出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネスassocie (ISSN:13472844)
巻号頁・発行日
vol.7, no.13, pp.22-25, 2008-06-17

見ると女子高生2人が、ペットボトル入りのお茶を飲みながらしゃべっている。電車を降りた今井さんはその後、学生たちとオリエンテーションキャンプの打ち合わせがあった。飲み物を買っていってあげようとコンビニに立ち寄り、飲料棚からお茶を取ってカゴに入れた。レジまで来ると、「生茶」のキャンペーン中で、レジ近くにたくさん置かれていた。
著者
御手洗 哲也
出版者
一般社団法人 日本内科学会
雑誌
日本内科学会雑誌 (ISSN:00215384)
巻号頁・発行日
vol.101, no.1, pp.172-178, 2012 (Released:2013-04-11)
参考文献数
10

妊娠において最も頻度の高い合併症は妊娠高血圧症候群で,発症には遺伝的素因とリスク因子が関与する.主な病態は胎盤発育不全による胎盤虚血,それに起因する母体の血管内皮細胞障害と高血圧,および子宮内胎児発育遅延であり,蛋白尿を伴う場合は妊娠高血圧腎症と称する.腎疾患はリスク因子であり,加重型妊娠高血圧腎症を合併しやすい.降圧治療は母体合併症の予防には有用だが,妊娠期間の延長には繋がらない.妊娠早期に発症を予知し,発症を抑制する新たな治療法の開発が望まれる.高血圧は分娩後に軽快するが,長期的に見ると本症候群合併妊婦は心血管病,メタボリック症候群,慢性腎臓病のリスクが高く,複数回繰り返すと末期腎不全の集積発症頻度も高くなる.低出生体重児も慢性腎臓病や高血圧の高リスク群で,本症候群を経過した母児には,この様な視点に立ったtotal-life careが必要である.

1 0 0 0 OA 三升増鱗祖

著者
恋川春町 戯作
出版者
米山堂
巻号頁・発行日
vol.中, 1927
著者
坂部 茂俊 笠井 篤信 渡邉 清孝 大村 崇 河村 晃弘 世古 哲哉 宮武 真弓 濱口 真紀 戸上 奈央 別當 勝紀
出版者
公益財団法人 日本心臓財団
雑誌
心臓 (ISSN:05864488)
巻号頁・発行日
vol.41, no.SUPPL.4, pp.S4_71-S4_75, 2009 (Released:2015-01-24)
参考文献数
2

症例は87歳, 男性. 2008年5月16日に労作時呼吸困難感を主訴に受診した. 心拍数38回/分で完全房室ブロックがあり, 胸部X線写真では右側優位に肺うっ血所見と少量の胸水を認めたが, 心臓超音波検査で左室収縮機能は正常で, 冠動脈造影検査で有意狭窄を認めなかった. 入院当日dual chamber pacemakerを移植し, 心室ペーシングリードは右室心尖部に留置した. しかし第3病日に突然肺水腫をきたし, 心臓超音波検査で左室にたこつぼ型心筋症様の収縮異常が認められた. うっ血性心不全と診断し薬物療法を行ったが改善しないため第8病日に左室リードを追加し左室ペーシングとしたところ左室収縮能は急激に正常化し, 肺水腫も消失した. 収縮能は保たれているが拡張不全のある完全房室ブロック患者に, 心臓再同期療法が効果を示した1例と考えられた.
著者
三木 信雄 久保村 安衛
出版者
農林水産省農業生物資源研究所
巻号頁・発行日
no.5, pp.1-29, 1993 (Released:2012-09-24)

微生物遺伝資源事業における糸状菌の安定的長期保存を順調に進めるため,液体窒素保存法について2,3の実験を行い次の結果を得た.1)凍結保存前に5~10℃の低温に処理した菌株は解凍後の菌糸の伸長が良好であった.2)凍結保存1月後の167属371種915菌株の生残率は95.6%,凍結保存1年後における120属287種722菌株の生残率は97.1%を示し,多数の菌種において,凍結速度を制御しない簡便な方法で凍結保存できることがわかった.3)Coprinus,Diaporthe,Fomilopsis,Fusarium,Phaeolus,Pyricularia,Rhizoctonia,Sclerotium,Selenophoma,Waiteaの各属に属する糸状菌には生残率が低い菌種が含まれており,凍結方法の検討が必要である.4)上記以外の多数の菌種,菌株は液体窒素気相中で凍結保存できることが明らかになった.
著者
今野 怜 藤巻 裕蔵
出版者
帯広畜産大学
雑誌
帯広畜産大学学術研究報告 自然科学 (ISSN:09193359)
巻号頁・発行日
vol.22, no.3, pp.125-133, 2001-10

1999年4〜7月に利尻山において各植生帯ごとの鳥類の種構成,各種の相対的多さや垂直分布について調査した.植生帯はエゾマッートドマツ帯,ダケカンバ帯,ハイマツ帯にわけられ,それぞれ46,21,16種の鳥類が記録された.これらのうち,主要種(相対優占度が2%以上の種)は,エゾマッートドマツ帯ではミソサザイ,コマドリ,ウグイス,エゾムシクイ,キクイタダキ,ハシブトガラ,ヒガラ,アオジ,クロジ,マヒワ,イスカ,ナキイスカ,ウソ,ダケカンバ帯ではカヤクグリ,コマドリ,ノゴマ,ルリビタキ,ウグイス,エゾセンニュウ,アオジ,クロジ,マヒワ,ギンザンマシコ,ウソ,ハイマツ帯ではアマツバメ,カヤクグリ,コマドリ,ノゴマ,ルリビタキ,ウグイス,アオジ,クロジ,ギンザンマシコ,ウソであった.垂直分布についてみると,北海道本島の山地と比べて全体に分布する標高が低くなっていた。
著者
落合-大平 知美
出版者
一般社団法人 日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 (ISSN:09124047)
巻号頁・発行日
vol.24, no.3, pp.405-411, 2009-03-31 (Released:2010-06-17)
参考文献数
14
被引用文献数
2 2
著者
平林 秀裕
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.782-785, 2021-07-10

人間万事塞翁が馬 “Stereotactic Imaging Functional Neurosurgery” 2014年5月,Vårpromotion(Umeå University)でPh.D.を授与された.人生で最も感激した瞬間である.

1 0 0 0 IR 夢の続き

著者
天谷 喜一 アマヤ キイチ
出版者
大阪大学低温センター
雑誌
大阪大学低温センターだより (ISSN:03874419)
巻号頁・発行日
no.90, pp.3, 1995-04

mk領域のいろいろ
著者
上野 牧生
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.69, no.3, pp.1072-1078, 2021-03-25 (Released:2021-09-06)
参考文献数
3
被引用文献数
1

世親作『釈軌論』(Vyākhyāyukti)の掉尾を飾る第5章では,説法者(dhārmakathika)の予備軍に向けて,説法の見本が示される.特にその第3節では,奇譚・漫談・厭世譚の実例が紹介される.それぞれ,聴き手を驚かせる・笑わせる・〔輪廻や欲望や怠惰を〕厭わせることを目的とする小話である(この3点が布教の契機として重視される).それらはいずれも簡潔で短く,任意の引用,そして説法での実用に適する.おそらくは説法の前に,あるいはその合間に,説法者の声に耳を傾けない相手に向けて語られるものであろう.本稿はそのなか,居眠りする聴衆を笑わせ,眠りを醒ます目的で語られる漫談の全話を紹介する.例えば,次のような小話である.「ある外教徒がマハーバーラタを読んで泣いていると,ある人から「なぜ泣いているのですか?」と聞かれた.「シーターがどれほどの苦しみを味わったかご覧になりましたか」と答えると,「それはマハーバーラタですよ,ラーマーヤナではありませんよ」と言われた.外教徒は「私が泣いたのは無意味でしたね」と虚しく語った.これと同じように,説法者の語る佛陀のことばも,注意して聴かなければ無意味なのです」と.往時の説法者は,こうした漫談で聴衆の笑いをとり,あるいは,話を滑らせ失笑を買ったであろうか.『釈軌論』から推測する限り,少なくとも世親自身が説法者であった,とはいえそうである.とはいえ,世親が居眠りする者にまで気を配る様は驚きでもある.あまつさえ,喜劇的な話や下世話な話,自虐までを漫談に織り込み,時には聴き手に合いの手を求めている.そうまでして世親が人々を佛教の聴聞に導こうとするのは,そこまで考慮しなければ,人々が佛教に耳を傾けなくなった当時・当地の時代状況を反映しているのかもしれない.いずれにせよ,『釈軌論』第5章の記述は,5世紀前後の説一切有部圏域における説法者の実態の,その一端を記したものとして注目に値する.
著者
清水 一彦
出版者
日本出版学会
雑誌
出版研究 (ISSN:03853659)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.117-138, 2015

<p>『読書世論調査』によれば,2005年ごろまでは若者は読書離れしていなかった.しかし,知識人,出版業界人,ジャーナリズムのアクター3者のバイアスが相互作用してつくられた「若者の読書離れ」という認識は,オーディエンスが"ここちよい"ものとして受容することで1980年代までには"常識"となった.本稿では当時の社会的な背景をふまえたうえで,なぜ「若者の読書離れ」という常識が構成されそして受容されたのかを論じる.</p>
著者
蒲生 芳郎
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.20, no.10, pp.19-27, 1971

Though Ogai's Vita Sexualis has apparently the theme of a frank confession of his own life from the viewpoint of carnal desire and the methodology of 'naturalism,' this work was, in fact, written to attempt to criticize and get over 'naturalism' by depicting a man trying to control carnal desire aginst a man controlled by it. But Ogai cannot easily be said to have succeeded in his attempt. The chief reasons of his failure seem to me sa following ; (1) he insisted too strongly upon the reason of controlling carnal desire, and (2) as the result, he completely forgot to write and express the conflicts between reason and carnal desire and the process of getting over them. Therefore, Viita Sexualis, it seems to me, remains as a story of a mere "anti-naturalism" literature and cannot be ranked as that over 'naturalism.' About eight months after Vita Sexualis, Ogai worked over his plan again and began to write long story, Seinen (A Young Man). He again took up the problem of carnal desire in this, developing the plot based upon the carnal life of its hero, Jun'ichi KOIZUMI. Comparing these two stories of the seemingly same theme, I found the mehtods contrasting in a striking way. Shizuka KANAI, a hero of Vita Sexualis, acknowledges himself to be not so handsome and attractive, and defines himself innately incapable of gettinga success in love-affairs. Accordingly there happens nothing that bothers him so much. On the contrary, Jun'ichi KOIZUMI, a hero of Seinen, is so rich and free as well as so handsome that he is always surrounded with many charming and beautiful girls and ladies. Among them he picks up Mrs. SAKAI and has a sexual connection with her. But Jun'ichi KOIZUMI cannot be addicted to the pleasures from carnal desire only as Shizuka KANAI did, but he is a man trying to lead a life for something higer than mere carnal desire. Therefore, he has to struggle against his onw sexual impetus which disturbs his higher object of life as well as his actual life. Here begins his inner conflict. Through this conflict he tries to grope for the way to get over an instinctive life controlled by carnal disere. Ogai wrote the whole aspects of a human life who tries to live manging somehow to get over his own sexual impetus. It is this conflict and the process of groping that are lacking in Vita Sexualis. The progress as a writer and the development of Ogai's literary consciousness can be seen in his succession from Vita Sexualis to Seinen. Ogai's intention is succeeded to Seinen, and he again tried to get over 'naturalism' Seinen. My further investigation into Ogai's second trial in Seinen is to be continued in my next Paper.
出版者
[中学講習会]
巻号頁・発行日
vol.日本地理, 0000