著者
中山 浩太郎 伊藤 雅弘 Erdmann Maike 白川 真澄 道下 智之 原 隆浩 西尾 章治郎
出版者
情報処理学会
雑誌
情報処理学会論文誌データベース(TOD) (ISSN:18827799)
巻号頁・発行日
vol.2, no.4, pp.49-60, 2009-12-24

Wikipediaは,インターネットを通じて誰でも編集可能なオンライン百科事典であり,ここ数年で爆発的に成長したソーシャルメディアの一種である.特に,自然言語,人工知能,データベースの研究分野で活発に研究が進められており,連想関係抽出や,対訳辞書構築,オントロジ構築など,数多くのWikipediaを対象とした研究が行われてきた.また,最近では多様なアプリケーションへWikipediaマイニングの成果を適用する事例が報告されており,その有用性が示されてきた.しかし,多量の研究発表が行われる一方で,全体像を把握することが困難になりつつあるのも事実である.本サーベイ論文では,これら最新のWikipedia研究を紹介しつつ,概観することで研究の目的面・技術面から分類し,Wikipedia研究の動向を探る.Wikipedia, an Wiki based online encycropedia, has become an emergent social media because of the significant effeciency for sharing huge amount of human knowledge via Web browsers. Especially, in NLP, AI and DB research areas, a considerable number of researches have been conducted in past several years. Relatedness measurement, bilingual dictionary extraction and ontology construction are ones of main Wikipedia Mining research areas. Furthermore, researches on application based on structured data extracted by Wikipedia Mining are becoming one of the essentials of Wikipedia research areas. In this survey paper, we introduce the new research papers and summarize the researches from both technical aspect and directional aspect.
著者
立木 康介
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野
雑誌
コンタクト・ゾーン = Contact zone (ISSN:21885974)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2019, pp.290-303, 2019-08-31

精神分析がめざすのは、「ナラティヴ」を構築することではない。反対に、ひとつの物語が隙なく語られれば語られるほど、精神分析家はますますそれに用心する。そのような語りはfadenscheinig、すなわち「見え透いている」とフロイトは述べた。ジャック・ラカンが繰りかえし強調したように、治療のなかでわれわれに作業させるもの、いや、より単純に、(それじたいが)作業するもの、それはパロール(話すこと、話された言葉)にほかならない。ラカンによれば、治療においては「パロールがすべての力〔権力、pouvoirs〕を、すなわち治療の特別な力を握る」。なぜなら、無意識はパロールを通るからだ。といっても、その道筋は無数にあるわけではない。無意識が、いや無意識の「一端」がパロールのなかに顕れるとき、そこにはひび割れや歪みが生じ、その結果、パロールは形が崩れ、壊され、ひどく理解しづらくなって、言い間違いや意味の揺れ(équivoque)として感知されるだろう。 無意識の読解は、こうした微細なひずみに注意を留めることからはじまる。これらのひずみは、無意識がシニフィアンの連なりをくぐったことの痕跡なのだから。Faire un récit (making a narrative ou storytelling) ne fait pas partie de l'objectif d'une psychanalyse. Au contraire, mieux un récit se raconte, plus le psychanalyste s'en méfie : un tel récit paraît fadenscheinig, louche, disait Freud. Comme Jacques Lacan n'a cessé de souligner, ce qui fait travailler, ou mieux : ce qui travaille, tout simplement, dans la psychanalyse, c'est la parole. Lacan affirme que dans la cure, <<la parole a tous les pouvoirs, les pouvoirs spéciaux de la cure>>. C'est parce que l'inconscient passe par la parole. Mais pas de n'importe quelle façon. Quand l'inconscient, ou un <<bout>> de l'inconscient s'y manifeste, cela produit une fissure ou une torsion dans la parole, de sorte que celle-ci est déformée, brisée, donc devient difficilement saisissable, comme en lapsus, ou en équivoque. Lire l'inconscient commence par être sensible à ces menues traces de son passage dans le défilée du signifiant.
著者
西 真如
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野
雑誌
コンタクト・ゾーン = Contact zone (ISSN:21885974)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2019, pp.275-289, 2019-08-31

本稿は、在宅で終末期を過ごす単身高齢者の疼痛ケアにあたる訪問看護師が、患者の痛みの経験をどのように理解し、痛みの情動に介入するのかという問題について考察する。その過程は、医療のことばでは「痛みの評価」とか「痛みの管理」という用語であらわされるのが通例である。しかし実際には、患者がどのような痛みを抱えているかを客観的な指標によって把握することはできないし、オピオイド(麻薬性鎮痛薬)を用いた痛みへの介入は、患者の情動の変化と結びついた繊細な実践である。疼痛ケアは、痛みを訴える患者と、それを聞く医療者、そして患者の身体に介入する鎮痛薬とを巻き込んだ、一連のコミュニケーションの過程として把握される。この過程に接近するため、本稿ではまず、痛みとは何であって、それは何を意味するのかという問いについて考える。この問いは一方では、痛みは単に外的な刺激の感覚ではなく、複雑な情動の過程であるという医学上の「発見」と関わっており、もう一方では、痛みの意味は言語によって正確に表象されることはなく、痛みの経験を表現することは、常に不完全な翻訳の過程なのだという人類学的な(および関連領域の)考察と関わっている。そして本稿の後半では、訪問看護師が身体の痛みに「寄りそう」過程について、耐え難い疼痛を訴えながら在宅療養を選ぶ患者に対するケアの文脈や、オピオイドを用いた痛みへの介入といった側面に着目した記述をおこなう。
著者
澤野 美智子
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野
雑誌
コンタクト・ゾーン = Contact zone (ISSN:21885974)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2019, pp.235-248, 2019-08-31

語りについて論じた先行研究は、本稿で検討する諸概念に見られるように、文化人類学や質的社会学、口述史などの質的調査において学問上の目的からインタビューがなされる場合が主に想定されてきた。ナラティヴ研究で扱われてきたような、語りの「正しさ」(accuracy)や集め方・捉え方が問題になってくるのは、必ずしも学問上の目的からなされるインタビューに限らない。より実践に近い場で対話や説明がなされるときも同様の事柄が問題になりうる。ただし、実践現場で語りが発せられ受けとめられる状況は、質的調査のインタビューとは異なりうるため、質的調査を通して議論されてきた語りの概念を適用するための通路が見当たりづらい。その要因の一つとして、それぞれの分野で語りの「正しさ」の前提が異なっていることが挙げられる。本稿ではナラティヴ研究の概念を、質的調査とは異なる実践場面に即して検討することを試みる。これは、異なる「正しさ」を想定している語りを、共通の土俵にのせて論じるための試みでもある。これにより、多様な実践現場において、それぞれ語りの「正しさ」がどのように前提され、互いにどのように異なっているのか、あるいは類似しているのかを明らかにすることができる。特に本稿では、語りの「正しさ」、アクティヴ・インタビュー、対話的構築主義という観点から、本特集に収録している司法面接、医療、精神分析の実践場面における語りについて検討する。
著者
平井 覚
出版者
医学書院
雑誌
理学療法ジャーナル (ISSN:09150552)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.45-55, 2019-01-15

はじめに 医療機関における転倒・転落はインシデント報告のなかでも頻度が高く,日本医療機能評価機構医療事故防止事業部1)の報告では2015年に発生した医療事故3,654件中,転倒・転落事故は793件(21.7%)である.そのうち影響度分類レベル3b以上となる例は10%(2.1%が死亡,7.9%が障害残存の可能性が高い)を占め,入院期間の延長に加え,入院に至った原因疾患よりもさらに深刻な状況に陥る可能性もある. 松山市民病院(以下,当院)での転倒予防対策は2004年から「職種横断・多職種で取り組む」ということをテーマに活動を展開してきた.入院から退院まで患者・家族そして病院にも不利益が生じないよう病院全体で取り組むという姿勢が対策の基本理念である.ただし,対策を展開していくのに最も問題になるのが転倒・転落事故に対する職種間の意識の温度差である. 病院内で起こる転倒・転落事故の約80%は病棟(病室,廊下,トイレ)で発生する.したがって初動対応を行うのはほとんどが看護師であり,それに対する危機意識が高いのも事実である.理学療法士は院内で直接患者の転倒・転落事故に遭遇する機会が少ない.日々の業務で,患者の療養生活における転倒へのリスク回避へ強い危機意識をもって業務にあたる理学療法士がどれほどいるであろうか.理学療法士は,病院組織のなかで動く医療技術スタッフとして,患者の低下した身体運動機能を可能な限り改善することを業としている.患者の入院生活上の移動能力にも視点を置き活動度の判断を病棟スタッフと協議・判断していくこと,またチームとして転倒予防対策に寄与できることが特に望まれていることではないだろうか. 本稿では患者の安全を各職種の専門性を超えて包括的に考慮し,チームとしての行動に反映できる理学療法士像について筆者自身の経験を通しての知見を述べたい.
著者
天野,淨行
出版者
地盤工学会
雑誌
地盤工学会誌
巻号頁・発行日
vol.63, no.6, 2015-06-01
著者
高木 光太郎
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野
雑誌
コンタクト・ゾーン = Contact zone (ISSN:21885974)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2019, pp.304-311, 2019-08-31

映画「ブレードランナー」の"tears in rain monologue"として知られる回想シーンでは、逃亡した人造人間が死の間際、自身の個的な経験を想起して、追っ手である人間に語り聴かせることで、人間との間に絶対的な「距離」を生み出し、追う者と追われる者という暴力的な関係から束の間であるが自由になる様子が印象的に描かれていた。想起がこのように聴き手との間に絶対的な「距離」を生み出すのは、他者が共有困難な時空間的持続として現在の環境を探索する行為であることによる。本特集に掲載された3論文(立木論文、仲ら論文、西論文)は共に、こうした絶対的な「距離」に隔てられた時空間的持続から発せられる声に対して、その外部にいる他者がどのような姿勢を取り得るのかという問題に重要な洞察を与えてくれるものであった。精神分析のセッションを扱った立木論文と、司法面接を扱った仲ら論文では、個的な体験の想起をいかに「聴く」のかが問題になっていた。いずれの場合も、聴き手は体験者の自由な語りに干渉しないことによって、体験者の個的な水準に由来する不自由さ(亀裂)を浮かび上がらせ、評価的、解釈的な介入は想起が終結するまで意図的に遅延させるという姿勢がみられた。一方、痛みの経験を扱った西論文では、個的な身体的経験として痛みを表現する患者と、医療者としてそれに対処する在宅看護師や医師が、それぞれの姿勢を「ある程度」維持したまま相互に接続することを可能にする媒介物を通して接続されていた。想起や痛みを語る声に対するこのような聴き手の姿勢は、コミュニケーションを社会的な水準ではなく、個的な水準での人々の出会いとして捉える可能性を示唆するものであり興味深い。
著者
田野中 恭子
出版者
一般社団法人 日本公衆衛生看護学会
雑誌
日本公衆衛生看護学会誌 (ISSN:21877122)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.23-32, 2019

<p>目的:精神疾患の親をもつ子どもの困難を示し年代別の特徴を明らかにする.</p><p>方法:子どもの頃に精神疾患を患う親がいた10名の成人に対し半構造化面接を実施し,質的記述的研究によりカテゴリーを抽出した.</p><p>結果:子どもの困難は全年代を通して【わけのわからぬまま親の症状をみるしかない生活】や【親の言動に振り回される精神的不安定さ】,【心許せる友達や安心できる場所のない苦しさ】,【我慢だけ強いられ周囲からも支援を受けられない苦しさ】があり,特に学童期から思春期にかけては【世話をされない苦しい生活】があり,青年期以降は【青年期以降に発達への支障を自覚する生きづらさ】が明らかになった.</p><p>考察:子どもは精神面だけでなく生活面を含む困難を家庭内外にもっていた.支援として子どもの疾患理解を支援,生活支援,子どもとの関係づくりと気持ちの支え,青年期以降も支援,精神疾患に関する啓発活動が必要である.</p>
著者
湊 正雄
出版者
北海道大学
雑誌
北大百年史
巻号頁・発行日
vol.通説, pp.893-907, 1982-07-25

1 0 0 0 OA 大礼眼目

著者
三浦周行 著
出版者
東京開成館
巻号頁・発行日
1928
著者
朴 永泰 伊藤 淳 岡野 昇三
出版者
動物臨床医学会
雑誌
動物臨床医学 (ISSN:13446991)
巻号頁・発行日
vol.23, no.3, pp.115-118, 2014-10-20 (Released:2016-02-06)
参考文献数
11

8才の雑種のウサギが全身の鱗屑,脱毛,両側眼球突出,呼吸困難を主訴に来院した。各種検査により,縦隔領域には胸腺腫の発症が疑われ,全身の皮膚は腫瘍随伴症による脂腺炎の発症と診断された。飼い主は皮膚症状に対する治療のみを希望されたため,犬の脂腺炎治療を参考にシクロスポリンを中心とした対症療法を行ったところ,2カ月後,胸腺腫のサイズ縮小が認められ,眼球突出,呼吸困難は改善された。ウサギの胸腺腫に対しては,外科療法,放射線療法,化学療法が選択されるが,本症例はシクロスポリンを中心とした投薬によって胸腺腫を縮小させる可能性を示した。
著者
福山 正隆 武田 友四郎 谷山 鉄郎
出版者
日本作物學會
巻号頁・発行日
vol.43, no.2, pp.267-277, 1974 (Released:2011-03-04)
著者
山本 まゆみ 倉沢 愛子 Horton William.B 高地 薫 山崎 功 後藤 乾一 スリョメンゴロ ジャファール
出版者
宮城大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2019-04-01

歴史研究では、政治体制の変化で時間軸を「分断」する傾向があり、インドネシア近現代史では、第2次世界大戦で歴史の流れを「分断」する研究が通例となっている。だが、人脈や教育、社会活動という点から通観すると、スカルノと日本軍政監部の関係、インドネシア国軍やPETAの軍事教練、そして現在も存続する「隣組」のように、「分断」ではなく「連続性」や「継続性」を見出せる。本研究は、日本占領期を、独立後のインドネシアの播種期と捉え、占領期の軍の人脈、教育、文化・社会活動が、戦後社会に与えた影響を検証することを目的とする。本研究は、研究の国際貢献を念頭に、占領期研究の多言語史料や研究成果を英語で発表する。