著者
原田 美道 柿沼 清一 村田 一郎
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.1465-1480, 1963-01

1956年の南極会議及び国際重力会議の両会議において採択された決議により,第2次南極観測の際に計画された目黒(当時千葉)とMowbray・昭和基地の重力振子による接続のうち,当時氷状不良のために実施できなかったMowbray・昭和基地間の接続が,今回計画実施された.これは,再度採択された1960年の南極会議及び国際地球物理学・測地学連合総会の決議にも基づくものである.また,宗谷の往復航海を利用して目黒・Mowbray間の接続が再度行なわれた.今回は南極観測用として設計製作された装置と,特に重力振子は安全を期して2組使用された.各観測点における測定のうち,1組の振子の観測は昭和基地において時計の不調のために失敗したが,目黒・Mowbrayでは良い結果が得られた.他方の振子の組については順調に観測を終了できた.各測点の位置は次の通りである.目黒 ψ=35°38'.6 N λ=139°41'.3 E h=28.04m Mowbray ψ=33°57'.1 S λ=18°28'.1 E h= 38.4 m 昭和基地 ψ= 69°00'.3 S λ=39°35'.4 E h=14.0m 測定結果は次の通りである.g_<Megro>=979.7770 galを基準にした場合 g_<Mowbray>=979.6471±0.0005gal(振子セットAによる) g_<Mowbray>=979.6463±0.0004gal(振子セットDによる) g_<Syowa Base>=982.5394±0.0005gal(振子セットDによる) g_<Mowbray>の値は第2次観測の際の結果とも良く一致している.特に昭和基地重力点については,南極地域には振子による重力観測の例が少ないので,同点は重力基準点として充分利用し得る点であると考えられる.同点には金属標識を設置して今後の使用の便をはかった.なお,Worden重力計を使用して,オングル島内及び宗谷のSingapore停泊中,Singapore・Kuala Lumpur間の接続が行なわれた.
著者
青木 茂 佐藤 壽彦
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.204-218, 2004-11-30

南大洋季節海氷域における生物・化学物質循環過程の解明を中心課題として,第43次日本南極地域観測隊「専用観測船」観測が,2002年2月に観測船「タンガロア」号によって実施された.本報告では海洋物理観測の実施状況および測器の運用結果について報告する.CTD電気伝導度に対する航海前後でのキャリブレーションはドリフトの小さいことを示し,塩分換算での差も平均で0.0014に収まった.XCTDの精度を検証する試みも2キャスト実施され,XCTDとCTDとの比較結果についても議論する.本航海では,概ね,良好な精度の物理観測が実施されたものと結論される.
著者
気象庁観測部南極観測事務室
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.73, pp.273-303, 1981-09

1957年2月に開始された昭和基地(69°00'S, 39°35'E)の地上気象観測結果のうち, 主要要素について1980年までの月および旬ごとの毎年の値とその平均値(準平年値)をまとめて示した。統計年数は要素によって異なるが, 1958年と1962&acd;65年の基地閉鎖期間を除く14&acd;19年間である。また, 高層気象観測については, 00Z(現地時間03時, 1968年3月開始)における指定気圧面の月別累年平均値のみを掲げた。
著者
和田 誠 中岡 慎一郎 笠松 伸江
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.82-91, 2011-03-28

2009年1月から2月の南半球の夏期間に,東京海洋大学の研究練習船「海鷹丸」にプロトン移動反応質量分析計を搭載して,南大洋の大気中の硫化ジメチル濃度の連続観測を実施した.海鷹丸は昭和基地沖とケープダンレー沖の氷縁域を含む南大洋を航行し,研究観測を実施した.この海域での大気中の硫化ジメチル濃度の連続観測は初めてである.海水中の硫化ジメチル濃度の観測も行われ,そのデータとの対比が可能となった.大気中の連続観測から,昭和基地沖およびケープダンレー沖の氷縁域では,2ppbを越える高い濃度の硫化ジメチルが観測された.
著者
竹内 貞男
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.430-444, 1990-11

第30次南極地域観測隊は, 隊長江尻全機以下54名で編成された。このうち昭和基地の越冬隊は江尻全機越冬隊長以下29名, あすか観測拠点の越冬隊は召田成美越冬副隊長以下8名である。夏隊は, 副隊長竹内貞男以下17名で編成され, 運輸省船舶技術研究所, 日本鋼管(株)からの2名および南極条約に基づく交換科学者として中国から2名, ノルウエーから1名が同行した。1988年11月14日東京港を出港した「しらせ」はオーストラリアのフリマントル港に寄港した後, 12月17日ブライド湾に到着した。あすか観測拠点での越冬用物資およびセールロンダーネ山地での地学, 生物, 雪氷調査用器材約120tを揚陸した後, 越冬隊員8名と夏期調査隊員(交換科学者1名を含め9名)を残し12月26日昭和基地へ向かった。昭和基地には12月29日に到着, 輸送(約820t), 建設作業, 野外調査等を1989年2月23日まで行った。これまでの間に多目的衛星データ受信システムの建設を行い, 2月1日には越冬交代を行った。「しらせ」は第29次観測隊のセールロンダーネ山地における事故の救援に向かい, 救援活動を終えた後, 第30次夏の調査隊員をブライド湾で収容して昭和基地へ戻った。3月4日第29次越冬隊員と第30次夏隊員, 交換科学者を収容した「しらせ」は昭和基地沖を離れ, 海洋観測を実施しながら東航を開始し, オーストラリアのシドニー港に3月21日入港した。観測隊員はここで下船し, 28日空路成田空港に帰着した。
著者
白石 和行
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.50-70, 2001-03

越冬隊40名, 夏隊20名及びオブザーバー6名の総計66名からなる第40次南極地域観測隊(以下, 第40次隊)は, 1998年11月14日東京港を出港した。往路においてオーストラリアの観測船「オーロラ・オーストラリス」号の救援活動が組み込まれたが天候, 氷状等の条件に恵まれ, 当初計画に大きな影響はなかった。昭和基地方面での行動中は天候が悪く, 輸送, 建設等の作業に大きな影響を与えた。さらに, 強風によるヘリコプター機材の損傷のためにアムンゼン湾でのオペレーションを中止せざるを得ない事態がおこるなど, 第40次夏期行動はあわただしい動きに終始した。しかし, その他の夏期の基地設営活動や調査観測についてはおおむね所期の目的を達成し, 越冬隊を成立させることができた。往路においてオーストラリアの観測船「オーロラ・オーストラリス」号の救援活動が組み込まれたが天候, 氷状等の条件に恵まれ, 当初計画に大きな影響はなかった。12月21日から24日までの間に, アムンゼン湾トナー島に小型ヘリコプターを含む地学調査隊(オブザーバーを含め13名)を送り, 12月26日に昭和基地への第1便を発した。12月28日午後, 昭和基地に接岸。ただちに貨油のパイプ輸送と大型物資の氷上輸送を開始した。昭和基地への本格空輸は1月上旬の平均風速が観測史上第1位, 日照時間はわずか29時間という悪天のために輸送ははかばかしくはいかなかった。そのため, 多くの物資を氷上輸送に切り替えざるをえなくなった。夏期建設作業としては, 300kVA発電機の設置, 通路建設, 旧居住棟移設, 太陽光発電や汚水処理棟の設備工事, 第1 HFレーダーとMFレーダーの建設などがあったがこれらの進捗も悪天のために遅々としていた。1月10日にトナー島のヘリコプターが強風により破損したため, 今次隊でのアムンゼン湾地域での地学調査を打ち切り, 「しらせ」をアムンゼン湾に回航して隊員と物資を収容することにした。「しらせ」は1月25日にリュツォ・ホルム湾に戻り, 2月1日に第39次隊との越冬交代を行った。昭和基地への物資輸送は, アムンゼン湾からの回送分を含めて, 総計954トンに達した。また持ち帰り物資は287トンとなった。昭和基地周辺地域では, 沿岸露岩域, 海氷上での観測および調査等を行った。多くの調査がアムンゼン湾地学隊収容後の2月以降に実施され, 野外調査は2月17日に終了した。ドームふじ観測拠点への夏期内陸旅行は, 2月11日にS16に帰投した。復路では, 航走及び停船海洋観測を継続実施した。3月2日に中山基地(中国)とロシアのプログレス基地も訪問した。東経150度線に至った後は北上し, 3月16日に南緯55度を通過し, シドニー港への入港は3月21日であった。
著者
小山内 康人 高橋 裕平 田結庄 良昭 土屋 範芳 林 保 蛭田 真一
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.445-481, 1990-11

第31次南極地域観測隊(JARE-31)夏隊のセールロンダーネ山地地学・生物調査は, 山地全域においてヘリコプターを用いて実施された。ヘリコプター偵察飛行及び調査慣熟のための陸路調査が1989年12月25日から29日にかけて実施されたのに引き続き, 本調査が1990年1月5日から30日まで行われた。そのほかにあすか観測拠点付近の小山塊における調査・観測が1月1日と1月31日に実施された。調査・観測は38日間におよんだ。今回の行動形態は, 内陸山地でヘリコプターを導入した日本南極地域観測隊としては初めての例であるので, 計画作成から実施経過までを通信, 装備, 食料などの設営面を含めて詳しく報告する。調査結果については現在, 整理・研究中であり, 今後個別に発表されるので, ここでは概要を述べるにとどめる。
著者
高橋 晃周 佐藤 克文 西川 淳 河野 通治 内藤 靖彦
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.44, no.1, pp.38-41, 2000-03

アデリーペンギンの集団繁殖地の分布および繁殖数の調査を, 1998年12月23日, エンダービーランド・アムンゼン湾において, ヘリコプターをもちいて行った。これまでに報告されていた1ヵ所に加え, 新たに3ヵ所の集団繁殖地を発見した。これら4繁殖地でのアデリーペンギンの繁殖数の合計はおよそ9760ペアで, アムンゼン湾の繁殖個体群は東エンダービーランドにおける最大規模の繁殖個体群であることが明らかになった。
著者
今栄 直也 磯部 博志 山口 亮
出版者
国立極地研究所
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

コンドリュール再現装置を開発した。装置に水素ガスを導入し、0.1から数千Paの任意の圧力で制御する。実験出発物質にはコンドライト組成の粉末焼結ペレットを用いた。還元雰囲気ではI型コンドリュールに一致する斑状の珪酸塩鉱物(フォルステライトとエンスタタイト)が晶出した。また、100Paより低い制御圧では鉄成分の蒸発により、メタル粒子は欠損したが、全圧が高い(千Pa以上)とこのメタル組織は認められた。一般に、丸い小さなメタル粒子はコンドリュールに不均一に含まれ、実験で生成した組織はI型コンドリュールをよく再現する。
著者
中村 卓司 阿保 真 江尻 省 SHE Chiao-Yao YUE Jia 原 貴洋
出版者
国立極地研究所
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2010

高度100km付近には、ナトリウム原子、鉄原子など様々な金属が原子状態で存在する金属原子層がある。本研究では、この層に地上からレーザー光を照射して、遠隔地との通信を行うと同時にこの付近の高度の大気の様子を調べる大気観測を行うことのできるシステムについて、首都大学東京と国立極地研究所の5.3km離れたキャンパス同士で送受信実験を行い、また観測法/通信法を詳細に検討を行って、実現可能であることを示した。
著者
横山 宏太郎
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.14-19, 1976-07

第14次日本南極地域観測隊(1973-1974)のやまと山脈旅行隊は,以前からやまと山脈南西方に望見されていたヌナターク群を調査する支隊を編成した.この支隊は1973年12月13日から18日まで行動し,やまと山脈南西約30 km付近に7個のヌナタークを確認し,露岩上での天文測量(1点)および地形,雪氷,地質の調査を行った.これらのヌナタークのうち北北西に孤立する一峰はかぶと岳,他の六峰より成る山群は南やまとヌナターク群,天側点はくらかけ山,最高峰はくわがた山と命名された.天測によるくらかけ山の位置は72°00'30"S,35°13'30″Eである.ヌナクークの標高は1,986mから2,282 m, 氷床表面との比高はいずれも100 m から150 m 程度である.またこの地域において,深い溝を持つ氷の丘が南東から北西に連なっていることが確認された.その方向はこの地域の氷床の流動方向にほぼ一致すると思われる.
著者
菊池 徹 北村 泰一
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.625-660, 1960-01

(1)第1次越冬隊に使用させていただいた犬ぞりは,その準備と訓練に多大の努力を払って下さった加納一郎氏,北海道大学の犬飼哲夫教授,芳賀良一講師など,北大極地研究グループの人達に負う処が極めて大であった.厚く御礼申し上げる.(2)南極や北極で,外国隊の使用した犬はすべてハスキー種(又はその同属)であるが,日本隊は,1910〜12年の白瀬隊の時もそうであった様に,今回も樺太犬を使用した.(3)越冬した樺太犬は,越冬初期に19頭(内雌1頭)であったが,越冬中に3頭をなくし,8頭の仔犬が産まれたので,その末期には24頭(雌1頭,仔犬8頭を合む)であった.この内,15頭の雄成犬が,第2次越冬隊を待ったまま昭和基地に残った.(4)IIの項では,昭和基地の犬小屋,犬の食糧(第1表),犬の体重変化(第2表),仔犬の出産及び8月に行なった訓練(第3表)について書いた.(5)IIIの項では,始めにそりその他の用具についてふれ,続いて,パッダ島並びにその南の上陸地点への偵察行(8月28日〜9月4日),ボツンヌーテン行(10月16日〜11月11日)及びオラフ行(11月25日〜12月10日)の3つの旅行をあげ、それぞれ第4表,第5表,第6表にその概要を記した.(6)犬ぞり旅行を,数字で説明する一つの試みとして,Wt=(4rtfgaWdN)/V(荷重の法則)なる式を仮定し,3つの旅行について,その分析を行なった.第7表,第8表,第9表に示す通りである.(7)15顛の犬達が,オングル島に残らざるを得なかったのは,実現はしなかった第2次越冬隊を送り込む事に最大の努力がはらわれ,犬達は新しい隊の来るのを待っていたのである事実を明記した.(8)最後に犬達の冥福を心から祈って,この拙い報告書を彼等の霊に棒げる.
著者
村山 雅美 楠 宏 川口 貞男
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.1-7, 1972-03

昭和基地におけるロケット観測計画は日本学術会議南極特別委員会が勧告し,国立科学博物館極地研究センターが実施に協力し,最終的に南極地域観測統合推進本部によって決定される.昭和基地のロケット発射場に1969年1月に建物3棟を建設した(コントロールセンター,レーダーテレメーター室,組立調整室).観測ロケットとしてS-160(最高高度約90km)とS-210(約120km)の2種が選定された.1970年1月には発射台,ランチャー,レーダー設備などの設置を完了し,2月にはS-160JA1,S-160JA2の2機の飛しように成功した.この際電子密度およびオゾン密度の分布を高さ約90kmまで測定した.1971年,1972年における上記2種のロケットによる観測計画も付記した.
著者
江尻 全機 藤井 良一 桜井 治男 飯島 健 福島 直
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.74, pp.1-9, 1982-02

地球磁場の精密な測定を目的としたMAGSAT衛星が, 米国宇宙航空局によって1979年10月30日に, 低高度・準極軌道に打ち上げられた.これまでのPOGOやTRIADやISIS衛星の磁場測定と較べ, 測定精度および時間分解能が良いこと, データが連続的で衛星軌道が常に朝-夕方子午面内にあるという特徴を活用し, 初期データ(1979年11月2日&acd;4日)を用いて特に高緯度地方の沿磁力線電流(以下FACという)の特徴を調べた.これまでの結果に加え, (1) FACの緯度方向の幅が, 今までの結果より拡がっていることが判明した.特に高緯度側の領域Iの緯度方向の拡がりが約2°&acd;3°位であるのに対し, 低緯度側の領域IIは約5°位拡がっている.(2)朝側および夕方側で連続して観測されたFACは, 非対称性を持っており, さらに南北両半球でも非対称であることが判明した.
著者
林 幹治 鶴田 浩一郎 国分 征 小口 高 渡辺 富也 HORITA R. E.
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.64, pp.72-81, 1979-02

1977年9月21日に発生したSSCは磁気圏内のVLFエミッショソの発生領域に影響を与え,さらに地上の電力送電系へもその影響を及ぼした模様てある.VLFエミッションに対するSSC効果としてこれまてに知られているような周波数,帯域幅,積分強度等の増大のほかに,VLF波の放探の方法により,SSCの開始時にエミッションの発生領域か北から南へと広かるということか認められた.さらに,SSCに伴う誘導磁力計の変動と呼応して電力線よりの高調波雑音成分,特に偶数次の強度が顕著に増大,変動した.これは,電力送電系中の変圧器の接地点を通じSSCに伴う誘導地電流が,変圧器の鉄心に磁気的バイアス作用を起こしたため生じた波形歪の結果と考えられる.
著者
港屋 浩一 小野 高幸 佐藤 夏雄 巻田 和男 芳野 赳夫
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.38, no.2, pp.113-147, 1994-07

オーロラの位置, 形および動きに関する南北共役性の解析を行うためにオーロラ画像処理システムの開発を行った。本システムは以下の3点で重要な特徴をもっている。1)本システムにより, 大量の画像データを高速かつ効率的に解析できる。2)磁気座標展開図およびオーロラダイナミック表示図により, オーロラの位置, 形および動きに関する南北比較が容易である。3)昭和基地とあすか基地の画像を合成することにより広範囲のオーロラ像を確認することができる。本システムを用いた実データ解析として, 1991年9月9日&acd;10日, 昭和基地, あすか基地, Husafellの3点同時に観測されたSITオーロラTVカメラデータに適用してみた。
著者
小西 啓之 遠藤 辰雄
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.41, no.1, pp.103-129, 1997-03

南極昭和基地で行ったレーダーやマイクロ波放射計を使った1989年の総合的な「雲と降水」の観測を基に, 昭和基地付近の降水量及び降水をもたらす雲について解析し, 降水量, 降水をもたらす低気圧に伴う雲の構造, 降水の季節変化の特徴について調べた。1) レーダーの連続観測から, 1989年の昭和基地の年降水量は204mmと推定した。夏を除く季節に降水があり, 秋, 冬, 春に降水量の大きな差は現れなかった。2) 昭和基地付近の降水に大きく寄与する雲は, 南極沿岸部で最盛期を迎える温帯低気圧に伴う渦状の雲であることがわかった。この渦状の雲の外側は, 南極沿岸を西向きに周回する低温かつ水蒸気の少ない気団の上に低緯度側からの暖気が入り, 温暖前線状の層状の構造を持つことが分かった。また, その内側は良く発達した渦に一回りした寒気が入り込み, 寒冷前線性の対流性の雲を形成していた。3) 雲や低気圧の季節変化から, 秋は数多く沿岸に近づく低気圧によって降水がもたらされるのに対し, 春は数少ない低気圧から降水がもたらされていることがわかった。低気圧に伴う雲は春, 秋に多く, また, 沿岸部で発達する雲水量の多い背の高い雲は秋に多いことから, 南極沿岸に降水の寄与が大きい季節は秋であると考えられる。降雪の頻度が多い秋に比べ降雪の頻度が少ない春の降雪の有無がその年の降雪量の特徴を決めていると推定された。
著者
松原 廣司
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.263-286, 2006-11

本編は第46次南極地域観測隊夏隊行動の概要報告である.観測隊は総勢62名で構成され,このうち越冬隊は37名,夏隊は25名であった.他に夏隊に3名が同行者として参加した.2004年11月14日,観測船「しらせ」は晴海を出港し,観測隊は11月28日,航空機でオーストラリアに入り,翌日「しらせ」に乗船した.「しらせ」では海洋観測を実施しつつ,12月14日には氷縁に到着し,21日には昭和基地に接岸した.夏期間は,昭和基地への物資輸送,同基地での車庫,10 kW風力発電機建設,燃料移送管工事,昭和基地クリーンアップ4カ年計画の初年度作業などの基地作業を行った.輸送量は空輸,氷不輸送,パイプ輸送を含めて,980.8 tであった.昭和基地では,生物,海洋物理・化学定常合同の氷不観測,係留気球を用いたエアロゾル観測などが行われ,西の浦において浮体付GPSを設置し潮汐観測を行った.第46次隊では観測隊用小型ヘリコプター(川崎式BK117-B1)を持ち込み,プリンスオラフ海岸,リュツォ・ホルム湾の沿岸域における海洋物理・化学,測地,地質・古地磁気,地球物理,湖沼(生物・地学)の調査に活用した.「しらせ」は往復航路不で海洋観測を行うとともに,復路においては新南岩で湖沼調査を実施し,ケーシー湾・アムンゼン湾の露岩域などで地質・古地磁気調査を実施した後,シドニーに到着し,観測隊は航空機により3月28日,全員成田に到着した. 一方,第二期南極氷床深層掘削計画のもとノボラザレフスカヤ基地から航空機によりドームふじ基地に到着した掘削チームは,ドームふじ基地において深層掘削2年目を実施した.
著者
木崎 甲子郎
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.73, pp.246-264, 1981-09

第21次南極地域観測隊の夏期行動の概要を述べる。砕氷艦「ふじ」は約500トンの物資とヘリコプター3機, セスナ・ピラタスポーターの2機を積んで, 1979年11月21日東京港を出帆した。観測隊長木崎以下43名, うち川口越冬隊長以下越冬隊33名である。加うるに, ノルエー極地研究所の太田昌秀博士が交換科学者として参加した。1979年12月12日フリマントル出港, 昭和基地西北西21マイルの氷縁に達したのは12月31日であった。それからヘリコプター輸送が開始され, 翌年2月9日に終了した。その間建設が行われ, とくに夏期隊員宿舎と60klタンクが完成した。2月1日第21次越冬隊が成立した。艦上の定常観測はおおむね例年通りであったが, 氷海や海氷中の微細藻類の研究も行われた。また, やまと山脈やプリンスオラフ海岸の地学調査や測地作業も実施した。また, みずほ基地への人員交替や物資の輸送も行った。1月28日「ふじ」乗組員が事故で重傷を負ったため, 緊急に反転北上することになり, 2月9日ケープタウンに向かって出発した。その途中, マラジョージナヤ基地に立寄り, アメリカ海軍が空輸してくれた酸素ボンベを受領し, ケープタウンには2月21日入港した。患者を下し, ポートルイス, シンガポールを経て1980年4月19日東京港に帰着した。
著者
鈴木 義男
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.1103-1119, 1961-10

Introduction Since m/s "SOYA" had reached the ice edge on Dec. 27, 1959 at 65°15'S, 48°35'E, the officers on watch carried out continuous visual ice observations, under the supervision of the navigating officer, until the ship left the ice off Riiser-Larsen Peninsula on Feb. 21, 1960. The items of observation were nearly identical with those of the previous three expeditions. As the ship was not bound with drift ice, several surveying cruises were performed between 33°E and 50°E and eleven oceanographic stations were set up in the region. Miscellaneous observations other than general, for instance, observations on the drift of ice field and icebergs, were also made on occasion. 1. Some comments on ice terminology and recording form Several terms were supplemented to the WMO ice terminology mainly from Russian source. Terms were rearranged and compiled in "A glossary of ice terminology to be used in JARE". An example of supplemented terms is secondary slush, which is a combined conception of melting sludge in Baltic ice code and ledyanaya podushka in Russian terminology. Observed items were nearly identical with those required by the U. S. Hydrographic Office's reporting form. Obtained results were compiled in ice charts. Notations used in charts were also similar to those of the U. S. Hydrographic Office. However, the following changes were made both in observed items and in chart notations in order to describe encountered ice conditions more adequately: a) The size of predominant floes was recorded by nearest meters as the index of mechanical decaying. The item "puddling" seems to be insufficient to describe the dacaying state of Antarctic drift ice which decays mechanically before puddles have developed on it. Another index of mechanical decaying such as whether floes have angular or smooth outlines should have been recorded. b) Inter-ice melting sludge was excluded from the first group in the item "concentration by size" and its existence was indicated by a prefix Sl. Though it is difficult to distinguish between ice cakes and melting sludge from the air, the ship observer must distinguish them because the latter behaves quite differently from the former during the compression or the dispersion of an ice field. Melting sludge, if exists, usually covers inter-ice area completely. The compression (or dispersion) of the ice field, not causing hummocking (or formation of open water), only changes the thickness of sludge. The latter, which has important effects on the navigability, should have been recorded at least qualitatively. 2. General ice observations 2a) Note on observation practice. Separate measurements of snowdepth and ice thickness were difficult because the boundary was not clear to identify whether it is porous ice or firnized snow. For convenience' sake, the upper layer easily separable by turning over floes was regarded as snow. In this sense, most floes were covered by snow 0.3-0.5m thick. Estimation of the age of floes was also difficult. The age of little hummocked floes was estimated by their thickness, as usually done. But, this method seemed inadequate for summer ice, for level ice less than 1m thick often had two planktonrich brown thin layers. 2b) Ice conditions along ice edges and 2c) Those in ice field. Main results are shown in Figs. 1-10. Along edges, ice cakes were predominant and inter-ice area was usually covered by melting sludge. If the edge was under the dispersing effect of wind, there appeared along it a narrow region of a small ice concentration composed only of brashes (no melting sludge). Newly developed ice fields composed of small pancake ice were only seen after the middle of February. On Jan. 21 giant clusters of floebergs were seen at 45°30'E on the edge. Vast and big floes encountered in the region south of 67°20'S during the first penetration of the ship into ice area were probably fragments of the shore ice. The heights of reliefs on them were more than 3m, but the fraction of hummocked area was rather small (2/10-3/10). 2d) The shore ice off the western part of the Prince Olav Coast and the lead off the edge of the shose ice. Although the width of the lead on 40°E meridian had narrowed from several kilometers on Jan. 3 to several hundred meters on Jan. 15 and finally the lead disappeared on Feb. 4, the position of the edge did not change during the observation period (Jan. 3-Feb. 10). The constant position of the edge must have some relations with the bottom relief (the sea suddenly deepens northward from about 300m to 1000m at several kilometers north of the edge). Along the edge there was a hummocked narrow zone (2-3km wide). South of the zone there was another a little wider zone (less than 20km wide) where sasturgi running NEN-WSW were developed. Farther south the surface was flat. Puddles were developed little even in the beginning of February. 3. Miscellaneous observations 3a) Icebergs. The first iceberg was seen at 53°09'S, 32°17'E on Dec. 23, 1959 and the last at 54°00'S, 25°10'E on Feb. 26, 1960. The largest iceberg which was observed off Cape Ann was supposed to be identical with the vast iceberg observed by Russian ice breaker "LENA" at 65°40'S, 88°14'E on Feb.16, 1957. 3b) Drift of icebergs. Only the drifts in the lead were analyzed showing the existence of a current of about 0.3knot there (Table 1). 3c) Drift of ice field. From Jan. 22 to Jan. 27 the ship drifted in an ice field composed of 50% cakes and 50% melting brashes and sludge (Fig. 6). The relative speed of the ship to the cakes (and also to sludge) was surprisingly low (only several meters per hour). This shows that the resistance of the melting sludge against the movement of the ship was very strong. The drift of the ship was analyzed as the drift of the ice field (Table 2). 3d) Dispersion of ice edge by the wind. A return survey of the edge between 42°E and 33°E was made on Dec. 29 and 30. The edge was dispersing northward under the effect of W-SW wind. A rough analysis gave the wind coefficient of about 0.08 for the drift of scattered brashes. 4. Summer ice diminution in observed area On Dec. 7. Japanese whaling fleets observed ice edge at about 62°S. As it was at about 65°S-66°S on Dec. 27-29, the retiring speed along the meridian amounted to about 20km/day. This rapid retiring was undoubtedly due to the intense melting of the ice field dispersing under the effect of prevailing westerly there. South of 66°S, the diminution process in the region A was considered to differ from that in the region B (Fig. 11). Ice conditions in the region A indicated that the ice field there had not experienced any intense movement. There the ice field was probably under the dispersing effect of weak westerly and the diminution of ice was chiefly due to melting. In the region B, on the other hand, the ice field were continuously moving west-south-westward. There the diminution of ice was partly attributed to the decrease in the amount of ice supply from Enderby Land. By the beginning of February, the ice field off the Prince Olav Coast had retired within 70km from the coast. Off Cape Ann no drift ice existed in the middle of February. 5. The meaning of oceanographic observations to the analysis of the ice diminution process Summer ice diminution is determined by two factors: the melting of ice and the movement of ice. The latter is caused primarily by wind. Now, the most characteristic feature of wind regime in the Antarctic coastal region is the existence of easterly near coast and of westerly off the sea. The ice field is dispersed by westerly and then melts rapidly. Therefore, early in summer (at the end of December or at the beginning of January) the ice edge is probably at about the boundary between easterly and westerly. Wind regime reflects on sea regime and the said boundary appears in the sea as the so-called Antarctic Divergence. Thus, to know the position of the Antarctic Divergence becomes important for ice diminution considerations. Our eleven stations were not adequately located for the determination of the position of the Antarctic Divergence. But, from the obtained temperature distribution, the concave of the Antarctic Divergence on 38°E meridian was deduced (The author considers that the Divergence will be nearly pallarel to 1℃ isotherm in Fig. 14.). Concerning the melting, it is difficult to estimate the amount of melted ice from heat balance considerations. But, assuming that no advection occurs in the sea, it may be estimated from considerations of the dilution of the surface water. The obtained oceanographic data were analyzed from this point of view (Table 3, where D, S_1 and S_2 mean the thickness of the surface water, the salinity in winter and the mean salinity in summer, respectively). Reasonable values were obtained for stations 1, 2, 3 and 4, showing that advection corrections for these stations were negligible. This again indicates that in the region A the ice field had not experienced intense moving. Acknowledgements As mentioned in the introduction, the ice observations were carried out by the members of the Navigation Section of the "SOYA". The author expresses his sincere thanks to Mr. TETSUO SHIMOMATSU, the then navigating officer, and other members of the Navigation Section. Mr. KOSEI YOSHIDA, the then fourth officer, compiled the excellent ice charts, on which Figs. 1-10 of the text are based. The contents of §§ 2 and 3 are also mainly due to him. Oceanographic data used in §5 were kindly offered before publication by Mr. SHIGERU FUKASE of the Nagasaki Marine Meteorological Observatory, chief oceanographer of the expedition. Asst. Prof. KOU KUSUNOKI and Mr. NOBUO ONO of the Institute, both the former members of JARE, gave many usufull suggestions. The author expresses his hearty thanks to all of them.