著者
長谷川 浩一 林 真人 川口 健司 田代 晴彦 森川 篤憲 岡野 宏 川上 恵基 村田 哲也
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.56, pp.29, 2007

(症例)患者はインドネシア国籍の29歳男性で、平成19年1月17日に頭痛を主訴に当院外来を受診。頭部単純CTで左側頭葉に低吸収域を呈する脳病変を認めた。しかしながら不法滞在者であると判明し、それ以上の精査治療は母国で行うべきと初診医が判断し、即時の帰国を勧めた。しかしながら、症状は徐々に悪化し発熱と意識障害をきたしたため、1月21日に当院救急外来を受診し内科入院となった。入院時、口腔内カンジダ症を認め、抗HIV抗体が陽性であった。髄液検査では異常を認めなかったが、AIDSによる脳トキソプラズマ症が最も疑われ、ST合剤とクリンダマイシンの投与を開始した。治療により解熱しCRPも9.0から0.5に低下したが、意識状態の改善はあまり認められず、到底旅客機で帰国できる状態ではなかった。2月1日に局所麻酔下で定位的に病変部位の生検術を施行し、病理組織にて脳トキソプラズマ症の確定診断が得られたため、2月8日に三重大学附属病院血液内科に転院した。その後、ピリメサミンを用いた積極的な治療により旅客機で帰国できる状態にまで回復した。(当院での対応)不法滞在のため保険には未加入で、治療費は自費のため金銭的な援助をインドネシア大使館にも相談したが、予算がないため金銭的な援助は不可能との返事であった。また、当院はAIDS拠点病院に指定されていないため、県内のAIDS拠点2病院への転院も考慮したが困難であった。三重大学附属病院のみHIV感染により何らかの合併症を発症している事が確認されていれば、何とか受け入れ可能であるが、少なくとも脳の生検でAIDS以外の脳病変を否定する事が前提条件であった。HIVに対する手術器具の消毒法もHCV等と同じであるが、HIV感染患者の手術は当院では初めてであり手術室等からの反対もあったが、転院のためには他に手段はなく、当院でやむなく生検術を施行した。 (考察)不法滞在患者でなく金銭的に問題なければ、大学病院以外のAIDS拠点病院への転院も可能であったと思われるが、研究機関でもある大学病院しか受け入れは許可してもらえなかった。鈴鹿市は外国人の割合が高いので、不法滞在の外国人も多いと予想されるが、これは全国的な問題と考えられる。不法滞在者であるからといって人道的に治療を拒否する事はできず、行わなければならない。その様な場合、どこからか金銭的な援助を得て、なんとか治療を行える方法はないのであろうか。また、外来受診の翌日に名古屋の入国管理局から連絡があり、すぐに帰国させる様に伝えたが、手続き上少なくとも1週間以上かかり、結局その間に症状が悪化し帰国できなくなってしまった。不法滞在ではあるが、この様な緊急事態の場合、入国管理局はもっと早く帰国の手続きをとる事はできないのであろうか。この患者は治療により帰国できる状態にまで回復したが、回復しなかった場合は二度と自国の土を踏む事はできなかったと考えられた。
著者
春日 真由美 京坂 紅 黒澤 永 余宮 きのみ
出版者
日本緩和医療学会
雑誌
Palliative Care Research (ISSN:18805302)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.524-528, 2015 (Released:2015-02-27)
参考文献数
20

【症例1】81歳,女性.噴門部胃がん.消化管内に空気が溜まってくると心窩部の重苦感が増強していたが,曖気にて症状軽減を認めていた.曖気がすっきり出ない苦しさが続いていたため,メトクロプラミドの持続皮下注を開始したところ,曖気が出やすくなり,上腹部の膨満感は緩和された.【症例2】57歳,男性.膵頭部がんにて消化管通過障害を認めていた.腹部膨満感を伴った上腹部の不快感を訴えており,曖気にて改善を認めていた.メトクロプラミドの持続皮下注を開始したところ曖気がスムーズに出るようになり,上腹部の不快感が軽減した.【考察】がんによる消化管通過障害に伴った曖気がすっきり出ない苦痛症状に対して,メトクロプラミドの持続投与が有用な選択肢の1つであることが示唆された.消化管通過障害がある場合,メトクロプラミドによる蠕動亢進作用により胃に溜まっていたガスが上昇逆流し,曖気が促進されやすくなることが推測された.
著者
小池 百合子 泉 恵理子
出版者
日経BP社 ; 2002-
雑誌
日経ビジネスassocie (ISSN:13472844)
巻号頁・発行日
vol.16, no.3, pp.4-9, 2017-02

アラビア語通訳者、ニュースキャスターを経て政界に転身。大臣を歴任し、昨夏、2位以下の候補を大きく引き離し291万2628票を獲得し、女性初の東京都知事に当選した小池百合子東京都知事に、仕事への取り組み、生き方を聞いた。
著者
真田 建史
出版者
日本生物学的精神医学会
雑誌
日本生物学的精神医学会誌 (ISSN:21866619)
巻号頁・発行日
vol.30, no.2, pp.50-54, 2019 (Released:2019-12-28)
参考文献数
11

近年,腸内細菌叢の遺伝子を網羅的に調べるメタゲノミクスの技術開発が進み,精神疾患における腸内細菌に関する研究にも関心が高まっている。しかしながら,うつ病患者における腸内細菌叢を調べた研究はまだ少ない。我が国においては,うつ病患者において2つの腸内細菌叢で健常者と比較して,有意な違いがあるという報告が1例あるのみである。それ故,うつ病における腸内細菌叢の構成に関して,さらなる研究が必要とされる。今回,我々はデータベースとしてMEDLINE,PubMed,EMBASE,PsycINFO,Cochrane libraryを用いて,系統的文献検索を行った。検索された文献から,最終的に9つの文献が組み込まれた。このうち,観察研究が6つ,介入研究が3つであった。本稿では,このシステマティックレビューを用いて,この領域の現状と課題,さらには我々の取り組みについて報告する。

2 0 0 0 OA 北斎忠臣蔵

著者
葛飾北斎 画
出版者

葛飾北斎画、浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』の仇討ちの絵本化。半紙本2巻合1冊、江戸・西村屋与八。色摺。板元は序に「永寿堂」とあることによる。絵師署名、序中「画工北斎為一」、また巻末に「画狂人 北斎戯画」とある。ただし、巻末のそれは、嵌入の痕が認められ、修訂に際しての入れ木と考えられる。序「申の春 南仙笑楚満人誌」に「今亦画工北斎為一先生、春眠を寤させんとて、一時灯下の戯墨たりしを」云々とあるが、序の干支「申」は、文政7年(1824)か。各図、「大星由良之助」から「高師直」までの名標を刻し、かつ登場人物の衣服に役柄を示す家紋をあしらい、舞台の場面場面を再現する。美人の形姿、顔の富士額(下巻2丁ウラ)、庭先の植え込み、木の幹の肌など、享和(1801-1804)頃の北斎の江戸名所風俗絵本に通ずるものがある。精細な墨線により、紅嫌いの彩色で、緑をはじめ多様の色合いをふんだんに使って、塗り潰し、没骨などの技術を駆使する。顔には、基本的に色を加えないことが、劇場舞台の臨場感を醸す。本書は、咄本の要素を取り入れた、櫻川慈悲成作、北斎画、享和2年(1802)正月西村屋与八刊『絵本忠臣蔵』2巻から絵だけを抜き出して編集し直した修訂本。(鈴木淳)(2016.2)
著者
池 俊介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.156-164, 2020 (Released:2020-05-15)
参考文献数
4
著者
河村 優詞
出版者
一般社団法人 日本行動分析学会
雑誌
行動分析学研究 (ISSN:09138013)
巻号頁・発行日
vol.34, no.1, pp.71-77, 2019

<p><b>研究の目的</b> 特別支援学級の児童における漢字の筆記学習において、自己評価・他者評価が正確な書字行動に及ぼす影響を検証した。<b>研究計画</b> ABACフォローアップおよびABフォローアップデザインを用いた。<b>場面</b> 小学校内の特別支援学級の教室で授業として実施した。<b>参加者</b> 特別支援学級に在籍する児童(N=5)であった。<b>独立変数の操作</b> 自己評価の有無(介入Ⅰ)、および自己評価・教師評価とその一致に対する評価の有無(介入Ⅱ)であった。<b>行動の指標</b> 薄い灰色の線をなぞって書くトレース課題において、線からはみ出して筆記した画数の割合を算出した。<b>結果</b> 介入Ⅰにおいて教示期でははみ出しの減少が見られなかったが、自己評価期には大きく減少した。しかし自己評価をやめると再度はみ出しが増加し、自己評価が不正確であるケースもあった。介入Ⅱでは自己評価・教師による他者評価を実施したが、1名を除き介入開始後にはみ出しは減少し、介入終了後も増加しなかった。<b>結論</b> 自己・他者評価を含む介入は現場で実践しやすく、正確な書字行動を促しうる方法であると考えられる。ただし、介入効果の小さい児童も存在していたため、教授法のさらなる改善が必要である。</p>
著者
横山 俊一郎
出版者
関西大学大学院東アジア文化研究科
雑誌
東アジア文化交渉研究 = Journal of East Asian cultural interaction studies (ISSN:18827748)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.305-317, 2016-03-31

In this paper, I consider about the thought and business of Honda Masazane who founded the silk industry in Kanazawa, in order to understand the personality of businessmen from Hakuen-Shoin. I take up his biography named "Danshaku-Honda-Masazane-Den". As a result of this study, I found that he was inclined toward Buddhism after he graduated from Hakuen-Shoin. But, I think that he upheld the practical aspects of Confucianism. Also, I noticed that Sumitomo's managers participated in the Zen group to which he belonged at that time.

2 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1942年04月20日, 1942-04-20
著者
安達 正雄 谷本 明
出版者
無機マテリアル学会
雑誌
石膏と石灰 (ISSN:21854351)
巻号頁・発行日
vol.1975, no.135, pp.63-72, 1975-03-01 (Released:2011-03-07)
参考文献数
75

To analize mechanism of calcium scale deposit on heated wall in evaporator, accurate solubility data of calcium sulfate in pure water are required, but satisfactory data are not available from databooks. Therefore, an attempt to determine the equations which represent accurately the solubility of calcium sulfate is performed.All the solubility data which are taken from available original literatures are classified in five groups corresponding to modifications of calcium sulfate, i. e. dihydrate, α-and β-hemihydrate, soluble anhydrite and insoluble anhydrite. The equations for each group are determined by so-called double-minimum-square method using digital computor FACOM 230-35 of Kanazawa University.It is found that all the data for soluble anhydrite are obviously classified in two groups. Because of this fact and the other verification, two types of α and β exist in soluble anhydrite. At last, the equations of solubility for six modifications of calcium sulfate are presented. Deviation of the data from the equations are less than ±10% for temperature ranges from 0 to 170 or 200°C, but for dihydrate ±-1%, 0 to 110°C.It seems that the given each equation of solubility for modifications of calcium sulfate is the most accu-rate, comparing with the other's solubility equations.
著者
航空宇宙技術研究所史編纂委員会
出版者
航空宇宙技術研究所
雑誌
独立行政法人航空宇宙技術研究所史
巻号頁・発行日
pp.387, 2003-09

航空宇宙技術研究所は平成15年10月1日をもって宇宙3機関統合を迎え、宇宙航空研究開発機構(JAXA)として新たな出発を致します。日本は終戦から昭和27年4月まで航空に関する研究開発、生産が禁止されていました。この7年間の空白によって途絶えた航空技術を早急に立ち上げ、遅れを取り戻し、これを向上させることを目的として、当研究所は昭和30年7月に総理府航空技術研究所として設立されました。その後、昭和36年に調布飛行場分室を設置、昭和38年にはロケット研究部を加えて航空宇宙技術研究所と改称し、昭和40年には角田支所を設置してほぼ現在の姿となりました。以来、航空宇宙科学技術に関する国立試験研究機関として、その中核的機能、役割を果たすべく、遷音速風洞や大型低速風洞等の大型設備の整備、YS-11の疲労強度試験、STOL実験機「飛鳥」の研究開発、LE-7液酸ターボポンプの研究開発、飛行船を用いた成層圏滞空試験等で成果を挙げてきたところであります。このような数々の成果の達成は関係各位の航空宇宙技術研究に対するご理解とご支援、ならびに諸先輩の並々ならぬ努力の賜であり、厚く御礼を申し上げる次第です。この機会に、当研究所の誕生から統合までの48年間の研究活動を「航空宇宙技術研究所史」として刊行する運びとなりました。本著を通じて当研究所の職員が過去の足跡を振り返り、将来の発展に資するとともに、日本の航空宇宙分野で当研究所が果たしてきた役割について皆様のご理解を深めることができましたら幸いであります。航空機はいずれ亜音速機から超音速機へ、そして極超音速旅客機へと進むものと思われます。そして宇宙輸送機も使い切りロケットから再使用型宇宙輸送機、有人宇宙輸送機へと進むのも必然のように思われます。そのとき航空機と宇宙輸送機の間に一体いかほどの違いがあるでしょうか。その未来の航空宇宙輸送機の実現と究極の信頼性向上に向けて研究を進めるのが新機関の一つの使命ではないかと考えています。統合後も航空宇宙技術研究の中核として、不易流行の精神をもってプロジェクト研究(ニーズ研究)と基礎研究(シーズ研究)をバランス良く遂行して成果を挙げて行くことを願っております。宇宙航空研究開発機構の益々の発展を心から祈念して航空宇宙技術研究所史刊行にあたってのご挨拶とします。平成15年8月
著者
航空宇宙技術研究所20年史編纂委員会
出版者
航空宇宙技術研究所
雑誌
独立行政法人航空宇宙技術研究所史
巻号頁・発行日
pp.330, 1975-07

当研究所が航空技術研究所として昭和30年7月に40名の陣容で発足してから本年で満20年を迎え、ようやく480名を越す研究所に成長した。この間に,わが国における宇宙開発の進展を見通して宇宙技術の研究を加え,昭和38年に航空宇宙技術研究所と改称し,さらに,昭和40年にはロケット研究センターとして角田支所を設置して今日に至っている。これはひとえに諸先輩の並々ならぬ御努力と関係各位が寄せられた御支援の賜物であって,深く感謝の意を表する次第である。当所は航空,宇宙両分野において,技術水準の向上と先導的研究を推進する研究センターとしての役割と,開発への支援協力を行う試験センターとしての役割とを果さなければならないが,ここに取りまとめた20年史は,この20年間に急激な進展を見せた航空,宇宙の世界的推移の中にあって,当所が指向し推進してきた研究および試験の流れを示すものである。設立の初期には,航空再建の熱意に燃え,全員一丸となって,選音速風胴を始めとして,航空機の進歩に応じうる空力性能,構造強度,原動機等の試験研究設備の整備を急いだ。次いで,これらの設備を活用した研究段階へと進んで成果を挙げてきたが,わが国で開発された中型輸送機YS-11その他幾つかの航空機に対して,当所の研究成果が陰に陽に取り入れられ,現実の姿となって世に出ていったことや,超軽量ジェットエンジンの研究成果が基となってVTOLの実験研究が進展し,また,推進用ファンエンジンの研究開発へと順調に発展しつつあることは喜ばしいことである。然し,近来わが国における航空機の発展は最初の意気込程ではなく,むしろ沈滞しつつあることを憂えると共に我々の努力の至らなかったこことを深く反省している。宇宙開発の一環として当所がロケットおよび人工衛星の研究を開始してから12年になる。研究と開発とは密接不可分の関係にあり,当所は宇宙開発担当機関と常に密接な連繋を保つよう努力しつつ開発への支援協力を行うと共に,次期以降においてはわが国の宇宙開発が自主開発路線を進みうるように,ロケットエンジン,ロケットの誘導制御,人工衛星の姿勢制御等に関して鋭意基礎先行研究を進めてきた。今後も一層の努力を続けて実り多い成果を挙げていくことを念願している。過去20年間を振り返って,諸先輩の御努力の跡を偲び,衷心より敬意を表すると共に今後の研究推進に資したいと考えている。20年史を刊行するに当り,当所の発展に寄せられた皆様の御厚情に深く感謝し,併せて今後一層の御指導ご鞭撻を賜わるようお願いする。昭和50年7月航空宇宙技術研究所長山内正男