著者
松尾 剛次
出版者
山形大学
雑誌
山形大学人文学部研究年報
巻号頁・発行日
vol.7, pp.121-170, 2010-03-23

はじめに ここで文書目録を刊行する真田玉蔵坊文書は, 羽黒山妻帯修験の頂点に立っていた真田玉蔵坊家に伝わった文書群である。真田玉蔵坊家は, 承久元(一二二一) 年に起こった承久の乱に際し, 鎌倉幕府から羽黒山に所司代として遣わされた真田家久に始まるという。玉蔵坊文書は七一六点もある。そのほとんどは, 一七-一九世紀の江戸時代の文書および冊子であるが, 二点の中世文書(近世に書写された) が特に注目される。それらは, 康暦二(一三八〇) 年一一月一五日付の「なかをく辺いのこほりのちしきとう々之事」(目録番号2-136,以下, 番号のみ記す) と応永二五(一四一八) 年九月四日付「二迫うくい沢木仏等先達之者之預ける分書上写」(1-1) である。それらは, 中世における霞(修験者の縄張り) 支配のありようを伝える貴重な史料であり, 別稿で紹介し考察を加えた。ところで, 羽黒修験は, 山上の別当宝前院以下三十二院に暮らす清僧修験と麓の手向の三六〇坊に暮らす妻帯修験とに分かれる。真田玉蔵坊家は, 手向の妻帯修験の代表者として, 種々の特権と義務を負っていた。玉蔵坊文書からも, そのありようを窺うことができる。
著者
池上 良正 中村 生雄 井上 治代 岡田 真美子 佐藤 弘夫 兵藤 裕己 松尾 剛次 池上 良正 中村 生雄
出版者
駒澤大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

「供養の文化」を日本の民俗宗教の重要な特徴のひとつとして位置づけることによって、古代・中世から近現代にいたる、その歴史的変遷の一端を解明することができた。さらに、フィールドワークを通して、中国・韓国を含めた現代の東アジア地域における「供養の文化」の活性化や変貌の実態を明らかにした。
著者
松尾 剛次
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.96, no.2, pp.169-193, 2022-09-30 (Released:2022-12-30)

本稿では、光明皇后垢すり伝説の変容とその背後にある叡尊・忍性らを代表とする叡尊教団による身体的接触をともなうライ者救済活動に光を当てた。また、叡尊教団によるライ者救済活動が文殊信仰に基づいていることを論じた。まず、鎌倉期から南北朝期に、光明皇后垢すり伝説において、垢すりの場が阿閦寺(の前身)から法華寺へと変化し、また、皇后の慈愛を試す仏が阿閦仏から文殊菩薩へと変化した伝承があることを指摘した。そうした変化はまさに、その時期にライ者救済活動を担い、法華寺をも末寺化し、光明皇后ライ者垢すり伝説を広めた主体であった叡尊教団による、と考えられる。また、古代・中世日本において浄・不浄観は重要な社会的な意味を有していた。ライ者は穢れた存在とされていた。それゆえ、ライ者との身体的な接触は穢れに触れる不浄な行為と考えられていたが、忍性らは、自分たちは厳格な戒律護持を行っており、穢れることはないと考えていた。
著者
松尾 剛次
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国際日本文学研究集会会議録 = PROCEEDINGS OF INTERNATIONAL CONFERENCE ON JAPANESE LITERATURE (ISSN:03877280)
巻号頁・発行日
no.24, pp.55-67, 2001-03-01

It is well known that sekkyô-bushi is related to kanjin. Kanjin originally meant they promoted people to join Buddhism and do the good. It is also known that it changed to promote people to donate rice or money to build or restore temples, shrines and statues of Buddha around the end of Heian period.If so, there is a possibility that sekkyô-bushi Oguri Hangan was created relating to some temple's rebuilding. The temple should be Tôtakuzan shôjôkôji, which is given an important role in the story of Oguri Hangan.The story must have changed in many ways before it was printed as the authorized text in the Edo era, with the sekkyô-bushi one of spoken arts and literature performed by the troubadours who drifted through the nation. Therefore the point of this report is to reveal the mystery when and how the original story of Oguri Hangan was created by whom focusing the relationship between Shôjôkôji and kanjin. I refer to the picture scroll Yugyô-engi, Yugyô-keizu and the like as archives which have been hardly used before. The picture scroll Yugyô-engi is an ekotoba-den (picturized biography) created by Yugyôshônin, Sommyô the 13th, Taikû the 14th and Son'e the 15th in the early Muromachi era.In conclusion I think the original story of Oguri Hangan was created relating to a mass kanjin of reconstruction done by the Yugyôshônin, Taikû the 14th after the big fire in Ôei 33 (1426). Sekkyô-bushi were called oral literature and thought to be made by unknown singing poets so far. However, given the relationship between sekkyô-bushi and kanjin of temples, I think most sekkyô-bushi were created when occurred was kanjin of specific temple's reconstruction in terms of the original ones.
著者
積山 和加子 松尾 剛 田中 聡 沖 貞明
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement
巻号頁・発行日
vol.2016, 2017

<p>【はじめに,目的】</p><p></p><p>ソーシャルメディア(Social Media;以下SM)とはインターネットを利用して誰もが手軽に情報を発信し,相互のやりとりが出来るメディアを指すが,近年,医師や看護師等がインターネット上に患者情報を掲載した事案や他者を誹謗中傷した事案など,守秘義務違反や個人情報漏洩の問題が数多く取り挙げられている。本来SMの私的利用は個人の自覚と責任で自由に行うべきものであるが,これまでの不適切投稿による事案から鑑みると懲戒解雇や停職等,個人に対する処分だけでなく,所属する組織にも影響を与える。そこで今回,リハビリテーション専門職に対しSMの私的利用に関する意識調査を行い,その実態について検討を行った。</p><p></p><p></p><p>【方法】</p><p></p><p>対象は国立病院機構中国四国グループの理学療法士,作業療法士,言語聴覚士の計440名とした。無記名自記式調査票を2016年6月に同グループの25施設に対して各職員数分を発送した。</p><p></p><p>本調査票の質問項目は,総務省が平成27年にSM利用に関して一般市民に行ったアンケートを参考に,①私的に利用している端末,②SM利用状況,③SM利用目的,④SMでの情報発信・拡散の程度,⑤情報拡散の基準,⑥SM利用時のトラブル経験,⑦SM利用時のリスクに関する認識,⑧SMトラブルに関する事例(報道)への意見,⑨SM利用時の留意事項の認知度の9項目とした。9項目の各回答は多肢選択法を用い,設問によって該当するものを1つまたは複数選択する形式とした。</p><p></p><p></p><p>【結果】</p><p></p><p>本調査では395名から回答があり,回収率は90%だった。①私的利用の端末は,全員がスマートフォンやPC等を使用していた。②SMの利用状況はLINEの利用者が最も多く86%で,SMを利用していないと回答した者は11%だった。③SMの利用目的は,「知人や家族とのやりとりや通話をするため」が65%で最も多かった。④SMの情報発信・拡散の程度では,「発信よりも他人の書き込みを閲覧することの方が多い」が57%で最も多く,拡散経験があると回答した者は40%だった。⑥SM利用時トラブルを経験したことがある者は7%で,トラブル件数は41件だった。⑦SM利用時のリスクに関する認識は,「非常に気をつけている」,「気をつけている」と回答した者が80%を超えていた。⑧SMトラブルに関する事例への意見としては,「情報モラルの低下」が60.8%で最も多かった。⑨SM利用時の留置事項の認知度は,60%以上が「知っている」と回答した。</p><p></p><p></p><p>【結論】</p><p></p><p>平成26年度の総務省調査によると,SM利用に関する情報リテラシー教育の受講経験について,本邦では20%程度であり諸外国の状況に比べ低いと報告している。本調査ではSMを利用していない者も1割程度いたが,SMを利用していなくても投稿者と一緒に写っていた写真によって投稿者以外の個人情報が流出する可能性もある。そのため,インターネット利用の頻度やSMの利用に関わらずSMの私的利用における情報リテラシー教育の機会を設ける必要性があると考えられる。</p>
著者
松尾 剛次
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.89, no.2, pp.204-229,274-27, 1980

In this essay the author attempts to make a contribution to the history of outcastes in Japan and, in doing so, to the present day burakumin liberation movement by exploring hinin-shuku in the kinai region under the control of the temple, Saidaiji, during the late Kamakura period. Hinin-shuku in medieval Japan were small pariah settlements organized by temples and shrines through operatives called chori. These shuku were located within larger way stations at important points along transportation routes in the Kinai, and provided an important source of non-agricultural labor ranging from simple portage to various defiling occupations like animal slaughter and burial services. By re-examing available documents concerning hinin-shuku, the author criticizes the position held by Oyama Kyohei that these shuku were controlled under the authority of the shugo in the Kinai provinces, and therefore ultimately under the Imperial prerogative (Amino Yoshihiko's position). As opposed to the management of these settlements by such religious organizations as Kofukuji and Gion shrine, in which hinin residents were organized into guild (za) formations, Saidaiji, through the leadership of two monks, Eison and Ninsho, carried out its control under the guise of almsgiving (segyo) and the offering of salvation through the beliefs surrounding monjushuri, the Bodhisattva of Supreme Wisdom. As his main conclusion the author argues that there was a close relationship between the Kamakura Bakufu and Saidaiji, and, therefore, in a certain sense through this relationship Bakufu domination of hinin-shuku was realized.
著者
丸野 俊一 松尾 剛 野村 亮太 小田部 貴子
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-11-18

本研究では、対話型授業に焦点を定め、(1)教師の対話方略の運用の仕方・変化、(2)創造的対話が生起するために不可欠な心的要因に対する子どもの気づき、(3)教師の認識論の違いと授業形態との関連、(4)批判的思考や共感性の育成の変化の様相を解明した。その結果、(1)教師の対話方略の運用は子どもたちの対話力の水準に依存する,(2)対話の生起には、異なる考えを認め合う、他者の視点を共有し、自分の考えを省察することの重要性に気づく、(3)授業スタイルは、教師が抱く認識論に大きく依存する、(4)対話型授業の中では、創造的・批判的思考のみでなく、情動的な共感性も育まれることが分かった。
著者
松尾 剛次
出版者
山形大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2000

本研究の狙いは、室町幕府の重要な宗教政策の1つである安国寺・利生塔政策の具体相について実証的lに明らかにすることであるが、本研究によって以下の点などが明らかとなった。(1)安国寺・利生塔は、建武5(1338)年から康永4(1345)年2月以前に設定され、とくに暦応2(1339)年が画期であった。とくに、暦応2年8月16日に、後醍醐天皇が足利尊氏らを呪いつつ死去するという大事件が起こっており、足利尊氏兄弟にとって、かつては主人でありながらも、結局は反逆することになった後醍醐天皇の鎮魂こそが非常に重要であった。それゆえ、歴応2年に安国寺あるいは利生塔として設定されたものが多い。(2)安国寺・利生塔政策は、南北朝動乱で協力した寺院への論功行賞の意味もあった。安国寺のうち寺格がもっとも高いのは、山城安国寺で、第2位は丹波安国寺であったが、丹波安国寺は、足利尊氏の生母上杉清子の菩提寺で、尊氏誕生の地という伝説がある。こうした寺が、安国寺に指定され、高い寺格を与えられたのは、常に味方し、祈願してくれた生母の菩提寺に対する論功行賞の意味があったことを示している。(3)従来、安国寺は、すべて五山派寺院すなわち禅宗寺院と考えられてきた。しかし、下野薬師寺(栃木県)・大和安国寺(奈良県)のように律宗寺院も少しあることは重要である。他方の利生塔は、禅宗寺院(30箇寺のうち13箇寺、うち2寺は曹洞宗)のみならず、備後浄土寺を初めとして律宗寺院も多く(10箇寺)設置された。このように、安国寺・利生塔は室町幕府の禅.律寺院優遇策の一環であった。(4)利生塔は五重塔ないし三重塔であるが、若狭神宮寺三重塔も利生塔の1つであった。(5)安国寺は、聖武天皇が天平13(744)年3月に詔を出して国ごとにおいた国分寺制度を、他方の利生塔は、インドの阿育王が建立したという八万四千塔をモデルとした。
著者
田北 俊昭 松尾 剛次 貝山 道博
出版者
山形大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2011

本研究では、地域ブランドの理論と実証分析を行いつつ、地元連携型の「創造的地域ブランドの発掘と構築を行うことが目的である。地域ブランドの経済分析は、さくらんぼ、高級米「つや姫」、高級洋梨「ラ・フランス」、イチョウの銘木などをとりあげ、訪問地ブランドとしての各市町村の情報発信能力について分析を進めている。創造的地域ブランドについては、世界最高級の羽前エキストラシルクをはじめ、自然・歴史文化等の地域資源発掘について、博物館・行政・民間団体等と連携を行い、シンポジウム発表会を実施し地域ブランドの構築を進めた。日本・世界ブランドのプロセスを構築し将来価値評価も可能である。
著者
松尾 剛
出版者
九州大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2007

本研究の目的は、子どもが話し合い・学び合う授業を実現するための談話ルールの共有を図る熟練教師の実践知を明らかにすることである。平成19年度の調査から、授業の流れの中で児童が実際にルールを運用した際、話し合いの過程と結びつけてルールを明確化、意味づけていくという熟練教師の実践の特徴が明らかになった。本年度は、教育心理学、教育学、社会言語学などの諸領域における関連研究をレビューし、その中に上記の知見を位置づけ、本研究の理論的枠組みを精緻化した。授業における談話ルールの共有過程を捉えるため、「明示的過程」(教師が望ましい談話ルールを言語化して説明)と、「潜在的過程」(実際の話し合いの体験を通じて児童が談話ルールを学び取る)という二つの過程を整理し、各過程の詳細と、機能、その限界性について論じた。その上で、これらの二つの過程の両方を通じて共有化を図る事の重要性について論じた。また、平成19年度の調査において重要性が示唆された、授業の内外の文脈との関連について、上記のレビューで示された枠組みに基づきながら、詳細な検討を行った。小学校低学年の学級における、朝の会と国語の授業における相互作用過程を分析し、以下の知見を得た。まず、教員は朝の会の場を利用して、子どもたちが共通に体験していることを言語化し、共有する。その上で、教師はその体験を枠祖みとしながら授業中の話し合いの体験について意味づけを行う事で、子どもたちが授業において特定の談話ルールを運用する事の意味を実感できる状況作りを行っていた。これまでも理論的には授業内外のつながりの重要性は指摘されてきたが、今回、そのことを実証的に示したという点で、重要な研究の知見であると言える。上記のレビュー、調査はそれぞれ新たに論文にまとめ、教育心理学研究、心理学評論などの学会誌に投稿している(4月1日現在、審査中)。
著者
松尾 剛 山口 満 田所 嘉昭
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. DSP, ディジタル信号処理 (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.103, no.719, pp.1-6, 2004-03-09

本稿では,実際に演奏された実楽器音を対象とした,楽器音のスペクトル構造に基づいた楽器推定法を提案する.その原理は,和音の楽器音をくし形フィルタで単音に分離する.そして,このくし形フィルタの特性を考慮して,くし形フィルタの出力スペクトル構造と各楽器音ごとに用意されたテンプレートのスペクトル構造とのマッチングをとることで楽器を推定する.実際の演奏楽器音に対応するため,音の立ち上がり付近(音長の短い音に対応)のスペクトル構造を使用する.また,ある程度の周波数変動にも対応できるように,二重くし形フィルタ(H^d(z) = (1-z^<-N>)^2:零点付近の減衰大)を使用した.さらに,音源分離に使用したくし形フィルタの影響を補正するとき,くし形フィルタの出力スペクトルでなくテンプレートのスペクトルに二重くし形フィルタの利得を乗ずることで,二重くし形フィルタの零点付近の誤差の増大を抑えた.計算機シミュレーションは,ビオラ,バイオリン,ホルン,クラリネット,アルトサックスの5楽器を使用し,音域3-5オクターブの2和音すべての組合せ(重複音は除く)について行なった.その結果,平均推定誤り率10%以下で推定できた.