著者
小松 秀雄
雑誌
論集 = KOBE COLLEGE STUDIES
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.19-34, 2017-06-20

江戸時代後期から昭和初期にかけて農村地域では多くの神社境内に木造の農村舞台が造られ、地芝居(農村歌舞伎や人形浄瑠璃)が上演された。しかし、戦後の高度経済成長の過程でテレビが普及し娯楽が多様化するにともない、ほとんどの地芝居は行われなくなり、多数の農村舞台が取り壊された。本論文の第1章では、1960年代から30年にわたり実施され発表されてきた農村舞台の調査研究の資料を再検討してみる。第2章では高室芝居と播州歌舞伎の歴史的変遷を考察する。江戸時代後期から大正時代まで高室芝居の座 (劇団) は、播磨の国あるいは兵庫県における農村舞台で大活躍したが、昭和10年までにすべての座 (劇団) が解散してしまった。戦後になって東播磨の多可郡多可町に播州歌舞伎クラブが設立され高室芝居の伝統を受け継ぎ、兵庫県内外で活発に公演を続けている。本論文では、歴史社会学の視点から農村舞台あるいは地芝居に関する多様な郷土資料を分析し論述してみる。
著者
米田 眞澄
出版者
神戸女学院大学
雑誌
女性学評論 (ISSN:09136630)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.69-86, 2014-03

日本では、2000年の国連による「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人(特に女性及び児童)の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書」の採択を受け、2004年12月に人身取引対策基本計画を策定し、人身売買の取締と被害者の保護のための政策が開始された。2005年には議定書批准に向けた国内法整備を目的に刑法、出入国管理及び難民認定法などの関連法の改正がなされた。とりわけ、人身売買者の処罰については、刑法に新たに人身売買罪(刑法226条の2)が新設されたことが注目された。しかし、人身取引事犯の検挙数は少なく、その多くは、人身売買罪ではなく、売春防止法あるいは職業安定法など既存の法律を使って逮捕・起訴されている。これは、人身売買罪の成立要件である不法な支配の確立とその移転について、売渡し人が被害者に対して支配を確立していたとみなされる基準が狭いためである。一方、被害者の保護からは、借金の返済の為に売春を強要される女性たちがいることが明らかとなってきている。そのような女性たちは戦後に多くみられたが、当時においても、ほとんど処罰がなされないと批判されていた。本稿では、借金返済のために売春を強要される事例においても人身売買罪の適用は困難であり、性的搾取を目的とする人身売買の摘発にあたっての国の方針は戦後から変わっていないことを明らかにする。After the United Nations adopted the Palermo Protocol in 2000, Japan drew up the Action Plan to Combat Trafficking in Persons in December 2004. In 2005 Japan amended the penal code, the immigration law and several other laws to ratify the Protocol. Particularly, it is worthy of notice that the new crime of "buying and selling persons" was designated. In practice there have been few human trafficking arrests in Japan, and in most cases the older laws related to anti-prostitution and the employment security are applied instead of the new crime. The main reason is that the definition of the crime of "buying and selling persons" is too narrow. Recently it has been shown that some female victims of human trafficking for sexual exploitation are forced into prostitution because of debt. There were so many women in such a conditions after World War II. In those days most traffickers were not punished. In this article, I explore the difficulties in applying the new crime in Japan and show that the national policy on arresting traffickers for sexual exploitation has not changed since the postwar period.
著者
東田 擢
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネスassocie (ISSN:13472844)
巻号頁・発行日
vol.10, no.17, pp.4-6, 2011-10-04

第69期名人戦七番勝負において、6月の最終局を制して羽生善治から名人位を奪い返し、通算6度目の頂点に立ったのが森内俊之だ。 横浜市出身の40歳。小学3年生から将棋を始め、6年生の時に、プロ棋士になるための修行機関である奨励会に入会した。羽生とは同学年で、小学生の頃から競い合ってきた仲。奨励会も同期入会という宿命のライバル関係にある。
著者
赤坂 憲雄
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.32, no.4, pp.43-51, 1983-04-10

Biwa-Hoshi was an outsider who visited the communities and the very Japanese way of calling him was "Marebito". Those people drifted around the boundary area of the communities, so they were also called "the people of the boundary", and they were accepted with respect and fear by the settlers of the
著者
諸見里 恵一 譜久嶺 忠彦 土肥 直美 埴原 恒彦 西銘 章 米田 穣 石田 肇
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.115, no.1, pp.25-36, 2007
被引用文献数
5 8

17世紀から19世紀の農耕民であると考えられる,久米島近世人骨(男性56個体,女性45個体)の変形性脊椎関節症の評価を行った。変形性脊椎関節症の頻度は,男女ともに腰椎が最も高く,女性においては重度化を認めた。次に変形性脊椎関節症を認めた部位として,女性は頚椎で,男性は胸椎下部と,男女間で異なった傾向を示した。変形性脊椎関節症の部位別頻度では,椎体前縁部が後縁部に比べ顕著に高く,男性の胸腰椎では右側縁部が左側縁部より高い傾向を示した。関節突起に関しては頚椎が最も頻度が高く,胸腰椎では低い傾向を示した。また,男性は頚椎,胸椎上部の一部に,女性では第11および第12胸椎で頻度が高く性差を認めた。主成分分析の結果でも,頚椎および腰椎の変形性関節症の頻度が高く,腰椎では椎体前縁部と左右縁部に,頚椎では椎体後方と椎間関節に関節症の頻度が高い傾向を確認した。久米島近世人骨の女性は,頚椎の椎体後方に変形性関節症の頻度が男性と比較して高いことから,民俗学者らによって示唆されている,頭上運搬による体幹直立位での荷重の影響を受けたと思われる。<br>
著者
崎田 喜美枝
出版者
宝塚造形芸術大学
雑誌
Artes : bulletin of Takarazuka University of Art and Design : 宝塚造形芸術大学紀要 (ISSN:09147543)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.25-46, 1990-03-20

'60年代にアンドレ・クレージュ(パリ)とマリー・クワント(ロンドン)が発表したミニスカートが,世界中にセンセーションを巻きおこしました。'60年代後半から'70年代には,パンツといえばスポーツウエアやホームウエアだったアイテムが,サンローランがシティパンツを提唱し,あっという間に世界の女性に愛用され,タウンウェアはもちろんフォーマルウェアとして,なくてはならないものになりました。'70年代は,"ウーマンリブ"ということばに象徴されるように,女性が主張する時代でもありました。その流れから,'80年代前半のファッションは,男性と対等意識を表すように,パッドを入れて肩幅を強調したショルダーラインで,メンズスーツのようなテーラードなジャケットを多くのデザイナーが働く女性のために発表し,ワイシャツ,ネクタイ,パンツなどもレディス・ファッションの中で,異和感のないアイテムになりました。'86年,男女雇用均等法が施行されたこともあり,男性のエグゼクティブと同じようなスタイルが台頭し,サッチャー英前首相,クレッソン仏首相,ヒルズ米通商代表など,世界の女性政治家がテレビ,新聞をにぎわすのに代表されるように,あらゆる面で活躍する女性が増えました。'80年代半ばには,ジャンポール・ゴルチェやティエリー・ミュグレーがアンドロジナス(男女両性)ファッションを提唱し,若者たちにすぐに受け入れられましたが,ユニセックスなもの,例えばタキシード,ネクタイ,ハンティング,ビジネスバッグなどのメンズグッズを女性が,またソフトなパンツやシースルーのシャツブラウスを男性が着るなど,一部の若者だけでなく,アダルトな男性,女性にも浸透しました。エグゼクティブとして活躍する女性管理職から新しい女性が育ち,社会進出が定着し,肩ひじ張ったりするのではなく,積極的に仕事をしながらも,おしゃれを忘れない"キャリア・シック"に移行し,知的で洗練された現代女性のエレガンスが,パリ,ニューヨーク,そして日本にも共通するテーマとなりました。アライアをはじめとして,ボディコンシャスで,からだのラインを美しくみせるファッション,またニューヨーク・ファッションに代表される洗練されたコンサバティブなエグゼクティブ・ファッション。'80年末から'90年にかけ,アルマーニやフェレに代表される知的でありながら,女らしいイタリー・ファッションが台頭してきました。その中心となっているのは,19世紀からの伝統あるパリ・オートクチュールとパリ・フレタポルテだともいえます。ファッションが大きく移り変わってゆくことは衆知のことですが,これは単なるファッションの変化だけでなく,社会背景とともに女性の生き方が変り,ライフスタイルも高級志向になりました。食生活が変化し,健康のため,痩身のためのヘルシーメニューをそろえた専門レストランも登場しました。一方,余暇にスポーツをする人も多いのですが,その時間もない多忙なビジネスマンやオフィスレディたちは,会社への生き帰りに,ウォーキング-歩くことで健康不足を解消しようとしている"アーバンハイカー"がニューヨークで出現しました。ゴルバチョフ大統領のペレストロイカ,チェルノブイリ原発事故,オゾン層破壊,ベルリンの壁崩壊,EC統合,大旅行時代,湾岸戦争など,自然環境問題をはじめ,政治,経済,社会,民族文化など,世界の出来事をリアルタイムに,各国で受けとめる今日では,ファッションも世界的な観点から見ることが必要だといえます。"アース'90"と題して環境問題に関心を持つ世界のミュージシャンが,子供の未来を守るコンサートに参加するなど,「自然を愛そう」「地球を大切にしよう」という環境保護-エコロジーがクローズアップされています。その影響を受けて,'90年代はじめのファッションは,エコロジーカラーやアースカラーといった,自然のモチーフや健康であること-スポーツマインドが主役となっています。'90年春夏,'90〜'91秋冬のニューヨーク,ロンドン,マドリッド,ミラノ,パリのプレタポルテ及び,パリオートクチュール・コレクションから,時の流れの中で生活文化や女性の生き方などを,ファッションを通して考察します。
著者
宮野 道雄 望月 利男
出版者
地域安全学会
雑誌
地域安全学会論文報告集
巻号頁・発行日
no.1, pp.1-9, 1991-05

第二次世界大戦終結前後に、わが国では鳥取地震、東南梅地震、三河地震、南海地震、福井地震とたてつづけに大地震が発生している。これらの地震はいずれも大きな被害を生じさせているが、被害の甚大さの割には詳細な調査資料を見出だすことが難しい地震が多い。その理由として、当時が社会的混乱期にあり、種々の視点からの被害調査が行えない状況にあったことや実施された調査も結果を公の報告書として発行することが困難であったことなどが考えられる。これらの地震は、全て1000人前後以上の死者を出しており、いわば古典的地震の最後のグループに属するものである。したがって、人的被害や避難などの人間行動を解明するための貴重な事例といえる。しかし、地震当時から40年以上を経過した現在、被災経験者から直接被害実態を聴取することが年々困難になっており、早急に追跡調査を実施する必要がある。以上の視点に基づき、本研究では1946年南海地震の被害追跡調査を行ない、和歌山県新宮市の延焼火災発生地区における人的被害と人間行動こついて検討を加えた。調査は同市の延焼地域に属する5つの老人クラブの会員を対象として、調査票を用いた面接形式で行った。ただし、調査実施日に調査会場へ来られなかった人には老人クラブ役員に調査票の配布を依頼し、後日郵送してもらう方法をとった。調査票は全部で30の設問から成り、回答者の当時の住宅特性・個人属性と物的・人的被害および地震の最中、直後の行動、地震後の避難行動などを尋ねている。回答総数は65票(回収率54%)であった。得られた結果を要約すればつぎのようである。すなわち、新宮市では出火点が一ヵ所であり、同時多発火災のような混乱が生じなかった。また、火災の拡大がゆるやかであったため、広域避難行動も行ないやすかったと考えられる。調査により得られた死亡原因内訳によれば、延焼地域においても焼死と断定できるものはなく、家屋倒壊による圧死が多かった。死者の属性別の死亡率をみれば、男性では高齢者において高く、女性では全年齢にわたってほぼ等しくやや高い値を示した。