著者
中川 維子
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.93-98, 1995-03-31 (Released:2009-07-23)
参考文献数
12

本稿は, 人の行為を説明するものとしてしばしば使用される「心的表示」 (mental representation) という概念をめぐる考察である。この概念, およびそれを使用した理論は, 企図に反して従来の「信念」や「欲求」による常識的な説明法-所謂「民間心理学」-を擁護し得ないものの, 常識的な説明法はそのような仕方で救済される必要はないというのが結論となる。
著者
中川 米造
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.6, no.3, pp.114-119, 1963 (Released:2009-09-04)
参考文献数
9
著者
中川 大
出版者
日本科学哲学会
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.36, no.2, pp.21-32, 2003-12-30 (Released:2009-05-29)

In this paper we intend to place the early Russell in the context of the refutation of idealism in the school of Meinong. We look into Mally's arguments against idealism, which have recourse to Russell's paradox, and Meinong's critique of them. Then we propose the hypothesis that the early Russell made up his thought in the Meinongian framework. From this point of view, we could point out that the origin of the paradox might be in the early Russell's criticism of Bradley's idealism. And Wittgenstein's resolution which could make Russell's theory of types dispensable might be compared to Mally's method of arguments which Meinong never adopts.
著者
中川 大
出版者
日本科学哲学会
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.34, no.1, pp.37-48, 2001-05-30 (Released:2009-05-29)
参考文献数
15
被引用文献数
1 1

Russell's theory of denoting in Principles (1903) was rejected by his theory of descriptions in "On Denoting" (1905). But the notion of denoting itself was not rejected. It is used even in Principia (1910). In this essay we shall determine what has been removed by the theory in "On Denoting", and what is preserved by it. In order to do so, we must investigate the early Russell's manuscripts, and grasp Russell's view of functions, which was framed out of the principles of dependent and independent variables, and the theory of denoting. Then we can solve the entanglement concerning the notion of denoting.
著者
服部 有里子 中川 悠樹
出版者
筑波技術大学学術・社会貢献推進委員会
雑誌
筑波技術大学テクノレポート (ISSN:24354856)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.19-23, 2020-12

交通事故死者削減・渋滞低減のため,自動運転・高度運転支援技術の開発が進められている。短い車間距離での自動運転隊列走行を実現するには,近接車間距離走行のための精密な車間距離制御が重要である。CACC(Cooperative Adaptive Cruise Control)は車車間通信により得られた前方車情報と車間距離を用いることで,前方車の加減速度変動を減衰伝搬するシステムであるが,車間距離制御においては単に自車が前方車との車間距離を維持するだけでなく,車群として安定した挙動となるように制御を行う必要がある。本研究では,車群の挙動を高精度で再現可能な車 両挙動モデルを構築し,高速域の車群に対する車間距離の変動と増幅について検証・評価した。シミュレーションにより検証した結果,車両10台の車群では一定の車間距離に収束しており,追突事故にならないことが分かった。ACCとCACCを比較すると,CACCの方が短い車間距離を維持しながら,安全な走行が可能である。CACCでは車群安定性が満たされており,前方車の車間距離変動が後続車に増幅伝搬していないことが分かった。交通流入量が多くない場合,CACCの方がACCより渋滞を緩和できると考えられ,CACCはサグ渋滞を改善できる可能性がある。
著者
中川 丈久
出版者
日本法哲学会
雑誌
法哲学年報 (ISSN:03872890)
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.42-57,199, 2006-10-30 (Released:2010-02-15)
参考文献数
15

The author first discusses why Japanese scholars in administrative law have seldom been attracted to the term “rule of law” despite frequent use of the concept in constitutional law, philosophy of law, and political theory. Out of four possible meanings of the rule of law (1) “supremacy of law, ” (2) “prior use of very formal procedures” (either law-making in the assembly or adjudication in the court of law), (3) “substantive adequacy of law” (including guarantee of human rights), and (4) “separation of functions” (rule-maker/rule-enforcer and prosecutor/adjudicator), the Japanese adminis-trative law theories have exclusively focused on the “supremacy of law” and the “prior use of very formal procedures” (but only the assembly version, which is commonly referred to as “doctrine of statutory reservation” meaning that prior statutory authorization of administrative activies is required). The author argues that the rule of law as conceptualized in Japanese public law does not include, as far as administrative process is concerned, the court of law version of the “prior use of very formal procedures” nor the “separation of functions”. He also notes that administrative law scholars do not necessarily discuss “substantive adequacy of law” simply because that is for constitutional law theories. He then discusses the importance for the Japanese administrative law to pay more attention to the court of law version rather than the assembly version of the “prior use of very formal procedures”. Though the traditional administrative law theories have focused on the assembly version, i.e., the doctrine of statutory reservation, it has become clear that in the administrative state, the failure of the assembly version is almost destined. In an effort to keep the current administrative state within the rule of law, he argues, the Japanese public law theories should reengineer its concept of the rule of law, and reform its understanding of judicial courts' role in controlling the administrative state under a new version of “rule of law.” From this standpoint, the author discusses implications of the 1994 amendment of the Adminis-trative Case Litigation Law to the remodeling of the rule of law. He points out the two “messages” of the amendment which encourage expansion of both standing to sue and use of Tojisya (regular) suits.
著者
中川 孝博
出版者
日本刑法学会
雑誌
刑法雑誌 (ISSN:00220191)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, pp.510-515, 2013-05-01 (Released:2020-11-05)
著者
中川 孝博
出版者
日本刑法学会
雑誌
刑法雑誌 (ISSN:00220191)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.477-482, 2011-03-10 (Released:2020-11-05)
著者
中川 正
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.139-155, 1990-12-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
33
被引用文献数
1 2

本稿は,超有機体的文化が文化景観を形成するとする従来の全体論的な理論の反省から,演繹的な景観解釈モデルを構築し,それを合衆国ルイジアナ州における墓地景観の解釈に適用したものである。まず,究極的には個人のみが墓地景観を形成する営力になりうるとの前提から,人間の行為のモデルを構築した。このモデルによると,文化は人間を支配する実体として捉えられるのではなく,個々の人間が自分の意志に基づいて行う集団へのアイデンティティの表現とみなされ,その文化は集団間の比較のみによって発見される。各々の個人が表現するアイデンティティの対象は様々であるので,文化はいわゆる文化地域間の比較からのみではなく,宗教,人種都市・農村など様々な集団の比較によって発見されうる。本稿では,その中から (1) 北ルイジアナと南ルイジアナ, (2) カトリックとプロテスタントという2対の集団の墓地景観を比較することによって,それぞれの文化を発見することを試みた。層別抽出法によって抽出された236の墓地の実地調査と,その後の分析・統合の結果,本稿で構築したモデルが,従来の超有機体的理論と比較して,分布の説明,体系的な叙述,地域区分,集団の特性の理解などの文化地理学の目的追究のうえで,より効果的であることが示された。
著者
中川 聡史
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.34-47, 1990-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
18
被引用文献数
1 3

本研究は東京大都市圏における5歳毎の年齢別居住パターンの特徴とその近年の変化を記述し,それらを人口移動に関連づけて説明することを目的とした。分析手法として多変量解析を用いずコーホート分析を利用し,以下の諸点を明らかにした。 5歳毎の14の年齢階級の居住パターンを1960年から1985年まで検討すると,大半が同心円的であり,一般に0~14歳と30~44歳は大都市圏内の外圏において相対的に高い構成比率を示し, 15~29歳と45歳以上は内圏で構成比率が高くなる。 1980年以降はこの傾向に多少変化が見られ, 15~19歳と45~49歳はむしろ外圏で, 30~34歳は内圏で高い構成比率を示すようになった。 2) 東京大都市圏をめぐる人口移動の主要な流れとして,大都市圏外から大都市圏の内圏への10歳代後半から20歳代前半の若者の移動と,大都市圏の内圏から外圏への20歳代後半から30歳代とその子供たちの家族の移動の2つが見いだせた。これらの2つの人口移動が前述の基本的な年齢別居住パターンの傾向を形成している。 3) 応用的なコーホート分析の結果,東京大都市圏では近年,若者全体に占める圏内育ち者の構成比率が急速に上昇していることが明らかになった。その要因として,圏外からの若者の流入数の減少とともに, 1950年代, 60年代に東京大都市圏に大量に流入した人々の子供にあたる世代が1980年頃から10歳代後半に達し始めたことが挙げられる。圏内育ちの若者の近年の居住パターンは,彼らの親世代の郊外への移動を反映して,外圏で高い比率を示す。こうした郊外の成熟が1980年以降にみられる年齢別居住パターンの変化を引き起こしていると考えられ,年齢別のセグリゲーションは少なくとも東京大都市圏の内圏・外圏というレベルでは,今後弱まっていくと予想できる。
著者
高橋 英紀 中川 清隆 山川 修治 田中 夕美子 前田 則 〓 永路 謝 羅乃 曽 平
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.179-191, 1989-12-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
16
被引用文献数
2 2

中国海南島の北部にゴムの木のプランテーションが展開されている農場(林段)があるが,そこで1986年4月から1989年3月までの3年間に観測されたデータを基に,微気象特性を調べた。粗度,地面修正量,ゴム林のキャノピーを通過する放射透過率など空気力学的パラメーターは,落葉前後で明らかに異なる。キャノピー上の短波放射のアルベードは,冬季には10%であるが,夏季と秋季には16%になる。落葉後,キャノピー上の顕熱フラックスが増加すると,潜熱フラヅクスは急激に減少する。林床上における顕熱フラックスは1日を通して非常に小さい。また,夜間には,負の正味放射による熱の損失があるが,それは地熱フラックスにより補償されることなどが明らかとなった。
著者
鈴木 俊光 中川 清晴
出版者
公益社団法人 石油学会
雑誌
Journal of the Japan Petroleum Institute (ISSN:13468804)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.66-79, 2011-03-01
参考文献数
44
被引用文献数
6

世界で最初に,ダイヤモンド微粒子を触媒担体に用いるいくつかの触媒反応を行った。ダイヤモンドは長年安定な物質と考えられていたが,その表面は水素や酸素と反応し,C–H結合や,C–O–C,C=O結合などが最表面に生成することが知られるようになった。我々は,酸素で表面処理したダイヤモンド(酸化ダイヤ,以下O-Diaと呼ぶ)を触媒担体に用いて,金属酸化物,金属を担持した触媒を調製し,次の反応にO-Dia担持触媒が高い活性を示すことを見出した。本論文では以下の反応に関する著者等の研究をまとめた。(1)酸化クロム/O-Dia触媒によるエタン,プロパンなどのアルカンの脱水素反応,(2)酸化バナジウム/O-Dia触媒によるエチルベンゼンの脱水素反応,(3)メタン,エタンの酸化バナジウム/O-Dia触媒上での二酸化炭素を酸化剤とする酸化反応によるアルデヒド生成反応,(4)Ni/O-Dia,Co/O-Diaを用いたメタンの部分酸化による合成ガス生成反応,(5)NiまたはPd/O-Dia触媒上でのカーボンナノフィラメント生成反応,(6)Ru/O-Dia触媒によるアンモニア合成反応。