著者
中村 淳路 Boes Evelien Brückner Helmut De Batist Marc 藤原 治 Garrett Edmund Heyvaert Vanessa Hubert-Ferrari Aurelia Lamair Laura 宮入 陽介 オブラクタ スティーブン 宍倉 正展 山本 真也 横山 祐典 The QuakeRecNankai team
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

Great earthquakes have repeatedly occurred along the Nankai Trough, the subduction zone that lies south of Japan’s heavily industrialized southern coastline. While historical records and geological evidence have revealed spatial distribution of paleo-earthquakes, the temporal variation of the rupture zone is still under debate, in part due to its segmented behavior. Here we explore the potential of the sediment records from Lake Hamana and Fuji Five Lakes as new coherent time series of great earthquakes within the framework of the QuakeRecNankai project.We obtained pilot gravity cores form Lake Hamana and the Fuji lakes Motosu, Sai, Kawaguchi, and Yamanaka in 2014. In order to image the lateral changes of the event deposits, we also conducted reflection-seismic survey. Based on these results, potential coring sites were determined and then 3–10 m long piston cores were recovered from several sites in each lake in 2015. The cores consist of 2 m long sections with 1 m overlaps between the sections allowing us to reconstruct continuous records of tsunamis and paleo-earthquakes. In this presentation we introduce the progress of QuakeRecNankai project and discuss the potential of the lakes as Late Pleistocene and Holocene archives of tsunamis and paleo-earthquakes.
著者
尾崎 正紀 水野 清秀 佐藤 智之
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

5万分の1富士川河口断層帯及び周辺地域の地質編纂図は,既存の地質図情報と活断層調査の成果に,産総研の「沿岸域の地質・活断層調査」プロジェクトで実施した入山瀬断層の成果を加えて作成した,海陸のシームレス地質情報集である.本図は,研究及び減災に活用されるよう国土の基盤情報図となりうることを目的としており,今後の研究成果に基づき修正を行う予定である.また,大縮尺の編纂図では,編集部分と確認部分が識別できるように,どのように断層などの精度・確度を表現するかが課題として残されている. 本地域は駿河湾北縁部に位置し,蒲原丘陵,星山丘陵,鷺ノ田丘陵,富士川扇状地,浮島ヶ原,富士南西側山麓,天子山地及び蒲原山地を含む.また,後期中新世〜鮮新世のトラフ充填堆積物である富士川層群,鮮新世の佐野川岩体,前期〜中期更新世の前縁盆地に形成された主に海陸の扇状地堆積物からなる蒲原層及び鷺ノ田層,第四紀の火山(前期〜中期更新世の岩淵火山岩類,中期〜後期更新世の愛鷹火山,後期〜完新世の富士火山),後期更新世〜完新世の河川〜浅海成堆積物が分布する.入山瀬断層,大宮断層,安居山断層,入山断層,芝川断層などからなる富士川河口断層帯は,ユーラシアプレートとフィリピン海プレートの境界に位置し,東西圧縮場で概ね南北方向の断層と褶曲で特徴づけられる. 富士火山の溶岩流と古富士泥流(津屋,1968など)は,これら富士川河口断層帯の変位量推定の重要な基準となっていた.しかし,最近の富士火山の新層序(山元,2014など)に基づくと,古富士泥流は火山麓扇状地Ⅳ堆積物(離水面はMIS4)と火山麓扇状地Ⅲ堆積物(離水面はMIS2)に区分され,活断層の変形を受けた溶岩流の一部も層序と年代が修正されている.これらに基づき既存研究の見直しを行った結果,一部,従来の基準面の設定及び平均変位速度には再検討が必要であることが分かった.また,富士川河口断層帯との関係を理解するため,下部~中部更新統の層序と地質構造の再検討を行った.以下,その概要を示す.(1)入山瀬断層は,今回実施した陸域沿岸域の反射法地震探査(伊藤・山口,2016)及びボーリング調査(石原・水野,2016)と,沿岸海域の反射法音波探査(佐藤・荒井,2016)の成果に基づき,沿岸域の連続性が明らかとなった.また,蒲原地震山を挟んで雁行ないし並行した2つの断層が発達している可能性が高いことが分かった.(2)入山瀬断層の平均変位速度7m/103年は,上盤側の水神溶岩流と富士川扇状地下の大淵溶岩流が同じ溶岩流であるとし,その分布標高の差から求められていた(山崎,1979).しかし,水神溶岩流は富士川沿いから南東へ流れ出たもので1.7万年前の年代を示すのに対して,大淵溶岩流は富士南南西側山麓から南西へ流れ出たもので年代も約1万年と異なる.また,山崎(1979)は,村下(1977)による扇状地下の溶岩流は標高分布から,下盤側の両溶岩流の比高を推定して,それを入山瀬断層の変位基準としていた.しかし,村下(1977)の図では,富士川扇状地下の富士宮期溶岩流の分布は南西方向に低下する1万年前の富士山麓の形状を示しており,入山瀬断層の東側沿い幅約2kmの松岡から五貫島に至る地域のボーリング資料には溶岩流がほとんど認められない.この地域は,入山瀬断層による沈降が著しい地域であると同時に,最終氷期以降,古富士河川による最終間氷期の下刻作用と後氷期の堆積作用が行われた地域のため,基準となる溶岩や古富士泥流が連続して分布していないと考えられる.更に,約1万年前と約1.7万年前とでは,海水準が60〜70mも異なり(例えば, Siddall et al., 2003),その影響も考慮しなければならない.現状では,これらの諸条件の組み合わせにより,入山瀬断層の変位量は,既存の値より大きくも,小さくもなりうる.このため,入山瀬断層の正確な平均変位速度を推定するためには新たな調査が必要である.(3)入山瀬断層と同様に,大宮断層や安居山断層の溶岩流や古富士泥流堆積物を基準とした平均変位速度の推定についても,見直しの必要がある.しかし,再検討した結果,従来の見積を変更する必要はほとんどなかった.(4)芝川断層及び入山断層は,地質断層としては連続するものの,活断層として連続する可能性は低い.両断層が屈曲しながら接合する富士川周辺では,地質断層とは斜交する南北方向の長さ0.5-1kmほどの断層が幾つか発達する.これら断層のうち,月代断層(大塚,1938)は活断層であると考えられる.(5)星山丘陵及び羽鮒丘陵に分布する下部〜中部更新統の地質構造は,中期更新世までの変形の影響を大きく受けており,富士川河口断層帯による変形とは合致しない.[引用文献]石原武志・水野清秀(2016) 海陸シームレス地質情報集(S-5),「駿河湾北部沿岸域」,産業技術総合研究所地質調査総合センター.伊藤 忍・山口和雄(2016) 海陸シームレス地質情報集(S-5),「駿河湾北部沿岸域」,産業技術総合研究所地質調査総合センター.村下俊夫 (1977) 工業用水,no.225,30-42.彌之助 (1938) 地震彙報,16,415-451.Siddall et al. (2003) Nature, 423, 853-858.佐藤智之・荒井晃作(2016) 海陸シームレス地質情報集(S-5),「駿河湾北部沿岸域」,産業技術総合研究所地質調査総合センター.津屋弘逵(1968) 1:50,000富士火山地質図及び富士火山の地質.特殊地質図, no.12,地質調査所.山元孝広 (2014) 地質調査総合センター研究資料集,no.606,産業技術総合研究所地質調査総合センター.山崎晴雄 (1979) 月刊地球,1,571-576.
著者
宝田 晋治 星住 英夫
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

火砕流は,火山体周辺に多大な災害をもたらす.特に大規模火砕流の場合は,1883年のクラカタウ火砕流による犠牲者数36,400人などで明らかなように被害も甚大となる.国内の大規模火砕流としては,90kaに発生した阿蘇4火砕流は到達距離が 160km以上に達しており,分布・体積の正確な把握や流動堆積機構の解明が重要となってきている.阿蘇4火砕流の詳細な影響範囲の把握のため,既存文献,ボーリングデータを元に,現地調査結果を加え,堆積物の分布を明らかにした上で.噴火当時の復元分布図を作成した.また,5kmのメッシュごとに層厚を復元し,高精度に噴出量を算出した.さらに,現地調査により,大規模火砕流堆積物の岩相変化.軽石及び岩片の最大粒径の変化に基づく,流動堆積機構の検討を行った.現存する堆積物の分布については,産総研の5万分の1地質図幅を基本とし,刊行されていない地域に関しては20万分の1地質図幅や表層地質図の他,出版済みの文献を参照した.これらから阿蘇4火砕流堆積物の分布をGIS上でトレースし,現存分布図を作成した.また,噴火直後の推定分布図は.地形状況と噴火時点での地質を考慮した上で,文献情報,ボーリング情報を元に再現した.現存堆積物の分布は,火砕流が全方向に広がり,給源から北北東160km以上の萩市周辺にも到達し,南は,人吉盆地,宮崎市周辺まで到達したことを示している.現存堆積物の面積は,約2,500km2となった.層厚については,地質図,露頭データ.ボーリング柱状図を用いて,火砕流堆積物の上端高度,下端高度を5kmメッシュ毎に数点以上読み取った上で,メッシュごとの平均層厚を算出した.平均層厚は,カルデラリム周辺で最大約100mを示し,中流域では,0.2〜50m前後,下流域では0.01〜10m程度となった.GISソフトウェア上で,メッシュ毎の分布面積を算出し.層厚を乗じてメッシュ毎の見かけ体積を算出した.その上で,溶結,非溶結の量比などを勘案した上で,メッシュ毎の堆積物の平均密度を算出し,火砕流堆積物の体積(DRE)を算出した.その結果,降下テフラ分を除く阿蘇4火砕流堆積物の体積は,20-60km3 (現存体積),50-140km3(復元体積)となった.阿蘇4火砕流の流動堆積機構の解明のため,火口近傍から160km遠方の露頭まで,カルデラから東方向と北北東方向の流域で現地調査を行い,岩相変化,軽石と岩片の最大粒径の変化を明らかにした.最大粒径は,ラグブレッチャ以外の火砕流本体に対して,各露頭毎に軽石と岩片についてそれぞれ10個長径と短径を測定し,最大と最小のサンプルを除いた8サンプルの算術平均から,各地点での最大粒径を求めた.流走距離ごとに,軽石の最大粒径をプロットする(図)と,給源(カルデラの中心付近, 中岳第1火口を仮定)から16kmまでの地点では,3〜9cmと比較的小さく,17〜20km地点では約28cm,26km地点の火砕流到達前の原地形の傾斜変換点付近(小国町周辺)では47cmと最大値を示し,その後,72km地点まで次第に減少し,3cmとなる.海を渡った山口県内では,最大粒径は,132〜162km地点で0.4〜0.9cmと非常に小さくなる.岩片の最大粒径は給源から6.5km地点では1〜2.5cmと比較的小さく,16km付近で11.2cmと最大になり,その後は単調に減少し,72km地点で0.6-0.9cmとなり,北九州の117km地点の折尾の露頭では,0.3cmと非常に小さくなる.山口県内の露頭では,肉眼で測定可能な岩片はほとんど含まれていない.これらの結果は予察であり,今後より詳細なユニット対比,岩相変化,粒径変化等の現地調査を予定している.給源付近で軽石や岩片の最大粒径がやや小さいことは,大規模火砕流発生時に,この付近は噴煙柱の内部もしくは近傍で,乱流度が高く.火砕流の運搬能力が十分高かったことを示唆している.軽石の最大粒径が傾斜変換点の26km地点付近で最大となっていることは,火砕流が傾斜変換点に達し,ハイドローリックジャンプ等の現象で急激に運搬能力が落ちたため,運びきれなくなった軽石を多量に落としたことが原因である可能性が高い.軽石や岩片の最大粒径が単調に減少することも,乱流状態の火砕流の基底部から順次より大きい軽石や岩片が堆積したと考えることが可能である.堆積物の内部構造として,火砕流の内部には,逆級化した層厚20〜70cm程度の弱い層理構造が見られる場合がある.このことは,軽石同士の堆積時の相互作用を示唆し,火砕流の基底部に比較的高濃度な密度流が形成され,堆積サブユニットを形成しつつ順次堆積したモデルでうまく説明できる.海を渡った山口県内の火砕流は層厚10cm〜6m程度であり,軽石の最大粒径は1cm以下で非常に小さく,肉眼で認識できる岩片はほとんど含まれていない.部分的にやや高度の高い部分では,サージ状の岩相を示す.このことは,遠方まで運ばれた火砕流は,最後まで残った比較的低密度で細粒部分のみが160km以上の地点まで到達したことを示唆する.
著者
清杉 孝司
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

噴火記録から噴火の発生率を見積もる際には,噴火記録の数え落しを考慮する必要がある.世界の大規模爆発的噴火(LaMEVE)データベース(Crosweller et al., 2012, Brown et al., 2014)の内,日本の噴火は39%を占める(Kiyosugi et al., 2015).一方,これまでの分析の結果,噴火の規模が大きくなると数え落しの程度は減少するものの,第四紀以降の大規模噴火にも数え落しがあることがわかっている.例えば,89 %のVEI 4噴火が10万年以内に,65–66 %のVEI 5噴火が20万年以内に,46–49 %のVEI 6噴火が30万年以内に,36–39 %のVEI 7噴火が50万年以内に失われていることがわかった(Kiyosugi et al., 2015).また,日本と世界の噴火頻度の比較から,世界の噴火記録の数え落しは日本の7.9倍から8.7倍であると示唆される(Kiyosugi et al., 2015). 噴火の数え落しをモデル化するためには,こうした日本全体のデータの分析に加え,地域ごとや時代ごとに見たときのデータの不均質性を検討することが必要である.数え落しの主要な原因は,歴史記録がないことや,火砕堆積物の浸食・変質,新しい堆積物による被覆,浸食や被覆による給源火山自体の消失などであると考えられる.そのため噴火の数え落しは地質学的・歴史学的事情を反映して時空間的な不均質性を持つ.例えば,伊豆‐ボニン弧は大規模噴火の火砕堆積物が保存されにくい小規模の火山島からなっているため,大規模な噴火の地質記録が多く失われていることが示唆される.こうした異なる地質条件による噴火の数え落しを理解することは,噴火の再発生率を推定する際に重要である.また,小山(1999)は日本の歴史地震記録が政治的・社会的状況に応じて二つの時期(7世紀末から西暦887年までの時期と17世紀初めから現在までの時期)に増加することを指摘した.このような歴史記録を含む最近の噴火記録は,噴火の数え落しをモデル化する際の重要なファクターであるため,記録の時間的不均質性の詳細な分析が必要である. 本研究では日本の噴火記録の時空間的不均質性について議論する.日本の噴火記録は世界の噴火記録の約39%を占めるため,日本の噴火記録の分析は世界の噴火記録の数え落しと噴火再発生率の推定に有用である. 引用文献:Brown et al (2014) Journal of Applied Volcanology, 3:5.Crosweller et al (2012) Journal of Applied Volcanology, 1:4.Kiyosugi et al (2015) Journal of Applied Volcanology, 4:17.小山 (1999) 地学雑誌, 108(4), 346-369.
著者
河本 大地
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

Relationships between ESD (Education for Sustainable Development) and Geoparks are examined in this paper. Geoparks have a marked affinity for ESD because education and sustainable development are highlighted in the concepts of geoparks, and both have strong associations with UNESCO. However, small number of papers have been written about the relationships between ESD and geoparks, and few schools in geoparks are the members of the ASPnet (UNESCO Associated Schools Project Network).Therefore, the author tries two methods to examine possibilities of our society led by multiplying ESD and geoparks. Firstly, the description contents of the Global Action Programme (GAP) on ESD were considered about cases of geoparks. GAP is intended to make a substantial contribution to the post-2015 agenda, and the follow up to the United Nations Decade of Education for Sustainable Development (2005-2014). From the “Priority Action Areas” of the GAP, many points related with organizational operations were found as areas which should be improved. Increasing member schools of the ASPnet in geoparks as hubs for practicing ESD, and setting out policies and agendas to integrate ESD into the various processes and structures of stakeholders in geoparks are the examples.Regarding learning contents, placing great emphasis on efforts to build a sustainable society mentioned in course of study in Japan is important in geoparks, as well as having viewpoints of international cooperation, giving participatory skills to youth, and so on.Secondly, learning contents for geoparks are examined from the viewpoints of Earth Sciences and community development. From the former, nature of familiar territory as the first stage, and understanding of the mechanism of Earth activity as the second stage have been found. From the latter, relationships between our life and nature as the first stage, and development of social skills for reaching an understanding with other stakeholders as the second stage have been found. Additionally, international understanding and cooperation through geopark would be the third stage.From the above, geoparks could be places for inspiring learners to act for realizing sustainable society if we transform organizational operations and maximize learning contents given by Earth Sciences and community development.
著者
服部 恭也 石川 芳治 西谷 香奈 臼井 里佳
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

2013年10月、伊豆大島では平成25年台風第26号の通過に伴う豪雨により土砂災害が発生し、甚大な被害に見舞われた。その後も降雨のたびに崩壊斜面の地表が削られ、下流の民家などにも泥水が流れてくる状況が続き、住民は不安を抱えていた。2014年11月、斜面の安定を目的として、発芽力のある外来種を含む植物(マメ科草本、ヤシャブシなど)の種子が東京都によって航空実播された。散布された植物はやがて島の自然植生に移行すると想定されているが、一部の住民からは、島内の植物に与える影響を心配する声も聞かれた。伊豆大島ジオパークでは「ありのままの変化を住民みんなで見守り、考え、納得して暮らすことが大切」と考え、住民からの参加を募り、2015年3月14日から崩壊斜面のモニタリング調査を開始した。伊豆大島ジオパーク推進委員会が中心となり、東京農工大学、環境省、大島支庁土木課の協力を得て、雨量その他の気象状況、流出土砂量、植生の回復状態の調査を1~2ヵ月毎に継続実施している。今回は、2016年3月までの1年間の調査経過・結果と、今後の課題を報告する。
著者
太田 鉄也 吉川 馨 松本 由奈
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

2016年度日本ジオパークネットワーク全国大会の開催地は伊豆半島ジオパークである。当ジオパークでは、フィリピン海プレートの動きと共に伊豆の北上及び本州への衝突という、島弧-島弧衝突の過程を、海底火山や陸上火山活動(独立単成火山群を含む)、南方系生物化石など、多様なジオサイトから知ることができる。また、温泉や海山の幸があふれ、首都圏からの観光客が多い地域である。このような地域で開催される全国大会では、来訪者は何を求め、地域に何を残すことができるのか。私たちは大会コンセプトを「連携:つながりを作ろう、深めよう」に定め、特に以下の3つのテーマで内容を深めていこうと考えている。1)ジオパーク同士の連携各ジオパークの背景にある「日本固有の物語」や「列島誕生と各地域の物語」のつながりを探り、世界に発信していくべき物語は何かを考える。(これは伊豆半島ジオパークが世界に向けた課題とされているものでもある)さらに、近接する箱根ジオパークと連携したジオツアーを行う2)世界遺産やエコパークとの連携伊豆半島とその近接地域には、世界文化遺産「富士山」及び、同じく世界文化遺産である「明治日本の産業革命遺産」の構成資産(韮山反射炉)が存在する。また、静岡県という規模まで視野を広げると、南アルプスエコパークや世界農業遺産「静岡の茶草場」も存在する。保全、教育、住民参加を促す仕組みなど、世界遺産やエコパーク等と共通する課題と手法について情報を共有し連携の可能性を探る。3)食とジオの連携当ジオパークでは、ジオパークの活動に賛同する法人や個人を応援会員やサポーター会員として募り活動の裾野を広げている。これらの会員には地元の商店主や旅館ホテル等様々な業態が存在するが、全国大会の会場で彼らと連携し、地域の食を紹介することを検討している。当ジオパークは、面積2,027k㎡(海域を含む、陸域で1,585k㎡)の中に15の市と町で構成される広域のジオパークである。事務局は各市町及び県から派遣された職員によって構成され、行政組織と絶妙な距離感を保ちつつ運営がされている。また、推進協議会が認定したジオガイドが自らの意思でジオガイド協会を立ち上げ各地のジオパークと交流を図るなどジオガイドの活動が熱心な地域でもある。さらに、地域の小中高校では教師と事務局の専任研究員が連携して熱心な教育活動が行われている。このような広域の行政区域でどのように意思決定を行い、大会を運営していくのかも今後の当ジオパークに課せられた大きなチャレンジである。
著者
中尾 茂 八木原 寛 平野 舟一郎 後藤 和彦 内田 和也 清水 洋
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

The earthquake (JMA Magnitude 7.1) occurred on November 14, 2015 in the area of west off Satsuma peninsula. The epicenter is located in Okinawa Trough where is in about 160 km west from Makurazaki City in Kagoshima Prefecture. This earthquake is one of the largest earthquakes in this area. Seismicity in this area is low in last twenty years. Two continuous GNSS sites are operated by Kagoshima University, one is UJIS site in Uji island which is 84 km to east from the epicenter and the other is MESM site in Meshima island which is 121 km north from the epicenter. At UJIS seismic observation is also operated by Kagoshima University and it is operated by Kyushu University at MESM. We went to those sites in order to get GNSS and seismic data because GNSS and seismic data are not telemetered at those sites. In this research, co-seismic crustal deformation and activity of aftershocks are reported.We relocated the main shock and aftershock until 10:00 on November 16. Length of aftershock area is about 60 km. Its Strike is the same of Okinawa Trough. The epicenter of the main shock is located at the south-west end of the aftershock area and maximum aftershock, which is occurred on November 15, is at north-east end. Activity of aftershock in northern part of aftershock area is high. However, in southern part it is low except aftermath of occurrence of the main shock.GNSS data analysis is by Bernese GNSS software Ver. 5.2 with CODE precise ephemeris. Daily site coordinates of UJIS and MESM are calculated with GEONET sites. Coseismic deformation is estimated by the difference between two days averages before and after the main shock. Displacement at UJIS and MESM is 0.82 cm and 0.65 cm, respectively. The theoretical coseismic deformation is estimated by a strike slip fault model (Okada, 1992). Fault length, strike, dip angle and fault position are estimated by the length of aftershock area. Fault width is assumed a half of the fault length. Amount of fault slip is estimated by the relationship between earthquake magnitude and moment (Sato, 1979). JMA moment magnitude 6.7 is used (JMA, 2015). Theoretical displacement at UJIS and MESM is 1.3 cm and 1.1 cm. Direction of observed displacement is coincident with that of theoretical displacement. However, amount of observed displacement is smaller than theoretical one.
著者
都司 嘉宣
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

[津波特異点とは] 過去幾度かの津波の来襲を経験してきたある一地方の海岸で,いつも決まった場所で津波が周囲の他の点より高く現れる場所が存在することがある.A.宮古湾の最奥部に位置する赤前,B.房総半島の旭市飯岡,能登半島先端部,隠岐諸島,島根半島,C.奥尻島南端の青苗,佐渡島の北東端,D.伊豆下田,奥尻島青苗の東の初松前,E.尾鷲市賀田,F.ハワイ列島,トンガ国ニアウトプタプ島,などもこのような場所である.このような場所を「津波特異点」と呼ぶことにしよう.このような場所が存在する理由を対応する小文字で記していくと(a)V字湾の最奥部,(b)舌状に浅海部が沖に突き出た海底地形がある場合にその根元に当たる点,(c)半島の先端,(d)半島を回り込んだ直背後の点,(e) 湾の基本固有振動の腹点,(f) 周辺に広い陸棚斜面海域を従えた大洋中の孤島,のどれかに当たっていることが多い.実は大阪も(e)の特異点と考えられる.以上のような津波特異点は,複数の津波の過去事例のデータから気づかれることが多いが,(a)を除いて,住民からも防災行政からも意識されていないことが多い.本研究でも筆者らは2つの津波特異点を見いだした.若狭湾の舞鶴市大浦半島と,和歌山県御坊市海岸である.[若狭湾の津波特異点] 若狭湾に突き出た大浦半島の先端の海岸で津波の浸水高が大きくなることは,1983年日本海中部地震,および1993年北海道南西沖地震の両津波による高さ分布に見ることができる.大浦半島の先端部に位置する野原と小橋は,この2回の津波のいずれにおいても分布のピークを示しており,大浦半島の先端部が著しい津波特異点であることを示している(上述の理由(c)).しかるに,この両集落は,海と集落の間に砂浜しかなく,集落を津波被害から守るべき堤防が全くない状態に置かれているのである.[御坊市の津波特異点] 和歌山県御坊市の中心市街地は,宝永地震(1707),安政元年(1854)の安政南海地震の両度の津波のさい,中心にある浄国寺の本堂入り口の雨だれ石まで(宝永,2.8m),および寺門前の街路まで(安政南海,2.5m)であって,いずれも御坊は市街地の半分の浸水にとどまり,軽い被害ですんだ,と考えられてきた(都司ら,1996).ところが,安政南海地震の数値計算をしてみると,御坊の前面で津波は高さ9.0mに達するという結果が出てくる.古文献の記載と数値計算結果とがあまりに違いすぎるので,数値計算がどこかで間違っているのでは,とプログラム,計算過程をしらみつぶしにしらべてもどこにも誤りはない.調べてみるとこういう事であった.当時名屋浦と呼ばれた御坊市中心街の東側を流れていた日高川の流路は,海岸線付近まで近づいて,ここで砂丘に行き当たり,砂丘を隔てて海岸線に平行に塩屋の集落の西側を南東に約1km余り進んで,王子川に合流してここでやっと太平洋に注いでいた.御坊の中心街を襲った歴代の南海地震の津波は,実は砂丘を乗り越えてきた直接の波ではなく,海岸部で曲がりくねった日高川の河口から迂回して入った波だったのである.この夜に海岸部で迂回した日高川は,津波の直撃から御坊の町を守るのには役に立っても,洪水のとき,大量の流水を海に流し出すことが出来ず,御坊はしばしば洪水の大災害をこうむってきた.そこで,明治期から現在まで日高側の河口は,河口部の砂丘が削られ消滅し,御坊の中心街の前面が直接太平洋に接するようになった.洪水の被害が軽減され,かつ大型船の入港が可能となってめでたしめでたし,であるが.宝永,安政南海の2度の南海地震の津波の被害を軽減してくれた日高側河口の砂丘は,今は無いのである.御坊市の行政はこのことに気がついて居るであろうか? 参考文献都司嘉宣,加藤健二,荒井賢一,1994,1993年北海道南西沖地震による津波,その2,科研費突発災害研究,No.05306012,(代表:石山祐二),65-78都司嘉宣,岩崎伸一,1996,和歌山県沿岸の安政南海津波(1854)について,歴史地震,169-187
著者
村岸 純 西山 昭仁 矢田 俊文 榎原 雅治 石辺 岳男 中村 亮一 佐竹 健治
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクトの一環として,本研究では17世紀以降に関東地方に被害を及ぼした地震を対象とし,既刊地震史料集に所収されている史料に基づいて地震史料データベースを構築している.近代的な機器観測による記録がない歴史時代の被害地震について,被害分布や地震像などを検討するためには,史料の収集とその記述内容の分析が必要である.地震史料の調査・収集は20世紀初頭から開始されており,これまでに刊行された地震史料集は全35冊(約28,000頁)に及ぶ.しかしながら,これらの既刊地震史料集には,「史料」以外にも様々な種類の「資料」が収められており,自治体史や報告書の叙述からの抜粋記述なども含まれ,玉石混淆の状態にある.そのため,データベース化に際しては歴史学的に信頼性の高い史料のみを選択し,原典に遡って修正や省略部分の補足を行う校訂作業を実施している.なお,本研究で構築しているデータベースは,既存の「古代・中世地震・噴火史料データベース」や「ひずみ集中帯プロジェクト古地震・津波等の史資料データベース」と同様に,史料本文のテキストにはXML言語を使用している.また本研究では,安政二年十月二日(1855年11月11日)の夜に発生して,江戸市中や南関東一円に甚大な被害を与えた安政江戸地震について,新史料の調査・収集や既存の史料に関する分析を実施した.千葉県域では新たな史料を収集し(村岸・佐竹,2015,災害・復興と資料,6号),茨城・神奈川県域では収集した史料の再検討を行った(村岸ほか,2016,災害・復興と資料,8号,印刷中).さらに,被災地である関東地方からより離れた遠地で記された有感記録についても既刊地震史料集に所収されている史料を用いて検討した.地震発生当日の十月二日夜に遠地で記録された史料を選び出し,その中から「夜四ツ時」や「亥刻」と記されている信頼性の高い日記史料のみを選定した.このようにして厳選された史料にある遠地での有感記事に基づいて,震度を推定した.また,有感記事が記された当時の場所について,他の史料や当時の絵図,日本史における研究成果などに基づいて現在の地名を調査・検討し,その緯度・経度を導き出して遠地での有感記録の分布図を作成した.付記)本研究は文部科学省受託研究「都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト」の一環として実施された.
著者
久利 美和 Suppasri Anawat 寅屋敷 哲也
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

気象庁は2014年8月30日に「特別警報」を導入し、国土交通省は2015年1月20日に「新たなステージに対応した防災・減災のあり方」を公表しており、災害情報の提示のあり方の模索段階にあるといえる。本論では、科学的な不確実性がある中で迅速判断が求められる場でのサイエンスコミュニケーションの事例として、時間空間幅が広く、自然災害の中でも火山活動情報に焦点をあて、火山活動情報の中でも、東日本大震災以降の論点となった「作動中(発展途上)の科学」や「科学の不確実性」のあつかいに焦点をあて、日本での発信側と受信側の事例を検討する。とくに、活動頻度の高い事例として、2014年8月と2015年5月の噴火で迅速な避難を行なった口永良部火山、活動頻度の低い火山事例として2015年4月に火口周辺危険警報の出た蔵王火山に焦点をあてた。2015年5月29日に口永良部島の新岳火口において火山噴火が発生し、我が国の火山において初めての特別警報(噴火警戒レベル5)が発表され、島外への避難が行われた。2015年の口永良部火山活発化からの全島避難にいたるまでの、住民の火山活動情報の活用についても検討した。聞き取り調査は2015年7月と10月に実施した。主な聞き取り先は、屋久島町役場(宮之浦支所,口永良部支所)、口永良部消防団関係者、口永良部島内区長、である。2015年7月は「2014年8月以前の火山防災意識」「2014年8月以降の火山防災意識」「2015年5月避難の判断と状況」について、2015年10月は、「2015年避難時の再聞き取り」「2015年10月以降帰島に向けた考え」について、聞き取りを行った。これまで指摘されてきた専門家と行政や報道との情報伝達に限らず、非専門家ながら高い関心を持つ地域住民との関係構築や不確実性を含めた情報伝達が重要であることが示唆された。2015 年4月7日以降、蔵王火山御釜付近が震源と推定される火山性地震が増加し、13日に火口周辺警報(火口周辺危険)が発表された。5月17日の火山性微動を最後に、地震の少ない状態で経過し、6月16 日に解除された。御嶽での災害後に活発化した最初の火山であった。4月14日の報道を通じて、行政の観光関係者のコメントとして「(エコーラインの冬期閉鎖からの開通を前に)でばなをくじかれた」「蔵王山が噴火する火山との認識はなかった」との報道があった。情報解除後は、宮城・山形両県での観光支援を中心としたさまざまな施策が行われた。4月の警報直後、6月の解除後の観光地での対応について、2016年1月に宮城・山形両県の観光関連事業主に面談調査を行った。「(噴火は過去のことで)噴火する認識がなかった」という回答が大半を占めるとともに、地学現象と生活の時間スケールの隔たりが、対策への理解を妨げている現状が示唆された。
著者
鈴木 康弘
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

1. 1980年以降の研究史Suzuki(2013)は、「日本の活断層」が纏められた1980年を「The remarkable year of 1980」と位置づけ、その後の1994年までの期間を「The matured period of active fault studies during seismic calm」とした。この間は「Excavation study of active faults」、「Analytical study of tectonic landform evolution based on dislocation models」、「Chronological studies supported by the development of dating techniques」、「Quantifying the rate of crustal deformation」、「Applied study to disaster reduction problem」によって特徴付けられる。さらに1995年~2005年は、「The decade after the great Kobe earthquake」であり、「Intensive investigation of active faults」、「Detailed large-scale mapping of active faults」、「Seismic reflection profiling of active fault」、「Long-term forecast of earthquake occurrence by active faults」、「Detailed study of flexural deformation and the 2004 Mid-Niigata earthquake」、「Overseas research on big earthquakes and active faults」が特徴的である。2006年以降は、「The period of rediscovery of active faults」であり、「Evaluating varieties of relation between earthquakes and active faults」、「Reexamination of active fault distribution」、「Relations between active faulting and geodetical movement」、「Considering interplate earthquake from the view point of submarine active fault」、「 Question posed by the 2011 East Japan huge earthquake」が今日まで続く検討課題である。2. 活断層をめぐる社会的問題1980年には「活断層発見の時代は終わった」とも評された。「日本の活断層」の刊行により全国的な活断層分布の概要が明らかにされた。また、松田(1975)やMatsuda(1981)によって、活断層情報からの地震規模がある程度推定できるようになり、また活動履歴情報から要注意断層を認定できるという概念が確立した。これは活断層研究の重要な到達点のひとつであり、1995年以降の地震発生長期予測を支えた。しかし一方で、原子力土木委員会(1985)により変動地形学的な活断層認定の有効性が否定された。その内容を改めて検証すると明らかな誤りが認められるが、その後の原子力発電所の耐震審査のための活断層調査に影響を与えた。当時、活断層研究者は原発耐震審査で何が行われているかに興味を示さず、反論もしなかった。1995年以降、阪神淡路大震災の反省から地震調査研究推進本部が発足し、直前予知に依存せず、長期予測を重視する方向性が示された。同時にハザード情報の公開が進み、国土地理院により「都市圏活断層図」の作成が進められた。トレンチ調査や反射法地震探査が重点的に実施されるようになり、通産省地質調査所(当時)に活断層研究センターが設置されたが、大学では活断層研究拠点は整備されなかった。「震度7」の強震動発生に関して成因論が巻き起こり、原発耐震の見直しにもつながった。強震動予測に社会的責任が重くなり、議論が複雑になった。1995年以降、地震予測手法(活断層評価および強震動レシピ)を確定する社会的要請が高まる中で、予測外の地震(2004中越、2005福岡、2007能登、2007中越沖、2008岩手・宮城)が多発した。活断層評価の信頼性に関して様々な議論も始まった。地震本部の長期評価に対して内閣府が確定度情報を付加するように求めることもあった。こうした中で原子力安全委員会においては2006年には原発耐震審査指針が改定され、2008年には活断層調査等の手引きも改定された。2011年の東日本大震災後、4月11日には福島県浜通りの地震が起きた。福島第一原発の耐震審査の際に活断層ではないとされた井戸沢断層が震源となったことが深刻な問題を提起した。原子力安全・保安院は、かつての活断層評価に問題があったとして、全国の原発に対して活断層の再評価を求めた。福島原発事故国会事故調はかつての原子力規制行政について「規制の虜」と批判し、2012年9月には原子力規制委員会および規制庁が発足した。こうした経緯の中で、原子力規制委員会は、安全と科学を重視する姿勢を明確に打ち出したが、その後も原発事業者や一部の研究者がこれを批判している。原理力安全委員会が2013年7月に決定した「原発安全規制基準」は、基本的に2006年のルールを踏襲したものである。活断層の定義も従来の「耐震設計上考慮する活断層」(=後期更新世以降の活動を否定できない断層)から基本的に変更はない。こうした30年の経緯において反省すべきことは、①原子力土木委員会(1985)に対して活断層研究者が何も対応しなかったこと、②松田(1975)の適用限界を超えた利用など、活断層研究の成果がいかに利用されているかに無関心であったことなどが挙げられる。こうした問題は「浅部は強震動を出さない」というモデルへの疑問や、「副断層が三十センチ以上動く確率は二十万年に一回より小さい」とする、「原子力発電所敷地内断層の変位に対する評価手法に関する調査・検討報告書」(JANSI一般社団法人原子力安全推進協会・敷地内断層評価手法検討委員会)http://www.genanshin.jp/archive/sitefault/data/JANSI-FDE-02.pdfへの対応などとして今日も残っている。原子力規制委員会の敷地内破砕帯調査において何が議論されているかについても多くの研究者が検証すべきである。文献:Suzuki(2013):Active Fault Studies in Japan after 1980. Geographical Review of Japan Series B, 86, 6–21.
著者
行谷 佑一 安藤 亮輔 宍倉 正展 野村 成宏
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

富士川河口域西岸部である静岡県旧富士川町(現富士市)や旧蒲原町(現静岡市清水区)は、1854年安政東海地震の前後で富士川流路が変遷したこと[行谷・他(2015)]や「蒲原地震山」[例えば、羽田野(1977)]に代表される地変により、同地震によって広域的に隆起した可能性が高い。この隆起は、南海トラフ・駿河トラフの破壊に伴い入山瀬断層またはそれに関連した断層が破壊した可能性を示唆するものであり、本地域の地下構造を解明することは今後の地震活動を検討する上でも重要である。そこで本調査ではこの富士川河口域西岸部において、地表近くの地層に断層の伴うずれや変形が存在するか知るために、2016年1月4日~8日かけて地中レーダー探査(Ground Penetrating Radar, GPR)を行った。調査地域を通るとされる入山瀬断層は南北方向の走向を持つと考えられているので[例えば、地震調査研究推進本部(2010)]、ほとんどの測線についてそれに横切るように東西方向に設定した。総測線長は13 km程度に及ぶ。GPR探査において使用した電波の中心周波数は100 MHzであり、地下の不均質な電磁波伝播構造による反射波を解析することで地下5 m内程度の地質構造を知ることが期待される。この結果、海岸から2 km程度内陸までの測線で少なくとも4カ所において反射面に断層のずれと解釈される層序の不連続が存在することがわかった。不連続は盛土と思われる層の直下まで存在し、比較的新しい地層まで切っている可能性がある。これらの不連続の位置は地震調査研究推進本部が設定した入山瀬断層の位置とさほど離れていない。また、最も海側の測線および地震山の北端付近の測線における不連続の位置付近は、反射法地震探査により数十m~数百mの深度で伊藤・他(2014)が推定した断層位置に近い。一方、蒲原中学校の北側や旧庵原高校の東側といった、地震調査研究推進本部による入山瀬断層の断層線から離れた位置においてもこのような不連続が存在することがわかった。これは伊藤・他(2014)が指摘する「陸域における入山瀬断層が1本の明瞭な断層ではなく、複数の断層に分岐していることを示している」ことを支持する内容である。すなわち、この富士川河口域西岸では複数の分岐断層が地表面近くにまで達している可能性がある。 【文献】羽田野誠一, 1977, 地図, 40-41.伊藤忍・山口和雄・入谷良平, 2014, 平成25年度沿岸域の地質・活断層調査研究報告, 59-64.地震調査研究推進本部, 2010, http://jishin.go.jp/main/chousa/katsudansou_pdf/43_fujikawa_2.pdf行谷佑一・安藤亮輔・宍倉正展, 2015, 日本地震学会講演予稿集2015年度秋季大会, S10-11. 【謝辞】 本調査を実施するにあたり便宜をはかって下さった関係諸機関のみなさまに御礼申し上げます。本調査の一部は「南海トラフ広域地震防災研究プロジェクト」の予算で実施しました。
著者
佐竹 健治
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

北海道東部沖の千島海溝ではM8クラスの大地震が約70年程度の繰り返し間隔で発生しているが,17世紀にはより大規模な地震が発生したことが,北海道東部の太平洋沿岸における津波堆積物調査から明らかにされている(Nanayama et al., 2003, Nature). 17世紀には北海道南西部の3火山,駒ヶ岳(1640年Ko-d, 1694年Ko-c2) , 有珠山(1663年Us-b),樽前山(1667 Ta-b, 1739 Ta-a)が一斉に噴火している.じっさい,17世紀の津波によって運ばれた砂層は,これらの火山灰層の直下に位置しており,海岸で標高約20 m(平川,2012,科学)に達したほか,海岸から数kmまで追跡された.17世紀に発生した巨大地震のメカニズムを調べるため,Satake et al. (2008,EPS) は プレート境界断層(深さ50㎞までと深さ85㎞まで)と海溝付近の津波地震モデルについて津波シミュレーションを行い,沿岸5か所の湿地帯における浸水域と津波堆積物の分布を比較した.その結果,十勝沖~根室沖の長さ300 km,幅100 km,深さ17-51㎞の断層面上で,すべり量は十勝沖で10 m,根室沖で5 mというモデル(十勝沖と根室沖のプレート間地震の連動モデル, Mw 8.5)が,津波堆積物の分布をほぼ説明できるとしたが,海岸での津波の高さは最大10m程度であった.Ioki and Tanioka (2016, EPSL)は,上記のモデルに加えて,海溝軸付近のすべりを25 mとすれば,沿岸での津波高さが20m以上になり,17世紀の津波堆積物をすべて説明できるとした.このモデルのMwは8.8である.北海道の沿岸部では,17世紀よりも古い津波によるとされる砂層が,10世紀の火山灰層(B-Tm)の上にもう1枚,B-TmとTa-c2(樽前火山の約2500年前噴火による火山灰)との間に3-4層あることから,17世紀と同様な津波はおよそ500年間隔で発生したとされている (Nanayama et al., 2003).Sawai et al. (2009, JGR)は,過去6000年間に発生した15回の津波の間隔が,平均約400年だが100-800年とばらつくことを示した.道南の3火山は,千島弧でなく東北日本弧に属することから,17世紀の一斉噴火に関連するのは,千島海溝の巨大地震ではなく,日本海溝の巨大地震かもしれない.日本海溝北部では1611年慶長地震が発生し,津波によって多くの死者が発生した.この地震による津波は三陸沿岸や仙台平野では2011年と同様な被害を生じている一方,地震動による被害は知られていないことから,津波地震であるとされている.しかし,他の津波地震(例えば1896年三陸津波地震)のように海溝付近のみで断層運動が起きた場合,それが火山活動に影響するとは考えにくい. 1611年慶長地震が17世紀の千島海溝の地震ではないかという考えもあるが,千島海溝の波源で三陸海岸や仙台平野の津波高さ・浸水域を再現するためには,上記のモデルの3倍程度のすべり量が必要である(岡村・行谷,2011,活断層・古地震研究報告).また,釧路市春採湖湖底コアの年縞からは,17世紀の津波の発生は1636年とされている(石川他,2012,連合大会).なお,北東北(盛岡や弘前)では,1650年頃からは藩の日記が残っており,千島海溝の地震は有感地震として記録されているはずである(佐竹,2002,歴史地震).17世紀の北海道南部の3火山の一斉噴火と千島あるいは日本海溝の巨大地震の関連性を議論する際,一斉噴火は過去数千年間で唯一の現象であるのに対し,津波堆積物をもたらした巨大地震はおよそ500年間隔で繰り返してきたことにも注意する必要がある.
著者
中川 光弘
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

数千年に及ぶ噴火活動休止期の後、南西北海道の3火山(北海道駒ケ岳、有珠山および樽前山)は、西暦1640~1667年にかけてVEI=5の大噴火を起こし、噴火活動期に入った。この3火山の噴火活動の再開については、その約30年前に起こった慶長三陸沖地震(西暦1611年)の影響が指摘されている。特にその震源域については、三陸沖だけではなく北海道十勝~色丹沖まで連動していた可能性が指摘されており、地震による影響が北海道南西部に及んだ可能性は十分に考えられるが、一方で摩周や雌阿寒などの北海道東部の火山は噴火していない。本研究では、まず北海道全域の活火山の完新世の噴火活動履歴をまとめ、特に17世紀前後の噴火活動度の地域差を明らかにする。さらに上記3火山のマグマ供給系の構造と噴火過程をまとめ、北海道における地震と火山活動の関係について検討する。 北海道は東北日本弧と千島弧の2つの島弧の会合部であり、火山活動は更新世を通じて活発である。そして完新世では、まず1万年前後に比較的大規模な噴火が全域で起こっていた。千島弧に属する北海道東部では1.3万年前の雌阿寒岳(VEI=5)、7000年前の摩周(VEI=6)の大噴火があり、また東北日本弧の南西北海道では1.2万年前の濁川、9000年前の樽前山、そして約7000年前に駒ケ岳がそれぞれVEI=5の大噴火を起こした。東部では知床半島の諸火山、摩周~アトサヌプリ、雄阿寒~雌阿寒1000年前頃までは定期的にマグマ噴火を起こしており、噴火活動は活発であったといえる。一方、道南の火山は樽前山が約2500年前にVEI=5の噴火を起こしているが、その他の活火山ではVEI<3程度の噴火が散発する程度であり、活動度は低い状態が続いていた。会合部である北海道中部では、完新世ではVEI=5に達する噴火はなく、大雪山と十勝岳においてVEIが3以下の噴火が散発している。 そして17世紀になって前述したように、南西北海道では3火山が大噴火を連動したかのように起こし、その後も現在まで噴火活動は継続している。さらに3火山だけではなく、周辺の恵庭岳や恵山などでも活動が活発化した。一方、北海道東部では約1000年前頃の摩周(VEI=5)、雌阿寒岳(VEI=4?)および700年前の羅臼岳(VEI=3)のマグマ噴火を最後に、活動は低調になったようである。特に17世紀以降に限ると、北海道中部の十勝岳で小規模なマグマ噴火が散発する程度で、北海道東部ではマグマ噴火は発生していない。以上の北海道全域での火山噴火活動履歴を考えると、仮に慶長三陸地震のような大地震が北海道の火山活動に影響を与えたとすると、北海道東部の活動を低下させて、逆に南西北海道の諸火山の噴火を誘発させたことになる。つまり17世紀に起こった現象は北海道全域の応力場に影響を与えたと考えるべきであり、これは北海道が2つの島弧会合部にあることと調和的である。 次に17世紀に噴火活動を再開した、南西北海道の3火山のマグマ系について検討する。これまでの研究をまとめると、これらの火山の噴火履歴およびマグマ供給系にはいくつかの共通点が認められる。それは、1)いずれも2000~5000年あるいはそれ以上の長い休止期の後に噴火活動を再開したこと、2)主要に活動したマグマは珪長質で、その全岩化学組成はデイサイト質安山岩~流紋岩質マグマと組成差があるが、それらのメルト組成はいずれも流紋岩質であったこと、3)この珪長質マグマ溜りに噴火の数年前以内の時期にマフィックマグマが貫入して噴火した点、の3点である。このことからこれら3火山では休止期の間に、十分な量のマグマを蓄積していたと考えられる。そのため大地震で噴火を誘発することはあり得るが、例えば大地震によりマフィックマグマの活動が活発になって上昇を開始する、あるいは地殻内の応力場の変化により珪長質マグマが活発になるという可能性は、慶長地震の後に約30年の間隔をおいて、3火山の噴火が始まったことの説明が困難である。
著者
高田 亮
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

マグマの移動は,上部地殻では岩脈を使って行われるので,応力場の変化とマグマ活動には,密接な関係がある.(1)水平方向の応力場の変化の影響は,割れ目噴火位置の変化に現れる.火山体周辺の地震活動により,例えば,地震により開放された山腹側への割れ目噴火位置のシフトなどとして,観察される(Takada,1997).世界の活動的な火山について,火山周辺の地震活動と割れ目噴火位置の時系列の変化を紹介する.(2)垂直方向の応力場の変化は,最小圧縮主応力軸の変化や,マグマの浮力と同等の応力勾配の変化として,マグマの上昇を抑制したり促進したりすることができる(Takada,1989;1999).つまり,“休眠中の火山“下のマグマ供給系に対して,ある条件の応力場変化が,深部ないし横からマグマだまりに新たにマグマを注入したりや,マグマだまり上部の地殻でマグマ上昇を促進する方向に働く.(3)休眠中の火山の例として,富士火山1707年宝永噴火に至る,応力場変化のモデルを紹介する.また,フィリピンピナツボ1991年噴火に至るプロセスをレビューする.(4)応力変化がマグマ上昇に与える影響について,ゼラチン中の液体で満たされたクラックを使ったアナログモデル実験を紹介する.
著者
高橋 栄一
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

2011年3月11日に発生したM9東北地方太平洋沖地震の結果、日本列島にかかる強い水平圧縮がほとんど取り去られ、一部地域は引張場に移行した。その結果地殻内のマグマ移動は容易となったと考えられるため、日本列島全体で休眠中の火山が活動を再開するなど火山活動の長期にわたる活発化が懸念される。地震と火山活動の関係としては地震発生から数時間~数か月の近接された活動例が従来注目されてきたが、地殻応力場の変化に火山が応答するメカニズムからは数年~数10年の長い時間間隔を経た相互作用を考慮する必要がある(高橋2012、連合大会)。巨大地震により広域的に且つ長期的に火山活動が活発化した例としては、17世紀の中盤に開始した北海道駒ヶ岳[1640年~]、有珠[1663年~]、樽前[1667年~]の火山活動がある。これら3火山の17世紀から現在に至る火山活動は1618年に北海道東方沖で起きたM9地震により励起された可能性が極めて高い。本セッションでは、この因果関係について中川(本セッション)と佐竹(本セッション)の講演でなされる予定である。2011年の東北地方太平洋沖地震の1100年前に起きた貞観地震(西暦869年)後の鳥海火山噴火(871年)、十和田―a噴火(915年)も巨大地震による励起噴火である可能性が考えられる。日本列島の第4紀火山の多くは噴火間隔が数100年以上あるため、火道や浅部にあるマグマだまりは冷却され結晶度が高いマッシュ状態にあるものが多い(竹内、本セッション)。地震から火山活動活発化までに要する時間は、それぞれの火山の地下マグマ供給系の熱的状態に応じて数年から数10年の幅があるものと考えられる。数千年に渡って休眠していた北海道駒ヶ岳、有珠、樽前、十和田においては、地震後から噴火が起こるまでに30~50年の時間間隔が必要だった。これはマントルから注入した玄武岩マグマが半ば固化した火道を温めたり、マグマだまりの温度を上げてマグマの粘性を下げたりするのに時間を要するからであろう。反対に鳥海火山のように玄武岩マグマがそのまま噴火した例では時間間隔は2年と短かった。3.11地震後の影響で地殻応力場が変化した日本列島においては、これまで休眠中であった火山がマントルからのマグマ注入を受けて活動に向かっている可能性がある。それぞれの火山における地下のマグマ供給系がいかなる状態にあって、今後どのような時間内にいかなる噴火を起こす可能性があるかを学際的に検討することが必要である。本セッションは2014年度から東大地震研究所特定研究課題に採択された「巨大地震が励起する火山活動の活性化過程の研究」(世話人代表:高橋栄一・栗田敬)を母体としている。この研究課題では、我が国の火山活動の予測に資するため、それぞれの火山のマグマ供給系の実態解明を目指す。火山物理、火山化学、火山地質学、岩石学、地震トモグラフィー、MT観測など多方面の研究者の参加を広く呼びかけた。日本列島の火山活動の長期的な推移を予測するためには、それぞれの火山のマグマ供給系の実態をできる限り正確に把握し、火山体深部で起きている噴火の予備的過程を正確に読み取ることが重要である。
著者
永松 冬青 大木 聖子 広田 すみれ
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

首都直下地震や南海トラフでの巨大地震に備えて早急な防災対策が求められているが、東日本大震災での甚大な被害を目の当たりにしてもなお、巨大災害への対策が十分に進んでいるとは言いがたい。防災対策を進める方法のひとつとして、地震リスクに関するコミュニケーションの向上が挙げられるだろう。そこで、文部科学省地震調査研究推進本部が2005年から毎年発表している「全国地震動予測地図」を用いて、リスクコミュニケーションの効果を測定する調査を行った。地震動予測地図は、ある地点が今後30年にどのくらいの確率で震度6弱以上の揺れに見舞われるかを確率と色とで表現したものである。地震本部は「地震による揺れの危険度を正しく認識し、防災意識や防災対策の向上に結びつける(2009)」ために作成・発行しているとしている。一方で、既存のリスクコミュニケーション研究では、確率情報の伝達について、文脈の影響が大きく、確率伝達が非常に困難であることが指摘されている(Visschersら、 2009)。そこで本研究では、地震動予測地図における確率の認知のされかたを明らかにするとともに提示手法の効果を検討することで、提示方法の改善案を検討した。調査はウェブアンケートで行った。対象者は35~55歳までの世帯主か世帯主の配偶者で、自宅がある地域の地震動予測確率が高い地域(震度6弱の地震の発生確率が30年間に26-100%)と低い地域(3%未満)の居住者である。質問項目は大きく、震度階の閾値測定、地震動予測地図を用いた実感や恐怖感情の測定、防災行動意図の変化調査の3つからなる。はじめに、気象庁の震度階を提示して「怖いので対処が必要」と感じるかを尋ね、当該実験参加者の震度階の閾値を測定した。次に、回答者をランダムに6つのグループに分類し、以下の流れで自宅がある地域の予測確率を回答してもらった。グループ1:世界地図で他の都市の地震リスクを確認し、自宅の地震動予測の色を回答。グループ2:世界地図で他の都市の地震リスクを確認し、自宅の地震動予測の数値を回答。グループ3:自宅の地震動予測の色のみ回答。グループ4:自宅の地震動予測の数値のみ回答。グループ5:世界地図や自宅の地震動予測を見ずに後述の質問に回答、グループ6:世界地図だけを見て後述の質問に回答。その後すべてのグループの回答者に、実際に自分が地震に遭うと思うかについて「必ず遭いそう〜まずないだろう」の5段階と「よくわからない」から、自宅の地震動予測確率に恐怖を感じるかについて「非常に怖い〜全く怖くない」の5段階と「よくわからない・その他」からそれぞれひとつを回答してもらった。また、調査冒頭で既に行っている防災対策を13項目の中から選択してもらい、一連の調査に回答してもらった後に再び13項目を提示し、今後さらに充実させたい防災対策を選択してもらった。(項目:非常持出し袋の準備、家具転倒防止、地震保険への加入、家族との連絡方法の確認、出入口の確保、避難場所の確認、ガラス飛散防止、ブロック塀転倒対策、耐震診断、耐震補強、転居)本調査は2015年度地震学会秋季大会にて発表した内容を、地震リスクが低い地域に拡張して調査したものである。地震リスクが高い地域に住む被験者においては、地震動予測地図の見せ方(世界との比較/色/数値)によらず被災実感が高くなっていることや、特に色で予測確率を回答する実験群は恐怖感情につながっているということがわかった。このようなリスク認知の変化は中地域に住む被験者には見られなかったが、このことは、少なくとも地震動予測地図が中地域住民に対して「他に比べて安心である」という危険な安心情報を与えることはしていないことを示唆している。本研究では、これが低い地域に住む被験者に対しても有効かどうかを検証し、報告する。【参考文献】・永松冬青・大木聖子・飯沼貴朗・大友李央・広田すみれ「地震予測地図の確率はどう認知されているのか」日本地震学会2015年度秋季大会発表論文集, 2015.・大伴季央,大木聖子, 飯沼貴朗, 永松冬青, 広田すみれ「地震予測での不確実性の認知とコミュニケーション手法の改善」日本リスク研究学会2015年度秋季大会発表論文集, 2015.・広田すみれ「地震予測『n年にm%の確率』はどう認知されているのか−極限法を用いた長期予測に対する怖さの閾値の測定−」,日本心理学会第78回大会発表論文集, 2015.・VisschersH. MVivianne, MeertensMRee. (2009). Probability Information in Risk Communication : A Review of the Research Literature. Risk Analysis, 29.・地震調査研究推進本部地震調査委員会. (2009). 全国地震動予測地図 技術報告書
著者
織原 義明 鴨川 仁 長尾 年恭
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

現時点において、「確度の高い地震予知は困難」というのが科学的な見解である。しかし昨今では、民間による地震予知・予測情報が注目を集めている。そのなかには、例えば、国土地理院が観測・公開しているデータを用いていることから、一見すると科学的な手法による予知・予測と思われてしまうものもある。マグニチュード6以上の大きな地震を予測する場合であっても、数多くの警告を発していれば地震を的中させることができるであろう。そして、多くの場合、マスコミは地震を言い当てた事例だけを紹介するため、人々はその地震予知・予測が当たっていると信じてしまうのである。これは人々が誤った判断をしてしまう典型的なケースである。本発表では、巷にあふれる地震予知・予測情報に対して、一般の人々がどのように接すれば正しい判断ができるのか、地震予知・予測情報そのものと、それを宣伝するメディアの2つのリテラシーについて議論する。
著者
Koizumi Takeshi 宮村 淳一 菅野 智之 橋口 祥治
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

気象庁は、噴火災害軽減のため、全国110の活火山を対象として、観測・監視・評価の結果に基づき、噴火警報を発表している。噴火警報は、噴火に伴って発生し生命に危険を及ぼす大きな噴石、火砕流などの火山現象の発生や、危険が及ぶ範囲の拡大が予想される場合に、「警戒が必要な範囲」を明示して発表される。噴火警戒レベルが運用されている火山では、気象庁は、あらかじめ地元の火山防災協議会で合意された、防災行動とリンクした噴火警戒レベルを付して噴火警報を発表する。これらの噴火警報は、報道機関、都道府県等の関係機関に通知されるとともに、直ちに住民等に周知される。地元の市町村等の防災機関は、噴火警報に基づき、入山規制や避難勧告等の防災対応を実施する。平成26年(2014年)9月27日に発生した御嶽山噴火では、11時52分の噴火発生から8分後の12時00分、気象庁は「噴火に関する火山観測報」を発信し関係者に噴火発生の事実を伝えるとともに、警戒が必要な範囲を評価した上で、12時36分に噴火警報(噴火警戒レベル3)を発表した。しかしながら、噴火は登山中の人々を巻き込み、多くの人命が失われる結果を招いた。火山噴火予知連絡会の火山情報の提供に関する検討会は、登山者等火山に立ち入っている人々に、迅速、端的かつ的確に伝えて、命を守るための行動を取れるよう、「噴火速報」を新たに発表することを提言、気象庁は平成27年(2015年)8月からその運用を開始した。噴火速報は、登山者や周辺の居住者に噴火後速やかに身を守る行動を取ってもらうため、噴火の規模の評価等を行う前に、噴火の発生事実のみを発表する情報である。噴火速報は、観測体制の整っている常時観測火山を対象とし、その火山が初めて噴火した場合、また、継続的に噴火している火山では、それまでの規模を上回る噴火を確認した場合に発表される。視界不良により遠望カメラでの確認ができない場合でも、地震計や空振計のデータで推定できる場合は、気象庁は「噴火したもよう」として噴火速報を発表する。噴火速報は、気象庁ホームページ、テレビ、ラジオなどで知ることができるほか、平成28年1月現在、ヤフー株式会社、日本気象株式会社、株式会社ウエザーニューズによって、スマートフォンアプリ、メール等による情報提供サービスが行われている。