著者
諸麥 俊司 二宮 誠 石松 隆和
出版者
長崎大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2006

麻痺した5指の自由な運動が可能となるパワーグローブの開発を行った。本グローブは腱に相当する駆動糸を内蔵した皮製の手袋と駆動糸を操る駆動装置とから成る。利用者の意図に基づいて駆動装置が駆動糸に張力を与えることで、利用者の指は操り人形のように自由に動く仕組みとなっている。試作したグローブを用いてテニスボールの投球・捕球動作、缶飲料の把持、シャンケンなどの動作の実現が確認できた。
著者
磯本 一
出版者
長崎大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010

内視鏡下に食道癌症例の癌部・周辺非腫瘍粘膜から生検サンプルを用いてマイクロアレイで同定した12種のヒトマイクロRNA(食道扁平上皮癌部で2倍以上の発現変化)を定量的に分析してみると、miR-1246、miR-1290、miR-196a、miR-196b、miR-1914、miR-424、miR-130b、miR-7、miR-455-3pが2倍以上発現上昇した。miR-203が2分の1以下に発現低下した。食道扁平上皮癌組織のmiR発現と臨床病理学的因子の関連性を明らかにするために、多段階に食道癌が発癌する過程においてmiRが果たす役割を解析する。しかしながら、異形成~上皮内癌~早期癌のサンプルが十分でなく、内視鏡下粘膜下層剥離術を用いて切除標本、施行時の血液サンプルを集積して、臨床病理database を構築した。化学放射線療法前後における非腫瘍部食道粘膜のmiRの変動を、6症例において統計的に解析した結果で有意差がなかったが、2倍以上増加したmiR-1914については放射線応答性miRである可能性があり、症例を追加し治療前後でその発現変動を追求する。食道扁平上皮癌における特性をさらに検討するため、アカラシア患者の食道粘膜における発現変化を検討した。対照群と比べて、アカラシアの食道粘膜では12種類のmiRで有意差がみられた。7つが有意に上昇、5つが有意に低下したmiRであった。注目すべき点は、食道癌をはじめとする多くの癌腫で発現上昇が報告されているmiR-21がアカラシア食道粘膜で上昇している点である。miR-21の標的分子として報告されているPDCD4、 SPRY1やCCDC12のmRNAが低下している。しかし、一方でmiR-1246、miR-196a、miR-196b、miR-1914、miR-424、miR-130b、miR-7、miR-455-3p、miR-203 はいずれもアカラシア食道粘膜では変動しておらず、食道扁平上皮癌の発癌過程における特性が示唆された。miR-1290は食道扁平上皮癌において血清miRが上昇している。miR-1290をターゲットに、食道扁平上皮癌特異的miRの特定を確かなものにしたい。
著者
林 洋子 山口 東平 野中 俊輔
出版者
長崎大学
雑誌
長崎醫學會雜誌 : Nagasaki Igakkai zasshi (ISSN:03693228)
巻号頁・発行日
vol.79, no.4, pp.309-312, 2004-12

症例は46歳,女性. 1988年に原発性胆汁性肝硬変(PBC)と診断され,加療を受けていた. 2002年肝硬変による浮腫,腹水貯留が出現し,2003年には腹部CTにて門脈血栓を指摘された. 2004年4月4日,吐血し,意識レベルの低下を認め,緊急入院となった. 食道静脈瘤,貧血の治療を行うも,血圧は徐々に低下し,吐血から26時間後に死亡した. 病理解剖では,多量の消化管出血及びstageIVのPCBを背景に広範な急性中心性肝壊死が認められた. Sepsis,DICの所見も確認された. 死因は,septic shockの可能性も否定できないが,hypovolemiaに起因する中心性肝壊死による肝不全が直接死因として最も重要な病態と考えられた.
著者
松永 昭一 山内 勝也 小栗 清
出版者
長崎大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

本研究では統計的手法に基づき正常肺音と異常肺音を識別する手法の研究を行った.本手法の特徴は異常肺音を正確に検出するために,音響特徴を扱うための統計モデルと,呼気/吸気に含まれる音響的特徴セグメントの生起順序に関する統計モデルを用いる.また,韻律情報を用いて乳児の情動クラスを推定する手法の研究を行った.本手法の特徴は泣き声のセグメントと無音セグメントの継続時間の割合を韻律情報として用いることであり,従来のスペクトル情報を用いた手法より識別性能が大きく向上した.
著者
生野 正剛
出版者
長崎大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

日韓両国の廃棄物政策では、廃棄物発生抑制およびリサイクルの推進による廃棄物減量化、資源節約を目指す方向性、およびその目的達成の手段としての経済的手法の大幅な導入廃棄物管理政策の優先順位で共通している。さらに、拡大生産者責任を、日本では、容器包装・家電リサイクル法等で、韓国では生産者責任再活用制度で導入し、製品の設計・製造段階からの廃棄物発生抑制・減量化・リサイクル推進・省資源を目指している。しかし、韓国と比較して、日本はそれらの政策を推進するための具体的な仕組み.制度において廃棄物発生抑制の仕組みが弱い。すなわち、韓国では、製品となっても、使い捨て用品使用規制および過剰包装規制によって、廃棄物の発生を抑制し、製品購入後にはごみ従量制(有料化)によって廃棄物の減量化を図るという具合に、製品のライフサイクルにおいて廃棄物の発生抑制、減量化に向けた諸制度が有機的に結びつけられている。一方日本では、生産者に対する、設計・製造段階からの廃棄物発生抑制へのインセンティブが弱く、大量リサイクル推進策に終っている。また、各個別リサイクル法を除けば、他の廃棄物発生抑制・減量化・省資源は事業者の自主的取組みとされており、ごみ有料化・レジ袋有料化の実施も地方自治体や事業者の判断に委ねられている。この相違によって、韓国では、一般廃棄物の減量化に一定程度成功しているが、日本ではリサイクルは進んだとしても、排出量は依然として高止まり状態である。したがって、日本においても、使い捨て用品の使用規制、過剰包装規制、容器包装リサイクル法の中での使い捨て容器包装のリデュースとリユースへの転換を図るシステムの導入など、廃棄物の発生抑制のためのより明確な手段を導入する必要がある。
著者
森田 公一 城野 洋一郎
出版者
長崎大学
雑誌
特定領域研究
巻号頁・発行日
2003

本研究は現在アメリカなどで増加傾向にあるWest Nileウイルス(以下、西ナイルウイルス)感染症の効果的な予防法確立の基盤を確立するため、ヒト用ワクチンとしての組織培養ウイルスを用いた不活化ワクチンと動物用ワクチンとしてのリコンビナントワクチンを試験的に作製しその効果を検証することを目的としている。ウイルス材料として米国のニューヨークで分離された西ナイルウイルス株(NY99-35262-11)を日本脳炎組織培養ワクチン製造に用いられるVero細胞プラットフォームを用いて大量培養を行った結果、10^9PFU/ml以上という高いウイルス価が得られた。このウイルス原液を日本脳炎ウイルスワクチン製造方法と同様の精製、ホルマリンによる不活化方法により、ヒト用の日本脳炎ウイルスと同程度の純度(1Dose当たり1ng以下の宿主DNAの混入など)をもった試作ワクチンを試作した。マウスを用いた免疫試験をにおいてはワクチン未接種群は全て脳炎を発症して死亡したが、ワクチン接種群は全てが生残し、本ワクチンの有効性が証明された。また動物用のリコンビナントウイルス作製については同じくNY99-35262-11株のPrM-E遺伝子領域をクローン化し、現在日本脳炎動物用ワクチン株ML17株とキメラcDNAを構築が完了した。今後、不活化ワクチンについてはヒトでの安全性試験と有効性確認試験が必要であり、動物用ワクチンについてはキメラウイルスの回収が必要となる。
著者
近藤 晃 穐山 雄一郎 山下 裕
出版者
長崎大学
雑誌
長崎醫學會雜誌 : Nagasaki Igakkai zasshi (ISSN:03693228)
巻号頁・発行日
vol.81, no.4, pp.372-375, 2006-12

71歳男性で,発熱,両下肢の倦怠感があるため,2006年7月7日当病院に入院した。右肘部背側に小鶏卵大の腫瘤があり,右前腕および上腕屈側に結節および発赤をみとめた。白血球数18200/mm3,好中球86.9%であったため,piperacillinの治療を開始した。入院時の血液培養で,Viblio vulnificusが分離された。その後,piperacillinのほか,imipenem, biapenemに変更して,症状は軽快した。アルコール性肝炎があったが,早期からpiperacillinによる治療を行ったことにより,重症化せずに救命し得たものと考えられた。
著者
橋本 健夫 若木 容子
出版者
長崎大学
雑誌
長崎大学教育学部紀要. 教科教育学 (ISSN:13451383)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.23-37, 2008-03

少子高齢化社会の到来や経済及び産業の構造変化によって雇用形態が流動化し,若者のフリーターやニートが増加している。これを受けて文部科学省もキャリア教育の充実を図り始めている。本研究では,現在の小・中学校のキャリア教育の実態を調査するとともに分析を行った。その結果,児童・生徒は,学校がキャリア教育の一環として実施している職場体験学習に対して意義あるものと捉えてはいるものの体験時間や職種に不満を抱いていること,また,小学校から中学校への連続したキャリア教育が殆ど実施されていないことなどが明らかになった。そこで,小・中学校に共通な総合的な学習の時間の活用を提案するとともに,小学校でのキャリア教育であり方を探る実践を行った。
著者
半澤 節子 二之宮 実知子 小川 るみ 江口 昭 西村 大輔 濱元 覚 中尾 理恵子 志水 友加 溝口 静子 三根 妙子 保利 恵 久松 三枝子 渕本 規子 山下 美保子 中野 弘恵 鍵下 佳子 桑原 香織
出版者
長崎大学
雑誌
長崎大学医学部保健学科紀要 (ISSN:09160841)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.97-104, 2002-06

以下は,平成14(2001)3月1日午後2時間にわたって長崎大学医学部講義室で行われた,第39回長崎県総合公衆衛生研究会自由研究集会「精神障害者の地域活動所という場における新たな出会い」の記録の概要である.実習関係者の方々による話題提供と,多様な参加者の方々とのフリーディスカッション,そして,大学の教育担当者の立場から若干の考察をまとめたものである.
著者
大畠 雅之 田中 賢治 中村 昭博
出版者
長崎大学
雑誌
長崎醫學會雜誌 : Nagasaki Igakkai zasshi (ISSN:03693228)
巻号頁・発行日
vol.79, no.4, pp.313-317, 2004-12

漏斗胸に対する胸骨翻転術,胸骨拳上術に変わる治療として2001年よりNuss法を行っている. Nuss法は金属プレートにより変形胸骨を表面より支える方法で現在まで12例に施行した. 8例にステンレス鋼を4例にチタン合金のプレートを使用した. 手術時間は48分から4時間11分で平均1時間47分であった. 出血量は前例20g以下であった. 術後の鎮痛として10例に硬膜外麻酔を用いた. 術後合併症が2例に発生し,1例は皮下気腫,他の1例は術後金属プレートの偏位のための金属プレートの抜去術が行われた. Nuss法後2年が経過した1例に金属プレートの抜去術が行われたが,胸郭の変形,再陥凹を認めていない. 多くの患児とその家族は術後の結果に非常に満足しているが,成長過程にある小児の場合注意深い経過観察が重要であると思われる.
著者
田川 泰 浦田 秀子 中野 裕之 井口 茂 石橋 経久 楠本 真理子 片田 美咲 Todd SAUNDERS 山口 美和子 松本 愛 山根 幸子
出版者
長崎大学
雑誌
長崎大学医学部保健学科紀要 (ISSN:09160841)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.89-94, 2002-06

音楽の種類による心理的,身体的影響の差異はいまだ明らかではない.そこで,整形外科領域で同様の体動制限を受けている症例を対象に,クラシック音楽群4症例とロック音楽群5症例による受動的音楽療法下における心理的ストレス反応と細胞性免疫能を検討した. クラシック群はほとんどの症例において快感を感じ,空想,回想のため思考低下を認めたが,睡眠傾向はほとんど認められなかった.免疫能の指標であるCD4/CD8は音楽療法開始時より終了時に低値を示した.一方,ロック群は快感と不快感を感じる個人差を呈したが,空想,回想は認められなかった.5症例中3症例に睡眠傾向を認めた.CD4/CD8は個人差を認めたが,快感を感じた症例は終了時に低値を認めた. 上記のように,音楽の種類により,心理的,免疫学的差異があり,これらの特徴を理解して音楽療法を評価・活用すべきである.The influence of different kinds of music on psychological and physiological response is unclear. The authors investigated the psychological stress response and the cellular immune reaction to passive classic and rock music therapy in 9 patients who had similar orthopedic operations. Classic music subjects in 3 of the 4 cases indicated a general pleasant feeling, reminisced about past experiences, and reported no drowsiness, while feeling an increased thinking stress. The CD4/8 cellular immune reaction index also decreased. For the subjects of rock music, 2 cases experienced pleasantness and 2 cases experienced unpleasantness. However, no recollection memories were had and thinking ability was not suppressed. 3 of the 5 cases indicated drowsiness. The CD4/8 index declined in the pleasant feeling cases, the same as it did for classic music subjects. This study suggest that the different kinds of music used in passive music therapy may play different physiological as well as psychological roles in stress reduction. Care should be taken to ensure that the intended feelings are induced.
著者
児玉 好雄 林 秀千人 村山 将 近藤 重樹 山口 英告 石田 清輝
出版者
長崎大学
雑誌
長崎大学工学部研究報告 (ISSN:02860902)
巻号頁・発行日
vol.34, no.62, pp.9-17, 2004-01
被引用文献数
1

There are two mechanisms giving rise to the dipole-type radiation of the turbulent noise generated from Jet fan. One is the strong turbulence induced by a front rotor which flows into the rear rotor, which, in tum, random force fluctuation on a rear rotor blade. Another is shedding of vortices from the trailing edge of the both front and rear rotors. In this paper, we take these two mechanisms into consideration to theoretically estimate the turbulent noise level. The estimated values agree well with the measured levels of turbulent noise generated by the Jet fan. It is theoretically clarified that the noise generated by the rear rotor is higher than that from the front rotor. The noise due to the turbulent flow is higher than that due to the vortex shedding from the trailing edge of the rotor.
著者
高橋 和雄 藤井 真 原野 安弘
出版者
長崎大学
雑誌
長崎大学工学部研究報告 (ISSN:02860902)
巻号頁・発行日
vol.27, no.49, pp.305-311, 1997-07

The volcanic disaster of Mt. Fugen in Unzen was prolonged and enlarged more than four years. Roads and railway with in off-limit area were closed and damaged by debris flows. The volcanic activity rendered severe bad effects on the local economy in commerce and industry. In this paper, study on travel choice behavior of commuters during interception of traffic due to volcanic disaster of Mt. Fugen in Unzen is reported by the questionnaire survey. Transport behaviors of commuters and effects on daily living are discussed.
著者
石原 和子 鷹居 樹八子 半澤 節子 永田 耕司 黒岩 かおる
出版者
長崎大学
雑誌
長崎大学医学部保健学科紀要 (ISSN:09160841)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.85-92, 2001-12
被引用文献数
1

看護学科の「カウンセリング特論」授業において,模擬患者(Simulated Patient:SP)を導入し看護面接場面を3場面設定しロールプレイ演習を行った.演習の評価を,半構成的質問紙調査により把握した結果,次のように要約された. 1.SPとのロールプレイ演習において,「傾聴と共感」,「チューニング」,「アンカリング」,「ポジティブ・メッセージ」といったコミュニケーション技法が効果的に使用された. 2.SPからのフィードバックは,演習に参加した学生にとってプラスの動機付けとなった. 3.自由記載欄をKJ法により内容分析を行った結果,「看護方法の学び」,「参加した感想」,「これからの授業に対する要望」の3分野と8つの内容に分類された.8つの内容は,「看護者からの質問の仕方」,「患者の奥にあるものに触れること」,「意欲や希望への働きかけ」,「大丈夫,頑張ってという励ましの働きかけ」,「具体策を考えるということ」,「看護者の基本的態度」,「沈黙をどう考えるか」,「SPの気持ちから」であった. 4.参加した感想では,「客観的に看護面接場面を評価できたので良かった」,「客観的に場面を観てどうすれば良いかを考える機会になった」,「これから看護職として仕事をする上で大変参考になった」等の効果があった. 5.SPを授業に取り入れることや看護面接演習を臨地実習の前に要望していた.
著者
笠原 俊彦
出版者
長崎大学
雑誌
經營と經濟 : 長崎工業經營専門學校大東亞經濟研究所年報 (ISSN:02869101)
巻号頁・発行日
vol.82, no.4, pp.25-62, 2003-03-25

The sects developed from the Baptistic movement, or briefly Baptistic Sects, are regarded by Weber as primary and positive in the doctrine as compared to Calvinism, while Pietism and Methodism are thought secondary and passive to Calvinism both in the doctrines and the ascetic ethics. One of the decisive characteristics of Baptistic Sects was just their 'sects' which mean the church originally invisible in heven concreted visible on earth by the genuine Christians with their voluntary will. And the doctrine of these sects was different from that of old Protestantism and also from that of Cathoricism. It was that the bless could be given only by the manifestation i. e. the work of God's spirit within one's soul; - the Renaissence of the pneumatic theory of early Christianism. There were two moments distinct in the religious mind of Baptistic Sects : (1)Bibliocracy and (2)waiting for the manifestation. The first generation of Baptistic Sects thought that only 'the awakened' were the 'brothers of Christ', because they were made of the spirit of God, and held the Bibliocracy in the meaning of esteem and acquirement of the way of the Apostl's life. This was accompanied with aversion to uninevitable intercourse with worldly life - difference from Calvinism - and with repugnance to any appreciation and worship of creature and so of worldly pleasure - alikeness to Calvinism. However, Baptistic Sects had another moment of religious mind strong enough to restrict its Bibliocracy. What had been revealed and described in the Bible was not all but a part of God's words and the words were to be manifested continuously from the past to the present, so that not only the Bible but also the revelation to each conscience of the believers was to be adored. This idea, which prized the 'subjective' conscience, led to complete the liberation from all the magics and so from the salvation by the church - to the same effect of Calvinism. Alikeness with Calvinism is also seen in the doctrine that the bless by God, once given, was never lost because this was the work of God and made the men free from all the sins, and, with some slight difference in this turn, that the bless was to be endowed not to all but to some i. e. to the limited number of 'the grown-up'. As well as in Calvinism, 'good deed' in Baptistic Sects was the inevit- able sign of one's blessed state; but the deed in the early Baptistic Sects was thought to be far from the worldly life and worked passively to the economic occupation. The ethical life in this sense was supposed to be needed in waiting for the manifestation; it meant the preparation for the revelation because the spirit of God spoke only to the soul soothed and cooled by the ethical deed. The idea of coolness was accepted in the minds of broad circle when Baptistic movement spreaded into the regular lives of the worldly occupations, and then the people with these occupations began to controll their very wordly lives by their conscience; - a notable change in the religious mind of Baptistic Sects, I think. The membership of the citizens pressed Baptistic Sects to proceed now on the soil of worldly asceticism prepared by Calvinism. This was forced also by the Protestant notion that asceticism in monkery was adoration of creature and anti-Bible, and stimulated by the rejection of politics and by the hostility to the aristcratic life style. Worldly asceticism in Baptistic Sects was activated more by the spontaneousness in Baptistic Sects which valued the free will of its members instead of the regulation by the church-police which persecuted people with close examination and oppressed their autonomy in asceticism. From all the observations above, Weber concludes that Baptistic Sects did not give any remarkably new contribution to the development of the idea of calling, and so are to be ignored at large in the following stages of his study. But we can not forget the moment of conscience which Baptistic Sects added to Calvinism and brought into the cool and formal legality of the Calvinistic mind some virtues of warmness as seen in B. Franklin.
著者
笠原 俊彦
出版者
長崎大学
雑誌
長崎大学経済学部研究年報 (ISSN:09108602)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.1-18, 2003-03

According to Weber, Pietism emerged within Calvinism and stayed there inseparably for a while. It stimulated Calvinism and revived the doctrine of 'selective blessing' which had been undermined temporarily in Calvinism itself, though Pietism showed indifference to, or even neglection of, the doctrinal study and discriminatory appreciation for 'the religious practice of asceticism' called 'practice of piety'. Pietism, then, began to hold 'the secret meeting' which was believed to be 'the church of the saved' made visible on earth of 'the invisible church' in heaven. And there, apart from the worldly life, they exercised their religious practice in order to get feeling of 'the coexistence with God' - the feeling similar to that of 'unio mystica' ('the mystical unification of beliver with God') of Lutheranism. This feeling of coexistence is one of the characteristics of Pietism considerablly important from Weber's viewpoint. Because, contrary to the Calvinists' coolness, it gave religious emotion to Pietists, and all the more, with this, made them seek not the ascetic battle in this worldly life to get the confidence in their eternal lives there in heaven, but the asceticism to get the bless already here on earth; this, together with their despisement of the worldly life as 'creature', diminished the power in the occupational labour and produced the organzations called 'sects' remote from the world and near to the monkery. Of course there was another direction in Pietism - the extraordinarily severe practice (severer by far than that of average Calvinists) of asceticism in worldly life, to get confidence in their own blessed state. This, however, we cannot distinguish from Calvinism, so far as Weber's observations concern. German Pietism is known with the names of its leaders - Spener, Francke and Zinzendorf. It was based on the ground of Lutheranism and accordingly went away from the Calvinistic doctrine of 'predetermination'. It could be said to be the result of the invasion of the Calvinistic asceticism into Lutheranism, and this brought disorder into the logic of German Pietism, - or more correctly, with its lack of deliberation in introducing Calvinistic asceticism, German Pietism could not formulate any logically consistent doctrine. Also in German Pietism there was a stream with considerable resemblance to Calvinism. It was the stream made by Francke who weakened the logic of the doctrine of selective blessing by setting, in this place, the doctrine of blessing by 'Bufikampf' - doctrine slightly but seriously mixed with emotional moment. This moment of emotion was the main factor which weakened and destroyed the iron logic of the Calvinistic doctrine; it became considerbly large, when one strolls from Francke to Spener, and finally enormous, when one reaches the strange confusion of Zinzendorf. pietism was held mainly by the people with traditional way of life, such as officials and workers of domestic industry. In a word, it was 'the religious pleasure of the leisure class'.
著者
加藤 克知 沖田 実 田原 弘幸
出版者
長崎大学
雑誌
長崎大学医療技術短期大学部紀要 (ISSN:09160841)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.1-5, 2001-03

65歳男性遺体の右膝に見いだされた円板状外側半月を観察し,特に関節内付属靱帯との関係を記載した.円板状外側半月は比較的幅広く,脛骨の外側顆上関節面をほぼ完全に被い,肉眼的観察およびX線撮影ではその損傷や石灰化などの異常は見られなかった.本例では,全体的に半月の固定に関係する靱帯の発達が良好であった.すなわち,半月の前角と後角は靱帯を介して強固に脛骨に付着し,さらに,強い半月横靱帯が内・外側半月の前部を連結していた.後方では外側半月後角から起こる太い後半月大腿靱帯が認められた.加えて,内側・外側半月の前角から起こり前十字靱帯に合流する靱帯小束が認められたが,これらは半月の前部固定に関与すると考えられた.
著者
Sonoda Kenji
出版者
長崎大学
雑誌
保健学研究 (ISSN:18814441)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.1-5, 2006

Today, normally the relative that is not used in nonrestrictive relative clauses. But, even today there are times when one comes across the relative that used nonrestrictively. In fact, one sees it surprisingly often, especially in BrE. Historically, in nonrestrictive clauses, not only which but also that has been used for hundreds of years, but early in the 20th century, using that nonrestrictively ceased to be popular, although writers like D. H. Lawrence continued using it. The objective of my article is to point out that, despite its limited instances, the nonrestrictive that has been used in much the same way as which. To be specific, which has been used in nonrestrictive clauses when its antecedents are definite, indefinite, and when the antecedents have general reference, and all of this seems to have been the case with that too. The antecedents of the nonrestrictive which are noun phrases, adjective phrases, verb phrases, part of the previous clause, or a whole clause, and that seems to take the same kinds of antecedents as which. My study is based upon more than sixty examples of the nonrestrictive relative that ranging from the beginning of the 20th century to the present.