著者
東 淳樹 武内 和彦
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.62, no.5, pp.573-576, 1999-03-30
被引用文献数
21 31

千葉県印旛沼流域の谷津環境に生息するカエル類について,種および個体数と生息地の環境要因の関係について調べた。調査は,1997,98年5月から7月にかけて行なった。畦の上を歩き,目撃したカエルの数と,歩いた畦の距離,周辺の環境要素などを同時に記録した。目撃種ごとの個体密度と環境要因との関係について分析した結果,個体密度に影響を与えた要因として,水田の暗渠排水施設の整備,斜面の土地利用,用水の取水方法,水路の配置などがあげられた。ニホンアカガエル・トウキョウダルマガエルの生息は圃場整備による乾田化によって負の影響を受けやすいが,ニホンアマガエルは乾田化の影響を受けにくいことが明らかとなった。
著者
橋詰 直道
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.67, no.5, pp.799-802, 2004-03-31
参考文献数
12
被引用文献数
1 1

In this paper, I discussed the question of the first Garden Suburb in UK and to make clear the characteristics of greenery landscape of Merton Park near Wimbledon in London. The results obtained from these studies are summarized as follows. Merton Park's first houses were five years earlier than Bedford Park 1875. Merton Park claims the title of 'the original garden suburb'. However Bedford Park and also Merton Park were speculative development, which lacked any real social aim in its foundations therefore; the garden suburb concept had not yet emerged at the end of the 19th centuries. So, we can say that both are the Victorian railway suburbs, but not the garden suburb. Merton Park was to become a rich and attractive greenery landscape community which consist of some varied housing set grass, trees and shrubs, especially the holly hedges were all selected by John Innes who was founder of Merton Park.
著者
粟野 隆
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.68, no.5, pp.381-384, 2005-03-31
参考文献数
22
被引用文献数
2

In the last several years, an explosion of papers argue about Japanese modern landscape, there are design of residential gardens, policies of park and landscape of resort and so on. This paper clarifies the formation period of semi-western gardens in Tokyo during the Meiji period and its spatial characteristics, particularly Shiba-niwa (lawn garden), by analyzing the trends in western house construction and relationship between building layout and garden design within premises. The result leads to the following hypothesis. The formation period of Shiba-niwa style overlaps with the period of western building construction boom around the mid-Meiji period (1882-1902). The concept of Shiba-niwa was to integrate the juxtaposed arrangement of Japanese and western buildings, typical building layout in modern residential spaces, into coherent landscapes with simple combination of spacious lawns and gently meandering paths, that is a remarkable characteristic reflecting the modernization of traditional garden design.
著者
黄 永融
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.59, no.5, pp.21-24, 1996-03-29
被引用文献数
1

東洋思想の一つであった風水思想は大地を生きたものとして扱っている。風水思想において大自然の山は,単なる土と鉱物を混在するものでなく,一個生命をもつ「龍」である。風水では,石は山の骨であり,土は山の肉であり,川は山の血脈であり,草木はその皮毛である。そして骨肉皮毛は血脈によって貫通したのである。こうした大地は疑似人体と見なされ,人間は自然と一体にならなければならないという「天人合一」の思惟が定着した。また,風水は一種の実用技術でもあり,大自然の風景を読みとり,自然の原則に従って造営物や空間をつくるという東洋の独特な自然景観論として位置づけられる。
著者
渡辺 達三
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.36, no.2, pp.27-34, 1972
被引用文献数
1

In these studies series, the author tries to inquire into the formative and developmental process of the <I>Hiyokechi-Hiroba</I> (the <I>Square</I> mediated by the open space for the fire prevention) of the city <I>Edo</I> as the public <I>Square</I> in the feudal age of Edo in order to know the same process of the <I>Square</I> in the feudal age in Japan.<BR>In this report (2), the latter half age of the <I>Edojidai</I> is dealted with, and the followings are studied.<BR>1. The third stage (from the age <I>Enkyo</I> 4 to the age of the <I>H&ocirc;reki</I>)<BR>The populace's overheated recreational uses on the <I>Hiyokechi</I> asks the feudal lord sides to reconsider the original character of it.<BR>And they try to define it as the open space for the fire prevention.<BR>2. The fourth stage (from the age <I>Meiwa</I> to the last days of the shogunate)<BR>Nevertheless, the populace's deep-rooted recreational uses on it puts into disorder their intention by degrees. And then the <I>Hiyokechi</I> is charged with the character of the receational open space again.
著者
養父 志乃夫 山田 宏之 中島 敦司 中尾 史郎 松本 勝正
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.64, no.5, pp.595-600, 2001-03-30
被引用文献数
2 5

大阪府大坂市から東大阪市にかけての近鉄奈良線沿線部二おいて,バッタ類の生息密度の変化を調査した。調査区としては,近鉄奈良線の各駅を中心とした半径250m円の調査区を12カ所,半径1km半円の調査区を5カ所設定した。調査は2000年8月から9月にかけて行い,一般に人の立ち入ることのできる接道部の緑地と公園緑地を対象に,全バッタ類を捕虫網で捕獲する方法で行った。その結果,都心部からの距離が離れるに従って単位面積あたりの捕獲数は指数関数的に増加すること,緑地の規模や草地組成とバッタ類捕獲数は相関を持たないことなどが明らかとなった。また,都市環境への適応性の大きいバッタ種も特定された。
著者
北村 文雄
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.26, no.4, 1963-03-30
著者
杉尾 邦江
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.58, no.5, pp.45-48, 1995-03-31
参考文献数
20

イギリスの福祉国家としての近代的国家機構の創出に深く係わったベンサムは、政治, 経済, 社会, 法改革を先導したのみならず, 功利の原理「最大幸福原理」やパノプチコンのアイデア等によってイギリスの公園運動を刺激し, 公園の成立に大きな影響を与えた。またベンサムの間接的立法論で提案された犯罪予防の政策は公園原理の萌芽とみることができ, 更には, パノプチコンの構想はラウドンの多目的グリーンベルトに影響を与えたと考えられる。
著者
河原 武敏
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.89-107, 1986-12-15
被引用文献数
2 2

平安時代中期における庭園の様相を知るため,源氏物語を対象として皇室から庶民に至る30庭園135項目を,抽出,修景・供用・管理の面から考察した。そこには水景施設を多用し,春秋の花香を重視した植栽,船遊びや草木観賞による宴遊と雪月花や風・鳥・虫の音を楽しむ雅やかな庭園生活,庭の手入れ方法などが描写されており,後世わが国の庭園に大きな影響を与えたことがわかる。
著者
鶴島 孝一 宮城 俊作
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.61, no.5, pp.695-698, 1998-03-30
参考文献数
11

公園設計競技における当選者の位置づけと作品の扱いは,設計競技の過程と競技後という2つの段階において把握できる。1983年以降の実現を前提とした公園設計競技の各応募要項では設計者と作品に関する記述に相違がみられた。また競技後,当選案を実現していくプロセスでの設計者の位置づけを設計意図の伝達という観点からみると4つの段階を想定することができ,これらの段階の詳細を事例によって検証した。こうした相違や段階の発生は,設計・施工という実現のプロセスで設計者の裁量をどこまで期待するかという主催者側の判断によるものであり,それはその裁量を造園設計委託の慣例に適合させるか否かを根拠とするものであると推察した。
著者
進士 五十八 吉田 恵子
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, pp.155-165, 1989-02-15
被引用文献数
5 8

本論は、小学校隣接配置による地域密着型小公園として、或いはリバーサイドパーク・勤労者対応型公園として評価される震災復興公園について、既往記録などを整理し、その全体像を明らかした上で、東京日日新聞(大正12年9月1日〜昭和10年8月31日の12年間)の公園関連記事(191)を抽出し、公園がどのようにして市民社会に定着してゆくか、行政の動きを市民や専門家はどのように受けとり、反応してゆくか、現在からふりかえったとき震災復興公園はどのように評価されるか等について考察した。その結果、計画に対する地元の反対や「不良とルンペンの巣云々」等の生活史を明らかにした。また公園意匠などの特徴を2類7型に整理した。
著者
丸山 宏
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.60, no.5, pp.399-404, 1997-03-28

江戸後期の戯作者,滝沢馬琴は日記に日常生活を克明に綴っていることで著名である。馬琴は庭造りと園芸を趣味とし,日記あるいは『後の為の記』『改過筆記』等に日常生活の記述を残した。文致7年(1824)から天保7年(1836)の12年間,馬琴は神田明神下同朋町の80坪の住居に暮らし,鑑賞と実用の庭を造った。庭には多くの樹木草本類の品種が植えられた。江戸の園芸文化の一端が窺える庭であった。庭造りには実学的な植物の知識が求められるが,また,江戸後期に見られる家相学が庭造りにも影響をあたえた。馬琴も庭造りに吉凶を見ている。俗信・迷信であっても庭造りに一つの拠り所として家相が機能していたことは留意すべきことである。
著者
小野 健吉
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.68, no.5, pp.369-372, 2005-03-31
参考文献数
15
被引用文献数
2

Luis Frois (1532-1597), a Portuguese Catholic missionary, described some gardens of temples and mansions in Kyoto which he visited in 1565, in his work History of Japan. Through the examination of the description, I offer the following interpretation that could enrich the image of the late 16th century gardens and their social function in Kyoto: 1) Pruning technique, which Frois referred to as a kind of topiary in the article on the mansion garden of the Ashikaga shogun, might have been originally developed in Japan by this age. 2) A dry landscape garden of a monastery of the Daitokuji temple had flowers of four seasons as components, which suggests that it might have been more usual at that time for a dry landscape garden to have flowers as components than in the Edo period. 3) Some gardens were well maintained and might have functioned as a relaxation place, a kind of tourism resource and a symbol of the order, in spite of the fact that it had been troublous age for one hundred years.
著者
佐藤 治雄 前中 久行 川原 淳
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.60, no.5, pp.515-520, 1997-03-28
参考文献数
8
被引用文献数
3

測量時期の異なる国土地理院地形図をもとに,琵琶湖湖岸城の昭和30年頃からの約30年間にわたる土地利用の変化を調査した。この期間に行われた河川改修や内湖干拓,土地改良事業,鉄道・道路網の整備などが要因となり,市街地面積は湖東城で2倍,湘南城で3倍に急増し,その変化は湘南城ではやく起こった。また,水田面積は昭和30年頃から45年頃まで湘南域での減少と湖東城での内湖干拓による増加が釣り合い,37 3%から35 7%へ微減したが,その後昭和60年頃までに30.6%へ急減し,多くは市街地に転換された。このような大規模な土地利用変化には,大きな社会資本の投入をともなう国や県レベルでの政策決定が大きく寄与した。
著者
皆方 訓久
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.60, no.5, pp.451-454, 1997-03-28
被引用文献数
2 3

戦前の東京市に指定された風致地区では,地元住民の組織する風致協会の活躍が良好な風致の維持に寄与したとされているが,風致協会の具体的な活動とその成果は明確にされていない。そこで,風致保全と開発の調和を目指し,風致地区の指定目的にあげている近郊行楽地としての整備や良好な住宅地の形成に,協会はその活動を通してどのようなかかわりを持ったのか検証した。その結果,前者は近郊行楽地として便益施設等の整備によって,レクリエーション利用の促進を図り,それが将来の公園化につながった。後者では,風致地区にふさわしい緑豊かな住宅地の形成を導くような積極的な活動はみられず,一般住宅地と大差のない市街化を許してしまった。
著者
五島 聖子 藤井 英二郎 白井 彦衛
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.272-279, 1999-01-30
参考文献数
25
被引用文献数
2 3

これまでの小石川後楽園に関する研究では,もともと後楽園の大泉水の池尻は北東方向に向けられていたことが指摘されているが,その背景については明らかにされていない。そこで本論文では,大泉水を中心とする水系の変更の背景について,現在残されている後楽園に関する文献と絵図をもとに考察した。その結果,後楽園の水景の変更は,元禄期から享保期にかけて起こった天災に起因すると考えられ,それに伴い「渡月橋」の位置も変更されたと考えられる。また,江戸中期に記された『遊後楽園記並序』や同時期に描かれた絵図により,大泉水の中島は,江戸時代中期ごろまでは現在と異なる形状であった,と推定した。
著者
白幡 洋三郎
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.46, no.5, pp.37-42, 1982
被引用文献数
1

エルヴィン・バルトの活躍した時期はおおよそ1910・20年代である。その間リユベック市, シャルロッテンブルク市 (1920年ベルリン市と合併) ベルリン市の造園局長を歴任し, 29年にはベルリン農科大学の正教授となった。両大戦間のドイツ造園界に彼の仕事は重要な位置を占める。装飾緑地より保健緑地を尊重し, フォルクスパルクの設計を数多く手がけたが, そこから時代思潮を反映した彼の造園観をうかがうことができよう。
著者
日置 佳之 井手 佳季子
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.60, no.5, pp.501-506, 1997-03-28
参考文献数
11
被引用文献数
5 4

オランダにおける地域レベルでの生態ネットワーク計画のプロセスについて明らかにするため, 3つの事例の比較検討を行った。その結果, 上位計画として国土生態ネットワーク計画が重要な位置を占めていること, 計画は,(1) 自然環境調査にもとつくベースマップの作成, 下 (2) ネットワークの目標種の選定,(3) 目標種の環境要求性, とりわけその生息に必要とされるタイプのハビタットの面積や移動特性の把握,(4) 下目標種の生息, 移動に配慮したコアエリア, 自然創出区域, 生態的回廊の配置, という生態学的な検討が行われた上で, 生態的インフラストラクチャーの整備計画が策定される, というプロセスにより立案されていること, 生態的インフラストラクチャーの事業実施は計画主体によるコーディネートにより推進されていること, が明らかとなった。