著者
石本 巳四雄
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.4, no.6, pp.551-561, 1928-06-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
13
著者
正井 泰夫 松本 園子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.44, no.1, pp.1-13, 1971-01-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
6
被引用文献数
1

関東地方における市街地(都市)の分布は,明治・大正・昭和の3期においてそれぞれ異なるパターンをもっている.明治・大正期については,大縮尺地形図および利用可能な市街地人口統計から平均市街地人口密度を求め,図上測定によって得られた市街地面積にかけ合わせて市街地人口を求めた.昭和期については,人口集中地区平均人口密度により,市街地人口を求めた.3期とも,人口1,000人以上の市街地をすべてプロットし,分布のパターンを分析した.その結果,明治期は中心地型と宿場町型の分布,大正期は中心型,昭和期は中心地型と衛星都市型の分布が明瞭に認められた.また,東関東と西関東においては,少なくとも最近までは,かなりの差異が分布に見られることが証明された.
著者
橋爪 孝介 児玉 恵理 落合 李愉 堀江 瑶子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.1, 2014 (Released:2014-10-01)

本研究では、水田を利用した内水面養殖業が盛んに行われてきた長野県佐久市を取り上げ、佐久鯉に焦点を当てることで地域の内水面養殖業の変容を明らかにすることを目的とする。 現在では水田養鯉はほとんど行われなくなり、一部の自給的な生産を除き、養鯉のほとんどが内水面養殖業に特化した事業者によって担われるようになった。これらの事業者は養魚事業者、加工事業者、自給的養魚者の3つに類型化できる。事業者は佐久鯉の養殖だけでは現在経営を成り立たせることは困難であり、他の収入源を確保した上でコイの取り扱いを継続している。 厳しい経済状況でコイの取り扱いが継続されている背景として、地域に根差した鯉食文化の存在を指摘できる。佐久市では正月や慶弔時にコイを食べる習慣が維持されているほか、佐久鯉まつりの開催など地域のシンボルとして佐久鯉が活用されている。また市民団体・佐久の鯉人倶楽部による佐久鯉復権運動、食育活動、佐久鯉を活用した新商品の開発など、佐久鯉の消費拡大に向けた取り組みが行われ、地域の内水面養殖業を支えている。
著者
児玉 恵理 橋爪 孝介 落合 李愉 堀江 瑶子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.2, 2014 (Released:2014-10-01)

長野県佐久市では水田養魚という特徴的な内水面養殖業が行われ、養殖対象魚種は主にコイであった。戦後は米の収量が重視され、コイについても大型の切鯉が好まれるようになり、水田と養殖池は次第に分離した。生産面でも米は農家、コイは養殖事業者に分化した。こうした中、フナは水田での養殖(水田養鮒)が現在も行われており、農家の副業として継続されている。本研究ではフナに着目し、水田養魚の変容を明らかにすることを目的とする。
著者
岡崎 由夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.33, no.9, pp.462-473, 1960-09-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
34
被引用文献数
1 2

広く平坦な釧路湿原は周囲を海成および河成段丘にかこまれ,南部の太平洋とは狭長な砂丘群でへだてられる.これら段丘面は次の通りである.すなわち,海成段丘-白糠 (Dl2, 洪積世前期),根室 (Du1a, 洪積世中~後期)および釧路 (Du2a, 洪積世後期),河成段丘-I (Du1a), II (Du1b, 洪積世中~後期), III (Du2a) およびIV (Du2b, 洪積世末期),および冲積面(釧路平原)である.これら地形面は,主に第三系の向斜が横わる現平原に求心的に繰返された海進,海退によつて形成されたものである.したがつて本平原は主としてこの海進と海退によつて生じたとみられたが,しかし,これら地形面の分布や形状および地形的特徴から,平原は,その中心を洪積前期には西におき,後に東南部へ移した造盆地運動とみられる地盤運動に著しく影響されたことがわかる.大ざつぱに言えば,本平原は撓上地形面にかこまれた一つの堆積盆地である.この地域の地形は冲積世前後のユースタチック運動と地盤運動によつて最終的に決定された.洪積世最末期には海水面は現水準下約90mまで降下し,同時に海蝕面を現海水準下80~160mに形成し,また陸上では海面下80mに埋積谷を作つた. 冲積海進はその最盛期には現海面上約10mに高まり,海湾,古釧路湾を形成した.海退は背後に砂洲や湖沼に伴われた海岸平野を残したが,これらは示差的隆起による地形的特徴を示している. 湿原の形成は排水を阻害したその低水準と砂洲に基づいたものであつた.それ以来,以前の造盆地運動の軸心部に撓下軸をおいた撓曲運動が行われ,湿原表面の起伏に影響を与えている.
著者
石川 智 鹿島 薫 七山 太
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100124, 2012 (Released:2013-03-08)

はじめに東北地方太平洋沖地震による津波発生以降、各地の陸上・海底における津波堆積物の記載が行われている(たとえば、Goto et al., 2011;Abe et al., 2012など)。陸上に残された堆積物については、遡上方向に向かって層厚と粒径の変化が確認されている。津波堆積物は、陸上では風雨や人為によって消失してしまうが、水に覆われる湖沼や湿地ではよく保存される。湖沼流入型の古津波堆積物についてはBondevik (1997)によって記載され堆積ユニットが明らかにされている。現世の湖沼流入型の津波堆積物の特徴を明らかにすることによって、北海道東部太平洋側などの沿岸湖沼で認められる津波痕跡への応用が可能となる。本研究では宮城県七ヶ浜町に位置する阿川沼とその周辺に遡上した津波堆積物を扱う。阿川沼は宮城県七ヶ浜町に位置し海岸線に直行する方向に細長い形状の堰止湖である。東北地方太平洋沖地震による津波発生時には、阿川沼周辺においては海岸付近で浸水高10 mを記録し、内陸2 km地点まで到達した。この沼に関する研究例は非常に少なく、水質分析とプランクトン調査報告があるのみである(田中 1993など)。この阿川沼において湖沼の存在が津波堆積物の分布とどう関わるのか検討する。研究手法海岸から阿川沼を通り、浸水域最奥部までの測線を設定する。阿川沼の海側湖岸・沼中・内陸側湖岸と最奥部でそれぞれ柱状試料を採取し、層相観察と帯磁率測定、測色、珪藻分析を行う。観察の結果と今後海側湖岸と内陸側湖岸、浸水域最奥部における柱状試料を観察したところ、これまでの研究と同じく海側ほど砂層が厚く、内陸に向かって細粒化し薄くなっていく傾向が見られた。表層は植生が繁茂しており土壌化も見られた。現在各試料の層相ごとに珪藻分析を進めており、津波が淡水湖に流入した際にその周辺に残される珪藻種構成の変化や珪藻殻の破片化について考察予定である。謝辞GPS測量は産業技術総合研究所の機器をお借りし、渡辺和明氏にデータ解析していただいた。ここに記して感謝いたします。
著者
野上 道男
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.23-29, 1999-01-01
被引用文献数
17

北海道を除く日本列島全域について,50m-DEMから250mメッシュごとの地形特性値(高度,険しさ,凸斜面率)を計算し,それと250m解像度の地質データをクロス集計して,地質と地形特性の関係を明らかにした.地形特性値は,地形を作る地質の時代にっれて完新世から新第三紀へと変化するが,その傾向は古第三紀で中断する.このことは,現在の地形を作る隆起運動が古第三紀直後に始まり現在まで続いていることを意味する.<br> 中生代・古生代の地層を刻んで形成されている現在の山地地形の地形特性は地層の時代との相関が薄い.このことは低地に堆積した状態を初期条件として,それが隆起しっっ谷が刻まれることで山地地形が形成されるという地形発達史を考えるとき,初期条件の影響を受けるステージがすでに過ぎていることを意味しているので,日本列島の山地地形は理論的には地層の侵食されやすさ(相対的な岩石特性)と隆起速度で決まる定常状態に近づいているか,すでに達していると解釈される.
著者
福井 英一郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.37, no.10, pp.531-547, 1964

東アジアー帯に発達する夏の雨季は従来,太平洋からの南東季節風によって説明されて来た.しかし北海道を除いた日本のほとんど全部の地方では盛夏を中心としてかえって雨量は減少し,梅雨季と台風季に挾まれた軽徴な乾燥季が形成され,決してこの問題が単純でないことを示している. Flohn<sup>1)</sup>はこのことに関連して"月別の平均降水量や頻度によって見ると,日本では夏の初めと終りに雨季が現われ,途中7月中旬ごろから始まる乾燥季によってこの雨季は前後に2分されることが知られる.既にJ. J. Reinは1876年にこの日本の夏の天候の三重構造について記述しているにもかかわらず,夏の全期間を通じた雨季というような小説的表現が広く認容され,これを南東季節風と結びつけて,夏季の凡ての現象が太平洋からの湿潤気団の侵入によって支配されると考えられて来た."と述べている.このように8月を中心とする日本の小乾燥季は気候学上からも非常に重要な問題であるが,この時季があたかも1年中での最も高温な時季とも一致するために,水利用の問題とも関連して地理的にも産業経済の諸方面からも重要且つ興味ある事実を提供している.本論においては最初にまずその現象自体を明らかにした上で原因および影響などに論及したい.
著者
木庭 元晴
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100344, 2014 (Released:2014-03-31)

福島第一原発事故以来3年を経た現在も,福島経済の中軸部である中通り地方の空間線量は5mSv/yをはるかに越えている。人の動線沿いの除染活動は比較的進んではいるが,動線から少し離れると高い空間線量を記録している。中通り地方の多くが5mSv/y,つまり放射線管理区域を脱するのは,広域のホットスポットを除いても,20年後である。 これは,航空機モニタリングと現地調査によって得られた土壌中のセシウム-134,-137濃度分布(Bq/m2)(文科省測定,農林水産省2012.12.28現在)から初期値を逆算し,原発事故から60年間についての自然減衰を計算した結果である。2013年終わりの四半期の測定は現在終了しておりこの3月には新たな測定結果がマスコミに発表される筈で,できれば再計算したい。 JA福島は,国・県・市に圃場単位の線量測定を依頼したが受け入れられず,全国生協の協力を得て,どじょスクと呼ばれる何万筆もの土壌汚染計測を実施してきた。どじょスクでは,筆毎に3点で測定器を接地して計測している。これでは農家の外部被曝量を評価できず,農家毎への適正な助言もすることはできない。つまり,疫学的な評価の基礎資料にならない。 この問題点をクリアするのは空間線量の利用である。耕地をカバーしうる地点(1点あたり半径50mの範囲)で,地上高1mの空間線量を計測することで,各耕地のいわば平均的なガンマ線線量率を得ることができる。地上高1mは3次元的な情報を得ることができるし,農家の被曝量μSv/hも求めることができる。なお,当然のことながら,農家の被曝は農作業対象の耕地だけでなくその周辺からの放射線からも被曝しており,耕地の土壌汚染よりも空間線量が農家の被曝評価には有効である。サーベイメータはPM1703MO-1(Polimaster製 高感度, CsI放射線測定器, 積算線量,探索メーター)を使用する。この調査では耕地内外のホットスポットの探索も重要である。 現地での空間線量測定値は天候に左右される可能性があり,空間線量値として地上高1mとともに地上高25cmでも計測する。無風の場合,理論的には後者は前者の1.3倍値となる。なお,中通りには多数の定点観測所が設置されている。このうち連続観測データのある7方部の測定値(2分毎の計測で1時間平均値)と風の関係をみると,0.01μSv/hほどである。
著者
青木 邦勲
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100021, 2013 (Released:2014-03-14)

1.はじめに 地理Bの学習内容について,教科書で取り扱う内容の順番と各社発行の受験問題集が取り扱う内容の順番が異なっていることは周知の通りである.昨年度より,発表者が担当している授業では受験参考書の順番を採用して授業計画を立てている.この理由は高校2年生では週4時間で授業を行っているが,学習内容が系統地理学の部分で終わってしまうため,地誌学の学習までたどり着かない問題を抱えていたためである. そこで,受験問題集数冊の項目立てから授業の流れが崩れない方法を考え,前半の系統地理学と後半の地誌学を合わせて「系統地誌学」という概念を思いついた(ただ,この概念は発表者が初めて提唱するものではなく,以前からこのような教育方法が提唱されていたのではないかと考えている).この方法で授業を進めると地誌の内容を扱うことも可能になるので生徒が興味を持ち自主的な取り組みが見られ,履修者の減少に歯止めがかかった.また,授業内容や授業回数の短縮にもつながり,3年生の11月に行なわれる日本大学付属学校等統一テストや各大学で実施している推薦入試に対応できると考えている.2.今回の発表内容 5月に行なわれた日本地球惑星科学連合大会では上記の2年生の授業の前半部分について,「特に地形学の授業の進め方を工夫することで,世界の鉱工業の理解が深まり,各地域の特色が明らかになるので生徒が興味を持ち,生徒自らが思考を深めてくれる」という内容で発表を行った.今回は視点を地理B全体に向けて「地理教育」としての観点から発表を行う. 3.発表の具体的な中身と構成 具体的には昨年度2年生の授業(週4時間)では「地形学・世界の鉱工業とエネルギー資源・気候学・世界の農牧業」という流れで授業を進め,今年度3年生の授業(週6時間)では「村落・都市・国家間の結びつき・現代世界の諸課題(民族・人口・環境問題)・林業・水産業・地図の図法・統計演習」で授業計画を立て,現在は現代世界の諸課題まで終了している. このような形で授業を行ったところ,以下のような結果(良い方向への変化)が見られた.①2年生のうちから各地の様子を詳しく見ることができるため,生徒の授業中の活動が積極的になった.②系統地理と地誌の関係が明確になり,各単元で何を学習してどこへ到達させるのか?が生徒自身で理解できるようになった.③生徒の思考が深くなり,各地域の特色について生徒自らがまとめる作業を行なうようになった.よって,従来の地誌学の考え方である各地域の総合的な特色については生徒自身でまとめる作業をしている.④2年生から3年生への地理継続履修者に減少の歯止めが掛かった. 教える側が先に全体の概要を示すことが大前提となるが,生徒自らが進んで地理を選択してくれる状況は整えたと考えている.また,受験のために授業をしている訳ではないが,各種実力テストでも偏差値50を確実に超えてくれている.成果が上がっているが,この方法にはまだ改善の余地があると考えているので,ご意見を賜りたい. 残念なのはこのような状況にあって大学入試で地理が受験教科にないこと,地理学科を持っている大学の入試制度が多様化していないことが残念である.
著者
田野 宏
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.17-34, 1983-01-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
14
被引用文献数
1 2

本稿は,霞ヶ浦岸の沖積低地における蓮根生産について,栽培導入期の異なる2集落(土浦市田村・沖宿)の土地条件の差異が,蓮根経営にどのような影響を与えているかを明らかにしようとしたものである. 霞ヶ浦岸の中でも土浦入北岸は,全国一の蓮根の集団産地であるが,特に減反政策以後に蓮田面積の増加が著しい.しかし,新たに産地化した栽培地の土地条件をみると,必ずしも蓮根生産に好適とはいえない水田が見受けられる.これらの水田を経営する農家は,蓮根に適した土地条件をそなえた水田を経営する農家と比べ,同程度もしくはそれを上回る生産費を投下しているにもかかわらず,単位面積当たりの収量が低いために,農業所得率・土地生産性・労働生産性において低位であることが明らかとなった。減反政策以後,栽培面積は拡大したものの,所与の土地条件の差が経営内容にも影響を与えているといえよう.この場合,転作奨励金が,結果として,土地条件の差によってもたらされる収益の開きを補完する役割を果たしており,新興産地の経営が転作奨励金に大きく依存している状況をうかがい知ることができる.
著者
新名 阿津子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100131, 2012 (Released:2013-03-08)

山陰海岸ジオパーク(以下,山陰海岸)では,ジオパークやジオツーリズムの導入によって新たなる観光客や来訪者を獲得し,国立公園の活動や地域資源の活用が推進されるようになった.既存ガイド団体や民間事業者のジオパーク参入,ガイド団体の新規設立等を通じ,地域経済への貢献も見られるようになってきている.その一方で,ジオガイド養成面では,制度的および実践上の課題が明らかになりつつある.さらに,民間事業者においてはジオパーク向けに開発された商品や体験メニューと「ジオ」との結びつきについて十分な説明がなされていないといった課題が生じつつある. 山陰海岸ではジオガイド確保の必要性から,これまで増員をめざし、各地でジオガイド養成講座を開催してきた.ジオガイド養成にあたっては,市町や各ガイド団体,観光協会,NPO等がガイド養成を担っているため,その運営も市町,団体ごとに異なる.さらに,現在のジオガイド養成システムでは,開講する講座の内容や定期講習会が団体ごとに異なるため,一定の質を保ったガイド育成にはつながっておらず,これがガイドの質のばらつきを生み出している. 山陰海岸におけるジオパーク商品は,既存商品へのロゴ使用,ジオパーク用に開発された商品へのロゴ使用,地場産品へのロゴ使用等がみられる.望ましいのは地域で生産される商品への活用であるが,”made in China”と書かれた携帯ストラップや単純に「ジオ」という文字を冠しただけで,そこに「ジオ」とのつながりを示す解説等は記載されていないものが多い.ジオパーク品質の管理という点からみると,これらは望ましい状況ではないが,現時点では商品開発における明確なガイドラインは示されておらず,これを指導する運営体制になっていない.山陰海岸では世界ジオパーク認定を受けて,ガイド団体や民間事業者がジオパークを活用するようになった.これ自体はジオパーク活用の量的拡大につながっているが,ジオパークとして品質を保証するところに至っていない.また,持続性の観点からみると,ジオガイドの安定雇用もしくは起業に対する支援も整備されていない.収入面での将来的な見通しが立たないため,退職者がジオガイドを担う状態となっている.ジオパークが地域経済への貢献を目指すのであれば,これら運営上の課題,経済的課題を解決してく必要がある.
著者
松本 秀明
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.72-85, 1981-02-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
16
被引用文献数
9 18

仙台平野における沖積層の堆積構造を明らかにするため,野外調査・ボーリング資料解析および14C年代測定を行なった.これをもとに約1万年前以降の海岸線変化を復元し,後氷期の海水準変化との関係から仙台平野の地形発達を考察した. 仙台平野の沖積層は堆積環境の違いをもとに8層に細分される.とくに海成層の堆積状態に注目し,海域変化を復元した結果,後氷期の急速な海水準上昇による海域の最拡大期は,阿武隈川の埋積谷においては海水準が-10mに達する7,900年前,名取川・七北田川の埋積谷においてはそれぞれ海水準が-7m, -5mに達する7,500年前, 7,200年前にあり,その後は陸側からの土砂による海底埋積速度が海水準上昇速度を相対的に上まわることにより,海水準は上昇しながらも陸域の拡大によって海域は後退し,現在に到るものと考える.
著者
西田 與四郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.6, no.7, pp.676-693, 1930-07-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
33
著者
関口 武
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.37, no.11, pp.606-614, 1964-11-01 (Released:2008-12-24)

等値線を引くに当って, 10mm間隔以下の狭い間隔で数字が記入してある場合には,引きにくく時間がかかりすぎ不適当である.しかし問隔が25mm以上になると,引いた等値線に個人差が大きくなり客観性の高いものが得られず不適当である.最適なのは数字が15mm間隔に,市松模様をなして配列している場合か, 20mm間隔で準市松模様に配列している場合である.以上の結論を15枚一組にした種々の数字問隔で数字を記入した図幅に,学生約50名に等値線を記入させ,一枚毎の所要時間数,基準等値線とのくいちがった面積の広狭,その個人差を比較検討した結果求めることができた.
著者
田村 俊和 氷見山 幸夫 田辺 裕 漆原 和子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.179, 2003 (Released:2004-04-01)

地理学の特性としてしばしば語られる4つのキイワード(学際性,環境,地域,空間)を手がかりに,最近の日本の地理学研究の動向を,地理学の内外および国の内外から点検して,地理学はこれからどのようにしていくのがよいか,参加者とともに考えてみたい. 地理学の研究はほんとうに学際的か? たとえば変動地形の研究からジェンダーの地理学まで並べてみれば,その対象はきわめて多岐にわたり,個々の研究にとっての隣接分野は,全体としてはきわめて広い.しかし,本来多面的な地理学の個々の研究対象を,地理学(内の各分野)の研究において真に多面的視点から分析しているかというと,かなり心もとない.たとえば都市の緑地の配置やその評価・活用について,都市地理学,植生地理学,気候学等の研究者が共同で,あるいはその誰かが他方から知見や方法の教示を得て研究するよりも,都市計画や造園学などの研究者が,大胆に結論を出し,方策を提示している例が目につく.これら応用的とされる学問分野では,社会の要請する問題の構造を敏感に感じ取り,ときに自らの蓄積の少なさや手法の不十分さをも省みず,その要請に応える(かの)ような答を用意しようとしている.一方,地理学内部の個別の研究は,地理学が全体としては何とか保持している多面的視点をうまく活用できず,むしろ自らの視野を狭めているようにみえる. 地理学では環境の問題を正面から扱っているか? 環境への関心は,大小の波を経ながらも,1970年ころからは,社会において,したがって科学研究においても,高まってきた.古来,自然環境と人間活動との関係を重要な研究対象としてきたはずの地理学は,全体としてはこの波に乗れなかった.自然地理学のいくつかの分野では,個別の人為的環境悪化の発端となる現象のメカニズム研究で成果を上げたが,それを,問題発生の抑制に向けた人間(社会,企業,etc.)活動の規制にまで発展させて議論することは少なかった.人文地理学者の多くは,環境決定論批判の後遺症に陥っていて,人間-環境関係の研究に的確に取り組むすべを失っていたようにみえる.70年代後半ころから,大学その他で環境という語を冠した研究組織に地理学的発想をもった研究者が多少とも進出し,あるいはそのような組織の結成に積極的に関与して,関連する教育にも携わる例が増えてはきたが,一方で「地理学でも環境をやるのですか」という素朴な疑問が隣接分野から聞こえる状況は変わっていない.その原因の一つは,大学の教育体制にあると考えられる. 地理学では地域を深く認識しているか? 「環境」の場合と同様,「地域の科学」を自称することの多い地理学を置き去りにして,地理学の外の多くの分野で「地域(の)研究」が盛行している.しかしその中には,空間性を捨象した人間関係だけで地域をとらえているようなものもみられ,地理学が強みをもって地域の研究に(再)参入し,成果を上げる余地は,まだあるように思われる. 地理学は空間を扱う手法を発展させたか? いわゆる計量地理学の後で登場したGISは,地理学も学んだ地理学外の研究者・技術者により主として考案されたが,ある段階からは地理学出身者の寄与も小さくない.そして地理学研究・教育の強力な手法として,今までは概念的にしか論じられなかった空間現象を,具体的なデータに基づいて図示し,解析することが可能になってきている.地理学が伝統的に蓄積してきた空間解析の手法と知見を生かしつつ,この新しい手法の活用法や適用範囲の拡大を図り,新たな概念の展開にもつなげる可能性が,今までの実践の外にある. これからどのような方向をめざすのがよいか? たとえば,そろそろ時限の来るIGBPのような環境研究計画は,広範囲の学問分野を結集して初めてその推進が可能になるものではあるが,その一部を分担しつつ,各分野での成果をその都度結びつけ(できれば統合し)て全体像を示し,それが人間生活においてもつ意味を多面的に考え続け,公表していくということは,地理学諸分野の共通の目標になり得る.これにより,地理学内の少なくともいくつかの分野での研究は進展し,その他の分野にとっても波及効果があり,地理学全体として活性化し,その特性を外に向かってアピールできる.このような次の大きな研究課題を地理学から提案し,中心的に推進して行けないであろうか.
著者
相馬 拓也
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100122, 2014 (Released:2014-03-31)

モンゴル西部バヤン・ウルギー県の少数民族アルタイ系カザフ人の牧畜社会では、イヌワシを用いた鷹狩技法がいまも存続し、同県内には150名程度の鷹匠(鷲使い)が現存すると考えられる。発表者は2006年9月より同地域で調査研究を断続的に行っており、2011~2011年度の2カ年は、財団法人髙梨学術奨励基金「調査研究助成」(平成23年度および24年度)の資金的サポートにより長期滞在型の民族誌記録、生態人類学、民族鳥類学フィールドワークを行った。本発表は2011年7月より実施している、アルタイ地域に根づく特殊な鷹狩技法と鷹匠の民族誌記録と文化保存活動についての成果報告である。 【現状】 現地カザフ人の鷹匠たちは、鷹狩全般で用いられるハヤブサやタカなどは用いず、メスのイヌワシのみを馴化・訓練して狩猟に用いる。鷹狩は冬季のみに行われ、キツネがおもな捕獲対象とされている。また出猟は必ず騎馬によって行われる騎馬猟である。アルタイ地域の鷹狩文化は、毛皮材の獲得と、それらを用いた民族衣装の製作を目的とした「生業実猟」「民族表象」として牧畜社会に定着してきた背景がある。この「騎馬鷹狩猟」の伝統知と技法は現在、同地域のみで伝承・継続されている。その独自性や希少性は2010年11月、UNESCOの「世界無形文化遺産」に正式に登記され、近年国内外の注目を集めるようにもなっている。しかし、数世紀にわたる伝統技法や特殊な文化形態を育んだにもかかわらず、同地域とテーマの先行研究は寡少であり、鷹匠と鷹狩についての基本的な知見もほとんど把握されていない現状がある。 【目的】 そのため本研究では、無形文化遺産でもある同地の鷹狩技法に科学的知見を確立するとともに、その文化持続性・継承性に向けて生態人類学の立場から以下の貢献を試みるものである。①考古学的・歴史的情報を用いた広域アジアの鷹狩技法の文化的深度の特定、②民族誌記録活動、鷹匠たちの現状、生活実態、イヌワシ飼養方法の網羅的・民族学的把握、③文化遺産として持続可能な文化保護計画の学術的定義、施策の方向性、マスタープラン策定の提言、の現地社会でも特に要請度の高い3つの調査対象に設定した。 【方法】 本調査は2011年7月29日から2013年1月10日の期間でおよそ310日間、モンゴル国内およびバヤン・ウルギー県サグサイ村の鷹匠家庭への住み込み滞在により実施した。情報収集はアンケートによらず、近隣に生活する鷹匠との生活参与観察、日常の会話、半構成インタビューにより行った。縦断調査として、滞在先の鷹匠の生活誌全般を把握した。また横断調査として県内各村へ巡検し、鷹匠の現存数・生活実態の把握、イヌワシの飼養技術と鷹狩技法の地域性を網羅的に把握し、民族資料の収集も合わせて実施した。 【結果・考察】 集中的な民族誌調査により、(1)アルタイ、サグサイ、トルボ、ウランフス各村域内の鷹匠の実数、サグサイ村周辺の鷹匠たちの具体的な生活形態(定住型/移牧型)、イヌワシの飼養方法が明らかとなった。また冬季の狩猟技術(キツネ狩り)の手法および実猟活動の実践者の減少が明らかとなった。(2)生態面として、鷹狩(冬季)と牧畜活動(夏季)が相互の活動を補助しあう相業依存の成立基盤が明らかとなった。また、一度馴化したイヌワシを4~5歳で再び野生へと帰す文化的慣例により、人的介入がもたらすイヌワシ個体数維持への貢献が推察された。(3)文化保護面の課題としては、イヌワシを飼養・馴化する伝統が維持されている反面、その伝統知と出猟活動は失われつつあり、イヌワシ死亡率の増加、観光客相手のデモンストレーションへの特化など、脱文脈化の著しい傾向が判明した。 【結論】 以上の知見から、カザフ鷹狩文化は(1)天然資源の保全、(2)牧畜経済の生産活動、(3)伝統知の継承、に依存的に成立しており、これらの持続的発展が文化遺産としての本質的な存続につながると定義される。(1)天然資源の保全:捕獲対象獣であるキツネおよびイヌワシの生息数など、天然資源の保全はその前提条件である。(2)季節移動型牧畜の持続的開発:鷹狩文化の生態学的基盤を概観すると、単純な金銭・資源供与型の文化保護ではその文脈の維持・継承は難しく、貧困世帯の経済状況の底上げに通ずる、牧畜社会への間接的開発支援が求められる。(3)鷹狩の伝統知と技法の保護:狩猟活動の継続にともなう「伝統的知と技法」の継承が、鷹狩文化の継承を安定化する直接的保護と考えられる。こうした文化保護や生態基盤の解明は、「鷹狩文化」全般の持続可能性にとって普遍的価値が見いだされる。アルタイ系カザフ人の騎馬鷹狩猟とは、鷹匠とイヌワシが数世紀にわたり共生に根ざして行われてきた、「ヒトと動物の調和遺産」と定義することも可能である。
著者
大八木 英夫 濱田 浩美
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.1, 2013 (Released:2013-09-04)

湖沼における水質の汚濁を知る指標として,透明度の経年変化が簡便に使用されており,栄養塩類の増加に伴う富士五湖の富栄養化(汚濁)の進展過程を知ることができる。さらには,環境省は,望ましい水環境及び利水障害との関係を整理しつつ透明度を指標とする検討しており(2010年1月報道あり),今後,透明度の変遷についてもより注目する必要があるといえる。透明度に関して全国的に整理されている資料は,『自然環境保全基礎調査』など第4回(1991年)までの調査結果が環境庁(現環境省)によって実施されている。その結果,透明度10m以上の湖沼は全国で13湖沼、圧倒的多数の湖沼は透明度5m以下となっていたと報告されている。本研究では,富士五湖を中心として,多くの湖沼における近年の透明度の変化について考察をする。