著者
大橋 由美
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.81, no.7, pp.591-603, 2008-09-01 (Released:2010-03-12)
参考文献数
30
被引用文献数
1

本稿の目的は, 循環型社会構築に向け注目を浴びている自治体レベルでの家庭系生ごみの堆肥化事業について, 今後, 事業を進めていくために何が重要であるかを明らかにすることである. この点を検討するために, 本稿では, これまで堆肥化事業に着手してきたすべての自治体から得られた終了要因と問題点を基に, 事業の終了と継続に関わる要因を考察した. 事業終了自治体では, 施設の老朽化が顕在化したところで, 取組みをやめる自治体が多く, 終了するか否かの決定には, 堆肥需要とコスト負担の問題が影響を与えていた. 需要を左右するのは堆肥の質であり, ここには分別の徹底や排出される生ごみの組成が日々変化するという家庭系生ごみ特有の問題が関係している. 近年, 多くの自治体が事業を開始しているが, これら自治体が施設の更新時期を迎えた時に, 事業を継続できるかは, 需要のあり方を左右する堆肥の質の問題をいかに克服できるかが重要となる.
著者
伊賀 聖屋
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.81, no.4, pp.150-178, 2008-05-01 (Released:2010-07-01)
参考文献数
27
被引用文献数
5 7

近年, 新たな食料供給のあり方としてショートフードサプライチェーン (SFSC) が注目を集めている. その主な特徴は, 主体間の近接性や独自の価格形成・保証方式にある. 本稿では, ローカルな場面で酒造業者A・B社が酒米生産者と結ぶ提携関係をSFSCと位置づけ, その形成過程とそれが個々の主体に及ぼす影響を考察した. その結果, 以下の点が明らかとなった. (1) A・B社と酒米生産者の提携関係は, そこでの「個人間の相互作用」と「密な情報交換」に対する各主体の期待が合致することで生み出された. (2) その形成過程では, 主体の積極的働き掛けのほか, 自然食品のネットワークや生産地域内の近隣関係が各主体の思惑を結びつける機能を果たしていた. (3) 提携が主体に及ぼす影響としては, 信頼関係の醸成, ネットワークの進化, 酒造業者による経済的支援, 市場競争力の強化, 生産調達リスクの増加が挙げられ, これら作用をいかに活用ないし克服するかが提携の存立に向けた鍵といえる.
著者
野上 道男
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100009, 2014 (Released:2014-03-31)

中国史書によれば2世紀末に倭国に「乱」があり、それを契機に卑弥呼が国王に共立された、という.日本の歴史における古代はここに始まると見て良いであろう.結論を先にすると「倭国乱」は冷夏による2年続きの飢饉で起きた社会不安と食を求める民衆の流浪が実態であり、戦乱ではない.冷夏の原因はタウポ火山(NZの北島)の大噴火である. 以下の項目について、検証した(ここでは内容の詳細は省略).1)氷床コアの記録: 2)中国史書の記録:3)古事記・日本書紀の記事: 崇神7年は豊作だった.豊作で2年続きの「疾疫」が治ったのであるから、それが栄養失調症であったことをうかがわせる.さらに崇神12年の条には天皇が回顧して言う言葉の中に「寒さ暑さ序を失えり.疾病多に起こりて、百姓災を蒙る」とある.つまり疾疫が農と関係する栄養失調症であり、その原因は異常気象であったことがさらに明確に述べられている. 伝染病の大流行によって土地を捨てる流民は発生しないだろう.食を求めて「百姓流離」と解釈する方が自然である.魏志韓伝の同時代にも、後漢が植民地支配していた楽浪郡の郡県から韓人の流民が起こったとの記事がある.中国の黄巾の乱(民衆蜂起)や流民の発生は凶作飢饉が原因である.民衆は課税の対象である水田を捨て、冷夏に強いドングリなどの果実が豊富でヒエ・アワなら稔る落葉広葉樹林帯に疎開したのであろう. 非農業人口が多く稲作依存率が高い地方(弥生時代の先進地域、すなわち九州地方北部)ほど冷夏飢饉の影響は深刻だったはずである.クラカタウ火山大噴火による宣化元年(536年)の飢饉の際にも、各地の屯倉の米を那の津(博多港)の倉庫に集めるよう、勅令が出されている.
著者
米島 万有子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.16, 2014 (Released:2014-10-01)

1.研究背景と目的 終戦後まもなく蚊の発生原因としてみなされていた彦根城堀の一部の埋め立ては,マラリア防疫の偉業として知られている(小林1960).しかし,その埋め立てが実際に蚊の発生を抑制した程度は不確かである.さらに,彦根城堀の埋め立てをめぐり衛生土木事業による歴史的景観を問題視する一部の住民組織と行政が対立した経緯も明らかになっている(米島2011).このような歴史的景観としての堀の環境衛生問題は,過去の出来事に限定されない.京都新聞の記事(2010年5月3日付 二条城が蚊の「大量発生源」?住民指摘、京都市が生息調査)によれば,2009年の秋に二条城北側周辺の住民から「蚊が多い」こと,さらに堀を蚊の発生源と指摘する意見が寄せられ,堀に環境衛生上の問題を懸念する意見が表明された.京都市は蚊の発生調査を実施し,記事が掲載された5月の時点において幼虫は確認できなかったとされている.しかし,住民の蚊の被害実態や堀についての歴史的景観としての評価ならびに環境衛生問題への懸念について明らかにされていない点が多い.そこで,本研究は郵送質問紙調査により,二条城周辺の住民の蚊による被害実態および蚊の発生をめぐって堀に対する意識を明らかにし,堀の景観保全と健康・公衆衛生との関係を検討する.2.研究方法 調査は,二条城北側の住宅地から蚊の発生に対する苦情が寄せられたことから,二条城の北側に位置し,堀川通,千本通,竹屋町通,丸太町通の範囲内にある,京都市上京区の12町を対象とした.調査票の配布対象は,これらの町内にある全住宅および事業所2,853軒である.調査票は,指定した地域のポストが設置されている住宅,事業所全て(郵便の受取拒否をしている場合を除く)に配布できる日本郵便のタウンプラスを用いて,2013年1月下旬に上記の町内全戸に郵送配布し,郵送で回収した.調査票の回収数は882通(30.9%)であり,そのうち自宅752通(85.3%),事業所70通(7.9%),自宅兼事業所47通(5.3%),その他7通(0.8%),無回答6通(0.7%)だった.3.結果 アンケート調査の結果,蚊による吸血被害に「毎日」あるいは「2,3日に1回」の高頻度で遭っている回答者が全体の48.2%を占めた.特に高頻度の吸血被害は,二条城の堀に隣接しない町(42.6%)よりも,堀に隣接する町(54.5%)の居住・勤務者の方が多い.また,自宅ないし事業所敷地内で蚊に刺されることについて,気になるという回答率は71.1%にのぼった.すなわち二条城北側の住宅地,とりわけ堀と隣接する町では,蚊に悩まされていることが明らかになった.京都市が二条城堀において蚊の発生調査を行った結果,蚊の発生は認められなかったことを伝えた上で,堀が蚊の発生源になっていると思うかについて問うたところ,高頻度で蚊の吸血被害を受けている人ほど堀が蚊の発生源と認識している傾向があった. 次に,二条城の堀から蚊が発生する疑いを受け,堀に対してどのような対策をとった方がよいのかについて質問した.ここでは,A:現段階で,堀から蚊が発生する可能性に備える場合,B:将来,堀から蚊の発生が確認された場合,C:将来,堀から発生した蚊からウエストナイル熱ウイルスが確認された場合の3つの状況を設定し,それぞれの好ましいと思う対策について回答を求めた.その結果,Aの蚊の発生がない段階では,将来の蚊の発生を未然に防止する対策には消極的であった.しかし,C堀から発生した蚊からウイルスが検出される状況では,「堀を埋め立てる」べきとの回答数が著しく増加した.他の質問項目と照らしてみると,地域住民は,城(建造物)と堀をひとまとまりとして,歴史的価値ないし観光資源としての価値を認めてはいるものの,感染症という脅威にさらされた場合には,彦根市のマラリア対策と同様に,健康・身の安全を守るためには堀を埋め立てる選択肢もやむを得ないと考える意見も多く示された.4.おわりに 蚊による被害を受けている人ほど堀を蚊の発生源としてみなしている傾向があり,堀の水の衛生環境が悪い印象を与えていることが考えられる.また,堀の景観上の価値を認めつつも,仮に堀が原因で健康に支障が生じる場合には,保全よりも堀の埋め立てを推進する意見がみられることから,彦根の事例と同様に堀の保全と衛生的と思われる環境の形成との間には,潜在的に対立しうる関係が認められる.歴史的景観としての堀の保全には,その景観が「衛生的である」ことにも配慮する必要がある.
著者
佐藤 英人
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.80, no.14, pp.907-925, 2007-12-01 (Released:2010-03-12)
参考文献数
57
被引用文献数
1 5

本研究の目的は, 大規模オフィス開発事業に伴うオフィス移転を, 従来, 住居移動で議論されてきたフィルタリングプロセスを適用して分析し, 新たに供給されるオフィスビルが, 既存市街地内のオフィスビルに対して, 不動産経営上, どのような影響を与えるのかを解明することである. 分析の結果, 横浜みなとみらい21地区には, 横浜市内から転出した企業が多く, 新旧オフィスビル間にはテナント企業の争奪が認められた. 争奪によって空室となった既存市街地内のオフィスビルでは用途転用が確認され, 公共施設や商業施設への転用が認められた. また, 引き続き事務所として利用されたオフィスビルは, 横浜市内への進出を目指す中・小規模企業の受け皿となっている. したがって, 大規模オフィス開発事業に伴うオフィス移転は, テナント企業の連鎖移動を誘発させ, 結果的には, 既存市街地のオフィスビルに入居するテナント企業の選別格下げが起る.
著者
山本 健太
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.80, no.7, pp.442-458, 2007-06-01 (Released:2010-03-12)
参考文献数
17
被引用文献数
8 5 3

東京におけるアニメーション産業の集積メカニズムを企業間取引と労働市場の実態分析により検討した. その結果, 企業間取引の特徴として, 業界内の受外注は短納期であり, 契約内容が明文化されないことが明らかになった. アニメーション制作企業は取引先企業の技術力と支払いに対する信頼を通して取引の柔軟性を得ている. そのため, 企業相互の関係構築が重要になっている. 一方, 労働市場の主な特徴はフリーランサーが業界の主要な労働力になっていることである. フリーランサーは不安定な就業状態におかれているが, 仕事を通じた縦の人的つながりによって技術を修得し, 仕事仲間の横のつながりによって仕事を得ている. したがって, アニメーション産業の東京集積は, (1) 相互間の知識と信頼に立脚した取引が可能となる同業他社との近接性, (2) 柔軟性に富んだ専門的な労働者の確保と再生産が可能な労働市場, (3) スポンサーとなる関連コンテンツ産業の集積, (4) 新規労働者を供給する専門学校などの相互連関により維持されていると理解できる.
著者
杉原 重夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.43, no.12, pp.703-718, 1970-12-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
24
被引用文献数
11 12

下総台地の西部を構成する地形面を,とくに関東ローム層の層序に注目して区分・対比し,台地の地形発達を明らかにした. (1) 関東ローム層をのせる地形面は,上位から下総上位面,下総下位面,千葉第1段丘,千葉第2段丘に分けられる. (2) 下総上位面は海岸平野,下総下位面は海岸段丘又は氾濫原平野,千葉第1段丘,千葉第2段丘は河岸段丘である. (3) 下総上位面,下総下位面の分布状態から,下末吉海進の海が海退に転じた直後の古東京湾中部における古地理を明らかにすることができた.古東京湾の海が南(東京湾方向)と北東(鹿島灘方向)に分化した時期は,少なくとも下末吉ローム層中部のPm-1軽石層堆積以前である. (4) 周辺諸台地との対比をおこなった結果,今まで下末吉面と武蔵野面の2段に区分されていた地形面は, S1・S2・Mの3面に分けられるべきことが明らかになった.このうち台地の主面として広く分布するのは, S1・S2面で,これまでの武蔵野面 (M面)は,ごく狭い地域にしか分布しない.
著者
石川 菜央
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.77, no.14, pp.957-976, 2004-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
84
被引用文献数
8 3

宇和島地方において闘牛が存続してきた要因を,担い手の生活や行動に注目して分析した結果,以下の3点が明らかになった.第1に,生業における牛の必要性が農民の娯楽としての闘牛を生み出した.ゆえに農業が機械化されると闘牛は消滅した.しかし第2の要因である観光化と担い手の組織化が,これを復活させた.宇和島市・南宇和郡の各組織が観光化と地域の状況に対応しながら大会を維持してきたことは,現在の共存関係につながっているといえる.組織を支える第3の要因として,担い手の中心である牛主や勢子,それを支えるヒイキなどが組織内で育まれていることが最も重要である.彼らは勝負の時だけではなく,牛の世話や飲食など日常生活を通して交流し,確固たる人間関係を築いており,そこから次の担い手が再生産されている.闘牛は伝統行事であると同時に,現在においても担い手の生活の核となり,新たな人間関係を生み出しているのである.
著者
伊賀 聖屋
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.80, no.6, pp.361-381, 2007-05-01 (Released:2010-03-12)
参考文献数
31
被引用文献数
7 5

本稿は, 地場の味噌製造業者A・B社が使用する良質な原料農産物に着目し, その質の構築過程を「概念化」・「物質化」・「維持」の観点から考察した. 結果, 以下の点が明らかとなった. (1) A・B社原料の質は, 主に各社が食の安全に敏感な人々との交渉の中で, 原料の具体的生産・調達条件を規定することにより概念化された. (2) 概念化された質の物質化に向け, 各社はそれへの同意を得やすい農家に対し積極的アプローチを行った. その際に形成された各社ネットワークは, 原料の規定条件により異なる空間的発展様式を見せた. (3) 各社原料の質は, 各社が原料生産者に対し質の妥当性を再検討する場や原料生産の技術的支援体制を整備する一方, 消費者に対し原料生産に関わる情報を的確に伝達することで維持される. (4) 上の過程において各社は, 地元外の原料生産者や消費者とも戦略的に結びつきを強めたが, 接触手段・頻度の向上を図ることでその地理的関係を調整していた.
著者
阿部 康久 高木 彰彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.228-242, 2005-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
18
被引用文献数
1 1

衆議院への新選挙制度の導入によって,個人後援会に代表される国会議員の政治組織が,空間的にどのような変容を遂げつつあるのかを長崎県を事例として検討した.並立制導入以降も,議員の多くは,新選挙区から外れた地区においても政治活動を行い,中選挙区時代の後援会組織を,基本的には維持している.その要因として,選挙区外の支持者であっても,選挙の際には支援を受けられるという点があるが,中選挙区時代の区割りが,現在でも議員や後援者の意識に,強い影響力を有しているという側面も指摘できる.これに対して,現在の選挙区が,交通アクセスが悪い諸地域から成り立っているところでは,中選挙区時代の後援会組織を維持することに消極的である.また,衆院から参院議員や知事に鞍替えした議員は,広大な選挙区をカバーする後援会組織を作ることが難しく,その空間的範囲は,衆院時代のものに限定されている.党派別に見ると,与党系の議員は,自前の後援会組織だけでなく,党所属の地方議員や支持団体からも支援を受けられるのに対して,保守系野党議員は,このような支援を受けにくく,従来の後援会組織に集票活動を依存する傾向が強くなっている.
著者
渡辺 和之
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.13, 2014 (Released:2014-10-01)

原発事故による畜産被害を聞き取りしている。2013年秋と2014年春に南相馬市で調査をおこなった。南相馬市には福島県内にあるすべての避難区域が混在する。20km以内の旧警戒地域は小高区にあり、旧計画的避難区域(2012年4月解除)や特定避難勧奨地点(以下勧奨地点)は原町区の山よりの集落に集中する。原町区の平野は比較的線量も低く、旧避難準備区域(2011年10月解除)となり、30km圏外の鹿島区では避難も補償もない。調査では原町区の山に近い橲原(じさばら)、深野(ふこうの)、馬場、片倉の集落を訪れ、4人の酪農家から話を伺うことができた。  南相馬では転作田を牧草地としており、いずれの農家も20ha以上の牧草地を利用する。このため、糞や堆肥置き場には困っていない。ただし、事故後牛乳の線量をND(検出限界値以下)とするため、30Bq以上の牧草を牛に与えるのを禁止し(国の基準値は100Bq)、購入飼料を与えている。  ところが、酪農家のなかには1人だけ県に許可を取り、牧草を与える実験をしている人がいる。彼は、国が牧草地を除染する以前から自主的に除染をはじめ、九州大学のグループとEM菌を使った除染実験をしている。牛1頭にEM菌を与え、64Bqの牧草を与えてみた所、EM菌が内部被曝したセシウム吸着し、乳の線量が落ちていた。  市内では震災を機に人手不足が深刻化しており、酪農家の間でも大きな問題となっている。南相馬の山の方が市内でも線量が高く、いずれの酪農家の方も子供を避難させている。妻子は県外にいて1人で牛の面倒を見ている人もおり、今までの規模はとても維持できないという。といって、少ない規模だと、ヘルパーも十分に雇うこともできず、牛の数を半分以下に減らした人もいる。  現地では地域分断よりも、地域の維持がより大きな問題となっている。ある酪農家は「続けられるだけまだいいと、今では考えるようにしている」という。「小高や津島の酪農家を見ていると、いつ再開できるのか先が見えない。農家によって状況も違うし、考え方も違う。どうやって生きて行くのか、その先の見通しを何とか見つけないと。事故がなくても考えなければいけないことだったかもしれない。ただ、無駄な努力をさせられたよな」とのことである。片倉では、小学校が複式学級になる。深野でも小学校の生徒が10人に減ってしまった。「避難先には何でもある。30-40代は戻ってこない。だから、昨年から田んぼも再開した。続けていないと集落が維持できなくなる」とのことである。  人がいなくなったことで獣害問題も深刻化している。山に近い片倉や馬場では、震災前からイノシシの被害はあったが、震災後に電気柵を設置したという。「電気柵をはずすと集中砲火を受ける。猿も定期的に群れで来る。あれはくせ者。牧草の新芽を食べる」という。  このような状況でありながらも、彼らは後継者不足には悩んでいない。週末になると避難先の千葉から息子さんが手伝いにくる人もいれば、息子が新潟の農業短大を卒業したら酪農をやるという人もいる。「酪農で大丈夫かとも思うが、牧草さえ再開できれば牛乳は足らないし、やってゆけなくはない」。また、「一度辞めると(酪農の)再開は困難。それ(息子が家業を継ぐ)までは今の規模を維持して行かないと」という。酪農仲間たちは、「親の背中を見てるんだねえ」とコメントしていた。
著者
清水 克志
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.81, no.1, pp.1-24, 2008-01-01 (Released:2010-03-12)
参考文献数
54
被引用文献数
2 2

本稿はキャベツ (甘藍) を事例に, 日本における外来野菜の生産地域が明治後期から昭和戦前期にかけて成立する過程を, 食習慣の定着と関わらせて考察することを目的とした. 明治前期に導入されたキャベツは, すぐには普及しなかった. 明治中・後期に, 都市の知識人がキャベツの新たな調理法を考案し, 大正期以降, その調理法が婦人雑誌や新聞で紹介された. また軍隊や学校給食などでキャベツがいち早く利用され, 都市住民の間でキャベツ食習慣の定着がみられた. 一方, 岩手県盛岡市などの各地の民間育種家は, 個々の地域の自然条件に適した作型であることに加え, 都市住民の嗜好に合致する国産品種を育成し, 生産地域の成立を促した. その結果, 長距離輸送が可能なキャベツは, 収穫期の異なる複数の生産地域から, 都市へ周年的に供給されるようになった. このことは, 外来野菜の生産地域の成立が, 食習慣の定着と密接に結びついて展開したことを示している.
著者
天野 宏司
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100127, 2013 (Released:2014-03-14)

飯能市では,飯能アニメツーリズム実行委員会を組織し,アニメ「ヤマノススメ」を活用した誘客事業を展開しつつある。このような流れは,団体型・発地型観光の凋落傾向のなか,個人型・着地型観光に対する関心の高まりのなか,S.I.T.が浸透してきたと捉えることができよう。アニメ・ツーリズムとは,作品のファンが,作品世界に我が身を浸潤させようとする,いわゆる「聖地巡礼」が自発的かつ同時多発的に発生する事を指す。あるいは,観光地域の側で,その様なファンの来訪行為を体系化し,コントロールしようとすることも概念的には含まれよう。飯能市の場合,隣接する秩父市がアニメツーリズムで成功を収めたことをロールモデルとして,これに追隨しようとの意図も有している。報告者は,飯能アニメツーリズム実行委員会の一員として誘客イベントの企画から効果分析までを関わってきた。同時に,秩父市での取組にも関与してきたことから,報告ではこのの両者の取組を比較しつつ誘客効果について分析を行う。
著者
水上 崇
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.73, 2003 (Released:2004-04-01)

1.はじめに 日本の沖積平野における洪水災害は、第二次大戦後の治水工事の進展により堤防を溢流するタイプは減ってきているが、その一方で、農地や森林の宅地化に代表される土地利用の変化によって内水氾濫型の洪水はむしろ増加している。そして、この傾向は三大都市圏のみならず、地方都市でも顕著になってきているものと考えられる。 本報告ではそのような観点から、高梁川とその最大の支流である小田川との合流点に位置し、古くから頻繁に水害を被ってきたことに加え、岡山市と倉敷市に近接していることから近年ベットタウン化が著しい岡山県吉備郡真備町をフィールドに取り上げ、洪水のタイプの変化による新たな水害の可能性について考察する。また、併せて町が近年作成したハザードマップの有効性についても言及を試みたい。2.真備町の地形 真備町は小田川の下流部に位置し、小田川と高梁川によって形成された氾濫原と背後の花崗岩質からなる丘陵より構成されている。小田川は、町の東端で高梁川と合流している。 空中写真判読による地形分類図作成結果から、真備町の氾濫原は次のように特徴づけられた。_丸1_自然堤防は極めて少なく、氾濫原のほとんどが後背湿地である。_丸2_小田川の旧河道は左岸の後背湿地に広く分布し、小田川の流路が右岸の丘陵寄りに移動し続けている。_丸3_左岸支流から末政川、高馬川という2本の顕著な天井川が流入しているが、いずれも扇状地を形成しておらず、上流からの土砂供給が少ないものと考えられる。3.洪水タイプの変化 続いて、過去の真備町に関する水害及び治水事業の記録からこの地域の洪水のタイプの変化について検討した。 真備町は、鎌倉時代の高梁川の南遷事業を契機として、小田川に加えて高梁川からの溢流による水害にも見舞われるようになった。加えて、小田川と合流した高梁川は、そのすぐ下流で倉敷平野へ抜ける狭窄部を通るため、大雨の際にはしばしば増水した河川水が小田川へと逆流し、真備町の氾濫原に水害をもたらすことが多くなった。この両タイプの水害は第二次世界大戦前まで頻繁に起こった。 第二次大戦後は高梁川、小田川のそれぞれ上流にダムが完成したことと、高水化工事が行われたこともあり、溢流するタイプの洪水は起こらなくなった。しかし、1960年代以降はそれに代わって、宅地化に伴う水田面積の減少によって、降った雨水が排水されず後背湿地に湛水し続ける内水氾濫タイプの水害が多く起こるようになってきている。なお、これには河床が高いために排水機能を果たせない天井川が氾濫原に存在していることも背景にあるものと考えられる。4.ハザードマップの有効性 真備町では、2000年に洪水避難地図(洪水ハザードマップ)を作成し、既往最大の水害時の浸水域内に居住する全ての世帯に配布を行っている。 このハザードマップの記載内容には以下の問題点を指摘したい。_丸1_氾濫原一面を同じ高さまで浸水するように示しており、微地形の違いによる湛水高が判別できない。_丸2_避難経路として最も湛水深の深い後背湿地(特に旧河道)を通るように示しているケースもあり、安全な避難を行えるか疑問である。 この他の問題点等については分析中につき、当日報告する。
著者
川久保 篤志
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.40, 2013 (Released:2013-09-04)

1.はじめに 2011年3月の東日本大震災に端を発する福島第一原発の未曾有の大事故は、現在でも事故原因の究明が完全には進んでおらず、避難を余儀なくされている原発周辺住民の帰還の目途も立っていない。にもかかわらず、政府は将来における原発廃止を決定できずにいる。この背景には、国家レベルでのエネルギーの安定供給の問題に加えて、原発の立地に伴う電源三法交付金による地域振興効果に期待する立地自治体等の思惑がある。 では、原発の立地地域では交付金をもとにどのような地域振興が図られてきたのか。本発表では、これまでの研究蓄積に乏しい島根原子力発電所(以下、島根原発)を事例に検討する。島根原発が地元にもたらしてきた交付金は1980年代に入って急増し、2010年までに累計720億円に達しており、その使途について検証する意義は大きいと思われる。 なお、島根原発が立地する松江市鹿島町は、松江市と合併する2005年までは八束郡鹿島町であったため、合併前に建設された1号機・2号機に関する地域振興効果の分析は旧鹿島町域で行い、現在建設中の3号機に関する分析は新松江市域で行うことにする。2.1号機・2号機の建設に伴う旧鹿島町の交付金事業の実態 旧鹿島町は、島根県東部の日本海に面した人口約9000人、面積約29km2の小さな町で、県東部有数の漁業の町として発展してきた。島根原発計画は1966年に持ち上がり、当時は原子力の危険性より用地買収や漁業補償に焦点が当たりながら、1974年には1号機、1989年には2号機が稼働した。 これにより多額の交付金や固定資産税が入ってきたため、特に1980年代と2000年代に積極的に地域振興事業が行われた。旧鹿島町役場と住民へのヒアリングによると、その主な使途は1980年代半ばまでは学校や運動公園、保健・福祉関係等の箱モノ建設が中心だったが、次第に、歴史民俗資料館(1987年)、プレジャー鹿島(1991年)、野外音楽堂(1998年)、鹿島マリーナ(2002年)、温泉施設(2003年)、海・山・里のふれあい広場(2005年)など、娯楽・観光的要素の強い事業が増加してきたという。これらの事業の中で住民から評価が高いのは、小・中学校校舎の新増設や公民館・町民会館の建設で、次代を担う世代の教育と地域住民のコミュニティ活動を活発化させる上で大きな役割を果たしたという。また、1992年の下水道施設の整備も高齢者の多い地元では高く評価されている。 一方、産業振興という観点では農業と漁業の振興が重要だが、農業については水田の圃場整備事業やカントリーエレベーターの新設を行い、生産の効率化・省力化を進めた。また、プレジャー鹿島や海・山・里のふれあい広場では地元の農水産物等の直売が行われた。漁業についても、町内4漁港の整備改修が進められ、恵曇地区に水産加工団地が整備されたた。しかし、これらの事業は一定期間、農業・漁業の維持に貢献したものの、1990年代後半以降には担い手不足から衰退傾向が著しくなった。 また、都市住民との交流促進の観点からは、総合体育館(1998年)・鹿島マリーナ・温泉施設が一定の成果をあげている。例えば、総合体育館は1999年以降毎年、バレーボールVリーグの招待試合を開催しており、2010年以降には松江市に本拠を置くバスケットボールbjリーグの公式戦や練習場として利用されている。鹿島マリーナは贅沢施設に思えるが、町中央部を貫流する佐陀川に無造作に係留していた船舶がなくなることで浄化が進み、かつ、山陽地方の釣りを趣味とする船主が係留料を支払うことで多額の黒字経営を続けているという。また、温泉施設は年間20万人の利用者がおり、夕方以降は常に満員という状況にある。3.3号機の建設に伴う松江市の交付金事業の展開と問題点 2005年に建設着工した島根原発3号機は、出力が137万kwと1号機・2号機を大きく上回っており、その交付金事業は桁違いの規模になった。図1は、これをハード事業(施設の建設が中心)とソフト事業(施設の運営が中心)とに分けて、示したものである。これによると、交付金は着工後に急増して2007年にピークの75億円に達した後、稼働年(2012年予定)に向けて減額されていることがわかる。また、交付金の使途は減額が進む中でソフト事業を中心としたものに変化していることがわかる。なお、発表当日はこの資料をもとに、交付金事業の内容を批判的に検討する。
著者
藤本 展子 松本 秀明
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100053, 2012 (Released:2013-03-08)

これまで仙台平野に分布する浜堤列の形成時期に関して,松本(1984),伊藤(2006)が研究を進めてきた。松本(1984)は仙台平野の浜堤列を陸側から第Ⅰ浜堤列,第Ⅰ'浜堤列,第Ⅱ浜堤列,第Ⅲ浜堤列に大別し,第Ⅰ浜堤列は5,000~4500年前,第Ⅰ'浜堤列は3,100~3,000年前・前後,第Ⅱ浜堤列は2,800~1,600年前,そして第Ⅲ浜堤列は1,000~700年前から現在にかけて形成されたとした。その後,伊藤(2006)は第Ⅲ浜堤列を内陸側から第Ⅲa,第Ⅲb,そして第Ⅲc浜堤列に細分し,それぞれの形成時期を約1,300~1,100 cal.BP,約1,100 cal.BP以降,そして約350 cal.BP以降とした。 しかしながら,近年の筆者らの仙台平野南部,すなわちわたり平野における自然堤防形成時期等に関する調査で,従来第Ⅱ浜堤列として位置づけられてきた現海岸線から3.3km内陸に位置する柴~曽根付近の浜堤列の形成時期に矛盾が生じるなど,いくつかの問題点が見いだされた。本研究では,従来の結果を踏まえながらも,新たな地形断面の計測ならびに放射性炭素年代測定を行い,当平野における浜堤列の形成時期,すなわち各時代の海岸線の位置を再検討した。
著者
市川 健夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.31, no.3, pp.142-152, 1958-03-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
8
被引用文献数
1

(1) In the Nagano Basin (Zenkoji-daira), apple were first grown for trial in around 1879, and widely cultivated in all parts of the basin at the beginning of the 20th century. Unlike those grown in Aomori prefecture, however, they could prove no dominant commercial crop. In around 1918, as the cultivating technique was improved, the apple-growing industry was gradually expanding in the diluvial upland on the western edge of the basin and on the natural levees of River Chikuma, where apple-cultivation possesses relatively superior condition to sericulture. After the economic crisis of 1930, making a nucleus of the existing apple-culivation on a small scale, it had developed to a certain extent in the whole basin, thus the apples produced here came to be a commercial farm product in place of that by sericulture. After the war, they have become the most dominant commercial crop in the baein, and now it ranks second to Tsugaru Plain as an important apple-growing area in Japan. (2) It is clear that 80% of the apple-production in Nagano prefecture is concentrated in the Nagano Basin because of its physical condition to fit apple-growing and its geographical situation near the markets. What is more, however, the principal conditions that enables the apple-growing to expand so rapidly are the high productivity traditionally fostered by engaging in commercial agriculture since old times, the cooperative producing organization and the cheap labors richly supplied from the surrounding mountain villages. (3) The apple is a most refined commercial crop, and its cultivation is controlled by physical and social conditons, so that the apple-growing in this basin has not evenly developed. The principal growing areas are the diluvial upland on the western edge of the basin, the natural levees of River Chikuma and the diluvial upland in the northern part and the fans in the eastern part, where the apples are grown as the main crops. In the other areas, however, farmers grow them as a plural management or a sideline while they engage in sericulture together with raising of rice, wheat, vegetables, flowers, tobacco and hops.
著者
須山 聡
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.76, no.13, pp.957-978, 2003-11-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
52
被引用文献数
1 1

本稿は富山県井波町の瑞泉寺門前町の景観を分析し,井波彫刻業が景観形成に果たしな役割を明らかにする.彫刻業者は,1970年代半ば以降門前町に進出し,近世末から近代にかけての商家建築を借り,作業風景や作品が外部から見える工房を意図的に作った.伝統的な彫刻と伝統的な建築物との組合せを,歴史的背景を知らない観光客は,「伝統」的景観と理解するが,両者は歴史的に関連を持たない.ゴッフマンの劇場理論を用いた分析から,門前町には観光と工業の二つの舞台が併存することが明らかになった.前者は「伝統」を,後者は生産をテーマとし,いずれにおいても彫刻業者が主役を演ずる.「伝統」テーマを期待した観光客は,彫刻業者が生産をテーマとしていることを理解しようとせず,彫刻業をアトラクションとして楽しむ.行政・地域社会は,彫刻業を利用した街路の修景などで,舞台を「伝統」テーマに沿って演出した.彫刻業者は工業の舞台にあり続けながら,行政・地域社会が演出した観光地の景観を経営資源として利用している.門前町の景観は,異なる景観形成主体によって演出された舞台の二重構造によって形成された.
著者
成瀬 厚
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.76, no.3, pp.172-175, 2003-03-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
13
被引用文献数
3 1
著者
水野 勝成
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.174, 2003 (Released:2004-04-01)

国土地理院2万5千分1地形図(以下「地形図」)を眺めると、都道府県や市区町村の行政境界線付近にいわゆる飛地と呼ばれる断片的な領域がいくつか点在していることがわかる。この飛地(とびち)とは、「同一支配下に属する行政区域が地理的に連続せず、離れて他の行政区域に囲まれて存在する」(『地理学事典 改訂版』日本地誌研究所編、二宮書店、1989年)とされている。渡部(1990)は、この地形図にて飛地を所有する地方自治体として109町村を示したが、日本全国にどのような飛地が存在し、その形成理由や消滅理由等を総括した研究は少なかった。 そこで、インターネットGISの代表格である国土地理院「地形図閲覧システム」を活用し、地形図上に記載されている「行政区+飛地」(例、弘前市飛地)の地名表記を検索する。複数の地形図に同一の飛地が認識される場合があるため、各地形図を目視しながら確認することで、全国に232カ所の飛地が地形図に表記されていることが判明した。これらの飛地は鹿児島から青森まで日本全国に広く分布しているものの、北海道や愛知県にはみられず、他方、山形県、千葉県、新潟県、大阪府、鹿児島県には多くみられ、さらに、いくつかの自治体に集中している状況を明らかにした。 この232カ所の飛地情報を本研究のプラットホームとし、まず、史実資料などをもとに、これらの飛地の形成理由を調査した。これらを大まかに分類すると、江戸時代の知行地によるもの、新田開発等の人為的なもの、寺院をはじめとする宗教的なもの、隣接しない自治体の合併によるものの、4種類に類型化できる。これらの事由は単一に作用するものばかりではなく、複数の要因によるものも多い。飛地が多くみられた山形県、千葉県、新潟県、大阪府、鹿児島県における面積の小さな飛地は知行地によるものが主流であり、面積が大きく、その飛地内に学校などの公的設備が存在する場合の多くは、隣接しない地方自治体の合併によるものであった。飛地の境界線が幾何学的(例、長方形)は新田開発等の人為的なものである可能性が高いことも分かってきた。 この飛地の類型化をさらに正確なものにするため、飛地が認識された自治体へ調査票を送付し、歴史的背景を含めて、飛地の形成理由を現在調査中である。さらに、飛地の面積、人口、主要な建物、道路などの交通路、ゴミ回収をはじめとする住民サービスの状況等をGISなどの方法も併用して調査することも計画している。現在、いわゆる平成の大合併により多くの市町村合併が進行中である。多くの飛地がこの合併により消滅し、一方で、隣接しない地方自治体の合併によりさらに飛地が生成されるのではないかと考えられている。これを良い事例とし、飛地の生成・消滅事由を現実に即して類型しつつ、明らかにしたいと考える。【参考文献】長井 政太郎(1960):「飛地の問題」『人文地理』pp.21-31、21-1、人文地理学会渡部 斎(1985):「近世における飛地」『地理誌叢』pp.58-64、26-1/2、日本大学地理学会渡部 斎(1987):「地方行政境界に見られる飛地について ―広島県大竹市の場合―」『地理誌叢』pp.78-84、28-2、日本大学地理学会渡部 斎(1990):「地方行政境界にみられる飛地の現状」「道都大学紀要―教養部―」No.9、pp.45-54、道都大学