著者
坂口 美優 赤坂 郁美
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.101, 2014 (Released:2014-10-01)

ヒートアイランド現象を緩和する効果があるとして、都市内緑地の熱環境改善効果に期待が高まっている。都市内の緑地では、樹木による日光遮蔽効果や葉面からの蒸散作用で周辺市街地よりも気温が数℃低くなる。これはクールアイランド現象と呼ばれ、成田ほか(2004)によって新宿御苑とその周辺市街地では夏季日中には約2℃、夜間は日によって変化があるものの1~3℃の差が現れることが明らかになった。また、静穏な夜間に芝生面からの放射冷却などで生み出された冷気が周辺市街地へと流れ出る「にじみ出し現象」の存在が丸田(1972)によって指摘されている。緑地内で低温域を作り出すのは樹林地及び水面である(尹ほか,1998)。そのため、水面の面積が大きいほど周囲の温度を下げる効果が大きいと考えられる。そこで、本研究では都市部の公園の中でも公園全体の面積に対し池の割合が大きい石神井公園とその周辺市街地で気温の観測を行い、クールアイランド現象やにじみ出しによる冷気の到達範囲を明らかにする。東京都練馬区の都立石神井公園(面積約22.5ha)において観測を行う。園内には三宝寺池(面積約3.2ha)と石神井池(面積約4ha)の2つの池がある。 公園内13か所(図1のA~M)と公園外市街地2か所(図内三角形の印)に温度・湿度データロガー(T&D社TR72-U)を設置し、2014年8月から1か月間の定点観測を行う。公園をほぼ南北方向に横切りその延長上の市街地を含むルート(図1に示すルート1,2)と、公園を東西に分けている道路(井草通り:図中ルート3)上と、公園の西端・東端からそれぞれ150m・200mの道路(図中ルート4,5)において気温の移動観測を夜間に行い、冷気のにじみ出し効果の範囲を調査する。また、日中にも公園内の冷気が周辺市街地に影響を及ぼしているかどうかも調査するため、日中にも気温の移動観測を行う。観測の際の移動は夜間は自動車、日中は徒歩で行う。夜間に公園と市街地の境界地点3か所(図1内星印)に熱線式風速計を設置し、風速の観測を行う。風向については夜間の気温移動観測時に観測を行う。予備観測として、2014年6月2日に図1のルート1において日中に徒歩での移動観測を行った。17時の地点3から16の各地点の気温を図2上に示す。気温の最高値は南側の市街地内地点13の31.3℃で、最低値は公園内地点9の29.1℃であった。公園内は市街地に比べ気温が低く、クールアイランドを形成していることがわかる。観測を行った16時30分から17時30分には南風と南東の風が卓越しており、公園北側の市街地内の気温が南側より低かった原因の1つと考えられる。また、地点4~6の西側は住宅地であるが、東側は松の風公園という緑地であるため、その冷却効果の影響も受けている可能性がある。また、夜間の自動車での移動観測を2014年7月6日に行った。19時40分のルート1・ルート3の各地点の気温を図2中・下に示す。ルート1で公園外北側の地点7と8で最も低温となっている以外は6月2日の徒歩での観測結果と類似した特徴を示しており、公園北側には団地内の緑地の影響とみられる低温帯が形成されている。ルート3においては公園に面している地点での低温帯の形成が確認できる。8月における本調査の結果は、発表にて述べる。
著者
河角 龍典
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.156, 2004 (Released:2004-07-29)

1.はじめに 京都は,天候や自然災害に関する古記録が歴史時代を通して最も充実した地域のひとつである.水害に関する古記録もそのひとつであり,京都市内を流下する鴨川を中心にいくつかの水害史料が編纂されている.これまで鴨川の水害史は,文字として記録された災害史料をもとに,洪水の頻度やその発生メカニズムについて論じられてきた.しかしながら,過去の洪水氾濫区域の特定やその変遷については,ほとんど検討されることはなかった.また,洪水の頻度や洪水氾濫区域が,歴史時代の地形変化とどのような関係にあるのかということについても不明な点が多かった.本研究の特徴は,考古遺跡に堆積物として記録された洪水の痕跡に注目することによって,平安時代以降の地形変化や過去の洪水氾濫区域の復原を試みることにある.具体的な研究目的は,鴨川の水害史料に現れた洪水の発生頻度の変遷と平安時代以降の地形変化との関係,平安時代の地形変化と洪水氾濫区域の変化との関係について考察し,鴨川の水害史を再構築することにある.2.歴史時代の地形変化 本研究では,ジオアーケオロジー(geoarchaeology)の手法を適用し,考古学や歴史学の研究成果に対応する精度の地形環境復原を行った.その結果,鴨川流域の歴史時代の地形変化は,5ステージに区分できた.ステージ_I_(8世紀_から_10世紀頃)地形は比較的安定しているが,氾濫原と河床との比高は小さい.ステージ_II_(11世紀から14世紀頃)河床低下が進行し,扇状地が段丘化した.2mほどの段丘崖によって扇状地が段丘面と新しい氾濫原の2面に区分される.ステージ_III_(15世紀頃)段丘面においても溢流氾濫に伴う堆積が開始し,河床が徐々に上昇した.ステージ_IV_(16世紀_から_20世紀前半)自然堤防の形成と天井川化が進行し,河床はさらに上昇した.ステージ_V_(20世紀後半)1935年の鴨川大洪水を契機に浚渫工事が行われ,河床が低下した.鴨川に隣接する河川(紙屋川,御室川)では,天井川が撤去される.3.水害史料による洪水頻度の変遷と地形変化 歴史時代の地形環境復原によって明らかになった鴨川の河床変動と水害史料による50年後ごとの鴨川における洪水発生頻度の変遷とを比較した結果,両者はよく対応することが判明した.すなわち,史料に記録された洪水頻度の記録は,気候変動や流域の植生環境に加えて,鴨川の河床高度と京都の市街地が展開する地形面高度の垂直的な位置関係と密接に関係する.平安時代の前半に洪水発生回数が増加するが,この時期には,鴨川氾濫原が大半を占める平安京左京において都市開発が著しく進行した.こうした氾濫原の土地利用も洪水頻度を増加させた要因のひとつとして考えられる.4.平安時代の地形変化と洪水氾濫区域の変化 地形環境復原よって明らかになった地形変化,鴨川の河床変動,水害史料,堆積物として刻まれる洪水記録から平安時代(ステージ_I_・_II_),すなはち河床低下前後における鴨川の洪水氾濫区域の復原を試みた.ステージ_I_(8世紀_から_10世紀頃)氾濫原と河床の高度差が小さいために,鴨川の洪水氾濫区域は平安京左京の大半を占めることが判明した.この時期の洪水発生区域は,水害史料をみても,「京中」と示される頻度が高い.ステージ_II_(11世紀から14世紀頃)河床低下に伴い鴨川沿いに形成された段丘崖によって,洪水は段丘崖下の新しい氾濫原内に限定され,段丘面では洪水の氾濫する頻度が低くなった.この時期の洪水発生区域は,水害史料をみても,「京中」と示される頻度が少なくなる.5.おわりに 本研究では,従来から行なわれてきた水害史料の分析に加えて,遺跡に記録される洪水の痕跡についても検討することによって、鴨川水害史の再構築を試みた.その結果,史料による鴨川の洪水発生頻度の変遷は,鴨川の河床変動と密接に関係することが明らかになり,さらには平安時代以降の一連の地形変化によって洪水氾濫区域も変化することが判明した.今後は,こうした土地に刻まれた過去の水害の履歴をいかに防災に活用するか考える必要がある.
著者
三浦 尚子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p>研究の背景と目的</p><p> 法務省は次の入管法改正で国籍国への帰国を拒否する外国人対策に,送還忌避罪や仮放免逃亡罪という刑事罰や難民申請の回数制限を設けようとしている.日本は難民条約を批准しているにもかかわらず難民認定率が1パーセントに満たない「難民鎖国」であり,不法残留(オーバーステイ)の送還忌避者に対して収容という措置を講じている.入管法には収容期間の基準がなく,送還忌避者の長期収容が恒常化しており,国際連合の恣意的拘禁作業部会からも勧告を受けている.</p><p></p><p> 日本の入国管理体制は,1990年代では外国人の入管法違反に対して減免措置を取り続け,政府の責任及び義務を免じてきた(明石2010).しかし2001年に起きた同時多発テロを契機に,日本でもテロ対策が強化され,さらに2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催に向けて不法残留者の摘発および収容が厳格化されていく.出入国在留管理庁の収容空間は,各地方の出入国在留管理局(収容場)と2カ所の入国者収容所にある.</p><p></p><p> これまでも,入管の収容処遇に関する非人道性や被収容者のメンタルヘルス不調が,報道機関や支援団体によって批判されてきた.一方仮放免制度で一時的に収容所の外に出られたとしても,仮放免者はいつ再収容されるかどうか予測できず,就労不可,医療費の全額負担,さらにコロナ禍で家族・親族の収入が激減し生活困窮にあるという.移民の権利に対する政策の不在が,問題の根底にある(髙谷2019).加えて,支援団体の活動展開は収容所のin(内)/ex(外)で分かれる傾向にあり,被収容者・仮放免者等に対するシームレスな支援体制の構築が求められる.そこで本研究では,まず東日本入国管理センター(以下牛久入管収容所と記す)の被収容者と支援団体を調査対象に選び,コロナ禍における入管収容と課題を検討したい.</p><p></p><p>2.調査方法</p><p></p><p> 2020年11月からSWNW入管収容問題を考える会,2021年1月から牛久入管収容所問題を考える会に参加し,牛久入管収容所に週1回面会ボランティアをしながら聞き取り調査を実施した.面会は各30分間で1日最大7名に行い,主に日本語で,ごくたまに英語で対話した.</p><p></p><p>3.被収容者の生活状況とメンタルヘルス</p><p></p><p> 1993年12月に開設された牛久入管収容所,通称「ウシク」は,700名定員の大規模な収容施設である.通常,退去強制令書が発布された300名程度の男性送還忌避者を収容していたが,新型コロナウィルスの影響で2020年4月から2021年1月18日までで231名が仮放免となっている(牛久入管収容所問題を考える会の代表田中氏による).2021年1月現在で100名弱が収容されており,ナイジェリア,タンザニア,コンゴ民主共和国,ネパール,ミャンマー,スリランカ,イラン,ベトナム,ペルーの日系人などが含まれる.被収容者の中には入管法違反以外に薬物,傷害,窃盗などの違反歴があり,虞犯の観点からか刑期を終えているにもかかわらず収容されている者がいる.調査対象者は1990年代から2000年代に訪日しており,概ね日本語を流暢に話す.</p><p></p><p> 収容棟には旧館と新館があり,各階に配置された2つのブロックは通り抜けできないようになっている.被収容者が自動ドアで施錠された各居室からブロック内の共有スペースに自由に行き来できるのは,1日6時間に制限されている.旧館の居室は和室6畳にトイレとテレビが配置され,7時に電気とテレビを職員がつけ22時に消しに来るという.コロナ禍で暖房が24時間完備され,寒さが緩和されている.作業やプログラムなどは一切なく,運動場の利用は1日50分である.シナガワ,ヨコハマなどの収容場での収容期間と合わせると,調査対象者は1名を除き4年間以上収容され,仮放免の不許可に精神的なダメージを受けている.収容に対して,比較的短期の被収容者は帰国するより「生き残れている」と述べる一方,最長7年間の者は「自分は動物じゃない」,「外も大変なのはわかるが自由を得たい」と主訴している.車いすを常時使用する者,100日超のハンガーストライキを行う者,思春期の子供を心配する者,保証金が支払えず無気力になった者など,被収容者の健康状態,経済状況,家庭環境,国籍国の政情,過去の教育へのアクセス等は個々別々でそれぞれにケアが必要である.被収容者は収容所内でも極端に移動が制限されており,電話,面会,差し入れ,将来の希望など,外界との僅かなつながりで何とかメンタルヘルスを保っている状況にあり,長期収容の廃止等喫緊な対応が求められる.</p><p></p><p>文献 </p><p></p><p>明石純一2010.『入国管理政策—「1990年体制」の成立と展開』ナカニシヤ出版.</p><p></p><p>髙谷 幸2019.『移民政策とは何か—日本の現実から考える』人文書院.</p>
著者
岩船 昌起
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<b>【はじめに】</b>山での遭難事故は,①事故者(本人・集団)の要因(体力,技術,知識,判断力,疲労,人間関係や規約,装備,服装等),②自然環境等の外的要因(地形・地質,気象の季節変動・日変動,登山路面を中心とした事故者近辺の状況,落石・雪崩・噴石・動物襲撃等の突発的な「物理的外力」等),③両方を兼ねる要因があり,複合的に相互作用して発生する(青山2004,小林2015等)。従って,山での遭難事故の発生理由を考察するには,これらの要因にかかわる時空間的に整理された具体的な記録を収集・分析する必要がある。<br>発表者は,遭難事故等の事例収集を2009年から実施している。本研究では,霧島山高千穂峰で2008年8月22日に生じた遭難事故(アクシデント,レベル4,腰椎破裂骨折等)について,聞き取りと現地調査等からその実態をパーソナル・スケールで明らかにする。<br><b>【高千穂峰</b><b>2008</b><b>年</b><b>8</b><b>月</b><b>22</b><b>日遭難事故】</b>事故者(息子)A,父B,母Cに2010年10月18日に会い,2時間弱聞き取り調査した。その証言および現地視察から遭難事故時の行動の前半を,以下に記す。<br>&nbsp;前日21日に,県外から訪れた家族4人(A,B,C,娘D)は霧島市隼人町日当山の温泉旅館Yに宿泊し,当日22日にチェックアウトした。「暖かく,朝には晴れていた」が,「午後の天気予報は雨」。「(家族の)山の経験は,上高地を数時間歩いた経験1回のみ」。Aは「当時高1で,テニスを小5から週5日〔2時間半/日〕」行う運動習慣があり,「中1から片道11~12kmの自転車通学」していた。一方,娘Dは「当時小6で,部活等での運動経験なし」であった。父Bは「韓国岳に登ることも考えたが,(『天逆鉾をみたい』Aの望みを叶えたく,)高千穂峰でも1時間半くらいで行けるだろう」と考え,登山口がある高千穂河原に向った。<br>「11~11時半にビジターセンター脇の鳥居(標高約970m)から登り始めた」。「息子に,リュックを持たせた。中には,お茶〔500ml〕,アメ〔約100包〕,貴重品,帽子,カメラ,ビジターセンターからもらった地図,母Cの携帯電話が入っていた」。(地形的)森林限界(標高約1150m)から上がガレ場となり,CやDが滑って思うように上がれなかったが,Aは「余裕があり,頂上の剣(天逆鉾)をみたいと思っていた」。「12時過ぎ」で(御鉢の火口縁(標高約1330m)まで達しない)「時々滑る」場所にいた。「前を夫婦(BとC)で歩き」,「天候もあやし」かった。「12時15分くらい」に,Aは,家族と別れて先に山頂に向かった。Bは「木がないから見失わないだろう」「背中が見えていたから(大丈夫)」と考えていた。「12時30分頃」に,「急に霧が出てきて,湿気を感じ」,「(Aがみえなくなって)まずい」と思った。<br>「12時35分ころ」に,CとDは登山を諦めて「分かれて先に下山し始め」,Bは「ガレ場を御鉢の方に上がっていった」。しばらくしてAがBの携帯電話に「道に迷った」と連絡する。Bによると「後から聞くと、(Aは頂上に至る前に)御鉢の火口縁を一周したようだった」。「行き過ぎたところで、電話を掛けた様子だった」。BはAに「『分岐(標高約1420m)で戻ってこい』と伝えようと思い,電話をしたがつながらなかった」。そこで「上に息子がいると思い,仕方なく登っていった」。12時50分頃にAは「すべりやすいところで大雨」に遭った。「道を2・3回折れて登り切る」と,「〔山頂付近と思われる〕整備されたところ」に至った。周囲は「息ができないほどの大粒の雨」で「雷がすごく」,「雷というか、白くて光が見えない」状態だった。Bも「雷で、僕(B)も息子(A)も死ぬかもしれない」と思い,「冷静に判断できない状態」だった。そして,電話でAに「おりる。こわい。お前も降りろ」「御鉢の途中、滑るから気をつけろ」と伝えて下山した。途中の御鉢のガレ場では「〔土石流のような〕ものすごい川」で「大雨がすごく,視界があまりなかった」。<br>Aは「(下り)で来た道を戻ろう」と思ったが、「左右(≒方向)が分からなかった」。「視界1m程度」で周りがみえず,「御鉢のガレ場以上に滑る」状態であった。Aの靴はテニスシューズ。「横に大きな岩をみながら、2・3回折れて降りた後、目印がなくなった」が,そのまま下りた。「(草本に覆われた長さ1m強高さ数10cmの高まりが連続する)モコモコとした」斜面を下った。「急いで下って,滑り,走り,滑り,走りを繰り返した」。「前が見えずに走った」。「すべって、滑って、宙を飛んで、ドン」。「1回半回って、左足の踵から着地」した。<br>「(着信履歴から)13時10分」に,高千穂河原にほぼ到着した父Bの携帯電話の留守電に「崖から落ちた」「立てない状態、ちょっと休んでから行く」とメッセージを残した。
著者
荒木 一視 岩間 信之 楮原 京子 田中 耕市 中村 努 松多 信尚
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100001, 2015 (Released:2015-10-05)

災害に対する地理学からの貢献は少なくない。災害発生のメカニズムの解明や被災後の復旧・復興支援にも多くの地理学者が関わっている。そうした中で報告者らが着目したのは被災後の救援物資の輸送に関わる地理学的な貢献の可能性である。 救援物資の迅速かつ効果的な輸送は被害の拡大を食い止めるとともに,速やかな復旧・復興の上でも重要な意味を持っている。逆に物資の遅滞は被害の拡大を招く。たとえば,食料や医薬品の不足は被災者の抵抗力をそぎ,冬期の被災地の燃料や毛布の欠乏は深刻な打撃となる。また,夏期には食料の腐敗が早いなど,様々な問題が想定される。 ただし,被災地が局地的なスケールにとどまる場合には大きな問題として取り上げられることはなかった。物資は常に潤沢に提供され,逆に被災地の迷惑になるほどの救援物資の集中が,「第2の災害」と呼ばれることさえある。しかしながら,今般の東日本大震災は広域災害と救援物資輸送に関わる大きな問題点をさらすことになった。各地で寸断された輸送網は広域流通に依存する現代社会の弱点を露わにしたといってもよい。被災地で物資の受け取りに並ぶ被災者の長い列は記憶に新しいし,被災地でなくともサプライチェーンが断たれることによって長期間に渡って減産を余儀なくされた企業も少なくない。先の震災時に整然と列に並ぶ被災者を称えることよりも,その列をいかに短くするのかという取り組みが重要ではないか。広域災害時における被災地への救援物資輸送は,現代社会の抱える課題である。それは同時に今日ほど物資が広域に流通する中で初めて経験する大規模災害でもある。    遠からぬ将来に予想される南海トラフ地震もまた広い範囲に被害をもたらす広域災害となることが懸念される。東海から紀伊半島,四国南部から九州東部に甚大な被害が想定されているが,これら地域への救援物資の輸送に関わっては東日本大震災以上の困難が存在している。第1には交通網であり,第2には高齢化である。 交通網に関してであるが,東北地方の主要幹線(東北自動車道や東北本線)は内陸部を通っており,太平洋岸を襲った津波被害をおおむね回避しえた。この輸送ルート,あるいは日本海側からの迂回路が物資輸送上で大きな役割を果たしたといえる。しかしながら,南海トラフ地震の被災想定地域では,高速道路や鉄道の整備は東北地方に比べて貧弱である。また,現下の主要国道や鉄道もほとんどが海岸沿いのルートをとっている。昭和南海地震でも紀勢本線が寸断されたように,これらのルートが大きな被害を受ける可能性がある。また,瀬戸内海で山陽の幹線と切り離され,西南日本外帯の険しい山々をぬうルートも土砂災害などに対して脆弱である。こうした中で紀伊半島や四国南部への救援物資輸送は問題が無いといえるだろうか。 同時に西日本の高齢化は東日本・東北のそれよりも高い水準にある。それは被災者の災害に対する抵抗力の問題だけでなく,救援物資輸送にも少なからぬ影響を与える。過去の災害史をひもとくと,救援物資輸送で肩力輸送が大きな役割を果たしたことが読み取れる。こうした物資輸送に携われる労働力の供給においてもこれらの地域は脆弱性を有している。     以上のような状況を想定した時,南海トラフ地震をはじめ将来発生が予想される広域災害に対して,準備しなければならない対応策はまだまだ多いと考える。耐震工事や防波堤,避難路などの災害そのものに対する対策だけではなく,被災直後から始まる救援活動をいかに迅速かつ効率よく実施できるかということについてである。その際,被災地における必要な救援物資の種類と量を想定すること,救援物資輸送ルートの災害に対する脆弱性を評価し,適切な迂回路を設定すること,それに応じて集積した物資を被災地へ送付する前線拠点や後方支援拠点を適切な場所に設置すること等々,自然地理学,人文地理学の枠組みを超えて,地理学がこれまでの成果を踏まえた貢献ができる余地は大きいのではないか。議論を喚起したい。
著者
貞広 幸雄
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100003, 2012 (Released:2013-03-08)

本論文では,GISとインターネット情報を用いて,江戸末期~明治初期の歴史空間データを簡便に作成する方法を提案する.ここでは初等中等教育や地域情報のインターネット上での発信などでの利用を念頭に置き,情報の厳密さよりも作成の簡便さを重視した方法を採用する.対象地域は現在の千葉県全域であり,主として江戸末期~明治初期の以下4種の空間データを整備した.1) 地形,2) 人口分布,3) 交通網,4) 行政区.
著者
池田 真利子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

世界においてナイトライフ研究への注目が2010年代以降高まりつつある.地理学においても,イギリスの学術誌Urban Studiesで「都市の夜間に関する地理」(2014)が特集号として発表されるなど,都市間競争の苛烈化と24時間経済の覚醒を背景に,夜間時間Night timeと夜間経済Night-Time Economiesへの注目が増している.国内ではナイトライフを体系的に論じた従前の研究が少な,ナイトライフ観光がインバウンド・アウトバウンド観光双方において欧米系旅行者に特有のものと認識されてきたが,ナイトライフ空間の地理的特性や観光行動の具体性などは吟味されてこなかった.しかし近年では,日本人の若者の観光行動との関わりも顕著となりつつあり,観光のみならず,社会・経済的側面等からのアプローチも求められつつある.そこで本発表では,国内におけるナイトライフ研究の可能性を模索すべくナイトライフ観光に焦点を当て,それら資源の具体性や研究可能性を探る.こうした世界の都市における夜間経済への動きのなかで,東京では既にプレ・オリンピック,ポスト・オリンピックの文脈において,実社会で変化の兆しが窺える.前者はナイトライフ観光の資源化であり,後者は夜間経済への注目である.例えば東京都は2017年度初頭に発表した『PRIME観光都市・東京-東京都観光産業振興実行プラン』において,ナイトライフ観光推進の必要性を明文化した.後者は世界的な流れでもあるが,例えば2012年のオリンピック開催都市であるロンドンでは,金曜・土曜の夜間地下鉄Night Tubeの就航が2016年以降開始されるなど,特定の大都市においては夜間経済活性化の動きがみられる.日本でもナイトクラブ運営などに適用されていた法律である風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(以下,風営法)の改正(2016年6月23日施行)が,東京都港区・渋谷区を中心に活性化するなど,夜間経済の合法化への動きもみられる.こうした動きは,ポスト・オリンピックにおける変化の要因と成り得る「特定複合観光施設の整備の推進に関する法律」(2016年12月15日成立)を見据えた動きとしても理解できる.こうした状況において,渋谷区は伊藤園,観光協会および國學院大學との協働で2017年6月より「渋谷ナイトマップ」の配布を開始するなど,都内一部地域では観光資源化の動きが強まっている.同事業は先述した風営法改正1周年記念イベントとして行われた官民協働事業であり,ナイトライフを資源化した動きとしては国内初のものであるという<sup>2)</sup>.こうした動きの中で,夜間時間特有の観光形態や観光資源への注目が今後より一層,求められると推測される.
著者
谷 謙二
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100007, 2016 (Released:2016-04-08)

1.はじめに 日本の大都市圏の発展過程に関しては,すでに多くの研究がなされてきたが,戦前から戦後への継続性については十分に検討されていない。戦時期をはさむこの間には,軍需産業を中心として重化学工業化が進展したが,その立地についても大きな変化が起こったと考えられる。そこで本研究では,1930年から40年にかけての東京市を対象として,工業立地の変化,人口郊外化さらに通勤流動の変化の関係を明らかにする。区間通勤データとして1930年は「東京市昼間移動調査(昭和五年国勢調査)」を用い,1940年は「東京市昼間移動人口(昭和十五年市民調査)」を国勢調査で補って用いた。工業に関しては,「東京市統計年表」の区別工業統計を用いた。2.東京市の人口増加と工業立地 東京市内での人口増加の推移をみると,1930年,35年,40年の人口は,それぞれ499万人,591万人,678万人と,10年間で189万人もの急激な増加を示した。旧市域は,1930年時点で既に大部分市街化していた。1930年には旧市域・新市域の人口はそれぞれ207万人,292万人だったが,1940年にはそれぞれ223万人,455万人と,新市域の人口が圧倒的に多くなった。1930年代には人口の郊外化が進展したことがわかる。次に工業の立地について1932年,36年,40年の工場従業者数の変化を検討したところ,この間の東京市の工場従業者数は,23万人,39万人,67万人と増加し,特に36年以降の増加が著しいのは日中戦争の進展により軍需産業が急拡大したためである。人口と同様,旧市域での増加は小さく,蒲田区など城南地域を中心とした新市域での増加が顕著である。3.通勤流動の変化 従業地ベースでの就業者数の変化を検討すると,1930年時点では,旧市域での就業者が多かった。特に流入超過数が多い区は,現在の都心三区に含まれる麹町区,神田区,日本橋区,京橋区,芝区である。特にビジネス街の丸の内や官庁街の霞ヶ関を抱える麹町区は,11万5千人の就業者のうち区外からの流入者が9万3千人を占め,流入超過数は8万9千人を数える。一方新市域では流入超過を示す区は見られない。1940年になると,周辺部での就業者の増加が著しく(図6),中でも蒲田区の増加率は300%を超えている。その結果,就業者数をみると旧市域で133万人,新市域で143万人と,新市域と旧市域の就業者数が逆転し,人口に続いて雇用の郊外化が進展した。新市域においては,工場の増加した城東区,品川区,蒲田区で流入超過に転じた。1930年代は都心へ向かう通勤者も増加したが,それ以上に新市域での工場の立地が進んでそこへの通勤者も増加し,通勤流動は複雑化した。 これを男女別にみると,男性就業者が新市域で増加した工場に向かったのに対し,女性就業者は都心方向に向かっており,男女間で異なる傾向を示している(図1)。4.おわりに 1920年代は,郊外住宅地の開発が工業の郊外化よりも早く進んだ時期だったが,1930年代で,特に日中戦争が始まって以降は,工業の立地の郊外化が住宅地の郊外化よりも進んだことが明らかとなった。そのため,通勤流動では都心に向かう通勤者だけでなく,郊外間の通勤者や郊外に向かう通勤者も増加して複雑化した。また,男性では新市域に向かう通勤者が顕著に増加したのに対し,女性は都心へ向かう通勤者が増加した点が特徴的である。
著者
土'谷 敏治
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

茨城県ひたちなか市は,これまでにも積極的な公共交通政策を実施してきたことで知られるが,さらに,第三セクター鉄道のひたちなか海浜鉄道湊線の延伸を計画している.本稿では,ひたちなか市域全体を対象として,市民が日常の移動行動でどのように公共交通機関を利用しているのか,湊線延伸計画,ならびに,これまでのひたちなか市の公共交通政策をどのように評価しているのか,今後の交通政策に何を期待しているのかについて,アンケート調査を実施した.その結果,市民の移動行動は自家用車中心であるが,移動目的や居住地域などに対応することによって,公共交通機関の利用を促進することが可能とであると考えられる.湊線延伸計画,これまでのひたちなか市の公共交通政策については,地域差はみられるが,市民の賛同がえられていることが明らかになった.また,自家用車を利用できなくなることに不安を抱いている市民が多く,交通機関の連携を深めながら,公共交通を整備拡充していく必要性が認められる.現在は,市民への啓蒙活動と情報提供を進めることで,公共交通に対する市民意識の改革を図る好機でもあると判断される.
著者
日野 正輝
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<br><br><br><br><b>広域中心都市・仙台</b><b></b><br>&nbsp;<br><br><b>日野正輝(東北大)</b><b></b><br><br>&nbsp;<br><b>1</b><b>.検討課題</b><br><br> 筆者はかつて東北の人口減少時代の到来を確認した上で、仙台の近年の変化として、①郊外での戸建住宅供給の減少と都心部での分譲マンション供給の増加、②支店集積の縮小、③市民組織などによる集客活動の増大を紹介した(日野、2006)。これらの傾向は現在も変わっていない。本報告では、主に仙台の産業構造および都市の活性化の動きを近年の統計を参照しながら再検討したい。<br><br>&nbsp;<br><br><b>2.</b><b> 1990年代以降の人口動向と基盤産業の推移</b><br><br><b> </b>仙台市および仙台都市圏(30km圏)の人口は2010年現在も増加を維持している。しかし、2000年代の増加率は1990年代にくらべると大きく低下した。人口増加率は2010年代には再び増大すると予想されているが、2020年代には再び低下し、2025年以降は人口減少に至ると予想されている。同時に、高齢化と世帯規模の縮小が一層進展する。仙台の経済基盤について、経済基盤説における基盤産業に着目し、主要基盤産業の動向をみると(産業小分類に基づき立地係数1以上の産業で、基盤部分の従業者数が多い産業)、1991年には卸売業が全基盤産業従業者数の35%を占めたが、2012年には当該比率を21%と大きく低下させ、代わってサービス産業の比率が増大するなど、仙台の経済基盤が多様化している。<br><br><b>&nbsp;</b><br><br><b>3.</b><b> 支店集積の縮小</b><br><br><b> </b>広域中心都市は周知のとおり高度経済成長期以降「支店経済のまち」と呼ばれ、支店集積が都市の発展をけん引するところが大きかった。しかし、支店の集積量が1990年代後半以降縮小に転じ、それに対応するかのように都心部のオフィスビルの空室率が大きく増大した。この傾向は2000年代においても継続している。2012年経済センサス(活動調査)による支店従業者数は113,522人であり、2001年121,699に比べて減少している。都心部オフィスビルの空室率は2001年11.6%、2011年13.2%と推移し、依然として10%以上の水準にある。1990年代前半の当該比率は5%前後であったことからすれば、高止まりの状態にあると言える。しかも、その間にオフィスから店舗などへの利用転換も少なくなかったことからすれば、実質的には空室率は増大してきたと推察される。その理由は、支店集積の増大が見込めないなかで大型ビルの建設が2000年代にも続いたことを指摘できる。<b></b><br><br><b>&nbsp;</b><br><br><b>4.</b><b> 市民活動と集客産業の動向</b><br><br><b> </b>東北地方の主要都市の中にあって中心商店街が賑わいを維持しているのが仙台のみと言ってよい状況にある。高橋(2009)は、仙台の中心商店街の賑わいについて、そこは単なる買い物の場所ではなく、来訪者がそこで時間を消費する「消費・集客装置」と見立て、仙台の磁力は多様化するとともに強まっていると見ている。同時に東京資本の影響が大きいと指摘している。他方、仙台の集客力に関連して、市民に支えられたイベントの増加と定着も注目される。青葉祭り、定禅寺ストリートジャスフェスティバル、みちのくYOSAKOI祭り、光のページェントなどは七夕祭りとともに、仙台の風物詩と位置づけられまでに育っている。さらに、楽天イーグルス、ベガルタ仙台などのプロスポーツクラブの設立および各種会議の開催が仙台の集客力を高める働きをしている。また、都市の持続的な活性化との関連では、NPOなどの各種の市民組織の活動が注目される。<br><br>&nbsp;<br><br><b>5.</b><b> 社会・文化的活動と都市の活性化</b><br><br> 上記した仙台の状況は、仙台駅周辺に開発された1990年代後半以降の高層ビル群から受ける仙台の印象(順調に発展する都市)とは違っている。前者の状況認識から、今後の仙台の在り方を考えるとき、支店経済の部分を含めた都市基盤の保持に努めることに加えて、市民活動の高まりなどに見られる社会・文化的活動のための環境整備および市民生活の質を高めることで、都市の活性化を促すことが期待される。都市の社会・文化的活動が都市の集客力や人口の社会増加に与える影響は小さくないと考えられる。<br><br>&nbsp;<br><br> <b>参考文献</b><br><br>高橋英博(2009):『せんだい遊歩―街角から見る社会・学―』北燈社、124頁。<br><br>日野正輝(2006):転換期を迎えた仙台の構造的変容。地理、第51巻、第12号、83-91頁。<br><br><br><br>
著者
両角 政彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

1.問題の所在と研究目的<br>&nbsp;&nbsp; 毎年全国各地で何らかの原因によって園芸施設が倒壊する被害が発生している。この発生メカニズムを地域ごとに明らかにすることは,農業者が個別的・組織的に事前対策・発生対処・事後対応をおこなうための基礎情報の提供につながる。園芸施設雪害の発生原因について,村松ほか(1998)が,①屋根雪と屋根面の凍結などの原因で屋根雪の滑落が阻害され積雪荷重が増加して発生する被害,②豪雪時の停電などにより融雪や消雪装置が機能しなくなり発生する被害,③屋根から滑落した雪を処理することを前提に設置された施設でも適正な処理が出来なかった事例,④パイプハウスは降雪する前に被覆材を撤去するなど事前の対策が不十分な事例,以上の4点を挙げている。本報告では,上記の①に関連し,園芸施設雪害の発生原因(素因)の一端を気象変化の分析によって明らかにする。<br>2.研究対象地域の選定および資料・研究方法<br>&nbsp;&nbsp; 研究対象地域は,2014年2月の降雪による園芸施設被害を受けた埼玉県,山梨県,長野県の3県とした。さらに3県の中から園芸施設を多く有する埼玉北部農業共済組合,山梨中央農業共済組合,南信農業共済組合諏訪支所の各管轄区域を選定した。また,3つの地域で共通して降雪が多かった2001年1月を比較対象とした。<br>&nbsp;&nbsp; 園芸施設被害については,農林水産省『園芸施設共済統計表』と,各農業共済組合が保有する「園芸施設共済関係資料(通常総代会提出議案)」を使用し実態把握をおこなった。これと対応させて,気象庁webサイト「各種データ・資料」を利用して降雪日時を特定し,降雪,積雪,気温の1時間ごとのデータから園芸施設被害の発生原因の検証を試みた。<br>3.2014年2月の降雪と雪害の状況<br>&nbsp;&nbsp; 2014年2月の降雪は異常な気象変化であり,各地に未曾有の雪害をもたらした。農林水産省「2013年11月~2014年7月調査結果」によると,主として降雪によって発生した園芸施設への被害は,36都道府県で85,086件に及び,農作物等の被害総額も1,765.7億円に達した。<br>4.農業共済組合管内における園芸施設被害と気象変化<br>1)埼玉北部農業共済組合管内<br>&nbsp;&nbsp; 2013年度の園芸施設被害は2,273棟に及び,棟数被害率が71.9%に達した。熊谷地方気象台によると,降雪は2014年2月8日4~23時に最大7cm/h,積雪は最大43cmになった。気温は-1.9~0.1℃で推移した。また,14日8時~15日6時に降雪があり,最大7cm/h,積雪は最大62cmであった。気温は-0.3~0.4℃で推移した。2000年度の園芸施設被害は261棟にあり,棟数被害率は5.6%であった。2001年1月の積雪は最大23cm,気温は-0.3~1.9℃で推移した。<br>2)山梨中央農業共済組合管内<br>&nbsp;&nbsp; 2013年度の園芸施設被害は362棟にあり,棟数被害率が42.0%に達した。甲府地方気象台によると,降雪は2014年2月8日4~23時に最大6cm/h,積雪は最大43cmになった。気温は-1.0~-0.3℃で推移した。また,14日6時~15日9時に降雪があり,最大9cm/h,積雪は最大114cmであった。気温は-0.7~0.3℃で推移した。2000年度の園芸施設被害は21棟にあり,棟数被害率は1.7%であった。2001年1月の積雪は最大38cm,気温は-0.2~0.6℃で推移した。<br>3)南信農業共済組合諏訪支所管内<br>&nbsp;&nbsp; 2013年度の園芸施設被害は711棟にあり,棟数被害率が18.6%に達した。諏訪特別地域気象観測所によると,降雪は2014年2月8日2時~9日1時に最大8cm/h,積雪は最大29cmになった。気温は-4.9~-2.0℃で推移した。また,14日7時~15日9時に降雪があり,最大7cm/h,積雪は最大52cmであった。気温は-4.5~-0.3℃で推移した。2000年度の園芸施設被害は208棟にあり,棟数被害率は6.5%であった。2001年1月の積雪は最大69cm,気温は-3.2~0.8℃で推移した。本管内では年度ごとの雪害率を特定することができ,2000年度には59.6%,2013年度には88.6%であった。<br>5.園芸施設雪害の発生原因とその地域差<br>&nbsp;&nbsp; 園芸施設雪害では降雪と積雪の深さに加え,降雪の時間的集中や気温の変化が注目される。研究対象地域の中でとくに雪害が甚大であった埼玉北部農業共済組合管内では,降雪時における平年の気温が相対的に高い一方で,2014年には気温が低かった。山梨中央農業共済組合管内では,降雪と積雪の深さが過去50年間で例を見ない状況であり,気温が通常より低かった。南信農業共済組合諏訪支所管内では,2014年の降雪と積雪が2001年のそれを下回ったが,雪害はおよそ3倍に達し,降雪時の気温の低さが際立っていた。雪が比較的短時間に大量に降り,気温が氷点下で推移し続けた場合,積雪が急速に増すため,雪害への対処も困難になり,被害が大きくなる可能性が示唆された。
著者
淺野 敏久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

ラムサール条約は湿地を保全することを目的とした条約で,日本は1980年に加盟した。湿地の保全,ワイズユース,普及啓発(CEPA)を3つの柱とする。近年,登録湿地の数と対象を広げる方向に動いており,水田なども対象となっている。日本では,1980年に釧路湿原が登録されたのがはじめで,当初サイト数はあまり増えずにいた。2005年に大幅増となり,2012年6月末現在,37箇所、総面積131,027haが指定されていた。2012年7月のCOP11でさらに9箇所が新規に登録された。ラムサール条約にどの湿地を登録するかは,それぞれの国のルールによっている。日本の場合,国際的に重要な湿地であること,対象湿地が国内法で保護対象になっていること,指定にあたって地元の賛意が得られていること,が求められる。 報告者は2010年より科研費の共同研究で日韓のラムサール条約湿地を調べており,複数湿地での現地調査や国内37サイトでの利用と保全に関するアンケート調査を行っている。報告ではその一部を紹介する。 第1に,日本のラムサール湿地は基本的に保護対象地として認識されているケースが多く,登録後に,ラムサール条約を前面に出して利用を強調する取り組みが進んだケースは少ない。蕪栗沼のように農業振興とラムサール登録を結びつける戦略が意識されているところはこれまで多くなかったが,今回の円山川や渡瀬遊水地は地域づくり的方向が意識されており,今後の傾向になる可能性はある。 第2に,利用という括りで,環境教育利用が想定される傾向が強い。これはCEPAにあたるもので,ワイズユースと分けられるのであるが,日本ではラムサール湿地の利用というと教育的利用が真っ先に意識されるようである。 第3に共通する利用形態として「観光」が考えられる。アンケート調査の結果からは,バードウォッチングと写真撮影が最も多い行動になっており,日本の観光地の中でかなり特殊な性格をもっている。 その他,観光化に対する日韓の対応差や,国内での世界遺産とラムサール条約への地元の対応差などついて当日報告したい。 ラムサール条約湿地や世界遺産,エコパーク等,何が同じで何が違うのか。本報告では,ラムサール条約湿地とジオパークの相違点や,ラムサール条約のワイズユースの国内事例から示唆される,ジオパークの課題や留意点について話題提供したい。
著者
伊藤 智章
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.62, 2005

2005年3月31日に、市町村合併特例法による特例措置が終了し、「平成の大合併」と言われた市町村の再編成が一段落した。住民から賛否の声を受けつつも、次々に行政界や市町村名が変更され、新たな市町村の誕生と、旧来の町村が消滅した現状をどう取り扱うかについての議論は十分に行われているとは言い難い。<BR> 本報告は、以上の問題意識に立ち、高等学校の地理で行った授業例を紹介し、地理教育で市町村合併の問題を取り扱うことの重要性と、具体的な指導法について提案する。<BR> 授業は、2005年4月から、6月にかけて、静岡県立長泉高等学校の3年生を対象として行った。GISソフトの「MANDARA」の操作を学ぶ傍ら、静岡県内で、ここ3年以内に合併した市町村を図示し、その地図の上に、財政に関する統計(財政力指数・税収額など)、人口に関する統計(人口増加率、高齢者人口比率など)から作成した地図を重ね合わせ、市町村合併を選択した市町村に共通する特性を明らかにした。<BR> 結果として、合併を選択した市町村の多くは、財政力指数が低く、自主財源による行政運営が困難であること、合併には、財政規模が大きな市町村が周辺町村を吸収する形(浜松市・沼津市など)と、小規模な市町村同士が連合して、全く新しい名称の市町村が誕生させる合併(伊豆市・伊豆の国市があることが明らかになった。<BR> 次に、広域合併が検討されている静岡県東部の市町村を対象とし、市町村間の関係の図示し、その必要性の有無と、仮に合併した場合に予想される問題について検討させたところ、沼津市と三島市および周辺市町村の間では、相互の人口移動が大きく、実質的に同一の都市圏にあることが分かった。<BR> 生徒は、合併推進の根拠となる、生活圏の拡大と広域行政の必要性について理解する一方で、市町村毎の公共料金や、住民一人当たりの歳出額の増減など図示し、合併に伴うメリットとデメリットを提示した。地元の町会議員を招いて行った報告会では、生徒の報告に基づいて、活発な議論が展開された。<BR> 今回の授業では、生徒に市町村合併問題を身近な問題として捉えさせることを目指した。結果として、統計を図示して重ねることで、論点が明確になり、活発な議論を展開することが出来た。<BR> 市町村合併の問題は、学習指導要領が言うところの「地図化して考える有意性」、「地理的見方・考え方の育成」を具現化する上で格好の教材である。また、地理教育の意義を世間に伝える上で、格好の事例となりうるだろう。幅広い議論と情報の提供、全国各地での実践の蓄積を期待したい。
著者
津川 康雄 小宮 正実
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.92, 2006 (Released:2006-05-18)

1.私大入試と国公立2次試験 大学入試(地理)を取り巻く状況は大変厳しい。それは私立大学や国公立大学(2次試験)の多くが地理歴史科試験科目から地理を除外しており、高校現場も受験指導上、日本史や世界史を受験科目として選択するよう指導していることがその一因と言われている。そして、地理受験生の減少が、これまで地理受験の可能であった大学・学部においても、次々に選択科目から除外されるといった悪循環に陥っている。 たとえば、私立大学(4年制)において地理受験が可能な大学は116大学・378学部である(平成18年度入試)。全国の私立大学総数が670大学、1392学部であり、総数に対しては17.3%、学部総数では27.2%となっている。全体に、私立大学入試における地理受験の状況は厳しいものと言わざるをえない。 国公立大学では北海道、埼玉、筑波、東京、一橋、東京学芸、新潟、福井、愛知教育、名古屋、京都、大阪、和歌山、長崎、札幌市立、高崎経済、首都大学東京、防衛(文部科学省管轄外大学)の18校が2次試験に地理の問題を出題した(平成18年度入試)。地域別特徴として、関東・中部・近畿に偏っており、東北・四国・沖縄地域においては地理で受験可能な大学が1校もない。センター試験において地理A・Bが出題されており、2次試験で地理を出題する必要がないという考えもあろうが、マーク形式では計れない記述式のもつ意味の重要性を鑑みれば、地理のスタッフが多い大学での出題が望まれる。2.大学入試センター試験 大学入試センター試験における地理は地理A・地理Bが設定されている。受験者数は、平成17年度では日本史B(152,072人)、世界史B(93,770人)、地理B(109,805人)であり、日本史に次ぐ受験者数を確保している。それに対して現代社会が平成9年度45,922人であった受験者数が平成17年度に198,746人へと急増している。その理由は地理歴史、公民の2教科が2日に分けて実施されており、歴史と地理を同時選択できないことに起因する。とは言え地理歴史科において高等学校で必修となっている世界史よりも地理の受験者数が多い。センター試験に関しては受験者数の減少を食い止めつつ、私大のセンター試験利用大学への地理選択拡大策等を模索する必要があろう。 このように、受験生にとって地理を選択することは、受験校選択に著しく不利に働くことになる。大学全体からみれば受験生の受験機会を奪うことになり、当該学部の性格にもよるが、ある意味では社会的責任を果たしていないことにもなる。地理受験の機会拡大や地理受験生の増加を促すことが地理学界の発展に直接結びつくとは言い切れないが、日本地理学会が積極的にこの問題に対応することが、高校現場において地理選択を拡大させる原動力になろう。3.地理教育専門委員会の取り組み 地理教育専門委員会では、このような状況に対処するため以下の諸策を実行しつつある。 1 ターゲット大学への要望書の送付 私立大学の中で、受験生への影響力が大きいと思われる有名校や、グローバル化に対応し現代社会の認識が必要となる法学部や経済学部を有する大学に対し、2006年1月に地理入試の実施を求めるための要望書を作成し送付した。すでに関西及び中部の主要私立大学に対しては人文地理学会より要望書が出されていたので、地理教育専門委員会では日本地理教育学会や高校の教員で構成される全国地理教育研究会と連名で関東の主要私立大学に送付した。 2 センター試験実施後の問題・解答の新聞掲載依頼 センター試験実施後、新聞紙上で地歴の問題と解答が掲載される際、地理の問題が一部省略されることがある。そこで、学会として主要新聞社に対し、日本史や世界史と同等の掲載を求める申し入れを2005年から行ってきた。 3 ネットワークの強化 関連地理学会および各種教育機関、地理関連業者間の人的ネットワークの構築を図り、情報交換・情報発信の機会を増やしつつある。とくに、人文地理学会に設けられた地理教育部会とは連携を図りたい。今後は、各都道府県の地理担当教員や研究会を通じて、地理受験の機会増加を各大学に促してもらえるよう学会のサポート体制を整えたい。いずれにしても、大学入試おける地理受験者の増加は地理教育の活性化に結びつくものである。大学入試地理の拡大策を地理教育活性化の突破口の一つと位置づけ、教育現場、関連業者(出版社等)、学会が一体となって取り組む必要が求められよう。これまで、ややもすれば傍観・静観することの多かった学会だが、地理の裾野を拡大するために、あらゆる機会を捉えて活動する必要に迫られている。地理教育専門委員会では、各種アクションプランを実行する中で広く活動を展開していきたい。
著者
須山 聡
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

本論は高齢化と過疎化の進展の結果,居住者がいなくなるという,図式的な「過疎化言説」を批判的に捉え,離島の過疎を客観的に評価する材料を提供し,離島の無人化について新たな知見を得た。戦後,全国で78島が無人化したが,多くは過疎化以外の要因によるもので,過疎化にともなう人口減少の末の「無人化島」はわずか15島にすぎないことがわかった。さらにそれらのうち12島は行政からの勧奨に応じた集団離島によって無人化した。無人島の発生は,過疎の終着点ではなく,むしろ行政が無人島化を最終的に進めた。集団離島に際しての行政/住民の意志決定プロセスを,詳細に検討する必要があることがわかった。
著者
栗栖 悠貴 稲澤 容代
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

中央教育審議会の答申(2016年(平成28年)12月「幼稚園,小学校,中学校,高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)」)にて,高等学校において新たな必履修科目として「地理総合」の設置を求めるなど,地理教育が重要視されている.また,その実施にあたっては,各教科等の教育内容を総合的に捉えて教育課程を編成する「カリキュラム・マネジメント」の重要性が指摘された(2017(平成29)年2月報告「小学校におけるカリキュラム・マネジメントのあり方に関する検討会議」報告書より).しかし,教科横断的な学習を早期に実現するためには,①簡易に利用できる教材②具体的な実践事例などが必要である.教科としての地理は社会科の分野に位置づけられるが,地形や空間的な位置関係を把握するための手段として,地理的な考え方を活用すると教科横断的な学習が可能となる.本報告では,特別なGISソフトが不要なウェブ地図であり,有用な地理空間情報が豊富に掲載されている地理院地図<https://maps.gsi.go.jp/>を利用して,地形を切り口とした教科横断的な学習や地域学習を支援するための具体的な活用例(参考:国土地理院応用地理部ツィッター<https://twitter.com/gsi_oyochiri>)を中心に紹介すると共に,考察を深める際に利用できる地理院地図の便利な機能について紹介する.
著者
高崎 章裕
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.2, 2008

<BR> 近年,環境への関心が高まり,河川の清掃活動や植林活動などがNPO団体や市民ボランティアによって,全国各地で行われている.地域を越えた住民や市民団体のネットワークの形成は,環境問題を考える上で重要な役割を果たすものと考えられる.<BR> そこで本研究では,熊本県球磨川流域において環境保全を行っている「球磨川水系ネットワーク」の活動,中でも「球磨川源流水リレー」を取り上げ,人々がどのように流域圏のネットワークを築き発展させてきたのか,そしてそのネットワークを通して,地域や球磨川に対する参加者の意識がどのように変化してきたのかについて明らかにすることを目的とする.<BR> 熊本県球磨川流域には17の自治体が含まれ,流域内人口は約14万,流域面積は1,880km<SUP>2</SUP>におよぶ.当該地域にはいまだに決着が付いていない川辺川ダムの建設問題が残されており,球磨川流域の住民は古くから環境問題と向き合ってきた.そして1996年,球磨川の変化に気づいた住民たちが「球磨川水系ネットワーク」を立ち上げた.現在は39団体で組織され,流域内の植林活動,一斉清掃,水質調査などを実施し、また共同イベントとして「球磨川源流水リレー」を毎年開催している.<BR> 「球磨川源流水リレー」とは,竹筒に汲んだ球磨川,川辺川の源流水を人の手だけでつなぎ,約170kmの距離を隔てた八代海まで運ぶイベントである.イベントが始まった1996年の参加者は約50名に過ぎなかったが,ビラ配りなどの地道な宣伝を通して学校や地域に情報を発信し続けてきたことで認知度が高まり,現在では約700名もの流域住民が参加するイベントへと成長した.参加者層は,地域住民や地元の小中高校生をはじめ,カヌー・ラフティングクラブ,漁協組合,そして自治体職員まで非常に幅広い.<BR> そして「球磨川源流水リレー」は,2005年から,不知火海に注ぐ約20河川の源流水を運ぶ「環・不知火海源流水リレー」へと規模が拡大された.「源流水をリレーする」という行為は,人と人,地域と地域を繋ぐ象徴的行為である.参加者たちは,実際に球磨川に接することで現状に気づき,球磨川からの恩恵や自然への感謝の気持ちが芽生え始める.そして、彼らの中には"My River"という考え方を持つものさえ出てきた.「球磨川源流水リレー」の参加者たちは,活動を通して球磨川という特定の自然に対する意識が変化したと捉えることができる.<BR> 本発表では,自然の意味,すなわち場所の意味が,どのように変化し,形成されていったのかについても報告をしたい.
著者
堤 純
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100188, 2014 (Released:2014-03-31)

本報告は,オーストラリア統計局(以下,ABS)が提供する機能(カスタマイズ可能な詳細な国勢調査データ)を活用して,人口急増の著しいオーストラリアのシドニーにおけるジェントリフィケーションの特徴を考察した。1990年代後半以降に進展したグローバリゼーション下において,シドニーはオーストラリア国内では最も急速に,かつ顕著に成長した都市である。アジア太平洋地域の拠点として,国際金融機能や外資系企業の地域本社も集中した。シドニー都心部およびその周辺部ではオフィスと高層コンドミニアムを組み合わせた複合的な再開発事業が数多く行われ,ダーリングハーバー地区,ワールドスクエア地区,さらにはシドニー湾を越えてノース・シドニーへのバックオフィスの拡大などが急速に進展した。表1は,ABSが提供する国勢調査のうち,前回2006年実施および最新の2011年実施のデータに着目し,同局が提供するデータのカスタマイズ機能(Table Builder)を用いて,過去5年間の人口移動を集計したものである。表中のMarrickville (A)とSydney (C)-South の2つのSLA(≒中統計区)は,いずれもシドニーのCBDに隣接した近接性の高い地区であり,近年の現地の新聞等でも急速なジェントリフィケーションが引き起こす様々な社会問題について報道される機会の多い地区である。2006年から2011年にかけて住所変更のない住民は約40%にすぎず,それ以外の住人は過去5年の間に当該地区に流入してきた。図1(2006年)および図2(2011年)は,各年次の国勢調査の小統計区を対象に,世帯収入(常住地)に基づいて世帯数を集計し,週給2,000豪ドル(≒19万円,年収約1,000万円以上,@95円/豪ドル換算)以上の割合を示したものである。これらの図によると,2006年の段階では高所得者の割合の高い地区はシドニー湾に面した(とくに北部の)眺望のよい地区が中心であったが,わずか5年後の2011年には,シドニーのCBD(図中★)の西南西約3kmのNewtown地区や約3km南のWaterloo地区を中心に,各統計区内に占める高所得者の割合が50%を越える地区が急増した様子がみてとれる。こうした急速なジェントリフィケーションの進展により,立ち退きを余儀なくされる住民も少なくない。紙面の都合により,社会・経済的な特徴の詳細については当日報告する。
著者
田中 雅大
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p>いまやデジタルなものはあらゆる場所に行き渡り,社会を構成する重要な存在となっている.そこで人文社会科学の分野ではデジタルなものに関する存在論的・認識論的・方法論的な議論が活発化している.本発表では英語圏を中心に展開されている「デジタル地理学」という取組みを概観し,特にソフトウェアの役割に着目しつつ,デジタルなものに関する地理学的議論の動向を紹介する.</p><p> 重要なのは,デジタル地理学はその名の通り「デジタル」なもの(ソフトウェア等)に注目するということである.技術的にいえば「デジタル」とは数値によって離散的に情報を表すことを意味する.あらゆるデジタルなものは「数値」という点で同質・等価であり,すべて分け隔てなくコンピューティングの対象となる.また離散的であるためソーティング(整列)のような操作を施せる.突き詰めればデジタルなものは物理的実体のない数値という抽象的存在である.人々は様々なモノをインタフェースにすることでデジタルなものと物質的に関わっている.</p><p> コンピュータの処理速度が飛躍的に向上し,様々なインタフェースが日常空間のあらゆる場所で登場するようになったことで,デジタルなものが有する上記のような性質が社会-空間的問題を引き起こしている.ここでは都市空間におけるソフトウェア(コード)の役割を論じたThrift and French(2002)を筆者なりに解釈しつつ,デジタルなものと地理学の関係を整理したい.彼らによればソフトウェアの根幹は「書くこと」であり,それには3つの地理学的含意がある.すなわち,①ソフトウェアを書くことの地理,②ソフトウェアが書く地理,③書き込みの場としてのソフトウェアの地理,である.</p><p> ①については,どこの・誰が・どのようにソフトウェアを書くのか,またそれに参加できるのか,という経済・文化・政治に関わる問題がある.また,人間はソフトウェアを書く行為を通じてデジタルな空間的知識(デジタルなまなざし・世界観)を身に着ける,という認識論的問題もある.</p><p> ②は空間の監視や管理の問題と関係している.デジタルな存在であるソフトウェアの働きを人間は直接知覚できない.ソフトウェアは常に「背景」や「影」として存在し,人間の無意識の領野にある.その意味でソフトウェアは人間を超えた存在more-than-humanである.それは様々なアクターとの布置連関の中で行為主体性agencyを発揮し,都市のような空間を自動的に生産している.都市に存在するあらゆるものが様々なデバイスを通じてデジタル化され,数値として一緒くたに扱われ,ソーティング等の操作を施される.それはすぐさまインタフェースを介して物理空間に反映され,新しいかたちの社会的不平等・排除を引き起こしている.2000年代以降,こうしたポスト人間中心主義的な「空間の自動生産」論が展開されている.</p><p> ③は人間と空間の関係に関わる問題である.ソフトウェアは創造性を発揮できる実験的な場でもある.たとえばThrift and French(2002)は,創造的なソフトウェアプロジェクトの多くが人間の身体に関心を寄せていることに注目している.ソフトウェアは五感の拡張(拡張現実,仮想現実等)や記憶の保存(過去把持)に関わっており,「人間」や「文化」なるものはどこに存在するのか,という問題を喚起する.</p><p>Thrift, N. and French, S. 2002. The automatic production of space. <i>Transactions of the Institute of British Geographers</i> 27: 309-335</p>
著者
村山 良之 黒田 輝 田村 彩
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

自然災害は地域的現象であるので,学校の防災教育(および防災管理)の前提として学区内やその周辺で想定すべきハザードや当該地域の土地条件と社会的条件を踏まえることが必要である。災害というまれなことを現実感を持って理解できるという教育的効果も期待できる。福和(2013)の「わがこと感」の醸成にもつながる。<br><br> 学校教育において,児童生徒に身近な地域の具体例を示したりこれを導入に用いたりすることは,ごく日常的である。しかし,山形県庄内地方では,新潟地震(1964年6月16日,M7.5)で大きな被害を経験したが,多くの教員がこのことを知らず,学校でほとんど教えられていない。発災から約50年が経ち,直接経験の記憶を持つ教員が定年を迎えており,教材開発が急務であると判断された。そこで,既存の調査記録(なかでも教師や児童生徒,地域住民が記した作文等)および経験者への聞き取り調査を基に,当時の災害を復元し,それをもとに教材化することを目指した。<br><br>庄内地方における1964年新潟地震災害の復元<br><br> 鶴岡市においては,被害が大きい①京田地区②大山地区③西郷地区④上郷地区について調査した。①と②について記す。<br><br> ①京田地区は,鶴岡駅の北西に位置し,集落とその周辺は後背湿地である。小学校の校舎を利用して運営されていた京田幼児園では,園児がグラウンドへ避難する際に園舎二階が倒壊し,保母と園児16名が下敷きとなった。学校職員をはじめ,地域住民やちょうどプール建設工事を行っていた従業員によって13名が救出されたが,3名の園児が亡くなった。当時の園児Sさんは,倒壊部分の下敷きとなったうちの1人である。逃げる途中に机やいすから出ていた釘で左の頬を切った。自分もグラウンドに逃げたかったが,体が倒壊した建物にはさまれて動かず,「お父さん!お母さん!」と叫んで助けを求めるしかなかった。その後泣き疲れて眠ってしまい,気付いた時にはすでに救出されていたそうだ。<br><br> ②大山地区は,鶴岡市西部に位置する。地区の西部は丘陵地,東部は低地である。町を横断するように大戸川と大山川が流れており,当時の市街地は大戸川の自然堤防上にあった。ここは家屋被害が鶴岡市でもっともひどく,道路に家が倒壊したものもあった。家を失った人々は公民館や寺の竹藪,旧大山高校などで数日間生活した。大山は酒造業が盛んで,醤油作りも行われていたが,これらの被害も大きかった。酒造会社のWさんによると,町中を流れる水路に酒が流れ込み,酒と醤油の混ざり合った異臭が数日間消えなかったそうだ。大山小学校においては,明治時代に造られた木造校舎の被害が大きかった。当時3年生だったOさんの話によれば,教室後方の柱が倒れてきたとのことだった。大山小学校ではちょうど3日前の避難訓練の成果がでて,職員と児童全員がけがすることなく避難することができた。<br><br> 酒田市においては,既存文献で被害の大きい①旧市街地②袖浦・宮野浦地区の2地域について調査した。うち①について記す。<br><br> ①旧市街地は最上川右岸の砂丘とその周辺に位置する。水道被害が深刻でとくに上水道の被害が大きく,6月17~19日にかけて完全断水となった。その間は自衛隊の給水車で水を賄っていた。酒田第三中学校で2年生の女生徒がグラウンドに避難する途中に,地割れに落ちて圧迫死した。グラウンドには,何本もの地割れが走り,そこから水が噴き上げため,落ちた生徒の発見が遅れた。犠牲者と同学年のIさんの話によると,校庭でバレーボールをしている際に地震が起こった。先生の指示で最上川の堤防に逃げようとした時,グラウンドにはすでに地割れが起こっていた。地割れが自分に向かって走ってきた恐怖は,今でも地震の際に思い出すそうだ。水道管の被害,グランドの地割れや憤水から,酒田では広域にわたって激しい液状化が発生したことがわかる。<br><br>新潟地震の教材化<br><br> 現行の小学校社会科学習指導要領では,3年「市の様子」,「飲料水・電気・ガス」,4年「安全なくらしを守る」,「地域の古いもの探し」,5年「国土と自然」,6年「暮らしと政治」の各単元で,上記結果を用いた授業展開が考えられる。このうち3,4年社会科では地元教育委員会作成の副読本を用いることが一般的である。鶴岡市と酒田市の現行副読本には新潟地震災害は含まれていないため,これに追加可能な頁を,上記の研究成果を基に試作した。<br> 鶴岡市教育委員会では,次期改訂で新潟地震を取り上げることとし,2018年度から検討を開始した。以上の研究成果が次期副読本に活用される見通しである。