著者
安平 弦司
出版者
京都大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2014-04-25

昨年度後半に引き続き、本年度はその全期間を通じて、ユトレヒト大学のJ・スパーンス博士の指導下で在外研究に従事した。本年度前半は、昨年度から行ってきた、都市ユトレヒトの財政問題解決に向けた交渉におけるカトリックの主体性に関する研究を綜合した。分析を通じ、都市のカトリック名士が当該の交渉の中で、《公》なるものを独自に定義づけ、カトリック共同体、特にその貧民の生存の余地を積極的に創り出していたことが明らかになった。この研究成果に関して、2016年4月に古カトリック学国際研究会で口頭報告(ボン大学)を行い、同年9月にはオランダ史専門の学術雑誌BMGN - Low Countries Historical Reviewに英語論文を投稿した(2017年4月現在においてまだ査読結果は得られていない)。本年度後半は、ユトレヒト市裁判所に残された史料を用いて、カトリックに関する言説や彼らが用いた言説を分析した。分析の結果、自らの生存可能性や権利を護持するため、カトリックが多様な種類の戦略を駆使していたこと、そして彼らは時に良心の自由という観念の言及して自己弁護を図っていたが、その観念に関して異なる複数の理解があったことが明らかになった。注目すべきは、良心の自由を拡大的に解釈することで、自らのあるいはカトリック共同体全体の公的領域での権利を積極的に擁護し、時に拡大しようとするカトリック名士たちがいたことである。彼らは時に、都市共同体における合法的かつ傑出した自らの公的地位を掲げ、独自の《公》認識に基づいた主張を展開することで、都市共同体において共有された《公》なるものの境界線を揺るがし、カトリックが宗派的アイデンティティを捨てずに生き残るための余地を創り出していた。この研究成果に関しては、2016年10月にオランダ宗教学会で口頭報告(アムステルダム大学)を行い、英語論文の執筆も進めている。

3 0 0 0 OA 死因統計

著者
内閣統計局 編
出版者
内閣統計局
巻号頁・発行日
vol.昭和7年, 1935
著者
河本 大地
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100268, 2016 (Released:2016-04-08)

Ⅰ 背景と目的 「持続可能な開発」は、「将来の世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、現在の世代のニーズを満たす開発」とされる。そのための教育が「持続可能な開発のための教育」で、持続発展教育などとも呼ばれる。以降、本研究ではESDと呼ぶ。日本が大きく関わる形で、ユネスコが世界的に主導してきた。 ジオパークは、日本ジオパーク委員会(2014)によると「地球活動の遺産を主な見所とする自然の中の公園」で、「ユネスコの支援により2004年に設立された世界ジオパークネットワークにより、世界各国で推進されて」きた。 ESDとジオパークは、持続可能な開発を志向する点、ユネスコと密接な関係を持つ点が共通する。そこで本研究では、日本におけるESDとジオパークの関係のこれまでをふりかえり、今後の可能性を検討する。 なお、日本地理学会2015年春季学術大会のシンポジウムにおいて、発表者は「ESDとジオパーク」と題する発表の機会を得た。本研究は、その際にいただいたコメントや、その後の調査や経験等をふまえ、内容を整理しなおしたものである。 Ⅱ 方法 まず、ESDの考え方とこれまでの経緯をみる。次に、ESDとジオパークの関係のこれまでを振り返る。ここでは第一に、両者を掛け合わせた研究や実践事例のレビューをおこなう。第二に、ESDを実践展開する拠点として文部科学省が位置づけるユネスコスクールと、ジオパーク活動との関係を確認する。 続いて、ESDとジオパークの掛け合わせで社会にどんな可能性が開かれうるのか、そのためには何が必要かを議論する。ここではまず、2015年以降のESDのベースとされる「持続可能な開発のための教育(ESD)に関するグローバル・アクション・プログラム(GAP)」の「優先行動分野」が、ジオパークに関してどう実践可能かを検討する。そのうえで、ジオパークは地球科学と地域づくりの掛け合わせという視点から、ESDでジオパークに開かれる新たな可能性を考察する。 Ⅲ 結果と考察 ジオパークでは教育や持続可能な開発が重視されており、理念的にはESDとの親和性が高い。また、ESDとジオパークの双方にユネスコが深く関係している。しかし両者の関係や、ジオパークにおけるESDの実践について、明示的に書かれたものは少ない。また、日本のジオパークでは、文部科学省によってESDの実践拠点とされているユネスコスクールに関して、ほとんど意識されてこなかったことが判明した。ESDとジオパークは基本的にそれぞれ別の道を歩んできたと言える。 では、ESDとジオパークの掛け合わせで社会にどんな可能性が開かれうるのだろうか。そのためには何が必要だろうか。「ESDの可能性を最大限に引き出し、万人に対する持続可能な開発の学習の機会を増やす」ことを目的とするGAPの「優先行動分野」についてジオパークの場合を検討すると、学習環境を整え学習機会を充実させるための組織運営に関して、多くの改善すべき点が見出された。それはたとえば、ジオパーク学習をおこなう学校をユネスコスクールにするとともにESDの実践拠点としての機能を発揮させること、ジオパークに関わるすべての組織において組織全体としてESDに取り組む態勢を整えること、教員養成やスタッフ研修、ガイド養成等にESDを導入すること、ユースの主体的な動きを大事にすること、運営組織を多様な主体が参加できるようにすること、すべての人々がジオパークから学べるよう意識して様々な学習機会をつくることなどである。 一方、学習内容については、GAPからは、学習指導要領に盛り込まれている「持続可能な社会の構築」の観点でジオパークを扱うこと、地形・地質等と気候変動や生物多様性との関係を扱うこと、国際開発協力の視点を持つこと、資源の効率化や社会的責任等の観点を導入すること、ユースが変革の担い手となるよう参加型技能を習得できるようにすることなどが見出された。 続いて、地球科学および地域づくりの観点から、ESDとしてのジオパーク学習の内容を検討した。その結果、地球科学の観点からは第一段階として身近な地域の自然が、第二段階として地球活動のメカニズム理解が見出された。地域づくりの観点からは、第一段階として暮らしと自然の関わりが、第二段階として社会的「折り合い力」の育成が見出された。また、それらの第三段階として、ジオパーク活動を通じた国際理解・国際協力も重要なテーマとなることが示唆された。 以上から、ジオパークを活用して「持続可能な社会づくりの担い手を育む教育」であるESDを進めるには、組織運営と学習内容の変革が必要と言える。ESDの態勢を整え、地球科学と地域づくりから得られる学びを最大化することで、ジオパークを持続可能な社会づくりの担い手を育む場にすることができる。
著者
田代 昌孝
出版者
桃山学院大学
雑誌
桃山学院大学経済経営論集 = St. Andrew's University economic and business review (ISSN:02869721)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.109-128, 2016-10-03

The consumption tax rate was raised from 5% to 8% from April, 2014. In addition, consumption tax rate was to be raised from 8% to 10% in October, 2015. But the increase to 10% of planned consumption tax rate was postponed by consideration to economic stagnation. Therefore, the consumption tax increase will not be avoided by the securing of stable social security resources and deficit financing. If we can use all lifetime income to spend all lifetime consumption, Consumption tax is proportional. To my regret, There are no a longitudinal survey containing income and consumption on Japanese households. But Estimating a Theil index with age-income cross-section data to proxy for estimating lifetime incidence of consumption tax makes constructing an influence index of intra-generational income equality in consumption tax. In this analysis, the influence of intra-generational income equality considers not only the deduction effect and the tax rate effect of the income tax but also the effect of the consumption taxation and analyzes the factor of intragenerational income equality based on a Theil index approach.

3 0 0 0 OA 史料大成

著者
笹川種郎 編
出版者
内外書籍
巻号頁・発行日
vol.第16, 1936
著者
白峰 旬
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学紀要 (ISSN:02864983)
巻号頁・発行日
no.56, pp.53-63, 2015-02

慶長3年8月の豊臣秀吉の死去以降、五大老(徳川家康・前田利家〔利家死去後は前田利長〕・毛利輝元・宇喜多秀家・上杉景勝)・五奉行(石田三成・前田玄以・増田長盛・長束正家・浅野長政)の集団指導体制によって政権運営がおこなわれたことは周知である。これまでの研究史では、五大老・五奉行について日本側史料をもとに考察されてきたが、本稿では『十六・七世紀イエズス会日本報告集』における五大老・五奉行に関する記載を検討することにより、新しい視点を提示しようと試みるものである。
著者
園田 耕平 森山 徹 郡司 幸夫
出版者
人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集 (ISSN:13479881)
巻号頁・発行日
vol.27, 2013

知能情報学において、「車両感覚」は問題とされてきたが依然として漠としている。それは操作身体に関する感覚であるが、無脊椎動物のヤドカリが同様のメカニズムによって貝殻の大きさを知覚していることを著者らは実験的に示した(Sonoda et.al., 2012)。さらにその操作身体が車両に類するものでも可能ではないかと構想する。予備的な実験とともに「車両感覚」に関する知覚基盤について議論する。
著者
未来工学研究所
出版者
国立国会図書館
雑誌
宇宙政策の動向
巻号頁・発行日
vol.科学技術に関する調査プロジェクト報告書, 2017-03
著者
三浦 和己
出版者
社団法人 日本写真学会
雑誌
日本写真学会誌 (ISSN:03695662)
巻号頁・発行日
vol.79, no.1, pp.23-28, 2016 (Released:2017-03-22)
参考文献数
15

近年,映画の製作・流通がアナログ(フィルム)からデジタルへと急速に移行している.この移行は映画の可能性を大きく広げる一方で,生成されたデジタルデータを長期間保存するという面においては,保存媒体やフォーマットがすぐに陳腐化するなど課題も多い.この課題についての調査を進めるため,東京国立近代美術館フィルムセンターでは,文化庁による 「美術館・歴史博物館重点分野推進支援事業」 の補助を受け,『映画におけるデジタル保存・活用に関する調査研究事業』 を実施している. 本稿ではこの調査事業の一環として実施した,4K 映像の長期保存に向けた取り組みについて紹介し,その中から顕在化 した課題について考察する.さらに今後の保存システム構築における重要な要素として,特定技術への依存を回避するための技術動向について触れる.
著者
田中 万也 高橋 嘉夫 福士 圭介 宇都宮 聡
出版者
日本地球化学会
雑誌
地球化学 (ISSN:03864073)
巻号頁・発行日
vol.49, no.4, pp.169-171, 2015-09-25 (Released:2015-12-25)

Many studies have been carried out since the Fukushima Dai-ichi Nuclear Power Plant (FDNPP) accident. Here, we would like to introduce the special issue on the FDNPP accident which includes contributions from various fields covering aerosols, soil, forest, river, ocean and application of new analytical technique to samples collected in Fukushima.
著者
外山 紀久子
出版者
美学会
雑誌
美學 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.51, no.2, pp.1-12, 2000-09-30

Disengagement with painting, recurrent throughout the avantgarde art history, find its various manifestations in the 1960s American art. They allegedly attempt to restore the corporeal dimensions of aesthetic experience, questioning the idea of modernist pure opticality. The body itself, however, goes through curious changes. In the practices of minimal art that expel illusionism and anthropomorphic naturalism, a physical experience of the viewer becomes essential to the theatrical presence of the art object, whereas the body to be represented or projected in the work must disappear. And it does so more thoroughly with raw, unformed, mutable materiality in post-minimal art. The performance art of the same period places emphasis on one's experience of one's own body, rather than the body as a visible form/spectacle. The role of the artist's body also changes, as the discourse of technology enters into art-making. The body trained and structured as an expert within a certain tradition is no longer valued ; instead, the artist's body internalizes more and more technological prostheses, thus approximating the status as the cyborg.