様性の維持、調整が国家によってなされるときの「翻訳」的矛盾である。<br><br> また種の固有/外来性は時間化の問題である。一体どれほど留まれば、どの世代まで遡れば種は固有になるのか。このことは種の問題ではない。振り返れば、保護されるトキは「中国産」である。しかしこの中国産トキの時間性と空間性は審美性によって覆い隠される。なぜなら、中国産のトキは遺伝的に同一であると同定されたからである。<br><br> こうした一連の問いかけは、人間も自然もともに「生き物」であることを確認させる。固有種も外来種もともに人間社会を構成する行為者であり、人間の伴侶種(ハラウェイ2013)であるはずだ。
著者
田畑 弾 山川 修治
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.211, 2011

はじめにKBSの大きな目的は、気象官署の観測網でとらえにくいAMeDASレベルの、気圧の急降下、メソ低気圧、前線内の気圧変動などのメソ擾乱に対して、気圧の行方を明瞭な形にすることである。たとえば、Kusunoki,et.al.,(2000)によって ドップラーレーダーで解析されている低層上空(850hPa程度)の低層上空に発生する安定層内における内部重力波や山岳波動の影響を、地上の観測で補完し、新たに地上での影響を考察することも可能となる。2010年4月より本格稼動したKBS(関東気圧システム解析プロジェクト)によって得られたデータのうち、2010年9月23日に前線内の気圧変動に関して顕著な事例が発生したため、今回はこの内容を報告する。データと方法気圧:KBS・気象官署の観測値→月平均をとりその偏差風向風速:AMeDASの10分値以上の関東地方の範囲で作成した図を解析の基本図とする。雨雲の動きは気象庁レーダーエコー図を参照。結果と考察09:00の総観場を見ると、秋雨前線(停滞前線)が関東地方の南岸にあり、銚子沖に低気圧が解析されている。雨雲レーダーを援用すると、この北側で台風の影響を受けた雨雲が発達している。 KBS各観測点の気圧データを挙げると、北関東では気圧の変動が強く、特に榛名山東麓では12:46~13:12の間に+1.9、小山では11:54→12:02で+2.1、直後12:10までに-2.9、さらに12:18までに+1.4という急変動が観測された。それに対して南関東では、長い時間での1.5以上の気圧の変動はあるものの、短い期間での急変動はあまり見られない。基本図とレーダーエコーの図を挙げると、基本的には前線内でNE5~10m/sの風が吹走しているが、前線南部と考えられる勝浦・鴨川付近はSW風となっている。10:30に宇都宮で+1.6と局地的に高い気圧を壬生と日光を巻き込む形で記録している。この領域は10:50までに東に移った。11:20に熊谷で+1.9を観測したときは、日光・宇都宮・壬生・小山・館林を巻き込んでいるが、この10分後には-1.4と-3.3hPa落ち込んだことになる。熊谷ではN→Eと風向が変化している。この後、栃木県内で局地的に高圧部が現れ、12:00では、高根沢で+1.9、小山では+1.4の値を示しているのに対して、宇都宮が+0.3、壬生が+0.1を出すといったコントラストがみられる。13:00には榛名山東麓で+1.3、前橋で+1.2、赤堀で+0.7、桐生で+0.8の高圧域を出し、この領域は14:00までに南に広がり、東に移動している。その後、栃木県内の各地点で-0.5を超す気圧の急下降域が観測された。KBSデータでの「波形」は、先述の通り北関東では周期的に気圧が変動し、南関東はその波が緩い。これを考察すると、雷雨高気圧・ダウンバースト的な下降流、周辺山地の影響による山岳波動が要因として考えられる。レーダーエコーの図を援用して考察すると、高圧域となっているところは基本的に雷雨高気圧によるものとみられる。さらに、09:00における館野の高層観測データを参照すれば、950~925hPaで安定層が認められ、前線面上の安定層が波動を伝えている可能性が考えられる。
著者
府和 正一郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p><b>はじめに</b></p><p></p><p>・研究目的 神社の野外寄進物には鳥居、狛犬、灯篭、社号標、旗竿などがある。これらには寄進者の名称、居住地、寄進年代などが刻まれている場合が多く、文化遺産である。災害で倒壊、破損した事例が多い。神社の野外寄進物の調査と記録が重要である。</p><p></p><p>本稿では口能登の県社であった羽咋神社と能登一宮であり旧国幣大社の気多神社、中能登町の石動山登山口の二宮にある延喜式内社とされる旧郷社天日陰比咩神社、石動山(564m)史跡にある延喜式内社で旧郷社伊須流岐比古神社を対象とする。奥能登では珠洲市の延喜式内社で旧県社の須須神社、輪島市の延喜式内社とされる旧県社重蔵神社を対象とした。以上、能登地方主要6神社について、野外寄進物の特色を明らかにすることを目的とする。</p><p></p><p>・研究方法 市町村史、神社史等による文献調査と現地調査による。現地調査は野外寄進物を社号標、鳥居、灯篭、狛犬、歌碑・句碑、その他に分け、寄進者の個人名・団体名、居住地、寄進年代等を記録する。2019年7月現在の調査結果を考察対象とする。</p><p></p><p></p><p></p><p><b>野外寄進物の性格</b></p><p></p><p>1 対象野外寄進物の神社別の総数が加賀地方に比べて能登地方は少ない。最多は重蔵神社の56個、次いで須須神社の34個である。最少は伊須流岐比古神社の5個である。加賀地方では白山比咩神社の76個、大野湊神社の76個、菅生石部神社45個である。</p><p></p><p>2 種別では能登地方主要6神社合計、灯篭が44.9%で最多である。次いで狛犬19.4%、鳥居14.6%、社号標8.5%の順である。 3 材質では、石造が81.6%を占める。金属造が11.5%あり、鉄は灯篭の竿部分に使われ、アルミは旗竿に使われ、青銅は神馬像に使われている。木造7.3%は鳥居である。石質は花崗岩が46.1%と多い。凝灰岩は10.3%である。</p><p></p><p>4 分布については、神社境内入り口には鳥居、灯篭、社号標がある。参道の両側には灯篭が配置される。拝殿前には狛犬、灯篭等がある。 </p><p></p><p>気多神社のみ神門がある。伊須流岐比古神社には狛犬が無い。 </p><p></p><p>5 寄進者居住地域別では能登地方主要6神社で、石川県内が62.4%と多く、特に各神社が立地する市町村の割合が高い。気多神社への寄進者は地元羽咋市から中能登町、七尾市まであり、他の神社に比べて範囲が広い。これは気多神社の平国祭、鵜祭りの巡行範囲と一致している点で注目される。</p><p></p><p>県外からの寄進では、移住者が多い東京都、大阪府、愛知県からが多い。須須神社では北海道、樺太への農漁業移住者による寄進が多くある。重蔵神社では愛媛県の輪島塗商が寄進した狛犬がある。伊須流岐比古神社には佐渡から灯篭が寄進されている。 </p><p></p><p>能登地方主要6神社計では、個人による寄進が58.2%と多い。団体寄進は27.3%、不明14.5%である。多人数での寄進は地元住民によるものが多いが、天日陰比咩神社では東京都在住の中能登町二宮出身者一同による事例がある。</p><p></p><p>重蔵神社では、如月祭で神社祭礼を担当する同一年齢階層による団体寄進がある。氏子達が伝統祭礼主体となることで、人的交流が深まり、団体寄進が生じやすい風土が継続されている。</p><p></p><p>6 寄進時代別では、江戸期の野外寄進物は少ない。重蔵神社に7個、須須神社に2個、羽咋神社に2個存在する。これは北前船主等や、有力商家による寄進である。気多神社には江戸期の野外寄進物が残存しない。能登地方主要6神社とも明治・大正期は比較的少ない。昭和前期は奥能登の方が口能登より寄進数が多い。昭和前期でも重蔵神社は昭和天皇即位奉祝の昭和初期、須須神社は皇紀二千六百年(1940年)記念関連が多い神社の寄進物が多い。これは羽咋市と鹿島郡の主産業であった合繊織物業が盛況であった時代を反映する。</p><p></p><p>石動山に近い中能登町芹川原山の神明社の社殿と灯篭や狛犬が1994年二宮の天日陰比咩神社境内に移築された。過疎が進み、神社維持が困難となったためである。過疎により山村の野外寄進物と社殿が地縁のある山麓の神社境内へ移築された事例である。</p><p></p><p></p><p></p><p><b>参考文献 </b></p><p></p><p>府和正一郎. 2018.「白山市白山比咩神社の野外寄進物」2018年人文地理学会大会 研究発表要旨88-89.</p><p></p><p>府和正一郎. 2019.「加賀市菅生石部神社と金沢市大野湊神社の野外寄進物」 日本地理学会発表要旨集 No.95.305.</p><p>府和正一郎. 2019.「珠洲市須須神社と輪島市重蔵神社の野外寄進物」2019年 人文地理学会大会 研究発表要旨94-95.</p>
著者
松本 淳 浅田 晴久 林 泰一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.237, 2008

<BR> バングラデシュは、日本の4割弱程度の国土面積に日本以上の1億3千万人の人口を抱える世界有数の高人口密度国である。夏に雨が集中する南アジアのモンスーン気候下にあって、ヒマラヤ山脈に源を発するガンジス川・ブラマプトラ川という南アジア有数の大河川下流部にあり、世界最多雨地であるメガラヤ高原を流域にもつメグナ川も国内で合流してベンガル湾へと注いでいることから、しばしば大洪水に見舞われている。またベンガル湾に発生するサイクロンによる被害も大きく、高潮を伴うと数十万人規模の死者が出ることもある。国土の大部分が標高10m以下の低平な平野であることから、今後の地球温暖化の進行による海面上昇によって、洪水や高潮災害がいっそう拡大することも懸念されている。本報告では、バングラデシュにおける洪水およびサイクロン災害の状況に関して述べる。
著者
杜 国慶
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>近年、情報とコミュニケーション技術の発達に伴い、ソーシャル・ネットワークで発生する口コミなどのユーザ生成コンテンツも急増し、生産者と消費者の関係を大きく変えている。観光は消費者の経験に大きく依存する経済活動であり、観光者の関心も従来の観光地や観光事業者の宣伝からユーザ生成コンテンツに変化してきた。他方、観光地のイメージ形成には国籍に差異が存在し、国籍が観光地イメージ形成の共通変数として考えられると指摘されている。同様に、主に言語を媒体としているユーザ生成コンテンツは、言語別に特徴が存在すると推測できる。</p><p></p><p> 本研究は、イタリアのヴェローナを事例として、TripAdvisorに掲載された27言語の投稿数を用いて、観光スポットの分布と言語の異同を分析する。TripAdvisorは2018年に投稿数が1.55億件に達し、世界最多の投稿数を有するサイトであり、観光者だけによるユーザ生成コンテンツに限られている重要かつ貴重な情報源である。事例都市のヴェローナはイタリア北東部のヴぇネット州に属し人口およそ26万人の都市である。2000年以上の歴史をもつ要塞都市として発展してきた中心部には円形闘技場など古代ローマの遺跡が現存し、中世の町並みがよく保存されており、2000年に「ヴェローナ市街」として世界遺産に登録された。また、シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』の舞台としても名高い。ミラノとヴェネツィアの間に立地するため、両都市から容易に日帰り旅行ができる。また、1913年に始まった世界最大規模の野外オペラ祭、イタリア最大のワイン祭りVinitalyの開催地として、短期滞在観光者も多い。</p>
著者
千葉 晃
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.93, 2004 (Released:2004-07-29)

1.目的 気候学・気象学辞典(1985)によると、日最低気温とは「24時間内にもっとも低い気温」と定義され、「晴れた日は日の出前後に出現する」と言われている。 日最低気温の出現時刻を場合分けをせずに単純に集計すると、日界に近接した時間帯にその出現頻度が大きくなり、辞典の内容とは矛盾している。晴天日のみを抽出したいが、雲量データがないので他の方法を使用するしかない。 また1時間値よりも詳細な検討を期待して10分値を使用すると、情報量こそは単純に6倍となるが時刻特定を行おうとするといくつかの問題点が介在してくる。そこで本報告では、アメダス10分値を使用して最低気温の出現時刻の特定を行う場合、その問題点と手法について、北海道内の地点を一事例として試案を提示する。2.資料 解析資料は、気象庁提供のアメダス観測日報10分値(1999・2000・2000年の3冬期の1月と2月、計179日)とした。1979年以降のアメダス1時間値により日本低極を記録している(気象庁WEB・千葉,2000による)北海道旭川市江丹別の事例を用いた。 アメダス江丹別は、旭川市江丹別町にある地点で、「江丹別そば」で有名な地区である。石狩川水系の江丹別川流域の小盆地で、谷は南北に走る。放射冷却の発生しやすい地形となっており、気象官署の旭川と比較した報告なども存在するので比較検討に適した地点と判断した。3.方法と問題点 従来のように日界を午前0時とし24時間全てを解析対象とすると、当日日中の寒気流入などで午後に日最低気温が記録されるケースを拾ってしまう。晴天日の最低気温の出現時刻を特定するという意味があるので、午前0時10分から午前9時までに絞り、この区間を解析対象とした。 また、前夜半からの放射冷却が順調に進行したとしても、暖気流入などにより放射冷却が鈍化し最低気温が午前0時10分に記録されるケースもある。このような日界の影響による最低気温の抽出を極力避けたいので、場の統一も不可欠と考えた。さらに、擾乱や日変化の小さい曇天日を事例に含まないことが重要となる。しかしながら、各アメダス地点では雲量計測はなされていないので、179例の中で最低気温が低い事例を36例(20%)を抽出し、雲量が少なく放射冷却が進んだ日と見なした。抽出例からモデルケースとして、気温の低い方から5番目までの事例を示す。 さて、次にアメダスの分解能は0.1℃であるがその誤差は±0.25℃ある。気温最低値とその2位の値が0.2_から_0.3℃以内でかつ、両者に時間的な隔たりがあれば、2位のデータも軽視すべきではない。逆に最低値のみで議論するのは危険である。従って、当日朝の低い方から1位から6位までのデータも含め統計をとることにした。この抽出方法を使用すると、日界付近の事例は抽出されにくくなる。4.この方法による結果 上記の手法で抽出した結果、アメダス江丹別では午前6時30分の15例を最大に6時から7時20分まで7時10分まで9事例以上を記録し、日の出時刻(旭川7時4分_から_6時10分)とほぼ対応していることが明らかになった。
著者
小山 拓志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

近年,南極に分布する周氷河地形は,火星の地表および地下環境を推論するのに有用であることが分かってきた(例えば,Marchant and Head,2007;Levy <i>et al</i>.,2010;松岡,2016)。特に,火星で発見された多角形土(ポリゴン)の規模と形態は,南極内陸部のものと比較され,それらを基に火星地表環境を推定する試みもなされている(例えば,Balme<i> et al</i>.,2013)。一方で,南極に分布する多角形土の詳細な三次元形態(規模・形態)やそれらの経年変化,あるいは三次元形態と地下のくさび構造との関係は未だに未解明な部分も多い。<br><br>そこで本研究では,東南極の中央ドロンイングモードランドに位置するVassdalenにおいて,多角形土のUAV-SfM測量を実施し,詳細なデジタル地形モデル(DEM)および分布図を作成した。また,地形量の一つである尾根谷度を活用することで,多角形土の規模および形態の把握を試みた。そして,本研究で得られた詳細な多角形土の三次元形態と,地中レーダーおよびトレンチ調査によって得られた内部構造のデータを活用して,火星地表環境解明へ向けた画像解析を試行したので報告する。
著者
堀本 雅章
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.188, 2009

現在,都市部でも学校の統合は見られるが,過疎地域においては,学校の統合だけでなく,廃校になった例は多々ある。沖縄県竹富町にある鳩間小学校は,1974年の春と1982年の春,2度にわたり廃校の危機に直面したが,その都度親戚の子どもを呼び寄せ廃校になるのを免れてきた。その後も,沖縄本島から里子として施設の子どもや,山村留学に類似した「海浜留学」という形で全国各地から子どもを受入れ学校を維持してきた。<br> 一方,近年の離島ブームや,2005年に海浜留学生として鳩間島に来た少女を主人公にした「瑠璃の島」がテレビ放送された影響もあり,観光化の波が急速に訪れ,民宿や船便が増え,島は以前より活気づいている。<br> 本稿では,過去に廃校の危機に陥った鳩間島の学校の役割について島民の意識調査を実施し,学校の役割は子どもの教育以外に何があるのか,また,鳩間島民にとって学校はどのような存在なのかを解明することを研究目的とする。<br> 鳩間島は周囲3.9km,面積0.96k_m2_で,西表島の北約5.4kmに位置し,人口は2007年9月末日現在69人である(調査当時)。集落は,港付近の島の南側1ケ所で,フクギに囲まれた赤亙屋根の家屋が今も残っており,島内には多くの御嶽がある。島の産業は,民宿,食堂・喫茶,マリンスポーツのほか,少ないながら農業,漁業が見られる。また,音楽活動が盛んで,民謡歌手も数名在住している。<br> 調査は,2007年7月および9月に実施し,鳩間島に住民票がありかつ実際に居住している20歳以上の島民47人を対象とし,41人から回答を得た。質問項目は,「学校の役割について」,「廃校になっていた場合の島の状況について」,「里子・海浜留学生受入れ後の島の変化について」,「里親・受け親の経験について」等である。また,鳩間島の居住期間の違いから生じる学校に対する考え方を比較するため,島での通算居住期間を10年以上(19人)と10年未満(22人)とに分け比較した。さらに,近年の観光の発展との関連を検討するため,観光産業就業者(18人)とそのほか(23人)に区分し比較した。<br> 本来学校の役割は,「教育の場」と考えられるが,今回の調査では7回答に留まった。一方,「島の存続」12,「島の活性化,過疎化させないもの」が10回答あった。また,廃校になっていた場合の現在の島の様子として,「無人島になった」10,「過疎化した」10,「老人だけ,もしくは老人がほとんどの島になった」が6回答を占めた。学校は教育の場であるが,島にとって学校はなくてはならないものである。<br> 調査を行った2007年9月現在,海浜留学生4人のほかに,親とともに転入してきた小中学生が7人いた。しかし,鳩間島の血を引く子どもは一人もいない。学校を維持するために,親戚の子どもを呼び寄せ,1983年からは里子を受入れ,近年は「海浜留学生」の受入れが中心になっている。さらにこの数年,小中学生が家族とともに鳩間島に転入するケースが見られた。2008年度は海浜留学生4人を含む9人が在籍したが,2009年3月に海浜留学生の卒業や転校により4月から,家族で転入してきた小中学生の4兄弟のみの在籍となった。彼らが,家庭の事情で急遽6月19日に島外の学校へ転校したため,開校以来小中学校ともに在籍者数ゼロとなった。学校を存続させるためには小中学生の受入れが急務となったが,鳩間島での生活体験のある親とともに転入してくる子どもを含め,2学期から小中学生各1人の転入が確定し,鳩間小中学校は3度目の廃校の危機を免れる見通しがついた。このほかにも転入希望者はいるが,受入れ家庭等の調整中である。<br> 数年後,鳩間島出身の子どもの小学校入学が予定されているが,そのほかは目途が立っていない。鳩間小中学校を維持していくために,子どもを連れた帰島者や転入者が定住できるような産業の整備が必要である。そのためには,鳩間島に合った観光を取り入れると同時に,観光だけに頼らない新たな島の産業の確立が急務である。
著者
吉田 国光
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.34, 2008

<BR>1.研究課題<BR> 現在,日本の農業は国際競争の波にさらされている.その対抗手段として,政策的に農業経営の大規模化が推進されている.この大規模化という現象は,農地の売買,貸借,作業受委託などによって達成される.しかしながら,大規模化に成功する農家は一部に限られる.農地拡大のために,労働力と経済力に余裕があって,地縁・血縁をもとに,集落内外の農地を取得することができる経営者が,大規模化に成功すると考えられる.日本の農村において,ほとんどの世帯は,顔見知りであり地縁関係にあり,またいくつかの血縁に基づいた同族集団に所属する.<BR> 農地移動については,従来から指摘されるものの,農地移動に至るプロセスについては,「地縁・血縁によるもの」と指摘されるにとどまり,その具体的なプロセスについては不明瞭な点が多い.農地移動が円滑に進められる要因や障壁となるものを明示し,これらが機能する仕組みの解明が必要である.<BR> そこで本研究では,大規模化の基盤である,農地移動に至るプロセスを明らかにする.集落を基点に,農地移動がいかなる社会関係によって行われ,その社会関係が,どのように空間的に広がってきたのかを明らかにすることを目的とする.<BR><BR>2.研究対象地域と研究方法<BR> 研究対象地域である北海道音更町大牧・光和集落は,1950年に入植が始まった開拓地で,大規模畑作農業が卓越し,酪農家,野菜作農家が混在している.開拓時には,141戸が入植したが,2007年には,31戸にまで減少した.<BR> 研究方法としては,現地調査にて,大牧・光和集落の全農家の農業経営の現状を把握し,これまでの農業経営の変遷について,農地移動の実施状況を中心にして情報を得た.この情報をデータ化し,ネットワーク分析における多重送信性の概念(ボワセベン 1986)を援用し,農業者のもつ複数の社会関係を,その組み合わせから分析した.そして,その社会関係が,時代とともに,いかに多様化し,空間的に拡大してきたのかを明らかにした.<BR><BR>3.社会関係からみた農地移動プロセス<BR> 大牧・光和集落における,農地移動に関係する社会関係は,集落と中音更地区内での地縁や,本家分家,姻戚などの血縁に加えて,小学校での同級生,同窓生,PTA役員同士との関係,農業開発公社などの公的機関を介したより広範囲にわたるものまである.近隣世帯や集落などの地縁よりも,血縁の方が例え空間的に離れていても重視された.すなわち血縁が,他の社会関係よりも強く,決定要因となりうるものであった.血縁をもたない場合については,同一集落における近隣世帯で,の場合が最も多く,より近接性の高い農家との農地移動が行われることが多かった.農地移動が隣接集落におよぶ場合は,小学校の校友関係や,開拓以前からの付き合い,開拓世帯などの結社縁を含む場合が多かった.これらに加えて,地縁や血縁,結社縁が希薄である場合については,公的機関などを介したものが関係していた.<BR> このような,農地移動に関係する社会関係は,各農家によって差異がみられ,全体として5つに類型化できた.それらは,近隣・集落完結型,中音更地区拡大型,選択縁活用型,二次入植型,入作型である.それぞれの類型に該当する農家の事例分析から,農地移動に関係する社会関係が,いかなる経緯をもって成立したのかを提示した.さらにその社会関係が,いかにして農地移動に結び付けられてきたのかを明らかにした.このことから,農地移動に関係する社会関係は,時間の経緯とともに,近隣世帯や集落内で完結していたものから,中音更地区,他地区,音更町外に空間的に拡大するようになった.また,農地移動に関係することがなかったような社会関係が,従来からの地縁や血縁,結社縁に加えて,農地移動に結びつくようになり,社会関係の多様化をもたらした.その結果,農地移動は,地縁,血縁以外の社会関係によって行われ,集落や地区の範囲を超えて展開するようになったといえる.<BR><BR>【参考文献】ボワセベン, J.著,岩上真珠・池岡義孝訳 1986.『友達の友達-ネットワー ク,操作者,コアリッション-』未来社.Boissevain, J. 1974.<I>Friends of Friends :Networks, Manipulators and Coalitions.</I> Basil Blackwell.
著者
渡辺 隼矢 羽田 司 周 宇放 佐藤 壮太 張 楠楠 市川 康夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<b>1.研究の背景</b> <br>&nbsp; 健康食品としてレンコンの需要は拡大傾向にある.こうしたレンコンを扱った地理学的研究では,産地形成の要因や農家の経営形態,土地条件とレンコン栽培の関係性が解明されている.しかし,農家の高齢化や離農に伴う農業労働力の不足が深刻化する近年において,レンコン生産地域を対象とした精緻な現地調査は管見の限り見当たらない. そこで本研究では土浦市田村地区を事例に,国内有数のレンコン生産地域である霞ヶ浦湖岸平野において継続するレンコン生産がいかに存立してきたのかを考察した.その際,生産から消費までを体系的にとらえる中で,レンコンの作物特性や農地の貸借関係,レンコンの販売戦略に着目して,レンコン生産地域の実態の把握を試みた.<br> <b>2.研究対象地域</b> <br>&nbsp; 茨城県南部に位置する土浦市はレンコンの生産量が日本一である.その中でも研究対象地域とした田村地区は,土浦市中心部から東へ約4kmに位置し,地区内の霞ヶ浦湖岸平野(沖積低地)には一面の蓮田が広がる.湖岸平野の土壌は主に粒径の細かいシルトや細砂から構成され,特に湖畔に近い低位面は反腐植土を含む柔らかな土壌となっている.この土壌条件はレンコン栽培に適しており,1940年代後半以降のコメからレンコンへの転作を促進する一翼となった.現在,レンコン生産は平野部高位面や谷津にも拡大し,2010年のレンコン栽培面積は127haとなっている.これは当地区内の経営耕地面積のうち87.8%を,田全体面積のうち98.5%を占める.<br><b></b> <b>3.調査結果<br></b>&nbsp; 本研究では,各農家の生産量や必要労働力,経営志向等を反映する指標として蓮田の貸借関係に着目し,当地区の農家を3類型に大別した.1つ目は借地型農家であり,3類型の中で最も経営規模の大きな農家群である.地区内外に蓮田の借地を持ち,当該類型の中でも経営規模が大きい農家は,外国人実習生を含む家族外労働力を導入している.2つ目の類型は自作地型農家である.家族内労働力のみで生産から出荷までの全工程が可能な1ha前後の自作地のみで営農しており,雇用労働力はみられなかった.3つ目の類型は地区内の借地型農家を中心に蓮田を貸与している貸地型農家である.貸地型農家では農業従事者の高齢化および農外就業者の増加による農業労働力の減少を契機として,レンコン生産の規模を縮小していた. <br>&nbsp; 他方,レンコンの流通においてはJA土浦による系統出荷が主な出荷形態となっていた.この系統出荷では東京市場の他,中京市場など東日本の地方都市へも積極的に出荷している.JA土浦にはかつての任意組合を単位とする複数のレンコン部会が存在し,各部会によって重点市場や販売戦略に差異がみられる.田村地区には田村蓮根部会と田村共撰部会との2つの部会が存在するが,前者に所属する農家が大半を占める.田村蓮根部会は,2004年にJA土浦に参画するまでは任意組合であり,現在も任意組合の頃の重点市場への出荷や独自の販売戦略を展開している.また,JA土浦管内のレンコンの洗浄および箱詰め作業を受託し,レンコン生産農家の出荷にかかる作業負担の軽減を目的としたJA土浦れんこんセンターが稼働し,農業労働力が不足している農家で利用が目立つ.JA土浦では系統出荷のほかに,レンコン加工にも積極的な取り組みがみられた.一方,農協を経由しない出荷の動きもみられ,個人や少人数による市場出荷,個人・小売店・飲食店への宅配,直売所の運営といった流通チャネルを駆使した個人出荷も存在する.