著者
宮地 隆廣 Takahiro Miyachi
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 = Doshisha Studies in Language and Culture (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.14, no.4, pp.377-400, 2012-03-10

本稿は、地域研究の扱う範囲とアプローチについて、先行研究に対する批判的検討を通じ、その妥当なあり方を提示する。第1に、地域研究の扱う知識の範囲は特定の空間、時代、テーマおよび方法論によって制限されるべきではない。第2に、研究に値する知識は、既存の地域イメージを覆すものか、社会や学界で価値の認められるテーマに関連するものに限られる。第3に、研究のアプローチは、科学的なものと多声的なものに分けられる。
著者
関沢 まゆみ
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.207, pp.11-41, 2018-02-28

本論文は,高度経済成長期に向かう時代,昭和30 年代初期のダム建設と水没集落の対応に一つの形があることに注目して民俗誌的分析を試みたものである。広島県の太田川上流の樽床ダム建設で水没した樽床集落(昭和31~32 年に移転)と前稿でとりあげた福島県の只見川上流の田子倉ダム建設で水没した田子倉集落(昭和31 年に移転)とは,どちらも農業を主とした集落で,移転時には民具の収集保存や村の歴史記録の刊行,移転後の故郷会の継続など,故郷とのつながりの維持志向性が特徴的であった。とくに,樽床の報徳社を作った後藤吾妻氏,田子倉の13軒の旧家筋の家々などが,村人の面倒見がよく,村の存続の危機への対応のなかで村を守る連帯の中心となっていた。村の中には貧富の差が大きかったが,富める者が貧しい者の面倒をみるという近世以来の親方百姓的な役割が村落社会でまだ活きていた可能性がある。それに対して,岩手県の湯田ダム建設で水没した集落(昭和34~35年に移転)は農家もあったが鉱山で働く人が多い流動的な集落で,代替農地の要求はなかった。さらに樽床ダムより約30年後に建設された太田川上流の温井ダムの場合には1987年に集団移転がなされたが,その際村人たちは受身的ではなく能動的に新たな生活再建を進めた。このように,移転時期による差異や定住型か移住型かという集落の差異が注目された。そして,故郷喪失という生活展開を迫られた人たちの行動を追跡してみて明らかとなったのは,土地に執着をもたず都市部に出て行った人たちの場合は新しい生活力を求めて前向きに取り組んだということ,その一方,農業で土地に執着があった人たちはその故郷を記憶と記念の中に残しその保全活用をしながら現実の新たな生活変化に前向きに取り組んでいったということである。つまり,更新と力(移住型)と記憶と力(定住型)という2つのタイプの生活力の存在を指摘できるのである。もう一つが世代交代の問題である。樽床も田子倉も湯田もダム建設による移転体験世代の経験は子供世代には引き継がれず,「親は親,子供は子供」という断絶が共通している。
著者
若井 絹夫 富山 栄子
雑誌
事業創造大学院大学紀要 (ISSN:21854769)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.99-114, 2021-04

国内の地域通貨は、町井・矢作[2018]によれば、地域商店街の活性化の方策として各地で取り組まれるようになった経済的効果を目的とするものとコミュニティの再生や人のつながりを目的に市民団体が主体となって取り組んだものの2つの流れがある。2005年から新たな発行主体による電子地域通貨の発行が増えている。本稿では飛騨信用組合の導入した「さるぼぼコイン」と気仙沼地域戦略の「気仙沼クルーカード」の事例から地域の課題と密接に関連する事業主体が導入した電子地域通貨の目的と運営及び機能の変化を明らかにし、2 つの地域社会の資金流通と電子地域通貨の役割について考察した。その結果、金融機関と地方自治体が発行主体となることで、地域の課題解決が地域通貨の目的となり独自の工夫や顧客情報の活用を行っていることを確認できた。さらに地域の資金流通の構造と電子地域通貨の運営に整合性があること、利用者数と利用額の推移から電子地域通貨の効果について確認した。
著者
張 明楷
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.48, no.4, pp.31-56, 2015-03-30

「罪刑法定主義」について,新中国(中華人民共和国)が建国されて以来,三つの時代に分けてその変遷を捉えることができる。すなわち,⑴刑法典が存在しなかった時代,⑵旧刑法の時代,⑶新刑法の時代である。(以上Ⅰ) 「法律主義」については,犯罪とその効果を規定する法律は,全国人民代表大会及びその常務委員会しか定めることができず,各省の人民代表大会は刑法の罰則を定めることができない。これについて,慣習法,判例,命令が問題になる。(以上 Ⅱ) 「遡及処罰の禁止」については,2011年4月以前は,中国の司法機関は遡及効に対して,当時採用していた犯行時の規定あるいは刑罰が軽い規定によるという原則(刑法第12条)を遵守していたが,2011年2月25日に《刑法修正案㈧》が可決された後は,司法解釈に遡及処罰の規定が現れてきた。(以上Ⅲ) 「類推解釈」については,現行刑法が罪刑法定主義を定めて以来,中国における司法人員ができる限り類推解釈の手法を避けていることが理解できるが,それにもかかわらず,類推解釈の判決が依然として存在している。一方で,罪刑法定主義に違反することを懸念して,刑法を解釈することを差し控える現象もある。(以上Ⅳ) 「明確性」については,刑事立法に関する要請であり,立法権に加える制限だと考えられている。他の法理論においては,刑法理論のように法律の明確性を求めるものはないといえる。その意味で,罪刑法定主義の要請は,明確性の原則に最大の貢献をもたらした。(以上Ⅴ) 「残虐な刑罰の禁止」については,総合的に言えば,中国刑法で定められている法定刑は比較的厳格であり,経済犯罪においては少なくない条文に死刑が定められている。(以上Ⅵ)
著者
三上 英司
出版者
山形大学高等教育研究企画センター
雑誌
山形大学高等教育研究年報 : 山形大学高等教育研究企画センター紀要 = Higher education research : Research Center for Higher Education, Yamagata University
巻号頁・発行日
no.3, pp.8-12, 2009-03-31

はじめに 高等教育機関における教養教育に対して,入学生をインターフェースとして社会全体から求められている役割は,多様である。そもそも,現代日本においては「教養」という語の意味自体が,社会の多様化に連動して拡散し続けているように思われる。このような状況の中で,教養教育は,習得すべき明確な到達目標を示すことが一層困難になってきている。要請される事柄の全てに対応しようとするとき,その実現は一地方大学の許容能力を遥かに超えてしまう。それゆえに,多くの高等教育機関における教養教育は往々にして,社会的な要請から乖離した画一的なカリキュラムの殻に閉じこもったり,反対に現状へ近視眼的に反応して即戦力的スキルの習得を第一義とする講習会へと変容してしまったりする。さらに,本質的な問題はこれらの教養教育が,非常勤スタッフの手を借りなければ運営できない状態に陥っていることである。この現状は,学問の本来的な在り方を鑑みるとき,危機的と呼んで差し支えない。本来の「Liberal Arts」が培ってきた「普遍性」に対する社会全体の意識低下が,この状況を生み出した主因だといえる。一方,教養教育の場で学ぶこととなる新入生は,学力・モチベーションがともに,必ずしも高いとはいえない。この責を単に初等・中等教育の現場や学生自身の意識の低さに求めることは,問題解決のために何ら貢献しない。なぜならば,少なくとも入学生たちは選抜試験に合格し,本学に入学を許可された者たちであり,これらの学生に対しての教育が困難であることを訴えても,社会的な承認は,けして得られないからである。さて,昨今の学生の特徴で教員にとって最も重要な点は,学生個々の基礎的学力と彼らの求める事柄が,やはり多様化しているということである。現在の入学者選抜方法は,社会的な要請に応える形で実に多様化している。そのことによって学生の資質も,複雑化しているのである。このような現状に対応するために,大学の教養教育の現場では,まず授業を成立させなければならない。そのために学問の本質とは基本的に無関係な多くの授業実践方法に関するスキルが要求されている。FD活動に代表される教育方法改善活動が,平成以降,全国で活発になったという事実は,煎じ詰めれば様々な学生の状態を許容することになった現代日本の高等教育機関の現状の反映だと考える。
著者
タガー・コヘン アダ Ada Taggar-Cohen
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 = Kirisutokyo Kenkyu (Studies in Christianity) (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.63-81, 2009-06-26

ヘブライ語は多層からなる言語である。今日おもにイスラエルで話されている現代ヘブライ語はその最新の段階にある。本稿はヘブライ語の諸層を概観する。ヘブライ語は何世紀もの間、ユダヤ人にとって聖なる言葉であり、彼らに宗教的なアイデンティティーを付与してきた。19-20世紀に復興した現代ヘブライ語は非宗教的な文脈で用いられる。この変化は、現代のユダヤ人が自らの言語を「イスラエル・ヘブライ語」と呼んで、古代ヘブライ語が付与するのとは異なるアイデンティティーを求めていることと関連している。
著者
吉永 敦征 畔津 忠博
雑誌
研究報告コンピュータと教育(CE) (ISSN:21888930)
巻号頁・発行日
vol.2019-CE-152, no.8, pp.1-5, 2019-11-08

本論文ではアンケート結果に基づき,大学初年次生が獲得している情報リテラシーとパソコン (PC) の使用開始時期との関係について報告する.情報リテラシーが獲得できているかどうかの指標として,PC の入力に関する主観的評価を採用した.この指標に基づいて学生を情報リテラシーの高いグループと低いグループに分けて,それぞれのグループに属する学生の特徴を調べた.その結果,特に小学生のときに家庭で PC の使用を始めた学生は,情報リテラシーの指標が高い傾向にあった.このことから,情報リテラシーは家庭環境に依存する文化資本であり,その獲得においては PC 等の情報端末を利用する時期が重要であることが示唆される.また,情報リテラシーの指標が高い学生は,一般に良く利用される PC のアプリケーションの利用率が高かった.その一方で,小学生のときに自宅で PC に触れていない学生であったとしても,情報リテラシーの指標が高い学生が一部存在しており,学校教育が有効である可能性も存在している.