著者
宋 苑瑞 藁谷 哲也 小口 千明
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

アンコール遺跡は,クメール王朝によっておもに9~13世紀に建てられたカンボジアの石造建築物群である.遺跡には王朝を代表する芸術と文化が建物の彫刻に多く残され,1992年にユネスコ世界遺産に指定されたことから,毎年多くの観光客を集めている.自然劣化の進んだアンコール遺跡の保存修復は,20世紀初頭からフランス極東学院によって行われてきた.また内戦後,とくに悲惨な状態にあったアンコールワット寺院の修復作業は,インド考古調査局(ASI)によって1986~1993年に行われた.ASIはアンコールワット寺院を構成する砂岩ブロックの割れ目にモルタルを注入して水の浸透を防ぎ,紛失部分や毀損箇所を修復するとともに,建物を覆う植物の除去作業を行った.また,寺院のほぼ全域(約20万m2)を対象として,砂岩ブロックの表面洗浄を行った. このような膨大な規模の洗浄作業後,アンコールワット寺院の表面の色は建築当時の砂岩本来の色である灰色~黄色い茶色に戻った. 現在,アンコールワット寺院を構成する砂岩ブロックの表面は全体的に黒っぽく見える.これは,おもにシアノバクテリアのバイオマットであり,1994年以降に形成されたものである.文化財の保存修復分野では,バクテリア,カビ,地衣類をはじめミミズやシロアリ,植物などの生物的要素が遺跡(岩石)を風化(生物風化)しているのか,保護しているのか長く議論が続いている.これは風化現象が物理的,化学的,生物的な要素が合わさって起こるとても複雑な現象であり,風化環境や風化継続時間によって異なる結果がもたらされているためと考えられる.本研究では,アンコールワット寺院の第一回廊基壇に付着するシアノバクテリアが,砂岩ブロック表面にどのような影響を与えているかについて検討を進めた.ASIによると,基壇の砂岩ブロックに対しては,アクリル樹脂を用いた防水処理を行っている.しかし,その約2年後からシアノバクテリアが基壇表面を覆い始め,砂岩ブロックはスレーキングによる剥離部分とシアノバクテリアの付着した黒色変色部分が共存するようになったという.そこで,このような砂岩ブロック表面の剥離部分と変色部分に対して,シュミット・ロックハンマーとエコーチップ硬さ試験機を用いた反発硬度測定を行った.その結果,剥離部分は変色部分に比べて反発値が最大3.7倍大きかった.剥離されず,シアノバクテリアにも覆われていない部分も変色部分に比べて最大3.6倍も大きかった.シアノバクテリアはアンコールワット寺院の回廊を保護しているのではなく,表面硬度の低下を引き起こしている点では風化を促進していると言える.さらに, アンコールワット寺院に関しては,殺虫剤を使い生物的要素を除去してもすぐに原状に戻るため,表面洗浄作業はほとんど意味がなく,人工樹脂処理後20年以上経過した今はそれが蒸発を防ぎ風化を加速させたり,それ自体が溶け落ちるなど他の問題の生じているため樹脂の使用を慎重にする必要がある.
著者
南里 翔平 鈴木 毅彦
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

群馬県中部に位置する赤城山は周囲約25 kmに及ぶ大型の成層火山である.守屋(1968)はこの発達史をはじめて体系的にまとめた.その中で約4.4万年前に噴出した赤城鹿沼テフラ(Ag-KP;青木ほか,2008)の上位に足尾帯由来のチャートや頁岩からなる降下火砕物があることを報告し,これを水沼石質降下火砕岩層(CLP)とした.本研究では守屋(1968)ほかで詳細に明らかにされてこなかった,CLPの分布,層序,構成岩種,噴出量,噴火様式,前後の噴火史を明らかにすることを目的とした.赤城山東麓の桐生市黒保根町下田沢を流れる清水用水沿いの露頭(赤城山山頂から南東約10 km)では,下位から榛名八崎テフラ(Hr-HP),Ag-KP,CLP,赤城小沼(この)石質降下テフラ(Ag-KLP)がそれぞれ観察できる.この地点におけるCLPは岩相から4つの噴火ユニットに分けることができ,下位から1L,2P,3P,4Lとした.このうち1L,4Lは足尾帯由来と考えられる堆積岩・火成岩(たとえばドレライトなど)の亜角礫が主体である.1Lは平均粒径13 mmの火山豆石を含む単層と,その上位に堆積する平均粒径32 mmの亜角礫層からなる.このことから1Lはマグマ水蒸気爆発の堆積物であると考えられる.2Pは発泡の悪い黄色軽石火山礫からなる.この軽石火山礫の火山ガラス部の主成分化学組成は,下位のAg-KP中のそれらとは明らかに異なり,SiO2の重量%がAg-KPのそれよりも高いことがわかった.このことから,この軽石はAg-KPの噴火以後,赤城山のマグマだまり内部で結晶分化作用が進行した結果生成されたマグマに由来するものであると考えられる.守屋(1968)はCLPを水蒸気噴火の堆積物としたが,本研究では2Pの存在からこれをマグマ噴火であると考えた.また,2Pは給源から東方に約50 km離れた日光市や鹿沼市など広域に分布していることが確認されたので,プリニー式の噴火であった可能性が高い.3Pは2P中の軽石と同じ組成を持つ軽石と,堆積岩の亜角礫層との互層からなることから,このユニットに関しても2Pに引き続くプリニー式のマグマ噴火であったと考えられる.4Lは層厚9 cmの細粒火山礫層と,その上位に堆積する亜角礫層とからなることから,マグマ水蒸気噴火の堆積物である可能性が考えられる.CLPは赤城山の類質物や異質物からなる堆積岩主体の堆積物であると考えられてきたが,以上のようにマグマ噴火による本質軽石を伴うことがわかったので,新たに赤城清水石質テフラ(Ag-SLT)の名称を用いることを提案する.Ag-SLTは総噴出量約6 km3に達する.この値はVEI=5に相当し,富士山の宝永噴火(1707年)に匹敵するレベルのプリニー式噴火である.鈴木(1990)はAg-KPの主体をなす降下軽石堆積物直上に降下火山灰を認めたが,それを覆うCLPまで含めて一連の噴火による堆積物と解釈した.本研究では清水用水の露頭においてAg-KPの降下軽石堆積物直上の降下火山灰層をAg-KP(a) とあらためて定義し,灰噴火に由来すると解釈した.またこれと区別するため,従来の赤城鹿沼テフラ(Ag-KP)と呼ばれている降下軽石堆積物をAg-KP(p) と再定義した.ところでAg-KP(a)/ Ag-SLT(1L)境界付近を詳しく観察すると,有機物に富み,層理が不明瞭で,淘汰が悪い層厚12 cmの地層が存在する.このことから,Ag-KP(a)/ Ag-SLT(1L)間にはロームが存在すると考えられる.つまり,Ag-KP(p) のプリニー式噴火後は引き続きAg-KP(a)の灰噴火が発生したが,Ag-SLTの噴火までには,わずかではあるが噴火の休止期があった可能性が示唆される.引用文献青木ほか(2008)第四紀研究,47,391-407.守屋(1968)前橋営林局,p64.鈴木(1990)地学雑誌,99,60-74.
著者
山本 哲
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

気象観測で用いられる「百葉箱」の語源については、日本で作られた語であること、中国語の「百葉」あるいは「百葉窓」に由来することなどが推定されていた(塩田1996、山口 2006)。当時の気象当局の文献を調べた結果、”Stevenson’s Box for thermometer”(図)の態様を表す”double louvre boarded box”という英語表現を直訳した「(ステイーブンソン形)二重百葉窓箱」が縮めて呼ばれるようになったものと推察された。百葉箱の日本への導入経緯についても考察する。 図(左)新型の温度計設置用の箱についてのThomas Stevensonの報告中の挿絵。2列のよろい板(double row of louvre boards)が特徴とされている。(右)10種類以上の温度計台(Thermometer Stand)を紹介した雑誌連載記事に掲載された”Stevenson’s Thermometer Stand”の挿絵。この絵は広く使われ、日本で最初に編集された「気象観測法」(1886)にも同一のものが掲載された。 参考文献塩田正平. 百葉箱の呼び名について. 気象. 1996, vol. 40, no. 7, p. 7–11.山口隆子. 日本における百葉箱の歴史と現状について. 天気. 2006, vol. 53, no. 4, p. 265–275.
著者
谷川 亘 浦本 豪一郎 内山 庄一郎 折中 新 山品 匡史 岡本 桂典 原 忠
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

高知県内各地では、歴史南海地震の被害の様子が文字として刻まれた石碑が建てられている。宝永地震(1707年)から昭和南海地震(1946年)までの南海地震に関連した石碑が多く残されており、現在文献で確認できるだけで約25体ある。特に高知県内の地震津波碑は安政東海地震・安政南海地震(1854年)に関連した石碑が多い。地震津浪碑は供養・慰霊碑としての位置付けだけでなく、歴史資料としての価値も高い。しかし、雨風と植生による風化が進行し、石碑が傷み、解読不能な文字も見受けられる。また、高知県内の石碑は個人や寺社などが所有者であることが多いため、その保全は所有者に委ねられている。そのため、将来発生する南海地震をはじめとした自然災害により地震津浪碑喪失の危惧も否めない。そこで、本プロジェクトでは地震津浪碑から得られる歴史南海地震の情報を後世へと継承し、防災教育の教材として活用を促進するために、三次元デジタルイメージ化による地震碑の保存、および地震津浪碑と地図情報をリンクさせたウェブブラウザ上での情報提供を行う。石碑の研究といえば、これまで主に刻まれている碑文内容の解読に重点が置かれてきた。しかし、石碑の価値はそれだけでなく、石碑の岩石物理化学的な特徴(鉱物組成・色・帯磁率など)と形状も石碑が製作された当時の文化とその背景を示唆する情報を含んでいる可能性が高い。そのため本プロジェクトでは、石碑の三次元デジタル画像の構築および、石碑の岩石物理化学的なデータの測定を行い、これらの情報をウェブ上に掲載することを計画する。三次元デジタル画像の構築は、既存のソフトAgisoft社製Photoscanを使用して行っている。また画像構築に必要な写真撮影はRICOH社製のGRを用いた。3D画像を閲覧する方法として①ウェブでの閲覧、および②ウェブサイトから各々のPCへの転送、を検討している。石碑の三次元デジタル画像は、彫られた文字を明瞭に表示させるためにはメッシュ化した面の数を多くする必要がある。しかし、面数が多くなるとデータ容量が大きくなるためブラウザ表示に負担がかかる。そこで①の方法として、WebGL描写の3Dモデルをブラウザ上で表示・シェアできるプラットフォーム[Sketchfab (https://sketchfab.com/)]を採用している。また②の方法として、転送データ形式は3D-PDFとし、3D-PDF対応のソフトウェアで閲覧する方法を採用している。石碑の色測定は分光測色計(KONICA MINOLTA社製 CM-700d)を用いて、帯磁率測定はTerraplus社製のKT-10 S/Cを用いている。本発表では現在までのプロジェクトの進行状況およびこれまで得られた結果を報告する。
著者
三島 賢二 角野 浩史 山田 崇人 家城 斉 長倉 直樹 音野 瑛俊
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

3He/4He ratios in terrestrial samples vary more than three orders of magnitude, because primordial helium with 3He/4He of (1.4–4.6) x 10–4 has been diluted by addition of radiogenic 4He produced by decay of U- and Th-series elements in different degrees depending on 3He/(U+Th) ratio of each reservoir. This feature makes 3He/4He ratio a powerful tracer in geochemistry and cosmochemistry. Though atmospheric helium with 3He/4He ratio of 1.4 x 10–6 is used to calibrate 3He/4He measurement with a noble gas mass spectrometer, relatively low concentration and 3He/4He ratio of the atmospheric helium cause many difficulties to use it as a working standard for daily measurements. Thus noble gas laboratories often use their own working standards prepared from a natural gas sample with high 3He/4He ratio or by mixing of isotopically pure 3He and 4He. "He Standard of Japan" (HESJ) is one of the latter originally prepared by four noble gas laboratories in Japan [1] and now distributed worldwide as an interlaboratory standard [1,2]. However, 3He/4He ratio of HESJ was determined by comparison with that of atmospheric helium, i.e., absolute 3He/4He ratio has not been determined yet and the accuracy of the value still rely on the early determinations of absolute 3He/4He ratio of atmospheric helium [3].As long as 3He/4He ratio is used to compare relative contributions of primordial and radiogenic in each geochemical reservoir, absolute 3He/4He value of atmospheric helium or HESJ is less important. However, it is a critical issue in some applications of helium isotopes, such as tritium-3He dating and an experimental project to measure the neutron lifetime with total uncertainty of 1 sec (0.1%) using pulsed neutron source at J-PARC [4].A neutron decays into a proton, an electron, and an anti-neutrino with a lifetime of 880.3 ± 1.1 sec [5]. The lifetime is an important constant in the Big Bang nucleosynthesis (BBN) that controls amounts of primordial elements in our universe. In this experiment, the incident neutron flux is measured by counting 3He(n,p)3H reaction in a time projection chamber detector filled with 3He, 4He and CO2. To determine neutron lifetime with uncertainty less than 0.1%, 3He number density in the detector must be accurately known with even smaller uncertainty. As a part of this experiment, we are developing a gas handling system to control 3He number density with uncertainty of 0.1%. The 3He gas is mixed with research grade He in a vessel with measuring pressures of these gases precisely using a calibrated piezoresistive transducer.We fabricated control samples of known 3He/4He ratio using the gas handling system and measured the ratio using a sector type single focusing noble gas mass spectrometer with double collector system [6] at Dept. of Basic Sci., the Univ. of Tokyo by referring to HESJ. The results will contribute to determine the absolute 3He/4He value of HESJ, and that of atmospheric helium also [6].[1] J. Matsuda et al., Geochem. J. 36, 191 (2002).[2] Y. Sano, T. Tokutake, and N. Takahata, Anal. Sci. 24, 521 (2008).[3] Y. Sano, B. Marty and P. Burnard, “The Noble Gases as Geochemical Tracers”, Chapter 2. “Noble gases in the atmosphere”, Springer (2013).[4] Y. Arimoto, et al, Nucl. Inst. Meth. Phys. Res. A 799, 187–196, (2015).[5] K.A. Olive et al. (Particle Data Group), Chin. Phys. C, 38, 090001 (2014) and 2015 update.[6] H. Sumino et al., J. Mass Spectrom. Soc. Jpn. 49, 61 (2001).
著者
猿渡 隆夫
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-19

1.予測方法 多くの地震を解析した結果、台風が温帯低気圧になる時や低気圧が発達する時、激しい下降気流が発生し、地面・水面に当たった地点で、数か月後、地震が発生していることが分かった。下降気流が当たった地点では、最大瞬間風速の増加が認められた。また衛星画像では、雲の無い領域として写っていることが分かった。1)数ヶ月から数年ぶりの最大瞬間風速が記録された地点で地震発生の可能性が高い。2)地震の大きさは、強風域の幅または雲の無い領域の幅が震源域の幅と一致することから、推測できる。3)強風日から1週間から7ヶ月後位に地震が発生する。4)震央近傍の風向が、メカニズム解の軸と一致する。2.予測方法の実証 2010年地震学会で予測方法を発表以降、2011東北沖地震など、多くの予測例・解析例があり、この予測方法が実証されたと考えている。3.2016年4月7日の発達した低気圧からの地震予測 前線を伴った低気圧が日本海を進み、東北付近を通過して、夜には三陸沖へ。全国的に雨となり、西日本や東日本で南寄りの風が強く吹いた。 熊本県阿蘇山では午前09:53に最大瞬間風速43.9メートル(南南西の風)(2007年以来9年ぶり)が観測された。また、長崎県では、長崎で最大瞬間風速29.3メートル(南風)、雲仙岳で35.2m/s(南西の風)が観測された。4月1位の記録が更新された。 予測方法に基づき、雲仙岳から阿蘇山付近にかけて地震の可能性があると予測された。発生時期は1週間後から7か月後と予測され、7日後に発生した。4.2016年熊本地震4月14日 21時26分 熊本県熊本地方 M6.5 4月16日 01時25分 熊本県熊本地方 M7.3 5.詳細解析と結論 別表・別図に気象庁の熊本県・大分県の全観測地点の4月7日の最大瞬間風速を示した。赤字は最大瞬間風速が高い地点である。別図の赤枠は、気象庁作成の震央分布図の枠である。阿蘇山の南西から北東にかけて、最大瞬間風速が周辺と比べて高い領域がある。この領域は、別図に示した気象庁作成の震央分布図(赤枠)とほぼ一致している。すなわち、他の多くの地震同様、地震発生前の最大瞬間風速等から、地震の発生場所と地震の大きさを予測することができる。 マントル対流や活断層が地震の原因ではなく、下降気流の強風が地震の原因と考えるべきである。 参考文献1. http://www2.jpgu.org/meeting/2011/yokou/MIS036-P85.pdf2. http://www2.jpgu.org/meeting/2015/PDF2015/S-CG56_P.pdf
著者
林 衛
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-19

2016年の熊本地震は,(1)近代以降の地震災害の経験,(2)地元の民間研究組織(NPO法人熊本自然災害研究会,第1回研究会は1992年11月27日開催)や地震カタログ,研究書類による知識の発掘と共有,(3)中央政府によるハザードマップ作成などの被害予想・警鐘,(4)熊本県や熊本市,益城町といった地方自治体による耐震化施策の進行の四つの蓄積があった地域で発生した。いわば想定される事態が蓄積にもとづく想定に沿って生じたにもかかわらず,(5)「まさか,熊本では」「前代未聞の「前震」」「余震経験則 通用せず」などと,蓄積されていたはずの内容が「想定外」だと語られている点で特徴的である。そこで本研究では,防災・減災の実現のため,上記(1)から(4)の蓄積と(5)の「想定外」の語られ方の内容を整理し,惨事伝承の困難性,すなわち,「災害は忘れた時分にくる」(寺田寅彦のことばとされる)原因をリスクコミュニケーションの観点から考察する。1889明治熊本地震では,1889年7月28日午後11時49分に本震(劇震と表示),8月3日午前2時18分に最大余震である劇震が再び発生。その間,5日あまりであった。21日間に300回足らず観測された余震分布は,二つの劇震による余震経験則に従った発生パターンを示している。1894年の「余震経験則」を発表した大森房吉ら同時代の地震学者たちも,明治熊本地震の事実を目の当たりにしていたことになる。1889年(明治22年)その年に市政誕生したばかりの熊本が,水害とその5日後が地震災害に襲われた。それを受け翌1890年に熊本にも気象台が開設されている。その翌1891年のM8級内陸直下地震(濃尾地震)を契機に震災予防調査会が設立されることになる。明治熊本地震は,近代の形成期に生じた直下地震であった(表俊一郎・久保寺章:都市直下地震 熊本地震から兵庫県南部地震まで,古今書院(1998))。1975熊本県北東部の地震では,1月22日13時40分(M5.5),1月23日23時19分(M6.1) と阿蘇地方での連発(前震→本震型)。3か月後の4月21日には大分県湯布院付近でM6.4の誘発地震が発生。『日本被害地震総覧 599-2012』(東京大学出版会(2013))では,見開きにちょうど三つの地震の震度分布図が並ぶ形で両県での地震被害とともに記録されている。南隣の鹿児島県で発生した1997年の鹿児島県北西部地震でも,3月26日(M6.5)と5月13日(M6.3)の連発が知られている。2000年6月8日の9時32分の熊本県熊本地方の地震(深さ10km,M4.8)では,嘉島町,富合町で震度5弱が記録され,熊本市,益城町など熊本県中部で住家一部破損等の被害が発生している(最大規模の余震はM3.9が3回)。「益城町建築物耐震改修計画」(2012年策定,2016年3月改訂)では,「熊本県には,上述した布田川・日奈久断層帯をはじめとする多くの活断層が県内を縦横断…今後30年の間に地震が発生する確率は0〜6%と推定…内閣府の「地震防災マップ作成技術資料」の記載されている「全国どこでも起こりうる直下の地震」(マグニチュード6.9)が益城町で発生した場合には最大震度5強~7となることが予測…福岡県など地震が少ないといわれてきた地域での大規模な地震が発生したことからも,速やかな地震対策の推進が望まれています」との認識のもと,2005度の中央防災会議報告を受け,住宅,特定建築物を2015年度までに90%耐震化する計画がうたわれている。ところが,連発型の地震発生があたかも珍しいことであるかのように,また,震度7の連続が被害をもたらした事実が震度7単独ならば安全であるかのように語られてしまっている。ここに,事実を直視しようとせず,惨事伝承を忌避しようとする「想定外」生成のしくみがみてとれる。2016熊本地震の前震→本震の二つの「震度7」が「小分け」されずに一発の「本震」として発生した場合は,現行計測震度では「震度7」1回と記録されるが,住宅倒壊は一気に進んだであろう。「本震」は就寝後の真夜中の発生であった。したがって,震度7「連発」はむしろ「不幸中の幸い」であったという視点も忘れてはならない。 誰のため何のために地球惑星科学が存在しているのか改めて問われる,科学コミュニケーションの問題でもある。
著者
室谷 智子 有賀 暢迪 若林 文高 大迫 正弘
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-19

明治22年(1889年)7月28日午後11時40分頃,熊本地方で地震が発生し,熊本市内で死者約20名,家屋全壊230棟以上,さらに熊本城の石垣が崩れるなどの被害が発生した.この地震の震源は,熊本市の西部に位置する金峰山で,マグニチュードは6.3と推定され(宇津,1982,BERI),地震発生から21日間で292回,5ヶ月間で566回の余震が観測された(今村,1920,震災予防調査会報告).震源が平成28年(2016年)熊本地震とは少し離れているようであるが,この明治熊本地震への関心は高い.国立科学博物館は,この明治熊本地震に関する資料を所蔵しており,本発表では,それらについて紹介する.熊本市に今も残る冨重写真館の写真師・冨重利平は,明治熊本地震の際,被害の様子を撮影しており,熊本城の石垣の崩壊や,熊本城内にあった陸軍第六師団の被害,墓石の転倒状況,城下町での仮小屋の風景など,11枚の写真を所載した写真帖が国立科学博物館に残されている.写真撮影のポイントは不明であるために完全に同じ場所か分からないが,明治熊本地震で石垣が崩壊した飯田丸や西出丸,平左衛門丸は,平成28年熊本地震でも崩壊している.冨重は軍や県の依頼によって写真を撮影する御用写真師でもあり,軍や県,地震学会の依頼で撮影したものかどうかの経緯は不明であるが,熊本へ震災状況の視察にやってきた侍従に県知事からこれらの写真が寄贈されていることから(水島,1899,熊本明治震災日記),県の依頼で撮影したものかもしれない.これらの写真は,日本の地震被害を写した最初の写真と思われ,国立科学博物館ホームページ「国立科学博物館地震資料室」(http://www.kahaku.go.jp/research/db/science_engineering/namazu/index.html)にて公開している.この地震の際には,帝国大学理科大学(現東京大学理学部)の小藤文次郎や関谷清景,長岡半太郎(当時は大学院生)といった研究者が現地調査を行っている.大きな被害を引き起こした地震の近代的調査としては,この熊本地震がほぼ初めての例となった.地震から11日後の8月8日に現地入りした長岡は,熊本市の西にある金峰山周辺の町村で建物被害や地割れを調べ,ノートや手帳に調査状況や建物被害,地割れ等の被害地点のスケッチを残しており,それらが国立科学博物館に科学者資料として保存されている.古い地震の被害状況を窺い知ることができる資料としては絵図が有効であるが,国立科学博物館では明治熊本地震の絵図も所蔵している.明治22年7月30日印刷,8月出版と記された「熊本県下大地震の実況」絵図は,家屋が倒壊し,下敷きになっている人々が描かれている.また,被害の状況を記す文章も書かれており,「実に近年稀なる大地震なり」と記されている.歴史上,熊本地方は何度も大地震に見舞われているが,平成28年熊本地震が起きた際,過去に熊本で大きな地震が起きたとは知らなかったという人が多かったことからも,被害を伴う地震が稀であるために,大地震について後世に継承されていなかったと思われる.
著者
鈴木 敬子 石川 剛
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

数値標高モデル(DEM)から作成した陰影起伏図は,地形の視認性に優れ,地図の背景にも適した地形表現の一種である.しかし,陰影は光源設定や標高値の強調率に依存し,微地形や複雑な地形を正確に描くことは不可能であった.本研究では,陰影起伏図において光源が与える影響と,斜面方位に応じた陰影の濃度分布に着目し,起伏の規模に関わらず総ての地形が表され,かつ,地図の背景として適した陰影起伏表現の作成を試みた.まず,地形に複数の光源を設定し,最適な光源分布を検討した.複数光源では,全ての斜面に光量と濃度が異なる陰影が与えられ,方向依存性を軽減できるものの,極めて小さな起伏の表現が難しい.そこで,新たに陰影の不足箇所の抽出と補間方法を検討した.その結果,水平方向からの適切な光量と,それらと直交する方向のうち第3,4象限における方位クラスタリング処理から濃度を動的に変化させた陰影を合成することで,従来は表現不可能であった大小の地形が明瞭に描かれることを確認した.本手法による地形の陰影表現は適度な過高感を持ち,任意の色調の段彩と合成しても違和感が少なく,背景図としても利用可能であると考えられる.
著者
大村 潤平 Han Peng 吉野 千恵 服部 克巳 下 道國 小西 敏春
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

地震に関係する電磁気現象のうち電離層で発生する電子密度の異常について、地圏で発生する地震と電離層で起こる現象を結びつける理論として、地圏-大気圏-電離圏結合(LAIカップリング)理論が提唱されている。千葉大学の服部グループでは、大気電場、大気イオン濃度、ラドン濃度等の大気電気パラメータを観測することによってLAIカップリングモデルのうち化学チャンネルの可能性を観測学的に検証している。本稿では、千葉県旭市に設置した旭観測点の大気電気パラメータ変動の特徴について報告する。旭観測点(北緯35.77度、東経140.69度、以降ASA)では大気電気学的パラメータとして大気イオン濃度、大気電場、大気ラドン濃度、地中ラドン散逸量、気象要素の観測を行っている。本稿ではASAの大気電気パラメータの降雨応答、季節変化、日変化等について調査した結果について、従来の清澄観測点(KYS)の結果(大気イオン濃度と大気電場変動)と比較を行った。大気イオン濃度と大気電場について降水前の変動は普遍的で、大気イオン濃度は降水開始時に急に増加し、大気電場は降水開始3時間前から乱れる傾向が確認されたが、終了後変動にはサイト毎に異なる傾向が見られ、ASAではKYSに比べどちらのパラメータも高い値を示す時間帯があり、通常時のレベルに戻るのに時間がかかる傾向が見られた。季節毎の平均日変化にも地域差がみられ、ASAの夏季の日変化は15時頃に最小値をとるパターンであり、ASAの他の季節やKYSで確認された15時に最大値をとるパターンとは異なる傾向となった。大気電場については、冬季には9時から12時にかけて低下し、その後徐々に増加を続けるような日変化を示した。それ以外の季節では朝8時頃にピークを迎える変動幅の大きな日変化を確認した。この内冬季の日変化はKYS観測点で全期間のデータから得られた典型的日変化と概ね結果となった。ASAの観測結果からラドン散逸量は気圧の変動に対して3時間の遅れをもつ逆相関があることが確認できた。また季節によって日変化パターンが異なることも確認された。ラドン散逸量の変動に対し、大気イオン濃度、大気電場は少し遅れて相関のある変動を示す傾向が確認された。地震に関連するラドン異常変動を抽出するためには、観測点を増加することと今後の詳細な解析に基づくモデル化が必要である。
著者
渡辺 満久 鈴木 康弘 中田 高
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-19

1. はじめに布田川-日奈久断層の活動により2016年熊本地震が引き起こされ、甚大な被害を生じた。被害がとくに顕著な地域はやや局所的であり、活断層との関係が伺われる。以下、益城町と南阿蘇村の事例を報告し、今後の地震防災に活かすべき教訓として提示したい。2.益城町益城町の市街地では震度7を2度記録したが、4/16の地震時の建物被害が著しかったようである。地震被害が激甚な害域は、南北幅が数100 km程度で、東西に数 km連続する「震災の帯」をなしている。ここでは、耐震性が低くない建物までもが壊滅的な被害を被っていることがある。この「震災の帯」の中には、益城町堂園付近から連続する(布田川断層から分岐する)地震断層が見出さるため、その活動が地震被害の集中に寄与している可能性が非常に高い。木山川南方の布田川断層沿いにおいても地震断層が出現し、その近傍では壊滅的な被害を受けた家屋が集中している。その被害集中範囲も、地震断層沿いの幅およそ1km程度内に限定される。このように、地震断層直上の建物は悉く全壊し、近傍においても建物被害が著ししい。断層運動による地盤のずれとともに、強震動と地盤破壊による影響が強かったと推定される。3.南阿蘇村阿蘇カルデラ内の南阿蘇村(倒壊した阿蘇大橋周辺)においては、複数の地震断層が併走して現われた。地震断層直上およびその近傍では、ほとんどの建物が倒壊しており、多くの犠牲者を出した。ここでも、断層運動による地盤のずれてしまったことと、断層近傍での震動が強かったことが、被害を拡大させたと考えられる。これらの地震断層は、事前に検出することは非常に困難であると思われる。断層による地盤のずれの現われ方に関して、今後の防災においては非常に貴重な事例となるであろう。また、この地域においては、少なくとも5台の自動車が北~北西方向へ横倒しとなっていることも確認した。このような現象は、兵庫県南部地震では確認されていない。横ずれ断層にともなう断層直交方向のS波により転倒したと推定される。それは、南阿蘇村に集中する大規模な斜面崩壊の引き金にもなったと思われる。4.まとめ活断層の位置は、地震防災上きわめて重要活基礎的な情報であることが再確認された。どうようの現象は兵庫県南部地震時に神戸市街地でも確認されていたのであるが、残念ながら活断層の重要性が共有されることはなく、結果的に、兵庫県南部地震の教訓を生かすことにはつながらなかった。今後、活断層の事前認定が防災上極めて重要であることを再認識し、「都市圏活断層図」等を活用することによって、広域的な減災対策を講ずることが必要である。なお、南阿蘇村の事例は、現段階での活断層認定の限界を示すものである。地震防災を考える上では、既知の活断層周辺において何が起こるのか、慎重に検討してゆく必要がある。
著者
辻 健 石塚 師也 池田 達紀 松岡 俊文
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-19

衛星データの解析、地表調査、地震データの解析を用いて、2016年熊本地震の断層活動とその断層セグメントの境界の特徴を調べた。衛星データに干渉SAR解析を適用した結果から、一連の断層活動に伴う地表変動を明瞭に知ることができる。その干渉SAR解析の結果をもとに現地調査を実施し、実際の地表変動を確認した。特に阿蘇山周辺にみられた複雑な地表変動に注目した。干渉SAR解析の結果から、九州西部(熊本市〜阿蘇山)では北東—南西方向に伸びる直線状の断層システムを確認できるが、局所的な変動に注目すると火山といった地質の不均質性に影響を受けた断層活動や地表変動を確認できる。4月16日に発生した本震(M7.3)では、阿蘇山より南西側の断層が活動しており、阿蘇山周辺で断層運動が止まったことが分かる。断層運動は右横ずれであるため、断層のエッジの南側にあたる阿蘇山では水平方向への引っ張りの力が働き、北側にある大津町周辺は圧縮の力が働いている。実際に、阿蘇山のカルデラ内部は引張による地表の沈降が明瞭に認められる。特に大きく沈降している地域はマグマ溜まりの位置とも整合的で、引張に伴うマグマ溜まりの変形が関係している可能性がある。このような変動は2011年の東北地方太平洋沖地震でも確認されている。現地調査でも、引張に伴うとみられる巨大な開口亀裂が阿蘇市狩野(カルデラ内部)に見られた。巨大亀裂の開口幅は約1m以上あるものもあり、走向は北東—南西方向で本震の断層と方向が整合的であった。一方で、断層の北側に位置する菊池郡大津町では、本震断層とは異なったいくつかの断層運動が認められた。これらの断層の走向は東西方向で、逆断層運動をしている可能性がある。現地調査では、この大津町でみられた地表変形には横ずれ方向への運動は認められなかった。これらは阿蘇山という火山岩体西部での急激な本震断層の停止とそれに伴って生じる局所的な圧縮の力によって形成されたと考えられる。本震の約2時間後(4月16日3:55)に阿蘇で発生したマグニチュード5.6の地震では、震源が阿蘇山の北東側へと進展し、九重連山へと達している。干渉SAR解析の結果からも、その直線的な変動を見ることができる。熊本〜阿蘇〜九重にかけての地震メカニズム(横ずれ断層)と九重〜大分にかけての地震メカニズム(正断層)は異なることから、九重連山は地殻に働く応力分布の境界として働いている可能性がある。これらのことから火山(阿蘇山や九重連山)は、地震のセグメンテーションの境界として働いている可能性がある。これは火山体や火山性堆積物の強度は他の場所とは異なっていることや、断層の摩擦特性に影響を与える地殻温度が火山周辺では異常に高いことに影響している可能性がある。
著者
西村 太志
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-19

2016年熊本地震では、2016年4月14日21時のM6.5の約1日後の16日1時25分にM7.3の地震が発生した。内陸でさらに大きな地震が続けて起きることは珍しく、希な現象が起きたと考えられる。また、余震数が多く大分の別府地域でも地震活動が活発化したことに加え、2015年11月14日に南東部の鹿児島沖でM7.0の地震が発生していること、一連の地震は中央構造線につながる別府島原地溝帯で起きていること、などから、周辺地域での大地震のさらなる発生が懸念されている。また、阿蘇山や九重山など、火山活動の活発化も懸念されている。本研究では、今回の地震活動の特異性や周辺地域への影響を考えるために、世界で観測されている地震のデータをもとに、大地震の連発性と周辺火山への影響を統計的に評価したので、報告する。 地震データは、現在コロンビア大学が管理するCMT解(いわゆる、ハーバードCMT解)を利用した。1976年から2015年までの40年間の浅発地震(深さ70km以浅)のCMT解のマグニチュードとセントロイドの位置データを用いた。また、火山との関係では、NOAAによるGlobal Significant Earthquake Database、Smithsonian InstituteによるGlobal Volcanism Programの火山データベースを利用した。 M6以上の地震(4176個)を検索した結果、M6.0以上の大地震の発生から2週間以内に、その地震より大きな地震が水平距離100km以内に起きる例は、約3 %であることがわかった。また、M6クラスからM7クラス以上になる地震は0.3%であった。従って、今回の熊本地震のような例は、世界でも珍しい事象といえる。 さらに、大地震がある地域で発生した場合、周辺で同規模あるいはそれ以上の地震がどの程度発生するかを調べた。M7.0以上の地震について、発生時間からの経過時間Tと震央距離D内で起きた地震を連発地震と考える。T=7, 14, 30, 60, 180, 365, 730 days, D=25,50, …, 2000 kmについて、40年間に世界で発生した連発地震の数を調べた。なお、3個以上の地震が連発することも想定し、Dは連発した地震間の距離をもとに微調整した。さらに、連発地震の発生頻度を評価するため、地震の発生位置は固定する一方、時間的にはランダムにしたデータを作成し、連発地震数を調べた(これを通常レベルとする)。その結果、ある大地震が発生した後の数週間は、距離1000km程度までの領域で、連発地震の発生数は通常レベルよりも数倍以上大きくなることがわかった。また、経過時間とともに、発生数が通常レベルに近づき、かつ、領域が小さくなることがわかった。 続いて、大地震による火山活動の活発化を調べるため、大地震の発生からの経過時間と距離による、火山噴火発生数の変化を調べた。データが十分記録されていると考えられるM7.6以上およびVEI(爆発指数)2以上の噴火の1900年から2015年のデータを調べた。その結果、地震からの水平距離から200km程度以内の火山噴火数が増加することが明らかとなった。 以上のように、大地震の発生後の、大地震や火山噴火の発生の確率を経験的に調べることができる。大地震の連発性や火山噴火の誘発例は必ずしも多くはないが、大地震後に起きる活動のシナリオを、火山噴火予測で用いられるような噴火事象系統樹のように、確率を用いて表示することは、地震活動を俯瞰的に理解するために役立てられると考えられる。
著者
内出 崇彦 堀川 晴央 中井 未里 松下 レイケン 重松 紀生 安藤 亮輔 今西 和俊
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-19

2016年熊本・大分地震活動は2016年4月14日の夜(日本時間)に始まり、布田川断層帯、日奈久断層帯や火山地帯に及んだ。最初の大地震(イベント #1)は4月14日21時25分に発生したMw 6.2の地震で、その後、15日の0時03分にMw 6.0の地震(イベント #2)が起こった。最大の地震(イベント #3)はMw 7.0で、16日1時25分に発生した。個別の地震の強震動のみならず、長引く大地震、中規模地震によって、住民は苦しめられている。地震活動は、布田川断層帯・日奈久断層帯、阿蘇北部地域、別府・由布院地域と、3つの離れた場所で活発になった。本研究では、以下の問題に取り組んだ。ひとつは、なぜ断層が1つの大地震でなく、3つの別々の大地震で破壊されたのかということである。もうひとつは、なぜ地震活動に空白域が見られるかという問題である。 まず、本地震活動の震源の再決定をhypoDDプログラム(Waldhause and Ellsworth, 2000)を用いて行った。その結果、布田川・日奈久の両断層帯に対応する地下の複雑な断層形状が明らかとなり、北西傾斜の断層とほぼ垂直な断層が見つかった。イベント #1の震源はほぼ垂直な断層に、イベント #2の震源は傾斜した断層にあることがわかった。イベント #3の断層は別の垂直な断層にあり、傾斜した断層とぶつかる場所に近いことがわかった。これは発震機構の初動解にほぼ対応する。おそらく、断層形状が急激に変わるところで破壊伝播が食い止められ、それと同時に次の地震の開始にも寄与しているものと考えられる。これによって、3つの大地震が次々と起こるという結果になったと考えられる。 布田川断層と阿蘇北部の間の地震活動の空白域(「阿蘇ギャップ」と呼ぶ)はイベント #3によって破壊されたということが、国立研究開発法人 防災科学技術研究所(防災科研)の基盤強震観測網(KiK-net)のデータを用いた断層すべりインバージョン解析によって明らかになった。おそらく、イベント #3によって阿蘇ギャップが、余震が起こる余力もなくなるほど完全に破壊されたためであると考えられる。これは阿蘇山の構造に関連したものであると考えられるが、これ以上の議論のためには、詳しい構造モデルやその結果の断層挙動を調べる必要がある。 由布院では動的誘発地震が発生したことが、防災科研の強震観測網(K-NET)とKiK-netの地震波形データにハイパスフィルタをかけたデータを見ることによってわかった。動的誘発地震はよく火山地帯で発生することが知られている(例えば、Hill et al., 1993)。16 Hzのハイパスフィルタをかけた地震波形の振幅を、近くで発生したMw 5.1の地震(2016年4月16日7時11分)のものと比べることで、誘発された地震の規模をM 6台半ば程度であると見積もった。これは、合成開口レーダー「だいち2号(ALOS-2)」による干渉画像で見られる変形の長さや、イベント #3が発生した直後に地震活動が活発化した地域の長さとも調和的である。地震の動的誘発によって、由布院と阿蘇北部との間には、結果として空白域が生じたものである。 われわれのデータ解析によって、2016年熊本・大分地震活動の奇妙な振る舞いを引き起こしたメカニズムが明らかになったが、まだ多くの問題が残っている。どのようにして複雑な断層が入ったのか、阿蘇ギャップと阿蘇山との関係といった問題である。この地震によって火山活動がどのような影響を受けるかという点も注目すべきである。地震や火山による災害の推定を改善するためにも、これらの研究は重要である。 謝辞本研究では、気象庁一元化処理地震カタログの検測値を使用した。検測値には、気象庁、防災科研、九州大学が運用する地震観測点のデータを含んでいる。また、防災科研の高感度地震観測網(Hi-net)、KiK-net、K-NETの地震波形データ、F-netのモーメントテンソルカタログを使用した。Global CMTプロジェクトによるモーメントテンソルカタログも使用した。
著者
川瀬 博 松島 信一 長嶋 史明 宝 音図
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-17

今回の熊本地震における被害の発生要因を理解するため、我々は4月29日から5月1日にかけて、益城町および西原村において、被害状況の観察と微動調査、および余震観測点の敷設を行った。まず益城町役場周辺の被害集中の原因に関して推察することができるだけの情報を抽出したので、それらの結果をもとに被害集中の原因に関する仮説の構築を行った。まず益城町中心部での被害集中の特徴を調査結果に基づいて整理した。益城町中心部での被害は、東西方法は国道443号線の西から始まり県道235号線の東まで(約1.5km~2km)、南北方向は県道28号線の両側、幅約±300mの領域に広がっている。その特徴は以下の通りである。①被害集中域では、旧耐震の構造物だけでなく、新耐震の構造物も被害を受けている事例がある。②一方、旧耐震の構造物でも外見上大きな被害が見られず生き残っている建物も多数存在している。③子細に見ると被害域は東西方向に帯状に分布し、ある程度連続している。④倒壊した建物の倒壊方向は高い確率で東西方向となっている(添付写真)。転倒した墓石もほぼ東西方向(断層並行方向)に転倒している。⑤被害集中域の東西ラインを横切る南北方向の舗装道路においてはほぼ必ず顕著な地盤変状が見られる。次に益城町の被害集中域において、約100m間隔で格子状に700m✕1kmの領域で微動計測を行った。益城町役場を中心とする南北測線の北端・中央・南端の3地点での水平上下比(MHVR)を比較したところ、観測されたMHVRは2~3Hz付近にピークを持ち、そのピークレベルは約4~5倍であり、地下構造にはそれなりのインピーダンスコントラストがあることを示唆しているが、3地点でのMHVRの違いはわずかであり、それをもたらしている表層地盤の空間的差異で被害集中を説明することはできない。さらに、益城町役場に置かれていた自治体震度計の観測波形を用いて、兵庫県南部地震の観測被害に対して構築した木造2階建用の非線形応答解析モデルにより、推定被害率を計算した。その結果、前震・本震いずれもEW成分に対してより大きな被害が発生するという結果が得られた。またその計算被害率は最大の被害率が計算された本震のEW成分に対しても高々30%程度に収まり、決して大きな破壊力を持った地震動とは言えないことがわかった。以上の調査結果、および本震発震点座標、さらに産総研GSJがまとめた活断層マップとInSARの地殻変動図を参照すると、今回の益城町中心部における被害集中は、観測された強震動そのものが原因というよりも、強震動とそれに伴って発生した地殻変動およびそれによる地盤変状の発生が複合的に作用した結果、生じたものと推察される。その理由は以下の通り。1)地震動は確かに強烈だが、観測されているほどの大被害を出すレベルではない。2)横ずれ断層で卓越するはずの断層直交成分ではなく平行成分の被害が卓越している。3)被害の帯は東西方向に連続し、南北方向には連続していない。連続する東西方向の被害帯を横切る道路には高い確率で地盤変状が見られた。4)上記被害帯の内側では新耐震の建物も壊れているケースがある一方、その外側では旧耐震の脆弱そうな建物でも軽微な被害に留まっているケースが多く見られる。「地震動のみによる震動被害」ではそうはならないはずである。5)被害集中域の内外で地盤構造に大きな違いがある可能性は低い。6)GSJの活断層マップでは県道28号線沿いに分岐小断層(地震本部報告では木山断層)が引かれている。その西縁は被害集中域のスタート位置に当たる。これは被害集中域では過去の断層変位が広い幅に分布してきたためではないかと推察される。InSARの変動分布も木山断層までは明瞭な線が見いだせるが、その西側では幅1km、長さ2kmにわたって変動が明瞭でない領域が形成されている。7)本震発震点は上記分岐断層の西側延長上にあり、布田川断層主部に合流するまでの分岐断層が地表変位の北端であるとInSARから推定できる。謝辞本報告には科学研究費補助金、特別推進研究費(代表者:清水洋)によるサポートを受けた。微動調査には川瀬研究室・松島研究室の学生諸君の協力を得た。記して感謝の意を表す。
著者
渡辺 満久
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

1 はじめに 発表者はこれまでに、「福島」以前の杜撰な審査を繰り返さずに原子力関連施設の安全性が確保されることを願い、原子力施設の再稼働の前提となる新規制基準適合性に係わる審査に対しいくつかの具体的提言を行ってきた(渡辺ほか、2013;渡辺・中田、2014)。ところが、最近の北海道泊原子力発電所の審査における、原子力規制委員会(以下、規制委員会)の姿勢には大きな疑問を感じている。本報告では、積丹半島の活構造を総括し、規制委員会による審査の問題点を指摘する。本研究では、平成25~27年度科学研究費補助金(基盤研究(C)研究代表者:渡辺満久)の一部を使用した。2 積丹半島の活構造(渡辺・鈴木、2015;渡辺、2015a;2015b;北電、2013、2014) 積丹半島西方断層は神威海脚の西縁から神恵内西方まで約60 km連続し、比高数100 mの凸型斜面(撓曲崖)を形成している。撓曲崖基部には新しい地すべり地形が多数見られ、最近も斜面が不安定になったことがわかる。北電による音波探査の結果にも、いくつかの断層構造が確認される。規制委員会は、明瞭な断層構造が確認できないことを理由に活断層の存在を否定しているようである。しかし、上述したように断層構造は確認されている。そもそも、十分な変動地形学的検証なしに音波探査結果だけで活断層の存在を否定してはならないことは、2007年中越沖地震で学習したはずである。 積丹半島南西岸では、MIS 5eの海成段丘面が30 m程度の高度にあり、高度の異なるノッチや離水ベンチが存在しているため、間欠的隆起が繰り返されていることが強く示唆される。一方、北東岸では、海成段丘面は分布しておらず、離水ベンチもほとんど認められない。このような変動地形学的コントラストは非常に明瞭であり、両地域の地形発達が同じであるとは到底考えられない。これらの特徴は、積丹半島西方断層の活動で統一的に説明できる。規制委員会は、このような地形学的特徴の違いをまったく考慮していない。また、積丹半島全域が定常的かつ一様に隆起していると結論しているが、本当にそのような地殻変動が継続しているかどうかの検証はまったく行われていない。 規制委員会は、半島南西岸の海成段丘面(MIS 5e)の旧汀線高度はほぼ一定であるとした。しかし実際には、その旧汀線高度は一定ではなく、10 km程度の区間で10 m程度の高度差がある。これは、それほど本質的な問題ではないが、このような事実誤認があることも問題である。また、神恵内付近における旧汀線高度の急変に関しても、合理的な説明はなされていない。これらの問題に関して、2015年度活断層学会で報告したところ、当時の審査担当者から「北電から満足のゆく回答はまだなく、結論はでていない」というコメントがあった。その内容は、規制委員会の結論とはまったく異なるものであり、審査の進め方などに大きな疑問を感ずる。 MIS 9以降、積丹半島南西岸は等速度で隆起していると考えられ、中新統は南西側へ撓曲している。泊原子力発電所は、MIS 9に形成された海成段丘面を掘削して建設されており、撓曲する中新統には複数の層面すべり断層がある。これらの断層が後期更新世に活動していないと断言できる証拠はない。MIS 9以降の一様な隆起運動を考えれば、今後も動きうる断層として評価すべきである。 規制委員会は、南方の岩内平野では中新統~前期更新統の撓曲構造が前期-中期更新統の「岩内層」に覆われており、後期更新世には成長していないとした。しかし、前期-中期更新統の傾斜は、発電所近傍では12~13度であるのに対し南方の岩内平野では3~4度程度であり、岩内平野では変形の程度が小さい。泊原子力発電所直下の構造を、離れた地域で検証することはむつかしい。また、岩内平野の「岩内層」は、前期-中期更新統ではなく、MIS 5eの海成層である可能性が高く、1度程度傾斜している可能性がある。以上を考慮すれば、敷地内の撓曲が活構造であることは否定できず、重要構造物直下にcapable faultが存在する可能性がある。3 規制委員会の評価への批判 規制委員会は、積丹半島の変動地形学的特徴を誤認し、積丹半島西方断層の上盤の敷地内断層の活動性に関しても正しく評価していない。規制委員会は、新規制基準に基づく安全審査を実施しておらず、事業者の調査結果を鵜呑みにして「総合的におおむね妥当」と判断している。審査ガイドに明記された厳格な審査に違背した評価であり、「過去の形式的で杜撰な審査は見直し、事業者よりの専門家が関与した非科学的な審査結果は一掃しなければならない」と批判された、保安院時代のものと同質のものである。すべては、3・11以前に戻った。【文献】北電、2013。20131003_02shiryo_01.pfd。北電、2014、20150529-000108711.pdf。渡辺ほか、2013、活断層学会秋季大会。渡辺・中田、2014、地理学会2014年度春季学術大会。渡辺・鈴木、2015、科学、85。渡辺、2015a、地理学会2015年度秋季学術大会。渡辺、2015b、活断層学会2015年度大会。
著者
東宮 昭彦
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

マグマ溜まりおよび噴火直前マグマプロセスとその時間スケールに関しては,近年理解が進んでいる[たとえば東宮 (2016: 火山特集号) のレビューとそこで引用した各文献を参照].熱的に維持されていないマグマ溜まりは,冷却固化しやすいためにマッシュ状(結晶含有量が40〜50%以上で高粘性のためほとんど流動できない状態)にあることが多い.この場合,噴火するためには,マッシュ状マグマ溜まりを「再流動化」(例えば加熱)させ,「噴火可能なマグマ」(地表に向け上昇できるほど低粘性のもの)を用意する必要がある.こうした火山では,何らかのトリガー(深部からの高温マグマの供給など)が与えられても,ただちに噴火はしにくい.逆に,噴火可能なマグマが既に溜まっている火山では,トリガーがあれば短時間で噴火が可能であろう.従って,噴火休止期間と噴火トリガーの時間スケールとは正相関し得る.Passarelli and Brodsky (2012: Geophys. J. Int.) が指摘した噴火休止期間と前兆期間の正相関の一部は,これに対応するかもしれない.数十年以内の間隔で噴火を繰り返す活火山には,噴火可能なマグマが溜まっている可能性が高い.例えば,有珠火山の歴史時代の噴火(1663年〜)の場合,各噴火の斑晶の累帯構造の比較から,この間のマグマ溜まりは斑晶の成長および元素拡散が効果的に起こる温度以上にあったことが分かっている (Tomiya and Takahashi, 2005: J.Petrol.).また,斑晶(磁鉄鉱)の元素拡散から見積もった噴火直前過程(直前のトリガーから噴火まで)の時間スケールは数日程度であり,これは記録・観測された前兆地震期間と整合的であった.マグマ溜まりに「噴火可能なマグマ」が存在していたために,トリガーから数日以内に噴火が起こったと考えることができる.噴火の間隔(休止期間)が数百年になると,噴火可能なマグマは存在しても少量であろう.例えば新燃岳2011年噴火は,前回のマグマ噴火から約200年が経過していた.岩石学的解析から,噴出物の主体をなす混合マグマはマッシュの再流動化でできていること,その生成には数十日以上,おそらく前兆地殻変動期間である1年程度を要したと見積もられた (Tomiya et al., 2013: Bull.Volcanol.).[なお,噴火を最終的に引き起こした直前トリガーは噴火のおよそ3日以内と見積もられ,この時点では噴火可能な状態が整っていたと考えられる.]休止期間が数千年になると,噴火可能なマグマはほぼ無くなっているだろう.例えば有珠火山1663年,樽前火山1667年,北海道駒ヶ岳1640年噴火が該当する.このうち有珠火山1663年噴出物中の斑晶は,自形かつ均質でマグマから平衡に晶出したと考えられるので,結晶サイズ分布 (CSD) からマグマ中の滞留時間を見積もったところ,およそ102〜103年(ただし誤差が1ケタ程度ありうる)であった (Tomiya and Takahashi, 1995: J.Petrol.).つまり,噴火可能なマグマの準備におそらく数十年程度は要したと考えられる.[なお,樽前や北海道駒ヶ岳の斑晶はきわめて不均質/非平衡であるため同じ手法が使えない.]休止期間以外にも,たとえばマグマ溜まりの深さ(圧力・含水量)が噴火直前過程に影響を与え得る.高圧・高含水量の条件では,より低温でマッシュの融解が進行し,多くの珪長質メルト(e.g., 流紋岩マグマ)を効率的に生産できる.高含水量では珪長質メルトの粘性も低く,融解で結晶粒間に生じたメルトが分離・集積しやすい.逆に,低圧・低含水量では,マッシュの融解に高温が必要で,珪長質メルトの生産効率は低い.前述の有珠火山1663年マグマのマグマ溜まりの条件は,高温高圧実験により 約250MPa (10km)・780℃ と見積もられた (Tomiya et al., 2010: J.Petrol.).一方,樽前火山1667年および北海道駒ヶ岳1640年マグマについて,MELTSでマグマ溜まりの条件を予察的に求めたところ,いずれも約100MPa (4〜5km)・900〜950℃ と低圧・高温になった.有珠火山1663年は斑晶に乏しい流紋岩マグマであり,高圧・高含水量・低温で効率的に流紋岩質メルトが生成・分離・集積して噴火した可能性がある[均質な斑晶はメルト分離後に成長した].一方,樽前と北海道駒ヶ岳は斑晶に富む安山岩マグマであり,低圧・低含水量のもと,「噴火可能なマグマ」の生産に高温を必要としたとともに,珪長質メルトが分離せずマッシュの結晶ともども噴火したと考えられる.
著者
島崎 邦彦
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

日本海西部(能登半島以西)の「最大クラス」津波の断層モデル(国交省, 2014)は、過小評価であり再検討が必要である(島崎, JpGU, 2015)。過小評価の原因は、入倉・三宅式(2001)にある。この式は断層面積から地震モーメントを推定する際に用いられるが、西日本に多く分布する、上部地殻を断ち切るような高角の断層では地震モーメントが過小評価となる。長さが同じ断層で比べると、低角の断層に比べて高角の断層では、断層面積が小さく、地震モーメントや、ずれの量の平均値が小さくなる。島崎(JpGU, 2015)は過小となる理由として次の二つをあげた。1. 断層の長さや面積などの断層パラメターは、地震発生後に得られるものであって、事前に推定できる値とは異なり、大きくなることが多い。2. 断層の幅を14kmと固定した場合、入倉・三宅式を変形して得られる式(地震モーメントが断層長さの二乗に比例する式)の係数が、武村式(1998)や山中・島崎式(1990)の係数の1/4程度となる。本講演では、2.をさらに検討した。すなわち、静的変形の実測値が、入倉・三宅式を用いた断層モデルで説明可能かどうかを調べた。測量によって地震時の静的変形が観測されている1927年北丹後地震、1930年北伊豆地震、1943年鳥取地震について、既存の断層面積の推定値(Abe, 1978; Kanamori, 1973)から、入倉・三宅式を用いて平均的なずれの量を求め、これから推定される変形が実測値と調和的かどうかを検討した。その結果、入倉・三宅式では実測値の1/4以下の変形しか説明できないことがわかった。以上から、次のように結論することができる。日本の上部地殻を断ち切るような高角の断層で発生する大地震の地震モーメントの推定には入倉・三宅式を用いるべきではない。
著者
津久井 雅志
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

9世紀の巨大地震と火山活動の概要歴史時代の文献記録をまとめると,9世紀,15世紀末~16世紀,17世紀半,18世紀後半の噴火集中,19世紀半ばの地震・噴火などに「活動の集中期」があるように見える.ただし,発現のしかたは一様ではなく,時代ごとに違いが見られる.発表者は,9世紀の東日本~中部日本の地震・噴火活動を,2011年東北地方太平洋沖地震前に,地質,考古,文献に基づき以下のようにまとめた(津久井ほか,2007(地球惑星関連合同大会);津久井ほか,2008(火山)).1)富士山(800AD延暦噴火,838~864AD頃,864AD貞観噴火)・伊豆弧(伊豆大島(838ADころ~886ADにN3,N2,N1の3 噴火),新島(857ADころ,886ADの2噴火),神津島(838AD),三宅島,832AD?,850ADころ山頂噴火→山腹割れ目噴火の2噴火)の火山活動が極めて活発であり,鳥海山(810~823AD,871AD),新潟焼山(887AD?)でも噴火があった.2)日本海東縁沿い(秋田平野(830AD),庄内平野(850AD),越後平野(863AD)),糸魚川‐静岡構造線活断層系中~北部(841ADないし762AD),長野盆地西縁(887AD)?,関東内陸(818AD),北伊豆(841AD),伊勢原(878AD),南海トラフ(887AD)および東北沖(869AD,貞観地震)などで規模の大きな地震活動があった.3) 20世紀後半以降,9世紀の地変と重なる地域で地震・噴火が起きている,アムールプレートの東進が駆動力か?地震・噴火集中の直接的な原因は明らかではないが,連動したと考えられる噴火・地震はアムールプレートの境界に沿って800kmに及ぶ.大局的にはアムールプレートの東進(東日本に対して2cm/yr)による東西圧縮(石橋,1995,地質ニュース)に起因していると理解できる.日本海東縁ではアムールプレートは東日本(オホーツクプレートないし北米プレート)に対して沈み込み,糸魚川‐静岡構造線活断層系北部では東日本がアムールプレートに対し衝上する.一方,南海トラフではアムールプレートはフィリピン海プレートに沈み込まれる.その間にある糸魚川一静岡構造線活断層系中部は,左横ずれ成分を持ちながらアムールプレートを断ち切って沈み込み方向転換をする役割を担っている.9世紀の地震のうち起震断層を推定できたものは,東西圧縮と調和的な逆断層成分,横ずれ成分を持っている.このような条件下で固有の再来間隔が百数十年(南海トラフ)から千年以上(内陸地震)であるそれぞれの起震活断層が,短い期間に相次いで変位したのであろう.地震と火山活動の関連についての視点からみると,巨大地震のあとに火山活動が活発になった例は,869AD貞観東北沖地震のあとの871AD(貞観十三年)鳥海山噴火や,887AD仁和南海トラフ地震・長野盆地西縁断層地震直後?の新潟焼山噴火が挙げられ,これに915AD十和田を含めることができるかもしれないが,必ずしも巨大地震の後に一斉に火山活動が活発になるわけではない.伊豆諸島の噴火や864AD富士山貞観噴火は貞観東北沖地震や仁和南海トラフ地震に先立って噴火しているように見えるので,9世紀の場合は,巨大地震で圧縮応力が開放されてマグマの上昇が容易になる,というモデルで統一的に説明することは難しい.20世紀後半以降の地震・噴火20世紀後半には伊豆諸島(三宅島(1962AD,1983AD,2000AD(大規模貫入と2500年ぶり山頂カルデラ形成)),伊豆大島(1986AD(560年ぶり山腹割れ目噴火)),伊東沖噴火(1989AD(有史初めて))の噴火,日本海東縁沿い(新潟(1964AD,M7.5),日本海中部(1983AD,M7.7),北海道南西沖(1993AD,M7.8),新潟県中越(2004AD,M6.8),能登半島 (2007AD,M6.9),新潟県中越沖(2007AD,M6.8))で地震があり,9世紀との類似性を指摘していた(津久井ほか2007,2008前出)ところ,2011年3月11日に9世紀の貞観地震とよく似た東北地方太平洋沖地震(M9.0),翌日に長野盆地西縁断層北東延長で長野県北部地震(M6.7),2014ADに糸魚川‐静岡構造線活断層系北部で長野県神城断層地震(M6.7)が発生した.改めて9世紀の地変との類似性を意識して検討すべきである,と考えるに至った.しかし,9世紀の伊豆諸島の噴火ではマグマの頭位が高かったのに対し,20世紀後半以降マグマの貫入現象が目立ち三宅島では陥没カルデラが形成されるなど,噴火時の応力状態は異なっていたと考えられる.また,地震・噴火の発生の順序に規則性を見つけることも難しい.現時点でそれぞれの火山,震源断層の再来期間を考えると,平均的な再来期間を過ぎている糸魚川-静岡活断層系(と富士川河口断層帯),間もなく平均再来期間に達する南海トラフ,富士山噴火について注意深く監視を続けるべきだと考えている.
著者
大木 聖子 白木 千陽
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

「地震」や「活断層」という言葉を社会的に捉えると,マイナスイメージが先行していると言わざるを得ないだろう.地震は被害をもたらして人々の生活を不便にしたり,大切な人の命を奪ったりする.2011年3月11日の東日本大震災以降は,活断層という言葉で原子力発電所やそれがもたらす深刻な事故を思い浮かべる人も多いだろう.しかし地球科学的な観点から捉えれば,地震による隆起は土地を生み出して私たちに生活の場を与えてくれているし,活断層による地殻変動の積み重ねが日本の美しい景色の根幹にもなっている.地表地震断層は端的に地球のダイナミックさを語り,地球の活動である地震と私たちの生活との折り合いの付け方を再考する機会を提供しているとも言える.このような場のひとつとして,地表地震断層の保存公園や保存館がある.断層保存の学術的・社会的重要性については地震発生直後から多くの研究者が指摘して働きかけるが,その維持管理には担当する行政部署や運営受託組織,被災者でもある住民など複雑なステークホルダーが関与している.本発表では,著者らが巡検した丹那断層と野島断層のそれぞれにおける保存の経緯と維持管理のあり方を比較し,今後の地表地震断層保存のための一助としたい.丹那断層は箱根芦ノ湖から伊豆市の修善寺まで約30km続く北伊豆断層帯の代表的な活断層である.1930年11月26日に発生した北伊豆地震(Mw6.9)によって,震央である函南町に地表地震断層が現れた.これを保存する丹那断層公園には,左横ずれ断層を象徴する庭石や断層側面を直接観察できる地下観察室があり,近隣の火雷神社には鳥居と階段と神殿がずれているまま保存されている.いずれも手入れが行き届いており,良い保存状態で維持されている.丹那断層公園設立までの経緯を調べてみると,地震発生から5年後の1935年には地表地震断層が国指定の天然記念物となっており,翌年には国庫補助金で指定地を公有化して囲柵で保存している.断層跡が次第にわかりにくくなっていくため,1992年には丹那断層保存整備委員会を組織して,断層を公園として整備する作業が行われた.2011年には伊豆半島ジオパーク推進協議会が設立され,2012年には日本ジオパークに認定されている.断層の管理については函南町教育委員会生涯学習課が,ジオパークに関することは函南町観光部局農林商工課が担当しており,丹那断層公園の維持管理については両者が協力している.維持管理に関する当面の問題点としては,観察面保存のための樹脂コーティングの予算獲得が難しいことと,断層観察面の劣化による剥落やコケ類の除去作業などである.一方,野島断層は1995年1月17日の兵庫県南部地震(Mw6.9)で一部が地表地震断層となって現れた.調査に訪れた研究者らの保存に向けた動きは早く,地震発生4日後には,逆断層の上盤側が雨などによって崩落しないようにと主要部分をビニールシートで覆うなどの応急処置が施された.また同月末には天然記念物として保存してはどうかという研究者からの要望が当時の北淡町(現淡路市)に届けられ,それを受ける形で町長が野島断層保存の意向を発表している.1995年から1996年にかけて野島断層保存検討委員会が設置され,1997年には野島断層活用委員会と名称変更をして,今も野島断層に関する検討を重ねている.この委員会により,まず1996年に兵庫県および北淡町の企画部局主導で公園設置事業に伴う保存施設の設置の動きが始まり,1998年には保存施設を含む北淡町震災記念公園が完成,1999年にメモリアルハウスや震災モニュメントが公開された.現在は教育委員会が維持管理にあたっている.設立当初は年間30万人の入館者を想定していたが,実際には82万人が訪れた.しかしその後は入館者数が減少し,2015年度は17万人余りである.その原因のひとつとしてアクセスの悪さが挙げられる.設立当初は野島断層保存館に徒歩圏内の富島港へ明石港からの高速艇が定期運行していたり,岩屋港からの定期路線バスが運行されていたりしたが,利用者の減少に伴ってどちらも廃止されている.これに加えて,逆断層であるため上盤側の管理が困難であることや,学芸員が不在であること,産業振興課などの観光に関わる管轄が運営に協力する体制になっていないことなども原因として挙げられるだろう.本発表では,両断層保存施設の設立経緯と管理体制の比較から今後のより良い管理維持のあり方を再考するとともに,さまざまな困難を乗り越えて存在している現在の地球科学関連施設の尊さを再認識する機会を提供したい.