著者
山本 清龍 下村 彰男 小野 良平 熊谷 洋一
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.63, no.5, pp.735-738, 2000-03-30
参考文献数
12

本研究は,日本の都市住民の多くが利用してきた銭湯に関して,第一に,戦後の都市拡張の中において行われた銭湯の立地の特性について把握し,第二に,銭湯周辺の物的空間構成から人々の生活行動に関わる空間秩序を読み取ることを目的とする。研究対象として,東京都練馬区の銭湯65軒を抽出し,道の階層性および住宅の集積との関係から立地特性の分析を行い,さらに銭湯周辺の商業施設の分布および商店の業態から空間構成の分析を行った。その結果,銭湯は滞留時間の長い商業施設の中心に位置し,都市拡張のフロンティアとして街並み形成に重要な役割を果たしていたことなとが明らかとなった。
著者
西村 公宏
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.60, no.5, pp.431-436, 1997-03-28
被引用文献数
1 1

明治期,大正前期における東京帝国大学本郷キャンパスの外構については,下記の2点が指摘できる。1.明治前期においては,既存庭園の改修が主体であり,営繕掛西郷元善や内科教授ベルツ等が関係しているが,ケヤキ並木等,複数の庭園を並木で結ぶ手法も見られる。2.明治後期,大正前期では,外構の継承と拡充がなされているが,これらは,浜尾新,本多静六等により進められ,学生が学業に親しめる環境がイメーシされている。特にクスノキ並木(1903)やイチョウ並木(1906)は,東京帝国大学における造園学の成立期に実現した造園事例としても位置付けられる。
著者
浅野 二郎 仲 隆裕 藤井 英二郎
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.50, no.5, pp.7-12, 1987-03-31

わが国の住宅建築の重要な様式の一つとして「書院造り」がある。この書院造りの住宅に対応する庭園として書院庭園がある。本論文は法然上人絵伝、獅引絵などの絵巻物類あるいは町田家旧蔵本・上杉家蔵本洛中洛外屏風などの諸史料を主な検討素材とし、また寺院における庭空間の取り扱いなどをも併せ考えつつ、書院庭園の成立にかかわるさまさまな要素を検討,考察したものである。
著者
飛田 範夫
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.63, no.5, pp.357-360, 2000-03-30
被引用文献数
1

江戸時代の大坂の植木屋の中で,高津の吉助は江戸の植木屋と並ぶほど大規模なもので,天満天神と下寺町と北野寺町は社寺の参拝客を対象にしたものだった。新町は遊廓の中で季節的に店を出し,道頓堀や難波新地の植木屋は遊興の客を相手にしていた。人か集まる場所であることと植木を仮植できる土地があることが,植木屋が店を設ける条件になっていたと言える。せり市を開催して全国各地に出荷したり,株仲間を形成したことも繁栄した理由だろう。供花や生け花用の草花は,南御堂前や天満天神周辺などのような人が多く集まる場所で販売されていた。玉造が草花の生産地になっていたのは,鮮度を保つ上で大坂近郊であることが必要だったからだろう。
著者
野島 義照 沖中 健 小林 達明 坊垣 和明 瀬戸 裕直 倉山 千春
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.56, no.5, pp.115-120, 1993-03-24
被引用文献数
13 9

建築物の壁面につる植物を被覆させることによる夏期の壁面温度の上昇抑止効果を把握するための測定実験を行った。簡易建築物の南側につる植物で覆われた壁面とつる植物のない壁面とを設け,壁面温度,壁面での熱流の経時変化を,晴れた日,曇りの日,晴れた日で室内は冷房,という3種類の異なった条件の日に計測した。そのうち1日の計測では,つる植物の葉からの水分の蒸散量,地際の幹での樹液流速の計測,熱赤外線ビデオカメラを用いた南側壁面全体の表面の温度分布の画像撮影をも行った。壁面の緑化により壁面の最高温度を約10℃低下させることができること等が確かめられた。また,日中,壁面緑化による壁面温度の低減量が大きくなるにつれて,葉からの蒸散量も大きくなる傾向が見られた。
著者
小林 昭裕 愛甲 哲也
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.64, no.5, pp.723-728, 2001-03-30
参考文献数
10
被引用文献数
6 3

人込み規制として車両規制されている知床カムイワッカを対象に,実際の遭遇人数や利用動態を把握する手法上の課題を整理するとともに,混雑感や利用者相互の遭遇に対する許容限界,混雑に対する利用者の対処について検討した。混雑感は遭遇人数に左右されたが,期待や利用状況への不快感や車両規制への評価の影響が強かった。混雑に不快感を覚える許容限界への回答率は低く,許容限界の人数は,遭遇人数や混雑感と関連しなかった。混雑への対処として,雑踏を不快に感じる傾向の強い利用者では,これを回避する意識や行動の変化が確認された。
著者
俵 浩三
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.1-15, 1993-08-27
被引用文献数
1 1 1

植物への理解を深めることは造園学の重要な基礎となるが,植物情報源として大きな役割をはたす植物図鑑の発達史は,造園史,植物学史,理科教育史の分野を含めて十分に研究されていない。そこで,(1)明治以降に出版された一般野生植物を対象とする植物図鑑の発達史を展望して時代区分を行い,その特徴を明らかにするとともに,(2)とくに明治40年ころに近代的,啓蒙的植物図鑑を出現させた原因には,当時の初等理科教育における博物重視と,画一的ではない「身近な自然」を教科書とする教育の方針があったこと,(3)さらに「牧野植物図鑑」の成立には,牧野を敬愛す人々によってつくられた英雄伝説的な'誤伝"があること,を明らかにした。
著者
藤沼 康実 青木 陽二
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.181-183, 1998-11-30
被引用文献数
1 4

冬季の自然風景地の利用としてスキーは重要な活動である。スキー場の利用者数の変動を知ることは,冬季における自然風景地を管理する上で,混雑による不快や過剰利用による自然の破壊,毎日のゴミ処理量や駐車場の必要量などを知る上で大切である。日光国立公園における奥日光湯元スキー場のスキー客数と駐車場の利用台数の変動について,休日のような社会的要因と気温や積雪のような自然的要因の影響について分析を行なった。その結果,1,2月と日祝日,土曜日に利用が多くなることがわかった。また,積雪や気温,湿度などの気象条件も有意に影響していることが分かった。
著者
佐藤 治雄 狩屋 桂子 前中 久行
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.59, no.5, pp.109-112, 1996-03-29
参考文献数
10
被引用文献数
1 1

時代及び年齢成長にともなう身近な景観や生活の変化が住民にどのように認識評価されているのかを把握する目的で,琵琶湖湖岸2集落(滋賀県中主町野田,能登川町乙女浜)でアンケート調査を実施した。生活体験の変化パターンは調査項目により様々であったが,牛の飼育など2,3の項目を除き,両調査地間に大差はなかった。また,五右衛門風呂に入った,自家用車があるなど多くの項目で高度成長期を境に急激な変化があった。過去の大規模事業として圃場整備,内湖の干拓,河川改修などをあげる人は若年齢層より高齢層の方が多かった。調査結果には生活体験,景観の変化が大規模事業の進捗など社会情勢の変化と密接に関連しつつ現れている。
著者
藤田 直子 小野 良平 熊谷 洋一
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.68, no.5, pp.417-420, 2005-03-31
参考文献数
45
被引用文献数
3 4

"Shasoh" is the peculiar forest spaces in Japan. The objective of our study is to make clear the meanings, significance, evaluations, and transition of Shasoh in a process of legislation of National Monuments. The period of research was from the Meiji Era to the early Syowa, and research method was using the journals named National Monuments to examine how they recognized the preservation system for national monuments. In the early period, it was observed that Shasoh was recognized not only as the forests with excellent scientific value but also as the space implying the combined value. Additionally, some of Shinto shrines were abolished and others were merged by government in this age. The research detected in those journals and other articles that SHIRAI Mitsutaro emphasized the value of Shasoh against that. However, the point of view to see the meaning of complicated values with Shasoh has vanished, on the other hand, Shasoh has become to be recognized as the place of botanical meanings.
著者
小野 佐和子
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.62, no.5, pp.417-422, 1999-03-30
被引用文献数
1 4

安永期の六義園のありさまとそこでの庭園生活を,柳沢信鴻の『宴遊日記』をもとに考察した。この時期六義園では,腰掛茶屋と茅屋の二つの茶屋が建設され,妹背山と水分石の改修がおこなわれた。信鴻は,芝刈りを初めとする庭の手入れに自ら従事し,畑の野菜や園中の春草,栗,茸などの収穫や採取を楽しんだ。俳諧の会もたびたび催された。これらの催しは,個人的で家庭的な雰囲気を有した。この時期,六義園は山里とみなされており,平安時代以来の山居趣味を満たす場であったと考えられる
著者
岡田 昌彰
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.64, no.5, pp.765-768, 2001-03-30
被引用文献数
1 3

近年,建築史や産業考古学の分野において,既存の古い構造物を価値ある資産として新たに見直す動きが見られる。そこでは主に技術史,意匠及び地域産業・生活史などの系譜の観点から価値付けが行われているが,年月を経た結果生起した「廃墟景観」としての美的特長に対する評価手法は殆ど確立していない。本研究では,主に18世紀英国の「ピクチャレスク庭園」における廃墟景観の評価論を分析し,「廃嘘」の価値付け法として,(1)アイキャッチャー,(2)自然(じねん)景観,(3)尚古象徴 及び(4)うつろい景観 の4点を指摘した。これをもとに国内の廃墟的産業構造物を例示し,価値ある景観へと昇華する可能性について検討を行った。
著者
渡辺 達三
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.193-208, 1992-12-25

松平定信は致仕後,自らを楽翁と号し浴恩園の整備を進め,そこにハスの品種を多数集め,それを観賞し,蓮譜『清香譜』を完成させている。それまでは,ハスの品種観念も曖昧で,品種数も数種とり上げられているたすぎなかったが,『清香譜』では九十余種記載されていたといわれ,蓮譜史上,画期的な意義を有する。しかし,その『清香譜』は戦後,散逸し,その実像は明らかでない。また,翁のハスの観賞についても,その実態についてはほとんど知られていない。そこで,本稿では,楽翁のハスの観賞の態度・あり様について,また,その大きな事績である『清香譜』について考察するものである。
著者
外村 中
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.1-14, 1992-04-08
被引用文献数
1 3

『作庭記』にいう枯山水は,はたして,日本独自のものだろうか。本論は,日本,韓国,並びに,中国の古代庭園に関する文献や,考古発掘資料の代表例を比較検討することにより,『作庭記』にいう枯山水の源流は,中国の古代庭園に見出し得るのではなかろうかと考える理由を明らかにしたものである。
著者
古谷 勝則
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.61, no.5, pp.669-674, 1998-03-30

人が風景を体験し,強い感動を受けるような思い出に残る自然風景を調査した。一般社会人にアンケートを送付して183名から回答を得た。体験年齢,視点場と視対象,体験した状況を整理・分析し,以下の成果が得られた。1)視点場は,山頂や海岸,草原だけでなく,道路や展望台,橋も重要である。2)視対象の構造は,対象物の空間分布を視知覚で認識しているのに加え,時間や季節の変化要因が自然風景に彩りを加えている。3)季節は夏と秋が多く,体験時間は午前中に72%が体験している。空は晴れていて,陽射しが強く,明るい場合に,感動することが多い。一方,朝や夕方の風景も感動することが多い。温度や風の影響は少ない。
著者
森 忠文
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.41, no.3, pp.14-23, 1978-02-15
被引用文献数
3

京都御所周辺は, 明治維新のころまでは多くの公家の住む屋敷町であったが, 明治2年の東京遷都ののちは, 公家は東京に移りあるいは他に転出して, 一部の建物は取りこわされて空地となり, やがて土地建物の所有も一般民間人の手に移っていった. 一方その邸宅跡には学校や裁判所が設けられ, 御所で博覧会が開かれるなど御所周辺は変貌した.<BR>明治10年 (1877) 2月, その対策として, 明治天皇の御沙汰書が出され, 大内保存事業が始まった. これは, 御所をながく保存するための前提として, 周辺の民有地を買収するとともに建物を撤去し, 御所への火災延焼のおそれをなくしようとするものであって, そのために明治10年から21年まで毎年4000円を支出すること, またその事業を京都府に委任するというものであった.<BR>京都府は大内保存掛を置いて鋭意事業を推進し, 幾多の曲折を経て, 明治13年 (1880) に当初予定された構想にさらに追加工事を加えたもののほとんどすべてを実現した. このようにして初期の御苑は成立したのである. すなわち, 民有地を買収し, 建物を撤去し, 周囲に石積土塁を設けて境界とし, 奥まったところにあった門を土塁の線に移設し, 道路を設け, 御所周囲, 主要道路, 石積土塁上等の植樹その他雑工事を行なったのである. 予定では21年までとなっていたが, 保存費の繰上げ交付によって促進され, 期間は短縮された. またそれに要した経費は少くも45000円であった.<BR>御所そのものの維持管理は, この事業とは別に宮内省において京都府が協力して行なわれていたので, 大内保存事業はもっぱら間接に御所を保存するために行なわれたものである. これを今日的に言えば, 御所を文化財としてながく守るための環境整傭事業であった.<BR>この事業の着想が正しかったということは, その後, 100年の御苑の歴史が実証している. この大内保存事業すなわち御苑造成事業は, 明治初期において, 御所を文化財として保存するために行なわれ, しかも成功した大規模な造園事業として評価されるべきものと考える.