著者
吉田 正俊
出版者
京都大学
巻号頁・発行日
1962

博士論文
著者
外山 軍治
出版者
京都大学
巻号頁・発行日
1962

博士論文
著者
太子堂 正称
出版者
京都大学
巻号頁・発行日
2008-03-24

新制・課程博士
著者
渡邊 拓也
出版者
京都大学
雑誌
京都社会学年報 : KJS
巻号頁・発行日
vol.12, pp.91-108, 2004-12-25

This article aims to examine the effects of emergence and diffusion of ADHD (Attention Deficit Hyperactivity Disorder) in Japan, especially in the field of pedagogy. ln the 1980s, ADHD was listed on DSM-III, the classification of American Psychiatric Association. By 1999, the term ADHD was introduced to Japan, first by a book written for parents who have ADHD children. Also on the governmental level, by the end of the twentieth century in Japan, the Minister of Education decided to introduce American psychiatric diagnostic criteria partially to the education system of primary and secondary schools. The application of the criteria, however, provoked certain problems. a) The brighter side of the application: medically exact diagnosis of ADHD. Problematic behaviour of children was once considered as "childishness". Medical diagnosis has led teachers and parents to abstain from excessive reproach that might lower the children's self-esteem. b) The darker side: confusion between ADHD and quasi-ADHD. ADHD became a magic word that allows teachers, sometimes unjustly, to hold the disease responsible for many other problems at school: wandering in class, violence, long absence from school, etc. Becoming scapegoat of a sort, difficult children who were simply called "childish" have now become suspects of mental disorder. Psychiatric doctors and psychologists, on the one hand, insist on the importance of showing understanding towards the disease, and spread information about it. On the other hand, the term "ADHD" has become so popular and handy that it can be used less carefully to a simply difficult child. In conclusion, it is argued that this paradox of medicalization occurred largely in the process of the information iffusion, rather than as an effect of the discovery of the disease.
著者
貴志 俊彦 陳 來幸 石川 禎浩 武田 雅哉 川島 真 柴山 守 松本 ますみ 孫 安石 大澤 肇 小林 聡明 谷川 竜一 菊地 暁 富澤 芳亜 泉水 英計 西村 陽子 李 梁
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2013-04-01

本共同研究では、近100 年間に東アジア域内で起こった歴史的事件、あるいは時代の画期となるトピックをとりあげ、それぞれの局面で登場した非文字史料がはたした役割とその受容者の解釈を検討した。国内外における広範な調査と成果発表にあたっては、複数の地域で製作された非文字史料を比較対照するとともに、(a)図像解釈学的分析、(b)語彙分析による情報処理、(c)コミュニケーション・パターン分析等を導入して、紛争・協調の時代イメージと非文字史料との因果関係を明らかにした。
著者
松尾 尊兌
出版者
京都大学
雑誌
京都大學文學部研究紀要 (ISSN:04529774)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.159-260, 1978-03-31

この論文は国立情報学研究所の学術雑誌公開支援事業により電子化されました。
著者
山下 浩平
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

好中球細胞外トラップ(NETs)は好中球の新たな細胞外殺菌機構として生体防御に寄与するが、強い傷害因子を細胞外へ放出するため、血栓症や炎症性・自己免疫性疾患などの病態形成に関与することが報告されている。本研究では主に以下の3点、①NETs形成機構に活性酸素の一種である一重項酸素が重要であること、②同種造血細胞移植後の重篤な合併症の一つである血栓性微小血管障害(TMA)の病態形成にNETsが深く関与し、血清NETs高値がTMA発症の予測因子になりうること、③高濃度の尿酸が活性酸素非依存性にNETs形成を誘導し、NETsが高尿酸血症による心血管障害に関連する可能性があること、を明らかにした。
著者
柿崎 一郎
出版者
京都大学
雑誌
東南アジア研究 (ISSN:05638682)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.268-299, 2011-09-30

This article aims to reveal urban transport policy in Bangkok in the eras of "development" and "democratization"from the end of the 1950s to the mid 1970s, focusing on the politicization of bus services. A unification plan of numerous bus operators led by the Ministry of Transport surfaced at the beginning. Subsequently, Bangkok Municipality's plan, supported by the Ministry of Interior, came out. However,both suffered setbacks through public opinion and leadership fights within the government. Private operators finally pushed forward with unification independently, though this ultimately failed.When a fare hike in 1968 was withdrawn due to fierce civic resistance, a policy of reducing expenditure instead of introducing fare hikes was considered. As a result of this, a conclusion was reached that there was no method apart from expenditure reduction through unifying existing operators. This unification plan was carried over into the era of "democratization" after the collapse of the Thanom government in 1973, and it made progression within the limits of the license renewal in 1975. Eventually, the plan was settled by the installation of a state-owned company. Then, it was reorganized into the public authority; the Bangkok Mass Transport Authority.As the politicization of bus services progressed, the unification plan became a tool for materializing populist style policy. Political decisions made in regards to countermeasures during general elections andthe realization of campaign pledges greatly influenced the realization of unification. Unification in the form of a public authority was finally achieved in order to realize the Khukkrit Government's populist stylepolicy; free bus services for the poor. However, since the bus service has deteriorated, it has not functionedto the degree that politicians expected.
著者
林 晋 橋本 雄太 加納 靖之 久木田 水生
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2015-04-01

古文書のWEBを実現するにおいて、最も重要なことは古文書の翻刻、つまり、古文書のテキストを文字列にすることである。それにより、古文書のテキストの検索、リンクづけなど、WEBと呼ぶにふさわしい文書の集合体を作成することができる。その実現法の一つとして、市民のボランティア参加による翻刻方法、クラウド翻刻(Crowd transcription)が知られており、英国などでの成功例が知られている。しかし、日本の古文書に対しては、成功例がなかったが、地震関係の古文書を対象にして、ボランティアが崩し字の読みを学習できるようにした、「みんなで翻刻」システムを開発し、これを初めて成功させた。
著者
児玉 聡
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

本研究では「進化論は倫理に対してどのような含意を持つのか」というテーマについて、規範理論の一つである功利主義を擁護する論者のこのテーマへの取り組みという観点から検討を行った。具体的には、J.S.ミルやシジウィックといった19世紀イギリスの古典的功利主義者たちが進化論を受け入れなかった理由に関する歴史的、理論的な研究を行うと同時に、現代の功利主義者であるP.シンガーが進化論をどれだけ正確に理解し、自らの規範理論に組み込んでいるかを検討した。以上の研究成果について国内外の研究者と意見交換、討議を繰り返し行った。また進化倫理学の概要を日本語の読者に伝えるため入門書の日本語訳を出版した。
著者
中野 昌宏
出版者
京都大学
巻号頁・発行日
2001-03-23

新制・課程博士
著者
吉岡 健二郎 太田 孝彦 太田 喬夫 佐々木 丞平 野口 榮子 山岡 泰造
出版者
京都大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1985

美的価値と芸術的価値の問題は美学及び芸術史研究にとってその中心をなすというべき重要な問題である。研究代表者の吉岡は60年度に美術史研究が独立した学問として成立するに至る過程をたどり、それが18世紀の西欧世界においてであること、そしてまた美術史学の成立と美学の成立とは互いに支えあって初めて可能であったことを明らかにした。(京都大学文学部美学美術史学研究紀要第7号)吉岡の研究は各研究分担者の個別的で緻密な研究に支えられ、そこから大きな示唆と教示を得て執筆されたのであるが、同時に問題の難しさを一層鮮明なものにする結果ともなった。即ち美の問題と美術の問題との、近代世界における新たなる関係如何という、美学にとってのより根底的な問いが避けられなくなってきたのである。美学が美と芸術の本質を探求する学として成立したのは18世紀半ばであるが、美と芸術が一つの学の中で、まとめて扱われたのは、芸術が美的価値の実現を目標とする人間活動と見倣されたからに他ならない。ところが、人間活動の一形態としての芸術は必ずしも美的価値を目標とするものではないのではないかという疑問や、西洋以外の諸文化圏の芸術は少くとも西洋の伝統的美概念には包摂できないという明白な事実が、研究者の意識に上ってくるようになると、美的価値と芸術的価値とは分離されざるをえなくなる。東洋・日本の美術の研究者は、中国や日本の美術の目差すところが、いわゆる西洋世界で確立された美的諸範疇といったものでは充分に説明できないこと、それにも拘らず人間の表現活動としては西欧の認識の心を深く感動させるものを有していること、従って美的価値概念と芸術的それとの再検討が地球的規模で行なわれなければならないこと、そして美的価値と芸術的価値との価値論的な新しい統一の試みが必要であるという点を明らかにしてきたのである。