著者
谷 誠司 内田 智子 吉田 広毅 増井 実子 中山 晃
出版者
常葉大学教育学部
雑誌
常葉大学教育学部紀要 = Tokoha University Faculty of Education research review (ISSN:2188434X)
巻号頁・発行日
no.36, pp.343-354, 2016-03-31

本稿は、済州大学校(韓国)と常葉大学(日本)との間で、2012 年10 月~ 12 月にかけて行った国際交流学習の実践報告である。済州大学の日本語クラスと常葉大学の韓国語クラスで、両校混成グループを作り、オンライン上で交流をしながらグループ課題を達成するまでのプロセスを紹介すると同時に、両校における問題点の把握から交流の結果の検証までをアクションリサーチの手順1で示した。また、学生に対して行った事前・事後のアンケート調査の分析を行うことで、今回の交流学習の意義や成果、問題点等を明らかにした。
著者
上橋 菜穂子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 = The journal of Kawamura Gakuen Woman's University (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.205-221, 2002

It is often stated that the Aboriginal society consists of the Elders system. Actually, in the Aboriginal society, the Elders were at the leading position in both politics and religion. The Elders also had the authority of punishing a person who broke "the Law", which covers all of their society as the standard. But the destruction of the Aboriginal society by colonialization changed their social system completely. The white men became the social authority and also hold all of the legal authority. That is why the Elders had lost the authority to lead the Aboriginal society. But after 1970s, in the stream of the Aboriginal culture revival, the Aboriginal policy made a great change from protection and discrimination policy or assimilation policy to self-management policy by which the Aborigines take part in politics autonomously. When this policy became the mainstream, the role of the Elders, who had traditional culture knowledge and were the traditional authority, achieved a new understanding. In this paper I paid an attention to the activity of "the commission of Elders" which was started by the county government leading Western Australia in 1995. And with this change of the Elders role, I sought to bring attention to the social change and the condition of the Aboriginal society that followed.
著者
阿部 恒久 Tsunehisa ABE
巻号頁・発行日
vol.43, pp.138-20_a, 1992-12-15
著者
壬生 幸子
出版者
共栄大学
雑誌
共栄大学研究論集 = 共栄大学研究論集 (ISSN:13480596)
巻号頁・発行日
no.15, pp.237-252, 2017-03-31

『古事記』仲哀記の香坂王・忍熊王の反乱物語における息長帯比売軍の二つの策略-品陀和気を喪船に乗せる「死」の偽装と、息長帯比売の偽りの「死」の布告-は、『日本書紀』にはない。この『古事記』独自のプロットにより物語は、天皇空位期における異母兄弟の争いにおいて皇統上劣位にある品陀和気・息長帯比売母子が、擬似的な「死」を潜り抜け、次代の天皇とその母としての地位を確保した物語となる。文脈と表現の検討から「赴喪船将攻空船尓自其喪船下軍相戦」は、忍熊王は喪船には品陀和気の遺骸と息長帯比売が乗ると見、息長帯比売を討ち取ろうと攻めたが、息長帯比売は予め喪船に軍兵を乗せており両軍の戦闘となった、という状況を表現したものと解釈される。「赴」はおもむく意の自動詞、「空船」は軍兵を乗せない船と解する。忍熊王が喪船に攻めかかった目的は、上記行文に先立つ「待取」という表現の検討から、息長帯比売を討ち取り殺すことと解する。
著者
兎内 勇津流
雑誌
情報処理学会研究報告人文科学とコンピュータ(CH)
巻号頁・発行日
vol.1995, no.50(1995-CH-026), pp.19-24, 1995-05-25

昨年9月にNIFTY?Serveの生涯学習フォーラム内に発足した図書館フォーラム会議室は、これまで1600発言近い書き込みがあるなど、盛況である。パソコン通信内で図書館をキーワードとしたオープンな交流の場はこれがはじめてと思われるが、その現状を報告するとともに、その背景、有効性と限界、将来の展望について考えてみたい。
著者
池谷 知子
出版者
神戸松蔭女子学院大学学術研究委員会
雑誌
トークス = Theoretical and applied linguistics at Kobe Shoin : 神戸松蔭女子学院大学研究紀要言語科学研究所篇 (ISSN:13434535)
巻号頁・発行日
no.20, pp.35-59, 2017-03-05

統語的複合動詞「~出す」と「~始める」は、両方とも開始のアスペクトを表すものとして知られている。この2つは言い換えがきくものされてきた。先行研究ではこの2つの違いとして、「~出す」の方は「突然性」があるとされてきた。これまで、複合動詞の用法については、作例で検証されることが多かったが、本研究では「現代日本語書き言葉均衡コーパス(通常版)中納言BCCWJ-NT」を使うことによって、「~出す」と「~始める」の違いを、数量と実例を使った観点から明らかにしていく。そして、「~出す」と「~始める」の違いには、動詞の限界性と動作主のコントロール性という2つの要因が関与していることを論じる。そのことによって、「~出す」と「~始める」の表す開始のスペクトの違いを明らかにする。
著者
藤原 芳朗
雑誌
川崎医療短期大学紀要 = Bulletin of Kawasaki College of Allied Health Professions (ISSN:02873028)
巻号頁・発行日
no.32, pp.27-32, 2012

現代社会は,可能な限り死を遠ざけ,疎んじ,関わりを少なくしていこうとする風潮が蔓延している.しかし,死は自身が体験できない以上近親者の死等からしか,その意味や大切さは学ぶことができない.私たちは死を意識することで翻って今の生を見つめ,残された生の時間をよく生きていこうと気づくのであるが,死を直視しないことでこのことから疎外されている.いまこそ,死の尊厳性に気づき,死から目を逸らさず生命の有限性を自覚し,死を意識しながら今を生きる意味を感じ取ることができる方法を考えねばならない.
著者
福島 悠太 三浦 太樹 濱谷 尚志 山口 弘純 東野 輝夫
雑誌
研究報告モバイルコンピューティングとパーベイシブシステム(MBL) (ISSN:21888817)
巻号頁・発行日
vol.2017-MBL-85, no.25, pp.1-8, 2017-11-08

無線センサーネットワークにおいて,センサーに付随するマイコンの高機能化 ・ 省電力化が進めば,従来クラウドで行っていた学習や異常検出,判定などのタスク処理をセンサーネットワークにオフローディングし,データ発生場所に近い場所でそれらを効率よく行える自律的な知能センサーネットワークが実現できる.本研究では CNN を対象に,ローカルな無線センサーネットワーク内で分散実行する新しいアーキテクチャを提案し,そのための分散実行プロトコルならびにアルゴリズムを提案する.提案手法はメッシュ型の無線センサーネットワークが面的かつ定期的に取得するデータを対象とし,センサーノードに深層学習におけるユニットの役割を割り当てる.提案手法の有効性を評価するため,1,400 m² 超の実ラウンジスペースの 50 地点の温度データを用いて,通常の CNN による学習と提案手法による分散学習におけるデータ通信量と学習精度の比較を行った.その結果,十分妥当な通信量のもとで,通常の CNN と遜色ない学習精度を達成できることがわかった.
著者
田渕 晶大 木村 耕行 鳥居 淳 松古 栄夫 石川 正 朴 泰祐 佐藤 三久
雑誌
研究報告ハイパフォーマンスコンピューティング(HPC) (ISSN:21888841)
巻号頁・発行日
vol.2016-HPC-154, no.3, pp.1-7, 2016-04-18

電力当たりの性能が重要視される中,低消費電力のアクセラレータとして PEZY-SC が注目されている.PEZY-SC のプログラミングには OpenCL をベースとした PZCL が提供されているが,その記述は煩雑で生産性が低い.そこでアクセラレータ向けの指示文ベースプログラミングモデルである OpenACC のコンパイラを PEZY-SC 向けに設計・試作する.Suiren Blue (青睡蓮) を用いた評価では,OpenACC コードは PZC Lコードと比較して N-Body では 98%以上,NPB CG では最大 88%の性能が得られた.また OpenACC は指示文を用いた簡潔な記述により PZCL の半分以下のコード行数で実装できたことから,高い生産性と十分な性能を達成できた.
著者
安蔵 裕子
出版者
昭和女子大学近代文化研究所
雑誌
学苑 = Gakuen (ISSN:13480103)
巻号頁・発行日
no.923, pp.26-35, 2017-09-01

Abstract In 2014, the Imperial Guard Headquarters of Japan gave seven helmets worn by the guards in the Imperial Police during the Meiji and Taisho periods to the Koyo Museum at Showa Women’s University. This paper introduces one of them, comments on its shape, materials, and characteristics, gives the history of the Imperial Police from their inception in 1886, and discusses that organization’s dress code. The helmet was found in 2012 in the warehouse of the Kyoto Imperial Palace along with 52 similar helmets. It was kept in a wooden box on which a paper with the guard’s name, Naoharu Tamai, was affixed. Tamai’s name appears in the 1915 record of the Imperial Police. The shape of the helmet is apparently based on the spiked pickelhaube worn by Prussian sodiers, fire-fighters and police. The shell seems to be made of papers pasted onto a wooden mold. The outer surface is japanned with black lacquer(黒漆). This type of helmet is called a peach-shaped helmet(桃子様兜). There is a hole drilled in the top and a round metal ornament similar to hachimanza(八幡座)is at the top of the helmet. There is a large metal ornament of a chrysanthemum with leaves at the front. Leather is used for the inner sweat band. There is also a metal chinstrap combined with several wavy-shaped thin pieces of metal decorating it. Thus, the helmet is an example of a Japanese effort to adopt western clothing styles during the Meiji Period, but one which continued to use traditional Japanese ornamentation and materials.