著者
小田 康徳 原田 敬一 赤澤 史朗 佐久間 貴士 原田 敬一 赤澤 史朗 佐久間 貴士 大谷 栄一
出版者
大阪電気通信大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010

大阪市天王寺区内所在の旧真田山陸軍墓地内納骨堂に合葬される骨壺等1件ずつについて、納骨堂内の所在場所、戦没者氏名、所属部隊、階級、戦没地、戦没年月日、本籍地、現住所、遺族、遺骨の有無、同梱物などに分類してデータ化を進め、その結果、件数は8249件、実際の合葬者数は8230人前後という事実が判明した。なかでも戦局が絶望的となった1944年、45年には急増する戦没者(大阪府だけで約9万7千人と推測)のうち、わずかに1303人分の合葬しか実現できていないこと、しかもそのうち約7割が遺骨なしの状況であることを解明した。
著者
吉永 進一 安藤 礼二 岩田 真美 大澤 広嗣 大谷 栄一 岡田 正彦 高橋 原 星野 靖二 守屋 友江 碧海 寿広 江島 尚俊
出版者
舞鶴工業高等専門学校
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

本研究では、仏教清徒同志会(新仏教徒同志会)とその機関誌『新佛教』に関して、基礎的な伝記資料を収集しつつ、多方面からモノグラフ研究を進めた。それにより、新仏教運動につながる進歩的仏教者の系譜を明らかにし、出版物、ラジオ、演説に依存する宗教運動という性格を分析した。新仏教とその周辺の仏教者によって、仏教の国際化がどう担われていたか、欧米のみならず他のアジア諸国との関係についても論証した。
著者
大谷 栄一
出版者
関東社会学会
雑誌
年報社会学論集 (ISSN:09194363)
巻号頁・発行日
vol.1995, no.8, pp.167-178, 1995-06-05 (Released:2010-04-21)
参考文献数
46

This paper examines, from a sociological point of view, the religious movements in modern Japan—in particular, the Buddhist movements which proposed to make this world a utopia by the unity of religion and politics.The focus is placed upon the movement started by Tanaka Tigaku (1861-1939) who, before the Second World War, organized the Kokuchukai Society. His movement aimed to unify Japan and the rest of the world by the unity of religion and politics (Houkokumyogo). The movement is, here, defined as “the Nichiren-ist movement of the original theory of national polity” based on his original “theory of national polity of Nichiren-ism”. The special note of this movement is taken to the period of the 1900's to the 1920's.
著者
大谷 栄一
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.24-45, 1996-06-15 (Released:2017-07-18)

近代日本の法華・日蓮系の仏教運動を担うた「日蓮主義者」の一人、顕本法華宗(日蓮宗の一宗派)の本多日生(1867-1931)の研究はきわめて少こない。本多日生は、第二次世界大戦前の日本社会において、国柱会の田中智学(1861-1939)と並んで活発な「日蓮主義運動」を展開し、知識人や軍人・政治家・教育者・資本家を中心とする社会層に広範な影響力を誇った。本論考は、この日生の運動を事例として、近代日本の宗教運動の社会学的分析を行なう。とくに日生の運動において重要な位置を占めていた1910〜1920年代の社会教化活動に焦点を当て、その活動の意味を当時の歴史的・社会的文脈に即して検討することで、日生の「日蓮主義運動」の運動論的特質の一端を析出したい。また日生の「日蓮主義」は、社会思想としての性格をもっており、社会に対する宗教の応答(あるいは宗教の社会性)の検討が、本論考のもう一つのテーマである。
著者
大谷 栄一
出版者
佛教大学
雑誌
社会学部論集 (ISSN:09189424)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.1-22, 2012-03-01

戦後京都の宗教者平和運動は,1950年4月に結成された宗教人懇談会と1954年5月に設立された京都仏教徒会議の活動によって本格的に生起した。両団体は1954年3月の第五福竜丸事件を契機とする原水爆禁止運動に呼応し,京都の原水爆禁止運動の一翼を担いながら,運動を展開した。運動の担い手は仏教教団の指導者や大学関係者(教員・学生)が多く,この点は,各宗派の本山や多くの宗門系大学を抱える京都ならではの特徴であろう。1950年代を通じて,京都の仏教者・仏教系知識人たちは全面講和運動や原水禁運動に積極的に関わり,京都の労働組合や平和団体,地域組織との連携を通じて活動することで,戦後京都の秩序形成や府民たちの「平和」認識に対する一定の公共的役割をはたしたと評価できるのではないか。
著者
稲場 圭信 櫻井 義秀 大谷 栄一 濱田 陽 ランジャナ ムコパディヤーヤ
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

本研究は、海外との比較により、ソーシャル・キャピタルとして日本の宗教が担う社会的な役割の特徴を明らかにした。3割以下と宗教人口の少ない日本においても宗教の社会貢献活動が活発化している。その内容は、災害時救援活動、発展途上国支援活動、平和運動、環境への取り組み、地域での奉仕活動、医療・福祉活動、教育・文化振興など非常に多岐にわたり、日本の宗教がソーシャル・キャピタルとして機能する可能性が示唆された。