著者
中国地名委员会编
出版者
商务印书馆
巻号頁・発行日
1983
著者
河村 顕治 加納 良男
出版者
吉備国際大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2014-04-01

PC12細胞から変異源処理によって細胞内シグナル伝達系に突然変異をもった特殊な神経細胞であるPC12m3細胞を開発した。PC12m3細胞は薬剤や様々な物理刺激に鋭敏に反応するので、抵抗性を示す細胞を見つけPC12m321細胞と命名した。PC12m321細胞はPI3Kに突然変異をもっていた。PI3Kは主としてインスリンによって活性化し、Aktを介してサバイバルの上昇や長寿遺伝子の活性化に働いている。PC12m3細胞に100 mAの電気刺激を30分与えたところ、増殖因子によるAkt活性を大きく抑制した。これは、電気刺激がAkt活性の抑制を介して長寿遺伝子FOXOの活性化に働くことを示している。
著者
藤井 明
出版者
埼玉短期大学
雑誌
学校法人佐藤栄学園埼玉短期大学研究紀要 (ISSN:13416006)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.150-142, 2004-03-31

宇都宮線白岡駅西口の県道を越えたところに「新設白岡車站之碑」なる石碑が建っている。中島撫山(文政十二年一八二九〜明治四十四年一九一一) の最晩年の撰文になるものである。東北線白岡駅新設の経緯が具体的に記されているが、新駅開設に向けての地域住民の熱望が看取されるとともに、駅開業後の風紀の紊乱を予想しての撫山の言辞には、終生警世の木鐸を鳴らしつづけた儒者としての責任感と気概とがうかがわれて面目躍如たるものがある。以来九十余年、東京のベッドタウンと化した現在の白岡町の玄関口としての駅の盛況を見るとき、まことに今昔の感に堪えない。
出版者
日経BP社
雑誌
日経情報ストラテジ- (ISSN:09175342)
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.66-69, 2007-03

「東大を目指すならZ会」。40年以上にわたって、受験生の間でこうささやかれている通信教育会社がある。 静岡・三島駅のほど近くに本社を構えるZ会(旧社名・増進会出版社)は、質の高い問題ときめ細やかな添削指導で学力上位層の生徒の支持を集める。2006年春の大学合格者に占める同社会員(注)のシェアは、東京大学で53.3%、京都大学では46.7%を占める。
著者
宮下 敬志
出版者
立命館大学
雑誌
若手研究(スタートアップ)
巻号頁・発行日
2008

本研究は、アメリカにおける人種マイノリティ教育実践が、19世紀末以降に内外の植民地に転用していったことを明らかにすることを目的とした。研究の結果、19世紀半ばのハワイ先住民教育を参考に作られたアメリカ本土のアフリカ人・先住民(インディアン)学校における手作業教育偏重の教育実践が、官僚や教育者の移動や交流を通じて、フィリピンや日本の先住民教育などに地域を越えて転用していったことについて、歴史学的な実証分析の手法を用いることで明らかにすることができた。
著者
寺田 治史
出版者
学校法人 天満学園 太成学院大学
雑誌
太成学院大学紀要 (ISSN:13490966)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.183-194, 2014

前著論文(1)では,グルントヴィと牧口における人間教育の目的を「子どもの幸せ」にあることに言及した。その上で牧口,戸田を師と仰ぐ池田と,グルントヴィ,コルを師と慕うヘニングセンとの対談の内容を「対話」,「師弟論」,「生涯学習」の三つの視点から考察することを提案した。1)本稿では,対談集全体を上の三つの視点から考察するとともに,池田・ヘニングセン両者が持つ教育論および構想が深い理念部分で共鳴しており,且つ実践的に遂行されつつある様を紹介する。なお,筆者は2013年8月20日から10日間に渡って,14名の希望者を引率して6度目のデンマ-ク研修を行い,その途中,本論文を書くに当たって,ヘニングセン氏との語らいの場を持った。また,11月にはデンマ-クからの旅行者23歳の青年, E君のショ-トステイを我が家で受け入れ,デンマ-クに於ける若者文化について語り合った。さらに12月にはデンマ-クの女性シンガ-ソングライタ-,アンナケイを案内して広島市を訪れ,原爆慰霊碑に献花すると共に,市長をはじめ平和センタ-理事長らとの会談の場に同席した。筆者のこれら一連の行動も,池田・ヘニングセン対談に触発されたものである。両者における人間教育の思想理念が心ある人々の間で共有され始め,両国民の人間交流という形で友情,平和,連帯という方向に進み始めていることを実感している。本論文(2)では,両者の人間教育を志向する教育論が,子どもの幸せという教育のミクロから世界の平和,人類の幸福という教育のマクロまでを鳥瞰している様を読み解き,世界における「教育のための社会」実現の必要性についての考察を試みる。
著者
砂原 茂一
出版者
医学書院
雑誌
理学療法と作業療法 (ISSN:03869849)
巻号頁・発行日
vol.22, no.3, pp.186, 1988-03-15

これは著者がリハビリテーション(リハと略す)の理念を扱った二番目の著書である.前著『リハを考える』ではいささか肩肘を張っていたし,理論が理論として扱われていた趣があったが,本書では理論がいちいち具体的な事実,事例によって豊富かつ適切に裏打ちされているから,たいへん理解しやすいだけでなく,直ちに日常診療の指針として役だつと思われる.理論を扱いながら同時に実用書としても有効に機能するというのは著者の腕前であろう.油の乗り切った,臨床の修羅(しゅら)場で縦横に活躍を続けている実践家の著書には理論を説いてもそれだけの臨場感があふれるものである.
著者
布留川 正博
出版者
同志社大学
雑誌
經濟學論叢 (ISSN:03873021)
巻号頁・発行日
vol.64, no.3, pp.593-621, 2013-03

論説(Article)1834年8月1日に発布されたイギリスの奴隷制廃止法では、黒人たちは奴隷身分からは解放されたものの年季奉公人として元の奴隷主の下で週45時間働くことを強いられた。野外奉公人は6年、非野外奉公人は4年の年季であった。奉公人は、この制度は奴隷制と変わらないばかりか部分的にはそれよりも悪くなったと感じていた。この制度を監視する役割を担った有給判事は、プランターと奉公人とのあいだの紛争処理に際して概してプランター側についた。反奴隷制協会および新たに組織された黒人解放中央委員会は、奉公人に対する鞭打ちや虐待などの事実を暴露し、年季奉公人制反対のキャンペーンを繰り広げた。その結果、各植民地議会は野外奉公人も含めて1838年8月1日に年季奉公人制を廃止することを決議した。The Act for the Abolition of Slavery, which was promulgated on August 1, 1834, in all British dominions, compelled blacks to work for 45 hours per week, under their former owners. This system was called "apprenticeship"; the apprenticeship term for praedial laborers was six years, while that of non-praedial laborers was four. The stipendiary magistrates—who had been appointed by the imperial government—tried to oversee the system, but they were inclined to side with the planters. Several cases of flogging and other abuses against apprentice laborers were reported by the Anti-Slavery Society. The Society undertook many campaigns supporting the abolition of apprenticeship, and ultimately, all colonial assemblies resolved on August 1, 1838 to completely abolish the system.
著者
布留川 正博
出版者
同志社大学
雑誌
經濟學論叢 (ISSN:03873021)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.1-33, 2010-09

論説(Article)1807年にイギリスで奴隷貿易が禁止されて以降、奴隷貿易廃止運動家たちはアフリカからもはや新たな奴隷が入ってこない以上、プランターは現有の奴隷の状態を改善していくだろうと期待していた。しかし、1820年代初めになっても奴隷の状態は一向に改善していなかった。そこで1823年に奴隷制廃止を目的とする反奴隷制協会がロンドンで結成された。多くのイギリス人がこの目的達成のための議会請願運動に参加した。その結果、1833年に奴隷制廃止法が制定された。本稿は、奴隷制廃止に至る過程を関連する報告、小冊子などを使って分析したものである。After the abolition of slave trade throughout the British dominions in 1807, most of the abolitionists expected the planters to willingly end the practice of slavery because they could no longer import fresh slaves from Africa. However, even in the early 1820s, this inhuman practice continued in the British West Indies. In light of this, the Anti-Slavery Society was established in London in 1823. Many British people petitioned for immediate emancipation, and as a result, the Emancipation Act was passed in 1833. This paper analyzes the process of the emancipation of British slaves by using various reports, tracts, and other data sources.
著者
鄭 英實
出版者
関西大学
雑誌
東アジア文化交渉研究 (ISSN:18827748)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.79-95, 2011-03-31

Arai Hakuseki (1657-1725) was an Edo-period Confucian scholar. He was involved with politics as a Confucian scholar during the time of Tokugawa Ienobu, and known for having effected various political reformations. In particular, he sought to establish equal diplomatic relations with Korea and revised the reception of the Korean emissaries. It is necessary to realize that this decision was not made with sufficient negotiation between the two countries, but rather something Hakuseki forcibly established on his own. Naturally, the records of the Korean emissaries contain entries in which Hakuseki is harshly criticized, which in turn reflect the historical background of the Korean intelligentsia's attitude towards Japan at this time. This research explores the Korean awareness of Hakuseki, its formation, and if it changed over time primarily through Korean documents.
著者
森 伸一
出版者
地学団体研究会
雑誌
地学教育と科学運動 (ISSN:03893766)
巻号頁・発行日
no.5, pp.65-68, 1976-10-08

今年の3月まで6年間,伊豆半島南西部,東海道線三島駅からバスで3時間かかる静岡県立松崎高校に勤務し地学を教えた.松崎高校は1学年6クラス270名(女子の方が少し多い男女共学の普通校)で1年生全員が地学を2単位で履修した.