出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム (ISSN:13423622)
巻号頁・発行日
vol.14, 2004-03-05

<巻頭言>五〇年ぶりの修学旅行 / 佐野哲郎<対談>生と死のあいだ / 島薗進, カール・ベッカー, 司会 高橋義人<特集 : 京のまつり>葵祭 / 薗田稔<特集 : 京のまつり>「祇園祭」とわたし / 米山俊直<特集 : 京のまつり>時代祭と京都の近代化 / 上田正昭<フィールド便り>パラオの海洋生物 / 宮下英明<フィールド便り>低酸素環境と運動トレーニング / 橋本健志<フィールド便り>近代日本の「少女」のイメージ / 今田絵里香<リレー連載 : 環境を考える>良き場所からガイアへ ― カルロス・カスタネダとスターホーク / 田中雅一<フロンティア>菌類子実体の光と重力に対する反応 / 金子愛<フロンティア>四価の鉄イオンを含む酸化物 / 林直顕<サイエンティストの眼>部品学からシステム学へ 生物のエネルギー代謝系の進化を例に / 三室守<サイエンティストの眼>スイス連邦工科大学に見る研究環境 / 津江広人<社会を斬る>地域でオーラルヒストリーを聴くこと / 蘭信三<京博便り>柄鏡の製作地を求めて / 久保智康<世界の街角>ベルリンの花 / 宮崎興二<文学の周辺>鰻鱺綺譚 / 内田賢徳<書評>小岸昭著『隠れユダヤ教徒と隠れキリシタン』 / 上山安敏<書評>佐藤義之著『レヴィナスの倫理 ― 「顔」と形而上学のはざまで』 / 森秀樹<書評>山本茂樹著『近衛篤麿』 / 岡本幸治<書評>岡田敬司著『教育愛について』 / 土戸敏彦<書評>李愛俐娥著『中央アジア少数民族社会の変貌 カザフスタンの朝鮮人を中心に』 / 田中哲二<書評>西脇常記著『ドイツ将来のトルファン漢語文書』 / 木島史雄<書評>佐伯啓思著『貨幣・欲望・資本主義』 / 大黒弘慈<書評>有福孝岳著『哲学の立場』 / 池田善昭<書評>片田珠美著『オレステス・コンプレックス ― 青年の心の闇へ』 / 鈴木國文<人環図書><瓦版><コラム>right and wrong / 廣野由美子<コラム>素数ひとこと / 山内正敏
著者
藤井 千春
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.2001, no.84, pp.131-136, 2001

この著は、著者・田端健人氏が、一九九八年九月に、東京大学大学院教育学研究科に提出した学位請求論文「ハイデッガーの詩作的思索による詩の授業の解明」を補筆・修正したものである、本著では、田端氏の研究テーマ、すなわち、詩や文学作品を教材とした国語の授業において、子どもは語句の意味調べや要約や印象的な鑑賞の次元を超えて、どのようにして作品と出会うのか、作品の世界を「共感的」に生きるとはどのようなことかという問題について、教育実践に基づき、個々の授業での子どもや教師の言葉や活動に即して具体的に究明することがめざされている。
著者
鈴木 真
出版者
関西福祉科学大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2013-04-01

本研究では、幸福とその測定に関する哲学研究を、経験科学における研究と接続することを試みた。とりわけ、哲学、特に倫理学において重要な、誰かにとっての善としての幸福(福利)とは何かという問を再考し、その意味の幸福が自然界ではどのような物事に存しているかを、心理学や脳神経科学などの経験科学の知見にもよりながら検討し、福利に関する一種の反応依存説(好み依存説)を擁護した。また、心的状態が経験に適応するという事態が反応依存説に問題を引き起こすという批判を論駁した。そして、各人の幸福が測定や比較が可能なものとして存在すると主張するには、誰かにとっての善に関する想定を現実を踏まえて弱める必要があると論じた。
著者
黒岡 佳柾
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.2016, no.67, pp.216-230, 2016-04-01 (Released:2017-06-13)
参考文献数
2

This essay aims to clarify Heidegger’s perspectives in criticizing the certainty of Descartes’ cogito ergo sum, and, from these perspectives, to explain Heidegger’s idea of the certainty of Being based on death in Sein und Zeit (1927).Heidegger interpreted the certainty of Descartes’ ‘I am’ as a mere semblance in his lecture course published as Prolegomena zur Geschichte des Zeitbegriffs (1925), because the most certain eventuality for Dasein is its own death. Only by understanding its death can Dasein find the proper certainty of its own Being, not by thinking. In this way, Heidegger destroyed and reconstructed the certainty of ‘I am’.However, Heidegger had already critically interpreted the certainty of ‘I am’ in his lecture course published as Einführung in die phänomenologische Forschung (1923–1924), without any discussion of death. In this course, Heidegger remarked that a mathematical standard governs thinking or doubt in Descartes’ philosophy, and this standard became canonical for the distinction between certainty and uncertainty. In Heidegger's view, Descartes arrived at the certainty of ‘I am’ on the basis of that standard, without thinking deeply about this self-assertion's meaning. Thus, Heidegger judged that Descartes’ certainty is insufficient for establishing the certainty of Dasein who can say ‘I am’. Moreover, Heidegger indicated that the proposition cogito ergo sum conceals the Being of Dasein. In short, Heidegger criticized certainty in Descartes from two perspectives: 1) objecting to a mathematicallybased certainty and 2) concealing the Being of Dasein who says ‘I am’.Heidegger therefore returned to the Being of Dasein who says ‘I am’ , and disclosed its certainty from Dasein’s Being as such. He arrived at the idea of death, which is appropriate and certain for Dasein’s Being. The critical reading of Descartes in Heidegger’s early thought is necessary to establish the true argument for the certainty of Dasein in Sein und Zeit.
著者
國分 功一郎
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2002

とかく神話的なものとの親近性が強い「発生」という観念を、スピノザがどのようにして合理的に認識しようとしていたのか。それを次の二つの観点から明らかにすることが本研究の目的であった。1.旧約聖書における世界および人類の発生の神話に対するスピノザの批判。これを、マイモニデス(1135-1204)およびラ・ペイレール(1596-1676)の思想との比較において考察すること。2.事物がその原因からいかに発生するのかを描写することに重きを置いたスピノザの認識論。その内実と可能性を検討すること。15年度の研究は、特に2の点について行われた。その成果は、公表された二本の論文に現れている。「総合的方法の諸問題-ドゥルーズとスピノザ」では、20世紀のスピノザ研究をリードしたフランスの哲学者、ジル・ドゥルーズの『エチカ』読解を参考にしながら、『エチカ』の体系が発生するその源であるところの神の観念がいかなる手続きを以て析出されているのかを詳細に検討し、その手続きを「総合的方法」と命名した。では、この方法は、どのような経緯で、どのような理由から開発されたのか。上の論文が提起したこの新たな問題を、スピノザの著書『デカルトの哲学原理』から検討したのが、「スピノザのデカルト読解をどう読解すべきか?-『デカルトの哲学原理』におけるコギト」である。同論文は、スピノザの総合的方法がデカルトに対する批判から生み出されたものであるという仮説の下、スピノザによるデカルトの解説書である『デカルトの哲学原理』という書物を、特にコギトの問題に絞って論じたものである。本研究により、スピノザは、神話的思考に対する批判とデカルト哲学に対する批判から、発生の合理的認識を可能にする哲学体系を練り上げ、それを『エチカ』という書物に結実させたのだという事実が明らかになった。
著者
柴田 正良 月本 洋
出版者
中部哲学会
雑誌
中部哲学会年報 (ISSN:13439138)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.1-18, 2006-01-01

金沢大学人間社会研究域人間科学系
著者
幸野 晶
出版者
情報知識学会
雑誌
情報知識学会誌 (ISSN:09171436)
巻号頁・発行日
vol.28, no.2, pp.167-173, 2018-05-26 (Released:2018-06-08)
参考文献数
11

本調査は哲学研究の引用行動の把握を試みるために,引用の理由や機能等を分析する引用文脈分析を行なった.引用の理由や機能等を意味するカテゴリを作成し,哲学論文の引用箇所を対象にして他の学問領域との違いを分析した.分析の結果,哲学分野では他分野と比較して他の研究者への批判や否定を行なう目的での引用が行われること,また自身の論旨の展開に関わる研究を説明する目的のために行われる引用行動が多いこと,儀礼的な引用が比較的少ないことなどが明らかとなった.人文科学の下位領域とされる哲学に否定的な引用が多いという点は,先行研究を裏付ける結果となった.
著者
手戸 聖伸
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.1, pp.45-69, 2004-06-30 (Released:2017-07-14)

本稿は、フランス第三共和政初期にジュール・フェリーの右腕として、ライックな道徳の規定と流通に大きな役割を果たしたフェルディナン・ビュイッソンの道徳概念と宗教概念を探ろうとするものである。彼はライックな道徳と宗教は理念的形態においては一致するとして、宗教的なライックな道徳という概念を打ち出している。このような規定の仕方に当時のライックな道徳の総体が還元されるわけではないだろうが、少なくともその一部を形作っている。彼の「ライックな道徳=宗教」は自由主義的なプロテスタンティズム、フランス革命の理念、カント哲学にそのルーツを持っていると言えるが、それじしんはキリスト教、ひいては宗教の臨界に位置しつつ、人類(ユマニテ)の観念と溶け合っている。ビュイッソンはその普遍性を確信しているが、こんにちの視点からその普遍主義の意味を問い返してみると、むしろその西欧性が浮き彫りになってくるように思われる。
著者
大谷 いづみ 川端 美季
出版者
立命館大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

本課題の第3年度に当たる2017年度は、研究代表者である大谷が体調不良で3ヶ月病気欠勤することとなった。とはいえ、2016年7月におきた相模原障害者殺傷事件の1周年にあたる7月から9月にかけて、諸方面から、相模原障害者殺傷事件と優生思想、安楽死思想についての招待講演の依頼を受け、「安楽死・尊厳死論の系譜と相模原障害者殺傷事件」をテーマに、一般市民を対象とした学習会、自立生活を営む重度障害者とその支援者を対象とした学習会、福祉行政や実務家を対象とした研修講座等において研究成果を還元するとともに、その成果を一般市民の目から検証することができた。また、日本医学哲学・倫理学会第36回研究大会(於・帝京科学大学)のワークショップ「正常さと異常さの境界」において、「「生きるに値しない生命」殺害の医療化と規範化」と題する研究発表を行った。フロアには50名ほどの参加者があり、活発な討議が行われた。同年度後半には、ナチスドイツ政権下で実行されたT4「安楽死」政策の事実がアメリカや日本に知られるようになった経緯について資料収集の緒に就いた。これは、本研究の主題の中核をなす、J・フレッチャーの安楽死思想の淵源をさぐると同時に、本研究を日本を含む東アジアと欧米キリスト教圏の歴史的経緯において検討するという、さらなる研究への発展を企図している。また、研究分担者の川端は、安楽死・尊厳死論につながる日本の文化的土壌の成立および変容過程について検討し、「近代日本の国民道徳論における「潔白性」の位置づけ」として『人間科学研究』37号において成果を発表した。加えてキリスト教・西欧の医学の日本への影響を視野に入れ、ドイツ・イタリア・イギリスを中心に医学史・身体史に関する調査、日本で医学史と教育史における言説の資料調査を行った。