著者
小林 紀子 森岡 幹夫 小宮山 鉄兵 伊藤 豊彰 三枝 正彦
出版者
一般社団法人 廃棄物資源循環学会
雑誌
廃棄物学会論文誌 (ISSN:18831648)
巻号頁・発行日
vol.19, no.2, pp.150-154, 2008 (Released:2009-03-03)
参考文献数
18
被引用文献数
3 3

山形県の農家および堆肥製造センターでつくられた家畜ふん堆肥87点 (牛ふん堆肥77点,豚ぷん堆肥6点,鶏ふん堆肥4点) のケイ素含量とその簡易推定法を検討した。1) 牛ふん堆肥のケイ素含量は,12.1~307.8g kg−1乾物 (以下DW),平均が95.4g kg−1DWであった。豚ぷん堆肥のケイ素含量は,9.5~79.6g kg−1DWで平均34.1g kg−1DW,鶏ふん堆肥のケイ素含量は,2.4~36.1g kg−1DWで平均16.8g kg−1DWであった。2) 牛ふん堆肥の炭素含量 (x) とケイ素含量 (y) の間には,y = −0.75x + 354 (r = −0.904) で両者の間に0.1%で有意な負の関係が得られた。また,牛ふん堆肥の灰分含量 (x) とケイ素含量 (y) の間においても,y = 0.44x −39.8(r = 0.970) で0.1%で有意な正の関係が得られた。よって,敷料や副資材に籾殻,わら類,もどし堆肥が使用されている牛ふん堆肥のケイ素含量は,炭素や灰分含量から推定することができると考えられた。
著者
牟田 昌平 小林 昭夫
出版者
国立研究開発法人 科学技術振興機構
雑誌
情報管理 (ISSN:00217298)
巻号頁・発行日
vol.45, no.7, pp.477-483, 2002
被引用文献数
1

アジア歴史資料センターは,2001年11月30日,独立行政法人国立公文書館の組織として開設された。アジア近隣諸国との相互理解促進のために,政府が所蔵する戦前の公文書から,アジア諸国との関係資料をインターネットで「いつでも」「どこでも」「だれもが」「無料」で検索し画像データとして利用できる本格的なデジタルアーカイブである。閣議決定から開設まで2年間,最新の技術動向を踏まえながらも,できるかぎり既存の確立した技術を応用し,手書き文書も含めた文字情報の内容検索と閲覧,印刷,画像データダウンロードに機能を集中した情報提供システムである。本論では,センターの情報提供システムの特長と言える最新の画像圧縮技術を導入した画像提供システム,歴史用語と英語に対応する専門辞書,検索情報を充実させるための原文情報や英文検索対応の目録システムを中心に紹介する。
著者
四衢 深 小林 隆史 石井 儀光 大澤 義明
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.1483-1489, 2019-10-25 (Released:2019-11-06)
参考文献数
19

日本国内の仏教寺院数は7万を超え,極めてありふれた施設である.しかし,地方を中心に寺院を支えてきた檀家数が減少し,かつ葬儀形態の変容によって,寺院経営は困難な状況となっており,ストックの未利用化すら進行している.本研究の目的は,僧侶による檀家の見守り機能と,寺院を地域の拠点として利用することによって,寺院維持とストック活用を検討することである.先ず,僧侶による檀家の見守りサービスについて,岐阜県の不遠寺を事例に分析した.寺院と檀家の距離は年々増加しているものの,寺院と同一市内の檀家については概ね2km以下の距離となっていること.また,1日あたり3,4軒程度の檀家を巡回して読経を行っており,移動時間を含めて概ね午前中には巡回が終了することより,僧侶にとって過大な負担とはならずに,僧侶による見守り機能が実現可能であることを示した.次に,寺院の地域拠点化について,埼玉県において,面積と施設のジニ係数,及び施設と人口との距離分布の分析を行った.面積あたりで寺院が小学校やコンビニエンスストアよりも均一に分布していること,宗派による協力で小さくなる距離分布を数量的に表し,地域拠点としての活用可能性を示した.
著者
小林 宏光 佐藤 方彦
出版者
Japan Society of Physiological Anthropology
雑誌
The Annals of physiological anthropology (ISSN:02878429)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.45-49, 1992-01-01 (Released:2008-02-08)
参考文献数
7
被引用文献数
38 53

The present study was desigend to examine the effects of illuminance and color tempera-ture of room lighting. Four male students volunteered as subjects. Each of them performed a calculation task for 95 minutes under nine different lighting environments consisting of a combination of three levels of illuminance (320lx, 1000lx and 2000lx) and three levels of color temperature (3000°K, 5000°K and 7500°K). Three types of fluorescent lamps were used as a light source to vary the color temperature. Blood pr.essure, critical flicker frequency (CFF) and accommodation time of eye movements were measured every 30 minutes during the task. The accommodation time was significantly influenced by the illuminance level and both the relaxation time and contraction time were prolonged under 2000lx. The diastolic blood pressure was significantly affected by the color temperature level and increased under 7500°K. As for the CFF, the interaction between illuminance and color temperature was significant. These results mean that not only the illuminance but also color temperature produces physio-logical effects. The present study may be the first to recognize the effect of color temperature on the blood pressure
著者
小林 茂
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.33-44, 1977-09-30 (Released:2017-05-19)
著者
杉本 奈那 鈴木 結花 岩﨑 潤子 小林 泰子
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集 68回大会(2016)
巻号頁・発行日
pp.97, 2016 (Released:2016-08-04)

【目的】 藍染め布は、古くから衣服に使用され、消臭、細菌増殖抑制、虫除け等の効果もあるという。本研究では、衣服として必要な消費性能から、数種の物性と染色堅ろう性、消臭性、抗菌性を選び、検討を行った。【実験方法】 試料布は綿と麻ブロード、染料はインド藍液(田中直染料店)を用い、1回染めと5回染めにより、染色布を調製した。JIS法に基づき、物性は、引張り強度と引裂き強度試験、染色堅ろう度は、摩擦と耐光試験、その他機能性は、検知管法による消臭性とフードスタンプ法による抗菌性試験を行った。【結果と考察】 引裂き強度は、綿では1回染め布で20%、5回染め布で50%、麻では約2~3倍に増加した。摩擦堅ろう度は、5回染めにより乾燥試験のたて方向で4級から3級に減少した。湿潤試験では、1回染めと5回染めで変化はなく、3級だった。濃色化により色落ちが目立った。耐光試験では、濃色化により堅ろう性は増加した。アンモニアに対する消臭性は、藍染め布には認められなかったが、銅媒染により発現した。抗菌性は、未処理布に比較し、染色を重ねることによりコロニー数が減少した。これら結果より、物性、抗菌性では、十分な消費性能が得られ、消臭性も媒染を加えることにより期待できることがわかった。今後は、より染色堅ろう性の高い染色布の調製を行い、紫外線遮蔽性、数種の細菌を用いた抗菌性についても検討を行う。
著者
小林 宏明
出版者
大阪大学大学院 大阪大学・金沢大学・浜松医科大学・千葉大学・福井大学連合小児発達学研究科
雑誌
子どものこころと脳の発達 (ISSN:21851417)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.48-54, 2020 (Released:2020-09-24)
参考文献数
24

近年,発達性吃音のある学齢児の指導(訓練)・支援方法として,子ども一人ひとりの吃音の言語症状,心理症状,周囲の環境などの要因に応じた指導・支援を行う多面的包括的アプローチが支持されている.そこで,本稿では,まず,吃音の症状,出現率,原因論及び,吃音のある学齢児が抱える困難と,多面的包括的アプローチを中心とした学齢期吃音の指導法に関する国内外の動向を概説した.そして,これらを踏まえた筆者の実践である,ことばの教室での実践を想定した「ICF(国際生活機能分類)に基づいた学齢期吃音のアセスメントプログラム」,アセスメント及び指導・支援の効果検証に用いる評価ツールである「吃音のある学齢児の学校生活における活動・環境質問紙」,小中学校における教員の吃音の理解と配慮・支援の普及を意図した「子どもの吃音サポートガイド」の概要と今後の課題を述べた.
著者
小林 幹男
出版者
長野女子短期大学出版会
雑誌
長野女子短期大学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.8, pp.57-76, 2000-12-20

蘇我氏の系譜は、『古事記』の孝元天皇、あるいはその孫にあたる武内宿禰を祖とする説、『上宮聖徳法王帝説』などの石河宿禰を祖とする説、あるいは満智を祖とし、満智が百済の木満致と同一人物であるとする説などがある。その本居地についても、大和国高市郡の蘇我の地、大和国葛城地方、河内国石川地方とする説がある。『日本書紀』の記事によると、百済・新羅・高句麗からの氏族の渡来、および仏教をはじめとする多く文化や技術を受容したのは、応神天皇から推古天皇の時代に目立って多い。この時期は、中国や朝鮮半島の諸国が、互いに抗争を繰り返した激動の時代であり、わが国も中国や半島諸国と通交して、積極的な外交政策を展開した時期である。その前段の時代、すなわち応神天皇から雄略天皇の時代は、中国の史書『宋書』などに記されている「倭の五王」の時代と対応する年代であり、欽明天皇から推古天皇の時代は、蘇我氏が渡来系氏族を配下において、大陸文化の受容と普及に努め、開明的な屯倉経営を推進して農民の名籍編成などを行い、積極的に農業生産力の増強を図って中央政界をリードした時期である。蘇我馬子が建立した飛鳥寺は、高句麗方式の伽藍配置を採用し、北魏様式の飛鳥大仏を造り、百済から渡来した僧侶や技術指導者たちを動員して完成した。蘇我氏の開明的性格を如実に物語る歴史的事実である。4~7世紀のわが国古代の文化は、「倭の五王」などの渉外関係史、蘇我氏と渡来系氏族の研究を基礎にしてこそ、その歴史の真実に迫ることができるものと考える。
著者
小清水 直樹 井上 裕介 伊藤 靖弘 岩嶋 大介 菅沼 秀基 小林 淳 朝田 和博 須田 隆文 千田 金吾 田井 久量
出版者
特定非営利活動法人 日本呼吸器内視鏡学会
雑誌
気管支学 (ISSN:02872137)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.25-30, 2009-01-25 (Released:2016-10-29)
参考文献数
15

背景.気管気管支アミロイドーシス(以下ア症)は中高年に多くみられる疾患であり若年者の報告はまれである.症例.15歳女性.2004年より嗅覚の低下があり,アレルギー性真菌性副鼻腔炎が疑われた.2006年8月鼻出血が続き,易出血性の副鼻腔ポリープがみとめられた.当院耳鼻科でポリープ切除術を施行し,鼻腔アミロイド(AL型)と診断された.全身検索目的および乾性咳嗽にて,当科に紹介となった.気管支鏡検査では,気管下部よりびまん性に粘膜の発赤・浮腫性の腫脹があり,易出血性で気道は狭小化していた.気管支粘膜生検でもアミロイドの沈着をみとめた.明らかな基礎疾患はなく,その他の臓器にはアミロイドの沈着はみられず,原発性と考えられた.呼吸器症状は軽微で,若年者でもあることから,吸入ステロイド剤投与にて経過観察をしている.4ヵ月後の胸部CTでは,気道病変に変化をみとめていない.検索した限りでは,原発性気管気管支ア症としては,本例が最年少であった.結論.基礎疾患のない若年者にも,気管気管支ア症がみられることがある.びまん性気管気管支ア症に対する副作用の少ない有効な治療法の開発が望まれる.
著者
片山 太一 小林 のぞみ 牧野 俊朗 松尾 義博
出版者
一般社団法人 人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集 第27回全国大会(2013)
巻号頁・発行日
pp.1F44, 2013 (Released:2018-07-30)

ユーザに合わせたシステム構築のためには、ユーザの知識を理解することは重要である。既存の研究では、人手で単語に難易度を付与し、その情報を利用してユーザの知識推定を行ってきた。しかし、専門性が高くなるとあるトピックには詳しいが他のトピックには詳しくないといったユーザもいるため、一般的な難易度のみを利用して知識推定を行うことは難しい。本研究では、トピック情報を利用することで、上記の問題を解決する。

1 0 0 0 北斎とドガ

著者
小林太市郎著
出版者
淡交社
巻号頁・発行日
1974
著者
清沢 伸幸 小林 奈歩 木村 学 東道 公人 藤井 法子 大前 禎毅 長村 敏生
出版者
京都第二赤十字病院
雑誌
京都第二赤十字病院医学雑誌 = Medical journal of Kyoto Second Red Cross Hospital (ISSN:03894908)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.2-11, 2014-12

京都第二赤十字病院小児科に川崎病として1978年4月から2014年6月までに入院し、急性期の治療を行った1,109例(男児650例、女児459例)の治療成績に関する検討を行った。治療プロトコールから4期に分類した。第I期(1978.4~1984.3)は心エコー検査機器がなく病初期の冠動脈評価が出来なかった時期で164例。第II期(1984.4~1994.3)はアスピリン治療を主体とした時期で197例。第III期(1994.4~2003.12)はγグロブリン療法(γ-gl)を行うも、1日用量が統一されなかった時期で212例。第IV期(2004.1~2014.6)は初回投与量を2g/kgとして使用している時期で516例である。γグロブリン療法を行うようになった第III期以降は冠動脈障害を残す割合は著減し、1ヵ月を過ぎても拡大や瘤を残す症例の割合(表3)は第I期が4.3%、第II期が8.1%、第III期が0.9%、第IV期が1%であった。第I期の初回の評価が回復期を過ぎて行っている症例が含まれていることからその割合は第II期と変わらないと考えられる。第III期、第IV期の治療成績は川崎病全国調査成績(拡大1.75%、瘤0.72%、巨大瘤0.018%)からみても極めて優れているもので、巨大瘤はいない。現在、当院で行っている治療プロトコール(表2)は日本小児循環器学会のガイドラインや世界標準とは少し異なっている。γ-glの投与開始時期は少なくとも発症後第5病日まで待つべきである。次に、γ-glの投与時間は24時間以内ではなく、32-36時間かけることである。再投与は原則1回とし、第10病日以内に投与する。アスピリンはγ-gl投与中は併用しない。再投与でも効果がない場合は経過をみることである。結論的にいえば、γ-glの投与の仕方を工夫すれば、血漿交換療法、副腎皮質ホルモン剤、免疫抑制剤、抗TNFα剤の必要性はほとんどないと考える。また、γ-glとアスピリン剤の併用はすべきではない。
著者
松浦 倫子 安達 直美 小林 俊二郎 中埜 拓 白川 修一郎
出版者
一般社団法人 日本女性心身医学会
雑誌
女性心身医学 (ISSN:13452894)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.114-120, 2016 (Released:2016-12-28)
参考文献数
34

【目的】睡眠に関する訴えは50代以降の女性で高率に見られる.本研究では,睡眠の質の低下を訴える中高年女性の主観的な睡眠改善を目的に,αs1-カゼイン加水分解物(カゼインペプチド)+L-テアニン含有食品の有効性をプラセボと比較し検証した.【対象と方法】56~69歳の女性11名を解析対象者とした.参加者は,カゼインペプチド+L-テアニン含有食品あるいはプラセボ食品をそれぞれ10日間ずつ就床1時間前に摂取した.各条件の間で4日間のウォッシュドアウト期間を設けた.食品摂取の順序は,参加者間で順序効果が相殺されるようランダムに配置し,食品条件についてはダブルブラインドとした.各条件の後半3日間は,就床・起床時の気分と眠気(Visual Analog Scale),起床時の睡眠内省(OSA睡眠感調査票MA版,入眠感調査),最終日にはピッツバーグ睡眠質問票を聴取した.事前調査時と各条件の最終日には,参加者に簡略更年期指数質問票の記入をさせた.【結果】カゼインペプチド+L-テアニン含有食品の摂取は,プラセボに比べて就床前に眠気が高まっており,PSQIにより評価した睡眠の質が高かった.また,カゼインペプチド+L-テアニン含有食品を摂取した条件でのみ簡略更年期指数による自律神経症状の得点が,事前調査時に比べて有意に低下し改善した.【考察】カゼインペプチドとL-テアニンを併せて摂取することにより,就床前の眠気を高め,睡眠の総合的な質を改善する可能性が示唆された.
著者
小林 茂子
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.235-257, 2014-09

本稿は、開戦前後すなわち、日米開戦をはさんだ一九三〇年代後半から一九四〇年代初頭におけるマニラ日本人学校の教育活動の内容を検討する。マニラ日本人学校は、戦前期フィリピンの日本人学校十八校のうち(在外指定を受けたのは十六校)、いちばん早い一九一七年に設立され、また、南洋における日本人学校の中で最も現地理解教育に力を入れた学校といわれていた。このマニラ日本人学校では開戦をはさんで、日本軍の占領後、軍政下に至る過程においてどのような変容が見られたか。現存する資料『フィリッピン読本』(一九三八年四月)、『比律賓小学歴史』(一九四〇年三月)、『比律賓小学地理』(一九四〇年五月)、『とくべつ児童文集』(一九四二年八月)を手がかりに同校の教育活動を明らかにすることが本稿の目的である。 この四点の出版物はみな、「発行所 在外指定マニラ日本人小学校」「代表者 河野辰二」となっており、これらの出版物はどんな内容で、またどのような意図で編纂されたのかを、時代背景を吟味しつつ辿ることで、同校の教育活動の変容を探ることができるのではないかと思われる。すなわち、『フィリッピン読本』からは、一九三〇年代後半にマニラ日本人学校が現地理解に基づく教育活動を行っていたことを具体的に知ることができる。その後外国人学校への統制が徐々に強まる中、一九四〇年に入っても現地尊重の姿勢を保とうとする努力をしつつ、『比律賓小学歴史』『比律賓小学地理』が発行されている。しかし開戦後、一九四二年一月三日から軍政が始まると、同校は軍政府に協力的な中心校としての役割を担わざるを得なかった。『とくべつ児童文集』には、「学校ごよみ」が掲載されており、同校の開戦後の教育活動が記録されている。また児童の作文からはその時の心情を窺うことができる。 戦前期の占領地における日本人学校は日米開戦後、軍政府の統制のもと教育活動の大幅な変容を余儀なくされ、最後は戦局悪化とともに閉鎖へとつながっていった。戦争へと進む歴史的動きを追いつつ、在外日本人学校の辿った経緯を、マニラ日本人学校の事例をもとに現存する資料の分析とその背景を通して具体的に考察を進める。