著者
百瀬 響
出版者
北海道教育大学
雑誌
北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編 (ISSN:13442562)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.93-108, 2020-08

本稿は,近代以前にアイヌ-和人間に行われていた様々な物資の交換に関し,余市場所を例に検討したものである。資料は『余市町史』資料編1収録の「林家文書」の解読済み文書を用い,特に1857(安政4)年におけるアイヌ-和人間の交換レートについて分析した。さらに,アイヌによる漁場労働に対し,威信財を含む「物々交換」として支払われる対価を試算したほか,和人が和人に対し売却した価格と比較した。その結果,対アイヌ,対和人間の各交換レートには,大きな相違はほぼ見られなかったものの,アイヌ-和人間交易において,対価として支払われた食料(米)と嗜好品(煙草)との交換レートに,いわゆる二重レートが存在する可能性が判明した。この二重レートの存在と運用実態は今後解明する必要があるが,このような近世の商習慣を通して,近世末から近代初期にかけてアイヌ-和人間で行われた交換の実態とその関係性を明確化しようと試みた。
著者
山本 達司
出版者
日本管理会計学会
雑誌
管理会計学 : ⽇本管理会計学会誌 : 経営管理のための総合雑誌 (ISSN:09187863)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.49-64, 2009

<p>M&Aは経営資源の効率的利用を促進し,不効率な経営を行ってきた経営者を排除する1つの有力な手段である。しかし,日本の株式市場にはTOBが円滑に実行できる環境が整っておらず,その原因は株式市場の非効率性にあると考えられる。そして,この非効率性を形成する2つの要因は,投資家の心理的要因と株式相互持合の慣行である。</p><p>このような非効率な株式市場において,TOBを成功させるための現実的な戦略は,ターゲット企業の経営者に経営者地位を保証するとともに,経営者が友好的TOBに応じる最低限の経営者報酬を約束することである。</p>
著者
所 功
出版者
藝林会
雑誌
藝林 = The journal of cultural sciences (ISSN:04332547)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.80-97, 2020-10
著者
久保 貴子
出版者
山川出版社
雑誌
歴史と地理 (ISSN:13435957)
巻号頁・発行日
no.729, pp.図巻頭1p,1-14, 2019-12
著者
山﨑 久登
出版者
九州大学基幹教育院
雑誌
鷹・鷹場・環境研究 = The journal of hawks, hawking grounds, and environment studies (ISSN:24328502)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.45-56, 2020-03

本論文は、尾張藩の重臣である横井家の鷹場を対象とし、鷹場領主とはいかなる存在であるのか、また家の由緒と鷹場支配がどのように関わっているのかを検討したものである。その結果、明らかになったのは以下の三点である。第一に、知行権を有さない地域において、鷹場によって領民と支配・被支配の関係を結び、御救行為を行う主体として鷹場領主を位置づけた。第二に、「鷹の家」としての由緒を有する横井家が、かつての知行地において鷹場支配を復活させ、輪中という地域環境に応じた支配を行おうとしていたことを明らかにした。第三に、鷹場領主の限界性を指摘した。鷹場の復活によって鳥の生息環境が保護されたことにより、横井家の鷹場村々では深刻な鳥害が生じることになった。この環境の変化は鷹場内領民の生活・生存を脅かすことになる。そうした中で、村々は「御救」の論理を逆手にとって、鷹場の返上を求めていくことになるのである。This paper discusses the hawking grounds of Yokoi clan, senior vassals in the Owari Domain, and investigates the post of "lord of the hawking grounds" and the relationship between the clan lineage and control of the grounds. Three points were clarified. First, in a region where a clan had no fief rights (chigyo-ken), depending on hawking grounds, the user would join in the control or controlled relationship with the domain's people and the lord of the grounds was appointed as an "act of public welfare" (osukui kōi). Second, the Yokoi clan, with its lineage right to serve as "the hawkiug clan," revived hawking grounds on what was previously fief territory and controlled with adaptation to the local environment (waju). Third, limitations on the lord of the hawking ground were indicated. The revival of hawking grounds meant protection of habitat for birds, while hawking caused serious damage to birds of villages within hawking grounds. These environmental changes came to threaten livelihoods of domain people living within villages of Yokoi clan's hawking grounds. This was an unexpected reversal of the original theory that grounds would serve for "public welfare" (osukui), and led to calls to revoke rights of hawking grounds.
著者
東 昇
出版者
九州大学基幹教育院
雑誌
鷹・鷹場・環境研究 = The journal of hawks, hawking grounds, and environment studies (ISSN:24328502)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.35-44, 2020-03

大洲藩主の狩は、17世紀後期、2代藩主加藤泰輿の代には、城下近隣の御鷹野で小規模な狩が行われ、藩主と藩士・領民が出会い交流する場であった。18世紀には、狩をしない藩主も登場するが、軍事演習、獣害対策、武の象徴としての狩と変化し、領民の見物の対象、まだ怪異と遭遇する場でもあった。18世紀末の10代藩主加藤泰済の代に、柳瀬山における御代始の狩に約4000人の大規模動員が行われる一方で、老人・奇特者の褒賞、難渋者の御救が実施された。この狩を支える漑匠は、下級藩士の世襲、巧者などを養子とし、屋敷に鳥を飼う設備を整えていた。また狩の場は、御鷹野場など鉄砲停止場として、鳥見方や鳥目付が監視し鳥獣を保護した。一方で、獣害対策として踏出、威筒願が各村から出され、領民の生業とせめぎあっていた。
著者
渡部 浩二
出版者
九州大学基幹教育院
雑誌
鷹・鷹場・環境研究 = The journal of hawks, hawking grounds, and environment studies (ISSN:24328502)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.71-82, 2020-03

17世紀後期の越後国村上藩主松平直矩(1642~95) の日記(『松平大和守日記』)から直矩の鷹・鷹狩について素描した。直矩所有の鷹は20居前後にもおよび、購入したものや贈答されたものもあったが、村上産のハイタカが中心で、頷内で捕獲する体制が確立していた。直矩は自ら頻繁に鷹狩を行うとともに、鷹を鷹師(鷹匠)に預け、領内各所で頻繁に鷹狩・訓練させ、捕獲した獲物を詳細に注進させていた。江戸藩邸で飼育していた鷹は、縁類の大名が将軍から下賜された鷹場や幕府鷹匠の預り鷹場に鷹師とともに遣わし、鷹狩・訓練させていた。また、直矩は鷹以外にも馬・犬・小鳥などの動物の贈答・購入を頻繁に行っていたことを示し、当時の武家の動物に対する関心の一端を指摘した。また、村上および江戸藩邸でも多様な動物を捕獲していたことなどを示し、当時の動物生息環境の一端を紹介した。
著者
東 幸代
出版者
九州大学基幹教育院
雑誌
鷹・鷹場・環境研究 = The journal of hawks, hawking grounds, and environment studies (ISSN:24328502)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.83-94, 2020-03

本稿は、彦根藩の御鷹場研究の進展のために、近江国における鳥猟の支配について検討するものである。彦根藩は、近江一国を御鷹場と認識してきた。しかし、彦根藩が鳥猟を許可できた範囲は、自領内にとどまっており、他領内の鳥猟には関与できない状態であった。また、彦根藩は留場の設定などを進めるが、その範囲はあくまでも自領内の一円知行地的な空間であり、他領に及ぶものではなかった。彦根藩が御鷹場の実質化を試みようとした際、いずれの領主もその主張に異を唱えた一因は、このような鳥猟支配のあり方が実際に展開していたためであった。18世紀半ばになると、彦根藩は、幕府との交渉を通して、「京都守護」の拝命を理由に御鷹場の実質化を進める。その結果、彦根藩が、他領猟師に対しても鳥札を発給するようになる。しかし、全ての領主が納得していたわけではなかった。