著者
伊藤 弘了
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 = Human and Environmental Studies (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.75-90, 2017-12-20

本論文では, 是枝裕和『海街diary』の記憶表象が持つ映画史的な意味について, 理論的な言説を参照しながら明らかにし, それが映画の観客に及ぼす作用を分析する. 『海街diary』の記憶表象を考えるにあたっては, 是枝が小津安二郎から受けた影響を踏まえることが有効である. 小津と是枝の映画における演出上の重要な共通点として, フラッシュバックの排除と視線の等方向性の強調が挙げられる. 第1節では, 是枝と小津の映画におけるカメラが非人称的な存在にとどまっている点を確認する. カメラの非中枢的な知覚と人間の中枢的な知覚は別のものであり, 両者を同一視するところに映画のごまかしが生まれる. 第2節では, 是枝と小津の映画が映画のごまかしを避けるために, フラッシュバックを伴う主観的な回想シーンを排除したことを指摘する. 第3節では, 小道具としての写真に注目する. 是枝や小津の映画では, 画面上に写真が映ることがほとんどない. その理由について, ロラン・バルトやヴァルター・ベンヤミンの議論を参照しつつ, 写真と記憶の違いについて考察し, 是枝の『海街diary』では記憶の重視が徹底されていることを論証する. 第4節では, 写真との関係から視線の等方向性を問題にする. 複数の登場人物たちが同じ対象に視線を注ぐ場合, 見られている対象が重要なのではなく, 一緒に見ているという経験自体が意味を持つ. そこでは視覚の不一致よりも記憶の共振が重視される. 第5節では, 不可視の写真をめぐる序盤と終盤のシーンの分析を通して, 視線の等方向性の綻びが, 登場人物と映画観客に悟りの経験をもたらす仕掛けを明らかにする.This paper clarifies the historical meaning of the memory representation in Kore-eda Hirokazu's Umimachi Diary with reference to the theoretical discourse, and analyzes its effect on the spectator. While considering the memory representation of Umimachi diary, it is beneficial to examine Ozu Yasujiro's influence on Kore-eda. Kore-eda inherits from Ozu the elimination of flashback and the peculiar structure of looking in which characters look at the same object, which is not revealed by the camera. In Section 1, I confirm that the cameras of Kore-eda and Ozu have an impersonal presence. The non-centered perception of the camera and the central perception of the human being are distinct from each other, and a film can cheat by identifying one with the other. I argue that this idea allows both Ozu and Kore-eda to eliminate subjective recollection scenes with flashback. In Section 2, I examine the problems involved in the use of flashback, and analyze how Kore-eda and Ozu endeavored to avoid the issue, believing that it would constitute a compromise of the artistic integrity of their films. In Section 3, I focus on the use of photographs as props. The films of Kore-eda and Ozu feature few photographs on the screen. Therefore, I not only examine the difference between photographs and memory by referring to Roland Barthes and Walter Benjamin but also demonstrate the importance of memory in Umimachi diary. In Section 4, I consider parallel looks with regard to the motif of photographs. When characters cast their eyes on the same object, the object being viewed is not important ; rather, the experience of watching them together is significant. Therefore, frequent emphasis is placed on memory resonance rather than real sight. In Section 5, I analyze the scenes at the beginning and end of the invisible photographs to clarify the mechanisms where the disorderliness of the parallel looks provides an experience of enlightenment to the characters and audiences.
著者
森 厚二 日高 勇一 中島 三晴 鬼澤 徹 矢ヶ﨑 裕 鈴木 和夫 五十嵐 俊男 伊藤 充雄
出版者
公益社団法人 日本口腔インプラント学会
雑誌
日本口腔インプラント学会誌 (ISSN:09146695)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.185-192, 1999-06-30 (Released:2016-08-20)
参考文献数
15

Three kinds of bone filling materials were prepared by combining powder, including CaO, CaSiO3 and hydroxyapatite (HAP), and chitin and chitosan. The proportion of CaO, CaSiO3 and HAP was 4.5%, 6.0% and 89.5%. This powder 0.54 g (A), 0.67 g (B) and 0.80 g (C) were kneaded with chitin and chitosan sol 2.2 g and hardened, respectively. These materials were evaluated in the experiment animal and osteoblastic cells. The purpose of this study was to discuss which materials were most desirable for the bone filling materials. In an animal experiment, tissue reactions were similar in each material and were characterized by granulation tissue formation with inflammation. In the osseous tissue, repairs at defected sites(B and C) and direct relationship between material A and bone were seen. Cultured cell examination revealed that DNA contents and alkaline phosphatase activity in material A were significantly higher than those in control. Results of this study indicated that material A, 0.54 g mixed in chitin and chitosan sol 2.2 g, was most effective for the bone formation.
著者
今泉 吉典
出版者
日本哺乳類学会
雑誌
哺乳動物学雑誌: The Journal of the Mammalogical Society of Japan (ISSN:05460670)
巻号頁・発行日
vol.6, no.3, pp.127-136, 1975-03-30 (Released:2010-08-25)
参考文献数
13

Lutronectes whiteleyi GRAY, 1867, based on two young specimens collected from Hakodate, Hokkaido, Japan, seems to be extinct in the native land, and no specimens have been known in Japan.While studying the river otter of Japan, the author was attracted his attention by an adult rough skeleton of the subgenus Lutra in the mammal collection of the National Science Museum, Tokyo. Unfortunately the locality of the specimen is uncertain, but there is little doubt that it was collected at the beginning of the Mei ji era, nearly 100 years ago, in the territory of Japan at that time, that is Hondo or Hokkaido. As the specimen is evidently different from the otter of Hondo, the locality is inevitably estimated as Hokkaido.This estimation coincides with the result of identification of the specimen as Lutra whiteleyi based on strong similarities to OGNEV's adult specimen from Nemuro, Hokkaido, and dissimilarities to the most of the named forms of the subgenus Lutra, in several cranial measurements.If this identification is correct, whiteleyi seems to be a well established taxon of Lutra lutra group characterized by relatively narrow mastoid breadth and shorter muzzle (Table 6, F and G) .An opinion that whiteleyi covers whole populations of the Japanese otter, proposed by Pococx (1931), the present author (1949), etc., is not correct. L. whiteleyi must be confined to the Hokkaido population.
著者
廣田 篤 HIROTA Atsushi
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.34, pp.65-75, 2017-09-29

本論では, Langackerの認知文法の枠組みに沿って, A whale is no more a fish than a horse is. に代表される, いわゆる「クジラ構文」と呼ばれるNo more A than B 構文の下位構文を取り上げ. その個々の構成要素の意味構造から成る合成構造を記述することで. その構文で実際に言語化された「意味論的意味」の構造を明らかにする。 その上で,「文全体の意味は個々の構成要 素(部分)の意味の総和以上のものである」という構文のゲシュタルト性を考慮した「構文的意味」が.「意味論的意味」とどのような点において異なるのかを検討する。 つまり.「クジラ構文」の「構文的意味」に反映している認知の特徴的なあり方には. 2種類の互いに対照的なカテゴリ ー化が関係していると考える。 最後に. そうしたカテゴリー化の仕方の違いとthanに後続する命題の典型性条件(ここでは. 後行命題が明らかにく偽>であるという制約)が. 当該構文の「構 文的意味」の創発にどのように関わるのかについて議論する。 その際,「クジラ構文」という発話における対話者間のやりとりを「レトリック」という観点から捉え直し. それが当該構文の新しい特徴づけであると主張する。 つまり. 聞き手の誤信念を修正するために「レトリック」が効果的に用いられ. それが構文特有の「修辞的効果」として特徴づけられることを示す。
著者
塚本 敏也 久保 明 加藤 倫卓 栗田 泰成 磯崎 弘司 杉岡 陽介 三井 理恵 福原 延樹 仁瓶 史美 竹田 義彦
出版者
理学療法科学学会
雑誌
理学療法科学 (ISSN:13411667)
巻号頁・発行日
vol.33, no.6, pp.991-996, 2018 (Released:2018-12-21)
参考文献数
31

〔目的〕プレフレイルと静的立位バランス(静的バランス)との関係を検証すること.〔対象と方法〕銀座医院を受診した187名を対象とし,健常群101名,プレフレイル群86名に分類した.調査項目は対象の背景,握力,骨格筋指数(SMI),静的バランスの指標である矩形面積とした.SMIは二重エネルギーX線吸収測定法(DXA)を用いて算出し,矩形面積は重心動揺検査装置を用いて開眼にて30秒間計測した.〔結果〕プレフレイル群の男性の割合,握力, SMIは健常群と比較して有意に低値を認め, 年齢と矩形面積は有意に高値を認めた.矩形面積はプレフレイル群に関係する因子として抽出された.〔結語〕プレフレイルの状態から静的バランスが低下している可能性が示唆された.
著者
臼井 直人
出版者
国際基督教大学
雑誌
国際基督教大学学報. I-A, 教育研究 (ISSN:04523318)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.277-303, 2000-03

本論は一部の英語教育研究者およびコミュニケーション学者が議論している「英語帝国主義への反論」に見られるイデオロギーを批判的に分析することを目的とする。これら研究者達は日本人の英会話に対する熱のいれ方、日本人の欧米文化の取り入れ方、学校英語教育の方向性などを一種の「英語帝国主義のイデオロギー」に毒された病理であると見なし、英語帝国主義を批判している。しかしその一方でこの帝国主義に対抗する手段として「コミュニケーションの平等」の名の下に日本国内における英語の使用の否定、「美しい日本語」の保持、日本人としてのアイデンティティの確立などを提案する向きがある。本論はこのような19世紀的国家イデオロギーにも似た思想が、果たして真のコミュニケーションの平等、国際人の養成に健全な形でつながるのか、多言語主義・多文化主義の立場から理論的考察を試みるものである。

2 0 0 0 OA 細見美名の川

出版者
[鱗形屋]
巻号頁・発行日
1768
出版者
文一総合出版
巻号頁・発行日
2000
著者
水野 資子
出版者
一般社団法人日本心身医学会
雑誌
心身医学 (ISSN:03850307)
巻号頁・発行日
vol.45, no.7, 2005-07-01

目的:セロトニントランスポーター(5-HTT)の蛋白発現量と機能は5-HTT遺伝子の転写調節領域(SLC6A4)の遺伝多型によって調節される. 扁桃体を介した恐怖条件づけや日常生活におけるストレスに対する感受性に, この遺伝子多型が関与するという報告がある. 脳機能イメージングを用いた恐怖および怒りの表情認知課題において, 右扁桃体の賦活がSLC6A4遺伝子の"l/l"型に比し"s"アリルをもつ個体において強いことが報告された. 扁桃体と腹内側前頭前野(vmPFC)との間に存在する豊富な神経投射は情動の表出に関連するとされ, 大うつ病患者ではこの回路の過活動が報告されている. また, 前頭前野から扁桃体への伝達にセロトニン神経系が関与することが知られている. よって, セロトニン神経の伝達を調節するとされるトランスポーターの遺伝子多型が扁桃体-vmPFCの情報伝達を調節すると考えられる. 著者らは, トランスポーターの機能が低く, 気分障害や自殺企図との関連が報告される"s"アリル保持者で扁桃体とvmPFC間に強い連絡があると仮説づけ, これを検証した. 方法:対象は29名の健常男性である. 全員に5-HTT遺伝子の多型分析を行った. 課題には情動刺激として快, 不快の情動を想起させる写真を用いた, また, コントロールとしてneutralな写真を用いた. 課題遂行中の脳血流変化(BOLD)をfunctional MRIを用いて測定し, 遺伝子多型との関連性を検討した. 脳画像解析にはSPMを用いた. 結果:遺伝子解析の結果, s/s型9例, s/l型11例, l/l型9例であった. Friskらの報告と同様に, 不快または快刺激の提示時に扁桃体の活動がみられた. また, 不快刺激提示時にのみ右扁桃体と"s"アリルの相関がみられた. 一方, 快刺激提示時の扁桃体の賦活と遺伝子多型の相関はみられなかった. また, 扁桃体とvmPFCの局所血流量上昇の共変性が観測された. この共変性と遺伝子多型に相互作用がみられ, 左扁桃体と左vmPFCの共変性が"l/l"型の個体に比し"s"アリル保持者において強いことが明らかとなった. 考察:本研究は扁桃体-vmPFCの連合強度の5-HTT遺伝多型による差を証明した最初の報告である. 今回の結果は5-HTTの機能が負の感情形成に関与するという先行研究を支持した. また, "s"アリル保持者における不快刺激に対する高い過敏性を示唆した.
著者
桂 敏樹 古俣 理子 小倉 真衣 石川 信仁 星野 明子 志澤 美保 臼井 香苗
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会雑誌 (ISSN:04682513)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.457, 2018 (Released:2018-12-18)
参考文献数
32

本研究は,要介護状態でない地域在住高齢者を対象に,閉じこもり及び非閉じこもり高齢者におけるソーシャルキャピタル(SC)とフレイルとの関連を検証することを目的とした。 閉じこもり高齢者47名と,性別と年齢でマッチングした非閉じこもり高齢者47名を対象に,2016年7月~10月の期間で訪問調査測定を実施した。調査項目は身体的フレイル,精神的フレイル,社会的フレイル,ソーシャルキャピタルである。閉じこもり群におけるフレイルとソーシャルキャピタルの関連はχ2検定により分析した。 地域閉じこもり高齢者ではSCは精神的フレイルと有意な関連が認められた。一方地域非閉じこもり高齢者においてSCは全てのフレイルと有意な関連が認められた。 地域在住高齢者においてSCは包括的なフレイルと精神的フレイル出現の予防と関連している。一方地域閉じこもり高齢者では地域における抽出方法と精神的フレイル予防の介入方法開発が必要である。
出版者
国立国会図書館
巻号頁・発行日
vol.2006年, no.(549), 2006-12-20
著者
清水 克志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

<b>1.はじめに</b><br><br> 日本におけるキャベツ生産は,明治前期の導入以降,寒冷地である北海道や東北地方で先行し,大正期から昭和戦前期にかけて西南日本へと拡大していった.前者は,キャベツの原産地と風土が類似していたため,春播き秋穫りの作型での栽培が可能であったのに対し,後者は,冬穫りや春穫りの作型の確立とそれに適した国産品種の育成を待たねばならなかったからである.実際に関東地方以西では,アメリカ原産のサクセッション種が導入されて以降,同種をもとにした国産品種が各地で育成され,キャベツ産地が形成された.<br><br> 本報告では,大正期以降に西南日本において形成されたキャベツ産地の事例として,広島県呉近郊の広村(現,呉市広地区)を取り上げ,篤農家による品種改良と産地形成の過程を復原するとともに,当時の日本におけるキャベツの普及に果たした役割を明らかにすることを目的とする.<br><br><b>2.広島県におけるキャベツ生産の推移</b><br><br><b> </b>広島県におけるキャベツの作付面積は,1908(明治41)年には僅か2.2haに過ぎなかったが,大正期を通じて漸増し,昭和戦前期に入ると1929年には100ha,1938(昭和13)年には200haへと急増した.作付面積の道府県別順位も1909年の29位から,1938年には17位まで上昇していることから,広島県は,大正期以降に顕著となる西南日本におけるキャベツ生産地域の一つと位置づけることができる.<br><br> 明治末の時点でややまとまった形でのキャベツ生産は,広島市とその近郊(安佐郡)に限られていた.ところが,大正期には呉市の東郊にあたる賀茂郡の台頭が著しく,昭和期に入る頃には,賀茂郡が広島市や阿佐郡を凌駕していった.1928年を例にとれば,広村におけるキャベツの作付面積(30.7ha)は,賀茂郡全体の95%,広島県全体の33%を占めており,広村におけるキャベツ生産は,広島県内でも際立った存在となっていった.<br><br><b>3.賀茂郡広村における広甘藍の産地形成</b><br><br> 賀茂郡広村(1941年に呉市に編入)は,呉市街地の東方約5kmに位置する(図1).同村は黒瀬川の河口部にあたることから,三角州が発達し,江戸時代を通じて複数の「新開」が開かれた.新開地の地味が野菜栽培に適していたことに加え,呉の軍都化の進展よって,サトイモやネギなどの生産を中心に,近郊野菜産地としての性格を強めていった.<br><br> 1904(明治37)年頃に,玉木伊之吉(1886-1957)がサクセッション種を取り寄せて自家採種を繰り返し,広村での栽培に適した系統を選抜し,「広甘藍」と名付けた.玉木は呉市場で取引されるキャベツをみて,鎮守府での需要に着目し,広村でも栽培可能な系統の選抜を試みたのである.<br><br> キャベツに対する需要は明治末期には,呉鎮守府に限られていたが,大正期に入った頃から一般需要も創出され始めたことを受け,玉木は,1914(大正3)年には450名からなる広村園芸出荷組合を設立し,安定した生産基盤を確立していった.広甘藍の販路は,呉市場にととまらず,昭和期に入る頃には大阪・神戸市場,1932(昭和7)年以降は,東京市場にまで拡大した.<br><br><b>4.大都市市場における「広甘藍」</b><br><br> 第二次世界大戦以前の日本の園芸業について,総覧した『日本園芸発達史』には,「大正より昭和年代に至り最も華々しく活躍した」輸送園芸産地が列挙されている.このうちキャベツ産地は,岩手,長野,広島の3つのみであることから,広甘藍は,戦前期の西南日本を代表する輸送園芸キャベツであったと位置づけることができる.<br><br> 1935(昭和10)年頃の東京市場でのキャベツ入荷をみると,寒冷地の岩手や長野からの入荷が終了する12月以降,東京近在からの入荷が始まる6月までの間には,明確な端境期が存在した.その端境期を埋めるべく,岩手物の後を受けて東京市場へ出荷する産地が,泉州(大阪府南部),沖縄,広島,愛知などであった.当時すでに一年を通してキャベツに対する需要が存在していたことに対応するため,東京市場側では,西南暖地のキャベツ産地の形成を促したが,そのような動向を受け,広甘藍の産地では東京市場へと販路を拡大させていったとみられる.広甘藍は東京市場での取扱量こそ僅少ながら,その平均価格は一年間で最も高い水準にあったことから,高価格での有利販売を狙っていたことがうかがわれる.