著者
原田 眞澄
出版者
中国学園大学/中国短期大学
雑誌
中国学園紀要 = Journal of Chugokugakuen (ISSN:13479350)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.51-58, 2015-06-16

おんぶや抱っこは単に搬送の手段としてではなく,子どもを育児するうえで肌と肌がふれあう温もりの伝わる関わり方で,大人と子どもの間に精神的つながりを深める効果に言及する者もいる。しかし,日本に特有の風習とされるおんぶひもを使ったおんぶは年々減少傾向であると感じられる。犬飼は1998年の研究で外出時の子どもの運搬方法におんぶひもを使ったおんぶは全体の6.5%と報告したが,現在はもう少し少ないと推測できる。一方保育所ではおんぶひもを使うことは多く,東日本大震災でも避難時に重宝した。私はこの違いに興味をもち,平成27年2月15日~3月23日の期間に,倉敷市立中央図書館,中国学園図書館の育児雑誌や育児書に関する情報収集と,インターネットやベビー用品売り場でおんぶひもに関する情報収集をおこなった。その結果,親世代に向けた育児雑誌の情報およびベビー用品売り場などにおんぶひもとういう表現は全くなくなっていて,抱っこやベビーカーによる育児が当たり前という印象を受けるものであった。少子化で,一人の親が子どもを抱っこできる余裕ができたことも背景として考えられる。育児雑誌でおんぶ兼用抱っこひもでおんぶをする場面が紹介され,親の立場からのメリットが紹介されていた。近年脳科学の分野でミラーニューロンが発見され,子どもをおんぶして大人のしていることを一緒に見ることが脳に良い刺激を与えることがわかった。今後は,子育て支援や保育学生への教育においてこの最新の情報提供をおこない,TPOに応じておんぶをすることの取り組みにつなげていきたいと考える。
著者
梅澤 猛 大澤 範高
雑誌
マルチメディア,分散協調とモバイルシンポジウム2016論文集
巻号頁・発行日
vol.2016, pp.872-875, 2016-07-06

スマートフォンやタブレットには多くのセンサが標準装備されており,それらを活用して端末周辺の環境情報をセンシングすることができる.周囲の環境情報を元に,自己位置を推定することで,屋内移動の支援に必要な大まかな位置情報を得ることができると考えられる.自律移動ロボットをはじめ,環境センシングにより自己位置推定を行おうとする例は多数あるが,mm ~ cm 単位での細粒度推定を目指すものが多く,粒度を粗くすることによって,高精度な推定手法を比較的手軽に実現できないかを検討したい.現状の携帯端末に標準的に搭載されているセンサについて,それぞれから得られるデータ種別とその特徴に基づいて,自己位置推定に使用する環境情報としての適正を検討する.
著者
小椋 裕太 大村 英史 東条 敏 桂田 浩一
雑誌
研究報告エンタテインメントコンピューティング(EC) (ISSN:21888914)
巻号頁・発行日
vol.2021-EC-59, no.34, pp.1-8, 2021-03-09

認知的音楽理論は,音楽を「聴く側」の認知過程を踏まえた音楽の分析理論である.その一つである Generative Syntax Model (GSM) は,和声進行に関する文脈自由文法を定義することで,和声進行における期待-実現の構造を階層的に表現できることを示した.しかし,GSM をはじめとする従来の認知的音楽理論は楽曲聴取後の認知構造のみを表現しており,楽曲聴取中の認知構造である音楽的期待については議論されていない.しかし,楽曲聴取中の期待の逸脱や実現こそ音楽の意味である.そこで,本研究では楽曲途中の認知構造の表現を行うために,GSM を確率文脈自由文法に拡張する.これにより,漸進的構造解析を行うことが可能になる.このモデルを実装した和声解析システムを用い,ジャズ楽曲の和声進行の解析を行った.解析結果から,提案モデルが和声進行における楽曲途中の解釈の多様性や,楽曲における意外性の生じる位置を示唆していることが分かった.
著者
角山 朋子
出版者
埼玉大学大学院文化科学研究科
雑誌
博士論文(埼玉大学大学院文化科学研究科(博士後期課程)
巻号頁・発行日
2016

【序論】1. 研究の目的と背景 1.1. 研究目的・・・・・1 1.2. 研究背景・・・・・22. 研究の意義・・・・・33. 先行研究の問題点 3.1. ウィーン工房研究・・・・・4 3.2. オーストリア工作連盟研究・・・・・6 3.3. 「世紀末ウィーン」後の研究・・・・・7 3.4. 日本におけるオーストリア・デザイン史研究・・・・・7 3.5. 先行研究の課題・・・・・84. 研究の方法、構成 4.1. 研究の方法・・・・・9 4.2. 考察対象 4.2.1. 用語について・・・・・9 4.2.2. 考察対象・・・・・10 4.3. 研究の構成・・・・・13【本論】1. オーストリア近代デザイン運動の胎動 1.1. 英国アーツ・アンド・クラフツ運動:20世紀初頭までの変遷・・・・・16 1.2. ウィーンへのアーツ・アンド・クラフツ運動の伝播 1.2.1. ヨーロッパ対六の装飾芸術運動:アール・ヌーヴォー、ユーゲントシュティール・・・・・24 1.2.2. ウィーンのける諸外国の動向の欠落・・・・・26 1.2.3. アルトゥール・スカラによるイギリス工芸の導入・・・・・28 1.2.4. ウィーン美術工芸協会の反発・・・・・32 1.3 第一期デザイン改革:アイテルベルガ―と帝国立オーストリア芸術産業博物館 1.3.1. ハプスブルク君主国の工業化と経済成長・・・・・36 1.3.2. アイデルベルガ―による芸術産業博物館設立の献言・・・・・38 1.3.3. 帝国立オーストリア芸術産業博物館の開館・・・・・40 1.4 第二期デザイン改革:ウィーン分離派による芸術刷新 1.4.1. 「7人クラブ」:近代芸術運動の萌芽・・・・・48 1.4.2. ウィーン造形芸術家協会の内部抗争:ウィーン分離派結成の経緯・・・・・51 1.4.3. ウィーン分離派の芸術理念・・・・・56 1.4.4. 「一つのオーストリア」を目指して・・・・・592. ウィーン工房誕生の布石:ウィーン分離派によるクンストゲヴェルベシューレ改革・・・・・67 2.1. 1900年以前のクンストゲヴェルベシューレにおける工芸教育の変遷 2.1.1. 1867年制定の学校規則・・・・・68 2.1.2. 1872年の改訂版学校規程及び教育計画:予備課程の強化・・・・・69 2.1.3. 1877年の再改定版学校規程及び教育計画:芸術教育の重視・・・・・71 2.1.4. 1888年の改訂版学校規則:模写と様式学習の継続・・・・・73 2.2. 芸術産業博物館の近代化:クンストゲヴェルベシューレ改革の素地 2.2.1. スカラとウィーン美術工芸協会の主導権争い・・・・・75 2.2.2. 1898年制定の芸術産業博物館規約:創造的工芸家の養成・・・・・76 2.2.3. 文化教育省の文化政策:「芸術評議会」の開設・・・・・78 2.2.4. 博物館理事会でのオットー・ヴァグナーの学校改革に関わる提言・・・・・79 2.2.5. スカラの現実的構想・・・・・82 2.3. ウィーン分離派によるクンストゲヴェルベシューレ改革 2.3.1. 教師陣の交替・・・・・85 2.3.2. 授業の課題と改善・・・・・863. ウィーン工房の設立構想とその初期理念:1990-1906年 3.1. 設立までの出来事 3.1.1. ヘルマン・バールによる「芸術と工芸を結ぶ組織」の提案・・・・・89 3.1.2. 第8回ウィーン分離派展(1990)の成果 3.1.2.1. 幾何学的ユーゲントシュティールの確立と成功・・・・・90 3.1.2.2. アシュビーとギルド・オブ・ハンディクラフトからの影響・・・・・94 3.1.2.3. マッキントッシュとの関係・・・・・96 3.1.3. 設立前年の動き:ヴェルンドルファーの貢献・・・・・99 3.2. 組織形態 3.2.1. 1903年5月の設立規約、登記簿登録、及び最初の営業許可書・・・・・104 3.2.2. 『ウィーン工房作業綱領』(1905)に書かれた理念と理想・・・・・105 3.2.3. 「協同組合」という選択・・・・・108 3.3. 幾何学的ユーゲントシュティール 3.3.1. 装飾の抑制・・・・・112 3.3.2. ビーダマイヤー・・・・・115 3.3.3. 高級工芸品としてのウィーン工房製品・・・・・1164. 理想と経営のはざまで:1907年以降とウィーン工房の企業化とデザイン特性の変化 4.1. ウィーン工房の経営体質(1903-1932) 4.1.1. アーツ・アンド・クラフツ運動と経済性:イギリス、ドイツにおける実践・・・・・118 4.1.2. 資金提供者兼経営責任者の変遷・・・・・120 4.1.3. 企業形態の変遷 4.1.3.1. 子会社、合名会社の設立・・・・・121 4.1.3.2. 「有限会社ウィーン工房」への移行(1914):有限会社化とヴェルンドルファーの離脱・・・・・122 4.1.3.3. 庇護から合理化へ(1914-1932):プリマヴェーシ、グノーマンの経営時代・・・・・125 4.2. 1907年の経営危機とモーザーの離脱 4.2.1. ヴェルンドルファーへの資金依存・・・・・128 4.2.2. ディータ・モーザーへの援助要請をめぐるモーザーとヴェルンドルファーの対立・・・・・130 4.2.3. モーザーの主張 4.2.3.1. 個人資産に依拠する経営への批判・・・・・132 4.2.3.2. 方針転換の提言・・・・・132 4.2.3.3. 顧客側の問題・・・・・133 4.2.3.4. ホフマンとの関係・・・・・134 4.3. 1907年の大転換:デザインにみる経営戦略 4.3.1. 中心デザイナーの変化:ホフマン=モーザー体制から複数メンバーの活躍へ・・・・・135 4.3.2. 新たなデザイン様式:装飾の復活 4.3.2.1. 背景・・・・・137 4.3.2.2. 金属工芸・・・・・139 4.3.2.3. グラフィック作品・・・・・141 4.3.3. 事業の拡大 4.3.3.1. 販売店、支店・・・・・142 4.3.3.2. 外部企業との連携:製陶会社「ウィーン陶器」・・・・・145 4.3.3.3. 「キャバレー・フレーダーマウス」(1907):新設部門への活力・・・・・1465. 「ウィーン工房」のブランド確立へ:帝都の美術工芸を担う 5.1. ウィーン分離派の決裂(1905):芸術様式と商業性をめぐる立場の相違 5.1.1. クリムト・グループの離脱・・・・・150 5.1.2. 対立要因:ギャラリー・ミートケ、ウィーン工房への批判・・・・・152 5.1.3. 妥協案の頓挫とクリムト・グループの声明・・・・・153 5.2. <クンストシャウ1908>にみる「総合芸術」の新たな展開 5.2.1. 展覧会の構想・・・・・155 5.2.2. 公的支援の獲得・・・・・157 5.2.3. 希薄な政治性・・・・・158 5.2.4. ウィーン工房展示室に現れた商業的要素 5.2.4.1. 展覧会の会場構成・・・・・161 5.2.4.2. クリムトの作品販売意欲・・・・・163 5.2.4.3. ウィーン工房展示室・・・・・165 5.3. 「国家的理由から」:オーストリア工作連盟の設立(1912) 5.3.1. ウィーンの産業振興部局:工作連盟以前の産業促進会議・・・・・170 5.3.2. ドイツ工作連盟(1907)への参加・・・・・171 5.3.3. オーストリア・グループの独立 5.3.3.1. 活動概要・・・・・174 5.3.3.2. 多民族国家のアイデンティティ・・・・・175 5.3.3.3. 春季オーストリア工芸展(1912)にみるオーストリア工芸の多様性・・・・・178 5.3.3.4. 大規模な出発・・・・・181 5.4. 「ウィーンらしさ」への立脚:1910年代前半の産業活性化の理想と現実 5.4.1. オーストリア工作連盟の活動目的・地域・・・・・184 5.4.2. 国民経済への視点・・・・・185 5.4.3. 理想からの乖離・・・・・187 5.4.4. アドルフ・ロースの工作連盟批判・・・・・190 5.5 オーストリアのアイデンティティとは:ケルンでの工作連盟展(1914) 5.5.1. オーストリア・グループの団結・・・・・193 5.5.2. オーストリア・パヴィリオンの独自性 5.5.2.1. 一般展示室、ウィーン工房展示室、オーストリアの装飾文化の披露・・・・・195 5.5.2.2. オーストリア・パヴィリオンの建築的特徴・・・・・197 5.5.3. オーストリア・パヴィリオンの成果・・・・・1996. 第一次世界大戦下のウィーン工房:女性メンバーの躍進と国家協力 6.1. 「芸術家工房」(1916)における美的工芸品製作 6.1.1. 工作連盟運動の失速:ウィーン工房の主導的立場の継続・・・・・201 6.1.2. 「芸術家工房」開設:低迷する生産と経営の救済策・・・・・202 6.1.3. 芸術家工房の主要女性メンバー 6.1.3.1. フェリーツェ・リックス・・・・・205 6.1.3.2. マリア・リカルツ・・・・・208 6.1.3.3. マティルデ・フレーグル・・・・・209 6.1.3.4. ヒルデ・イェッサー・・・・・210 6.1.4. 陶器作品の新傾向 6.2. モード領域の成長:テキスタイル部門、モード部門での女性メンバーの活動 6.2.1. 1900年代のテキスタイル生産・・・・・214 6.2.2. 1910年代の女性メンバーによるテキスタイルデザインとポール・ポワレへの影響・・・・・215 6.2.3. モード部門の女性メンバーの製作領域、作風 6.2.3.1. マリア・リカルツによるモード画・・・・・219 6.2.3.2. 戦時下のモード画集:『モード・ウィーン』(1914-1915)、『婦人の生活』(1916)・・・・・221 6.3. 女性デザイナー養成拠点:ホフマンとチゼックによるデザイン教育の意義 6.3.1. 応用芸術教育と女性・・・・・224 6.3.2. ヨーゼフ・ホフマンの建築専門クラス:他領域の工芸制作の実践・・・・・225 6.3.3. フランツ・チゼックの装飾形態学クラス:「感覚のリズム化の訓練」 6.3.3.1. 女性メンバーの作風とペッヒェ、ホフマンの作風の関係・・・・・228 6.3.3.2. チゼックの独自性と世紀転換期デザイン教育の継承・・・・・229 6.3.3.3. 教育成果:自由な感性の発露・・・・・231 6.4. 国家協力と経営努力 6.4.1. 中立国での販売促進運動・・・・・234 6.4.2. 「オーストリア的」工芸における民族的表現の欠如・・・・・237 6.4.3. ウィーン工房側の利点・・・・・2397. 1920年代から終焉まで:装飾的デザインと変貌する国家、社会との距離 7.1. 新共和国のデザインの方向性をめぐる混乱と対立 7.1.1. オーストリア工作連盟の再出発:工芸活動の継続・・・・・241 7.1.2. <クンストシャウ1920>展の審美的世界・・・・・242 7.1.3. ホフマンとウィーン工房のオーストリア工作連盟脱退・・・・・247 7.2. 終戦直後のウィーン工房再建過程:ドイツへの接近と企業的性格の強化 7.3. 現代産業装飾芸術国際博覧会(1925)への参加 7.3.1. パリの「アール・デコ」・・・・・254 7.3.2. オーストリアの出展作品 7.3.2.1. オーストリア・パヴィリオン・・・・・255 7.3.2.2. グラン・パレ・・・・・257 7.3.3. ホフマンとウィーン工房に対する批判 7.3.3.1. ウィーン工房の展示状況・・・・・258 7.3.3.2. 商業面、芸術面での不首尾・・・・・259 7.3.4. 博覧会に見るオーストリアのアール・デコの特徴とウィーン工房の出展意義・・・・・262 7.4. ブランド・イメージとしての装飾 7.4.1. 1926年移行の提携企業の拡大:統一的企業イメージの必要性・・・・・264 7.4.2. 装飾的デザイン対する批判の高まり・・・・・265 7.4.3. 根本的な議論の不在・・・・・268 7.5. 最後の5年間:芸術性の維持と経営合理化 7.5.1. ウィーン工房設立25周年(1928)・・・・・271 7.5.2. 1928-1929年の経営業績の回復 7.5.2.1. 組織の中央集権化・・・・・273 7.5.2.2. 外国企業及び外国市場の重要性・・・・・274 7.5.3. ウィーン工房の終焉・・・・・276【結論】1. オーストリア近代デザイン運動の基盤:産業・芸術・国家の近代化・・・・・2782. デザイン企業への転換:デザインの商品価値・・・・・2803. 近代デザイン運動団体のブランドへの変容・・・・・2814. ウィーン工房と「装飾」・・・・・2835. ウィーン工房のデザイン史上の意義と今日性・・・・・283【資料編】図版図版出典年表文献目録
著者
渡辺 守邦
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 = The Bulletin of The National Institute of Japanese Literature (ISSN:03873447)
巻号頁・発行日
no.15, pp.135-165, 1989-03-25

むかし、祖母の語った安倍の童子の咄は、歳月のベールに隔てられて、記憶もおぼろげである。それゆえであろうか、かすかな太棹の三味の音を伴って甦ってくる。この一話の世上への伝搬に『蘆屋道満大内鑑』のはたした功績の大きかったことは疑いないが、それだけではなかった。江戸時代を通じて、演劇とは双子の関係にあった小説の分野にあっても取り上げられ、数々の作品の刊行をみている。また、明治の御代にいたるまで盛んに行われた、仏教講釈の演目の内にも含まれていた、という。暦数書の注釈に発した清明伝承が、さまざまなジャンルに文芸化されたありさまと、作品相互の間の関りについて調べてみることは、われわれの持つ清明像の依ってきたる所以を明らかにすることにもなるはずである。 A memory of a story of Abe-no-doji (childhood name of Abe no Seimei) which my grandmother told me long time ago is vague separated by a veil of time. That may be why it is associated in my memory with the faint sounds of Futozao (broad-neck) shamisen. There is no doubt about the great achievements that “Ashiya Doman Oouchikagami”(蘆屋道満大内鑑)produced as for propagation of this story to a public, however this was not all. It was taken up for the field of novels which had a twin-like relation with field of the Dramatic Arts, many works were published. In addition, it is said to be included on the program of a Buddhism lecture carried out actively up to the reign of the Emperor Meiji. To investigate the state that a legend of Seimei which had its beginnings in explanatory notes of the Rekisusho (the number of years book) was changed into literary arts in various genres and to try to investigate about the mutual relation with each work should be going to clarify the reason of the image of Seimei that we have.
著者
楊憲霞
出版者
北九州市立大学
巻号頁・発行日
2016-03-26

本研究は、大正年間を中心に活躍した政治学者、思想家である吉野作造と近代中国との関わりについて検討した。
著者
劒持 若菜 河瀬 彰宏
雑誌
研究報告エンタテインメントコンピューティング(EC) (ISSN:21888914)
巻号頁・発行日
vol.2021-EC-59, no.40, pp.1-5, 2021-03-09

本研究では,ダンス評価時における視線計測実験を実施し,AIST Dance Video Databace の映像を用いてダンス経験者と未経験者のダンス評価時の注視傾向を比較した.注視部位の時間に対して統計的検定を実施した結果,注視部位とダンス経験に関連があること,経験者が頭部や手先を注視する傾向にあること,未経験者が胴体など身体の中心に近い部分を注視する傾向があることを明らかにした.
著者
竹中 理香
雑誌
川崎医療福祉学会誌 (ISSN:09174605)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.129-145, 2015

本研究では,戦後日本の在日コリアンに対する権利保障の経緯と内容,それに対する在日コリアンの社会運動を,「権利」と「参加」の側面から分析し,在日コリアン高齢者の現代的問題の背景を,戦後日本における在日コリアンに対する権利保障と社会運動との関係から明らかにした. 分析の結果,戦後日本における在日コリアンに対する権利保障と社会運動の変遷は,戦後から1965年までの第1期,1960年代後半から1970年代までの第2期,1980年代から1990年代前半までの第3期,1990年代前半から現在までの第4期に区分することができた.また,戦後日本における在日コリアンに対する権利保障と社会運動の変遷は,「本国志向」の自衛的な運動から,運動の担い手の世代交代と権利獲得運動へと変遷してきた.さらに,1990年代以降は,1世の高齢化にともなって,戦後補償や無年金問題が浮上した.2000年以降は,在日コリアン高齢者の福祉サービスからの排除問題が,2世たちによって発見されたことが明らかになった.
著者
王 成
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国際日本文学研究集会会議録 = PROCEEDINGS OF INTERNATIONAL CONFERENCE ON JAPANESE LITERATURE (ISSN:03877280)
巻号頁・発行日
no.19, pp.77-86, 1996-10-01

Autumn Sorrow (aki no nageki) is a short story by Fukunaga Takehiko, first published in the literary magazine "Meiso" in November, 1954.One of many experimental works by Fukunaga, who is regarded primarily as an avant-garde writer, this story is highly complex in both language and design. The reader is drawn into the solitary world of the heroine Sanae, whose brother died by his own hand one autumn night ten years earlier. In his depiction of her lonely existence, Fukunaga resolutely confronts "time"― here portrayed as a phenomenon of evil -and analyses in detail the interaction between time and fiction. In this paper I would like to consider the relation in the story between the structure of time and the development of the narrative. In Autumn Sorrow, the author consciously denies the continuity of time by overlapping and intertwining past and present within the story, thus advocating to the reader a restructuring of time guided by the creation and judgement of reader and author. Fukunaga constantly shifts time from the present to the past in successive sentences, or even within a single sentence. I would like to examine the ways in which Fukunaga deals with these timeshifts.Autumn Sorrow develops the theme of combining the chronological time of the story itself with the psychological time of the heroine, Sanae. I would like to examine the function of time and memory within the structure of the story.Fukunaga sees creative co-operation between reader and author as the ideal component for construction of a story. To draw the reader completely into the world of the story, he has created not just an artificial time structure, but a story in which he measures the distance between the author, the characters, and the reader. In Autumn Sorrow, direct and indirect narratives are skillfully mixed, with dialogue expressed on the same level as the prose, removing the borders between the real world and the inner world of the characters, aiming at a single level for reader, characters, and author.The principal motifs of the story are war, and the heredity of madness. The construction of the story, involving as it does the setting and solving of various puzzles, leaves the story open to numerous, many-sided interpretations.
著者
八木 晟
雑誌
福山大学薬学部研究年報 = Annual report of the Faculty of Pharmacy & Pharmaceutical Sciences, Fukuyama University
巻号頁・発行日
vol.17, pp.26-51, 1999

Since the establishment of Dietary Supplement Health and Education Act as amendments to the Federal Food, Drug and Cosmetic Act, on October, 1994, herbs, vitamins, minerals and amino acids have been widely applied for dietary supplements. Under the situation, I introduced Aloe from chemical and pharmacological stand point(1993) and Aloe vera gel for an alternative medicine(1996) in Annual report of Faculty of Pharmacy and Pharmaceutical Sciences, Fukuyama University. Present communication deals with efficacy of Aloe extract based on medicinal experiments.
著者
宮原 均
出版者
中央ロー・ジャーナル編集委員会
雑誌
中央ロー・ジャーナル (ISSN:13496239)
巻号頁・発行日
vol.11, no.3, pp.85-101, 2014-12-20

本稿においては、先例拘束の国とされるアメリカにおいても、先例変更がかなり行なわれている点に着目し、その問題点を検討した。まず、先例変更がもたらすメリット・デメリットを指摘し、次に、先例拘束を根拠づける理論がいかに形成されてきたかに関して歴史的にフォローした。「法宣言説」や「議会沈黙論」に触れた後に、社会等の変化に対応するために先例変更も認められるようになってきたが、先例を信頼した当事者に対する不意打ちを避ける必要があることが強く認識されるようになった。そこで、「区別」等による先例への漸進的浸食の意義と将来効判決の必要性を指摘した。
著者
細田 真道 坂本 寛 村上 友規 毛利 忠 中山 彰 小川 智明 宮本 勝
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.946-958, 2021-03-15

本論文ではMaaS,イベント,施設等の運営者が人流把握を目的として来場者所持端末を測位する方法を提案する.我々はこの目的のため,広く普及している無線LAN端末を対象とし,端末にアプリケーション等のインストール不要,端末は分散アンテナを用いたアクセスポイントに帰属するだけでアクセスポイント側から1次元測位できる方法を以前提案した.本論文ではこれを2次元に拡張するとともに,より多くのアンテナや複数種の計測値を統合して位置推定計算する方法を提案し,有効性を確かめるための実験を行い測位結果および評価を示す.最後に,フィールド実証として来場者が多数集まる展示会で動作させ,実フィールドでの有効性を確かめる.