著者
中村 隆之
出版者
日本フランス語フランス文学会
雑誌
フランス語フランス文学研究 (ISSN:04254929)
巻号頁・発行日
no.85, pp.318-332, 2005-03-01

Comment ecrire l'histoire des Antilles? C'est pour Edouard Glissant, ecrivain contemporain d'origine martiniquaise, la question fondamentale. L'histoire antillaise, selon lui, n'a pas a etre erite par les seuls historiens, elle doit aussi etre exprimee par les exrivains. C'est ainsi que ses romans retracent l'histoire des Antilles a partir du cas martiniquais. Le but de cette etude sera d'eclaircir l'intention litteraire de cet ecrivain a partir d'une lecture attentive de son texte intitule ≪la querelle avec l'Histoire≫ (dans Le Discours antillais), qui revet une importance capitale pour qui veut saisir sa vision de l'histoire. Glissant qualifie l'histoire antillaise de ≪non-histoire≫. Ce theme designe la negativite de l'histoire antillaise induite par la mondialisation de la notion d'≪Histoire≫ nee en Occident, Laquelle presuppose un developpement lineaire de la conscience collective dans une communaute. Or la conscience du peuple antillais a ete a tel point fragmentee sous le colonialisme qu'elle n'a pu se former d'une maniere progressive. Le passe perdu de l'archipel ne lui permet pas de beneficier d'une conscience continue. Ce qui expliuque que l'ecrivain se voit contraint d'exprimer le passe virtuel des Antilles sous un mode ≪prophetique≫. Cette notion de ≪vision prophetiue du passe≫ chez Glissant se donne pour tache d'ecrire la ≪non-histoire≫. La methode positive de l'historien vise a prouver l'existence des evenements passes. En revance, celle de Glissant consiste en une idee poetique destinee non pas a constater les ≪faits≫, mais a imaginer les puissances en latence dans le passe rature de la memoire collective du peuple antillais. C'est pourquoi l'ecrivain doit etre ≪historien poetique≫. Ecrire la ≪non-histoire≫ se voue donc a l'elaboration du recit communautaire. Mais une telle tentative ne peut que se departir d'un desir de nationalisme, pour s'elever tel un chant ouvert au monde.
著者
中村 隆志
出版者
情報文化学会
雑誌
情報文化学会誌 (ISSN:13406531)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.31-38, 2007-09-15
被引用文献数
4

本研究は「ケータイのディスプレイを見る」という日常の当たり前となった行為に注目し,その使用場面と役割について考察する。ケータイは,外出先に携帯して行く通信機という役割と同時に,個人専用の通信回線という役割を併せ持つことから,家庭内を含め,多くの場所で使用されている。人々は様々な場面において,着信がないにも関わらず,自発的にふとケータイのディスプレイを見たくなる場合がある。この行為を理解するため,大学生に2つのアンケート調査を行った。1つめはディスプレイを見たくなる場面を自由記述で,もう一つはいくつかの場面ごとに使用したくなる欲求の強さを量的に回答してもらった。前者のアンケートからは,多くの場面で様々な使用法がされていること,使用者は自らの心証や態度をケータイを通してアピールする場合があること,後者からは,使用者は居合わせた他人との距離・視線・性差などの要因に影響されてケータイを使用していることが示唆された。これらの結果は,現実空間において「ケータイのディスプレイを見る」という行為が,新しい非言語コミュニケーションとして浸透してきていることを推察させるものである。
著者
今田 元 鈴木 堅二 中村 隆一
出版者
社団法人日本リハビリテーション医学会
雑誌
リハビリテーション医学 : 日本リハビリテーション医学会誌 (ISSN:0034351X)
巻号頁・発行日
vol.28, no.6, pp.491-494, 1991-06-18
被引用文献数
20

健常者と脳卒中片麻癖患者の男性各12名を対象として,AFOの有無,各自好みおよび最大の歩行速度の組み合わせによる4条件下で3分間歩行時のPCIを測定した.4条件とも患者のPCIは健常者に比べ有意に大きかった.AFO装着により,患者のPCIは減少,健常者は増加した.患者の歩行速度はAFO装着で増加したが,健常考は変化がなかった.最大歩行速度の遅い患者ではAFO装着によるPCIの減少が大きく,歩行速度が正常値に近づくと,その効果は減少した.AFOの効果は,最大歩行速度よりもPCIに鋭敏に反映する.
著者
鈴木 堅二 中村 隆一 山田 嘉明 工藤 浩一 宮 秀哉 半田 健壽 若山 由香利
出版者
社団法人日本リハビリテーション医学会
雑誌
リハビリテーション医学 : 日本リハビリテーション医学会誌 (ISSN:0034351X)
巻号頁・発行日
vol.31, no.5, pp.339-345, 1994-05-18
被引用文献数
20

脳卒中発症後6ヵ月以内の男性脳卒中片麻痺患者54例(年齢:28〜81歳)を対象として,8週間以上のCAGTプログラムによる歩行訓練を行い,毎週1回最大歩行速度を測定した.対象者を訓練開始時の最大歩行速度により,遅い群(18例,9.9±2.8m/min),中間群(18例,37.3±12.9m/min),速い群(18例,78.4±15.2m/min)に分けた.各群の訓練開始時と8週後の最大歩行速度,両足圧中心移動距離,前後および左右方向への随意的重心移動距離,患側および非患側の等運動性膝伸展筋力を比較し,これらの変数間の関連を検討した.逐次重回帰分析により歩行訓練開始時および8週問後における最大歩行速度の決定因を求めると,開始時に遅い群では年齢,中問群では前後方向重心移動距離比(対足長)であり,速い群では有意な変数はなかった.8週後には決定因は3群とも患側膝伸展筋力だけとなった.脳卒中片麻痺患者の最大歩行速度はこれらの生体力学的要因だけでなく,訓練期間や日常生活における歩行経験の有無によっても影響されることが示唆された.
著者
赤尾剛 中村 隆志 丸山 剛郎 高橋 純造 荘村 泰治 木村 博
出版者
一般社団法人日本歯科理工学会
雑誌
歯材器 (ISSN:02865858)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.685-691, 1992
被引用文献数
4

ラミネートベニア修復物の仕上りは, 一連の複雑な工程や技工士の熟練度によって影響を受ける.この問題点の解決法のひとつとして, コンピュータ技術を応用したラミネートベニア修復用CAD/CAMシステムの開発を試みた.その第一段階として, レーザ変位計とコンピュータ制御3軸走査モデリングマシンCAMM-3を組合せた歯牙模型形状自動計測システムを開発し, その計測精度を検討した.その結果, 模型の色調を灰色に決定にし, レーザ変位計と模型表面の距離を常に一定に保ちながら走査する追随式計測法をとることによって, 最も精度良く計測することができようになった.このシステムを使用して, 上顎前歯模型表面の形状を計測し, 精度の高い三次元形状データを得ることができた.
著者
中村 隆志
出版者
情報文化学会
雑誌
情報文化学会誌 (ISSN:13406531)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.12-19, 2008-08-01
被引用文献数
3

「ケータイのディスプレイを見る行為」は,ケータイが本来持っている通信機能を越えて,現実空間での非言語的コミュニケーションに様々な役割を果たしている。この役割をさらに明らかにするため,大学生にアンケート調査を行った。公共空間において,連絡すべき用件があるわけでも,着信があるわけでも,すぐに見たいコンテンツがあるわけでもないのに,ケータイを取り出したくなるような経験を思い出してもらい,その理由を尋ねた。得られた回答り,「ケータイのディスプレイを見る行為」は,従来から存在する小物と同じようにケータイを利用する場合と,「誰かとつながっていること」を演出する狙いでケータイを使用する場合との,大きく2通りに分けられた。もうひとつの調査では,公共空間でのケータイあるいは他の小物の利用意向を尋ねた。その結果,被験者は,「誰かとつながっていること」を周囲にアピールする必要性が相対的に高い状況において,ケータイを取り出して操作する傾向にあった。この使用法は,ユーザが多重文脈性を「まとう」かのようにケータイを利用することがあると解釈可能であり,現代の対面的コミュニケーションに影響を与えていると考えられる。
著者
中村 隆
出版者
東京理科大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2009

種々のゼータ関数に対して、普遍性、混合普遍性、自己近似性に関する研究を行った。
著者
中村 隆文
出版者
THE JAPAN ASSOCIATION OF LEGAL PHILOSOPHY
雑誌
法哲学年報 (ISSN:03872890)
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.229-242,258, 2007

Locke's theory as a contractarian has a great influence on the debates about social justice between "liberalism" and "libertarianism" yet. Even have many differences of opinions in those, they almost depend on the "natural law" and "natural right" elaborated by Locke when he tried to defend the "liberty" against an authority of the king. This reason is that they believe Locke's natural jurisprudence and ideas of "liberty" and "right" are set in the Declaration of Independence. It's nothing to be surprised at this, so now I intend not to doubt this fact, and that, not to convict their debates as pointless.<br> I suggest that "liberty", "right" and "justice" can be also defended philosophically by a school of thought in the eighteenth century other than Locke's, no matter how we estimate his influence on the then America. Directly and frankly professing, I regard the Scottish Enlightenment as functioning that role in the century, and its significance has still lived under the debate about the idea of social justice.<br> I place a special emphasis on the point that Scottish thinkers, especially David Hume and Adam Smith, had defended the America outside the theory of contractarianism involved with liberalism and Libertarianism. It shows that "justice" intrinsically exists in a relationship, in other words "convention" and it can not be discovered in the contractual lawmaking way but in the judiciary way reflecting sense of justice, or moral sense, because law of justice will be expanding over the domain of human rationality of economical worldview.
著者
伊東 元 橋詰 謙 齋藤 宏 中村 隆一
出版者
社団法人日本リハビリテーション医学会
雑誌
リハビリテーション医学 : 日本リハビリテーション医学会誌 (ISSN:0034351X)
巻号頁・発行日
vol.22, no.3, pp.164-165, 1985-05-18
被引用文献数
15

健常男性20名に最大速度で歩行を行わせ, 速度, 歩幅, 歩行率と大腿四頭筋の最大等尺性収縮トルク(MVC)および Moter time(MT, 急速膝伸展時の筋活動開始から運動開始まどの潜時)との連関を検討した.速度の有意な決定因は体重, MVCで, 体重が軽くMVCが大きいと速度が速かった.速度は歩幅, 歩行率と正の相関を示すが, 歩幅と歩行率との間には負の相関があった.この歩幅と歩行率の両者にとって有意な決定因はMTで, MTが短いと歩幅は大きくなり, MTが長いと歩行率は大きくなった.
著者
中村 隆文
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.29-40, 2004-10-01

ヒュームは因果関係を批判し、さらに人格の同一性も虚構的なものとして批判したことから、その思想は、デカルト以来疑われることのなかった「明晰な私」さえも否定する懐疑主義としてみなされてきた。事実、彼はその著作『人間本性論』において、実体を主張する二元論が根拠のない通俗的な説であると明言し、その論駁を主な目的としている。だが、私は、そうした動機、およびその議論の方法が懐疑主義的なものであるとも、あるいは、結論としてヒュームが懐疑主義者であるとも解釈されないものであると考えている。しかし、だからといって、ヒューム思想の本質が実際には彼自身が否定した二元論に拠っているということでもない。経験論は通常、知覚の中断にも関わらず、時間的経過における主体の在り方は不変的で同一的であるような主体実在論的立場にある。ヒュームは人格の同一性を批判しているものの、ヒューム思想全般の理論的背景として、そのような主体実在論的な経験主義、あるいは彼が否定するところの、主体の実在性を認めるような二元論を採っているとする解釈も少なくない。この論文における目論見としては、人格の同一性分析におけるヒュームの反主体実在論的立場が、因果分析を可能にしているヒュームの経験論と理論的に矛盾しないことを示し、ヒューム思想というものが、二元論あるいは主体実在論とは異なる形で主体の拡がりを示していることを明らかにしてゆくことにある。ヒュームの『人間本性論』における因果分析、人格の同一性分析を通しつつこれらのことを検証し、二元論的主体をどのような意味において否定しているのか、そして、主体というものがどのような位置付けをされているのかを考察してゆきたい。
著者
伊東 元 長崎 浩 丸山 仁司 橋詰 謙 中村 隆一
出版者
公益社団法人日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学 (ISSN:02893770)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.123-125, 1990-03-10
被引用文献数
17

健常老年男性15名 (64-84歳) に最大速度で歩行を行わせ, 速度・歩幅・歩行率と重心動揺距離との関係を検討した。歩行速度の有意な決定因は重心動揺距離であり, 重心動揺距離が小さいと速度が速かった。歩行率の決定因は重心動揺距離であり, 重心動揺距離が大きいと歩行率が小さかった。歩幅に対しては有意な決定因はなかった。
著者
中村 隆志 大江 ひろ子
出版者
情報文化学会
雑誌
情報文化学会誌 (ISSN:13406531)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.11-18, 2010-09-07
被引用文献数
1

「ケータイのディスプレイを"見せる"行為」を非言語コミュニケーションと捉えて,そのコミュニケーションの実態を調査した。アンケートの結果から,ケータイのディスプレイを見せる側,すなわち「送り手」は,同じコンテンツを共に楽しんで,その評価を「受け手」と共感したいという意向を持っていること,その一方で,ディスプレイを見せられる「受け手」の方は,相手の接近的な意向を酌み取っていることが示された。この結果は,「送り手」と「受け手」の間には,その対面的相互作用において,意味の食い違いが起こりやすいことを示唆する。また,調査結果は,「ケータイのディスプレイを"見せる"行為」と「ケータイのディスプレイを"見る"行為」は互いに影響下にあることを示した。その受け入れられやすさという点では,両者は相補的な関係にあり,秘匿性という点では,両者は相乗的な関係になりうることを指摘した。本稿では,「ケータイのディスプレイを"見せる"行為」を非言語コミュニケーションとして理解することの必要性を主張する。
著者
中村 隆 原 英一
出版者
山形大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

ディケンズの後期の小説と1860年代のセンセーション・ノヴェルの相互の影響関係は、従来考えられていたよりもはるかに密接である。主題に関する幾つかの局面を検証することにより、これら相互の影響関係は明白となる。それは以下のように記述できる。1.物語のヒーローよりもむしろヒロインが中心的な位置を占める。2.ヒロインは重婚、不倫などの性的な逸脱を犯す。3.ヒロインは、夫殺し、放火、毒殺などの犯罪を犯す。4.ヒロインに酷似したもう一人の女性が登場し、二重人格の主題が形成される。5.二人の女性のアイデンティティが混同され、「幽霊」の主題が形成される。6.ヒロインの犯罪・秘密を暴くものとして男性の「探偵」が登場する。7.男性の探偵は、ヒロインの秘密を暴き、ヒロインの破滅を目論む。このような一般的法則に近接するディケンズのセンセーション・ノヴェル的作品として、『ドンビー父子』、『ディヴィッド・コパフィールド』、『荒涼館』、『辛い時代』があり、同様にまたウッド夫人とメアリー・ブラッドンの幾つかの作品(『イースト・リン』、『ハリバートン夫人の難題』、『アシュリダットの影』、『オードリー夫人の秘密』、『医師の妻』、『ジョン・マーチモンの遺産』など)も上記の条件を満たすことが明らかにされた。ディケンズの作品とセンセーション・ノヴェルの密接な関係を示すさらなる証拠として1869年から70年にかけて、ディケンズによってなされた「サイクスとナンシー」の公開朗読がある。そこでは、センセーション・ノヴェルに通底する「夫殺し」と「幽霊」の主題が、娼婦ナンシーを通して前景化する。
著者
佐直 信彦 中村 隆一
出版者
社団法人日本リハビリテーション医学会
雑誌
リハビリテーション医学 : 日本リハビリテーション医学会誌 (ISSN:0034351X)
巻号頁・発行日
vol.30, no.6, pp.399-403, 1993-06-18
被引用文献数
18

歩行可能な脳卒中片麻痺患者50症例を対象として,10m距離の最大歩行速度,立位時の両足圧中心累積移動距離(SP),両膝伸展・屈曲の等速性筋力を測定し,年齢や性などの個人情報および神経学的所見との関連を検討した.重回帰分析の結果では,最大歩行速度の決定因は患側膝伸展カとSPであり,筋力が低く,SPが大きいほど歩行速度は遅かった.SPの決定因は開眼時では患側膝伸展力,発症からの期間,体重,門限時では患側膝伸展力,感覚障害,年齢であった.脳卒中後,立位バランス保持の感覚運動機能は視覚系への依存が高まり,その再統合にはかなりの時間を要する.