著者
高野 裕 和田 盛哲 岩永 則城 Takano Yutaka Wada Shigeaki Iwanaga Noriki
出版者
宇宙開発事業団
雑誌
宇宙開発事業団技術報告 = NASDA Technical Memorandum (ISSN:13457888)
巻号頁・発行日
pp.1冊, 1995-08-31

現在宇宙開発事業団では月の探査について、(1)月周回軌道からの観測、月面での移動探査、月面物質のサンプルリターンからなる無人探査を経て、(2)有人探査、(3)月開発利用へ向かう3段階の開発シナリオを構想している。周回観測以降の着陸/移動探査のために着陸技術および月面周回移動技術の研究も行われている。これらの技術の開発には共通して「月面へ着陸する技術」の開発が不可欠である。本研究は月面に降下着陸する際の飛行軌道について検討したものである。今回得られた軌道は今後の研究における基準軌道として推進薬消費量、推進系および航法誘導制御系に対する要求仕様の設定に利用することが予定されている。本報告書は以上の研究について、(1)月面着陸実験機のシステム概要(概要、月面着陸実験機のミッション、システムの諸元)、(2)着陸軌道の概要(前提条件、軌道概要)、(3)軌道の詳細(ホーマン軌道フェーズ、燃料最小軌道フェーズ、最終降下軌道フェーズの解析)、(4)結論と要約および今後の課題をまとめたものである。
著者
山口 えり
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.148, pp.41-60, 2008-12-25

広瀬大忌祭と龍田風神祭は、神祇令で定められた恒例の祭祀のうち、風雨の順調を祈るものとして、孟夏と孟秋に行われる祭祀である。すでにこの二つの祭祀については、先行研究も多くあるが、両社は大和川を挟み別々の地にあるのに、なぜその二つの地が選ばれたのか、なぜその祭祀が同時一対で行われ続けるのかについては説明されていない。本稿では、まず『日本書紀』にみられる広瀬大忌祭と龍田風神祭の記事を整理し、次の七点を指摘した。①天武四年以降、広瀬・龍田の祭りは基本的に毎年四月と七月に行われ、特に持統四年以後は欠けることない。②天武四年四月癸未条の初見記事にのみ、龍田社と広瀬社の立地が記載される。③初見記事にのみ、派遣された使者が記載される。④龍田では風神、広瀬では大忌神が祭られる。⑤天武八年四月己未条より、記載の順番が「龍田・広瀬」から「広瀬・龍田」になる。⑥持統紀からは「遣使者」という定型の語が入る。⑦持統六年四月より、「祭」が「祀」に変わる。それぞれの点について検討を加えた結果、広瀬・龍田の両社が国家の意図により整備されていった過程が明らかとなった。敏達天皇の広瀬殯宮が置かれた広瀬は、龍田に比べると早く敏達天皇家王族と関わりを持つ地であった。その河川交通の利便性が重視され、六御県神と山口神を合祭する国家祭祀の場となった。一方の龍田は、天武・持統王権の記憶の中ではなかなか制し難い地域であった。龍田は、大和と河内を結ぶ交通上の要所でありながら通過には困難が伴い、延喜祝詞式によれば悪風をなす神が所在する地であった。龍田道の整備や国家主体の祭祀を広瀬と共に行うことは、そのような龍田の異質な性格の克服を意味していた。二つの地域は農耕や地理的要衝という古代国家の基盤に大きく関わる要素を有していた。そのために一つに括ることが重要であり、その組み合わせは存続したのである。この二つの祭祀を同時一対で行うことは、律令制定過程期における飛鳥を中心とした大和盆地から、河内へと続く大和川流域全体の掌握を象徴していたのである。
著者
石井 晃 小籔 拓馬 北尾 明子 鳥海 不二夫 榊 剛史
雑誌
研究報告知能システム(ICS)
巻号頁・発行日
vol.2015-ICS-178, no.10, pp.1-7, 2015-02-23

A mathematical theory for social events is presented based on a former mathematical model for the hit phenomenon in entertainment as a stochastic process of interactions of human dynamics. The model uses only the time distribution of advertisement budget as an input, and word-of-mouth (WOM) represented by posts on social network systems is used as data to compare with the calculated results. The unit of time is a day. The calculations of intention of people in Japanese society for the scandal of cell of stimulus-triggered acquisition of pluripotency (also known as STAP) agree very well with the twitter posting distribution in time. We focused on users' interests to classify each tweet to clusters. We devide the tweets of the STAP cell scandal into several clusters due to the frequent communication to each other. We found that the time variation of the intentions are very different for each clusters. We present some calculation due to the model for the two typical culsters; ordinary people and academic people.
著者
田中 裕子
出版者
千葉工業大学
巻号頁・発行日
2020-03-22

令和元年度
著者
阪井 俊文
出版者
北九州市立大学
巻号頁・発行日
2012-09-24

当論文は、雑誌の内容分析を通じて、現代における恋愛の特徴を、「消費社会化」「ジェンダー」「社会階層」を切り口にしつつ解明することを目的としたものである。
著者
永崎 研宣 大向 一輝 下田 正弘
雑誌
じんもんこん2020論文集
巻号頁・発行日
vol.2020, pp.75-80, 2020-12-05

IIIF(International Image Interoperability Framework)の登場と普及は,仏教文献研究において様々な課題をもたらした.とりわけこれまで閲覧が容易ではなかった典拠資料の確認を容易にしたことは,研究環境の在り方に大きな変革を引き起こした.これをより適切な形で解決するためには,IIIF APIの特徴を活かした協働的な仕組みが有用であり,本稿では,その事例としてSAT2018における画像とテキストデータのリンク機能とSAT2020におけるテキスト公開のモデル,及びそれを実現する協働的なAPIについて報告する.そして,このようなコラボレーションに基づく「人文学のためのAPIチェーン」の構築の有用性を示す.
著者
清野 陽一 魚津 知克
雑誌
じんもんこん2012論文集
巻号頁・発行日
vol.2012, no.7, pp.219-224, 2012-11-10

「海のシルクロード」と呼ばれる,太平洋・インド洋沿岸の交易ルートは,古代アジア全体の相互交流に大きな役割を果たしたと考えられる.そのルートを具体的に復原するうえで大きな問題となるのが,マレー半島基部にあるクラ地峡の存在である.本研究では,クラ地峡を陸路で横断した場合と,マラッカ海峡を海路で通過した場合とのそれぞれについて,地理情報システム上での移動コスト計算をおこなった.その結果,特別な理由が無ければ,クラ地峡を通らず海上を通るルートの方が楽に移動できることがわかった.クラ地峡ルートを採用するのは,従来の説の通り,船の座礁や難破,海賊による略奪といった人文的環境が背景にあるに違いない.今後は,海上交通における移動コストをより実態に近い形で算出するためのパラメータを求めることが重要課題である.
著者
廣瀬 南雄
出版者
大谷学会
雑誌
大谷学報 = THE OTANI GAKUHO (ISSN:02876027)
巻号頁・発行日
vol.9, no.3, pp.54-92, 1928-10
著者
大井 万紀人
出版者
専修大学自然科学研究所
雑誌
専修自然科学紀要 (ISSN:03865827)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.27-42, 2020-03-05

1895年にX線を発見したレントゲンは第一回ノーベル物理学賞を受賞しているにもかかわらず,発見までの経緯やその評価に関して誤った記述が蔓延している。この状況は,レントゲンが自伝を残さなかったばかりでなく,研究ノートなどの書類が死去と同時に焼却されて残っていないことにも起因しているが,これに加え,他の研究者の妬みに由来する誹謗中傷に満ちた不正確な文書,あるいはX線発見によって有名になったゆえの一般の人々による根拠のない噂話やその類の文書によって,レントゲン本人の正しい生き様やその業績の内容は相当程度に歪められてしまったことも原因にあげられる。この論文では,2年間におよぶ文献調査を基に,レントゲンの業績ならびにX線発見に至った実験の内容をできる限り正確に記述することを試みる。
著者
茶谷 誠一 チャダニ セイイチ Seiichi Chadani
雑誌
史苑
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.7-35, 2007-11-30