著者
白井 忠功
出版者
立正大学文学部
雑誌
立正大学文学部論叢 (ISSN:0485215X)
巻号頁・発行日
no.62, pp.59-73, 1978-12-01
著者
米家 志乃布
出版者
法政大学文学部
雑誌
法政大学文学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Letters, Hosei University (ISSN:04412486)
巻号頁・発行日
vol.86, pp.41-53, 2023-03-03

本研究では,江戸東京の代表的な名所図会および案内本に記載された名所とその分布傾向を比較し,各史料の違いを明確にしたうえで,近代東京における人々の名所体験を論じることを目的とした。その際,東京における行政区画,山の手と下町という地形的特徴,近代交通網の整備・発展という観点から,名所体験と東京の地域性との関係について分析・考察した。その結果,近代東京における人々の名所体験は,明治・大正・昭和を経て,より高密度に,より広範囲に展開し,名所風景の近代化という側面だけでなく,名所体験として多様化したことを論じることができた。
著者
丸山 宏
出版者
京都大学農学部附属演習林
雑誌
京都大学農学部演習林報告 (ISSN:0368511X)
巻号頁・発行日
vol.59, pp.233-247, 1987-12-10

明治4年, 社寺領上地令の発布後, 明治8年6月の「社寺境内外区画取調規則」により, さらに社寺境内付属地であった林野 (山地, 山林, 山岳, 薮地) もその対象となり上地された。この規則に基づき京都府では各部で『社寺境内外区別取調帳』が作成される。社寺上地林の実態がこの『取調帳』から読み取れる。また, 明治6年8月の太政官布告第291号により, 風致林として主要な上地林が存置された。その総面積は2626町3反5畝歩である。これは当時 (明治16年時) の官有林の81%にあたる。京都府第三代目知事であった北垣国道はこの社寺上地林を含む名勝地の保護を京都経済復興策のひとつとして重要視した。観光資源としての名勝地の保護の目論見である。その後, 明治27年になり京都府議会において, 官林移管後の社寺上地林に対し「名区勝地風致林保護ノ建議」がなされる。しかし, これは法制的にも政府の聞き入れるところとはならなかった。明治30年4月, の「森林法」が公布され, その中の保安林の規定により, 社寺林, 名勝地の風致林の保護が明文化されたが, 逆に法制化によりその射程域が縮小されたといえる。