著者
Yukako Yoshida 吉田 ゆか子
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.46, no.2, pp.223-251, 2021-09-30

1980 年代以降の人類学では,モノが人間に使われたり,意味や価値を付与されたりする側面だけでなく,モノの側からの人間への働きかけや,モノと人の相互的作用によって出来事が生成されるプロセスに着目している。また,そこに物質性がいかに関わるのかという問いも重要性を帯びている。本特集は,こうした「マテリアリティの人類学」の関心を上演芸術の研究と交差させ,新たな視座を探求するものである。本特集では,芸能を人とモノの織りなす営みと捉え直し,表現や伝承にモノがどのように関与するのかを考察する。モノの物質性に触発され想像力や創造性が刺激されるプロセスにも注目する。そのなかでは,舞台後もつづく日常におけるモノと人の関わりの影響,モノの移動がもたらす事柄,人とモノ(例えば楽器や他者の身体)が「1 つになる」といった事態,などの新たな研究テーマも生まれる。
著者
都並 敏史
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1473, pp.89-91, 2009-01-12

やっぱり結果が悪すぎました。世界経済が急激に悪くなっている中で、サッカーチームのスポンサーをしている会社も、資金がなくなってきています。僕はちょうど悪いタイミングに当たったということかもしれません。 2007年にシーズン途中でJリーグ2部(J2)のセレッソ大阪の監督を解任されたのに続き、2008年は3年契約だった横浜FCの監督を1年目で辞めさせられました。

8 0 0 0 OA 道程

著者
高村光太郎 著
出版者
抒情詩社
巻号頁・発行日
1915
著者
水野 勲
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100264, 2014 (Released:2014-03-31)

福島第一原発という名前が、もしも別の名前(たとえば、双葉大熊原発)であったなら、福島県の農産物の風評被害を避けられたのに、というコメントを、発表者は福島県での調査の際に何度か聞いた。そもそも風評被害とは何であり、それは地名とどのように関わるのだろうか。 地名は単に、特定の土地に付けた名前であるだけではなく、集合や関係についての論理階型(logical type)の問題を含む。そこで発表者は、集合論のアプローチにより、原発事故後に「福島」という地名が、さまざまな地理的スケールで、どのような区別と「空間の政治」を含んでいたかを考察したい。2011年3月の福島第一原発事故の前には、「福島」は福島県か福島市としか関係がなかった。しかし、原発事故後、県と市と事故原発が同じ名前をもった、自己言及性の集合関係におかれた。このため、「I love you & I need you ふくしま」という応援ソングが、原発事故から1ヵ月後に猪苗代湖ズ(福島県出身のミュージシャンの即席グループ)によって歌われたのである。ここで福島県という行政領域が、原発事故をめぐる言説の特権的な地理的スケールになったことに注目したい。福島ナンバーの自動車、福島県産の農産物、福島県出身者が、何のコミュニケーションもなく区別されたからである。これは、放射能汚染地=福島県という単純化(区別)を行うことにより、さまざまな空間政治的な効果をもった。東京オリンピックの招致では、福島は東京から遠いという言説が用いられたのは、その区別の一例であろう。 しかし、別の地理的スケールによって、問題の地平を提示することができる。福島県内のスケールでは、福島第一原発の事故によって避難を余儀なくされている「警戒区域(後に避難準備区域)」、あるいは原発事故によって避難している住民および役場の場所を、「福島」と呼ぶこともできる。また広域ブロックのスケールでは、放射線管理区域の指標である年間1mシーベルトの空間放射線量の地域(東北、関東の一部)あるいは福島第一原発から電力を供給されていた関東地方を、「福島」と呼ぶことができる。そして、国家スケールでは、福島から自主避難している住民の居住地(全国都道府県に分散)あるいは全国の原発施設のある地域を、「福島」と呼んでもいいのではないか。さらに、グローバルスケールでは、諸外国が日本からの農産物輸入を禁じている都道府県(東日本に広がる)あるいは原発事故の放射性物質が大量に撒き散らされた太平洋地域を、「福島」と呼ぶべきではないか。「福島」という地名を、県という地理的スケールに閉じ込めて議論することは、きわめて恣意的な「空間の政治」であると考える。

8 0 0 0 OA 異国叢書

出版者
駿南社
巻号頁・発行日
vol.〔第6〕, 1928
著者
久米邦武 編
出版者
博聞社
巻号頁・発行日
vol.第4篇 欧羅巴大洲ノ部 中, 1878
著者
黒田 潤一郎 吉村 寿紘 川幡 穂高 Francisco J. Jimenez-Espejo Stefano Lugli Vinicio Manzi Marco Roveri
出版者
一般社団法人 日本地質学会
雑誌
地質学雑誌 (ISSN:00167630)
巻号頁・発行日
vol.120, no.6, pp.181-200, 2014-06-15 (Released:2014-11-12)
参考文献数
86
被引用文献数
1

地中海は中新世の末期(5.97~5.33 Ma)に膨大な量の蒸発岩が形成されるイベントを経験した.これはメッシニアン期塩分危機と呼ばれる.これらの蒸発岩は十分に塩水が存在する状況で析出したのか,深海盆までが干上がったのか,未だ議論に決着がついていない.本論では,1)シチリア島の天日塩田で見られる蒸発鉱物(石膏・岩塩)の形成プロセスとその堆積構造と形成環境の関連を紹介し,2)シチリア島のメッシニアン期蒸発岩で提唱された塩分危機のシナリオを解説する.シチリア島のメッシニアン期蒸発岩類は浅海堆積相で晶出した初生的下部石膏ユニット,深海盆でこれが再堆積した砕屑性下部石膏ユニット,深海堆積相の厚い岩塩層,深海堆積相でこれらを覆う上部石膏ユニットに大別される.これらの蒸発岩類は5.33 Maに突如終焉し,広く鮮新世の半遠洋性石灰質堆積物に覆われる.
著者
石坂 友司
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.115-127,155, 2003-03-21 (Released:2011-05-30)
参考文献数
65

明治44 (1911) 年に新聞紙上で繰り広げられた「野球害毒論争」は我が国の近代スポーツの受容に際して, 多数の教育家・知識人がそのあり方について意見をたたかわせた歴史的意義を有する論争である.本稿はこれまで野球史上に位置づけられて論じられることの多かったこの論争を,我が国の教育制度を特徴づける学歴主義の整備・拡張という文脈からとらえ返す試みである. 本稿では以下のような考察を試みた.第一に, この論争の背景を当時の教育制度の整備・拡張というコンテクストに結びつけて論じた. そこでは進学の困難さと智育 (試験) 重視のメカニズムが一つの教育問題として議論されていたことを示した. その一方で, 運動を行うことが学業との関係から弊害として認識され, 野球が管理・統制の対象として把握される背景を明らかにした.第二に, 論争は官・私の対立という側面をもち, 官立の教育者による野球排斥論は, 当時台頭していた私大への批判の論理から展開されていたことを明らかにした. これに対する私学の応戦は, 学歴主義の制度化に抗う一つの差異化戦略であったことを示した.以上のように, 論争はP. ブルデューの文化的再生産論の視角から, 文化の「正統性」をめぐる象徴的闘争という側面をもつ「教育論争」として定立していたことが論じられた.
著者
坂井 素思
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.33-40, 2007

この小論では、なぜ日本にコーヒー浸透という現象が起こったのか、あるいは日本人はなぜコーヒーを好きになったのかというテーマを考えてみたい。幕末の開港とともに、日本の税関はそれぞれの港で貿易統計を取るようになった。このため、外国との取引貿易品、なかでもとりわけ農産物は全て記録されることになった。明治の初めから、日本がどれだけのコーヒーの生豆を輸入したのかがほぼ完全に把握できることになる。これで見ると、1920年代から1930年代にかけて輸入量が累積的に多くなるという現象が観察される。この小論では、なぜコーヒーが浸透したのか、という点をめぐって、1920年代から始まるコーヒーブームに焦点を当てて、その理由を考えた。以上の結果、喫茶店によるネットワーク型消費の展開、世界のコーヒー市場の影響、都市化と覚醒文化の進展、などが社会経済要因として挙げられるという結論が得られた。
著者
豊倉 穣
出版者
一般社団法人 日本高次脳機能障害学会
雑誌
高次脳機能研究 (旧 失語症研究) (ISSN:13484818)
巻号頁・発行日
vol.28, no.3, pp.320-328, 2008-09-30 (Released:2009-10-27)
参考文献数
16
被引用文献数
7 6

注意障害に関する臨床的事項を概説した。軽微な注意障害はADL に影響せず,臨床上見逃されることが少なくない。日頃から注意障害を疑う姿勢が重要である。日本高次脳機能障害学会は日本人で標準化された標準注意力検査を開発した。Trail Making Test もよく用いられる課題である。非利き手での成績が利き手での動作と同等に扱えること,施行時間は動作プロセスより認知プロセスに大きく依存すること,などの報告がある。日常生活の問題に還元しやすいとの利点から,注意障害の行動評価も検討されている。一例として著者の考案したBAAD(Behavioral Assessment of Attentional Disturbance)を紹介した。認知リハビリテーションとして多くのプログラムが紹介されている。APT(Attention Process Training)およびより軽症例を対象とするAPT IIは特異的に注意障害を改善する訓練プログラムとして開発されたものである。