著者
多田 伊織
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.373-411, 2010-03-31

丹波康頼が永観二(九八四)年に撰進した『医心方』三十巻は、当時日本に伝わっていた中国・朝鮮やインド起源の医書や日本の処方を集大成した、現存する日本最古の医学全書である。最善本は院政期の写本が中心となっている国宝半井家本であるが、幕末に幕府の医学館が翻刻するまで、ほとんど世に出なかった。その後も文化庁が買い上げる昭和五七(一九八二)年まで秘蔵されていた。
著者
宮谷 尚実
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.85-96, 2021-03-31

ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーの著作、特に『言語起源論』で用いられた各種の補助符号を手がかりとして18世紀ドイツ語語圏における句読法の一断面を明らかにする。その際、同時代の言語学者であり近代ドイツ語正書法の整備に貢献したヨハン・クリストフ・アーデルングによる句読法手引に記された符号の種類や使用法を参照することで、当時の句読法をめぐる状況からヘルダーの句読法を読み解いていく。ヘルダーの『言語起源論』には自筆稿や清書稿、初版と第2版という諸段階があり、そのプロセスで変更された符号もある。その後の複数の校訂版において補助符号がどのように変更されたかを比較検討し、さらに日本語訳において句読法をいかに「翻訳」できるのかという問題についても考察する。
著者
宮谷 尚実
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.127-137, 2022-03-31

18世紀ドイツ語圏における句読法の一断面を、ゲーテ『若きヴェルターの悩み』におけるダッシュ(Gedankenstrich)を手がかりとして明らかにする。初版(1774年)と改訂版(1787年)を比較すると、改訂版においてダッシュの使用回数が顕著に増え、補助符号も多様化している。『ヴェルター』におけるダッシュのさまざまな機能を、アーデルング『ドイツ語正書法完全手引』も参照して分析することにより、イギリス多感主義文学からドイツ語圏にも取り入れられたこの補助符号の系譜が浮き彫りになる。読み手や聴き手の思考や共感を要求する「沈黙の記号」としてのダッシュを日本語の縦書き文で再現することは容易ではない。音楽と言語の狭間に位置する句読法を日本語への翻訳においていかに反映させるか、その取り組みを提示することで今後にむけた翻訳の課題や可能性を提示する。
著者
松田 知明 田中 ふみ子
出版者
羽陽学園短期大学
雑誌
羽陽学園短期大学紀要 = Bulletin of Uyo Gakuen College (ISSN:02873656)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.71-87, 2015-02-01

本研究では、青木マサが設立した「青木幼稚遊戯園」の設立沿革及び運営について検討した。その結果、青木マサが施設を運営する過程で、託児的機能とともに、教育の重要性を強く認識し、その後幼稚園と保育所を併設するという運営を行ったことを検証できた。この運営は、平成27年度から実施される「子ども・子育て支援新制度」における幼保連携型認定こども園と酷似していると考える。また、これは保育における養護の必要性と保育の教育的機能を充実させるための展開の一形態と考える。
著者
中島 信親
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.134, pp.275-298, 2007-03-30

本論は、光仁・桓武朝にあたる奈良時代後半から平安時代初期に都城や国家が造営した寺院で用いられた軒瓦を、文様および造瓦技術に着目しつつ概観し、その中で長岡宮式軒瓦がどの様に位置づけられるかを検討した。奈良時代後半に存在した文様および造瓦技術が異なる二系統の造営官司(宮造営官司と造東大寺司)が二度の遷都を通じて再編・融合される中で、その渦中で製作された長岡宮式軒瓦は、文様が稚拙なものも含めてほぼすべてが宮造営官司の造瓦技法が用いられていることを確認した。また、文様と分布から長岡宮式軒瓦を区分し、分布の集中域に存在する殿舎や施設とそれが文献に記載される年号から、区分した軒瓦に製作年代の一定点を与えた。
著者
毛利 良一 Ryoichi Mohri
雑誌
日本福祉大学経済論集
巻号頁・発行日
vol.32, pp.1-25, 2006-02-28

This article aims at examining the virtues and vices of water privatization in Manila, the Philippines after 1997.The first part covers the worldwide development of water privatization from the viewpoints of the model of Pubic-Private-Partnership, Private Sector Development Strategy of the World Bank and water multinationals. The second part analyzes the rule, promise of the privatization bid and performances of water services for the poor after the privatization. The third section focuses on the charge hike-up muddle of the two concessionaires and pull-out plan of French water giant Suez from Manila.The final part draws some assessments and lessons from both the promoting side and critical side of water privatization in Manila.
著者
出水 力 デミズ ツトム Tsutomu DEMIZU
雑誌
大阪産業大学経営論集
巻号頁・発行日
vol.11, no.3, pp.337-375, 2010-06

Japanese manufacturers started exporting the motorcycles to American market in the early 1960's and won the market from small motorcycles of Europe in the middle of 1960's. Then Japanese manufacturers developed the large-scale motorcycles and dominated the market in the beginning of the 1970's. Motorcycle production became the strongest industry of which Japan boasted. In this paper the processes of technological development of the large-scale motorcycles produced by Honda and Kawasaki are discussed. Technical domination of Japan at the motorcycle market had been steady for twenty years, but Harley, the USA manufacturer regained lost market in the after 1990's, and has been dominating the large-scale market motorcycle not only in the United States but also in Japan. The success of Harley depends on the lifestyle marketing. They sell motorcycles matched well with lifestyle and culture. However, Japanese manufacturers such as HONDA hold a dominant position in the world for their high-quality mass production system and high technology.
著者
長谷川 伸 久保 誠司
雑誌
九州共立大学研究紀要 = Study journal of Kyushu Kyoritsu University (ISSN:21860483)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.85-90, 2023-02-28

The purpose of this study was to clarify the relationship between sprinting ability and ball speed incollege baseball pitchers, and to examine the evaluation method of sprinting ability considering bodyweight and lean body mass. Thirty-one college baseball pitchers participated in this study. Height,weight, lean body mass, body fat mass, muscle mass, and skeletal muscle mass were measured, andbody fat percentage, body mass index (BMI), and skeletal muscle index (SMI) were calculated. Ball speedwas measured using Rapsodo pitching 2.0. The baseball pitcher was asked to throw 10 full pitches fromthe pitcher's mound toward the catcher. Maximum ball speed was used as an index of ball speed. Toevaluate sprint ability, sprint times of 10m, 30m, 50m, 100m, 200m, and 400m were measured, andrunning speed, momentum, and kinetic energy were calculated. Pearson's product-moment correlationcoefficient was calculated to investigate the relationship between the measured indices. Ball speed wassignificantly correlated with body weight, BMI, lean body mass, muscle mass, and SMI. In addition,ball speed showed a significant negative correlation with running speed in 200m and 400m sprints, and showed a significant positive correlation with momentum and kinetic energy in 10m, 30m, 50m,and 100m sprints. The results of this study suggest the importance of considering body weight whenevaluating the sprinting ability of baseball pitchers.
著者
野尻 裕子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 = The journal of Kawamura Gakuen Woman's University (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.169-178, 2004-03-15

わが国には明治期に多くの西洋文化が移入された。近代欧米公園もその一つで,明治36年に開園した日比谷公園は従来の日本型公園を欧米型公園へ転換した画期的な公園といわれている。またそこに設置された児童用遊び場は,東京における初めての近代的児童公園とされている。本稿では,昭和初期に記された日比谷公園児童公園指導員末田ますの資料(『児童公園』昭和17年)から,当時の児童公園の存在の意味と指導員の役割を,健康観という視点から検討した。その結果,戦局下において「国民の体力強化」というスローガンが国中に鳴り響いていた昭和初期には,子どもの遊び場である児童公園もその対象となっていたと考えられる。また母子厚生運動を経験する場としても児童公園は存在していた。単に「子どもが遊ぶ場所」にとどまらず,子どもの遊びに母親が参加する中で,厚生指導を行うことが有効な手段と考えられており,その際の指導員の役割は大きかったと思われる。
著者
古田 尚輝
出版者
成城大学文芸学部
雑誌
成城文藝 = The Seijo Bungei : the Seijo University arts and literature quarterly (ISSN:02865718)
巻号頁・発行日
no.196, pp.266-213, 2006-09

本稿は、日本のテレビ放送で1950年代から60年代前半にかけて「映画」という表記とその内容がどう変化したかを調べ、その要因を考察するものである。要因は、新興の放送産業と映画産業との関係、放送局の自主製作能力の向上、それに番組編成の変化の3つにあると考えられる。日本の放送局は、テレビ放送開始当初、番組製作能力が未熟であったため、編成の多くを映画会社等が製作したフィルム作品に依存した。そして、ニュース映画、短編映画、漫画映画、劇映画の4種類を概括的に「映画」と表記して放送した。これらはすべて放送局以外の外部製作であった。53年春、NHKはまずフィルムニュースの自主製作を始め、同年11月には外部製作のニュース映画と区別して『映画ニュース』と題して放送し、54年6月にはそこから「映画」表記を除いて『ニュース』として独立させた。NHKはまた、54年度から短編映画の自主製作も始め、54年8月から定時番組『短編映画』を編成し、外部製作と区別して「NHK製作」と表示して放送した。そして、表現法や撮影技術が向上すると、57年11月には「映画」表記のない初めてのフィルム番組『日本の素顔』を始めた。外部製作の作品はその後も「短編映画」と題して放送されたが、本数が減少し、逆に独自の番組名を持ったフィルム番組が増加する。こうして、50年代末までにニュース映画と短編映画から「映画」表記が消える。ニュース映画と短編映画の2つの分野は、映画産業のなかでも周辺に位置し、膨大な経費と人員も必要とせず、放送局の参入が比較的容易であった。一方、漫画映画は、1970年代後半にアニメーションという言葉が定着し「映画」表記が消滅するが、アニメーション製作業は放送への依存度が高く、当初から放送産業の支援産業として組み込まれた。こうして大手映画会社の劇映画だけが最後まで「映画」として残った。大手映画会社は、テレビ放送を敵視する一方でテレビ放送事業に参画するという両面性を見せ、テレビ放送対策で混迷した。日活を除く5社は54年度から55年度にはテレビ放送に劇映画を提供したが、56年度以降は提供を拒否し、58年には日活も加わって「6社協定」を結び、6社の劇映画はすべてテレビ画面から姿を消した。放送局はその空白をテレビ放送用に製作されたアメリカ・テレビ映画の大量編成で埋めた。一方、大手映画会社は、59年に開局した民間放送局に出資し、同時にテレビ映画製作にも着手する。そして、64年2月には再び劇映画のテレビ放送提供に方針転換する。大手映画会社の劇映画が姿を消した58年から64年までの"空白の6年間"は、テレビ放送が事業収入を急速に伸ばし自主製作能力を高め、産業として自立する時期である。逆に映画産業は58年をピークに凋落の傾向が顕著となり、経営規模でも放送産業に凌駕されてゆく。本稿が対象とした50年代から60年代前半は、映画からテレビ放送への映像メディアの主役交代の時期であった。テレビ放送における「映画」表記の変遷にも、こうしたメディアの交代と産業構造の変化が反映していると考えられる。
著者
大田 衛 Mamoru Ota
出版者
同志社大学政策学会
雑誌
同志社政策科学研究 = Doshisha University policy & management review (ISSN:18808336)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.53-65, 2023-03-01

本稿は、不特定多数の者に対して一般的に協力を求める行政指導(一般的行政指導)の機能とそのメカニズムを、法と経済学における「法の表出的機能」(expressive function of law)の理論を手掛かりに考察するものである。N人ゲームの数理モデルを用いた分析等を通じて、法的強制力や経済的インセンティブの裏付けを持たない一般的行政指導が、アクターの意思決定にどのように作用するのか、そして、いかなる条件の下で人々が行政指導に従うのかを解明する。
著者
一ノ宮 士郎
出版者
専修大学経営研究所
雑誌
専修マネジメント・ジャーナル = Senshu Management Journal (ISSN:21869251)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.1-10, 2022-07-16

最近の不正会計事例かつ国際財務報告基準(IFRS)適用企業という観点から英国のCarillion社とドイツのWirecard社を事例に選び,財務諸表分析とスコアリングモデルの代表例としてBeneishモデルを対比させ,不正会計判別力を比較検討した。IFRSを適用する米国企業以外でも,Beneishモデルは不正会計を判別し得ることが確認できた。
著者
Toshiyuki Sakai Takeo Kanade Yu-IchiOhta Ken-IchiroYanagi Hideo Hasui
雑誌
Information Processing in Japan
巻号頁・発行日
vol.15, pp.70-74, 1975-01-01

A new conversational picture processing system has been developed. By giving the picture-processing commands via the character CRT the operator can use interactively software and hardware facilities provided by the system: input and output of pictorial data basic picture-processing capabilities such as differentiation enhancement windowing composition of two pictures etc. The remarkable features of the system are:(1) fundamental pictorial data I/O devices and picture-processing routines are both available; (2) by means of the color-TV display multiband photos and color pictures can be processed very conveniently; (3) the editing and correction of the picture-processing commands can be performed in the same fashion as conversational programming; (4) employing a computer complex structure the system can be adapted easily to various classes of picture processing problems